とある世界の残酷歌劇 > 第二幕 > 08


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光が瞬いた。

唐突に暗い施設内を照らした眩い閃光に白井は足を止めた。
無色の人工的な光。直後、轟音が響き窓ガラスがびりびりとその身を震わせた。

しかし光は一瞬で消える。
廊下を白く染めた輝きが消えると同時に、白井の前に伸びた影も闇に溶けてしまった。

(閃光音響弾……非殺傷性のスタングレネードですわね)

振り返りながら白井は酷く冷静に分析していた。

学園都市の治安部隊である警備員に配備されているのでその存在はよく知っている。
光と音で視角と聴覚を奪う、暴徒鎮圧用の武装だ。

一体誰が。
……決まっている。砂皿の他にいない。

だが、何のために。
一瞬白井は考えるがすぐに思い当たった。
何故ならそれは白井自身、よく知った感覚だからだ。
     アンチスキル
(――――警備員を呼ぶために――っ)

ぎり、と思わず歯噛みする。

砂皿は暗部の人間だ。それも人の頭を打ち抜く事を生業とする生粋の殺人者だ。
その砂皿が自ら警察機構を呼ぶなど正気の沙汰ではない。
言うなればそれは盗みに入った泥棒がわざわざ一一〇番通報するようなものだった。



しかし意味もなくそんな真似をするはずもない。

(わたくしを――ここから逃がすために――)

警備員に見つかって困るのはこちらも同じだ。

色々と疚しい事も抱えているし、見つかれば最低でも施設への不法侵入で取調べを受ける事になる。
その上、面倒な事に白井は警備員の間でも人気者だ。風紀委員きっての問題児として。

特徴的な小柄な外見と髪型。嫌でも目立つ制服。そして特異な能力。
逃げるにしても間違いなく『空間移動』を使う事になり、それを察せられれば確実にそれが白井黒子だと露見する事となる。

対し砂皿のプロフィールは公にはなっていない。はずだ。

学生が大部分を占める学園都市。
総人口二三〇万弱の内、おおよそ八割が学生だ。
そこばかりがひたすらに強調されているために子供しかいないように思えるが、しかし。

残る二割、数にして四六万。

学校や寮生活、そして研究所に縛られ管理されている学生ではない『大人』。
一個の国と称してもあながち間違っていない大都市を子供だけで運営できるはずがない。
そのコロニーとしての機能を担えるだけの人口がそこにはあるのだ。

そして超能力を開発するために作られた都市に於いて最重要は被検体である子供で。
            うらかた
都市の運営に必要な歯車である大人ではない。



そして砂皿は、元より学園都市の裏側に巣食う者だ。
その中に紛れ込む事は容易いだろう。元々がそういう存在なのだから。

だから見つかってしまって困るのは白井だけだ。もっとも、逃げられたとしてだが。

「く…………」

白井は険しく歪めた表情を隠そうともせず今来た方向を睨みつける。

砂皿の狙いは恐らく第三者の介入、そしてそれに伴う完全な仕切り直し。

一見お互いに何の利益も齎さないようにも見えるが、その実砂皿が一方的に得をする。
狙撃手の最大の弱点は発見される事にあるのだ。
元々が相手に気取られず一方的に虐殺するための戦法だ。見つかってしまっては元も子もない。
そして、砂皿に身を隠されてしまっては狙撃の持つもう一つの意味――『銃口に狙われているかもしれない』というプレッシャーに再び身を晒す事になる。

白井が砂皿の位置を知る事ができたのはフレンダの能力があってこそだ。
元々銃を相手にする機会などそうそうない。似たような事はあっても大抵の場合、相手は能力者だ。

超能力の跋扈する学園都市。

風紀委員という立場でその渦中の最先端にいた白井は鉄火場に慣れてはいるが――。

極々普通の、ありふれた兵器とありふれた暗殺者を相手取る機会などなかったのだ。



警備員が到着するまで、命令系統や関係機関、一番近い詰所の位置などを思い返して概算する。

――十五分弱。それが制限時間だ。

攻勢に出るとは決意しても、あくまでそれは暗躍としてだ。

夕刻、あの少年の姿をした別人が往来で派手に立ち回ったようだがそれは白井の本意ではない。

学園都市の影。暗部組織。そして、自分たち。
それを警備員などという表の組織に気取られてはならない。

こんな最低な茶番劇に表舞台の住人を付き合わせていいはずがない。
何もかもが手遅れで、だからこそ手出しをさせてはいけない。
そうでなければ――――殺人も同然の行いをした自分は何なのだ。

白井は拳を握り目を強く瞑り、何か溢れそうになる感情を抑えるように細く、深く深呼吸をした。

「すうぅぅ――――…………くふぅぅ――――…………」

夏の気配はどこへ行ったのか、冷たく尖り、澄んだ夜気が肺腑を撫でる。
呼気と共に心の奥底で蟠っていた何かを吐き出した気がした。



(――何を考える必要がありますの)

超能力者である垣根帝督率いる『スクール』の一人として選ばれたのだ。
それほどまでに砂皿の狙撃手としての腕は評価されている。
異能者でないにしろそれに見合う能力と考えるべきだ。

砂皿は恐らく、まだ施設を出てはいない。

今の爆発は陽動などではない。
地下通路などという気の利いたものもない極々ありふれた研究施設から外へ逃げるには確実に屋外に出る必要がある。
『単身で空から俯瞰する事が可能な』白井にそれは自殺行為以外の何物でもない。

空間移動の異能を持っているにしろ、動きは読まれていと考えていいだろう。
狙撃手とはそういうものだ。どこかで待ち伏せをしている。
狩人は獲物の行動パターンを読んで予め罠を仕掛けるのだから。

だが白井は、砂皿を排除しなければならない。
それも今。制限時間内に。



狙撃は空間移動能力者に対し限りある有効な手段だ。

この世界は四次元時空間に捕らわれている。
三次元空間プラス一次元時間。立体は全て時の流れに支配される。
それは、何をするにも必ず時間という概念が付き纏う事を意味する。

そんな限られた枠組みの中でしか動けない世界で、白井の『空間移動』は例外だ。
瞬間でも刹那でもない、ゼロ時間。白井がそれを攻撃と認識したと同時に回避が完了しているのだ。

しかし十一次元空間に干渉する能力を持っていたとして、それを操る白井自身は高次の存在などではない。
白井もまた、間違いなく三次元空間からは逃れられない。

そして行動するには意思を持たなければならない。だから相手に気取られぬ事こそを武器とする長距離からの射撃は天敵だ。
先ほど回避できたのはフレンダがいたからに他ならない。運以外の何物でもなかった。

だが次もまたフレンダが都合よくその場にいて感付いてくれる保証はないし――
彼女の事だ。気付いたとして、そのまま何もしないという可能性すらある。

白井はあの名無しの少女を信用してはいない。
元より『彼女』以外にその信頼を寄せようとも思わないが。

白井の持つ『空間移動』には絶対的な価値がある。
あの序列第一位、『一方通行』でさえ空間移動系能力は御しきれないという。
学園都市の頂点に君臨する最強無比の異能が屈服させきれない『空間移動』。
それは二三〇万の内にたった五八人しか持たない希少能力だ。代えは利かない。

などという事を考えて白井は一瞬薄笑いを浮かべた。
そこには至極自然に――酷く冷静に自分を駒として分析している白井がいた。



脱線しかけた思考を戻す。
逃げなければならないのは砂皿も同じだ。

ただ違うとすれば、白井は瞬間で距離を移動できるのに対し、砂皿は自らの足で動かなければならない。

能力者を相手にする警備員の基本戦法は物量で圧殺する事だ。
装甲車の山で道路を封鎖する事など日常茶飯事でしかない。
物理的に包囲されては文字通りの袋の鼠となる。もっとも、白井は悠々と逃げ遂せられるだろうが。

それを考慮した上で結論付ける。
要はそのタイムリミットまでに全て片を付けてしまえばいいのだ。

何、簡単な事だ。いつものようにその能力で鉄矢を放てばいい。
唯一違うとすれば、その目的が相手を拘束する事ではなく、心臓を貫くためだという事だ。

一番大事なもののために二番より後を切り捨てた自分には容易い事だ。

歩みかけた足を止め、白井は半ば振り返るように上半身を捻り横を向く。

外。夜闇に煌々と輝く街の灯に紛れて。

窓ガラスにはどうしてだか笑みを浮かべる自分の顔が映っていた。






――――――――――――――――――――






小刻みに空間移動を繰り返しながら白井は廊下を移動する。

狙撃を警戒しての事だ。
常に移動し続けていれば狙いは付け難い。

床から数センチの高さに移動し、着地と同時に蹴るようにして更に位置をずらす。
些細な事だが即死を考えられる相手には十分に有効だ。

砂皿を見失ってから多少の時間は経過している。
爆薬の類を所持している事も分かったし、通路に罠が張られている事も考えられた。
どうせ自分では看破できないだろうとは思っても警戒してしまう。

待ち伏せに飛び込む事は自殺行為でしかない。
狙撃銃を持たないとはいえ砂皿は狙撃手だ。標的をじっと待ち続ける事にこそ卓越した技能を持つ。
                  キリングフィールド
つまり白井の往く先は文字通りの『死地』だ。
そこには暴力と流血と殺意しか必要ない。余分な感情は足枷となり死を招く。

(ですから他の事は考えず――わたくしは一個の殺人機となりましょう)

口の端が吊り上がっているのを自覚しながら、白井は自分でも不思議なほどに冷めた思考でいた。



白井黒子は常に殺意と戦い続けている。

他人のではない。自身の中にある殺人衝動だ。

白井の『空間移動』は学園都市に存在するあらゆる能力の中でも最高クラスの殺傷能力を持つ。
薄紙一枚であらゆる鉄壁を両断する事ができるその異能は、人に向けて使えば文字通りの必殺だ。
頸を刎ねる事も心臓を穿つ事も圧死も縊死も墜死も窒死も思いのままの力。

それは常に目の前の相手を殺すことが可能なスイッチを手に持ち歩くような日々。

日常で誰かに敵意を抱かない者はいない。

例えば口煩い教師。
例えば気に入らない同級生。
例えば気持ち悪い視線を向ける研究者。
例えばファミレスで声高に談笑する学生グループ。
例えば道で肩がぶつかってしまった通行人。
例えばバス停で前に並んでいるカップル。
例えばコンビニのレジ打ち店員。
例えば目の前を通った誰か。

誰であろうと白井はその相手を殺せる。殺そうと思った次の瞬間には殺せる。
簡単だ。適当に能力を使ってやるだけで生物は死ぬ。

だが白井はただの人畜無害な女学生でいるために――殺人を犯さないでいた。



だが考えてもみれば、飲酒や喫煙をする未成年がどれだけ多い事か。
理由は何か。単純な解でしかない。あまりにも手軽だからだ。

殺人という云わば最大の禁忌との差は、その非日常性と、刑の重さでしかない。

だが考えてもみれば。
最も手軽な殺人武器である銃の所持が規制されている日本とされていない米国。
両国で起こる殺人・傷害事件の発生率はまったく違う。
銃があまりにも気軽に手に入る国では、言うまでもなく手軽に殺人事件が起きる。

常に手元に銃があったら。
引き金を引くだけで人を殺せたら。
手軽に人を殺す事が可能ならば。

『空間移動』。同時に最高クラスの機動性と隠密性を持つ能力。
死体の隠蔽も簡単だ。実際にそれはやった。
見つかったとして、学園都市を取り囲む壁など簡単に飛び越えられる。
誰も白井を捕まえる事はできない。

もはや白井の殺人を押し止めているのは白井自身の理性でしかない。
自分の中に無限に湧いてくる殺人衝動と白井の理性は常に戦い続けている。
それは普段、誰しもが抱えている一面ではあるが――白井の場合、少しだけその性質が違っただけだ。

だが数日前まで被っていた少女の仮面は必要なくなった。
日常は失せ、そしてここは血と硝煙の臭いしかしない地獄の舞台だ。

故に白井を止める要素は何一つない。
誰にも邪魔される事なく、白井自身もそれを止める理由もなく、衝動の赴くままに殺人ができる。



だが、その枷が外れたからといって殺人を楽しむのは狂人でしかない。
ルールが変更され、砂皿を殺害する必要はあれど、それはあくまで必要性に駆られての事だ。
そもそも同族に大した意味もなく殺意を抱く生物などヒト以外に存在しない。

殺人という人として最低下劣な行いは白井自身忌み嫌っているものだ。
風紀委員――審判という名の治安組織に身を置いていた白井が殺人を許容できるはずもなかった。

仕方なく、そう、これは仕方ない事だ。砂皿を殺さなければ自分が殺される。
それに、殺人を躊躇わない者を野放しにしておいては、白井の一番大事なものが殺される可能性すらある。
万に一つもないとは思えど、その可能性は完全に否定する事ができなかった。

だから殺す。そう躍起になって言い訳をしている自分に気付いて白井は薄く自嘲の笑みを浮かべた。

――だがそれは本当に自嘲のものだけだったのだろうか。

これから死しか存在しない場へ赴くというのに。
白井は酷く冷静で、その一方で高揚していた。


                             白井黒子
冷徹に、正確に、機械的に行動を起こそうとする『理性』のすぐ横で。


              しらいくろこ
鏡写しのようにもう一人の『本能』が歓喜の声を上げていた。





『ようやく人を殺せる!』





軽快な、空を踏む足取りをそのままに、白井は内面の衝動を無理矢理に押さえ込んだ。

今、感情は必要ない。

白井に要求されているのは確実に砂皿を殺害する事だけだ。
そのために邪魔になるのであれば『白井黒子』個人ですらも必要ない。

白井にとって最も大切なものは自身ではないのだ。

それ以外は全て、そのために存在する歯車でしかない。
白井自身もその例外ではない。邪魔になるのであれば自ら命を絶つことすら辞さない。

掃除をする箒に感情など必要ない。ただ必要な仕事をこなせばいいだけだ。

そう自分に言い聞かせて、白井は状況を再確認する。

爆音と光の具合から見て、爆発点はこの辺りだ。
元来た道を逆走しながらも既にここは知らない場所と考えた方が良い。

時限装置でも組んでいた可能性もあったが、そもそも白井が砂皿の姿を見失ってから多少の時間は過ぎたといってもまだ数分。
爆発からは一分も経っていない。周囲に砂皿がいる可能性が高い。一歩進むごとに危険性は上がる。





何度目かの空間跳躍から着地、右手を後ろに窓に当て、踏み込むように前に体を前進させながら掠るように手を前に。




――対象指定:接触物 基点指定:右手五指 範囲指定:同系統物質/発動時点

――次元定理演算(代入)→絶対座標(正・五〇〇〇、負・一〇〇、負・八六〇)、相対仰角(正・〇、正・一〇、正・〇)

――『起爆』(持続:単位時間・一〇)。




演算が終了し白井の『空間移動』が発動する。

白井の右手指の触れた窓ガラスが掻き消え、撫で擦るように前へ伸ばした指に触れた窓が次々と空に溶ける。
その数四枚。転移先はすぐ目の前。
床から一センチにも満たない高さに現れた窓枠から外されたガラス板は小さな衝突音を立て折り重なるように壁に自重を預ける。

勢いをそのまま白井は半ば屈むように体を前傾に、手を下に。
壁に立て掛けられたガラス板を浚うように手を伸ばす。

だが視線は前方左、廊下のT字路の先。
白井の位置からは死角となっている空間だ。




――再演算:繰り返し(手順六八まで)

――設定:固有値n

――代入数値変更:(座標、仰角)

――連続使用:変数y+二〇〇/n毎

――『起爆』(瞬間)




そして『空間移動』を再使用する。

ガラス板が纏めて消え失せ、一瞬のタイムラグの後。
白井の見えぬ位置でガラス板が、点線として通路を上下二つに両断した。





白井の能力は再使用までにおおよそ一秒程度のクールタイムを必要とする。

更に『空間移動』の特性から、自身を移動させる場合その先を若干の空中に設定しなければならず、
移動と同時に運動エネルギーを消失する事ために初動は確実に落下となる。

その僅かだが絶対の隙を嫌っての行動だ。
さらにガラス板での広域割断に加え、そのまま落下した際に発生する甲高い破砕音。
あの耳障りな音は確実に注意を惹く。

ほんの少しでも意識を逸らせる事で白井の隙は減る。

ガラスの砕ける音を合図として自らの足で分岐路に踏み込む。
左足を床面に押し付け軸に、回転するように左へ九〇度方向を変える。
重心を低く、右足で運動を殺し白井は曲がり角に飛び込むと同時にその先へ視線を向ける。

目の前に壁が立ちはだかっていた。

「――――――!」

いや、壁ではない。開かれた、室内への扉だ。

次瞬、扉の裏側、白井に見えない場所に貼り付けられたC4爆薬がオレンジ色の閃光を伴って炸裂した。



「くぅ…………っ!」

白井は爆発の直前、背筋を這い上がった怖気に咄嗟に空間を跳躍し、今来た廊下を曲がり角から二〇メートルほど後方に移動していた。
爆発は衝撃と共に金属製の薄い扉を粉々にし、その破片を周囲にばら撒く。
視界の前方、曲がり角の床は焼け焦げた黒い装飾と金属片の爪痕によって見るも無残に引き裂かれていた。

二重のトラップ。

一つは不用意に障害物を無視し空間移動した時、本来その位置にあるべきではない扉に対し発生する『埋め込み』。
曲がり角の向こう側には白井の横にあるものと同じ、サッシだけとなった窓が並んでいる。
ここは先ほど砂皿が身を隠していた場所だ。一度確認した場所だからこそ警戒が甘くなる。
少なくとも構造は理解してしまっているのだから、白井が『空間移動』を使う事は十分に考えられた。

そしてもう一つは白井の視界外、明確な敵影もない場所からの遠隔攻撃。
爆発と扉の破片での無差別な広範囲破壊。
実際、白井の判断がもう一瞬遅ければ今頃彼女の体はずたずたに引き裂かれて転がっていただろう。

念入りに、慎重に、そして臆病に行動していた事が白井の命を救った。
白井の懸念通りに徒歩移動でなければ回避は間に合わなかった。

だが今の位置、人影は見えず、まして自動で起爆させるための感知装置の類はなかったように思える。

だとしたら手動。暗殺者はすぐ傍にいる。

最も可能性の高いのは開いていた扉から通じる室内――ではない。

爆発は開かれた扉の裏側に貼り付けられていた。
そして扉の蝶番は手前にあり、取っ手は白井から見て右側に付いていた。
室内から爆薬は丸見えだ。無論、爆発は遮るもののない室内まで破壊するだろう。

そして視界外から白井の位置をどうやって特定したのか。
簡単だ。白井の足音、そして建物僅かに震わせる振動。
それがはっきりと分かる位置は。

(逆正面――対面の室内!)

がらんどうになった窓枠を掴み『空間移動』を使用。
転送先は左前方斜向かいの室内。内部構造の確認は必要ない。
元より面積の少ない物体だ。命中は期待しない。必要なのは相手の注意を逸らす事だ。

瞬時に必要な十一次元演算を完了させる。

――起爆

足を踏み出すと同時に白井は能力を発動させた。



障害物を無視し枠組みだけが空間を跳躍する。
結果を意識から除外し、白井は更にもう一度能力を使用する。
その対象は焼け焦げ傷の付いた、閉じた扉。

右の人差し指と中指で軽く触れ発動条件を解放。

――『起

「――――ぃぎ、」

         爆』

能力が発動し扉が消え、一瞬の後に室内にただの金属板と成り果てた平面が現れる。

しかし不意の事に演算を多少間違えた。
水平に角度を変更するつもりだったものは向きを変えず、垂直のまま現出する。
それも床に突き刺さって。金属板は意味を変え壁となって直立した。

演算ミスの原因は扉そのものだ。触れた途端に猛烈な痛みが指先を襲った。

その正体は熱だ。
扉の裏に貼り付けられたC4爆薬は雷管がなければ爆発しない。
雷管を付けぬまま着火された爆薬は単純に燃え上がり、その結果金属製の扉を高温に熱していたのだ。

指先を削るような火傷の痛みに白井は顔を顰めながらも室内を見回す。

室内は照明が点けられてはおらず、暗く見辛かった。



対しこちらは右手の外周沿いの廊下から街明かりが遮られる事なく差し込んでいる。



(拙い――――!)

身を翻そうとした時にはもう遅い。

銃声が響いた。





砂皿は室内の床に這い蹲ったまま拳銃を突き出すように構えていた。

この体制が最も慣れた射撃姿勢だ。体重を最大まで殺し、銃口のブレを抑える。
銃の種類は変われども銃弾を発射するその機構は変わらない。得意とする構えで白井を待ち構えていた。

撹乱に撹乱を重ね、白井の焦りを生む行動も全てはそのためだ。
先のガラス板掃射を参考に床に伏せた。
この体制では行動が鈍るが水平の割断はその特性から最も命中し辛い。

万が一白井自身が室内に『空間移動』で飛び込んできたとしても闇の中では黒のコートが迷彩となり発見が遅れる。

そう何重にも張り巡らされた策が一点に結実し、標的の姿を砂皿が先に捉える事に成功した。

トリガーを引き絞る。

ライフル弾と比べて余りに軽い炸薬の爆ぜる音と共に銃弾は発射され、それは過たず白井を貫いた。

ただ予想外だったのは、白井の反応が想定よりも余りに早かった事だ。

銃弾は咄嗟に身を捻った白井の肩に喰らい付く。
ぱっと暗闇に血飛沫が舞うがそれは致命傷には程遠い。



百戦錬磨は白井も同じだ。
相手も状況も違えど風紀委員として数多の能力者を相手取ってきた白井もまた、戦闘の勘というものを持っている。

判断が遅れたとはいえ致命傷を回避した白井の勘は賞賛にすら値する。
中学一年生の少女。もし彼女があと数年成長していたらと考えるとぞっとする。
無論、そんな事を交戦中に考えられるほど砂皿は感情的ではなかったが。

「――――――」

射撃と同時に砂皿は一動作で身を起こす。
まるでばね仕掛けの人形であるかのように上半身を跳ね上げ、その運動を腰と膝を介しベクトルを変換。
蹲踞にも似た体制で、しかし銃口は依然前方へ向けたまま。

視界には髪を左右で二つに括った少女、白井黒子。
手は握られ、その指の間には得物である鉄矢が挟まれている。

――『空間移動』を用いた射撃。

即座に判断した砂皿は折り曲げた膝を一気に伸ばし飛び上がるように立ち上がる。
靴底を床に噛ませ、摩擦で足を固定し右方へ飛ぶ。
上半身に続き下半身がその後を追い、一瞬遅れてその残像を棒杭が貫いた。



――動きを止めては貫かれる。

――軌道も一定ではいけない。

――常に変化し続ける移動が必要。

大能力者と非能力者。女子中学生と成人男性。風紀委員と暗殺者。

正反対の二人だが、お互いの行動は余りにも似ていた。

部屋は元は事務を司っていたのか、大量生産品のデスクが綺麗に整列している。
その上には元々あっただろう書類の山も業務用のパソコンもなくがらんどうだったが、障害物としては大差ない。
いや、白井が銃弾として使えない分は砂皿にとって幸運だっただろう。そういう場所だからこそ選んだのだが。

机上を前転をするように背中で受け砂皿は平面の障害物を乗り越える。
本来であれば左手で受け体を横に飛び越えたいところだが鉄矢が刺さったままだ。痛みに確実に体制を崩す。
勿論こうしても痛みは伴うが幾分かましだった。

両足で床を踏み上半身を捻る。
右手に握った拳銃を振り抜くように構え銃口を向けた。



しかしその先に白井の姿はない。
とん、と軽い音。ローファーが机を叩く音だ。

白井は自身の能力で空間を跳躍し、砂皿から数メートル離れた机の上に着地していた。

「っ――――」

振り向かず、砂皿は己の勘だけを頼りに砂皿は垂直に飛び上がる。
同時、床から十センチほどの高さに鉄矢が現れた。

本来射撃戦では急所の多い上半身、とりわけ面積の多い胸の辺りを狙うのが定石だ。
重く、宙に浮いた上半身は狙いを付けさせぬように動かすのも難しい。

それは射撃を受ける方も理解している。
その回答の一つとして、ボクサーのように上体を左右に振る事で頭と胸を動かす術がある。

だがそれは同時に、軸となる足の停滞を意味している。
人が行動する際、歩むにも駆けるにも飛ぶにも、基点となる足の移動順は最後だ。

中空の水平攻撃を繰り返し、最も適した回避行動が身を低くさせることだと条件付けした後での低空狙い。

ブラフとフェイントの上での攻撃を勘だけで看破した砂皿は乾いた音を立て落下した金属棒を踏み付けるように着地する。



(――――癪だが、感謝すべきなのだろう)

記憶の中にある金髪を思い出し、砂皿は柄にもないと感じつつも笑みを浮かべた。

近接銃撃戦など、長距離狙撃を武器とする砂皿とは対極の位置にある戦い方だ。
だが今それに対応できているのは、狙撃手とは名ばかりの、派手好きでどこか間の抜けた彼女のお陰なのだろう。

対極の位置にあるはずのクロスレンジを得意とするスナイパー。
彼女の存在に感謝する事など考えもしなかったが、実際にこうして役立ってしまっているのだから困る。

もし再び会う事があればキスのひとつでもしてやるべきだろうか。
もっとも、その機会があればの話だが。

思考を遮断する。
今はセンチメンタリズムなどを感じている暇はない。
戦闘に集中できなければそれは死を意味する。

ぐるりと体を回転させ室内の様子を再確認する。
砂皿からは室内の様子はある程度見えるできる。少なくとも机の位置や人影の動きを把握する程度には。
じっと身を潜めていた事で砂皿の目は闇に慣れていた。

とはいっても、闇を纏っての迷彩の効果は徐々に薄れつつある。
街の灯によるある程度の光量があったとはいえ白井も灯火のない場所にいたのだ。
目が更なる暗順応を完了させるのは早い。

だが、それも砂皿の想定の内だった。
痛みに動きの鈍い左手を使う。取り出したのは――先ほども用いた閃光音響弾。

噛み付き、安全ピンに食い千切るように引き抜き砂皿は非殺傷性の手榴弾を部屋の中心部へ向かって投擲した。



こつん、と小さな音を立て榴弾が机の上を跳ねる。

それを合図とするようにアルミニウムを主成分とする極小の粒子が本体から撒き散らされた。
直後に粉末は空気中の酸素と結合し猛烈な勢いで燃焼する。

眩い閃光と共に散布された金属粉は気化爆弾として空間を爆発させた。
轟音と衝撃が閉鎖された内を反響し、もはや一個の暴力となって室内を蹂躙する。

背を向け硬く目を瞑り、衝撃に備えた砂皿でさえも全身をハンマーで殴りつけられたような衝撃に思わず息を漏らす。
左手はろくに動かず、右手には銃を持っている。耳を塞ぐ事ができず聴覚が一時的に麻痺する。

しかし不意の防御できない空間攻撃に白井は直撃を受けただろう。

視角、白井の網膜は焼き付きを起こし意味を成さないはずだ。
対し右腕を両眼に押し付けるように光を防御した砂皿のダメージは、無いとまではいえないが限りなく低い。

「――――――っ!」

息を呑む気配が感じられたが、それだけで狙いを定めるのは確実性に欠ける。

衝撃から快復するまでは多く見積もっても十秒に満たない。
それまでに確実に仕留めるのが最良と判断する。

目を覆っていた腕を離し視界を確保。
案の定辛うじて明るい色をしたものが見える程度しか認識できないがそれで十分だ。机の位置は分かる。
足音を殺し滑るようにして移動する。聴覚が麻痺しているだろうとは分かっていても念を入れるに越した事はない。

予め目的の位置は把握している。躊躇う事なく最短時間で辿り付き、砂皿は手を伸ばす。

壁面、入り口近くに取り付けられた、照明のスイッチだ。



ぱちんと軽い音がして室内灯が点灯する。
一瞬蛍光灯が瞬きをし、白い人工的な無機質の光が発生する。
部屋は光に照らされた。闇に覆い隠されていたものがはっきりとその姿を表す。

振り向く。
首の動きが最も早い。それに続いて胴が追いかける。
回転の動きをそのまま直線に。
右腕を突き出す。

その先は、半ば蹲るように机の上で体を折る少女。
白井黒子。

年端も行かない中学生の少女だ。
幼さの残る顔立ちに、子供っぽい二つ括りの髪。
小洒落たデザインの制服。
苦しげに歪められた顔は苦痛に彩られている。
光を直視してしまったのか、その両目は硬く引き瞑られ呻くように歯を食い縛っていた。

だがそんな事は砂皿にとってどうでもいい。

大事な事はただ一つ。

それが殺す相手か否かだ。

照星と照門を正面に合わせ、迷わず引き金を引いた。
まるで銃は空中に固定されたかのように一切振れる事なく狙いを正確に、銃弾を吐き出す。
腔綫によって回転運動を付与された弾丸は安定した軌道を保ち空気を切り裂き一直線に発射される。

幾度目かの銃声が鳴り響き、それは矢張り代わり映えしない軽い音だった。



それはもう何度目か。

またしても銃弾は空を掻いた。
白井の姿は弾丸の貫く直前、騙し絵のようにふっと消えてしまった。

(『空間移動』――視界の確保できない状態でよくやる)

出現場所を間違えば『埋め込み』が起こり致命傷となるだろうに、白井の能力行使には躊躇が見られなかった。

ひゅん、と風を切るにも似た音を僅かに回復した砂皿の聴覚が捉える。

こちらに背を向けた格好で空を割り現れた白井は机の上にふわりと着地する。
それと連動し落下の速度を殺さず屈むように膝を折り曲げる。
苦痛があるのだろうか。白井は膝と手を机上に突いた。
頭を垂れ、まるで王前に跪くようだ。

それは砂皿の視界では直角に近い位置、左方の机上。
視界の端、死角に等しい角度に僅かに反応が遅れる。

だが一切の迷いなく砂皿は体の格好と角度に隠された頭部ではなく丸められた背を狙いに定めた。



――ふと、疑問。

慣れすぎ意識せずとも機械的に体が動く一方で、砂皿は違和感を覚える。

砂皿の計算では今の銃弾は確実に白井の頭を撃ち抜くはずだった。
                               チェックメイト
将棋やチェスのような先の読み合い。だが今の一手で『詰み』だったはずだ。

なぜ二射目が必要だ。
簡単だ。白井が避けたからに他ならない。

なぜ、避けられた。

……白井を始めとする空間移動能力は、高度な演算を必要とする事から圧倒的な希少性を誇る能力だ。
十一次元という高度な概念を行使するそれは常人ではまともに理解も叶わない。

だが違う。本当に重要な部分はそこではない。

たとえそれが十一次元だろうが百次元だろうが、三次元空間には同じ三次元としてしか干渉できない。

そして白井自身も三次元に捕らわれている者の一人だ。
『空間移動』の演算を行うに必要だからこそ十一次元を理解しているだけだ。
実際に観測した訳でもなければ、まして十一次元の存在でもない。

故に、空間移動能力者の最も重要な要素は。





小さく、耳がろくに機能していないからか、どこかおかしなイントネーションの呟きが聞こえた。

「――――電気、点けたんですのね」

視覚が光を感じ取れる程度には回復したのだろう。
だが、その言葉に砂皿は果てしない寒気を感じる。

実に簡単な事だ。
照明を点灯させるにはスイッチを入れる必要がある。

そして、そういうものは大抵の場合入り口のすぐそばにあるのだ。



……そう、例えば目を瞑ったまま階段を上り下りしてみればいい。

転落防止に手摺りを持っても構わない。
とにかく、視界を封じて階段を歩いてみれば分かる。


.、 、 、 、 、 、 、、 、 、  、 、 、 、 、 、 、 、 、、、 、
段数が分からなければ、確実に最後の段で躓くのだ。



だが白井は今、そうまさに今、まったく危なげなく机の上に着地してみせた。
視覚も聴覚もなく、けれど白井には机の位置も高さも、部屋の配置までもがはっきりと分かっていたのだ。

砂皿の投げた閃光音響弾の生み出した一瞬の視界で白井は確かにその位置を掴んでいた。





そう、空間移動能力者の最大の武器は。

その高度な演算能力でも、
あらゆる防御を無視する攻撃力でも、
瞬間で空間を移動する機動力でもなく、





(――――空間把握能力――――!!)





直後、砂皿が発砲するよりも刹那だけ早く。

白井の降り立った、その手指の触れた事務机が空間を切り裂き、
同時に砂皿の体を腰骨の部分で上下に両断した。



「――――――っ――――!!」



遅れて発砲が行われる。

衝撃と断ち切られる痛みを確かに得ながらも、砂皿の放った弾丸は狙い通りに直線を描いた。

だがそれは、重力に引かれ失われた机の分だけ落下した白井の頭のすぐ上を通過するだけだった。









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