上条「學園都市……か」 > 第八話 一方と他方


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上条「いぃででででで!」

「男の子だよね?少しは我慢しなくちゃあ」

上条「でもこれは尋常じゃ無い痛みですよ!?かえる先生!?」

 閑静で静穏、そんなイメヱジが漂う病院の一室で大声を上げて騒いでいるのは、
 先日の戦い──階級伍との死闘──を繰り広げた無術士、当麻である。
 そんな彼にぎゅうときつめに包帯を巻いているのは

「ああ、君もやっぱりそう呼ぶんだね……」

 肌が緑色で無いのが不思議な程の顔立ちをした、通称『かえる先生』。
 由来は言うまでもあるまい。

上条「え!? あ、えと……すいません」

 あはは、つい。と付け足しながら誤魔化す当麻。
 ちなみに、この病院を紹介してくれたのは青ピである。
 "冥土帰し"の異名を持つ、凄腕の医者……そう聞いて最初は緊張したものだ。
 そして、実際に会ってみて、その……なんだ、ユニヰクな顔?に面食らったのが数日前のことだ。

「やれやれ……まあ、慣れてるからいいんだけどね」

上条「何かすいません……」

 ぽりぽりと頭を掻きながら謝るしかない。
 


「しかし……君もなかなか頑丈な体してるねぇ、一週間もすれば包帯は取れるよ」

 幸い何所も折れていないようだし、と付け加えながら当麻の回復力に舌を巻く。

上条「いやあ、昔から色々とありまして……」

 これまた苦笑いを浮かべながら。
 幼い頃から不幸な出来事まみれで、怪我や喧嘩の絶えない当麻らしいといえば当麻らしい特長だ。
 
 にしても、カルテに目を走らせながら口を開く。
 
「もう一人の……ええと、君の"喧嘩相手"は……」

 ちらり、と当麻の方を見遣る。
 其処には嫌みも何も無い、ただ純粋な一医者としての興味だけが在った。

「階級伍の御坂美琴くん、ねぇ……彼女の方が結構重傷、かね」

 淡々とした言葉が当麻の胸に沁みてくる。
 医師の視線を受けながら、少年が真一文字に結んだ唇を開いた。
 
上条「御坂は……あ、いや、御坂さんは、大丈夫なんですか?」

 一度は殺されかけた人間だが、今では心の通った友……だと、当麻は思っている。
 彼は相変わらずお人好しだった。

 その心配顔に、先生がにこやかな笑みを向ける。

「心配はないよ。彼女も二週間程で全快だね」

 それを聞いて当麻も胸を撫で下ろした。

上条「そうですか……良かった」

 

その屈託の無い様子に、医師はますますその目を細める。

「成程……ねぇ?」

上条「え?」

「いや……どうやって医者の私ですら治せなかった、彼女の心の傷を治したのかと思ったんだがね」

 じ、と当麻の目を見つめる。

「君だから、治せたんだね?」

 その視線が、何だかくすぐったくて、当麻は全身のむず痒さに身をよじった。

上条「い、いや、ま、そんな、大層なことはしてませんでして、はぁ」

 ただ不幸な体質なので色々巻き込まれまして、と照れ笑いを浮かべる。

「いやいや、君は……」


◆◆◆◆


 神術士、御坂美琴が仁王立ち。
 その字面だけで學園都市の住人を震え上がらせるには十分だが、
 加えて腕組みをしながら険しい顔をして睨み上げているのだから始末に負えない。
 
 ましてや場所は、住宅街の公園。平和な住人達の憩いの場……であり、

 そう、先日死闘が繰り広げられた、あの、場所である。

 そして美琴がさっきから睨みつけているのは、件の自販機(正式名称:自動販売機)だ。
 数日前彼女が"へし折った"はずの自販機は、腹に一部の凹みを残しているものの
 綺麗に修復され、また現役稼働中である。
 

 

 

美琴「………」

 御坂美琴は珍しく、悩んでいた。
 どの様に飲み物を獲るか、では無い。
 
美琴「………」

 飲み物を獲るか、獲らないかを悩んでいた。
 先程から倫理的に問題のある選択肢がちらちらと見えているが、
 これでも彼女にとって大変な成長であるということを追記しておく。

 少女の脳裏にあの日の様々が蘇る。
 正直、ほろ苦い、思い出。
 その苦みに思わず奥歯を噛み締めた。
 まあ、彼女の歳で素直に良薬を飲み込めというのも無茶な話だろう。
 
 少女の目が自販機の古傷を見つけた。
 注視。
 視線に熱が在るのなら"そこ"から煙が出そうな程に。
 ちりちりと、じりじりと、少女の瞳孔が収縮し、注がれる、視。

 美琴の喉がごくりと鳴った。
 それと同時に、絆創膏だらけの手がそっとポケットに差し込まれる。
 覚悟が、決まったのか。
 

 

 

取り出したのは、買う為の硬貨では無い。

 遊戯場で使われる、似非硬貨だ。

 そう、『零路鬥(レヰルガン)』の───!


◆◆◆◆


 外に出ると、さっきまでの薬品臭い空気とは違ったそよ風が心地良い。
 ふと病院を見上げながら、少年は先程の医師の言葉を思い出していた。

『いやいや、君は……まあ、不幸かもしれないけど───』


◆◆◆◆


 ちゃりん、と微かな音が中で響いた。
 入って、落ちて、鳴って。

美琴「………ふん」

 美琴は鼻を鳴らして自販機を睥睨した。
 一度は零路鬥を撃ち込もうかとすら考えていたが、なぜだか例の少年の顔がちらついて、それが出来なかった。
 自分の中で色々と言い訳してみるが、彼の存在が自分の精神に多大な影響を及ぼしたことは事実らしい。
 それが認め難く、また悔しかった。
 散々葛藤した挙句、結局似非硬貨を自販機に入れて"故障させてやる!"という結論に至った訳で……。
 

 


美琴「ふ、ふんだ!あたしは別に……今までのことを悪いなんて思ってないし……」

 だからこうやって、また故障させて、と誰に言い訳しているのか、落ち着き無くぶつぶつと零している。

美琴「あいつに……あ、あんな奴のことなんか、どうだって……べ別に、良い子に思われたくなんかも無いし……っ」

 だからあたしはずっと、ずっとあいつに嫌われるような悪い子でいるんだ!


◆◆◆◆


『君は、人を幸せに出来る』


◆◆◆◆
 

 あ、もしもし……交換士の方ですか、はい、えっと……學園都市公共事業部につないでください……。
 ……あ、はい、もしもし、事業部の方ですか、……あー、ええっと、そのぉ……
 あの、あたし……公園の自販機に、えっと……間違えて、あの、遊戯場の硬貨を入れちゃって……。
 はい、あ、えっと!わ、わざとじゃないです!はい!うぅ……。なので、あの、あの、修理、とか、その、
 お願い、しま、す……は、はい。そうですか……。お、お願いします……。え?あ、あのっ!

 ………。

 …………ご、ごめ、ん、な…さい……。


───

 

 

───

 気泡が点滴の中を昇り、弾け、鳴る。
 物音、といえばそれくらいであった。
 そして時折、思い出したように病床の脇に置かれた装置が呻りを上げる。

 そこに、初矢が唾を飲み込む音が響く──微かに余韻が残る程度に。
 そして又、沈黙が降りる。

 静寂、という言葉で表す他に無い環境だが、ここに居るのは初矢ひとりだけでは無い。
 
 病床の敷布団に深く深く身を沈めながら、仰向けに横たわる人物。
 その目は静かに閉じられ、表情は愚か気配すら希薄だ。
 唯、美しい。
 それだけが在った。

 その
 目
 が

介旅「………」

 開いた。

新井「成程」

 開口一番、とはこういう時に使う言葉なのだろうか。

新井「幻想殺し……九分九厘間違いなさそうだ」
 

 淡々と紡がれる音を聴きながら、初矢は特段気にも留めぬ様子で傍らに控えていた。
 それもその筈だ。
 幻想殺し──全ての異能を打ち消す力──の存在を伝え聞いては居たが、
 だからどうした、というのが正直な感想である。
 もっと出鱈目な念術を持った輩なら、この學園都市にはごまんといる。
 それらに比べれば『打ち消す』なんて、何とも単純で分かり易い代物じゃないか、
 というのが初矢の専らの考えである。

介旅(まあ、あの御坂美琴に勝った、というのは認めてやらんことも無いがな)

 學園都市第参位の神術士を無術士の少年が降(くだ)した……。
 まだ一般の人間には知られていない話だが、如何せん当麻と美琴を監視していた身である。
 戦いの様子から決着から、その情報は全て省帆と共有し……そして今、上司である宮郎に報告したのだ。

 成程、痛快な話をもたらしてくれたその実力は認めよう。
 

 にしても、だ。

 そもそもこの少年が入學して以来……というか、その入學すらこの理事長の肝いりなのだが、
 それにしても上条当麻という人物に掛かりっきりである。
 これまで粛々と學園都市の運営をこなしてきた宮郎が……少なくとも初矢が知る限りにおいて、
 ここまで能動的な行動を見せたのは初めてだ。
 おかげで最近はめっきり仕事が増えて困っている。
 はあ、自分としては早い所、話を切り上げて省帆が居る部屋に戻りたいのだが……。 

新井「なあ、介旅君」

 と、突然水を向けられて思わずたじろぐ。

介旅「は、はい」

 新井の右腕として──主に"裏"の世界において──様々に働いてきた初矢だが、やはり根っ子は気弱な青年だ。
 其処は幼い頃から変わらない。

新井「ちょっと頼みたいことが在るんだ」

 一方の寝たきりの王は、何の躊躇いも無くその宣を下す。

介旅「なんでしょう」

新井「ちょっと」

 王の
 宣告。

新井「爆弾魔になってくれないか」

───
 

 

◆◆◆◆

 一方家の屋敷をぐるりと囲う煉瓦造りの塀。
 結構な高さがあるそれらだが、人目につかない屋敷の裏手の方、その塀の上で、
 何やら灰色の綿毛が揺れていた。
 が良く良く見ればそれには手がある足がある。
 それは綿毛では無く、白髪混じりの髪を乗せた少年……一方通行だ。

 塀を乗り越えながら、通行は思う。

一方(やっぱりやめようかな……?)

 ふと、塀の上に布団の様に被さりながら、動きを止める。
 が、すぐにふるふると頭を振ると自身に言い聞かせる様に力強く頷いた。

一方(いや、決めたんだ……外の世界を見ようって)

 そうだ。決めたじゃないか。
 もう一度自分を鼓舞してから、おっかなびっくり、そろそろと足を降ろしていく。
 
 ───自分は、両親の顔を知らない。
 物心ついた時には、既に叔父の世話になっていた。
 養子にも関わらず、叔父は実の親の様に愛し、慈しみ、育ててくれた……。

 両親が交通事故で亡くなった時、やはり親戚一同が大いに騒いだそうだ。
 自分はそういうことには疎い方だが、両親の死後、有象無象が啄(つい)ばもうとした
 一方家の財産を、叔父が独りで守りきったそうだ。

一方(そのおかげで、僕は今幸せに暮らしていられるんだ……)

 分かってる。分かっている。
 でも……。

 穿った言い方だが、自分は大事にされすぎているのではないか。
 最近、そういうことを想うようになった。
 そこで、友達で執事の垣根君に内緒でお願いしてみた。

 外の世界を見たい。

 結果、一も二も無く却下された。

 「お身体に障ります」、と。

 生まれつき体の弱かった僕は……そう、正に生まれてからずっと自室の病床の上で過ごしている。
 たまに検査をしに、屋敷の医務室へ赴くことはあるけれど……ほとんど一日中、布団の上に体を横たわらせている。
 

叔父さんは言った。
 まだお前の身体は外の世界は耐えられない、外は、野蛮過ぎる、と。
 頭を撫でながら、いつもの優しい笑みを浮かべてそう諭した。

 自分は外の世界のことを知らない。
 垣根君は割と知っているようだけど、「俗世のことですから」と教えてくれない。


 『外』


 見たい。でも、怖い。

 だけど、と最近ある考えが浮かんだのだ。

 僕には、ある力がある。
 医務室で判って、授けてもらった、僕の"術"。

 それは……

一方(物体の加速度を操ることが出来る……!)

 そう、この術を使えば、外で怖い人や怪物?に遭っても、何とかなるかもしれない。

 ……といっても、僕の術の階級は参。
 それに、何度も術の訓練を受けてみたけど、教官と言われる人たちは渋い顔をしていた。
 要は、まだまだ術士としては半人前な訳で……。

一方(でも)

 見たいんだ。『外』が。


 足の先を限界まで下げて、つま先で地面を探ってみる。
 が、つま先は空しく空を切るだけだ。
 

 通行は一瞬泣きそうな顔をしたが、何かを決意したかのように口元を引き締めると、
 
一方「えいっ」

 思い切って"飛んだ"。

 一瞬、通行の身体が下にがくん、と落ちるが、
 次の瞬間、重力を無視するかのように、ふわり、としゃぼん玉の様に浮かんだ。
 術の力で重力の加速度を減らし、逆に上向きの力に変えたのだ。

 このままゆっくりと地に着くか、と思ったが……

一方「あ、あれ……? あ、あぁあ……!」

 次第に軌道が安定しなくなり、浮かんでいたのも束の間。
 見えない糸が切られたかのように、急に重力に任せてその身を落とした。

 派手な音がして大いに尻もちを着く。
 幸い、塀の高さはそこまででは無かったようで、虚弱な通行でも命に別状は無さそうだ。
 とはいえ、箱入りに育てられた通行には新鮮な痛みだったようで、泣きそうな顔をしながら
 尻をさすっている。

一方「あいたたたぁ……うん?」

 ふと、自分の手を見る。
 尻もちを着いたときに付いたのだろう。その手が土で汚れていた。
 それを見ながら、宝物を発見した盗掘士の様な声で、ささやいた。

一方「これが……土………」

 土。


 地面。




 ─── 外。


◆◆◆◆
 

 

◆◆◆

  爆弾魔。 

介旅「爆発物による破壊行動を目的とした個人的・政治的動機による建物もしくは対人の……」

 ぺらり、と紙の擦れる音が書斎の虚空に消えていく。

 何やら分厚い書物──この時代にはまだまだ貴重な、辞書と呼ばれる知識の庫。
 薄暗い部屋でそれを食い入るように見ているのは、相変わらずの神経質そうな表情を浮かべた初矢である。

介旅「全く……理事長にも困ったものだ」

 ずれた眼鏡を指先で持ち上げながら、やれやれ、といった感じである。
 そんな溜め息まじりの独り言を聴く人間は、初矢以外この場にいない。
 彼としては省帆に愚痴の一つも聞いてもらいたい所であったが。
 残念ながら彼女は彼女で別の「仕事」をしているらしい。
 確か今日は「あれ」を「捕獲」する仕事に行ったはずだが……。

介旅「しょうがない、夜まで我慢するか」

 尤も、彼にとっては『彼女と話す』ことが最重要事項であり、それ以外は心底どうでも良いのだが。
 そう、それ以外はどうでも良い。

 爆弾魔になることに躊躇を見せるほど、人並みな罪悪感なぞ、持ち合わせてはいない。

介旅「………」

 それが介旅初矢という人間であった。

介旅「さて、そろそろ用意するか」

 今夜の献立でも決めるような調子で呟く。
 そして床に置かれた木箱に近寄ると、まじまじとそれを見下ろした。
 軽く足で蹴ってみる。
 がしゃ、と多量の金属が擦れる音がした。
 それに満足そうな笑みを浮かべる…………と、
 

「介旅様!」

 どたどたと騒がしい音を立てて、黒服の男達が書斎に雪崩れ込んできた。
 初矢はそれにあからさまに眉を顰めてみせる。
 書斎はいわば初矢と省帆だけに許された空間であり……いきなり汗臭い屈強な男共が飛び込んでくれば、彼にとって面白い訳が無い。

介旅「何だお前達、話なら外で……」

 不満顔で言い掛けるが、男の一人の叫び声に遮られた。

「ほ、報告します! その……逃げられました!」

 悲痛、ともいえる声。

介旅「逃げられた? 何だ? 何がだ?」

 いまいち現状を把握しきれないらしい初矢に、別の男が叫び返す。

「その、檻に入れようとしましたが……少し油断した隙に噛み付かれまして……!」

 そして最初の男が続ける。

「い、いかが致しましょう……!」

介旅「待て、待て、何だ、犬でも捕まえたのか?」

 宮郎から下された様々な指示を思い起こしながら、犬だか猫だかを捕まえる仕事があったかしらんと考えを巡らせていると、

「例の少女に逃げられまして……!」

 その言葉に、初矢は背筋を凍らせた。
 

 

介旅「それは……その女は……! "計画"の最重要事項だろう……!?」

 目を見開き、唇をわなつかせる。
 彼が決して普段は見せない、恐怖の表情。
 落ち着かない動きで男に近付くとと、ぐいとその首を締め上げた。

介旅「その仕事、省帆が関わっているだろう!? 省帆はどうしたんだ!? 省帆は!? 省帆は大丈夫なのか!?」

 男の一人を本棚に押し付けながら、唾を飛ばしてまくしたてる。
 男が泣きそうな声で何とか言葉を返す。

「省帆様は……! 省帆様は捕獲に成功されましたが……その、檻に入れる時はお手洗いに行かれておりましてぇ……!」

 後半は悲痛な叫びとなって、必死な命乞いにも聴こえた。

介旅「じゃあ省帆には責任は無いんだな!? 責任を取らされるのはお前達だけなんだな!?」

「は、はいぃ!」

 と、急に締め上げていた力が抜けた。

「!?」

 いきなり支えを失った男は、本棚に背を預けながら、どしんと盛大に尻持ちを付いた。
 それを痛がる余裕も無く、青い顔をして苦しそうに息を紡いでいる。

 他の男達も、激昂した初矢に気圧されて、微動だに出来ずにいた。
 と、初矢の首がゆっくりと動く。
 そして、本当に嬉しそうな声で言った。

初矢「なんだ、ならいい」

 そして、くるりと男達の方へ向けた。
 本当に、素敵な笑顔を。

「ひぃっ!?」

 その余りの変わり様に思わずびくりとする男達。
 

初矢「責任を取るのはお前達だけなんだな。 なら、いい。」

「は………………?」

 彼にとって、省帆以外はどうでも良いのだ。本当に。

初矢「ほら、早く関係各所に連絡して捜索網を敷くんだよ」

 元の冷たい表情に戻ると、極めて事務的に言い放った。

「は、はい!」

初矢「そして、早く捕まえるんだ」

 鍵、だと理事長は言っていた。

 彼が何をしようとしているのかはどうでもいい。
 だがまあ、俺と省帆の生活をもうちょっと伸ばす為には必要な事なのだろう。


初矢「禁書目録〈ヰンデックス〉を、な」


◆◆◆
 

 

◆◆◆

 學園都市に住む人間──その世代、階級は様々だ。

 そして特に階級……所謂身分というものは、學園都市に限らずこの國に於ける当たり前の慣習として
 その区分には絶対的な壁が在る。

 その中でも割と上位にある人間……というか、學園都市の支配者の箱入り息子が、ふらふらと、

一方「ここは……何処だろう……」

 ふらふらと、

一方(うぅ……屋敷を抜け出したは良いものの……迷子になっちゃったよ……)

 ふらふらと、

 治安のよろしくない路地裏を歩いているなんて、

 誰が思うだろうか。

「おい、あれ」

「見ねぇ顔だな」

「貴族のぼんぼんじゃねぇか?」

 誰が思うだろうか。

一方「っくしゅん!……寝巻きだとちょっと寒いよう……」
 

 良家から来ましたと言わんばかりの容姿と格好の通行は、知らず知らずに周囲の視線を集めていた。
 そんなことはつゆ知らず、學園都市の人間達も敬遠しがちな通りを不安そうな顔で歩き続ける、何とも困ったお坊ちゃんである。

 その視線を送っていた一人の柄の悪い男が、ついに口を開く。

「おい」

 その声に続いて腰を上げたのは、これまた分かりやすい風貌の男達。
 そうして計四人の少年共が通行の前に立ち塞がった。
 言うまでも無く、この路地裏の住人達である。

「坊ちゃんいい身なりしてんなぁ」

「ちょっと小遣い分けてくんねぇかなぁ? ひひっ」

「おい気を付けろ、術士かもしれねぇ」

「ふひっ……美少年……いひひっ」

 吐く台詞もまた分かりやすい。

一方「ひっ……」

 これまでの人生でおよそ御目に掛かったことの無い人種の登場に思わずのけぞる通行。
 少なくともこの対面において、好ましい第一印象では無さそうだ。

一方「………」

 言葉を失い立ち尽くす通行に、慣れた調子で頭目の男が声を掛ける。

「なあに、黙って金さえ出せば悪いようにはしねぇ」

一方「………」

 が、脅しを掛けられた当の少年はやはり動かない。
 ただ泣きそうな顔を俯けながら目をきょどきょどと走らせるばかりである。
 とうとう業を煮やしたのか、今度は男は指を食い込ませるように肩を掴んだ。

一方「ひぃ、痛っ……!?」

「おい、だんまり決め込んでんじゃねえぞ」

 突然の痛みに顔を歪め、悲痛な声をあげる通行。
 そんないかにも可哀相な小動物然とした態(さま)も一切気にした様子も無く、男は尚も指に力を込めていく。
 

「金出せ、って言ってんだよ……いい加減にしねぇと……」

 めりめり、と音を立てて肩が軋む。

一方「あ……ぅ……!」

 ついに耐え切れなかったのか、涙声混じりで必死に答える。

一方「お金は……持って、ま、せん……!」

 それもそのはず。
 屋敷から出る時は着の身着のままで脱出して来たのだ。
 更に、これまで外に出ることを許されなかった通行が、現金という物を持って往来を闊歩した経験等もあるはずもない。
 そもそも金を持っ来るという考えが浮かばなかったのも当然である。

「っちぃ! 舐めてんのかてめぇ……!」

 頭目の男の頭にびきびきと血管が浮き出る。
 馬鹿にされたとでも思ったのだろうか。
 彼の仲間の三人も、その様子に一歩退いてしまう。
 それ程に明らかな激昂ぶりであった。

「いいぜぇ……金が無ぇってんなら……」

 男の手が、突然離れた。
 しかしそれが逆に肩を突き飛ばす様な形になった為、思わず通行はよろけてしまう。
 解放はされたものの、それまでの緊張と痛みに通行は心身共々疲弊していた。
 その二つが相まって、か弱き少年は一歩、二歩、とよろけた後、ついに尻持ちをついてしまう。

一方「う……うぅ……」

 肩を庇いながら尻を着いた無様な姿勢で、涙を浮かべた目で例の男を見上げる。
 通行は早くも後悔していた。
 来るべきじゃなかった。出るべきじゃなかった。
 外は、こんなに怖かった。

 男はこきこきと首を鳴らすと、口端を釣り上げながら吐き捨てる様に言い放った。

「ちっと俺達の……念術の練習にでも付き合ってもらおうか」

 そう言いながら、男が差し出したのは自分の手。
 

 

 

一方「……?」

「もちろん練習台は」

 突然男が目を見開き、その腕に力を込める。
 血管が、筋肉が、びきびきと音を立てる。
 そしてついに、その声を放つ。

「お前だ! 獲(どる)!」

 その瞬間、男の爪が急激に伸び始める。
 伸びたと言っても通常のそれでは無い。
 まるで獣の様な、黒々とした、硬質で巨大な爪へと変わっていく。

一方「ひぃっ!?」

 その様子に尻持ちを着いたまま後ずさる通行。
 後悔先に立たず。腰が抜けて立つことも出来ない。
 がちがちと奥歯が鳴る。心臓がばくばくとうるさい。
 爪を振り上げるその男の姿は、涙で歪むばかりだ。

「なあに……すぐには殺しゃしねぇ……よ!」

 そう叫びながら、獣爪を容赦なく振り下ろす!

 鋭い爪が、通行の柔肌に突き刺さり、喰い千切られ、鮮血が吹き出す……!
 はずであった。

「あぁ?」

 派手な風切り音。

 しかし、爪は虚しく空を切るばかりで、血は愚か通行に触れた様子も無い。

 そこに、通行の姿はもう無かった。
 
「!?」

 混乱。
 それは爪男だけでは無い。仲間の三人も同様であった。

「消えた!?」
「あいつ、何処行った!?」
「お、俺達もずっと見てたぞ!」

 三者三様に焦りを口にする。
 何が起こったのか、誰も把握出来ないでいた。
 

「……!」

 頭目の男が何かに気付いた様に、路地の入口に目を向ける。
 この薄暗い裏通りの入り口──唯一、太陽の光が照らす、"表"の世界との境界線。

 そこに、逆光を浴びながら、三つの黒い影が立っていた。
 一人は、少し小柄な者を……通行を抱えている。
 しかし、当の救い出された少年はぐったりとして、どうやら気絶してしまったようであるが。

「何だぁ!てめぇらは!」

 そして突然の乱入者にも怯まず、怒りの声を飛ばす爪男。
 その怒声に辺りの空気が震える。
 不良団の頭目らしい凄みである。

 しかしそれに答えたのは、通行を抱えた男の……何とも間延びした土佐弁であった。

「ったぁく、こんないかにも小動物系のお坊ちゃんから金を巻き上げるなんてにゃー」

 続けて、一際大きな体付きをした男が妙な関西弁で応える。

「ほんま、念のため覗いてみて良かったなぁ 灰色頭の少年がふらふら此処に入ってったときはどうしよ思たけど」

 そして、毬栗(いがぐり)の様な影が特徴的な、
 つんつん頭の彼──腕組みをして、仁王立ちしている──も、口を開く。

「都会の流儀って奴は分からねぇが……これだけは分かるぜぇ……」

 父親譲りの正義感に溢れた少年が、他人の不幸は許せない不幸男が、

「てめぇら仕置きが必要だな! 覚悟しろよ!」

 吠えた。

◆◆◆
 

───

「仕置き、だぁ?」

 一方の咆哮とは真反対の、唸りの様な声を絞り出す。

「面白ぇ……!」

 頭目のその言葉を皮切りに、後ろで控えていた仲間共も前に出る。
 流石というべきか、今ここで何をすべきか、を即座に把握したようだ。
 戦闘態勢。
 びん、と空気に緊張が走る。

 ゆっくりと、元春が通行──まだ気絶しているようだ──を降ろしていく。
 そして、静かに壁にもたれさせながら、置いた。
 と同時であった。

土御門「対翔!」

 頭目の男のすぐ横を、突風が吹き抜けた。
 その瞬間、

「ぐぇいっ!?」

 叫び声を上げて、仲間の一人が後方へ吹き飛んで行く。
 ただ吹き飛んでいるのでは無い。
 元春が、奴の首を腕で刈る様にぶちかましていた。
 対翔によって超人的に加速し、そのまま二の腕を首に叩き付け、勢いのまま突進。

「っ!?」

 残された悪漢三人が慌てて振り向くが、もう遅い。
 一瞬にして元春と男一人が、路地の奥へと離脱。
 状況は四対三から、一対一と三対二へ。
 

土御門「残りは頼んだにゃーっ!!」

 元春の叫びが、尾を引きながら小さくなっていく。

 青ピがぽりぽりと頭を掻いた。
 残された悪漢三人も、はっとして青ピと当麻を振り返る。

青ピ「やれやれ」

 軽く首を傾げながら顎を擦る。

青ピ「ひぃふぅみぃ……こりゃ、どっちかが二人相手にせにゃならんなぁ」

 特段緊張感も無い関西弁で当麻へ話し掛ける。

上条「俺は構わないぞ」

青ピ「うーん、でもここは……」

 ぐい、と当麻の襟首を掴む。

上条「え?」
 

青ピ「行ってらっしゃぁーいっ!!」

 突然、当麻の体がふわりと浮きあがった、と思った瞬間、

青ピ「唖槌!!」

 当麻の体を、突風が包んだ。

上条「おおおおぉぉぉおおぉ!?」

 空中を凄い勢いで、前方──御三方の方へ突っ込んで行く。
 「青ピが全力で放り投げた」、のは言うまでも無い。

「な゙ぁっ!?」

 行き着いた先は頭目の男。
 その腹に当麻の体が叩き付けられる。

「ぐはぁ!?」

上条「いでぇ!?」

 「唖槌」の威力は敵だけでなく当麻にも衝撃を負わせる事になった。
 そして二人は勢いそのままに、揉みくちゃになりながら奥の方へと転がって行く。
 抱き合って肉団子の様になりながら。
 

そしてその肉団子が路地の奥へ消えて行くのをぽかぁんと見ていた、残された二人。

「………」

 にきび面の男と。

「………」

 そばかす面の男。

青ピ「………ほんじゃ、ま」

 同じく残された男、青ピ。
 こきり、と首を鳴らす。

青ピ「始めよか」


 

 

───

 

───

上条「……てて……」

 建物と建物の間を多くの鉄管が埋め尽くし、ろくな日の光も射さない薄暗い路地の一角。
 そのひらけた所で、当麻は目を覚ました。

上条「、っと、ここ、は……」

 背中がひりひりと痛む。
 その痛みが次第に意識をはっきりさせ、事情をふつふつと思い起こしていく。

上条「ええと……青ピに投げられて……」

「ぐ、ぅ………」

 びくり、と当麻の背筋に緊張が走る。
 少し離れた場所から呻き声と共に、もぞもぞと動く影があった。

「ってぇ……ちっ、くしょ……」

上条「………」

 当麻はすぐに体を起こし、戦闘の構えを取った。
 そうだ。
 ここにいるのは俺だけじゃない。
 一緒に吹っ飛んだのは……。

「! ……そうか、そこにいんのはぁ……」

 相手がこちらに声を掛けて来る。
 低く、地を這うような声だった。
 


 上条「………」

「あ゙ー……あ゙ぁ………」

 向こうの影も、ゆっくりと立ち上がった。
 暗さに目が慣れて来るに従って、徐々に相手の姿がだんだんと見えて来る。
 無精髭を生やした男の姿がぼんやりと視えた。

「さっさと……てめぇをぶっ倒して……仲間んとこ行かなくちゃなぁ……」

上条「……それは」

 こっちも同じだ。
 当麻も負けじと、どすの利いた声で言い返す。

「……っくく……」

 耳を撫でる様な、嗤い。

「てめぇは………」

「『喰い』甲斐があるな」

上条「あん?」

 すぅ、と息を吸う声が聴こえた。
 当麻も神経を研ぎ澄まし、身構える。
 来る。術が。

 埃が地に落ちる音も聞こえそうな、静寂。
 は、ほんの一時であった。

「 獲(どる) っ !!!」

 敵の咆哮が、地を、空気を、震わせた。
 その迫力に、当麻も全身を戦慄かせてしまう。
 

上条「っ!?」

 それだけでは終わらなかった。
 薄暗い影の中で、徐々に敵が姿が変わりつつあった。
 気のせいだろうか、次第に体が膨らんでいるように見える。
 いや、大きくなっているのだ。
 背も、腕も、足も。
 そして

上条「う……あ……」

 輪郭が、もはや人のそれでは無い。
 人の肌の様な柔らかさが感じられない。
 刺々しい起伏を現した表皮。
 そして、この臭い──!

 山育ちの当麻には、覚えがあった。
 この、鼻の奥に染み込むような、独特の、強烈な、臭いは──!

上条(獣の臭い……!)

「ご、ああ、あああぁ、がああぁぁあぁっ!」

 敵の呻くような、吠えるような声と共に、
 その影はあれよあれよと変化して行く。
 もはやその身長は八尺程になろうとしていた。
 当麻にそれを止める術は無い。
 

 と、出し抜けにその唸り声が止んだ。
 が、それは取りも直さず変化が終わったということだ。
 その場に留まっていた影が、のそりとした動きを見せた。

 敵の影が、足をゆっくりと前に踏み出す。
 それが地に着くと同時に、微かな震動が当麻の足の裏をくすぐった。

 当麻の額に、じっとりと汗が浮かび始めていた。

 敵が近付くにしたがって、徐々にその姿が露わになる。

「お゙ぉ゙ぉぁいい゙ぁ゙ぁぁ……お゙ぁあ゙ぁ……」

 全身を覆った灰色の剛毛。
 頬まで裂けた、およそ人間離れした大きな口。
 そしてその中に爛々と覗く牙。
 当麻が映り込んだ──大きく見開かれた、鈍く輝く大きな目。

 当麻は、背中の鳥肌の一つ一つから汗が噴き出すのを感じた。

上条「狼…………」

 巨大な狼が、目の前で仁王立ちしていた。

「……喰゙………ゔ………」

 もはや獣の唸り声の様になったその言葉に
 当麻はただ必死に、奥歯の震えを噛み殺すしか無かった。

 

───
 

 

───

 鼠達がちょろちょろと這い回る足音以外は遠く何所かで響く汽車の汽笛ぐらいしか
 音らしい音は鳴りを潜めた路地裏の奥の奥。
 埃の地に落ちる音すら聴こえそうな静寂の中に

土御門「うおおおおおおおおおおおおいぃぃっっ!!」

「ひいいいいいいぃぃいいいい!!」

 割って入ったのは二人の人間。
 しかも一人がもう一人の首に腕を叩き付けているという理解し難い肉団子となってだ。

 地を擦る威勢の良い音と共に、元春が抱えていた一人を投げ捨てる。

土御門「うおらっ!!」

 どさ、と音がして痩せぎすの男が地を転がる。

「ぐっ、な」

 妙な呻き声を上げたものの、そこは不良の気概なのか、すぐに体勢を起こして元春へ向けて身を構える。
 そこで初めて、元春はおや、と首を傾げた。

「ききき貴様ぁぁ、貴様はぁ、貴様の様な低能がぼぼぼぼ僕にぃぃ」

 青筋を立てて唾を飛ばして捲し立てる男。
 しかしその姿はどう見ても不良少年とは程遠い。
 黒縁の眼鏡に神経質そうな顔付き、頬はこけて、ぼさぼさの髪に学生帽を乗せている。
 その風貌は不良というよりは勉学一筋の書生の様である。
 かつあげ、という行為とその容姿にどうにも違和がある。
 

土御門「なぁ~んで、お前さんみたいなのが、あんな連中とつるんでるんだにゃー?」

 あまり興味無さそうな調子で、何とは無しに声を掛ける。

「……ふん」

 鼻でせせら笑う眼鏡男。
 分厚すぎる眼鏡の透鏡(れんず)に遮られて見えないものの、目も嗤っているに違いない。

土御門「如何にも好きなことは勉学です、本と言えば丸善です、って感じなのににゃー」

 脅されてやってんの?と軽口で問うてみる。

「……ふ、く……くくく……!」

 男が不敵に笑って見せる。
 耳障りな、粘着質な笑い声。

「脅す? あの低俗な奴らが、僕の様な高尚な人間を脅す、だと?」

 見下す、という態度を体現した様な喋り口だった。

「はっ! 低能の言うことは聞いて呆れる! 僕が奴らみたいな馬鹿げた屑共と付き合っているのはああぁあ」

土御門「………」

「僕の!力を!この僕の最高の頭脳が生み出す力を!世間に知らしめ」

土御門「対翔!」

 ごしゃり、と小気味良い音と共に元春の拳が、男の顔面に抉り込まれた。

「はぶああぁあああいぃいいっ!?」

 きりもみになって吹き飛ぶ男。
 叩き込まれたのは元春の高速移動の威力の乗った拳。
 やはり相当な勢いで地を転がって行く。

土御門「長い」
 

 そして、ようやく転がり止まったらしい男が、顔を押さえながら語調を荒げて叫ぶ。

「きききき貴様あああぁぁああ!この馬鹿がぁっ!べん、勉学出来ない癖にいいぃぃい!」

土御門「まー、いくら勉学出来よーが成績が良かろーが」

 ぎり、と拳を握り直す。

土御門「弱い者虐めをやる様な奴には、なりたかないにゃー」

 元春の黒眼鏡の奥に、見慣れない光が宿った。

 そして一方、顔の傷を庇いながら、男がよろよろと立ち上がる。
 怒りに震える指で、分厚い眼鏡を掛け直しながら、唸った。

「……殺す」
 

 土御門「ほぉ~、意外と物騒なこと言うのね君」

 今の一撃で元春は悟った。
 殴った感触、拳に残った重さ、そして何より、今地べたにへたりこんでいる姿、全てが物語っている。
 こいつ、弱いぞ。

「ころ、殺、す、殺す、殺す、こ、ばば馬鹿の癖に、殺す、馬鹿が馬鹿殺」

 よろよろと立ち上がりながらも口だけはぶつぶつと止まらない。
 元春ははあと溜め息を一つ付くと、面倒そうに頭を掻いた。

土御門「なあ、無理すんなよー、今謝れば許してやっても……」

「っさいんだよっっ!!」

 吐き捨てる様に男が吠える。
 それなりに不良としての意地でも背負っているのであろうか。

「ぼぼ僕の様な天才にききき貴様の様な下郎がなぐ、なぐっ殴……」

 ばき、と再び骨肉が潰れる音がする。

「あっ、ぶああぁあ゙っが!?」

土御門「念術使うまでもないにゃー……」
 

出した拳を戻しながら、やれやれといった調子で溜め息まじりに愚痴を零す元春。
 手応えも、張り合いも無い。
 が、相手は鼻と口から血を流しながらも不敵な笑みは消えない。

土御門「気味悪い野郎だにゃー……」

「低能には……学が無い奴には分からないだろう……!」

 血混じりの泡を吹き零しながら尚も反駁する。
 この状況で、不敵な笑みを浮かべながら。

「動いたよなあ……! 沢山動いたよなあ……!」

土御門「あ……?」

「動けば酸素を消費する……! 呼吸が増える……! 脈拍、循環、代謝ぁ!」

土御門「何だ……こいつ……」

 突如目を爛々と輝かせ捲し立てる男に、思わず後ずさる元春。

「ぼぼぼぼ僕はぁ!天才なんだよ馬鹿がああぁぁあ!!」

土御門「こいつ……!」

 反省の欠片もしてねぇ、と怒りを通して呆れ顔の元春。
 とりあえずもう一発喰らわせようと拳を振り上げる。
 その瞬間、元春の体が膝から崩れ落ちた。

土御門「!?───っ!?」
 

 慌てて立ち上がろうとするが、動かない。
 足が、脚が、全身が、絞め付けられているかの様に痺れて、言うことを聞いてくれない。
                  .. .. ..
「既にっ!僕の周りにはっ、撒いておいたっ!!」

 正に興奮の絶頂とでもいうべき、恍惚とした表情で高らかに叫ぶ。

「腐乱(ふらん)っ!!」

 男の体から、袋から空気が抜ける様な音が漏れ響く。

土御門「……っ!」

 元春の肌が感じ取る。
 神経が、感覚が、本能に訴える。
 生命を脅かすものの存在を。

土御門(毒、瓦斯(がす)……っ!?)

 かろうじて体を起こしていた腕ががくがくと震えだす。
 地に這わない様にするのが精一杯だった。
 既に、全身に、回っている……!

土御門(まさか、こんな、念術、が……)

 呼吸が苦しい。思考がまとまらない。
 もはや中枢、脳まで侵されているのか。
 こんな念術は初めてだった。

 と、それまで元春を見下ろしていた男が、
 思いっきり腹を蹴り上げた。

土御門「ごあはあ゙あっ!?」
 

 全くの不意打ちで、しかも体に力を込めることも敵わない。
 内臓ごと蹴り飛ばされたかの様な衝撃に、元春は情けない呻き声を上げた。

土御門「あ……ぐ、ぁ……」

 鈍痛が腹の中を暴れ回る。
 背を丸めようとするも、それすら体が言うことを聞いてくれない。
 とうとう地に這い蹲(つくば)る態となった。

「きひひぃ……だから……だからこれだから低俗なっ豚っ下賤っ下賤な豚ぁっ!」

 絶好の笑顔で捲し立てながら、尚も執拗に元春の腹を蹴り上げる男。

土御門「っぐ、あ、っぐ……!」

 男の革靴の先が脇腹に突き刺さる。何度も。何度も。
 
「っはあははぁ!無様っ!悲惨っ!醜態っ!」

 骨が軋み、肉が抉れる音が容赦なく響き続ける。

土御門「あ゙っが、ぐ、っあ!?」

 痛みは吐き気と不快感となって元春の体中を這い回った。
 もはや肋(あばら)も無事ではあるまい。
 それでも痛撃は止まない。
 地に伏すしか無い元春の横っ腹を執拗に蹴りが襲う。

「ぜえっ、ぜぇっ! はぁっ……ああぁあ゙あ゙あ!」

 息切れしても男は攻撃を止めない。
 余程頭に来ているのだろうか。
 

土御門「うぅぐ……っ……あ、が……」

 元春は早くも後悔していた。
 このまま殺されるかもしれない。
 こいつは言った。「殺す」と。
 そうで無くてもこの容赦無い攻撃は明らかに殺しにかかっている。
 
土御門「あ゙、がぁ、あ……」

 口の中に血の味が広がる。
 口内を切ったのでは無い。錆ついた味は体の中から込み上げて来る。

「うおらぁあ!」

 男の渾身の一蹴りが埋め込まれる。

土御門「っが、はっ!?」

 とうとう、元春の口から血の泡が吹き出した。
 骨の、内臓の傷が深刻であることは嫌という程、この痛みが教えてくれる。

 また、勢いを持った男の硬い靴先が肋の骨に突き刺さる。
 その余りの痛みに何度も気を失いそうになった。

 もうやめろ、やめてくれ。
 元春はもはや声にならない呻きを上げる。
 身体は毒瓦斯(がす)で言うことを聞かない。
 術称を叫ぶことも出来ない。
 もはや、敵の成すがままだった。

 地獄、と言うべき態だった。
 数時間にも思える、一方的な暴力を受け続けるだけの刻。

 元春はだんだんと頭が痺れていくのを感じた。
 痛みが次第に鈍くなって行く。
 そして、意識が遠のいて行く。

土御門「………」

 もはや、呻く声も出ない。
 地面に顔を押し付けながら、自分が何所か別の場所にいる様な浮遊感。
 人の終わりってのは、案外呆気ないもんだな……。
 そんなことを考えながら、徐々に瞼が下がって行くのを感じる。
 

「所詮っ!所詮お前ら俗人はっ凡人はっ僕の様な天才の踏み台なんだっ!」

 男は尚も蹴り続けながら恍惚と弁を振るう。

土御門「………」

「お前らの様な馬鹿共はっ!子孫も残さず滅びるべきなんだっ!劣等種がっ!滅びろっ!」

土御門「………」

「お前らの身内諸共っ!消えろっ!糞がっ!外道がっ!死ねっ!死ね死ね死ね死ねええっ!」

土御門「………」

 それまで微動だにしなかった元春の指が、ぴくりと動いた。

土御門「……みう……ち………?」

 蚊の鳴く様な、本当に情けない声だった。

「ああそうだっ!身内全員っ!子孫先祖全部っ全家系っ!滅びるべきなんだよおおぉおっ!」

 尚も、一蹴り。

土御門「っ…………」

 ごぽ、と元春の口から血が噴き出した。

「貴様の親兄弟姉妹祖父祖母親戚叔父伯母従兄玄孫ぜええぇえいんっ!」

 心底嬉しそうな表情で、高らかに宣言する。

「 屑 だ っ !! 」

 男の勝鬨(かちどき)。
 天には無数の水道管や梯子が敷き詰められ、碌に光の入らない薄暗き空間。
 叫びの余韻が狭い路地に木霊(こだま)する。

 元春の指が、ぎり、と握り込まれる。
 

土御門「………」

 声にならない。
 声に出せない。
 それでも、元春は残りの力を振り絞った。

「………な」

 よろよろと、瀕死の体に鞭を打って、無理矢理体を引き起こす。
 その姿は、至極頼りない。余りにも、か弱い。
 それでも、震える脚で、戦慄く体で、立ちあがった。

土御門「……っ………」

「な、なん……」

 男が思わずたじろぐ……が、

「……くはっ、だがそのまま寝てた方が良かったんじゃあないか?」

 男が笑い混じりに言い放つ。
 それも無理はなかった。
 元春の脚はがくがくと震え、口の端から血の泡が垂れている。
 誰が見ても、事態は変わらない。ただの悪足掻きだ。

土御門「………っ」

 それでも、必死で、必死で、絞り出す。
 が、声が、出ない。
 

土御門「……っ……っ……!」

 血が吹き零れる。
 体が軋む。
 全身が悲鳴を上げる。
 それでも、

土御門「ぁ゙……っ……対゙翔お゙っ!」

 捻り出した。

「馬鹿、なっ!?」

 念術の力を、無理やり脚に送り込む。
 そして敵目掛けて、残る全身全霊の力を込めて、大地を蹴った。

土御門「───!」

 が、その脚は前に出る事無く、膝から崩れ落ちた。

土御門「──っ──!?──」

 どうにか力を振り絞り、腕だけは突っ張る。
 四つん這い。それが精一杯だった。
 動かない。動けない。
 

「ふ、ぅ……は……」

 頬を引きつらせながら、男が見下ろす。
 
「なんだ、よ……びっくりさせやがって……」

 ひくつく口端に汗を浮かべつつ安堵の息を吐く。
 元春が立ち上がったことには驚きを隠せなかったが、それも一時のこと。
 また地面を舐める姿に逆戻りだ。

 ──いい気味、だ。

「くくくく……そうだぁ、無理は良くないぞぉ? お前ら愚民には地を這う姿がお似合い……」

「黙れ」

 はっきりと、地の底から沸き上がるような声が辺りの空気を震わせた。
 くぐもってはいるが、そこに嫌という程込められた感情──怒りだ、憤怒が、再び男の頬を引きつらせた。

 元春は千々に散らばった意識の滓を必死にかき集め、どうにか状況を打開しようと思考を巡らせた。
 酸素だ。
 結論はそこだ。
 圧倒的に今の自分に足りない物。
 それは酸素だ。
 
 元春は眼球だけぎょろぎょろと動かして、必死に新鮮な空気の場所を求めた。
 が、敵の体から漏れ出る瓦斯は容赦なく地面を這い、自分の体を覆っている。
 今も必死に呼吸を抑えてはいるが、このまま這い蹲っていても肺に残った僅かな空気を使い果たすだけだ。
 

どうする。

 元春の指が戦慄き、地面に爪を立てる。
 
 酸素、酸素が在る場所は……。

 そうして思考を巡らせている間にも、今にも意識の残り滓が消し飛びそうになるのを必死に堪える。

 と、そこで一つの事実が元春の脳天に瞬いた。

 敵の瓦斯が、地面に近い所から溜まっている、という点。
 現に今地に這い蹲っている自分の周りに滞留しているのだ。
 敵の出す瓦斯は、空気よりも重い代物らしい。

 ということは、

「……ぐ、ぁがっ……」

 口に溜まった血混じりの唾を盛大に吐き捨てる。
 覚悟は決まった。
 これで駄目なら、やられるしかない。
 だから、だからこそ、

 これに賭ける。

 すぅ、と微かに息を吸う音がした。

「 飛鳥(あすか)ぁ!! 」

 肺に残った全ての空気を、絞り出した。
 出し惜しみなぞしない。
 そして、全身全霊の念術を、足に、流し込み、

 跳躍。
 高く、高く、空に向かって。

「っな、ぁぁあ!?」

 男が元春を見上げ、驚愕する。
 

跳躍する動きに特化した術、「飛鳥」。
 隙が大きい為実戦で使うことは稀だが、今の元春にとってこれが切り札だった。

 空、といっても路地裏の狭い空──しかも壁と壁の鉄管やら石管やらが所狭しと詰まっている。
 とはいえ、それらが空を塞いでいるのは地面から三丈(≒9m)程の高さ──今の元春には、十分であった。

 飛鳥によって跳躍しながら、空中で器用に上下逆さまの姿勢を取る。
 そして、「とん」と音がして、元春が鉄管の一つに"着地"した。
 飛鳥の勢いによって働いた慣性で、まるで蝙蝠(こうもり)の様に、逆さまに鉄管に「しゃがむ」元春。 

「馬、鹿な……」

 男は驚愕の表情で元春を見上げ、呻くように声を漏らした。

 元春とて、本当に蝙蝠では無いからすぐにまた重力に身を任せ落下することになる。
 が、その僅かな時間でも、元春がたっぷりと新鮮な息を吸い込むには十分だった。

 すううぅぅ、と小気味よい音がして、元春の肺の隅々にまで酸素が行き渡る。
 充足した酸素は心臓に送り出され、体の端の端まで染み込む。
 痺れ切っていた頭も、霧が晴れて行くようにすっきりと啓いてゆく。

 こんな状況でも、美味い、と思わずにはいられなかった。

 回復。
 体も、頭も、先程の気だるさと重圧が嘘のようだ。
 生気に満ち、今にも跳ね回ろうとしている。
 

 元春は自身の体が徐々に落下を始めたのを感じながら、逆さまに映った景色の中の、憎き一人の男の姿を見ていた。
 そしてもう一度、息を吸い込む。
 盛大な音を立てて、空気が元春の中に取り込まれる。
 
 そして、今にも元春の足が鉄管から離れようとした、その瞬間、

「 千獄(せんごく)っ!! 」
 
 ──咆哮と共に、元春の姿が、消えた。

「!?」

 男が驚きの余りに目を大きく見開く。
 何所だ。
 何所に消えた。

 慌てて辺りを見渡すが───

 どん、と目の前の地面から音が起こった。

 地面──元春は鉄管を蹴り、その勢いで一瞬で地面まで移動したのだ。
 それに気付いた男が「ひっ」と声を上げながら、慌てて目の前に腕を交差して防御の姿勢を取る。
 地面に移動した元春が、そのまま自身に突っ込んでくる、と踏んだのだ。

 ──が、それは正しく無かった。

 だん、と男の後ろの壁から音がした。
 今度は壁。
 男を通り越して、元春は壁へと移動したのか。

「なっ……!?」

 男が慌てて振り向き、元春の姿を目に捉えようとする。
 が、

 だんっ、と、今度は反対側の壁の上の方に音が起こる。

 男は混乱した。
 元春の移動の軌跡が掴めない。
 その意図も掴めない。
 何より──その姿が見えない──!
 

 だん!だん!だん!だん!と徐々に音の拍が早まって行く。

 しかもその音は上下左右、一時も同じ場所からは起こらない。
 元春がこの狭い空間を縦横無尽に駆け回っているのだ。
 しかも、念術を駆使した高速移動で──!

 男は混乱の底に叩き込まれ、そして、恐怖した。
 姿を目で追うことも許されず、身を震わす激しい音に包まれる他無いのだ。

 だんだんだんだんだんだんだんだんだんっ!!

 そんな男の恐怖もお構いなしに、拍動が最高潮を迎えんとする。

 だだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ!!

 その時、男は背中に突然の衝撃を叩き込まれた。

「うぐぁ!?」

 何だ。
 何が起こった。
 決まっている。
 奴だ、奴が。

 慌てて振り向くが、既に元春の姿はそこには無い。
 相変わらず激しい音が上下左右から響き、姿の無い恐怖が男を覆っている。
 

「がぁっ!?」

 再び背中に衝撃。
 その激しさと痛みに内臓が口から飛び出しそうになる。
 もはや冷静さを失った男が腕を滅茶苦茶に振り回しながら振り向く。

 ばき、と音がして、今度は右頬に拳を埋め込まれた。
 首が捩じ切れそうになり、欠けた歯が口から零れた。

「!? !?」

 目を恐怖の一色に染めながら、男がたたらを踏む。

 ぼご、と鈍い音がして、今度は腹に打撃を喰らわされる。
 男は目を白黒させながら体をくの字に曲げ、血反吐を吹き零した。

 今度は足に痛みを感じる。
 右脚が関節に逆らって跳ね上がるのが見えた。
 一拍遅れて、関節に多大な痛みが走る。

「う、ぎゃあああああああああああ!?」

 そして再び、左頬を思い切り殴られ、血と歯が盛大に口から飛び出した。

 だだだだだだだだだだだ!!

 音は相変わらず縦横無尽に響き回っている。

 その中に居て、男は次々に繰り出される攻撃に成すすべなく喰らい続ける。

「うぎゃっ、はぁ、ぎ、ぃ、あ、がっ!?」

 頭、首、肩、腕、背、腹、腰、脚、全身に、息つく間もない打撃を叩き込まれ続ける。
 骨が軋み、肉が裂け、関節が折れ曲がり、裂傷と打撲に塗れ続ける。
 次第に男の体が赤く染まってゆく。
 その口から血が吹き零れ、裂かれた肉からも血が噴き出し、全身の肌は青黒い痣だらけになった。
 

 だだだだだだだだだだだだだ!!

 それでも、止まない。
 元春の容赦の無い攻撃は、止まない。

 男はもはや意識は無かった。
 白目を剥きながら、ただ襲い来る痛みに強制的に体を引き攣らせている。


 
───『貴様の親兄弟姉妹……全員っ……屑だっ!!』

   お前は……妹を馬鹿にした。

   お前は……舞夏を………侮辱した……っ!



   貴様には……




 男に立ち続ける力は無い。
 しかし、元春の攻撃を浴び続けるその姿が、一本の枯れ木の様にそこに在り続けている。
 元春の攻撃が、上から、下から、前から、後ろから、
 打ち、叩き、当て、折り、潰し、撃ち続けられる。
 その縦横無尽に叩き込まれる衝撃によって、倒れることが出来ないのだ。
 怒り狂う嵐の中、哀れにも立ち続ける一本の枯れ木。それが今の彼だった。




   倒れることすら、許さない。




 だだだ、だ………。

 音が、止んだ。
 

 男はふらふらと、全身を血に染めながら、揺れている。
 今にも倒れそうだ。


 その目の前に、元春が、いた。
 上半身を右に大きく捻り、右腕を後方に構えている。
 その姿は、さながら限界まで振り絞った弓の様。

 男の膝が折れ、その体が崩れ落ちようとした。
 その時。


「 咬喰(かまくら) 」

 加速、同時に、元春の右腕が、男の首に叩き付けられていた。
 『首を狩る』という表現がしっくりと来るような、余りに獰猛な技だった。

 男の体が軽々と吹き飛ぶ。首を大きくのけぞらせ、縦に回転しながら。
 まるで子供が放った玩具の様に、呆気ない程あっさりと宙を舞い……

 路地の隅に置かれていた屑入れの大きな箱の中に、

  がこんっ!

 頭から突っ込んで収まった。

 二本の足がにょっきりと空に向かって伸びている、何処かの彫刻のような不可思議な様で
 闘いの決着が、着いた。

 先程の喧騒が嘘の様に、路地が静まり返る。
 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

元春が盛大に息をつく。
 瓦斯は既に消えているらしい。
 すえた臭いの路地裏の空気でも、元春には美味しく感じられた。

 ふぅ、と一息吐き、よろりと体を立て直す。
 すぐにでも、当麻と青ピの元へ向かおうかと考えた、が、
 闘いでやられた肋や内臓の痛みのせいか、足取りが重い。
 先程まで全開であった脳内麻薬もいい加減出尽くした様だ。

「上やん……青ピ……無事でいてくれ……」

 足を引き摺る様に歩みを進めながら、元春は友人の安否を気遣った。
 そして何より、

「舞夏……今頃何してんのかにゃー」

 妹を気にした。

───

 
 元春が毒瓦斯男と闘っている頃。
 こちらも鉄管に覆われた空の下、張り詰めた気配が漂っている。
 違うのは、その組み合わせが一対二、不対等の勝負であるということ……!


「……で、」

 首を鳴らしながら正面を見やる青ピと、
 その正面に立つ二人の男。
 警戒しているのか、彼らはただ無言で青ピの出方を窺っている。

「どっちが先?」

 細い目を薄ら開けながら、挑発。
 余裕ぶった態度ではあるが、青ピは慎重に相手を観察した。
 一人は痩せぎすのそばかす男。
 もう一人はややぽっちゃりしたにきび面の男。
 二人とも動かない。
 静かに、しかし体から「やる気」を仄かに上らせて、青ピを睨みつけている。

 そして、ひゅっ、と音がした。
 青ピが息を吸い込んだ。

 と同時に、

「ぁ唖槌!!」

 思い切り地を蹴る。
 その六尺の巨体が、拳を振り上げながら、二人の男へ飛び掛かる!

「っ!?」

 不意を突かれた二人の男は、慌てて割れる様に身を逃がした。
 青ピの拳が空を切る。
 ぶん、と風を切る音がする。
 当たらずとも、その音に二人の男は背筋を寒くした。
 ただの拳では無い……!
 青ピが歯を食いしばる。

「ふんぐっ!」

 空振りしたものの、どうにか体を捻りながら、無理矢理その拳の方向を捩じ曲げる。
 どうにか軌道修正した拳が向かう先は、そばかす男の顔面。

「ひっ!?」

 そばかすの男が恐怖の声を上げる。
 と同時に腰を抜かし、それが幸いにも、体を下に落とし、拳を避ける結果となった。
 再び拳が空を切る。
 向かう先は、路地の混凝土(こんくりーと)の壁。
 その石壁へ、青ピの拳が思い切り叩き付けられる!
 通常ならば殴った拳が壊れてしまう。
 が、

 轟音。

 破砕。

 壁に巨大な蜘蛛の巣の様なひびが刻まれる、と同時に、身を震わす様な烈音が路地裏に響き渡る。
 その蜘蛛の巣の中心は、青ピの拳。
 彼の握りこぶしは壁に埋め込まれ、その周りが無残に砕け散った。
 凄絶、という言葉を体現した様な、非現実な景色。
 おおおぉぉ、と尾を引く音を塗り潰す様に、びし、びき、と尚も壁はひびを拡大し続ける。

 上から降って来る石壁の欠片を浴びながら、呆気に取られているのは
 ぺたんと座り込んだそばかす男だ。
 橋を見上げる様に、自分のすぐ上を通過する青ピの腕をぽかんと見つめている。
 耳はしばらく使い物にならないだろう。
 鼓膜がじんじんと痛んだ。
 が、次第に痺れていた思考が元に戻って来る。
 もし腰を抜かさず、この拳をまともに受けていたら、耳が痛いでは済まなかった。
 背中に感じた凄まじい衝撃が、物語っている。

 この男は、強い。

 ぼこ、と音がして、青ピが腕を引き抜いた。
 そばかす男はそれを見開いた目で見続ける。再び降って来る細かな欠片に反応もしない。

 青ピは自分の拳をしばし眺め、軽く手で砂を払う。
 造作も無い、とでも言いたげだ。
 口の端を吊り上げながら、再び同じ台詞を告げる。

「どっちが先?」

 独特の関西弁を繰る男が、再度、拳を構える。
 勝負は始まったばかりだ。
 

 が、ただ腰を抜かしていたそばかす男が、微かに首を揺らした。
 青ピを見上げる。
 その奥歯を噛み締めながら。

「っ!」 

 睨んだ。
 余裕の顔の青ピを、憎々しげに。

 そして、「やられっぱなしでいられるか」という光を目に込めて、
 唾を飛ばして叫ぶ。

「炎(えん)っ!」

 突如足元から上がった声に、青ピは焦り気味に目線を下へ走らせる。
 完全に気を食ったはずの相手が、反撃の狼煙を上げて来たのだ。
 彼が焦るのも当然だろう。

 そして、彼が見たもの。
 それは、

 そばかす男がこちらに掌を突き出している姿。
 加えて

「んな……」

 その手から、炎の塊が、赤い光を発して漂っている──!
 構えた男の前髪の隙間から、切れ長の目が睨み付け、青ピを捉えている。
 そして、その眼が更に鋭さを増した瞬間、

「炎っっ!!」

 再びの咆哮。
 と同時に、握り拳大の炎の塊が、青ピ目掛けてかっ飛んで来た。
 喰らえば、ほんの火傷ぐらいでは済まない!


(そうや……相手も術士……当たり前っ!)

 青ピの焦り。
 自身に向かって突っ込んでくる火炎の塊が、正に網膜に焼き付いて来る。
 ちりちりと、じりじりと。
 とっさに、拳を構える。
 腕を引く。
 染み付いた動きだ。
 己の武器、唯一の、武器。
 相手は術士。

 俺も、術士……!

「ああぁぁあ槌いぃぃい!!」

 念術を込めた、全力の拳を振るう。
 とっさに。
 その攻撃は当然相手には当たらない!
 空振り。

 しかし、

  ──ッ!

 振るった拳の風圧が、運良く炎の塊を捉え、その勢いを相殺する。
 火炎は『唖槌』が起こした風に引き裂かれ、飛散する。
 炎を散らせることには、成功……!
 しかし、

「ぐおっ、わっちっ!?」

 完全に炎は消しきれない。
 散った小さな火が青ピの肌に、服に、飛び掛かり、その熱さと痛みに青ピは呻いた。

「あっ、ちちちぃ……」

 よろよろと後ろに下がりながら、服をぱたぱたとはたく。
 参ったな、と思いながらも、内心青ピは安堵もしていた。
 今の一合を見ても、恐らく相手の階級は三未満。 
 炎の威力等から、青ピはそう判断した。
 なら、勝ち目が無い訳ではない。
 現に、拳の風圧で何とか炎を制することは可能なようだし、と。

 少し驚いたが、それだけ……!

 青ピはまだ、自身の勝利は確信していた。
 こちらは防御も攻撃も可能なのだ。
 なら負ける道理は無い……!

 そう、結論付けたその時、

 ──ひゅっ 

 聞き覚えのある、音。
 何度も聞いたことがある。
 この學園都市にいれば。
 自身が術士ならば。

 今のは、

(息を吸い込む音……!)

 術の発動の、前儀式。
 術称を叫ぶ為に、息を肺に溜める──その音が、

 目の前では無い。

(どこや!?)

 額に汗を浮かべた青ピが、慌てて振り向いた先。
 そこには

「………」

 今正に新鮮な空気を思い切り吸い込んだばかりの、もう一人の敵。
 にきび面の男が、しっかりと青ピを見据えている。
 微かに頬を膨らませながら。
 そして、その手には、瓢箪(ひょうたん)が握られている。
 その違和に、青ピは心臓を鷲掴みにされた様な感覚を味わった。

「やば……」

 そして、男の口がゆっくりと開かれる、ように見えた。

「油露(ゆうろ)ッ!!」

 にきび男が、叫ぶ。
 その大声の余韻をなぞるかのように、
 瓢箪から液体が跳び出し、青ピへと襲い掛かる!

「またかあぁあぁぁ!!」

 焦りに顔を歪めながらも、青ピは再度、拳を構える。
 再現。
 自分にはこれしか無いのだ。
 ならば、やるしかない。

 何だか知らんが、拳をぶち当てるのみ!

「ああぁあぁ槌いいぃぃいいッ!!」

 思い切り、思い切り拳を振るう!
 岩をも砕く、最強の拳を。
 ぶん、と大仰な風切り音が響く。
 と同時に、
 拳と液体が、かち合った。
 と同時に

 弾けた。

 液は飛散し、しかし鋭い矢の様に、青ピの全身へ飛び掛かる。
 そして、その体の端々を、食い千切る。
 青ピの体に、次々と傷が切り付けられる。

「っ痛ぅ……て……!?」

 ただの液では無い。
 散り散りになってて尚、鋭い針の様に、体に撃ち込まれて来る。
 これが奴の念術……!

 青ピが歯を食いしばる。
 ざざ、と音を立てて後ろに吹き飛びそうになった体を踏ん張った。
 その体中に、痛々しい傷を作りながら。 


 にきび男が、微かに口の端を上げながら、手をさっと振ると、
 地面に散らばった液体がしゅるしゅると男の元に集まり、
 また瓢箪の中へと戻って行った。

 ── 液体を操り、攻撃する念術 ──。

「ぐっ……」

 体の様々な箇所から微かに垂れる血を見る。
 一拍遅れて鋭い痛みが全身から溢れ出す。
 青ピは思わず顔をしかめた。

 とは言え、

「………」

 それでも、青ピはまだ確信していた。
 勝てる。 この程度なら。

 頬から流れた血を、ぺろりと舐め上げてみせた。

 奴の術は確かに厄介だが、一撃が致命的とは行かない。
 水を飛ばし、小さな切り傷を作るだけだ。

 

 ならば。

(負けへん……)

 勝てる。
 もう一人の男も、小さな炎の塊を飛ばすだけ。
 ならば、行ける。
 勝てる。
 そう確信した時。

 自身の体から立ち上る、ある臭いに鼻をひくつかせた。

(何や……この臭い……)

 嗅いだことが、ある。
 しかし、『今此処で』嗅ぐには、余りに場違いな……。

 青ピの顔色が、変わる。

 この臭いは……。

(油……!?)

 全身に冷や水を浴びせられた様な、感覚。
 青ピはその予感を、必死に奥歯で噛み殺した。
 

 青ピの表情を見たにきび男の頬が吊り上がる。
 やってやったぜ。
 そんなことでも言いたげな得意顔だ。

 それもそのはずだ。

 青ピの目に映っているのはにきび男の得意満面な面だけでは無い。
 その隣で、両手をこちらに突き出している男がいる。
 しかもその手の平には二つの赤い火の玉のおまけ付きで。

「っ……!」

 こちらは油塗(まみ)れ。
 加えてあちらは火を放とうとしている。
 二つを合わせると……? 
 考えたくもない!

(どうする……! どうする……!?)

 怖い。
 足の裏から頭のてっぺんまで冷たい液が駆け登る。
 
「炎っっ!!」

 敵が術称を叫ぶ。
 と同時に、二つの玉が砲弾よろしくこちらへかっ飛んでくる。
 余程の力を込めて撃ったのだろう。
 撃ったそばかす男が微かにのけぞるのが見えた。

 青ピが歯を食いしばる。
 噴き上がりそうな様々な感情を奥歯の溝に押し込んだ。
 人は追い詰められると思考が暴走する。
 青ピは「雨でも降ってくれんかなぁ」と呑気な事を考えている自分に気付いた。
 ちらと上を見るが、無骨に錆の浮いた鉄管や石管が無尽に埋め尽くす空だ。
 雨が降ろうが関係無さそうだ。

 と、思考を戻し目の前を見やると、

 敵と自分の中程に差し掛かった二つの火炎弾が
 あろうことか引き合う様に一つに混ざり、
 巨大な一個の火の玉となってこちらへ突っ込んでくる!

 

 青ピは思い切り鼻から息を吸い込んだ。
 口を開けば悲鳴が出て来そうだ。
 肺にたっぷりと空気が溜まる。
 もう吸えない。
 そう思った。と同時に。
 開いた。
 口を。
 叫んだ。
 とにかく全ての感情を、怖いとか逃げたいとかこの野郎とか畜生とか、
 そんななんやかんやを詰め込んだ、絶叫だ。

「ああああ唖ぁぁあ槌いいぃぃいい゙ぃ゙い゙!!」

 右腕にびきびきと血管が浮く。
 染み込んだ動きが腕を震わす、奮わす、振るわす……!

 眼前に迫った火の玉に、
 飲み込まれようとした小さな体が
 精一杯の細腕を振るわせる。

「い゙ぃ゙ぃ゙ぃいぃぃ!」

 最後に込めた感情は、

 勇気。

 

 自分の腕が起こした風切り音が耳をかすめる。
 しかし、それを飲み込む熱風がちりちりと肌を焦がす。
 全ては一瞬、そして眼前。

 青ピの拳が、全身全霊を込めた拳が、
 目の前の火球へと叩きつけられる。

青ピ「ッらああぁぁああッ!!」

 ぼ、という音と共に、腕が炎に突き刺さる。
 熱い。
 痛い。
 焼けつく。
 それでも、それでも歯を食いしばって、残る力を振り絞って、

青ピ「唖ぁ槌ッ!!」

 足を蹴り、体を前に突っ込みながら、その豪腕を振るう。
 頼む。
 頼みの綱の、たった一本の武器を。

 ── ッッ!

 鈍い破裂音。

 と共に、

 炎の塊が 爆ぜる。 弾ける。
 
 その拳が火球を砕く。
 腕がその薄皮を焦がしながら、炎のうねりを裂いていく。

 しかし、弾けた炎が散りながら、散りながらも青ピの体へ容赦なく喰らいつく。

青ピ「ぐっ、……!?」

 そして、青ピの体には、しっかりと油が染み込んでいる!

 必然、

青ピ「っが!?」

 燃え上がる。

 青ピの体が、炎上。
 紅蓮の炎に包まれる。

 その業火に

青ピ「ぐっお、ああぁああぁああぁあっッ!!」

 絶叫すらも、飲み込まれた。

 

青ピ「っ!! っ!?」

 声にならない叫びが聞こえる。

 そして人型の炎が踊る。

青ピ「うおおおああ゙あ゙あ゙あ゙ああ!!!」

 絶叫しながら必死で体中を手で叩き、炎を消そうと奮闘する。
 このままでは、全身に火傷を負って、死んでしまう。
 しかし、油に燃え移った炎は消えてくれない。

 その様子を見て、にきび男とそばかす男が互いの手を叩く。

「よし」「っしゃぁ!」

青ピ「っく、そお゙おぉお゙お゙ああああぁぁあ゙あ゙!!」

 そして、炎が顔面へ昇り、視界が利かない。
 見えない。
 見えるのは、赤々とした炎の明かりだけ。

 それでもがむしゃらに、ただがむしゃらに、青ピは燃え盛る体のままに、敵の声のする方へ走り出した。

 いちかばちか。

 特攻……!

 一矢報いるには、それしか無い……!

 が、

青ピ「ぐっ、うっ……!?」

 突然、額に衝撃を受ける。
 壁だ。
 建物の壁に、ぶつかったらしい。
 狭い路地のことだ。
 目を塞がれ、方向感覚が狂ったこの状況では、思い通りに動けない。

「ぎゃははははぁ!」「ほらほらぁ!鬼さんこちら!」

 狼狽する青ピを見て、ここぞと囃し立てる二人組。

青ピ「うおおおおおおおおああああああぁぁああぁっ!!」

 が、青ピはそれでも、拳を握った。
 息を、吸う。
 口の中へ、気管へ、肺へ、焼け付くような熱気が入り込んで来る。
 
 それでも、叫んだ。

青ピ「唖槌ぃぃい゙い゙ぃぃ゙!!」

 振りかぶった拳が、混凝土(コンクリート)の壁へ、突き刺さる。
 壁が砕け、蜘蛛の巣状のひびが広がった。

「あ……?」「何、してんだ……?」

青ピ「あああぁぁああああ゙あ゙あ゙!!」

 ぱらぱら、と壁が崩れる。
 しかし、ビルの壁を攻撃しても、敵に当たる訳もない。

 それでも、再び、拳を振りかぶる。

 そして、壁を殴りつける。

 何度も、何度も。

 

青ピ「唖づ……がはっ……」

 気道が灼熱の空気に晒され、もはや声を上げることさえ苦痛だった。

 それでも、

青ピ「うおああああぁあ゙あ゙あ゙唖槌ぃぃい゙い゙いぃぃい゙いい!!」

 打ち続けた。
 術唱で強化した拳を、ひたすら壁に打ち込み続けた。

青ピ(俺には、)

 俺にはこれしか出来ない。

 

 百姓の家に生まれて

 昔っから、体だけは大きくて、

 力が強くって

 でも、馬鹿だった。

 仕事の要領も、悪かった。

 体がでかいだけじゃ、褒められなかった。

 認めてもらえなかった。

 馬鹿にされた。

 自分はこのまま、農家の次男坊として、この地で一生暮らして行くのかと、

 ずっと、ずっと悶々として過ごしてきた。

 そんな時、あの女がやってきた。

  ─── 『學園都市って、知ってる?』

 変われると思った。

 そこに行けば変われると思った。

 でも、自分は変わらなかった。

 相変わらず馬鹿だった。

 でも

 その代わり、仲間が出来た。

 ……

 土御門。 上やん。

 ……

 

青ピ「おおおぉぉお゙お゙ぉお゙おぉお゙お゙!!」

 一発。 一撃。 念術で強化された青ピの拳が、もはや瓦礫に近くなったビルの壁へ打ち付けられ続ける。

 その度に、地震の様に、巨人の足音の様に、震動。 壁が、ビルが、路地全体が、揺れた。

「ぐっ……何て馬鹿力だ……」「しかしあいつ……何を……」


   かちん。 と、何か小さな金属が落ちる音がした。


青ピ「……!」

 その音に、一瞬反応した青ピだったが、ビルを打つ手は休めない。
 既に体力と、生命力の限界は超えている。
 灼熱の炎に包まれた体が、肉の焼ける異常な臭いと煙を上げている。
 立っていることが、奇跡なのだ。
 それでも青ピを付き動かしているのは、

青ピ「がああ゙あぁあ゙あ゙あっ!!」

   土御門……!

 震動が、大地を震わせる。
 びりびりと、路地の空気ごと、鳴動する。

   上やん……!

 そして、 また、小さな金属音。
 何かが、地面へ落下している。


青ピ「うおおぉぉおおお゙お゙あああぁああ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!!」

 渾身の、一発を、 壁に叩き付ける。

 と同時に、これまでで最大の衝撃が路地全体を襲った。
 地震の様な衝撃に、敵の二人もわずかによろける。
  
「ぐっ……なん、つー馬鹿力だよ……!」

 思わず呻くにきび面の男。

 と、その時、

    ……キシ…


 上の方から妙な音が響く。
 金属がこすれるような、軋むような。

「ん……?」

 そして、空を見上げた。
 空、と言っても鉄管やパイプといった人工物が埋め尽くす、路地の狭い空……。

「っなぁ!?」

 そのパイプが、数本いびつに歪んでいる。

 青ピが何度も何度も打ち付けた拳。
 それによる衝撃が、ビルを伝って、建物に掛かるパイプまでも歪ませたのだ。

「な……」

 口を開いて呆気に取られるにきび男の目の前で、小さな金属の塊が、一つ、地面に落ちた。
 硬質な音が、路地に響く。
 そして、それはころころと、にきび男の足元へと転がった。

 

「これは……」

 ボルトだ。
 パイプ同士を止める、ボルト。

 頑丈な鉄管とはいえ、それら同士をつなぐ部分は、どうしても弱くなってしまう。
 パイプの大きな歪みに、ボルトが耐え切れなかったのだ。

 そして……

  パキ  パキ、パキ、パキ


 軋みの音がだんだんと大きくなっていく。
 ボルトが次々とはずれ、落ちて来る。

 まるで雨の様に、ボルトが零れ落ちてくる……!

 そしてついに、盛大な音を立てて、パイプが破断した。

 元々中からの高圧に耐える為に丈夫に作られているパイプである。

 それが破断してしまえば、中身が外へ勢い良く飛び出してくる。

 そして、飛び出してきたのは。

「なっ……あああぁあああ!?」

 大量の水だった。

 學園都市は狭い土地に大量の建造物を有している。
 そして、こうした郊外の居住区画については、エマレイテヰッド工法(Emarated method)を採用している。
 地下から一つのビルに伸びた水道管を、地上で周囲の建物に橋渡しすることで、各建物へ水道を分配する仕組みであり、
 近世初期の日本に於いて、主に都市部で広く使われた工法である。
 
 そして、壊れたしたパイプは、その一つ。

 大量の水が撒き散らされ、豪雨となって辺りへ降り注ぐ。

 敵の二人へも容赦無く浴びせられる。

「ぐっ……!?」「なっ……」

 思わず目を閉じ、頭を腕で覆ってやり過ごす。

 と、

 ばしゃ、と、水の上を踏み出す足音がした。

「……?」

 ゆっくりと目を開けると……

 


青ピ「可能性は薄かったが…………まあ、なんや、助かったわ……」

 全身ずぶ濡れになった青ピ。
 炎は、消えている。
 浴びた大量の水によって、跡形も無く、消えている……!

「っ!?」
 

青ピ「………」

 ばしゃ、ばしゃと、一歩ずつ。
 ふら付きながらもこちらへゆっくりと歩みを進めている。

「ひっ……!?」

 青ピの目は爛々と光を放っている。
 獲物を見つけた肉食獣の眼。

青ピ「俺はな………帰りたいんや……待っとる人の元へな……」

 ぼそぼそと呟くようで、それでいて力強さの滲む言葉。

「え、炎っ!!」

 そばかす男が、炎の塊を手の平から発射してくる。

青ピ「唖ぁ槌っ!!」

 叫びながら、青ピは水の溜まった地面を思い切り殴った。

 と、勢い良く水が跳ね、大きな水の壁を作り出す。

「っ!?」

 炎の塊は、あっさりと水の壁に飲み込まれ、空中で煙となって消えた。

青ピ「……めんどくさいなぁ……ほんま……」

 ばしゃ、と、もう一歩。

 

「に、逃げろ……!」「お、おう……!」

 その気迫に圧倒され、慌てて逃げ出す二人。

 と、 上空から がこん、と今までに無い大きな音が響く。

青ピ「む」

 見上げると、とうとう支えを失ったパイプがゆらゆらと揺れて、今にも落ちそうになっていた。

青ピ「ふぅん……」

 青ピはそのビルの壁をもう一度殴りつける。

 どご、と壁が崩れると同時に


 鉄が捻じ切れる音がして、とうとうパイプが落下した。
 落下地点は、青ピの丁度目の前。
 
 そして、更にその先には、必死で走って逃げる、敵の二人組。

青ピ「せやから……逃がさんって……」

 青ピが大きく振りかぶる。

 そして、パイプが、ちょうど青ピの目の前へ、落ちて来た。

 と同時に、青ピが思いっ切り、パイプを殴りつける。

青ピ「言うてるやろおおおっ!!!」

 金属がひしゃげる、形容しがたい音。
 その轟音と共に、

 まるで大砲の弾の様に、パイプが"発射"され、狭い路地の中をかっ飛んで行く。

 その先は、

「え?」

 にきび男と、そばかす男。

 振り返った二人の眼前には、向かって来る鉄の塊。

「うわあああああああああああああああああっ!?」

 ごしゃ、と何かが潰れる音が二つ重なり、

 二人は、パイプに顔を埋め込ませたまま、その場に崩れ落ちた。

 

青ピ「………」

青ピ「……はぁー……しんど……」

青ピ「さて……土御門と上やんはどうなっとるかな……」

 そう行って、また歩き出そうとした青ピだったが、

青ピ「……あ、ぐ」

 その場に膝を付き、這いつくばってしまった。

 無理も無い。
 全身に火傷、加えて酸欠に近い状態で無理矢理闘ったのだ。
 回復には時間がかかるだろう。

青ピ「すまんな……げほっ……もうちょっと…もうちょっとしたら……会いに行くから……」

 息も絶え絶えだ。
 それでも、それでも言葉を紡いだ。
 己を奮い立たせる為に。
 絶対に、絶対に帰り着くと誓う為に。

青ピ「土御門……上やん……」


青ピ「小萌せんせー ……」

 
───

 

───
 
 青ピ、土御門が戦っている頃と同時刻、
 すえた臭いの立ち込める路地に、ぴちゃりと水滴の落ちる音が響く。

 その余韻に被せるように、「はああぁぁ」と獣の荒々しい吐息──唸り声にも似たそれが、
 野生の臭いを路地に広げる。

 獣──巨大な体躯、それだけでは無い。
 最も尋常ならざる特徴は、その半人半獣の、さながら人と獣の合いの子の様な、
 神の仕事を嘲笑うかの如き成り形。

 頸(くび)、それは明らかに狼のそれである。
 一方手足は太く、逞しく、筋骨隆々の、人間の肢体に近いものである。
 しかし、黒々とした剛毛をその表面に生やし、さらにその指先には黒曜石の様な大きな爪。

 一言で表せば、凶悪。

 人間の卑しさと、獣の凶暴さを禍々しく体現した、凶悪な姿。

狼「はあああぁぁぁ……」

 今一度、大仰な吐息が漏れる。
 鋭い牙の間から、真っ赤舌がだらりと見えた。
 眼は黄色い琥珀(こはく)の様に鈍く光り、
 その焦点に映っているのは

上条「………」

 至極まっとうな少年の姿──腰を抜かしかけている、当麻だ。

狼「てめぇ……さっき、何て言ったあ……?」

 狼男の、唸り声。

上条「え……」

狼「仕置き、っつったよなあ…… 仕置き 」

上条「………」

狼「仕置き、ってのはよう」

 当麻の目の前が真っ暗になり、

 後頭部に衝撃の始まりを感じた。

上条「 ッ !? 」

 壁に、

 壁に、思い切り「押し込められて」いた。

 狼男が、その尋常でない脚力──野獣のバネ──を使って、
 当麻の顔面の鷲掴みにしながら、思い切り壁へ埋め込んだのだ。

狼「─── こういうことかぁ?」

 当麻の頭を中心として、煉瓦の壁が蜘蛛の巣状にひび割れる。
 砕ける音。破壊される音。
 凄まじい轟音が、路地を震わせる。

 当麻の脳が、一拍遅れて、その全身に受けた衝撃を、叫んだ。

上条「ッが、あ゙あ゙ぁあぁッッ!!?」

 

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