とある夏雲の座標殺し(ブルーブラッド) > 18


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~第二十三学区・ターミナル駅~

肋骨が軋む、心臓が破れそうになる、土踏まずから踵まで痛い、喉から血の味が登って来る。
鼻からの息どころか、口からしてすら足りない。肩と背中で息をしているようだ。

姫神「――はあっ。はあっ――」

背中が、鳩尾が、後ろ髪のかかる項が汗でへばりついて気持ち悪い。
額から滲む汗が珠になって、目に入りそうになる。

姫神「――はっ。はっ――」

階段で、エスカレーターで、歩く歩道で、一晩で擦り切れてしまった革靴が何度も引っかかる。
恐怖に震える爪先が、疲労に震える膝頭が、錆び付いてしまった自転車のペダルのように重く、進んでくれない。

姫神「――――――」

振る腕が上がらない、眩暈がする。通り越して吐き気さえする。けれど私は――走っている。
枯れたはずの涙が溢れそうな中、私はターミナル駅を走って走って走って――鉄身航空技術研究所付属実験空港を目指す。

エージェントA「居たぞ!追え!追え!」

その背後から迫り来るは――厳重な第二十三学区の警備すら突破し、追跡して来るブラックスーツの男達。
姫神はその姿を視線に入れまいと懸命に折れそうな身体に鞭を打つ。そして――

オリアナ「――悪いけれど」

その姫神の横を併走しながら、豪奢な金糸の巻き髪と豊満な肢体を揺らして駆けるオリアナ=トムソンが

オリアナ「お姉さんもう一晩中頑張らされちゃったから――」

爪先から踏ん張り、足首を返し、横滑り気味にロビーの床面を踏み締め――ピッと手榴弾のピンでも開けるように

オリアナ「これでイッちゃいなさい!」

ワードレジスターの『速記原典』の一枚をその艶っぽい唇で食み…引き破って舌を出す!

エージェントA「グワアッ!!!」

エージェントB「コイツも能力者か!?」

次の瞬間、蒼氷色の熾炎がルート66番待合い席から搭乗口に燃え広がる!
通常の物理法則から外れた魔術による火の海は瞬く間に姫神の後方を焼き尽くして行く。

オリアナ「あら?お熱いのはお嫌いだったかしら?お姉さんはまだ燃え足りなくって火照っちゃってるんだけど」
オリアナ「――お姉さんはこっちの坊や達とR指定のパーティーが待ってるの。残念だけれど二十歳以下の未成年は参加出来ないわ。だから…先に行って待っててくれないかしら?」

姫神「でっ。でも。貴女――」

その言葉に姫神の足が止まる。黄泉川愛穂が、手塩恵未が、そうしたように――
オリアナはここで全ての敵を食い止めるつもりだ。そう悟って制止をかけようと振り返ろうとして

オリアナ「うふふ、お姉さん足腰強いのが自慢なの。このくらいじゃ腰砕けにも骨抜きにもされてあげないわ。それから――」

オリアナは振り返らない。四十人は居ようかと言うエージェント達を見据えたまま、背中越しに――投げかけた。

オリアナ「――あの時は、ごめんなさいね」

姫神「――――――」

大覇星祭の時、誤って姫神を血祭りに上げてしまった事を…オリアナは詫びた。
先程までの陽気で妖艶な声色と違ったそれに、姫神は止めようとした言葉を失った。

オリアナ「あの時の償いを、ここでお姉さんにさせてちょうだい」

姫神「……………!」

オリアナ「さ!行って!それともその安産型のお尻に、お姉さんのスパンクが欲しい?」

姫神「…わかった。先に行って。待ってるから…!」

もう姫神はそれ以上何も言わなかった。言えなかった。駆け抜ける。走り抜ける。
今自分が為すべき事は、オリアナの意思と意志と意地を無駄にしない事だと悟ったから。

オリアナ「…さ・て・と…」

そして姫神が去り行くのを足音で感じ取ると

エージェントA「猪口才な真似をしてくれたものだな…推し通るぞ!」

向き直る先。軽機関銃を携えたエージェント達

オリアナ「ダメよお?そんな危ないもの空港に持ち込んだら手荷物検査で引っ掛かちゃうわ」

オリアナも手中で『速記原典』の残り枚数を数え上げる。その整えられた指先で。

オリアナ「(これじゃああともう1Rも頑張れないわねえ?困ったわあ…お姉さん、そういうパーティーより一人とじっくり愛し合いたいタイプなのに)」

既に手持ちの魔術が底を尽きかけていた。

目の前の敵を倒すにも、自分が逃げ出すにも手札が足りないほどに。

オリアナ「(ごめんねリトヴィア。お仕事は成功で、お姉さんは失敗しちゃった。もうアイスクリーム一緒に食べられないわ)」

姫神を逃がすので精一杯だった。だがそれで良いとオリアナは思った。

オリアナ「くすっ…ベッドで夜明けのコーヒーを一緒に飲みたくなるようなタイプはいないけれど…いいわ」

Basis104(礎を担いし者)…その魔法名を名乗った日から、覚悟はしていた。

プロ(運び屋)としての感覚が告げている。自分は夜明けを迎えられないと。

オリアナ「お姉さんのスゴいトコロ…見・せ・て・あ・げ・る」


――ここで自分は、礎(いしずえ)になると――




~姫神秋沙1~

『秋(あい)の沙(すな)だなんて不毛な名前よりマシよ』

初めて出会った時は、少し素っ気なくて怖い人に思えた。


『――やっぱり変わってるわ、貴女』

つっけんどんで、雨宿りに来た事が申し訳なく思えた。

『――もし、行く所がないんだったら、私の余ってる部屋、使う?』

だから、そう言われた時はとても驚いた。

『貴女も、私も、変な娘ね』

優しい人だと思った。

『えっ、Mよ!かも知れないってだけよ!!何言わせるのよ貴女は!!!』

からかうと面白い人だとも思えた。

『赤と黒だなんて…スタンダールみたい』

見た目より聡明だとも

『だ、誰にだって苦手な分野や不得手な領域があるじゃないの!わ…私はそれがたまたま料理だったってだけで…』

その割に料理下手で

『…何馬鹿な事言ってるの。“先輩”が“後輩”からお金もらう訳に行かないでしょう?』

けれど、いなくなってしまったお母さんみたいで

『貴女が居てくれたから、私も自分の気持ちに仕切り直しが出来たのよ』

そんな貴女に出会えて、私も変わる事を決めた

『見ないで…見ないでよぉ!!わからないわよ…貴女みたいな綺麗な子に…私みたいな汚い人間の――』

だから――キスした

『素敵な口説き文句ね?そんな殺し文句で迫られたらどんなの男の子もイチコロだわ』

拒まれても、放っておけなくて

『そのクロス(十字架)いつもつけてるわよね…ちょっと貸してもらってもいい?』
そのせいで、お互いの距離を読み間違えた事もあった。

『うん。そうだよね姫神さん…私達、友達だよね』

お互いを、深く傷つけあった事もあった。

『私にはコレ(座標移動)しかないから…姫神さんみたいに何でもオールマイティーには出来ないわ。特に炊事なんて頼まれたってね』

当たり前の事しか出来ない私を、認めてくれて

『パイナップルはいるでしょう!取り消しなさい!』

くだらない事で喧嘩して

『夏がそろそろ近いから降りやすいのかも知れないわね。ふふっ…思い出さない?私と姫神さんが初めて話したのもこんな雨の日だったの、覚えてる?』

私にとって大切な事を覚えていてくれて

『――こんな事なら、私達もっと早く出逢えていれば良かったわね――』

私と似たような事を考えていてくれて

『聞いた事ないわよそんな当たり前!消して!消して姫神さん!チャンネル変えて!!私達未成年でしょ!?』

私でも見て知ってる事を、初めて見たようにリアクションする貴女が新鮮だった。

『おっ、お化け!お化けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!』

戦う時は勇ましくて

『一緒に暮らさない?私達。今みたいな仮住まいじゃなくて』

一緒にいる時は優しくて

『そうよ。私って実は性格悪いの。貴女には負けるけどね。人の身体をオモチャにするようなサディストが何言ってるの?』

私が言いたくても言えない事を

『私と一緒に来るなら、この手を掴んで。イエスなら優しく連れて行く。ノーなら乱暴にさらって行く。選んで。好きな方を』

一番言って欲しい時に言葉をくれる貴女。

『戦う事より、傷つく事より、死ぬ事より――私が恐ろしいのは…貴女よ姫神さん――貴女が消えてなくなるより怖いものなんてない!!!!!!』

怒ってくれた

結標「それが姫神秋沙(あなた)の全てなんかじゃない!それが私が貴女を見捨てる理由になんてならない!!!」

叱ってくれた

結標「貴女がさらわれたら、貴女が自分で自分の命を断ってしまったら――私は貴女と同じになるのよ!?私が貴女を守れなくても!見捨てても!私は一生悔やむ!一生自分を呪って生きる!!今の貴女のように!!!」

私を見てくれた

結標「貴女のいない世界(へや)で…ずっと一人で生きていく(くらしていく)のは…嫌なのよ…!」

一緒に泣いてくれた

『――言ってよ!!!助かりたいって!救われたいって!生きたいって!死にたくないって!一度で良いから!自分の言葉で叫んでよ!!!』

そんな貴女が――

結標「貴女が――好きだからよ」

私も、好きだった。



~第二十三学区・鉄身航空技術研究所付属実験空港、滑走路~

姫神「…もっ。もうっ…」

姫神秋沙はイギリス・ロンドンへと向かう超音速旅客機を目指して滑走路を駆ける。
既に空港内の搭乗口は戦場と化し、彼方から警備隊とグノーシズム(異端宗派)は交戦を開始していた。
あちこちから爆発音と銃声、火災と発煙が巻き起こり、有人バスが横転している。

姫神「もう。少し…」

冷や汗が止まらない。脂汗が引かない。恐怖から来る悪寒が、絶望から来る戦慄きが、疲労からくる吐き気が姫神を苛んでいた。
初夏の季節を前にして、震えるほど空気が冷たく感じる。
不意に脳裏を掠める言葉。一日の内、最も暗い時間帯は夜明け前だとも。

姫神「うっ。ううっ…」

一晩中駆け抜けた足を折らずに引き摺るように歩む。
膝を屈してしまえば、もう立ち上がれる気がしなかった。
至る所が吹き付けてくる風が黒髪を煽る。遮る物のない、滑走路の風が

姫神「…っ」

思い知らされる。今自分が一人きりなのだと。手のひらに食い込む僅かな砂利の痛みと共に。
もう黄泉川愛穂は、手塩恵未は、オリアナ=トムソンは、上条当麻は、『彼女』は、姫神の手を引いてくれる者は誰一人居なくなってしまったのだ。

姫神「(…怖い?)」

慣れ親しんだはずの『孤独』が、姫神の心を死に絶えさせていた『絶望』が、まるで見知らぬ来訪者のように感じられた。
同時に思い知らされる。自分がどれだけこの学園都市(まち)に守られてきたのか、上条当麻を心強く思っていたのか、『彼女』の側でその心を支えられて来たのかを。

姫神「行か…なきゃ」

戦う力も持たず、逃げる足は潰れ、生きる術を手探りで求める。
煤だらけの制服、擦りむいた膝、ボロボロのスカート、クシャクシャの髪。
痛くて、辛くて、苦しくて、しかし…それでも姫神は

姫神「まだ。…生きて。私は。生きているから」

足のもげた虫のように、翼の折れた鳥のように、地を這うように歩を進める。
もう数百メートル、闇夜の彼方に辛うじて見える超音速旅客機に向かって――


――スティンガーミサイル、発射!!!――


姫神「――――――」


次の瞬間、姫神の最後の希望は目の前で手折られた。




~姫神秋沙2~

冥く、深く、冷たく、陽の光が二度と射し込まない闇の奥。

太陽の光も、月の灯りも、星の輝きすら届かない闇の底。

一緒に堕ちようと、一度ならずも、一瞬なりとも、望まなかったと言えば嘘になる。

破滅の園に逃げ込んで、甘美な死に酔いしれて、奈落の絶望の果てで睦み合いたかった。

身体を合わせる温もりの中で、肌を重ねる暖かみの中で、夢に堕ちて行くように散ってしまいたいとさえ思った。

世界は自分達に優しくなくて、神様は残酷で、自分は微力で非力で無力だった。

しかし――もう幻想(ゆめ)の時間は終わってしまったのだと。

残されたのは苛酷で、残酷で、冷酷な現実(ぜつぼう)だけ。

秋沙『貴女は馬鹿。本当に救われるだなんて。本当に思っていたの』

嘲るように、苛むように、貶めるような冷笑を湛えた幼い少女が幻視出来た。

それは惨劇の中、白雪と死灰の中に置き去りにされた――幼き日の自分。

秋沙『貴女は。自分すら騙せない嘘で。彼女を欺いて。ありもしない救いに。ただ縋っていただけ』

死に絶えた感情と共に埋葬された幼年期の終わり。

自分の影だなんて、心の闇だなんて、そんな逃げ口上で片付けられない“本当の姫神秋沙”

秋沙『貴女は知っていたはず。わかっていたはず。遅かれ早かれ。こうなる事が』

目を逸らしたいのに、眼を背けたいのに、瞳を閉じてしまいたいのに、それすら出来ない。

秋沙『たかだか。一週間足らずの相手に。貴女は何を期待していたの。みんなだって。彼女だって。貴女とさえ出逢わなければ。こんな目に合わずに済んだのに』

心の隙間に、疵に、罅に、綻びに、緩みに、毒を孕んだ言葉の刃が灼けるように食い込んで来る。

秋沙『貴女さえ生まれて来なければ。お父さんも。お母さんも。村のみんなも。吸血鬼も。誰も死なずに済んだのに』

芽生えかけた感情が、芽吹きかけた情動が、根刮ぎ蹂躙されて行くような、凍える声音に耳を塞ぐ事すら許されない。

秋沙『貴女さえ居なければ。三沢塾の人間も。イギリス清教の人間も。アウレオルス=イザードも。みんな死なずに済んだのに』

心臓に氷の刃を、背筋にドライアイスの剣を突き刺してくるような言葉。
一言一言が消耗した精神を、磨耗した感情を削り、抉り、穿って行く。

秋沙『貴女が彼女と出逢わなければ。彼女だって自分の手を汚さずに済んだのに。守られる事に甘えて。助けられる事に甘んじて。救われる事に甘ったれて』

これが、本当の私。醜くく、卑しく、浅ましく――
他人に見せられず、自分ですら見たくない本当の自分。

秋沙『教えてあげる。どうして貴女が。彼女に執着するのか。依存するのか』

巫女服姿の『秋沙』が、制服姿の『姫神』へと指を突きつける。
救いようもない咎人、贖いようのない罪人への死刑宣告のように。

秋沙『――自分と重ねているから。血に汚れているのは自分だけじゃないって。側で確認して安心したいだけ。“自分だけが汚いんじゃない”って。身勝手な親近感――』

無慈悲な真実を、無情な事実を、無惨な現実を突きつける。

秋沙『上条君が眩しいから。あの人の。彼の周りの子達が綺麗だから。汚い自分に負い目を感じているから。汚れた彼女なら引け目を感じないから』

否定も、反駁も、拒絶も、峻拒も、一切を許されない。

秋沙『貴女は出逢った時も。彼女の血の匂いに惹かれたはず。自分と同じ臭いがする彼女に』

それは言わば、同じ罪業で同じ檻の中に入れられた、囚人同士の親近感。
利己的で、一方的で、禁治産的で、自己陶酔的な連帯感。

秋沙『彼女と唇を重ねたのだって。彼女と肌を合わせたのだって。同性が相手なら。自分の忌まわしい血を。呪われた子を。宿す必要がないから』

それは意識化された思考でもなければ、無意識下での計算でもなかったのかも知れない。
だが『秋沙』は笑う。貴女も『女』ね、と。

秋沙『彼女を責めて。苛んで。弄んで。身体も。心も。欲しくなったんでしょう。恋ですらなくて。愛でさえなくて。ただ貴女の。捻れた思いと。歪んだ想いのために』

『秋沙』が『姫神』の背中を抱く。左手を胸元に、右手を太ももに、耳朶に唇を、『彼女』を責め立てる時のように。

秋沙『今だって。貴女は彼女を守るために。離れたんじゃない』

死人のように冷たい吐息が、亡霊のように幽かな声色が

秋沙『――彼女を。道連れにしたい自分に気がついたから』

姫神を誘う、死者の手招きのように鮮血で真っ赤な手で

秋沙『――彼女が欲しくて。地獄に一緒に堕ちたいと願った自分が。怖くなって逃げただけ。それで。彼女を守ったつもりでいる貴女が。とっても滑稽。』

自己満足、自己陶酔、自己欺瞞、自己憐憫と断ずる。

秋沙『貴女なんて。生まれて来なければ良かった』

生きる力の全てを奪うように

秋沙『貴女なんか。ここに居なければ良かった』

姫神の心の全てをヘシ折るように。



秋沙『貴 女 さ え 死 ね ば み ん な 助 か る の に』




~第二十三学区・管制塔~

魔術師C『やっど見づげぃだぞぉぉディィィィープブラッドぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!』

頼みの綱であり、最後の希望であった超音速旅客機に目の前でスティンガーミサイルで爆破したグノーシズム(異端宗派)は狂喜していた。

魔術師C『手こずらせやがって!悪足掻きしやがって!!鬼ごっこは終わりだクソがアアアアアアァァァァァァー!!!』

中でも純白のローブを見に纏った魔術師の顔は狂気に染まっていた。
限界を超えた致死量の薬物投与で既に脳は溶解状態。
加えて白銀錬成(テルス=マグナ)の酷使により限界状態だった。

魔術師C『どいつも!こいつも!!オレの邪魔ばっかりしやがって!くたばれ虫螻!死で償え塵屑!これ以上オレをイラつかせるんじゃねえよオオオオオオォォォォォォ!!!!!!』

『超能力者』垣根帝督に一万弱の兵力を全滅させられ

『原石』削板軍覇に一千強の騎士団を壊滅させられ

『魔術師』ステイル=マグヌスに切り札たる白銀の巨神兵を足止めさせられ

もはや遠隔操作もままならぬまま、魔術も半分以下の出力しか出せないが故に引っ込む事を止めて飛行場まで出張って来たのだ。

姫神「…ッ!来ないで」

そして姫神秋沙は――目の前で攻撃された超音速旅客機の乗り場から身を翻し、管制塔の頂上にまで逃げ込んでいた。
疲れ切った身体を、手摺りを掴んで支えながら夜明け間近の風に耐えながら。

姫神「来たら。飛び下りる…!もう。私の。吸血殺し(ディープブラッド)で。誰も死なせない。殺したくない…!そんな事をさせるくらいなら。自分で自分を…!」

管制塔の下に集結した魔術師、兵士による包囲網に向かって、五月蝿いほどの強風の中姫神は声の限り叫ぶ。

しかし、黒衣の集団の中にあって一際光輝く白衣の魔術師が叫び返す。



魔術師C『馬ぁぁぁぁぁぁ鹿!誰が死なせるかよ!手足がなくなろうが、顔が潰れようが、脳みそと心臓だけはくたばってもブッ生き返してやるよ!テメエの考えなんざ知るかぁぁぁぁぁぁ!』

姫神「っ…!」

魔術師は叫ぶ。そこから飛び降りて死を選ぼうとも無理矢理蘇生させる。延命させると。
吸血鬼を呼び出し、誘き出し、その力を異端宗派の物とするまで自殺も自決も自死も自由にさせないと。

魔術師C『この街じゃ内臓グチャミソのシェイカーでミキサーでミンチメーサーでも生きたヤツがいるんだろォ!?馬鹿デカい冷蔵庫でもとっつけて、生理食塩水と電解質流し込んで生かしてやる!テメエの意志なんか知るか!テメエの意思なんざいらねえんだよォォォ!』

姫神の体温が一気に氷点下まで下がる。姫神の精神が一気に絶対零度まで下がる。
生きる術はおろか、死を選ぶ自由から、人間としての全てを奪われる事に。
自分は吸血殺しという能力を吐き出すための撒き餌に、装置に使われるのだと。
人格の全てを破壊された後まで道具として使われるのだと。

魔術師C『決めた。脳みそと心臓以外に子宮も残しといてやる。ディープブラッドが量産されるまでな!腐り落ちるまで×××に突っ込んで掻き回してやるよ!能力を受け継ぐガキが生まれて来るまで、失敗作は目の前で刻んで潰してテメエに食わしてやるから腹いっぱい食えやァァァァァァ!』

姫神「あっ…。ああ…」

人間とはここまで暗黒面に堕ちるものなのかと姫神は絶望する。
生きても死んでも、勝っても負けても、どちらに転んでも姫神の地獄は終わらない。
血液が氷水に、脳髄が氷塊と化した、氷象のようになった姫神の精神を破壊する、この夜より深い『絶望』

魔術師C『テメエが死んだ所で誰も救えやしねえんだよオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!』

姫神「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

それが最後の砦で、最後の一線で、最後の光で、最後の希望で、最後の無花果の葉だった。
姫神の精神が決壊する。崩壊する。圧壊する。
眼下にいる全ての人間の全てが、彼等を操る全ての人間が、姫神を殺しに来る。
姫神はもう――心が白紙に、魂が暗黒に、全てが無色になってしまった。

姫神「――――――」

この世界に救いなんてない。

この世界で生きて行こうだなんてもう思えない。

死を選んでも地獄にすら落ちる事すら許されない。

延々と続く生き地獄

永久に続く無間地獄

絶望すら生温い本物の地獄。

姫神「――ああ――」

この夜は明けない。

この闇は終わらない。

もう二度と陽の光を浴びる事も

もう二度とあの澄み渡る空を仰ぐ事は出来ない。

もう二度と――――――

姫神「あわき」

彼女に会えなくなるとわかっていたのに、彼女に逢わないと決めていたのに。

姫神「あわき…」

朝焼けの光を浴びて燦々と輝く雨上がりの街が目蓋に蘇る。

姫神「あわき……」

徐々に鳴き始める蝉の声まで耳朶に蘇る。

姫神「あわき………」

夏の始まりに差し掛かった汗ばむ陽気の感触すら肌に感じられた。

姫神「あわき…!」

行き交う人々の中で、飲み込んだ唾の味さえ忘れられない。

姫神「あわきっ…あわきっ…あわきっ…」

回る風車が起こす風が運んだ、彼女のクロエの香りまでさえも。

そして最後に見たのは、青空を行く―――

姫神「淡希…」

それが―――人間としての姫神秋沙の全てだった。

姫神「…淡希いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

魔術師C『捕まえろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

魔術師の軍勢が

傭兵達の集団が

包囲網を敷いていた管制塔に殺到した来た。

逃げ場はない。

身を投げようが

舌を咬もうが

『死』にすら逃げられない――――――






――――――私達って。救われない――――――








―――その時―――










―――風が吹いた―――




ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ…!!!!!!



姫神「…えっ」



彼方から吹き付けて来る風が強くなる。何処から轟いてくるエンジン音。



魔術師C『…なんだと』



夜明け前にかかる空の、暗雲すら吹き飛ばすように巻き起こる――疾風。

一陣の風などと生易しいものではない、まさに『暴風』を引きつれて来たような――


近衛兵「―――あれは」



管制塔目掛けて、雲を吹き飛ばし、風を切り裂き、空を突っ切ってくるは――



魔術師C『飛行船だとオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!?』



それは、姫神が『彼女』と最後に見上げた…学園都市では珍しくもなんともない…無人飛行船だった



近衛兵「退避!総員退避イイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイー!!!!!!!」



その巨大にして強大な質量の全てが、グノーシズム(異端宗派)の集団に影を落とす。


不時着でも強行着陸でもない体当たりの吶喊攻撃。


そしてエンジントラブルでも電子制御の暴走でもない――



「“どんなに遠回りしても”」


それは、ただ一人の少女が起こした飛行船ジャック。

電子制御の全てを手動に切り換え、特攻を仕掛ける飛行船の先端部分に片手片足をついて。

その好敵手から譲り受けたリボンで纏めた――赤髪を向かい風の中になびかせて


「“信じてた――絶対に貴女を見つけられるって”…そう言ったのは貴女よ、秋沙」


姫神が管制塔から、魔術師が滑走路から、兵団が地面をそれを見上げた。

暗雲を

絶望を

運命すらも

意図的に引き起こした暴走状態の飛行船から焼け付き炎上したエンジンから巻き起こる炎風で焼き尽くして行くのを――


「――言ったでしょう、秋沙――」


そして――少女は飛行船から身を投げる!!



「私の座標移動(ムーブポイント)から――」



墜落の瞬間

激突の刹那

風を受けて

投げ出した身体を

踊らせるように翻し

――手にした軍用懐中電灯を――振り抜く!!


「逃 げ ら れ る と 思 わ な い で ! ! ! ! ! !」



ズガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!


激突

衝突

追突

爆発

炎上

衝撃

轟音

爆音

爆炎が明けの空を染める。



魔術師C『なんなんだよテメエはアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』



魔術師が吠える。かき集めた兵力の大半を押し潰され、吹き飛ばされ、形勢が、趨勢が、体勢が、原始的な神風特攻によるただの一手が覆され


姫神「―――な。なに―――」


疾風が

爆風が

熱風が

烈風が

血風が

暴風が上昇気流となって管制塔頂上の姫神に吹き付けて来る。

先程の寒風と比べようもない熱い風が、掴まった手摺りから姫神の腕をもぎ取らんばかりに。

「――勝手に家出する。高い所に登って降りられなくなる。ミーミー泣いてうるさくって叶わないわ」

そんな姫神の前に、飛行船が墜落する直前に『座標移動』で飛び降り立った少女は――

「ああ本当にもう―――馬鹿な黒猫(ネコ)を拾ったものだわ」

眼下で起こる赫炎の火祭りの照り返しを受けて笑う。呆れたように、困ったように、皮肉っぽく。

「迎えに来たわよ。家出猫(バカネコ)。終わらせて帰るわよ。――今度こそ、全てを」

姫神を庇うように背を向けて立ちはだかり

右手の軍用懐中電灯をビッと剣でも振るうように真横に構え

肩越しに振り返る――炎に照らされた横顔。

姫神「どうして。どうして来たの…どうして。どうして!!!」

涙が零れる。

涙が流れる。

涙が溢れる。

もう全てを諦めたのに。

やっと全てに絶望出来たのに。

もう奇跡なんて願わないと。

望まないと。

祈らないと。

求めないと。

決めた――ハズだったのに――!!!


「――決まってるでしょ?さらいに来たのよ」


彼女は来てしまった。


終わらない奇跡を引き連れて。


明けない夜を焼き尽くして。


翼を持たぬ守護天使のように――



結標「――貴女の全てをね!!!!!!」


結標淡希は、舞い降りた。
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