とある夏雲の座標殺し(ブルーブラッド) > 12


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~第十五学区・大桟橋~

黄泉川「………………」

12:05分。黄泉川愛穂は封鎖された大桟橋より欄干に身体をもたれかからせながら目を瞑っていた。
全ての警備員の遺体が収容・搬送され、それを無言の内に見送る黙祷のように。

黄泉川「(――――――)」

遠くでも近くでも赤色灯の瞬きがまるで葬列の篝火のように並んでいる。
遺体の状態は最悪だった。切り刻まれた者、擦り潰された者、見るに耐えない形相のまま溺死させられた者…
支部内の監視カメラに映ったのは、まるで悪夢の中からそのまま這い出して来たかのような濁流がそのまま所内を水没させたブラックアウトの映像。

黄泉川「…殉職者21名…」

通信が途絶された異変が各支部にスクランブルで伝えられた後…
駆けつけた警備員達が見たのは21名という夥しい人命の亡骸…
黄泉川はそれを『死亡者』と言いたくなかった。
彼等は『被害者』であって欲しくなかった。最後まで生徒や治安を守るために戦った『殉職者』であって欲しかったから。

――そして――

黄泉川「…生存者2名…」

その中でへたり込む…黄泉川が教諭を務める高校の学生で、同僚たる月詠小萌の生徒である『姫神秋沙』。
そして茫然自失とする姫神に霧ヶ丘女学院のブレザーを羽織らせ傍らにいた『結標淡希』。
共に第七学区の避難所でボランティア活動に勤しんでいる女学生2人。

ガンッ!

黄泉川「…大した…戦果じゃん…!」

押さえきれず、振り上げた拳を欄干に叩き付ける。
命は軽く、死は重いものだと過去に味わった認識が今更ながら込み上げて来る。
犯人と思しき…昨夜も拿捕された『魔術師』なる容疑者はアンチスキルの旗印を掲げるフラッグポールによって串刺しにされていた。

結標『わからないわ。私達が保護を求めた時はもう、こうだったもの』

記録映像が全て浸水によってブラックアウトしていた以上、誰が手を下したかもわからない。
出来る事なら自分が犯人を捕らえ、然るべき場に引き立て法の裁きを与えてやりたかった。
せめてものの救いは…2人の学生が無事であった事。その一点だけがささやかな慰めであった。

黄泉川「…帰るじゃん…なあ――」

そうして黄泉川は大型特殊装甲車へと向かう。
保護された結標淡希と、姫神秋沙を乗せて避難所へと帰るべく――


~護送車内・結標&姫神+黄泉川~

結標「………………」

姫神「――――――」

黄泉川「やっと眠ったじゃん」

結標淡希と姫神秋沙は、鉄装綴里の運転する大型特殊装甲車にて護送されていた。
姫神は結標のブレザーをかけられながらその肩に寄りかかって眠っている。
極度の緊張と精神的な磨耗が姫神に眠りを必要とさせていた。
今までとはまるで逆の形ね、と結標は姫神を抱き寄せながら思った。

結標「ちょっとやそっとじゃ起きないわ。いえ、起きれないわね」

黄泉川「その通りじゃん。眠れるだけまだその子には“生きる力”があるじゃん」

姫神が起きないように互いに小声で会話を交わす。
精神的な蓄積疲労が折り重なれば人間は時に眠る事すら出来なくなる。
今、姫神が深い眠りを必要としているのは眠る事で少しでも精神的な負担を軽減させようとしている『本能』からに他ならない。
そして…傍らに結標がいなければ姫神は安心して眠る事も出来なかったろう。

結標「(…にしても、警備員が目の前にいるとやりにくくて仕方ないわ…あの時の電話の声が、よりによってこの女だっただなんて)」

『残骸』事件を通して互いに顔を知らぬとは言え奇妙な因縁だと思わざるを得ない。
月詠小萌には結標は空間移動能力者で、モノレール事件や今回の件はその力を駆使して逃げ回っていただけだとボカしておいた。
黄泉川にもそう伝わっているだろうが、どこまで見透かされどこから見逃されているのかはわからない。

黄泉川「…二日続けてまたぞろビックトラブルに巻き込まれてるのにずいぶん落ち着いてるじゃん?」

結標「(来たわね)いいえ。本当は怖くて恐くてたまらないわ。姫神さんがいてくれるから気を張っていられるだけで、私一人だったら震えて腰が抜けてるわ」

少ししゃべり過ぎたか?と思いつつさりげなく黄泉川から視線をずらして姫神の寝顔を見やる。
疲れ切った様子で、顔色も朝より悪い。無理もないと結標は思った。

結標「先生だって怖くない?私は恐いわ。能力者って言うだけで訳のわからない連中に追い回されて逃げ回っていただけ…先生はどうして警備員になったの?」

出来るだけ一般的な女学生のように振る舞いつつ矛先を逸らせる。
やはりこう言った口先は土御門に比べればまだまだだと思う。饒舌過ぎる。
だが証拠は一つも残していない。いらぬ疑いを持ち続けられるのは後味が悪い。そう思いながら。

黄泉川「守りたいものがあるからじゃん」

結標「守りたいもの?」

黄泉川「そうじゃん」

一言。そのたった一言にどれだけの思いが乗せられているかは黄泉川愛穂と言う人間を知らない結標には伝わり切らない。
しかしそれが確固たる信念に基づいている事だけは伝わって来た。

結標「(…守りたいもの…)」

自分はどうしたいのだろうかと結標は思う。たかが出会って六日。
情が移るには充分で、命を懸けるには不足で、恋に落ちるには早過ぎる時間。
しかし結標はもう自覚してしまった。目覚めてしまった。

結標「(女の子だから好きになったんじゃないわね…きっとこの娘だから、私はこんなにも放っておけないのよ)」

初めて出会った時は変わった子だと思った。

一日目には図々しくて図太い子、二日目にはウマの合う子、三日目には笑顔の綺麗な子、四日目には優しい子、五日目には大切な子…そして今は――六日目は愛しい子。

一週間と持たず陥落させられてしまった気がする。あの中庭でのキスから始まった気がする。
我ながら自分がこんなに単純な人間だと思わなかった。姫神の少女趣味を笑えない。

それは暗部から開放され、仲間達を解放させられたタイミングもあったのかも知れない。

心寂しく人淋しい、いきなり等身大の自分と向き合わさたからかも知れない。

一目しか見ていない微笑みが美しくて、二回しか食べていないご飯が美味しくて、三度交わしたキスがあたたかくて…

天然でいながらしたたかで、年下でありながら抜け目なく、言葉で弄んで手指で戯れて…どれか一つが原因とも言えないし全てが要因とも言えない。

ただ、決定的だったのは…あの屍山血河の中で見せた、初めて見せた姫神秋沙の虚ろな素顔。そして見えない涙。それを見た時結標は思った。この子を守りたいと。

結標「(貴女達ほどご大層なものではないけれど、ほんの少しだけわかるわ。今なら)」

全てを失ったような、何も残っていないような姫神の背中を見せられた時…結標はその身体を抱き締めた。
これが友情なのか愛情なのか、人間として好きなのかはたまた母性なのかも未分化な感情、衝動、そして本能。

結標「(私はきっと、この娘を一人にしたくないんでしょうね)」

どれほどの地獄を心に宿せば、これほどまでに虚ろな感情の極北を瞳に宿せるのか…それを思うと、抱き寄せずにはいられなかったのだ。

黄泉川「………………」

そして黄泉川はそんな2人を見やると…ゆっくり目を瞑った。

黄泉川「(これが)」

同僚達を失った悲しみも、やり場のない魔術師への怒りも、結標への疑いも全てを飲み込んで――1つも表に出さなかった。

黄泉川「(私の)」

ただの一言も、ただの一度もなく…伸ばした背筋に全てを背負って。

黄泉川「(仕事じゃん)」

連れて帰らねばならない。生き残った命と、散って行った同僚達の魂を。
一人残らず、一人漏らさず、一人欠けさせず…連れて帰らねばならない。

黄泉川「(これが――私の仕事じゃん)」

それが自分の仕事だと――黄泉川愛穂は装甲車の小窓から差し込む光を受けた。




~第七学区・全学連復興支援委員会~

雲川「無事保護されたみたいなんだけど。今こっちに向かってるって」

小萌「よっ、良かったのです…!良かったのですよぉ…うえええぇぇぇん」

ステイル「(退けたと言うのか。魔術師二人を相手取って)」

結標・姫神両名が黄泉川に保護されたと言う報に月詠小萌は泣きじゃくった。
今朝から生きた心地がしなかった緊張から解かれたためか溢れる涙は留める術を持たない。
避難所のテント内の空気が弛緩する。しかしステイル=マグヌスの表情は硬い。

ステイル「思ったより早く君の“出番”が回って来そうじゃないかオリアナ=トムソン」

オリアナ「そうかも知れないわえ?着いて一日でこんなに状況が悪化してるだなんてさすがに経験豊富なお姉さんでもなかなかね…頑張り過ぎちゃってダウンしちゃいそう」

ステイル「卑猥な物言いを織り交ぜないと会話も成り立たないのか!!」

テント内のパイプ椅子に身を投げ出しながらオリアナ=トムソンは伸びていた。
今朝からずっとグノーシズム(異端宗派)の本拠地の逆探知の魔術を繰り返していたが一向に埒が開かない。
敵は十字教最初期から存在し今日まで生き長らえて来た異端宗派である。その足取りを掴ませない結界魔術に秀でている可能性は高い。

ステイル「(せめてもの救いは神の右席、隻眼のオティヌス、北欧玉座のオッレルス、アウレオルス=イザード級の魔術師が見当たらない事くらいか)」

雲川「(思ったより面倒臭そうなんだけど。まあ、刺激があるから人生は楽しいんだけど)」

そんなステイルを泣きじゃくる小萌の傍らにいながら見やった雲川芹亜は胸中で独り言ちた。
同時に手を打っておいて良かったとも思う。『水先案内人』としてのオリアナ=トムソンを。
それは学園都市内での『水先案内人』などではない。彼女に求められる役割は――





~悪夢~

姫神秋沙は悪夢を見ていた。

生まれ育った村落が全滅した時の悪夢を。

自ら手掛かりを求め三沢塾に監禁されていた時の悪夢を。

悪夢を見る事は、精神の安定と調整をはかるための自己防衛機能だと聞いた。その根幹を為す物は罪悪感の発露であるとも。

走馬灯のように現れては過ぎ行く記憶。走馬灯は死に際し、これまでの人生の中で『生きる術』を探すべく辞書を紐解くような行為に似ているとも。

姫神「んっ…」

血と肉と骨で彩られ象られた赤の記憶すら、雪と灰の空白の白に塗り潰されて行く。

失われた人間の命、喪われた吸血鬼の魂、背負った罪、背負わされた死に、何度潰されかけただろう。しかし姫神秋沙と言う人間は潰れなかった。何故ならば

心が半ば死に絶えていたから。死人は二度死を迎える事は出来ない。
それでも自分は食事を採り、睡眠を取り、学校に通い、生活を営む。
吸血殺し(ディープブラッド)の力を打ち消す、それだけのために歩く死人のようになってまで。

姫神「ううっ」

誰に祈れば良い。それは全てを見通しながら何一つ手を差し伸べてくれない神か?姫神のために命を落とした全ての人々か?それとも抗う事も逃れる事も許さない運命にか?

贖罪も天罰も下してくれない無慈悲な空。迷えど迷えど手を引く者などいない――ずっとそう思って来た。

上条当麻と出会ってから。

上条当麻と別れてから。


――そして――



結標『私と一緒に来るなら、この手を掴んで』



――結標淡希と出会ってから――





~悪夢2~

不意に蘇る結標の声音。駄目だ。もうそれすらしてはいけない。考えてはならない。
その差し伸べられた手すら、姫神の中に流れる血は許しはしない。このねじくれ曲がった運命が赦しはない。

地獄の底まで連れて行きたくなどない。出会ってしまったから。知り合ってしまったから。だから結標の手を再び取る事なんて――

結標『イエスなら優しく連れて行く。ノーなら乱暴にさらって行く。選んで。好きな方を』

しかし――夢の中の自分(ひめがみあいさ)が、現実の姫神秋沙(じぶん)が結標の手を取ったのを幻視する。

思えば貴女は最初からそうだった。住処を失った野良猫のような私を家に連れ帰った。

何も出来ない私にご飯と、寝床と、それ以外の様々なものを私に与えてくれた。

一緒にボランティアにもなってくれた。弱い所も汚い所も見せてくれた。

命懸けで戦い、二度も救い、二回も守ってくれた。

これをどうやって返して行けば良いのかわからない。

私には何もない。この忌まわしく呪わしい血以外には何もない。だから――

姫神「貴女に求められたら。私はきっと。拒めない――」

私が求めたように貴女に求められたら、拒絶する事が出来なくなるかも知れない。

この血に塗れた身体を差し出してしまうかも知れない。この穢れきった肢体を捧げてしまうかも知れない。

だからお願い。夢の中にまで出て来ないで。これ以上私を惑わさないで。



――結標淡希(あなた)を、私の悪夢(ゆめ)の一部にしたくないから――










~とある高校・保健室~

姫神「………………」

14:19分。姫神秋沙は保健室のベッドの上にいた。
第十五学区での戦闘の後、混濁した意識を支えきれず昏睡のように眠りに落ちた後、運び込まれて来たのだ。
記憶があるのは結標のブレザーを羽織らされ、その腕に抱かれてへたり込んでしまった所まで。

姫神「…悪夢(ゆめ)…」

避難所にあって清潔なシーツと寝具の上にて身体を起こす。
服が着替えさせているのがわかった。それは姫神の通う高校の体操服だったから。

結標「お目覚めかしら?」

そしてずっと傍らに付き添っていてくれたのか、揺れる赤髪の二つ結びの少女…結標淡希の声音が響き渡った。
たった今まで夢にまで見ていた少女が目覚めたばかりの視界にいる事が、ひどく居心地悪く姫神には思えた。

姫神「結標さん…」

結標「まだ寝てたら?さっきよりマシだけれど、そんなに顔色良くないわよ」

姫神「もう。大丈夫」

姫神はベッドの上に手をついてもぞもぞと足を引き寄せる。
ダメだ。自分の顔色が今どんなものかわからないがきっとひどい顔をしているに違いない。
最悪の寝覚めで最低の寝起きだ。顔の一つも洗いたくなる。

姫神「………………」バシャバシャ

鏡を見る。ひどい顔だと自分でも思う。眠ったはずなのに朝にはなかった目元の黒ずみ。
肌を叩く水、冷え切った心、凍り付いた感情。
何かを言おうとして言葉にならない。何かを考えようとして思考にならない。
そんな自分を心配するような結標の顔が鏡越しに見えた。

姫神「ずっと。側にいてくれたの」

結標「そうね。ずっとと言っても一時間くらいよ。寝てる所悪かったけど、服は変えせてもらったわ。あのままじゃきっと風邪を引いてしまっていたでしょうから」

『ありがとう』の一言が、『ごめんなさい』の一声が出て来ない。
それどころか、結標の言葉を、声音を、今どこか疎ましく思っている自分がいる。
目を見れない。顔を合わせられない。声をかけられない。

結標「…十字架には触ってないから安心して…」

姫神「…ッ。」

結標「貴女の大切なものなんでしょう?この前は、ごめんなさいね」

思わず歯噛みしたくなる。唇を噛んでしまう。
吸血殺し(ディープブラッド)を封印するための加護の十字架。
しかしあんな悪夢を見せつけられた後では、それが姫神の背負った十字架であるようにすら感じられる。
見当違いの被害妄想と、血迷った被害者意識が脳裏を過ぎる。

姫神「いい。私も。あの時イライラしていた。貴女に。八つ当たりしてしまって」

結標「もういいわ。わかってるから」

胸中が切迫している、心中が圧迫している、精神が逼迫している。
出しっ放しの蛇口を締める。置かれたタオルで顔を拭う。
ちっともサッパリしない。少しもスッキリしない。そんな気分。

結標「――今もそうなんじゃないかしら?あの時と同じ目をしてるわよ、貴女」

姫神「そんな事。ない」

思わずキッと鏡越しから肩越しに結標を振り返る。
冷静な話し方が、まるで自分を責めているように感じられて。
しかし結標は両腕を胸の下で支えるよう組みながらこちらを見やっていた。

結標「ベッドに戻って。姫神さん」

姫神「いい。私はもう。大丈夫だと言ったはず」

結標「貴女の様子を見て大丈夫だなんて思える奴がいたらそいつは眼科に罹った方が良いわね」

姫神「なら。貴女が診てもらえば良い」

結標「悪態がつける程度には元気になったのね?なら――」スッ

その時、結標が軍用懐中電灯を指揮者がタクトを振るうように払ったかと思えば――


ボフンッ!

姫神「!?」

結標「遠慮なしね」

いきなりベッドの上に放り出された。それが結標の『座標移動』の仕業だと、姫神は少し経ってから気付いた。

姫神「…何を。するの」

結標「貴女が私の言う事を聞かないからよ。眼科より耳鼻科に罹りたい?」

姫神「どうして。私に構うの」

自分でも不機嫌さが滲み出た剣呑な声音が出たと思った。
しかしこちらを見下ろして来る結標はどこ吹く風とばかりに平然と、悪びれた風も無く言った。

結標「どうして?ハッ。貴女いま自分がどれだけ酷い顔してるかまだわからない?――まるで使い古しのボロ雑巾よ?」

姫神「…五月蝿い。少し黙って」

結標「…あんなに苦しそうにうなされて、辛そうなうわごと聞かされて、はいそうですかって出歩かせると思う?」

姫神「…貴女に。私の何がわかるの」

結標「じゃあ貴女は私の何を知ってるの?」

姫神「…中庭の。仕返しのつもり?」

結標「…知らないわよね。だって私達お互いの事何も知らないんですもの」

ギシッと結標が片手片足をベッドに乗せて来た。仰向けに倒された姫神を見下ろすように。

結標「――吸血殺し(ディープブラッド)ってなに?――」

姫神「!!!」

結標「それが貴女の能力?それが貴女が追われる原因?」

姫神「………………」

結標「大事な時にだんまりされるのは好きじゃないの。答えて」

結標が姫神の手に自分の手を重ね、指を絡めて押さえつける。
逃がすまいとするように。見下ろしてくる眼差しは――

結標「――訳もわからないまま命を張り続けるだなんてもう私には出来ないのよ!!」

姫神「…!」

零れ落ちそうな涙を必死に落とすまいとしながら…叫ぶような悲痛な声だった。
ギュッと姫神の手にかかる握りの力に強さが加わる。
振り解こうにも振り解けない、痛いくらいの力だった。





~保健室・結標淡希~

分岐路を、分岐点を、分水嶺を、一足跳びに超えてしまった。
もう後戻りは出来ない、そう結標淡希は思った。だが後悔はなかった。

結標「こんな傷ついてる貴女を見て!あんなイカレた連中を見て!そんな見てるだけしか出来ない自分がもう嫌なのよ私は!!」

姫神の立つ彼岸、結標の立つ此岸、二人の間に隔たる不帰の河(ルビコンの川)。
足踏みしていた。手を拱いていた。口に出せずにいた。目を背けていた。だがしかし
結標「私はそんなに頼りない?見損ないで!見下さないで!見くびらないで!ちゃんと私を見てよ!!」

結標がいなければ既に二度、姫神はこの場にいなかった。
姫神にも抱えた理由が、背負った事情がある事くらいわかっている。
わかっているから――あえて結標は切り込んだ。

姫神「違う。違う…そうじゃない。私は。貴女に――」

結標「傷ついて欲しくない、巻き込みたくない、戦わせたくない…だなんて言うつもり?」

姫神「――わかって。いるなら…!」

結標「わかりたくもないわ!!!」

ギリッと姫神の手を押さえつける。姫神の顔が痛苦に歪む。
しかし結標は離さない。爪痕を刻もうが、手形を残そうが――絶対に離さない。

結標「戦う事より、傷つく事より、死ぬ事より――私が恐ろしいのは…貴女よ姫神さん」

手を離せば姫神は消える。自分達にこれ以上危害を加えさせないために敵に投降するかも知れない。
能力を悪用され吸血鬼達をこれ以上殺める事になるくらいなら自ら命を断つなりするだろう。
結標にはそこまで姫神が思い詰めているであろう事も知らない。わからない。
しかし姫神が――


結標「――貴女が消えてなくなるより怖いものなんてない!!!!!!」


姫神秋沙が消えてしまう事だけは、わかるから――


姫神「…ッ…!」

姫神が歯を食いしばる。

生半可な言葉で

中途半端な言い訳で

切り抜けられる場面でない事がわかるからこそ――

姫神「…元々。私がここ(学園都市)でどんな扱いをされていたか聞く?」

真実を語るのに感情はいらない。

姫神秋沙は表情の全てを白紙に変える。

姫神「何のためにこんな十字架を肌身離さず身に付けているのかとか」

事実を語るのに感情はいらない。

姫神秋沙は瞳の色全てを黒く塗り潰す。

姫神「きっと貴女は――耐えられない」

現実を語るのに感情はいらない。

姫神秋沙は記憶の中の真紅を見据える。

姫神「私は            」




~保健室・姫神秋沙~

結標「………………」

姫神「これが。私の全て」

姫神秋沙は語った。生まれ育った山村で起きた惨劇を。
それが自らの体内に流れる血…『吸血殺し』が引き起こした絶望を。
それを打ち消すために学園都市を、霧ヶ丘女学院を、三沢塾を、各地を転々としながら巻き起こした災禍を。

姫神「貴女が。私を守ってくれた事は。嬉しかった。これは本当」

だからこそ…姫神はもう誰も殺したくなかった。
もうこれ以上は耐えられない。自分の中に流れる血が招く『死』に誰かが命を落とす事が。

姫神「だから。もう。――私を助けようと。救おうとしないで」

それが『人間』であろうと、『吸血鬼』であろうと、『結標淡希』であろうと…
最後に迎える『死』は、他ならぬ『姫神秋沙』で終わりにしたいから。

姫神「貴女を――貴女の死(いのち)を。私は――背負いたくない」

それが同居人(ともだち)だから。それは結標淡希(ともだち)だから。
大切だから手放す、愛しいから手離す。失いたくないからこそその手を取れない。

姫神「もう――貴女の手を。私は――私は。取る事が出来ない。だから。ここで――」

それがどれほどあたたかく、力強く、自分をさらってくれる手であろうと――



結標「ふざけないで…」



姫神「?!」

それまで自分の手を押さえつけていた結標の手の平が、手の指が小刻みに震えて…
ポタ…ポタと、真っ白になるまで噛み締めた唇から、血が滴り落ちるほど食いしばって…

結標「――次は、私の番ね?――」

真っ直ぐ、姫神を見下ろした。




~保健室・結標淡希2~

衝撃だった。

自慢するつもりひけらかすつもりがないが、自分だって裏の世界の人間で、そこを生きて来たつもりだった。

人を傷つけた事、殺めた事、地獄の閻魔が呆れ果て、地獄の魔王が苦笑いするような連中のいる闇の世界の住人の一人のつもりだった。

でもこれは違う。そんな次元の話ではない。人間が恐ろしくなる。姫神秋沙という人間が怖くなる。

結標「(こんなになっても、人間はまだ生きていられるというの?)」

こんな絶望を、こんな地獄を、こんな惨劇を味わって尚…『人間』は生きていける事に恐怖すら覚える。

自分なら耐えられない。命を断つという覚悟した姫神のようにすらなれない。
その前に心が壊れてしまう。自分が能力の有る無しに関わらず他人を傷つける『人間』だと思い知らされた時以上に。

結標「(この子は、ただ姫神秋沙として存在する事すら――許されていない)」

殺意を持たずとも、悪意を持たずとも、敵意を持たずとも自分に関わる有象無象の命全てを巻き込む能力など…
姫神秋沙(じぶん)が自分(ひめがみあいさ)として生きている限り続く生き地獄だ。

結標「(何が表の世界の人間よ…なにが…なにが)」

思い知らされる。姫神が何故自分を拒むのかを。
どれほどの重い荷を背負って、それでも生きて来たのかを。

結標「(なにが…なにが!)」

思い知らされる。自分に姫神を救う言葉など持てるはずがないと。
他人に預ける事はおろか、自分で下ろす事すら出来ない荷の重さを。



――しかし――



結標「ふざけないで…!」



――結標淡希は語った。暗部(じぶん)の事を――





~保健室・結標&姫神~

姫神「………………」

姫神秋沙は愕然としていた。

結標淡希の口から語られた、結標淡希の真実を。

この学園都市(まち)で陽の当たる場所を歩く自分達と似て非なる…

街の影で

街の闇で

絶対に勝てないゲームに挑んでいた事を。

姫神「(だから。血の匂いが)」

同時に得心も言った。あの身のこなし、あの目の配り、越えて来た修羅場鉄火場の数、潜り抜けて来た激戦と死線。

自分と一つ違いの少女が生きて来たもう一つの世界。

自分のいる世界が表なら、少女のいる世界は裏。

合わせて一枚のコインの世界を生きてきた――姫神秋沙(表)と結標淡希(裏)

結標「…わかった?姫神さん…私はね――」

そこで結標は…ソッと姫神に跨りながらその滑らかな頬を、艶やかな黒髪ごと添えて…

触れて…


撫でて…


愛でて…


慈しんで…



結標「貴  女  と  不  幸  自  慢  し  あ  う  つ  も  り  は  な  い  の  よ」





~保健室・二人~

姫神「――――――」

思わず、姫神は目を見開く。しかし、結標はいつもと変わらぬ風にその二つ結びを払い、言った。

結標「貴女と傷の舐め合いをするならそれも悪くないわ。けれどね――私は、貴女を見捨てるつもりは毛頭ないの。貴女がどんな過去を持っていたってね――」

その両手で姫神の両頬を挟んで顔を寄せる。目を逸らせる事はおろか瞬きすら許さないとでも言うように。
姫神はそれに抗えない。逆らえない。言い返せない。はねのけられない。

結標「それが貴女の現在(いのち)を!!貴女の未来(いま)を!!否定し(あきらめ)て良い理由になんかならない!!!」

姫神「…貴女。何を。言って」

窓辺から初夏の涼風が吹き込み、保健室のカーテンを、姫神の黒髪を、結標の赤髪を揺らして行く。
ただ結標の手だけが姫神を離さない。この風に姫神が消えてしまわぬよう、さらわれてしまわぬよう。

結標「滅茶苦茶な事言ってるのはわかってるわ。私は貴女を言葉で救えるだなんて思い上がってもいないし、私も貴女の背負っているものを軽く見ているつもりもない…けれどね」

これを乗り越えねば見えてこない。こんなに人間としての心を、無慈悲な神(うんめい)にボロボロにされながらも…
それでも尚、結標を巻き込み(殺し)たくない少女の、本当の姿が。

結標「それが姫神秋沙(あなた)の全てなんかじゃない!それが私が貴女を見捨てる理由になんてならない!!!」



流した血の量と、背負った死の数だけで、姫神と自分を比べたくなかった。

見捨てられない、見離せない。見つめたいから、見据えたいから。

どんなに絶望的な世界でも、助けに来てくれる英雄(ヒーロー)のいない世界でも。

無様でも、無惨でも、無理矢理でも、無茶苦茶でも――

結標「貴女がさらわれたら、貴女が自分で自分の命を断ってしまったら――私は貴女と同じになるのよ!?私が貴女を守れなくても!見捨てても!私は一生悔やむ!一生自分を呪って生きる!!今の貴女のように!!!」

なだめてでも、透かしてでも、極論でも、暴論でも、感情論でも、何でもいい。

結標「貴女のいない世界(へや)で…ずっと一人で生きていく(くらしていく)のは…嫌なのよ…!」

血に塗れた身体(ひめがみ)を、血の河(かえらずのかわ)を越えて、血に汚れた手でも良いから掴みたい。

結標「――言ってよ!!!助かりたいって!救われたいって!生きたいって!死にたくないって!一度で良いから!自分の言葉で叫んでよ!!!」

一人で地獄(敵の手)になんて堕とさせない。
生きて掴みたい。生を、光を、明日を、希望を掴みたい。
この世界にまだ…姫神秋沙の世界にはまだ救いがあると――


結標「言ってよ―――秋沙!!!!!!」



~保健室~

姫神「――どうして――」

姫神秋沙の声はひび割れていた。軋んでいた。震えていた。

あれだけ救いのない自分の中の真実を語り、事実を告げ、現実を諭して尚…

今はもういないあの少年(上条当麻)のように。

血を吐きながら泣き叫ぶようにこちらを見下ろしてくる少女(結標淡希)に。

姫神「――貴女は――」

窓の外には入道雲、積み上げられた瓦礫の山、鳴き出し始めた蝉の声。

目の前には風に揺れる赤い二つ結び、怜悧な美貌をクシャクシャにして、涙声で震える結標淡希。

姫神「――私に――」

避難所の人々の声、ボランティアの人々の声、学生達の声、教師達の声。

そんな世界の中の、小さな結標淡希と姫神秋沙の世界。

姫神「――そこまでしてくれるの――」

それは脆く、儚く、淡い、夏の幻想のはずだったはずだ。

この世界に救いなんてない。私達に救いなんてない。この世界は私達に優しくなんて―――




結標「貴女が――好きだからよ」




~秋沙と淡希~

お似合いだと思った。血に塗れたと姫神、血に汚れた自分とが。

いつか二人で話したスタンダールの『赤と黒』を思い出す。

血(赤)に染まった過去を持つ姫神。

暗部(黒)に染まった過去を持つ結標。

赤(血)と黒(死)の交わりに救いなんてない。

それが呪わしく思える自分がいる。

自分が男だったならこれは王子様(ヒーロー)とお姫様(ヒロイン)の切ない恋愛劇だったろう。でも違う…違うのだ。

ここにあるのは血に染まったボロ雑巾(ひめがみ)と

泥に塗れたボロ雑巾(むすじめ)の傷の舐め合い。

『太陽』を意味する姫神は何一つ闇を照らせず

『道標』を意味する結標はその標(しるべ)を闇の中に見出せずにいた。

姫神秋沙は思う。この世界にヒーロー(上条当麻)はいないと。

結標淡希は想う。この世界にヒーロー(救い手)などいないと。


―――それでも―――


結標「貴女が――好きだからよ。秋沙」







~秋沙と淡希2~

友達だって、言ったじゃない。

いつか別れる『恋人』じゃなくて。

ずっといられる『友達』だって。

――私達、『友達』だって――

結標「答えて。私はもう後戻りを捨てたの…貴女が答えてやっとイーブンよ、秋沙」

やめて、そんなに真っ直ぐな目で見るのはやめて。

逸らした目線を許さないように、『秋沙』と名前で耳に呼び掛けないで。

右を向いても、左を向いても、淡希(あなた)から逃げられる気がしないから――

結標「私はね秋沙…誰でも彼でも助けようだなんて出来ると思ってもいないし、善意だけで人を救えるヒーローになったつもりもないわ」

シーツと私達の擦れる音、カーテンが風にはためく音。
保健室の消毒液の匂い、結標さんがつけているクロエの香り。
窓辺から射し込む光が、私達に落とす影を深くする。

結標「ただの友達だなんて替えの利く物、あんな風に身体を張ってまで守れはしないわ。貴女、まさか私が優しい人間だなんて思ってた?私が、善意だけで人に手を差し伸べるような、そんなお綺麗な人間に見えでもしたかしら?」

偽悪的な笑みが張り付いた、形良く瑞々しい唇。皮肉っぽく歪められている頬すら様になって見える。
結標さんの手が一房、私の髪をすくい上げてサラサラと流して行く。その手触りを確かめるように。
女にとって、同じ女に自分の髪をこんな風に触られるのは男同士で肩をぶつけられるのと同じ。なのに。

結標「――逆よ、秋沙――」

ギシッと、私の脚の間に結標さんの膝が置かれた。
顔の側に手を突かれた。見下ろされる。もう逃げられない。いや違う。
身体が、手足が、意識が、女としての本能が――私から逃げようとする力を奪う。

結標「下心の一つもなく、ボランティア(無償の愛)で貴女の側にいられるほど私の手は綺麗じゃないの」

クロエの甘い香りが下りて来る。血を想わせる赤髪の二つ結びが触れる。
拒まなくてはいけない。受け入れてはいけない。
跳ね付けて、跳ね除けて、跳ね起きなければいけないのに――



結標「――好きよ、秋沙――」



見入ってしまったから。魅入ってしまったから。

逆らう気力が湧かないほどに、抗う言葉の行方を見失うほどに。

―ただ、結標淡希(あなた)が綺麗だったから―



~秋沙と淡希3~

わかってる。恋だ愛だで救われるほど、私達の背負っているものは軽くないと。

わかってる。何か一つ歯車が狂えば止まってしまう時計が、新しい歯車を加えた所でその針を進める訳ではないと。

わかってる。こんな弱味に漬け込むような形で想いを告げるだなんて卑怯だって事くらい言われるまでもないと。

姫神「――どうして。私なの」

結標「おかしな事聞くわね――貴女だからよ」

綺麗なだけの手でこの娘が守れないなら、喜んで差し出そう。
この汚れた手で、血に濡れた手で、何度だって。差し伸べるから。

姫神「私達。女なのに?」

結標「私だってそっちの気なんてないわ。クローゼットの中身見たでしょう?」

素肌に絡むシーツ、脱ぎっぱなしの服、こうしていると、私の香りが移ってしまうわね。

姫神「――なら。どうして?」

結標「口数と一緒にボキャブラリーまで減っちゃった?こんな時に“どうして”ばっかり聞かないで」

全てを無くした貴女、何も持っていない私、お互いに持ち寄れるのは、お互いをあたためる事も出来ない低く冷たい体温だけ。
お似合いだわ。私の形に合わせて歪んでいる貴女、貴女の形に合わせて歪(ひず)んでいる私。

姫神「“なぜ”」

結標「貴女が、私にキスしたのと同じ理由――姫神秋沙(あなた)が貴女(ひめがみあいさ)だからよ」

姫神「答えに。なってない」

結標「頭で考えるものでもないでしょ?こういうの」

鍵の下ろされた扉、引かれたカーテン、こんな所を小萌に見られたら卒倒するわねと笑う私、こんな所を吹寄さんに見られたら気絶されると無表情の貴女。


姫神「淡希のくせに。生意気」

結標「貴女ね…私の方が年上なの忘れていないかしら?」

ねえ、私は貴女が好き。同時に思う。貴女は本物のサディストだって。
こんな時すら『好き』とすら言ってくれない貴女。嘘ですら『愛してる』とは言ってくれない貴女。

その一言で、私はいくらでも血を流せるのに。敵であろうと自分であろうと。安っぽく、誇らしげに。
きっと私はマゾヒストで、ナルシストで、ペシミストなんでしょうね。
自分ではもっとリアリストだと思っていたのに。

姫神「そんな顔も。出来るのね」

結標「…誰がそうさせてるのよ」

貴女は残酷(やさしい)ね秋沙。どうしてここまで言って、ここまでして、貴女に届かないの。
貴女を守りたいのは私なのに、まるで私が貴女に護られているみたいじゃない。
泣きたくなるじゃない。一番泣きたいのは貴女のはずなのに。

姫神「私以外の。誰にもそんな顔しないで」

結標「誰にでも尻尾振る犬みたいに言わないでくれない?」

姫神「そう。貴女は猫っぽい。人に懐かない野良猫」

結標「私を餌付けしたつもり?引っ掻くわよ」

姫神「石狩鍋も。猫っぽい貴女に合うと思ったから。骨の多い魚は。嫌いだと言っていたから」

わかってる。貴女の心に開いた冥い穴は、貴女自身が感情にも言葉にも表現出来ないほど大きい事が。
けれど、それほど大きな穴なら…私にも入り込む余地はあるかしら?
隙間を作っておくほど広くもない私の心に、いつしか貴女の居場所が生まれたように。

結標「猫は首輪じゃ繋げないわよ。束縛されるのが大嫌いなんだから」

姫神「餌付けもダメ。首輪もダメ。なら。なにならいいの」

サラサラの私の赤髪、ツヤツヤの貴女の黒髪。まとわりついてくすぐったくて、少し心地良い。
切ないくらい静かな初夏の昼下がりが、酷く耳について離れない。

結標「…一緒に寝てくれるだけでいいわ。貴女の側で、私の側で」

姫神「いい」

吊り橋効果という言葉がある。ハリウッド映画にありがちな、ピンチに陥った男女が危機的状況に覚える胸の高鳴りを恋だと錯覚するそれだ。
見る人間が見れば、今の私達だってそんなものだ。それに唾を飛ばして反論出来るほど私達は綺麗でもなんでもない。
それくらいの分別はつくし、それぐらいのわきまえはある。

結標「この先も、ずっと一緒にいて」

姫神「猫は。死期を悟ると姿を消すもの。違う?」

結標「…こんな時くらい、嘘ついてよ。秋沙」

でもそれは言葉だ。ここには運命(ロメオ)に見放されたロザラインと、運命(ロミオ)に見離されたジュリエットしかいない。
あの時、避難所の屋根から見上げた月にでも誓えば良かったと思わなくもない。

姫神「私も。貴女と。一緒にいたかった」

結標「…どうせつくならもっと上手く騙して。心がこもってない」

姫神「どうしたら。信じてくれる?」

結標「そうね…」

ねえ神様。そこで見てるなら聞いて。

貴方が助けてくれないなら、私が勝手にこの子を助ける。

貴方が救ってくれないなら、私が勝手に救われてやる。

貴方が守ってくれないなら、勝手に手出ししないで。だから



結標「…キスして…」



――だから最期の未来(バッドエンド)くらい、私達(じぶんたち)で選ばせて――




~姫神秋沙~

女の子同士でするキスは、傍目で見るほど当人達にとって特別な感慨を持たない。

あるとすれば、それは疑似恋愛の代償物か、男女の行為の代替品。

そしてそんな行為に耽る自分達の、マゾヒスティックな呪われた性を自分で嘲うようなそれ。

けれど、それも構わないかなと姫神秋沙は思った。

結標淡希は寂しさのジレンマから心の扉の鍵をかけ忘れた。自分はその中に転がり込んでしまった。

自分は過去のトラウマから心の扉の錠前を壊してしまった。結標淡希はその中に飛び込んできてしまった。

姫神「(まるで。鏡の迷宮)」

そこに見えるのに触れられない。何が実像(ほんとう)で何が鏡像(うそ)かもわからない。
地図も持たず、入口から間違え、出口すら見えない私達はまるで迷子のようだと思う。

姫神「(好きなだけで。いられたら良かったのに)」

この吸血殺し(ディープブラッド)がなければ。何度そう思っただろう。
歪みとは、目に見えた形ばかりに現れるものでもないとも思い知らされた。

手に、額に、頬に、瞼に、首に、唇に、キスを落とす度に思う。
この壊れてしまった学園都市(せかい)で、壊れてしまった学校で、保健室で、締め切ったカーテンの中でこうしている自分。

暗がりに逃げ込む事すら出来ずに、夏の青空が広がる中で、退廃的な傷の舐め合いをしている自分達が酷く自虐趣味に感じられて、自傷行為にも似たキスを繰り返している。

姫神「(私達って。救われない。けど)」

小萌から盗み飲みして、結標が偽造IDで買って来たビールを思い出す。
苦くて、不味いだけなのに酔ってしまう。恋愛すら、上条当麻への秘めた思いを一度抱いたきりなのに――
もう心中を間近に控えた男女の心待ちがわかってしまう自分が嫌になる。しかし――

姫神「(最期は。私が)」

この笑劇に、喜劇に、無言劇に、悲劇に、幕を下ろす。
終わらせる。バッドエンドが来る前に、自分の手で幕を下ろす。



――逃れ得ぬ死が、二人を分かつ前に――
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