とある世界の残酷歌劇 > 第二幕 > 03


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「ちくしょう」

携帯電話を通りがかった清掃ロボットに放り投げ、麦野は吐き捨てた。

「繋がりやしないわ。科学の頂点、学園都市も脆いわね」

ごりごりと金属と合成樹脂を砕く音を背後に、麦野は大通りを歩いていた。
まだ深夜と言うには早い時間。辺りは人々のざわめきと店舗の垂れ流す流行の音楽に満ち溢れている。

だというのに。
街にはどこか仄暗い湿った気配が漂っている。

楽しげなのは量産型のポップスだけで、行き交う学生たちの足は早く、落ち着きのない顔で何やら忙しなくきょろきょろと目玉を動かしている。
急ぐのは家路だろうか。それとも、どこか別の場所だろうか。
そんな事は麦野にはどうでもよかったが、その理由だけは何となく見当が付いた。

「何やら鼠が怯えてるわね。ちゅうちゅうちゅうと煩いわ」

第六感なんて非科学的なものを諸手を挙げて信じる訳ではないが、こういう時だけはありがたい。

皆、何かを感じているのだろう。

地震の前触れのような小さな予兆。
それを頭の隅で見つけてしまって、どうにも落ち着かないのだ。

もしかしたらAIM拡散力場あたりからその『何か』が伝染しているのかもしれない。
アレはお互いに干渉しあうとか、どこかの研究論文で読んだような気がする。

だとしたら、その発生源はどこだろうか。

答えは簡単だ。人の流れの上流にある。

「急ぎなさい急ぎなさい。早くしないと猫に見つかるわよ」

すれ違う学生たちには目もくれず、麦野は不自然な人の流れに逆らって歩き続ける。



やがて――――。

不意に人の流れが途切れる。

街中だというのに不自然に消える喧騒。
通りに面した人気のない店舗の中から聞こえてくる下手糞な日本語ラップが鬱陶しかった。

さて、と麦野は辺りを見回す。

周囲には気持ちが悪いほどに誰もいない。
まるで街が死んだようだ。

人だけが消えた蜃気楼の街。

虚数学区だったか。そんな都市伝説をいつか聞いた気がする。

――――そこではさー、直接脳を掻っ捌いて能力開発してるんだって。結局、もう笑っちゃうわよね。

まったくだ。子供騙しもいいところのそんな噂。
いつものようにファミレスで駄弁っていたある時、そんな話を聞いた。

ただ――もしそれが本当だとするならば。

虚数学区とは自分たちの事だ。
直接脳を切り開いて弄り回すなんてのが日常的に行われている場所がそうだと言うなら、まさに今麦野が立っている場所がそうではないのか。

学園都市の暗部。
煌びやかな表舞台のすぐ裏で繰り広げられる地獄。

まさに虚数と呼ぶに相応しい。
一度そこに落ちてしまえば後は奈落の底すらない、永遠の闇だ。

だから多分、そういう話なんだろう。

そうして実数から踏み外して、落ちて墜ちて堕ちて、真っ逆さまに。

こんなところまで来てしまったのだろう。

振り返ればすぐそこに彼女がいた。

「――――にゃあ」

麦野は、にぃ、と童話に出てくるそれのように口の端を上げる。

「こんばんは、子猫ちゃん。アンタ、姉の方? それとも木偶人形の方?」



「妹の方です、とミサカは訂正します」

常盤台中学の制服を着た少女は感情の読み取れない無表情でそう返答した。

「ち、ハズレか」

舌打ちする麦野はがりがりと髪を掻き。

「いえ、アタリです、とミサカは訂正します」

「…………あぁ?」

怪訝そうに少女を見遣る。

彼女は相変わらずの無表情で、つ、と右手を挙げ、指を立てる。
刺すのは麦野――ではない。

背後。

「…………」

ゆっくりと、麦野は振り返り、そこには――。

「アタリなのでもう一本どうぞ。実際アレ見たことないんですが、とミサカは注釈を入れます」

「…………つまんねー。お笑いの世界は厳しいわよ。出直して来い」

「おや。身内には馬鹿受けだったのですが、とミサカは鏡に向かって練習している気分だったのを思い出します」

「矢張り独り善がりは駄目ですね。自分だけではなく相手も喜ばせなければ、とミサカは思わせ振りな事を言います」

前後、同じ顔の、同じ声の、同じ服装の少女に挟まれ、麦野は軽く眩暈を覚えた。

「ああ……マジつまんねー。こりゃスクラップだ」



重々しく溜め息を付く麦野に、彼女たちは顔を見合わせ、頷いた。

「ですから最初の掴みは肝心だと、そう提言したではないですか、とミサカは責任を押し付けます」

「いえ、この案はミサカが出したものではありません。ですからミサカに否はありません、とミサカは責任逃れを試みます」

「うっさい黙れ」

不機嫌な顔も露に麦野は睥睨する。
首を振るように彼女らの顔を交互に見、重々しく溜め息を吐いた。

「……んで、この状況もアンタらの仕業?」

「はい。嫌気を催すよう波長を合わせた電磁波を散布しています、とミサカは肯定します」

「もっとも、同系統能力を持つあなたには通用しないようですが、とミサカは改良の余地を提示します」

「はいはい解説ごくろーさん。お陰でやりやすいわ。ごほーびはキャンディがいい? それともチョコレート?」

「「…………」」

お座なりな麦野の態度に、彼女らは再び顔を見合わせ頷き。

「よろしければあなたの首を、とミサカはおねだりします」

「心臓でも構いませんが、とミサカは代案を提出します」

と、無表情に、感情の籠もらない声でそう答えた。

瞬間、麦野の顔が引き攣る。
麦野は髪を掻いていた手を降ろす。
何かを持つように掌を上に向けたまま真横に軽く伸ばし、ゆっくりと指を曲げ。

ぱきり、と関節が啼いた。

「――――テメエら誰に向かって口利いてんだ、ああ?」



強い風がざわざわと街路樹を揺らす。
空の雲は早く、雲間に覗く月は顔を見せたり隠れたりと忙しない。

とっ、とっ、と苛立たしげに麦野は道をパンプスで叩きながら握った拳を開いた。

「人形遊びをする年でもないんだよ。さっさと親玉のところに案内しやがれ」

「それは無理です、とミサカは即座に拒絶します」

がつ、と一際強く靴底が煉瓦模様を叩く。

しかしそれを全く意に介せず、少女は続ける。

「それと――ミサカにもそれなりの矜持があって臨んでいますので、モノ扱いされるのは心外です、とミサカはあえてとぼけた口調で物申します」

……足音が止む。

麦野は困ったような、ばつの悪そうな表情を浮かべ、しかしそれを彼女たちに向けはしない。
そうしてまた鬱陶しそうに溜め息を一つして。

「オーケーオーケー、分かったわ」

ぱんぱん、と麦野は埃を払うように両の手を打ち合わせ、

「せめて人らしい表現を使ってあげましょうか――――ぶち殺す」

瞬間、病的なまでに青白い光が夜景を貫いた。







――――――――――――――――――――







ごうごうと耳元で唸る風。
空の雲は早く、星は見えない。

そんな夜天をドレスの少女は仰ぎ、ゆっくりと目を瞑る。
深く息を吸い、溜め息のように吐き出し、顔を水平へ。

……目を開く。

彼女の視界の正面には長身の少年が相変わらず立っていた。

髪は趣味の悪い青色に染められ、耳にはピアス。
赤のダウンジャケットは少女とは対称的に暖かそうだ。
無造作にジャケットのポケットに両手を突っ込み、気持ち悪いほどに人の良さそうな顔で笑っていた。

「………………誰よ、アンタ」

再びドレスの少女は問い、眉の不機嫌そうに寄せられた顔を目の前の人物に向けた。

見た事のない顔だった。

垣根の資料にもなかった顔。
ずっと傍にいたのに気付かずにいて、それが突然むくりと立ち上がったような。
今の今までその存在の欠片すら感じさせなかった、唐突に客席から舞台に上がったような、そんな――影――のような。



「誰、やて?」

彼女の言葉にぴくりと細められた目の端を動かした。

「誰、って。キミ本当にそんな事聞いてんの?」

笑みは消え、不機嫌そうな、苛立たしげな様子を隠そうともせずに言う。

「よりによってキミがそんな事聞いてまうの?」

「生憎、私にアンタみたいなお友達はいないけど」

ドレスの少女は内心の動揺を必死で抑え込みながら言葉を続ける。

まさか一般人であるはずがない。
このタイミング、この場に一般人が来るはずがない。
もし仮にそんなとんでもなく不幸な奴がいたとして。

どす黒く変色した彼女の足元に見向きもせず平然と立っていられるはずがない。

「そいつは残念やね。僕、キミと仲良くしたかったんやけど」

言葉とは裏腹な圧迫感を感じドレスの少女は得体の知れない感覚に苛まれていた。

なんだこの違和感は。

脳の端の方でちくちくと自己主張するような気味の悪い違和感。
まるで騙し絵を見ているような錯覚。
目の前で確かにそうだと言っているのに、それに気付かないような。



反面、彼女は内心でどこか安心していた。

彼女が一番恐れていたのは御坂美琴だった。
人の精神に干渉する能力を持つ彼女にとって天敵とも言える存在。

言ってみれば思考も感情も記憶も精神も、脳細胞同士でやり取りされる電気信号と反応でしかない。
彼女の能力はそれを操ると言ってもあながち間違ってはいない。
道徳的にはどうだか知らないが、人の心なんてものは科学的に見れば所詮その程度の物理現象に他ならない。

だからこそ、その程度の物理現象だからこそ。
電気という現象そのものを操る御坂美琴は彼女の天敵だった。

似たような能力でも麦野の『原子崩し』のような一点特化型であれば何の問題もない。
ただ御坂美琴のそれは――彼女の『超電磁砲』は――その字面と派手さに隠れがちではあるが、あらゆる電子制御を平然とやってのける。
例えば電力。例えば磁力。例えば電気信号。

そんな彼女が生体電気などという一番身近で自然に存在する電気を操れないはずがない。

だからドレスの少女は御坂美琴が目の前に現れてしまうのをどうしようもなく恐れていた。



だが、蓋を開けてみれば。

得体は知れないが御坂美琴のような最悪よりは幾分かましだろう。
そんなどこか楽観的な余裕が彼女の中に生まれていた。

「まったく残念な事ね。私、アンタみたいな頭の悪そうな髪したヤツはタイプじゃないの」

そんな風に幾許かの軽口を叩ける程度には。

「頭が悪そう、ね。結構自慢なんやけど、この髪」

指で毛先を玩び、深く溜め息を吐いた。

「残念や。まったく残念やわ……結局、『心理定規』はその程度かいな。ちょっとでも期待した僕が馬鹿でしたぁー」

感情をそのまま吐き出すような口調に彼女は寒気を覚える。

人が何かを表現をする時には絶対にフィルタを通す。
それは羞恥だったり、自責だったり、あるいは虚栄だったり。
感情が存在する以上、それを阻む事はできない。

だが彼女の耳を打つ言葉は――まるで加工されていない、真っ白なものだ。
台本を棒読みしているだけのような単なる『そういう言葉』にしか聞こえなかった。

「……ま、せっかく役を譲ってもらってまで出てきた訳やし」

とん、と軽く足を鳴らし。

「魅せ場を作らなな。ちぃとばかし遊んでーな」

「デートの誘いにしては魅力に欠けるわね」

「まあまあ、そう言わず」

再び、とん、と靴の音。



瞬間、彼女の天地が逆転し、

「――――――!?」

受身を取る事もできぬままその場に背中から叩き付けられた。





何が起こったのか、彼女には理解できなかった。

足音と同時に目の前には雲の掛かった夜空が現れ、その場に倒れ込んだ。

――――まさか重力制御――いや、これは、

ごりっ、と容赦なく胸を踏み付けられ、肋骨が悲鳴を上げた。

「――――ぎ――ぁ――っ!」

「まあ種明かしすると、ぼーっと突っ立っとったキミに普通に歩いて近付いて普通に足払いしただけなんやけどね? 結局のところは」

呻き声をまったく意に介した様子もなく彼女を見下ろすように向けられた顔が、にぃ、と嗤う。

「『キング・クリムゾン』――ッ!! 『結果』だけだ!! この世には『結果』だけが残る!! …………なんちって」

ごぼ、と嫌な音の咳をして、彼女は胸の確かな圧迫感を得ながらも無理矢理言葉を吐かずにはいられなかった。
前後の事象。言葉の意味。それらを踏まえるならば、これは。

「まさか……時流操作能力……っ!」

その言葉に小さく頷き、笑って。

「……はぁ? キミ何言うてんの? そんな馬鹿な真似できるはずもないやろ」

馬鹿にしたような笑みを彼女に向けた。

「そういえばさっきの『誰?』って質問。答えとらんかったなぁ」

ごりごりと靴底でドレスに足跡を刻みながら相変わらずの目を細めた笑顔で言う。

「んっんー。せっかくやし、なんて言おかなー。あんまり奇をてらっても興醒めやろうし」

「い――ぎ――あが――っ――!」

痛みと涙にぼやけた視界の向こうで人影が笑う。
ぎちぎちと痛みに焼かれる脳の片隅で、けれどそこだけははっきりとクリアな思考が働いていた。

さっきからずっと感じていた違和感。
それが何なのか、この段になってようやく分かった。



――――なぜ自分は能力を使わない――――!?



誰、などと悠長に尋ねずとも相手の名前くらいなら『心理定規』を以ってすれば呼吸するよりも簡単に分かる。
なのに彼女はずっと、自身の持つ能力の使用という選択肢が完全に頭から離れていた。

だが、それが何故かというものに思考が至るよりも早く、声が聞こえた。

「ああ、せやせや。こんな答えはどないやろ?」

言葉と共に滲んだ視界に気味の悪い笑みが降り注ぎ。





「――――『鈴科百合子』――――どや?」





どこをどう聞いても、それは女性名だった。
だがドレスの少女の視界には長身の、見た目と声と、どう足掻いても男にしか取れない相手がいる。

「本当はこれ、アイツらへのヒントやったんやけどねぇ。
 それがどこをどう間違ったか結局風紀委員の子の方が先に掴んで、おまけにそれっきりやん?
 僕としては残念でしかたないんやけど、まあ仕込んだネタやし、キミは知らんやろけど結局どっかでばらさな面白くないやん。堪忍してーな」

視界にはべらべらと一人で喋り続ける朧気な人影。
輪郭も色彩も何もかもが滲んでしまって曖昧で、それがどんな顔をしているのか彼女には分からない。
ただ一つきっと確かなのは、それが嗤っているという事だけで。

「ねぇ、そろそろ気付いてもいい頃じゃない?」

声。

高い、少女の声だ。

「アンタが能力使えないのも、使おうとしないのも、ほら、分かるでしょ?」

それはすぐ近くから聞こえる。

「ま、結局アンタの『心理定規』じゃ相性悪いわよね。だって――――」

それは――頭上から降ってくる。



「――――私の『心理掌握』は完全にアンタの上位互換なんだから」





何か言葉を発するよりも先に、視界が暗くなった。

ごぎ、という嫌な音。痛みに叫んでから、顔面を踏みつけられたと理解した。

「もう一度、敗者復活ワンチャーンス」

ぎぢぎぢと摩り下ろされるような痛みが脳の中で炸裂する。
視界は真っ暗で、その上涙で闇すらぼやけてしまっている。

ぱちぱちと耳元で鳴っているのは拍手か幻聴か。

そんな中冷静に分析できる自分がいた。

「さて、ここで問題でーす」

声だけははっきりと。

脳に響くように聞こえた。





「私は誰でしょう?」





何故か思考はクリアだった。

ヒントは最初からあった。

消えたのは全部で五人。

探しているのは自分たち七人。

消えれない人物が消えていた。もう一人。

消えた少女に似ている少女たち。いっぱい。

消えた人物たち。

いなくなった、行方不明者。

でも、そんなのを数えるより前から、ずっと前から。

もう一人消えていた。

最初から知っていた。

なのにどうしてだか、誰もそれに触れなかっただけで。



そして何よりも視界が閉ざされる直前、

月明かりと街明かりに照らされた、



「――――、」



その金色は、









「――――――フレンダ――――!!」









「はい、よくできました」









視界に光が戻る。
眩しい。夜だというのに街の明かりは容赦なく目を焼いて、なのにそこは相変わらずの闇だった。

「ま、結局、私が『フレンダ』だろうが『心理掌握』だろうが『青髪ピアスの長身の少年』だろうが、どうだっていいのよ。マクガフィンみたいなものでさ」

そんな中、闇に浮かび上がるようにして見える金色。

髪だ。

覗き込んだ少女から零れ落ちる、金色の髪。

見覚えのある顔と、髪と、目。

もう一人の消えた少女がそこにいた。

「ええそう、私は『フレンダ』。でもそれは私を表す言葉であっても私の名前じゃないわ」

顔も、服も、髪の色も変わってしまったはずなのに相変わらずの笑顔で見下ろし、少女は続ける。

「フレンダ。フレンダ。フレ――ンダ――おっと、そんなところで切ったら勘違いされるわね。
 切る――ええ、結局、切るところが違うわ。フレ/ンダじゃないわよ。ましてフレン/ダでもフ/レンダでもないわ。
 日本語って不便よね。五十音でしか表現できないんだもの」



胸を踏みつける足は少女の矮躯のままに軽く、だというのにまったく動かせなかった。
それどころか手も、指一本すら動かせずにただ、はっ、はっ、と喘ぐような短い息をするしかなかった。

「いい? フレンダ、よ。フ、レェ、ン、ダァ。Frrrreeeeeennnn――d――a」

目も、耳も、思考もはっきりしている。
目の前の少女が、何と言っているのか、それは分かる。
ただそれがまったく感情を動かさず、意志が凍りついたようになっていた。

故に体はまったく動かない。

ただ彼女の声を聞くしかない。

「結局、日本語で表現しようって事自体が間違いなのよ。
 最初はエフよ、エフ。えふ、あー、あい、いー、えん、でぃ、えー。FRIENDA。
 切るのは最後。FRIEND、A。FRIEND/A。フレンダ――――フレンド/A」

彼女が何を言ってるのか、理解できない。

「ともだちその一。役名なし。エキストラ。結局、鈴科某はギャグよ。
 私はいてもいなくても変わらないような存在。ただの――賑やかし。それが私」

ねえ、と少女が尋ねる。

「結局アンタ――――『私』の名前、知ってる?」



その問いに彼女は答えられなかった。

涙はいつの間にか消え、視界ははっきりとしている。
思考は凪のように静かで、その言葉をしっかりと認識している。

けれどどうしても心が動かない。

「結局、答えられないわよね。そういう風になってんだもの。そういう設定なんだもの。
 理由なんて後付けで、結局、私なんて皆どうでもいいんだもの」

胸の圧迫感が消える。
少女の姿が視界から消える。

目の前には夜空。
雲間から見える黒に、星は見えない。

「結局、私なんてどうでもいいのよ。話にはあんまり関係ないんだもの。でもわざわざ出てきたのはさ」

ごづっ、と鈍い音。
頭が硬い爪先で蹴り飛ばされ、石床を打つ音。
痛い。痛い。けれど、心が動かない。

痛みに呻くが――だからどうした。

「結局アンタさ、私とキャラ被るのよ。ただそれだけ。ごめんね? 逆恨み」



しばらくの静寂はごうごうという風の音にかき消された。

どれくらい経ったのか、彼女には分からない。
長いような短いような時間が過ぎて、それからようやく溜め息が聞こえた。

「やっぱりアンタ、殺さない。だってほら、私がそんな事しちゃったら興醒めじゃない。結局、もう冷めちゃってるけどさ」

けらけらと笑う声。何が可笑しいのか、分からない。

「じゃーね、ばいばい。ご愁傷様。――――精々足掻けばいいわ。みっともなく、無様にね」

かつ、と靴底が石を叩く音。かつ、かつ、と続く。
それはゆっくりと遠ざかり、やがて消え。

廃ビルの屋上は冷たかった。
風に体温が奪われ、肌は冷え凍えていく。
けれど彼女はそれが意味するものも、その結果も明白なのに、分からない。

微かに、エレベーターの到着する甲高いベルの音が聞こえた。



――――――――――――――――――――



「――――――っ!!」

跳ね起きた。

体の節々は痛み、肋骨は軋み、頬は擦り傷に血が滲んでいる。
身に纏ったドレスは土と砂と乾燥した血液の粉末に汚れてまるで灰を被ったようだ。
けれど、さほど痛みは大きくない。寒さに奪われた体力の方が大きいくらいだ。

ついさっき起こった事が走馬灯のように頭を駆け巡る。

「――フレンダが生きてて、『敵』で――その上『心理掌握』ですって? …………冗談じゃない!」

きしきしと痛む体に鞭打って起こし、ゆっくりと彼女は立ち上がる。

「麦野は知ってたな……! アイツが『心理掌握』だって知ってたな……!! 生きてるだろうと分かってたな……!!
 なんでその事を言わなかった、協力するだなんてやっぱり建て前か……っ!!」



視線を走らせ、離れた場所に転がっていた携帯電話を見つけ、急いで拾い上げる。

「とにかく垣根に連絡を……!」

登録された数少ない相手から慣れた手つきで目的の人物の項を呼び出し、発信する。

はっ、はっ、と短く荒い息。
激しい倦怠感にも似た全身の痺れるような痛みを全力で無視し、彼女は携帯電話を耳に当てる。

「………………」

ごうごうと耳朶に響く風の音が煩い。
スピーカーに欹てる耳にも反響して、これでは相手の声が聞こえ辛いじゃ――――。

「………………」

気付く。

携帯電話は、いつまで経ってもあのぷるるるという呼び出し中を示す音を出さず。

「っ…………!」

耳に当てた小さな機械を引き剥がした。

彼女は携帯電話の小さなディスプレイを睨み付ける。
その上の端に小さく表示された二文字は。

「圏外…………っ!」



使い物にならない携帯を思わず投げ捨てようとして、すんでのところで思い止まる
ここが圏外なら、圏内に移動すればいい。

「とにかくどこか別の場所に……」

痛む足を引きずるようにして、精一杯の早足で彼女は崩れ落ちた扉の方へ歩く。
瓦礫のような口を抜け、狭い廊下を進み、エレベーターの前へ。
操作パネルの一つしかないボタンを押すと、うぃぃぃ――――ん、とモーターの駆動音が聞こえた。

「………………」

あまりに長く感じる待ち時間に彼女は苛立たしげに何度もボタンをかちかちと叩き、終いには握り拳で叩き付けた。

――――ちょっと待て、

ふと彼女は気付く。

学園都市。そう、ここは学園都市だ。
科学の中枢。能力者の吹き溜まり。『外』との技術力に何年もの差がある閉鎖された都市。

その学園都市で、科学の頂点である学園都市で。



――ありふれた携帯電話が圏外なんて事が、それも屋外で、あり得るか――?



「――――――!」

嫌な予感が、悪寒として全身を走った。

その直後。

チ――ン、

と、到着を知らせるベルの音が鳴り、エレベーターの両開きの鉄扉が僅かに揺れた。





金属の軋む音。扉が開く。

鉄の塊が左右に押し広げられるようにして分かれ、隙間が生まれる。
中からは白い無機質な蛍光灯の光。
暗く狭い廊下に差し込むように広がって。

「………………」

光に照らされた無人のエレベーターのボックス内が露になった。

ただそれだけなのにドレスの少女は安堵に胸を撫で下ろす。

もしかしたら、扉が開いた先にとんでもない怪物がいたら。
そんなホラー映画のような場面を想像してしまった。

昨日、絹旗が見ていた映画の影響だろうか。
ありきたりな量産された安っぽい台詞が、どんなものだったのかは忘れてしまったけれど嫌に印象的だった。

彼女は何かに怯えるように明かりの下に駆け込み、操作パネルの一階のボタンを押し、自動的に扉が閉まるのを待っていられず『閉』のボタンを連打した。

再び軋むような嫌な音。
やけにゆっくりとした速度で扉が閉まり、静かにボックスは動き出した。



上下前後左右、四方八方から絶え間なく感じる圧迫感。
エレベーターに乗っていてこうまで息苦しさと重圧を感じたのは初めてだ。

上から照らす真っ白な光もやけに気持ち悪い。
温度のない人工の光。感じるのは違和感と肌寒さだけだ。

密閉空間。

逃げ場のない密室。

そんな箱の中でドレスの少女は落ち着きなく視線を動かす。
呼吸も乱れ、足はかつかつと床を叩き続けていた。

早く、早く、早く。

もう何がどうなっているのか分からない。
思考する事すら放棄したかった。

ともかく垣根だ。
垣根に連絡して、合流して、それからだ。

現状で唯一頼れるのは垣根だけだ。
自分が暗部の人間である以上、警備員や風紀委員はあてにできない。
麦野を始めとする『アイテム』はもっての他。
同じ『スクール』でも砂皿は元々外様だ。何があるか分かったものではない。

だから垣根だけが頼りだった。

超能力者の一人にして最強と謳われた第一位を下した少年。
暗部組織『スクール』のリーダー。

彼ならばきっと、絶対、なんとかしてくれる。
そう信じていたし――信じずにはいられなかった。



思えば最初から気に入らなかった。

『アイテム』との共闘。

よりによって、共闘だ。
支配でも吸収でもなく、共闘。
『スクール』と『アイテム』。
同じ暗部の組織。地獄の雑用係。

考えればすぐに分かる事だ。
そんな存在が仲良く手を取り合ってなんて真似ができるはずがない。

騙し、盗み、賺し、裏切り、惑わし、謀り、陥れ、殺す。
それが日常なのに、そんな普通みたいな真似ができるはずがないのだ。

最初から間違っているのだ。

自分たちは――そういう風にできているのだから。

唯一の例外が垣根だ。

彼の、願いというには小さ過ぎ、野望と呼ぶには大き過ぎる想い。

ある者から見れば矮小で、ある者から見れば妄言に等しく、またある者が見れば憤慨するような、そんな想い。

ある日彼がこっそりと打ち明けてくれたそれは、この暗部にあるには余りにも理想過ぎた。

彼女はその想いに共感した訳ではない。
内緒話をするいつもは気障ったらしい少年の顔がどうにも年相応に見えてしまって。

そして彼女は――それを羨ましいと思った。

こっそりと隠し持っていた宝物とは名ばかりの小さなガラス玉を見せられたようなそんな感覚。
きらきらと眩しいのはそのガラス玉ではなく、それを持つ少年の瞳だった。

暗部に堕ちてなお闇に染まりきらず、威風堂々と立つのはその姿ではなく。

彼女は――――その少年のようになりたいと、そう思った。

いつかの日の自分のように笑う、その少年のように。



あるいはそれは恋だったのかもしれない。

彼は少年で、そして彼女は少女だった。

けれどそんな些細な事はどうでもよかった。
大事なのは彼は垣根帝督で、ただそれだけだった。

ある種彼女は崇拝者だ。

垣根帝督という偶像。
その前に頭を垂れる妄信者だ。





――――それはまるで彼女のような、





緩やかにエレベーターの速度が落ち、低くなっていくモーターの音と全身に掛かる小さな慣性に彼女ははっとした。

精神に干渉を受けた所為か、思考が上手く働いていないらしい。
酔ったような酩酊感。意識ははっきりしてるのに妙に頭がぼんやりしているという矛盾。

――とにかく早く垣根と合流して――。

携帯電話を握り締め、彼女は一歩踏み出そうとし。



――――――。

一瞬、それが何を示しているのか分からなかった。

キャンディの箱を開けてみればそこにクッキーが詰まっていたような、ある種の驚き。
想像していたものと違っていると認識した時の瞬間の思考停止。
それを今、彼女は得ていた。



――――――『4』。



数字だ。

そして光だ。

電飾で示された数字。
それは視界のやや上、エレベーターの操作パネルの上で静かに自己主張していて。

そこには『1』という数字が示されていなければならず。

そうでないという事と、そして今この状況。

意味するところはつまり。



ゆっくりと、彼女を気にもせず、自動的に扉は開く。

低いモーターの作動音と共に左右に。

早くも遅くもない速度で分厚い鉄の扉は開かれ。





影、

闇を背後に、

スカートとブレザー、

常盤台中学の制服、

顔、

見た事がある、

髪留め、

羽織った黒い上着、











「――――――にゃあ」










と少女が笑った。





「――――――!!」

叫び声を上げそうになりながらもドレスの少女はとっさに最も正解に近い動きをした。

全力で目の前の人影を蹴り飛ばし、エレベーターの操作パネルの『閉』ボタンを押す。

果たしてそれは意外にも――彼女自身意外だった――成功し、足が打つ明確な肉の感触が生まれ、
鈍い音と共に人影はあっけなく背後へ転がった。

ばん!! と掌をボタンに叩きつけるようにして押す。

小さく足元が揺れる感覚と左右から視界を遮ろうと伸びてくる鉄板。

その視界が徐々に、と表現するには速過ぎる速度で閉じ。

完全に埋め尽くす直前。



「――――――ちょっとぉ」



ぴたり。

扉の動きが止まった。

そして、一瞬の沈黙の後。

小さな揺れと共に再び扉が開き始めた。

「――――――!」

再び視界には闇が広がってゆく。
エレベーターのボックス内から漏れる光が、ゆらりと人影を照らす。

手は忙しなくがちがちとボタンを叩いているのに、扉は閉まってはくれない。
それどころか容赦なく扉は開いてゆき――――。



「――――せっかく待ってたのに乗せてくれないなんて、酷くない?」



ダメ押しするように扉の挟み込み防止装置を右手で叩き付けるようにして押さえた少女が、はっきりと姿を現した。





「――――まあ、誰でもちょっと驚いてやっちゃう事あるわよね」



スキップするような足取りでエレベーターのボックス内に足を踏み入れてきた。

そしてくるりとその場でターンするようにこちらに背を向け、右の指を伸ばす。



「――――でもどうせなら、仲良くして欲しいわね」



先はエレベーターの操作パネル。

『閉』。





「――――私、御坂美琴っていうんだけど――――あなたの名前、なぁに?」





ごとん、と扉が閉じた。









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