とある世界の残酷歌劇 > 第二幕 > 02


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浜面はこういう場面を見ていつも思う。

どうしてドラマや映画に出てくる病院は、静まり返っているのだろう。

椅子に座った浜面の前には無機的な白いシーツとベッド。
そこには麻酔で眠る絹旗がいた。

顔は安らかで、辺りの印象も相まって死んでいるようにすら見える。
彼女に掛けられたシーツの胸の辺りが呼吸に合わせて僅かに上下する事だけが生を証明しているように思えた。

絹旗は、麦野に指示され向かった先で、片腕を真っ赤に染めていた。
気絶する寸前で、けれど痛みによって気絶する事すら許されず、路地裏の業務用ダストボックスの影に隠れるように蹲っていた。

朦朧としたまま俯いていた絹旗が、視界に傍らに立った浜面の足が入ったのだろう、冷や汗で前髪がべっとりと額に張り付いた顔な表情を上げる。

そしてゆっくりと、絹旗の顔に表情が戻る。
最初は驚愕、そして一瞬笑顔とも泣き顔ともとれぬ表情を浮かべ、

……その時、とっさに隠そうとした右手を浜面は見た。

彼女の右手は、手首から先がぐずぐずに伸されていた。

その時自分がどんな顔をしたのか、浜面は分からない。
けれど絹旗は確かに、ばつの悪そうな顔を浜面に向け。

――すみません。超ドジっちゃいました。

掠れるような声でそう言って、絹旗は気絶した。

慌てて浜面はすぐさま彼女を担ぎ上げ――思ったよりも軽い体に少し驚きながら――何故か現場からは少し離れた、垣根の支持する病院に直行した。



手術はあっという間に終わった。

この上なく最悪な形で。

「………………」

絹旗は安らかな顔で、死んだように眠っている。

掛けられたシーツの胸の辺りが呼吸に合わせてゆっくりと上下する。

その傍ら、彼女の右手。
その形作る隆起が、僅かに足りない。

「………………困ったなぁ…………」

小さく、彼女を起こさぬように浜面は呟く。

「これじゃあさ……映画館で…………ポップコーン食べれねえよな…………」

意識せぬまま伸ばされた浜面の手が、握る相手がいない事に気付き、空を掻いた。



もう随分前のように思えるが、つい最近の事。
浜面が暗部組織『アイテム』に初めて関わった時だ。

まだ学園都市の表舞台から奈落に落ちて間もない浜面に寄越されたのはなんでもない簡単な仕事。
学生証を偽造しろ、と。そう言われた。

加工用に使う顔写真は小学生くらいにしか見えない少女だった。

まあ世の中には小学生くらいの外見の教師もいるとか何とか聞くし、どうにかなるだろうと言われるがままに作った。

そしてその偽造学生証を渡す日。初めて写真の少女と出会い。

そのまま映画館に連行された。

学生証だけだと押しが弱いから、年相応の外見の、見ようによっては大学生くらいに見えないこともない浜面を同伴する。
そんな取って付けたような理由だった。

暗部の仕事だからと緊張していた自分が馬鹿らしかった。
もっと大きな、どろどろとした闇の一端を垣間見る覚悟すらしていたのに、なんて事はなかった。
単に一人の少女の、趣味を全開にした職権乱用だったのだから。

その証拠に彼女は嬉々として、どこかそわそわとして、年相応の少女のような表情で。

だからだろうか。浜面は少しだけ安心した。
学園都市の闇。暗部。そんな中に身を置くような奴らでも、やっぱり人間なのだと。

もしかしたらこれは彼女なりの歓迎会だったのかもしれない。

そう思えば、浜面は少しだけ彼女の事が好きになれる気がして。
同時に、こんな暗部に堕ちるようなどうしようもない屑な奴でも少女の一人くらいは笑わせる事が出来るのだと。

そう思えたのだ。



その後引き合わされた『アイテム』の面々は、どれも個性的な少女たちだった。

我侭だし気紛れだし、簡単に無理難題を押し付けてくる。
その上浜面をペットか何かと勘違いしてるのか、よくおもちゃにしてくる。

けれど浜面はそれが嫌ではなかった。

相手と、規模と、そして境遇は変わってしまったけれど、それは浜面がかつて共にいた奴らとどこか同じだった。

自分のせいで彼らを失ってしまった。
だから今度はヘマをしないように。

道化でもなんでもいい。
どんなみっともない役を演じてでも彼女らを守ろう。

そう決めた。

だからだろうか、浜面は相変わらず彼女たちにいいように遊ばれて。
その内の一人はどうしてだか浜面を好きになってくれて。

そして一人を失い、その空席に浜面が座る事になる。

まったく涙が出る。



失いたくないと、そう思ったのに彼女は消えてしまった。

あの日何があったのか。
何がどうしてそうなったのか。

浜面は知らない――――知る事ができなかった。

浜面の立場では何があったのかすら分からない。
知りたいと、そう思っても無理だった。

だからその席に座ってでも浜面は『アイテム』に固着する必要があった。

下請け。雑用。彼女たちのおもちゃ。そして一人の少女の恋人。
そんな脇役では足りない。もっと大きい役名が必要だった。

だから浜面は例えそれが墓荒らしに等しい行為だとしても彼女のいた『アイテム』の一席を手に入れる必要があった。

この地獄に死者に手向ける花はなく、死ねば全てが消し去られる。

ならば死者の魂はどこへ往くのだろう。

科学に汚染された街で浜面は思う。
魂なんてものの存在は見えないし、誰かがその存在を証明したとも聞かないが。


                おもい
死者に手向けられるはずの花はどこに遣ればいいのだろう。



守りたいと、そう思ったのに叶わなかった少女の席に座り、浜面は思う。

けれどその答えは既に出ている。

もう三度目はない。

あるとすればそれは浜面の番だ。





だが、その結果がこのざまだった。

全てではないが絹旗は永遠に失う事になる。

今度は浜面から映画に誘おうと、そう思っていた。
二人きりで行くとむくれるので滝壺も誘って。
麦野が仲間外れにすんなよとか言いながら誘ってもないのに付いてくるのだ。
それから――――。

「………………」

二度と、あの日のように浜面の作った学生証をその右手で受け取る事はない。

映画館で横から浜面の持っているポップコーンを奪う事もない。

伸ばされた浜面の手は彼女の手を握れない。

……きっと彼女は、彼女たちは、それは浜面の所為ではないと言うだろう。
慰めではなく、事実がそうだから。

それは間違ってない。けれど浜面はどうしてもそれを認める事はできない。

何かもっと冴えたやり方があったんじゃないのかと。

皆が皆揃って笑えるハッピーエンドへ至る道があったんじゃないのかと。

けれど欺瞞でしかない。

現にこうして失っているじゃないか。
失われた少女の席に座り、失われた少女の右手を見ながら浜面は自嘲する。

過去は覆らない。
覆水盆に返らず。割れた卵はどうしようもない。

どうしようもないのだけれど、そうならずに済んだ世界もあったんじゃないか。
つい、そんな事を夢想してしまう。

けれど目を開けば、現実は確かにそこにいて。

「…………絹旗」

聞こえているはずもないが、浜面は彼女に呼びかけ。

そして続く言葉を見失い、口を噤んだ。



その時。

――――こんこん、

と、ドアをノックする音が聞こえた。

浜面は思わずそちらに目を遣る。
病室の扉。横に引く、レールのついたものだ。
覗き窓はなく、その向こうに誰が立っているのかは分からない。

「……、……」

一瞬、垣根かとも思う。
彼は絹旗の手術中にどこかへ消えてしまい、そのまま戻ってきていない。

けれど即座にそれを否定する。

垣根ならきっとドアをノックするような真似はせず。

そのまま部屋の外で立ち惚ける事もない。

医師や看護士でもない。
彼らは相手の事など気にせず病室に入ってくるだろうし、まして麻酔で眠っている絹旗に気を使うはずもない。

だから浜面は、分厚いフェイクレザーのジャケットの懐に手を入れ、

――――敵、と。そう認識して重い金属の塊を握り締めた。



浜面のジャケットの内には拳銃が吊るされている。

目立たぬよう横幅を最大限まで削り取った暗器としての銃。

ホルスターに収められたそれは他のものよりも圧倒的に軽いが、確かに殺人機械としての重さを持っている。
その重さを自覚しながら、浜面は銃把を握り、引き金に指を掛ける。

かちり、と安全装置を外す小さな音。

その硬質な響きに、浜面にこの銃を渡した人物の言葉が頭を過ぎる。

――――人を殺すのには慣れなくていい。

彼女はどうしてだか悲しそうな笑顔を浮かべて浜面に言ったのだ。

――――ただ、人を殺すっていう重さには慣れておきなさい。そうでなければ、いざって時に引き金を引けないから。

彼女は常にその重さを身に纏っているのだろう。
超能力者としてのラベルを貼られ、暗部組織のリーダーとして振る舞い、そしてその力を存分に行使する。

だから躊躇いなく人を殺せるのだろう。
ただそこに、彼女の想いは確かにあるのだろうが。

守りたいのだろう、と、そう問われた。

ああ、と、そう答えた。

そして今、この部屋に浜面以外に絹旗を守れる者はいない。
だから浜面がやるしかなかった。
浜面以外にそれができる人物はなく、そして浜面自身もそれを誰かに託すつもりはなかった。

見返りもなく自分を愛してくれた滝壺を守りたかった。

あの日地獄の入り口で笑顔を向けてくれた絹旗を守りたかった。

こんな人を殺すためだけのオモイカタマリを託してくれた麦野を守りたかった。

そして、

「――――誰だ」

扉の向こうに誰何する。

そして矢張り、しん――――と、無音の静寂が帰ってくる。

答えはない。

案の定だと浜面は自嘲的な笑みを浮かべ、扉に付けられた金属性のパイプのような取っ手に手を掛け。

――――ばん! と、一息に扉を開き、同時に銃口をその先へ向けた。

「…………、」

だがそこに相手はいない。
すぐ目の前には無人の病院の廊下が横たわり、蛍光灯が冷たい光を落としていた。

誰か――子供か何かのいたずらか。そうも思うが、瞬時に否定する。
この状況で何を言っている。絹旗は右手を失い、そして自分の目の前では御坂の形をした少女が自ら首を撥ねた。

そんな悪夢のような状況で、ただの子供のいたずらであるはずがない。

こっ、とどこか遠くで音がした。

「…………」

そろそろと扉の影から顔を出し、廊下の先を覗く。
そこは無人で、蛍光灯の光が静かに照らしていたが。

その先、階段へ向かう角をスカートを履いた影が曲がるのが微かに見えた気がした。



「…………誘ってやがんのか」

小さく吐き捨て、舌打ちする。

絹旗の能力を破り、彼女の右手を奪った相手ならば。

夕方垣根が交戦した、あの少年の姿を借りた相手ならば。

けれど手には武器。引き金を引くだけで人は殺せる。
立ち回り次第でどうにかできると、そう自分に言い聞かせ。

背後を振り返ればベッドに眠る絹旗。
無防備な、年相応の幼い体と顔の少女。

彼女の能力、窒素装甲は自動的にその身を守るとは聞いたが――眠っている間にもそれが通用するのか。
例えそうだったとしても、現に彼女の右手は失われ、それはその目に見えぬ鎧が無意味である事を証明していた。

浜面は動けない。

誘いに乗って、もし彼らが眠っている絹旗のところに来たら。

だが浜面がここにいたとして彼女を守れるか。

一体どちらの選択が正しいのか。浜面は天秤の微妙な傾きを判断しようと思考しようとして。

サァァァ――――、と。小さな音がしているのに気付いた。

それは天井、目立たぬように取り付けられた院内放送用のスピーカーから出るあのスイッチが入っている時の独特の掠れるような音で。





『――――ぴん♪ ぽん♪ ぱん♪ ぽーん♪



       お呼び出し申し上げます



       『アイテム』からお越しの浜面仕上様 『アイテム』からお越しの浜面仕上様



       お客様がお見えです 至急 屋上までお越し下さい










       と ミサカは業務連絡致します』





「………………」

選択肢は失われた。
絹旗は要するに人質で、ここで浜面が行かなければそれは。

「……どうしても来いって言うのかよ」

浜面の名を知っている以上、浜面が無能力者だという事は分かっているだろう。

なのに名指しするのだからきっと彼らが用があるのは自分だけだ。

確証はないが、確信した。

そうでなければ直接この場を叩けばいい。
わざわざ無能力者の少年一人を呼び出して、絹旗と離す必要はないのだから。

浜面は廊下へ一歩踏み出し。

「――――」

足を止め、振り返った。

視線の先にはベッドで眠り続ける少女。
その安らかな横顔が見えた。

「……ちょっと行ってくるぜ。大丈夫だ、すぐ戻る」

答えがないのは分かっているが、少しだけそれを待って。

「だから絹旗、安心してそこで寝てろ」

呟き、浜面は部屋を出る。

それから目を瞑り、はぁ、と肺に溜まった空気を吐き出し、

薄っぺらで、それでも確かな重さを持つ銃を握り締める。
まるで自分みたいだと思いながら、浜面は己の心に殺意を込める。
がちり、と撃鉄を起こし、目を開いた。

「ああ――――残らずぶち殺してやる」

ゆっくりと扉が閉まり、もう浜面は振り返らなかった。







――――――――――――――――――――







少し時間は遡る。

相変わらず風の強く吹くビルの屋上。そこに一人の少女がいた。

場にそぐわないドレス姿の少女。『心理定規』と、保持する能力名で呼ばれる少女だ。
彼女は一人、夕方絹旗と海原が交戦し、そして砂皿が狙撃した先の廃ビルの屋上に来ていた。

夕日は落ち、刻々次第に黒くなりゆく天上の輝きは地上の光にかき消され見えない。
街は相変わらず喧騒に包まれているが、激しいビル風がごうごうとうねり、それを覆い隠している。
辺りの夜景は星の海のように煌びやかで、けれど彼女の立つ場所だけは取り残されたように闇を落としていた。

そんな中、夜景から漏れ照らす僅かな光を頼りに彼女は屋上を見回す。

麦野から絹旗と何者かによる戦闘が行われた事を受けた彼女はすぐさまその戦場跡に赴いた。
惨劇の場に残る者はなく、問う相手も殺す相手もいない事を承知の上で彼女はこの場に訪れた。

残る者はなくとも、残された物ならある。

そう、ここには砂皿の銃弾を受けばらまかれた少女の死体がある。
物を語ることはない死体だが、彼女の能力によって何か調べられないかと、そう思ったのだ。



――――『心理定規』。

そう呼ばれる彼女の能力はその名の通り相手の心を『推し量る』ものだ。

感情の大きさ、想念の質量、執念の距離。
そんなものを測量し、明らかにする力。

死体に意志はなく、残留思念と呼ばれるオカルティックな物の存在を彼女は信じてはいない。
が、脳細胞が多少なりとも生きているなら、もしかしたら計測できるかもしれない。

そもそも彼女はその力が脳に働きかけるものなのかすら知らない。
相手の肉体の小さな動きや表情の変化、視線の移ろい。そんなものから推量しているのかもしれない。

だが彼女にとってそんな事はどうでもよかった。
自分がどんな能力を持ち、それをどのように行使すればいいのか。それさえ分かっていれば十全だ。

人の放つ感情。そして矛先。
思いがどこからどこへ向けられたものか。ベクトルの向かう先には必ず相手がいる。

相手のいない思いの場合は拡散してしまって分からないが、誰か特定の人物に対し何らかの感情を持っているならば、
その大きさと、そして相手を彼女は理解する事ができる。

死体は御坂美琴の姿をした、人造の少女だと垣根は言っていた。

ここで、絹旗は海原光貴と――本物の、『念動力』の異能を持つ大能力者の少年だ――と、御坂美琴の姿をした少女と交戦した。

垣根と浜面は別の場所で、上条当麻の姿をした『海原光貴』――エツァリと名乗った『グループ』の構成員だった少年だ――と、御坂美琴の姿をした少女と交戦した。

御坂美琴。
上条当麻。
海原光貴。
そして彼らが言及したという、結標淡希。

行方不明者のうちこれだけが雁首を揃えているのだ。関連性がないほうがおかしい。
だから、ここで死んだ少女は必ず彼らに対して何らかの感情を持っていたはずだ。

その内容や大きさから彼らが何を思って、何を目的として動いているのか。それが推理できないかと彼女は思ったのだ。

だから死体が処分され場が清掃される前に慌てて下部組織の連中を止めてやってきた。



彼らの手にかかれば死体や血痕はおろか、ありとあらゆる戦闘の痕跡すらも消されてしまう。
そこで誰かが死んだ事を完膚なきまでに駆逐してしまうのだ。
さすがにそんな事をされては『心理定規』も使えない。

そして彼女は一人、惨劇の場に立つ。

屋上、辺りを見回し、彼女は呆然とした。

「…………どうなってんの、これ」

誰もいない屋上で彼女は思わず呟いた。

確かにここで誰かが死んだのだろう。
辺りを染める夥しい血痕がそれを如実に物語っている。

バケツをひっくり返したような、人体のどこにそれだけの量が内包されているのかと思うほどの赤。
これだけの血液を撒き散らして生きていられる人間がいるはずがない。

だが、死体はどこにもない。
それどころか肉の一片、髪の一房すら残されてはいなかった。



放射状に広がっている血は高速の弾丸を受けたからだろう。一方向に向かって飛び散っている。
歪んだ錐状に広がる趣味の悪い絵画の根元、そこだけ紙にペン先を押し付け続けたように広がる円の部分は死体があった場所だろう。

それに歩み寄り、ドレスが汚れるのも気にせず彼女は膝を付いた。

携帯電話のカメラ用のライトを点灯させ、ほとんど乾いてしまった血の跡を照らす。
何もかもが真っ赤に染まったそこには、僅かな砂と砕けたタイルの欠片があるだけで、人体の痕跡はその塗料だけだった。

――――いや、

彼女は気付く。

人肉の欠片もそこにはない。
だが、微かに違和感があった。

多分血に染まってしまっていたから気付けた、些細な変化。

「……、……」

彼女は少しだけ躊躇って。
染み一つない真っ白な右手を広げ、べたりと床に押し付けた。

手にはひんやりとした石の温度と、乾いた血痕のあのざらざらとした気持ち悪い肌触り。
掌から伝わる感触に顔を顰めながら彼女は真っ赤なそこを撫で摩った。

触覚が集中する掌。
五指が感じるその僅かな変化に彼女は確信する。

そこだけ、彼女の手元だけが、タイルがほんの少し隆起していた。



「これってもしかして――――」

彼女は小さく呟く。

恐らく自分の考えは正解だ。
確かにこれは可能だし、ありうるだろう。

現にあの行方不明者のリストの中には。

そう、思わせ振りな文句でその所在を有耶無耶にされた結標淡希とは別にもう一人、





「――――あら。気付いてしまいました?」





「………………!」

自分のものではない声に少女は驚き振り返る。

夕刻、戦闘の折に絹旗が破壊した内部と外部を隔てる鉄扉。
それがあったはずの場所にぽっかりと口を広げる暗闇の、その上に。



「こんばんは――――いい夜ですわね」



見覚えのある制服を着た少女が一人、二つに括った髪を夜風に靡かせながら静かに腰掛けていた。

「白井――黒子――――!」





名を呼ばれ、白井は僅かに微笑を返し風に嬲られる髪を右手で押さえた。

「ああ、夜風が気持ちいいですわね。……月が出ていないのと少々寒すぎるのが玉に瑕ですけれど。それもまた風流というもので」

「ガキに風流なんて解せるの? それに、この場を前にして言えるなんて相当イカれてるわ」

自分から視線を逸らし風上を見上げる白井に彼女は思わず返答して、失態に近い自分の行為に顔を顰めた。
そんな事はどうでもいい。今は国語の授業でも、恋人と語らう時間でもない。

「これ、アンタの仕業ね」

立ち上がり、ドレスの裾に付いた砂埃を払いながら彼女は問いに近い確認を取る。

タイルの隆起。それは下から上へ突き上げられたものだ。

つまり――タイルの下から何かがそこを押し上げているのだ。
何が押し上げているかは彼女の想像に難くなかった。
                    、 、 、 、、 、 、 、 、 、 、 、
「アンタ――――死体をここに、床と天井の間に埋めたわね」

彼女の言葉に、白井は視線を戻し、にっこりと柔らかく微笑んで頷いた。

「ええ、そうですとも。わたくしがやりましたの。……それがどうかしました? それとも、いい子いい子って褒めてくださる?」



その白井の表情と言葉に、彼女は吐き気を催す。

正気の沙汰ではない。暗部に身を置く彼女ですら、そう感じた。

死体の処理を、狙撃ライフルの一撃を直に受けてバラバラに飛び散った肉片を一つ残らず消し去って。

白井は顔色を変えるどころか笑ってすらいる。

死体を弄繰り回すのが楽しくて仕方ないという頭の犯しな連中の哄笑ではない。
彼女のそれは童女の笑みだ。
綺麗におもちゃの片付けができたと親に自慢する子供の笑顔だ。

心が壊れてしまっている訳ではない。
あまりの地獄を見て心を壊乱してしまった者は山ほど見ている。

けれど白井は正しく間違い狂っていた。
それは、根本からそういう風に出来てしまっている、紛う事ない狂人の微笑だった。

数日前まで上等な、極々普通の学校に通っていた中学一年生の少女。
何がそうまで白井を変えてしまったのか。彼女には理解できなかったし、したくもなかった。

「アンタ、やっぱりイカれてるわ」

嫌悪感を隠そうともせず、彼女は吐き捨てるように言った。

「コイツを平然と――その笑顔でやってのけるなんて、やっぱりアンタ狂ってる」



「……平然と、ですって?」

彼女の言葉に白井は僅かに顔を歪ませる。

「平然と、そんな事、できるはずもないでしょうに」

ひく、と白井の口の端が痙攣した。

「わたくしが、わたくしの敬愛してやまないお姉様の、その似姿を、その死体を、平然と処理できるはずもないでしょう?」

ひく、ひく、と頬を引き攣らせながら白井はゆっくりと、噛み締めるように言い。

「ええ、そんなはずありませんの。だってそれ、お姉様の形をしているんですのよ」

次第に、言葉は早く、そして口の端と頬の痙攣も加速する。

「だってどうしてわたくしが、お姉様の姿を模した、肉人形に、その残骸にああ汚らわしい、考えただけでも、思い返しただけでも吐き気がしますの、その最低最悪な肉人形を処分するのにわたくしがどうしたか分かってて言ってますの、ええ確かにわたくしの空間移動能力でアレを始末いたしましたけれどそのためにわたくしは一つ一つこの手でアレに触れなければなりませんのよああ汚らしい汚らわしいどうしてそんな事を思い出させますの醜悪な肉の欠片を一つ残らずわたくしは膝を付いてこの手指で触れて残らずこの廃屋に打ち込んでその時のわたくしの苦痛といったらあなた分かってて言ってるんでしょうねそうですわよね『心理定規』さんあなた心を操るんですわよね心の距離を操作するんですわよねでしたら分かってらっしゃいますよねわたくしがお姉様をどれだけ信仰してやまないかをどれだけお姉様を敬愛しているかをそれを分かってて言ってるんでしょうねそうでなくては困りますわわたくしのお姉様への想いがどれだけ重要か分かっててそれでわたくしを精神的に苛んでらっしゃるんですわよねわたくしのお姉様への愛を試してるんですのねええそうですともわたくしお姉様のためならなんだってしてのけますの大切な友人だって綺麗さっぱり切り捨ててみせますし今までの人生たった十三年かそこらですけれど全て投げ打ってどんな汚れ仕事でもしてみせますわ全てお姉様のために捧げますわそれがわたくし白井黒子であるが故にお姉様のためならなんだってやってのけますわ――――!!」



吠えるようにそう言い放って、白井は血走った目を閉じ、肩で息をする小さな体を両手で抱き締めて、それからゆっくりと冷たい夜気を肺に吸い込み。

「――――ご理解いただけまして?」

にっこりと、微笑むのだった。

「――――やっぱりアンタ、狂ってる」

「褒め言葉として受け取っておきますの」

彼女の掠れるような声に白井は頷いた。

「わたくし、確かにお姉様に狂っております故」

そして、白井は少し驚いたような顔を見せる。

「……あら。あなた、どうしましたの?」

視線は僅かに彼女を逸れ、下へ向く。
白井はつい、と手を差し出し、彼女を指差す。

「お寒いんですの? そんな服を着ているからかしら。震えてますわよ」



見れば。

「――――――」

指先が、手が、腕が、震えていた。

言われてようやく寒さを思い出した。
しかしその震えは寒さによるものではない。

どうしようもなく怖かった。

白井が、ではない。

所詮、白井は物理干渉系の能力者。
精神感応系能力者である彼女には絶対的優位があった。

本人がそう明言している御坂美琴。

白井の心の領域の大部分を占めているであろう少女の距離と同等の心理距離を設定すれば、
彼女を傷付ける事はおろか命ずれば迷わず足元に平伏し靴にキスするだろう。

だが。

その為には白井の心を覗き見る必要がある。
白井にとって御坂美琴がどんな存在なのか知る必要がある。

つまりそれは――その深淵に等しい心の闇を覗き込む事に他ならない。

その深淵に潜む白井の精神が形作る魔物がどうしようもなく恐ろしかった。



「心配しなくても取って食いやしませんの」

風に流れる髪を手で浚い、白井はそれを弄びながら独り言のように呟く。

「結局、わたくしは雑用に過ぎませんの。犬と呼んでくれて構いませんのよ? 褒め言葉ですから」

くるくると指で髪を巻き、手元に視線を落としながら白井は続ける。

「わたくしの仕事はただの掃除ですわ。だって、舞台にゴミが散らばっていては興醒めでしょう?」

ねえ、と顔を僅かに上げ、上目遣いに、高みから見下ろし白井は彼女に視線を向ける。

「何を――言ってるの――?」

白井の言葉が理解できず、彼女は震える声でそう問いかける。
そんな彼女に白井は、おかしな事を聞くといった調子で答える。

「何って、ハレの舞台の演出ですわよ。わたくしはあくまで引き立て役。道化に過ぎませんの。……だからと言って手を抜くつもりは毛頭ありませんけれど」

そう白井は嘯き、またにっこりと、童女のような怖気を誘う笑みを彼女に向ける。

「それでは舞台は整いましたので、前座はこれにて。精々観客を楽しませてくださいまし? 折角の綺麗なお顔とおべべなんですから」

とっ、と白井は両の手で腰掛けたコンクリートを後ろへ押すように、体を前へ投げ出しその場を飛び降り。
屋上に着地する寸前、その姿は空気に溶けるように掻き消えた。



「………………」

彼女には白井が何を言っているのか分からなかった。

けれどただ一つ理解できたのは。

――――ここにいてはいけない。

理性ではなく、直感で認識した。

白井の言う通りに、彼女の存在が前座でしかないのならば。
今から現れるのは白井なんか比べようもないほどのとんでもない怪物だ。

能力だとか、そんな簡単なものでは済ませられない。
どうしようもない狂気の塊がやってくる。

――――逃げなければ。

だが、彼女はその場から動けない。

足はがくがくと激しく震え、立っているのですらやっとだった。

あるいは既に悟ってしまっていたのかもしれない。
逃げても無理だ。どこをどう足掻こうと太刀打ちできない存在がこの世にはある。
そしてそのどうしようもないものが今目の前に現れようとしている。



――――かつ、

堅い、けれど軽い靴音が聞こえた。

彼女はその音を聞いてなお、その場を一歩も動けず、歩む事も退く事もできぬまま、ただ呆然と立ち尽くすしかできない。

――――かつ、

それは眼前、白井が先ほどまで座っていた場所のすぐ真下。
遮る扉を失いぽっかりと口を広げた闇の奥から聞こえてくる。

――――かつ、

肌を刺す風は斬りつけるように冷たく、体は既に凍え切っていた。
だが触覚も痛覚も麻痺してしまっているのか、不思議と寒さは感じない。
ただ、両足は相変わらずがくがくと震え、今にも崩れそうで。

――――かつ、

闇の向こうにぼんやりと見える人影。
暗すぎて表情はおろか服すら見えず、それが余計に彼女の恐怖を加速させる。

――――かつん、

大きく響く音に、思わず彼女は、ひく、と喉を鳴らした。

足音は大きくなり、影は緩やかに近付いてくる。

――――かつん、

あと数歩。

――――かつん、

彼女は何もできずただ震えるだけで。



――――かつん、


            、 、
そして、影が闇からぬうと這い出て。

薄気味悪い笑顔を彼女に向けた。







「あかん、あかんてお嬢ちゃん。そんな怖い顔しとったら愛しの彼も振り向いてくれへんで?
 しかし僕もまだまだやね。ドレス少女ってジャンルもいかにもじゃねーの。まだまだ修行が足りひんわー」





「………………誰?」

場違いなひょうきんな声色と文句に、思わず彼女は呆気に取られてぽかんとした表情を浮かべた。









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