とある世界の残酷歌劇 > 第一幕 > 6


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まったく、人使いが荒い。

砂皿は諦めながらも、小さく、微かに溜め息を吐いた。

場所は高層マンションの一室。
だが周囲に砂皿以外の人影はない。

がらんとした空間。だが砂皿には丁度好かった。

開放された、室内とベランダとを繋ぐ大きく切り取られた空間。
そこから外を吹く強風が部屋へと流れ込んできた。

ばさばさと柔らかいクリーム色のカーテンが翻り背後で耳障りな音を立てる。
が、砂皿にその音は届かない。砂皿にはもはや除き見る小さな穴以上に重要なものはなかった。


     メイルイーター
――――鋼鉄破り。



そう呼ばれる、二メートルに近い長大な銃を手に、砂皿はその上部に取り付けられたスコープを覗き込んでいる。

既にベランダへと通じるガラス戸は砂皿の手によって取り外されている。
地上から遥か高い空を吹く風を肌に感じるが、砂皿はまるで一本の朽ち倒れた老木がごとく微動だにしない。
柔らかい毛の絨毯に腹這いになりながら、砂皿は肩から上をベランダに突き出すような格好で長銃を構えていた。



目の前にはベランダと、そして空とを隔てる、胸辺りまでの高さを持つ壁。
しかしそこに刻まれた装飾の孔穴を銃眼として、砂皿は抱き縋るように狙撃銃を構える。

標的までは八百メートル弱。

いつもの狙撃よりも距離は近い、と認識する。
時として一キロを超える彼我の距離に弾丸を通じさせなければならないような場合がある。

失敗はできない。
自分のような暗殺を生業とする狙撃兵は一発の重さを十分に知っている。

僅か四十グラムそこそこの銃弾は本来対戦車用に作られたものだ。
それを、例えば人体に向ければどうなるか。
子供でも分かる。考えさせたいとは思わないが。

故に失敗は許されない。
目標以外にこの弾丸は命中してはいけないのだ。

……もっとも、銃弾は目標に命中したとして、貫通しそのまま飛翔を続け背後の壁へ至るだろうが、そこは学園都市の建築技術に頼る事にする。
何事も妥協は肝心だ。



銃口と、砂皿の視線の先は灰色のビルの屋上。
先程メールで示された地点。

メールの送信者は絹旗最愛。
本文はなく、そこにはGPSの位置情報だけが添付されていた。

意味は考えずとも分かった。要するにそこを弾けというのだ。

目標地点の屋上には人影が三つ。

なるほど、どれを撃てばいいのかは一目瞭然だった。

砂皿が狙撃位置に移動し、現場を把握しようと双眼鏡で覗き込んだちょうどその時。
背の低いオレンジ色のパーカーを纏った少女が、絹旗最愛がスーツ姿の少年、海原光貴に向かって殴りかかるところだった。

双眼鏡を目から離し、何をすればいいのか理解した砂皿は無言のままに準備を始めた。

まずガラス戸を外し狙撃体制を取るためのスペースを確保するところから始め、二脚を据えスコープを覗いた時には屋上は先程の様子とは全く異なっていた。

何やら屋上はクレーターだらけになっていた。

「………………」

屋上の様子は砂皿のするべき事とは関係がない。

僅かに銃を動かし、目標の位置を掴む。

そこから周囲を吹く風の計算などを瞬時にやってのけ、銃口を微調整し、息を止め、心臓よ止まれと念じ、

――――設定は単発。数は一発で十二分だ。

狭い視界の中で絹旗が一人で吹っ飛び。

そして、砂皿はトリガーを絞る。



タァ――――――ン――――…………、



火薬が炸裂し、人を砕くための音が響いた。





轟音と共に射出された12.7x99mm弾は灰色の雲に覆われた空の下、空間をマッハ二・七で疾走した。

ビル風が強く吹く。
重く、けれど大きい五〇口径ライフル弾はその影響をことさらに受け、その身を微かに流す。

僅か数ミリ。それは決定的な間違いとなりかねない。
距離は八百メートルに近い。ほんの爪先ほどの誤差であっても着弾点は大きく変わる。

しかし、そのビルとビルとに描かれた渓谷は、人工的に計算された風を作る。
なれば狙撃手がそれを含めて全て計算できぬ道理もなく、砂皿もまたその通りだった。

故に激しい風に揉まれながらも、それを悉く助けとして弾丸は駆け抜ける。

眼下に休日の人混みと、日常の談笑を見下ろし。
その上を、純粋な殺意そのものでしかない金属の塊は下界に委細構わず音を切り裂いた。

まるで風に舞うようにその身を虚空に躍らせ、



そして、全くの無感情を以って目標に食らいつき、戦果として真っ赤な花を宙に咲かせた。







――――――――――――――――――――







光。

微かに、瞬いた。

小さな、ほんの小さな光は、この世に存在する何者よりも速く自己を主張する。

「――――――」

その小さな灯が何を意味するのか、理解するよりも速く。
動けと念じた。

制限時間は〇・八五七秒と少し。
しかし既に〇・三二八秒が過ぎている。
それだけあれば十分だった。

幸いにして大きく位置を変える必要はない。
ほんの少しだけ腕を跳ね上げるだけでいい。

そうして、過たずに真っ直ぐ飛び込んできたそれを。

抱き締めるように、己が意識の延長線であるものを伸ばし。



――――――成功。



そうして、大気を切り裂き衝撃波を撒き散らしながら飛来した銃弾は磁界に囚われた。





しかし既に何もかもが手遅れで、だからこそ上手く行く。
先端から後方へ、内角二十一度。
音速の壁を貫いた事を示す衝撃波が発生する。

自然界に存在するには圧倒的過ぎる暴力を背後に現しながら、それ以上の破壊力を持つ殺意の塊は磁場に抱かれ。
差し伸べられた右薬指の付け根から体内に飛び込んだ。

瞬間、五指が吹き飛ぶ。
しかしそれには全く感情を向けることもなく弾丸は容赦なく進入する。

だが、だからこそ。
威力を食われ速度が低下する。

電磁誘導で強引にブレーキをかけながら、しかしそれを振り切らんと弾丸は進み続ける。
肉を削り、骨を砕き、血管を引き千切りながら。

もはやそれは肉体の様をしていなかった。
たおやかに差し伸べられたはずの腕はばらりと広がり、風に巻かれまるでビニールテープのように断裂する。

痛覚を感じるには少々早かった。それが救いとなる。
機械的に、拡大した自らの肉を支点として力を行使する。

――――おいで。

不自然に弾丸の先端が動く。
鋭く尖り円錐の様子をしたそこは、見えない糸に引かれるかのように首を上げた。
それによって新たな抵抗が発生する。側面を流れる血脂を弾きながら、弾丸は抵抗を少なくしようと機械的に動く。

――――おいで。

方向が変わる。
水平よりも下へ向けられた射角は、ほんの少しだけ上へ向かう。

――――おいで。

それを切欠として、音を伴うには速過ぎる高速と共に突き進む弾丸は、なお上を目指す。
手招くのは目には見えない糸。しかしその存在を弾丸は誰よりも確かに感じる。

――――おいで。

そして弾丸は。

彼女に手を引かれるように。

――――おいで。

天に向かって飛翔した。





その目で追えるはずのない行方を横目で見送り、彼女は。



――――まだ、



来るはずの痛みはいつまで経っても現れず。
視界は意志を伴わぬまま、ぐるりと天を向く。

灰色の空。
鈍く光るビル群。



――――まだ、やるべき事が残って――、



その先端に屹立する、三枚の羽。

その翼は一瞬きらりと光を照り返し、網膜を灼く。



――――ああ――、――。



その光を仰ぎ見るようにして、彼女はその場にべしゃりと崩れ落ちた。







――――――――――――――――――――







ばしゃりと、ペンキを叩きつけられたような感触。
それにより世界は赤く染まった。

鼻は風と、そして一秒前まで存在しなかった別の臭いを捕らえる。

「――――――」

べっとりと肌に感じる粘液質のそれを、理解できなかった。
何かは知っている。知っているけれど、それがそうだと認識する事を脳が拒否した。

――いや、本当に拒否していたのは。

そのぬめりとした嫌な感触の中に確かに存在する、僅かに弾力を持った、破片。

「――――――」

指が勝手に動き、頬を擦る。
にちゃり、と糸を引くような気持ちの悪い感触と、手指の腹に感じるぶよぶよとした質感を持つ小さな塊は。

「――――――」

首が、ゆっくりと捻られる。

――――見るな。

意志とは無関係に、けれど何か見えない糸に引かれるように、首はゆっくりと回転を続ける。

――――見るな。

視界の内に広がる真っ赤な世界が、じわじわとその範囲を広げ。
廃ビルの屋上に描かれた真っ赤な花は視界を埋めるように咲き誇り。

――――見るな。

その中に確かに彼女の残滓を発見して。

――――見るな――!





海原のすぐそばで体を大きく二つに割られた少女が大量の血液とその肉の破片を周囲に赤々とばら撒き散らばっていた。






真っ赤な、真っ赤な、真っ赤な、

花が咲いていた。

いや、花ではない。
これは花弁だ。歪な楕円を描き、放射状に広がっている。

その付け根の辺りで、少女が一人分、散らばっていた。

周囲に飛び散り点々と赤を広げるそれらは、彼女の失われた部分だろう。

彼女からは右腕がごっそりと欠落していた。
いや、中途半端に胴につながったままの肉の帯がびろびろと伸び赤い液体の中に浮かんでいた。
僅かに三本。
本、という単位が通用する程度の質量で、彼女の右腕があるべき場所は形成されていた。

右肩から胸にかけてはばっくりと口を広げ、生々しい肉色の間から芽を覗かせるように見えるのは肋骨の断面だろうか。
それは本来あるべき場所まで届いておらず、その先にあったのであろう部分はきっと周囲の景色に混ざっているのだろう。

そして、開いた口。
脊椎と肋骨が辛うじてその形を止めた背に当たる部分からは中身が丸ごと吹き飛び、くりぬかれたメロンを髣髴とさせる。
ええと、あれだ。ホテルなんかで出る洒落たフルーツの盛り合わせに使われてる果物の皮でできた容器。
それをひっくり返して中身を全部ぶちまけたような、そんなイメージ。

人の、胸のところがごっそりと削り取られていた。

しかしその腰から下は比較的まともに形を止めていて、
がらんどうな胸部から覗く赤に塗れながらも新鮮な桜色を見せる臓物は寒空の下湯気を立てていた。

そして、首。
頚椎の周りにだけ肉が残り、棒のように細くなったその先。

顔が、残っていた。

けれど、どうしてだか一回り小さい。

その残された面影を見て、ようやく気付く。



口。

下あごがないのだ。





そうして、人体をスプーンで少しずつ削っていったらこうなるのではないかという物体になった、少女だったものが。
海原のすぐ傍でばっくりと咲いていた。

「――――――――――」

足元に、魚の開きのように。
厚さを失い、平らになった少女が。

光を失った眼球は天を向き、しかし何も写してはいない。

「――――――――――」

ごうごうとなっていたはずの風はいつのまにか消えていた。

きらり、きらりとプロペラが光を反射する。

「――――――――――」

いや、風は吹いている。
その証拠に、風力発電機の羽は回り続けている。

風の音が聞こえないだけだ。

「――――――――――」

耳元で。
鳴り続ける音。

嗚呼、それは、



「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!」



自分の声だ。





「――――――――――!」

空気が震える。

「――――――――――!」

風の音は海原の喉の発する振動によってかき消され。

「――――――――――!」

真っ赤に染まった世界を塗り潰そうとするかのように。

「――――――――――!」

せめて彼女と同じく。

「――――――――――!」

喉よ割れよと言わんばかりに。

咆哮は、しかし吹き荒ぶ風によって、それ以上の世界を埋める事はなかった。







風が啼く。

――――――――――、

震える空気。

――――――――――、

その中に。

――――――――――、

ノイズが混じる。

――――――――――ざ、

砂が流れるような音。

――――――――――ざざ、

それは屋上、崩れかけたエレベーターへと続く扉のあった場所にぶら下がるように残された。

――――――――――ざざざ、ざ、

社内放送用だったのであろう年代物のスピーカー。



『ざざざざざざざざ、ざ――――』



そして雑音が不意に途切れ、しかし稼動を示す小さな震えを残し。

確かな音が生まれる。



『――――――――――演算終了』







声が、止んだ。

『――――狙撃手は道路に面した辺を十二時として二時四十八分方向』

震える喉はからからに渇き、しかし裂けてはいない。

『――――距離、七八八』

四肢の感覚はなく、しかし確かに地に足は付いている。

『――――上方、一度二十八分』

目は、水面を見上げるようにぼやけているが、光を受けている。

屹立する影。

見えるのは、きっと建物だろう。

『――――十八階です』

腕よ届けと。

振り下ろした。



「――――――――――――――――――――!!」



その刹那、海原の腕が伸ばされた方向にそびえていたマンションがぐしゃりと達磨落としのように三階分ほどまとめて崩壊し粉塵を撒きながら上の階が落下した



ずず…………ん…………、

地響きに足元が揺れ、けれどそんな事はどうでもよかった。

ゆらり、振り向けば、そこに少女の姿はない。
ただ錆の浮いた鉄柵が飴細工のように引き千切られ虚空へと枝を伸ばし、ちょうど人一人が通れるほどの隙間を空けていた。

「――――――」

一瞥して、海原は足元へ視線を投げる。

そこには相変わらず、少女だったものが死肉を撒き散らしていた。

「――――――、ああ」

もはや熱を失い続けるだけと成り果てた少女の傍らに海原は跪く。

「――――――じぶんとしたことが。すみません」

震える声で語りかける。

「――――――まだ、おなまえをうかがっていませんでしたね」

その小さな言葉に、返される答えはなく。

「――――――すみません。――――ありがとう、みさかさん」

虚ろとなった身体に、彼は脱いだスーツの上着をかけた。

寒風に身を晒す少女が、風邪を引かぬように。



響いていたはずの慟哭は吹き抜ける風に灰色の空に巻き上げられ、その行方は誰も知らない。









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