【禁書】ボーイ・ミーツ・トンデモ発射場ガール【本編再構成】【上条×婚后】3


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いくつものビルを飛び越えるうちに、インデックスがぐったりしてきた。
ヴァーチャルリアリティなりあれやこれやで、学園都市の人間は非常識に慣れているほうだ。
インデックスも魔術的な意味では非常識に慣れているだろうが、
さすがに人に任せて生身で飛翔するという行為は気疲れするらしかった。

「平気か?」
「もうそういう次元じゃないんだよ……」

インデックスは当麻の胸に顔をうずめたまま、もごもごとそう呟いた。
隣の光子の顔を一瞬気遣うが、まったく意に介していなかった。
それもそのはず。光子はそれを気にする余裕がないほど、疲弊していた。

「光子、そろそろ」
「大丈夫です。まだ、いけますから」
「……ん、分かった」

そっと、というには若干重たいどしんという音と共に腰から地面に落ちる。
地面というのは勿論どこかの屋上だ。さっきはビアホールの片隅に下りて悲鳴を上げられた。
だんだん、着地の瞬間が荒くなっている気がする。
光子にとって長距離を飛ばすことと落とす場所をコントロールすることは大した苦痛ではない。
ただ、壊れないようにそっと物を「降ろす」には細心の注意が必要で、
それが光子の集中力をガリガリと削っていた。
その光子に何もしてやれない苛立ちが当麻の中で募る。
右手はポケットに入れっぱなしだ。空中でうっかりインデックスの背中にでも触れようものなら、
その瞬間から垂直落下が始まるのだ。洒落にならない。

「……ごめんなさい当麻さん。これが多分、最後になりますわ。
 これ以上はもう当麻さんたちをちゃんとコントロールできなくなりそう」
「ここまで来りゃかなり引き離しただろ。このまま行けば逃げ切れるはずだ」
「ありがとね、みつこ」

ニコリ、と光子はくたびれた顔で微笑んで、インデックスの背中に触れる。
人間二人を持ち上げるだけの力が、その背中に加わる。
またインデックスの表情が苦しげになった。この瞬間は呼吸が止まるからだ。
人間の体は瞬間的な力には弱いが、ゆっくり掛けていけばかなりの応力に耐える。
この発射の瞬間も、光子の精神力を削る作業の一つだった。

「――――ぷは」
「うし、これで終わりだな? 外すぞ」
「ん……」
「終わり、ですわね」

最後のビルに飛び移ってすぐ。光子が浅い息をつく。
当麻はインデックスから離れて、光子を抱きしめに行った。
顎を伝う汗を指で拭ってやる。

「あ……ごめんなさい」
「いいって。お疲れ、光子」
「こんなの、大したとはありませんわ」

つんと澄まして強がる光子がつい可愛くて、頬と髪を撫でる。
ただ急いだほうがいいのは分かっているから、名残惜しくても慰撫するのはそれで終わりにした。

「とりあえず降りるか」
「ええ」

上条たちがいるのは4階で終わりのビルだ。
狙っていたわけではないが、階段なりエレベータなりを駆け下りるのに楽なビルだった。
 

下に降りると、幸いに大通りにタクシーがいくつも走っていた。
一番先に呼び止められたのが、幸運にも無人タクシーだった。
乗ったのが誰なのか、誰か一人の学生証の提示が必要だが、余計な受け答えはせずに済む。

「お待ちになって。私が先に乗りますから」
「え? ああ」

光子を先に乗せて、奥から光子、当麻、インデックスの順に後部座席に乗り込んだ。
当麻の身分証をかざして行き先を告げると、タクシーは静かに走り出した。
緊張をほぐすのに、数秒がかかる。

「なんとか、乗れたな」
「ええ……。当麻さん!」

ぎゅっと、突然光子に抱きつかれる。
反対側のインデックスも当麻の腕を抱いて、もたれかかってきた。

「ど、どうした二人とも」
「良かった。二人をちゃんと怪我させずに、運べましたわ」
「ありがとな、光子」
「嬉しい。こんなにも自分の能力が誰かのためになったことなんて、ありませんでしたの。
 自慢には思ってきましたけど。でも、やっぱり大切な人のためになるときが、一番嬉しい」
「みつこ、ありがとね」
「ふふ。礼には及びませんわ」

当麻の胸の辺りで、二人が見詰め合ってそっと微笑んだ。
当麻はそれで心が随分と癒されるのを感じた。
一人じゃないというのは、すごいことだと思う。
どんなに疲弊していても好きな子のためだから頑張れるし、
その子が微笑んでくれば、疲れさえ吹き飛んでしまうものなのだ。
それは、絶対に一人では起こることのないサイクルだった。

「どれくらいかかるの?」
「えっと、どれくらいで着きますか?」

誰もいない運転席に向かって問いかける。スピーカーが抑揚のない声で『あと20分程度です』と返事をした。
あと20分は、タクシーに任せて心と体を休めることが出来る。
その言葉に上条はほっとした。
上条自身は、出来ることのなど知れていると分かっていても、気を緩める気はなかった。
自分を頼って、安心してくれている二人がいるだけで、充分だった。
……同時に、良くないことだと知りつつ、光子の言ったその言葉に、嫉妬を覚える。

役に立っていないとまでは行かないが、上条当麻がこれまでずっと付き合ってきた、右手に宿る『幻想殺し』は、
さっきは光子の邪魔になる存在だったし、刀を振るうことを主体にしたあの長髪の女に対してはまるで無力だった。
別にヒーローになりたいって訳じゃ、ないけどな。

両手がふさがれているから、頬でインデックスの髪に触れる。
さすがに寝てしまうつもりはないのだろうが、かなりリラックスできているらしかった。
それを見て思いなおす。自惚れじゃなく、今二人の女の子が心の拠り代にしてくれているのは自分なのだ。
元から折れるつもりなどないが、それでも、自分が心折れてしまえば、きっと二人も崩れていくだろう。

「光子。好きだよ」
「……はい。ふふ」
「とうま。私にも何か言ってくれてもいいと思うんだけど」
「あー。好きだぞ? お前のことも」
「別に良いけどなんかみつこより言い方がぞんざいなんだよ」
「きっと照れ隠しですわよ。大丈夫。みんなが笑える未来を、手繰り寄せましょう」
「ん。そだね」

再び光子とインデックスが微笑み会う。
三人は、じっと絡まりあって、20分の猶予を過ごした。

 

お金を支払って、タクシーを降りる。
動き出したときには夕暮れ時だったのが、今はもう、夕焼けが遠い空に僅かに残るだけだった。
二三学区そのものはセキュリティの塊なので、車で入ろうとすると厄介だ。
だから降りた場所は、二三学区の近くの住宅街。
正規の入り口からはそれなりに離れた場所だった。

「なぁ、これ、乗り越えて大丈夫なのか?」
「ええ。そもそもこの広い学区の全域に監視の目を光らせるのはかなりコストがかかりますから。
 重要な施設の周りにだけ、重点的に監視網が敷かれていますの」

固体表面における気体分子の物性物理が専門の光子は、
航空産業の中心地である二三学区とはそれなりに関係が深く、内情をよく知っているようだった。
常盤台中学きっての空力使い、その面目躍如といったところだろう。

「だから、このフェンスなんていい加減でしょう? 本命の滑走路の近くにはもう一重に険しい障壁が有りますわ」

がしゃ、と光子が金網のフェンスに手をかけた。
イタズラをする子供への対策なのか金網の壁に返しがあって、上手く越えないといけない。
とはいえおざなりなものなので、越えられないようなことはない。

「じゃあ、これを登ればいいんだね?」
「そうですわ。あの、当麻さん。絶対にこちらを見ないでくださいね?」
「え? ……ああ、うん。わかった」
「こっちも駄目なんだよ?」

光子の貼り付けたような微笑に戸惑いを覚える。インデックスも光子の言わんとすることを理解していた。
登るときにも降りるときにも、光子の短いスカートは非常にきわどい光景を提供してしまうのだった。
インデックスは長いローブだから見えにくくはあるが、一度見えると胸元まで全部行ってしまう作りだ。
本音は極力出さないように努めながら、当麻は気にしていない風を装った。

ガシャガシャと音を言わせて揺れる金網に精一杯気を使いながら、
暗い学区の境のフェンスをよじ登る。
住宅の並ぶ手前とは対照的に、これから行く先はだだっぴろい場所だ。
アスファルトは打ち付けてあるが、ひび割れから草は生えているし、殺風景な印象しかない。

「あの遠くに、機首が見えますでしょう? あれに、忍び込むのが目的です」

三人でフェンスを越えて、フェンス際のライトから遠ざかる。
もう一般人には見つかることのない場所だった。これから見つかるとしたら、学園都市の治安部隊だ。
そしてそれはインデックスと光子の社会的死を意味する。上条は失うものに乏しいのだった。

「見つかれば勿論終わりですわ。あそこに近づいてからは、絶対に私の言うことを守ってくださいね」
「わかった」
「うん」
「それまではどうせ見つかる理由もありませんし、さっさと向かいましょう」

そして、三人は歩き出した。
学園都市の掟を破った、その第一歩目はなんてことがなかった。
見つかる心配の低い場所で、緊張感がなかったせいとも言えるだろう。
万が一に備えることは難しいことだが、一番体力のある自分がしっかりしなければと、当麻は言い聞かせた。

何歩目か、両手で足りる程度だろう。歩き始めてすぐの、すぐその時。
――――上条は左足のふくらはぎの辺りに、すっと何かが走る感触を覚えた。紙で指を切ったときに近かった。

「え? あ……あ、ぐ」
「とうま?」

隣にいたインデックスが当麻の声に不審がるより先に、当麻は足で自重を支えられずに、地面に倒れこんだ。

「不意打ちで恐縮ですが、これ以上先へ行かれると困りますので」

先ほどから、何度も聞いた声だった。姿はほとんど見えないが、誰なのかは聞くまでもない。
その追跡者の体の近くで、糸状の何かが、きらりと瞬いた。
神裂火織と名乗る、魔術師だった。
 

「当麻さん!」
「いぎ、が……」

熱い。左足がひたすらに熱い。ジリジリと当麻の理性は苛まれて、声は自制と関係無しに漏れていく。
急速にズボンが濡れていく感触がする。なぜ濡れているのか、当麻は察していた。

「心配には及びません。この程度なら死に至るまでには相当な時間がかかりますから、
 今すぐその子を開放していただければ、後遺症もなく完治しますよ」
「人を……切っておいて言うことはそれなの?」
「……ええ、それが何か」

神裂の反応は鈍かった。冷ややかというには切れの悪い答え。
それでもインデックスの心の中に憎しみの炎を灯すには充分だった。
光子は一瞬周りのことを忘れたように当麻さん、当麻さん、と声をかける。

「だい、じょうぶだ。インデックス。いいから光子と先に行け!」
「とうま。それは出来ないよ」
「俺と光子の目的が何か、忘れるなよ。いいからお前は早く逃げ切れ」

当麻は膝を立てて、腰を上げようとした。だが左足に全く力が入らなくて、再び崩れ落ちる。
光子が支えるように体に腕を回す。
当麻にじっとしていろとか、そういうことを言わなかった。
それはつまり、当麻が神裂の足止めをするという途方もない無茶を、呑んでいるということだ。
立っているのがやっとに近いが、上条はなんとか、神裂とインデックスたちの間に置かれた障害物になった。

「インデックス。走りますわよ」
「でも」
「でもじゃねえよ。良いからさっさと行け」
「……彼我の脚力差をよく考えてください。この遮蔽物のない場所でどうやって逃げ切るつもりです?」
「なんとでもして見せますわよ」
「やれやれ。神裂は優しいね。好きなだけ鬼ごっこに興じれば良いさ。
 その間に、僕はこの男を殺すよ。嫌なら逃げないことだね」

カチンと、ジッポを開く音がする。一瞬だけ長髪の赤毛が暗闇に瞬いた。
長い吐息は、紫煙を吐き出しているのだろう。煙草の小さな明かりがゆらゆらと揺れていた。

「とうまをこれ以上、絶対に傷つけさせないんだよ」
「馬鹿、違うだろ」
「違ってない。とうまの命と引き換えで助かるなんて、死んでも嫌」

当麻と神裂の距離は、およそ5メートル。
インデックスはその間に、立ちふさがった。

「逃げずに立ち向かう勇気を、賞賛する気にはなれませんね」
「別に、敵に褒めてもらう趣味はないんだよ。そっちの人はルーン使いの十字教徒みたいだけど、あなたも?」
「ええ。……あまり詮索をされても困ります」
「もう充分だよ。貴女がもう主の御名も無原罪の懐胎をした御母の名前も忘れちゃった人たちなのは、分かってるから」
「な――」
「ずいぶんと、あっちこっちの宗教を習合しちゃってるね。そっちのルーン使いより分かりやすいよ。貴女がカクレだって」

 

カクレキリシタン。
長崎の沖に点在する小さな島々にのみ生きながらえた、異質の十字教徒。
教えの記された聖書を失い、マリアという象徴を観音像に秘め隠し、
祝詞(のりと)の中にオラショを偲ばせ、彼らはかろうじて信仰を守ってきた。
長い年月を経ていつしか正しい教えは失われ、形式上のみ受けいれたはずの仏教と習合し、
もはや、彼らの自覚以外には、十字教徒であることを示すものが何一つない人々。

「なぜ」
「そっちの人が十字教徒なら、貴女もそうでしょ?
 なのに十字の一つも着けてないし、逆にケガレを忌避するアクセサリを着けてる。
 それだけ分かればあとは予想は簡単なんだよ。貴女がカクレだってことは。
 どこの宗派か知らないけど、西洋の教えとコンタクトを取ったのなら、正しい教えに帰依したら?」

取り合ってはならない。
世界を殺す毒の詰め合わせ、禁書目録が囁く『魔滅の声<シェオールフィア>』はもう紡がれ始めているのだ。
唇の形すら見てはいけない。
それだけで、神裂という一人の信徒の信仰がガラガラと崩壊するかもしれない。

体に繰り返し繰り返し刻み付けた、その挙動だけで刀の柄に手をかける。
鞘から刃は引き抜かない。ホルスターに手をかけて、ぱちんと鞘ごと外す。
刃渡り2メートルに及ぶ七天七刀は、鋭くなくとも長物として充分に役目を果たすのだ。

狙うはインデックスの鳩尾。話すのが困難になる程度に横隔膜を突いてやれば問題ないのだから。
視界から外したつもりで、インデックスの唇がどこかにちらついている。
いつもより切っ先がぶれてしまって戸惑う。もう、『魔滅の声』にやられてしまったのか。
――――違う。それより前に、自分はあの子を傷つけたのだ。
どんなことをしてでも救いたいと願った女の子をその刀で傷つけて、さらにもう一度振るおうとしている。
ちゃんと鞘に刃を仕舞ってあるくせに、ためらいが消えてくれなかった。
それでも充分素早く、神裂は突きを繰り出した。そのはずだった。

バシン、という音と共に鳩尾に目掛けて突いたはずの切っ先がぶれた。
婚后という名の少女が、闇雲に振り回した手に当たった結果だった。
再び神裂は腕を引いて、インデックスに突きの狙いを定める。

「無駄ですわよ」
「な?!」

バヒュッと音がして軌道が逸れた。もう初対面ではない。それで何が起こったのかは理解した。
神裂の手元から離れるように、七天七刀が荒れ狂う。
さして自慢でもない怪力で柄を握り締めていると、やがて鞘だけが遠くに飛んでいった。
神裂は歯噛みした。傷つけずにインデックスの意識を奪う術が、またひとつ失われた。

「超能力ですか」
「ええ」

インデックスが、神裂にだけ分かる言葉を呟き続ける。
意味は光子にも理解できるが、光子には何の意味もない言葉だった。
神裂が一瞬、呆然となった。
その隙を逃さず光子は、神裂の懐に攻め入った。
 

「やめておくんだね」
「くっ! かは……」

ステイルが横から割り込んで、光子の通ろうとした場所に拳を置いた。
光のないところに『魔女狩りの王』を顕現させるのを嫌った苦肉の策だった。
能力で加速していた光子は、腹部にその拳をまともに受ける。
肺からずべて、息が出て行きそうになった。

「光子!」
「あ、ふ……」

根がお嬢様なのだ。そんな他愛もない一撃で、光子はうずくまるように崩れ落ちた。
インデックスが心配げに一瞥して、しかし言葉を乱さずに、神裂にだけ効く毒を吐き続けた。

「だ、大丈夫です。当麻さん」
「まあカウンターで静まれちゃってもね」
「……馬鹿な魔術師さん」
「なに?」
「私に触れておいて平気な顔ですの?」
「何?」

別に光子は、手で触れたものにしか術を使えないわけではない。
手で触ることは能力発動のトリガーとして優秀だが、お腹で何かに触ったって別に能力発動そのものは可能なのだ。
光子は数秒でステイルの腕に分子を集めていた。
分子の運動速度は、人よりずっと早い。
そもそも空気中で音を媒介するのが分子運動なのだから、音速以上の速さを持っていることは自然と分かることだ。
ステイルの腕にはそろそろ重みを感じられるレベルの分子が集積している。
ステイルに、光子は容赦をする必要を感じなかった。だから、人には決して用いたことのない制御を講じた。

多くの空力使いは空気を連続な塊とみなす。あるいは極稀な能力者が空気を粒の集合体とみなす。
それは神ならぬ人の身では、分子一粒一粒を見つめて制御することなど、到底あたわぬからだ。
だが、光子はそれらのどちらとも違っていた。婚后光子が制御するのは、分子集団の『可能性』。
一つ一つの分子がどう動くか、などという厳密なコントロールはしない。
分子から、好きなように動く、という可能性を奪う。ある一つの場所、固体の表面に留まってしまうように。
そうすれば分子は自然と集積されていく。そして溜めた気体を解放するときにも光子は可能性を束縛する。
ランダムな方向へ飛ぶはずの分子から可能性を奪い、99.99%の分子が同じ方向、個体平面に垂直な方向へと動くように仕向ける。
空気の集積とコントロールしつつの開放、それが光子の能力だった。
分子一つ一つを制御せず、状態の出現確率を収束し、可能性を限定する。その可能性の名は、エントロピー。
空力使いといえば流体力学の専門家、という常識に全くなじめない、異色の能力者だった。

ステイルがいぶかしんだ直後。
音速を優に超える、秒速500メートルで風がステイルの腕から噴出した。
悲鳴を上げる暇すらない。
ビシリという手の甲にヒビが入る音がステイルの耳に伝わるより先に、
その手がステイルの胸元に向かって体当たりならぬ腕当たりをぶちかました。
ガホ、という肺がつぶれる音と共にステイルはごろごろと転がって、暗闇の奥に横たわった。

「……残るは貴女ですわね」
 

優雅に髪を払って光子は神裂のいた場所へそう宣告する。
ステイルのそれは確かに油断だったし、光子のこれも、油断だった。
互いを読み切れない超能力者と魔術師のすれ違いだと、言えなくもないだろうか。

とすりと、傍にいるインデックスの胸元で軽い音がした。
気づけばそこには、長い神裂の髪が舞っていた。

「あ――――」

あっけない音と共にインデックスが気を失う。
呼吸を奪って脳髄に的確な一撃。それでインデックスは堕ちたらしかった。

「インデックス!!」
「チ。邪魔です」

当麻が自由の利かない体でインデックスをそのまま奪っていこうとする神裂に抱きついた。
それを振り払う隙に、光子が神裂の体に手を伸ばす。神裂はその手から必死で逃げる。
幸い、インデックスを奪われることはなかった。当麻が精一杯インデックスを庇いながら倒れこんだ。

再び、神裂が二人から距離を取った。
あちらもこちらも、一人ずつがリタイヤ。だがそれは決して痛み分けではない。
当麻はもう走れない。インデックスを背負って神裂から逃げ切り、
さらには学園都市のセキュリティまでかいくぐるというのは、あまりに無理がある話だった。

「……もう、いいではないですか」
「ああ?」
「どうして、そこまでその子に肩入れするのですか」
「つらい目にあってる女の子を助けるのに、あれこれ理屈をつけないと、動いちゃ駄目なのか?」

馬鹿馬鹿しい。

「俺はてめーがわかんねえよ。どこの誰に命令されたのか知らないが、
 こんな女の子を酷い目にあわせるのに、どうしてここまでやれるんだ。
 アンタは、人をいたぶって楽しむような趣味には見えない」

インデックスを横たえて、ずるずると当麻は立ち上がる。
神裂に隙はない。体勢や周囲の状況への気配りだけではなく、意思にも揺らぎを見出せなかった。
ただ、灰色に意思を塗りつぶしたような表情に、すこしだけ物言いたげな色がついた。

「……事情はあるのですが。貴方に説明する必要がありませんね。そこをどいてください」

す、と剥き身の七天七刀を神裂は当麻に突きつけた。
インデックスの前に膝を着いた当麻は、その切っ先が真っ直ぐ上条の額を狙っていても視線をゆるがせなかった。
これまでの疲労のせいか表情に精彩を欠いた光子が、当麻の少し後ろでじっと様子を見ている。
何度か牽制の視線が神裂から飛んできている。
不用意に動けば、当麻に危害が及ぶことが予想できて、自分から動けなかった。

「どいたら、どうする気だ?」
「以前も言った気はしますが、あなた方をどうこうする気はありませんよ。その子を連れて帰る気です」
「――――ハッ。連れて帰る、ね。インデックスは俺達の仲間だ。勝手なことをされちゃ困る」
ズルズルと、当麻はインデックスから離れ、神裂に迫る。
左足の痛みが引いている。それはむしろ危険なことで、普段の当麻ならきっと不安を感じたことだろう。
後のことなんて、考えにも浮かばなかった。
神裂火織まで、ちょうど2メートル。これ以上進めば、突きつけられた切っ先が頬辺りに刺さることになる。
す、とその刃を退けようと腕で触れようとしたところで。

ガキィィィン、という音がして地面が急に目の前に迫ってきた。

「当麻さん!」
「ごっ、あ……」

光子は退けられた当麻の代わりにインデックスとの間に割り込もうとして、
ギン、と神裂に強い視線で睨まれて、足がすくんだ。
一瞬遅れて、どうしようもなく自分を恥じる。
ここで自分が守らねばインデックスが悪い魔術師の手に堕ちると分かっているのに、足が前に出ない。

「彼を痛めつけていることについて苦情を受け付ける暇はなさそうです。
 ですが貴女とはまだ話が通じそうですね。貴女の感じているものは人として当然の感情です」

それは遠まわしに馬鹿にされているのと同じだった。
婚后家の直系として、常盤台中学の学生として、あるいは上条当麻の隣を歩く人として。
正義が為されぬことから目をそむけてはならないと教えられているのだ。
これを不正義と言わずして何が不正義か。見栄とは、こういうときにも張るから許されるのではないか。

「ごめん遊ばせ。私もこの人と、志を同じくする人間ですわ」
「……くだらない面倒を、掛けさせないで下さい」

光子に触れると危険なことを神裂は理解している。
だから、光子に近く出来ないくらいのスピードで刀を振るって、こめかみを峰打ちした。
もう一度、先ほどと同じ鈍い金属音が響く。
悲鳴もなく、光子は崩れ落ちた。

「……最悪ですね」

皮膚が切れたのだろう。たった今峰打ちで倒した少女の頬にじわじわと血が伝うのが見えた。
少年の左足にはもっと酷い傷を負わせた。どちらの二人も、敵でなかったなら、好感を抱けるいい人たちだった。
インデックスを大切に守ろうとしてくれる、いい人たちだった。それを、こんなにも手ひどく傷つけた。

「本当に、最低の行いですね」
「そう、思うなら、なんで、やめねーんだよ」
「――――」

神裂が動くより前に足首をつかまれた。意識を飛ばすつもりでこめかみを打ち抜いたはずの、少年の手だった。

「魔術師ってのは相当えげつない連中だってインデックスは言ってたけど、アンタ、まともじゃないか。
 そっちのヤツはどうか知らないが、アンタはちゃんと人の痛みを分かってる。なのに、なんで」
 

負けられない、と当麻は思った。
常識も良識も持ち合わせたこの女が、一体何に心折れたのか知らないが、
自分は折れてなるものか、引いてなるものか。
全く言うことを効いてくれない体をよそに、目線だけは神裂よりも強い意志に輝かせて、神裂を睨みつける。
神裂は無意識に、ほんの少しだけ重心を後ろに引いた。それは当麻には気づけないような極小さな変化でありながら、
神裂の意思を押し返したという、大きな意味を持っていた。

「なんで。アンタはこうまでしてコイツを地獄に陥れようとするんだ!」
「……違う! 私はそんなことしてない!」

足をつかんだ腕を、神裂は蹴って振り払う。乱暴なそれは上条を軽く吹き飛ばした。

「私やステイルがどんな気持ちであの子を追っていると思っているのですか!」
「知ら、ねえよ。事情も話さずに切りつけてきたのはそっちだろうが」
「それは……っ!」
「いつの間にか『アレ』が『あの子』に変わってるよな。
 アンタらがインデックスの敵なら、なんで、そんな呼び方するんだろうな」

当麻は、少し前から感づいていた。
インデックスの知識が必要なだけの人間にしては、気遣いが丁寧すぎる。
観念したように、神裂はボロボロの当麻から視線を逸らして言った。

「私達の所属は、『必要悪の教会<ネセサリウス>』といいます」
「それ、インデックスの」

その名は確かにインデックスの口から聞いた。敵対する魔術結社の名前などではなかった。

「ご存知のようですね。そうです、これはあの子の所属する場所の名前でもあります。
 あの子は、私とステイルの同僚にして――――大切な親友、なんですよ」
「……じゃあなんで、インデックスはお前達をどこかの魔術結社の悪い魔術師だなんて言ったんだ」
「あの子のこの一年を振り返れば、妥当な予測だろうね」

いつの間にか、遠い暗がりでステイルが起き上がっていた。
立つ気がないのか立てないのかは知らないが、足を伸ばして座っている。
とはいえ座っているから戦えないとは限らないのが魔術師だ。立っていても戦えない当麻とは違う。
脱臼でもしたのか、不自然に右腕をだらりと揺らしたまま、ステイルは左手で器用に煙草に火をつけた。

「あの子の記憶を消してから一年、ずっと僕らは追いかけてきたわけだし、ね」
「記憶を、消した?」

一年前から、記憶がないと確かにインデックスはそう言っていた。それからずっと追われているとも。

「ええ。この子がそれまで持っていた記憶を、私達と一緒にいたという事実を、
 この子の頭から消し去りました。私が、この手で確かに」
「なんで、そんなことを」
「まあ、話す義理があるわけでもないけど。その子は一年に一度、記憶をリセットしないと死んでしまうんだよ」

ぷかりと、ステイルが煙草の煙を宙に浮かべる。
追い詰めた側の余裕なのだろう。神裂は少し離れたところに飛んだ七天七刀の鞘を回収しに行った。

「死ぬってなんだよ」
「完全記憶能力、というのがこの子に備わった特殊な才能でね」
「それで10万3000冊、だっけ、訳のわからねーことが書かれた本をあれこれ覚えてるんだろ」
「ああ。そこまで知っているのなら話は早い。この子は、もうこれ以上何も覚えられないんだよ」
「え?」
「あんまりにも沢山のことを覚えすぎて、もう頭の中は一杯。人生、今は70年くらいかな。
 70年分もくだらないことを覚え続けられるほど、この子の頭に容量はないんだ。
 だから何かを捨てていかないといけない。魔導書を捨てられないなら、過去を捨てていくしかないよね」
「だから、私は、あの子の記憶を一年ごとにリセットするんです。楽しい思いでも、つらい思いでも、何でも」

再び五体満足な神裂がインデックスを取り巻く当麻たちの前に戻ってきた。
それは、確かに絶望的なサインだったはずだ。
だが当麻は意に介さなかった。もっと、問いたださねばならないことがあった。

「親友だって言ったよなお前。自分の親友からそんなにも大事なものを奪って、
 お前、それで平気でいられるのかよ! 何とかしようとか、そうは思えないのかよ!」
「思いましたよ! この子を助けられるのならと情報を集めましたよ!
 でも、これしかないんです。この子から記憶を奪っていくしか、方法がないんですよ。
 この子の中に『溶けて』しまった魔導書は、自分という書物が消えないために、
 ありとあらゆるプロテクトをかけてしまっているんです。
 この子から自分の記憶以外のものを奪おうとすれば、
 10万3000冊の魔道書を読んだ天才が必要になるんです」

それは自家撞着な結論だった。インデックスを救うには最低限、もう一人の『禁書目録』が必要になる。
神裂は説明が済んだとばかりに、一歩を踏み出す。

「話はもう終わりです。分かっていただけたでしょう。この子を、返してください」

足元のインデックスにチラリと目線をやる。
気がつくと、光子がインデックスに覆いかぶさるようにしていた。
焦点の合わないぼやけた目で、神裂を見つめている。

「どうして。この一年。インデックスの傍にいてあげませんでしたの」

光子がそれだけ言った。なじる様な一言だった。
後ろめたそうな感情が神裂の表情によぎった。
 

「何も、本当に覚えていないんですよ。この子は。
 どれほど忘れがたい思い出を作ったつもりでいても、写真を渡してもアルバムを渡しても、
 一年たてば、もう絶対に思い出せないんです。申し訳なさそうに、ゴメンとしか言わないんです」
「だから何だよ。また、思い出を作り直せば良いじゃねーか。
 一年で全てを忘れるんだとしてもそのたびにイチからでもやり直せばいいじゃねーか。
 それすらせずに何で一年も逃げ回るだけの生活なんてさせてんだよ!
 全部テメェらの都合じゃねえか! テメェらが勝手に見限って――」

「――うるっせぇんだよ、ド素人が!!」

当麻の言葉は鞘に入れた七天七刀の横殴りで遮られた。
インデックスから1メートル以上はなれた所に倒れこんで、その体に雨を降らせるように神裂が鞘を何度も突きたてた。

「私達がどんな気持ちで、あの子を追いかけているのか。あなたなんかに分かるんですか!?
 何度でもやり直せばいい? あの子との別れを経験したこともないあなたにそんなことを言う資格なんてない!!
 どんな思い出を作っても、あの子はもう二度とそれを思い出せないんです。
 記憶をリセットする度に、あの子は何度も何度も、幸せを失うんです。
 一年後にそれが来るのを分かっているあの子に、それでも毎年幸せを与え続けろというんですか?
 ……私には、もう耐えられないんですよ。あの子の痛々しい笑顔を見ることが」

肋骨が、いくつか酷いことになっている気がする。まともに息が吸えなくて酷く苦しい。
だがもっと苦しいことは、他にある。

「なんで、俺と光子はこんなに殴られてるんだろうな?」
「おいおい、今更命乞いかい?」

神裂が怒りに身を任せている間、ステイルはずっと煙草を吸い続けていた。
足で踏んで火を消すこともしないで、先端がまだチリチリと燃えた吸殻がいくつも足元に転がっている。
ステイルにの気負いのない風を装った態度の奥にはくすぶった思いがあることを、それが告げていた。
突然その吸殻がボッと瞬いて一瞬で灰になる。
冗談めかして命乞いかと聞いたステイルは、言葉の裏で、本気で不愉快を感じていた。

「ちげーよ。そんなことがしたいんじゃない。純粋に聞いてるんだ。
 この場所に、インデックスを不幸にしたいやつが一人でもいるのか?
 敵同士のヤツが一人でもいるのか? 傷つけあわないと幸せになれない理屈があるのか?
 ここに、敵はいないんだよ」
「……」

理不尽が苦しい。殴られたことではない。こんな馬鹿馬鹿しい殴り合いしか出来ない、自分達に怒りを覚えた。

「お前らだって、インデックスを助ける方法なんてもう見つからないってくらい探したんだろうさ。
 けど、人が多ければ開ける道はあるかもしれない。お前達二人が駄目でも、ほかに救い手がいれば、助かるかもしれない
 なんでそれを、その可能性を模索しないんだよ。ここは学園都市だぞ」
「学生の貴方達に、何かが出来るとでも?」
「ここの学生は超能力者だ。確かに俺は無能力者だし、光子だって記憶を操るような能力はない。
 けど例えば光子の同級生には学園都市最強の精神感応能力者がいる。その子なら出来るかもしれない。
 それにそもそも学園都市は科学技術だって世界最高峰だ。『治療』できる可能性だって有る」
「そんな言葉じゃ、僕らの考えが揺るぐことはないよ。正直に言って、
 あの子の頭を切り開いて脳を弄るような科学者達に任せる気にはなれない」
「随分と酷い偏見ですわね。……当麻さん?!」

足元の傷とはいえ、失血量はそれなりだ。加えて呼吸がまともに出来なくて、視界が定まらない。
――――くそ、せっかく道が切り開けるかもしれないのに。インデックスの未来を、変えられるかも知れないのに

「救いたく、無いのかよ」
「これまでも救いではあったと、思っていますよ。少なくともあの子を死なせてはこなかったのですから」
「それが救いだって? お前それ本気で言ってるのか? インデックスを救ったってお前胸張っていえるのかよ?!
 なんでそんなにも力があって、そんなにも強い意思を持ってるのに、可能性をもっと探せないんだよ。
 アイツを幸せにしてやるために、なんでできること全部やらないんだよ」

答えは無かった。
ふつりと、自分の意識の糸が切れたのが分かる。せめて、傍にいられるようにと、上条はインデックスに向けて倒れた。
光子、ステイル、そして神裂。
意識の残った誰かが動くよりも先に。

パッ、と五人を車のライトが照らした。拡声器から音が聞こえる。
『そこにいる連中! 全員大人しくするじゃんよ!』
警備員の服を身に纏った、黄泉川愛穂だった。

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