学園都市第10学区の外れにはインフラが行きとどいていない一帯がある。
夜のその地帯を照らすのは頼りない月明かりのみ。
路地裏ではスキルアウトが物騒なたくらみで盛り上がり、下を向けば薄汚れたドブネズミが散乱した生ごみを漁っている。
そんな学園都市の中のスラム街を、絹旗を除くアイテムメンバー達は現在ワゴンで移動していた。
フレンダ「いやー、用事でもなきゃ絶対こんなとこ来たくないねー」
麦野「同感。こんな場所にアジトを構える向こうの気がしれないわね」
フレンダ「ま、結局麦野に喧嘩を売っちゃうような馬鹿な訳だしさ。
こういう場所の方が落ち着く、スキルアウト寄りの人種なんじゃないかな?」
麦野「アンタの言う通りチンピラ上がりなら相手がしやすいから有り難いわ」
麦野(それにしては手際が良すぎるのが引っかかるし、その可能性は薄いだろうけどね。
こちらの情報を掴んでいたことといい、戦いなれたレベル4の絹旗を捕獲したことといい、スキルアウトの域を越えた仕事ぶりだもの)
麦野(私達をここにおびき出したのは、ここが普段から治安の悪い場所で後始末が楽だから。そう考えるのが自然ね)
フレンダ「ねえ麦野」
麦野「ん?」
フレンダ「もし相手が絹旗を盾にでもしてきたら麦野はどう行動するの?」
麦野「できる限り助けるわよ。絹旗はそこそこ優秀な戦闘要員だし、それを抜きにしても多少は情が湧いているもの」
フレンダ「ふーん、意外」
麦野「私だって血も涙もない鬼じゃないわよ」
フレンダ「ありゃ、それは失礼」
麦野「私が見捨てるのはそれこそ裏切り者ぐらいのものね」
滝壺「止まって」
能力で絹旗の位置を探っていた滝壺が静止の言葉をかけた。
下部組織員のドライバーは無言でうなずき、滝壺が指さす建物の前で車を停止させる。
フレンダ「この建物の中に絹旗がいるの?」
滝壺「うん」
麦野「捨てられた研究施設か何かかしら。見た目は汚いけど大きさはそれなりね」
もっとも戦闘能力の高い麦野を先頭に、フレンダ滝壺という順でビルに足を踏み込む。
建物内には明かりが灯っておらず、視界を確保するためにはペンライトを使用しなくてはならなかった。
麦野(にしても不気味なほど静かね)
麦野は、いっそ馬鹿みたいに突っ込んできてくれたら楽なのに、と溜め息をついた。
麦野(今はとりあえずこのまま先に進むしか―――くっ!?)
足もとがずぶずぶと床に沈むような感触を覚え、麦野は咄嗟にその場から飛び退いた。
少し離れた位置に着地しつつ、さっきまで自分が立っていた位置をペンライトで照らす。
すると床を構成するアスファルトが液体のように波打っているのが目に入った。
フレンダ「う、うおぉぉ!?」
滝壺「ごめんね麦野、失敗したみたい」
一方、反応が遅れたフレンダと滝壺は為す術もなく床に吸い込まれていく。
麦野「この馬鹿っ! 捕まりなさい!」
なんとか二人を救いあげようと手を伸ばすも一歩間に合わず。
結局フレンダと滝壺はそのまま床の中に姿を消してしまった。
麦野「……これ、吸い込まれたまま床を固められでもしたら窒息死するわよね。大丈夫かしら……」
フレンダ「もがっ、もがもがっ!」
滝壺「ぶくぶくぶく」
二人は粘性の強い液状のアスファルトの中で呼吸困難に陥っていた。
そうすること数十秒、そろそろ意識が遠のき始めた頃、
フレンダ「ぶはあっ!」
滝壺「ぷはっ」
アスファルトは完全な液体に変化し、二人は地下に広がるスペースへと乱暴に吐きだされた。
フレンダ「いったたたたー。い、今のはマジでやばかった死ぬかと思った!」
滝壺「腰が痛い……」
ヘッドギア「ちっ、解放するのが早すぎたか。まだ意識が残っているとはな」
暗闇の中からぼうっと現れたヘッドギアの男に、フレンダは素早く身構える。
フレンダ「滝壺、下がって」
滝壺「うん」
ヘッドギア「ふーん。仲間に対してだけは優しいんだな」
フレンダ「ノンノン、それは正しくないかな。結局私は誰に対しても優しい博愛主義者って訳よ!」
ヘッドギア「よく言うよ。この前の仕事の時はだいぶエグい殺しをしていたようじゃないか」
フレンダ(こいつ、読心能力者? ……いや。だとするとアスファルトを変性させた能力者が見当たらないのがおかしいか。
仮にアスファルトを変性させた能力者が別にいるとしても、この程度の情報はテレパスでなくとも調べれば分かるもの。
結局、決めつけは早計かな)
ヘッドギア「そうそう、下手な決めつけは視野を狭めるからな。注意した方がいい」
フレンダ(麦野可愛い。ちゅっちゅしたい)
ヘッドギア「お前レズビアンなのか?」
フレンダ「そこまでドンピシャで心を読んでくるってことは、結局精神系の能力者ってことで間違いない訳ね」
フレンダ「でもそんなに軽々しく自分が戦闘向きの能力者じゃないことをバラしちゃっていいの?
戦いはどこかのアスファルト君にでも頼るつもりとか?」
ヘッドギア「どこかのアスファルト君、ねえ」
ヘッドギアの男は気味の悪い笑みを顔に張り付けた。
そうして床にしゃがみこみ、右手を床に当てる。
するとその手は抵抗なく床に吸い込まれていった。
ヘッドギア「これも俺の力だといったら?」
フレンダ「惑わそうったってそうはいかないっつーの。能力は一人一つが絶対の原則」
滝壺「ううん。フレンダ、この人の言っていることは本当」
フレンダ「えっ?」
滝壺「さっきから能力追跡で付近の能力者の情報を探ってる。
でも能力を使用する際に見られるAIM拡散力場の揺れは、半径100メートル以内ではこの人のものしか観測できなかった」
フレンダ「そんなっ!? じゃあこいつはまさか、いる筈がない存在の……」
ヘッドギア「多重能力者。そういうことになるな」
浜面(マジで暇だ。雑誌にところどころ載っている広告を熟読してしまうぐらい暇だ)
垣根「随分としけた面してんな」
浜面「……誰だお前?」
垣根「お前を撃った狙撃手の元締めと言えば分かるか?」
浜面「なっ!?」
垣根「おっと、そう構えるなって。安心しろ、ここで暴れるつもりは毛頭ねーよ」
浜面「んなこと言われても信用できるかっての!」
垣根「そりゃそうか。じゃあ警戒しながらでいいから聞け。単刀直入に言うと、今日絹旗を誘拐した」
浜面「んだと!?」
垣根「ただ今アイテムをおびき寄せる為のエサとして絶賛大活躍中でーす。
つー訳でそろそろアイテムの残り三人が俺のアジトに乗り込んでくる頃合いな訳よ」
浜面「絹旗は無事なんだろうな!」
垣根「今はまだな。だが、もはや役割を果たし終えて用済みになりつつある以上、今後の保証は――」
浜面「どこだ」
垣根「あ?」
浜面「絹旗はどこにいるかっつってんだよ!」
垣根「お前一人で助けに行こうってか?」
浜面「ああ。お前が話さねえってんなら力ずくで聞き出すぞ」
垣根「ふーん。学園都市第二位のこの俺に対し力ずくで、ねえ」
浜面「第二位だと……?」
垣根「そ。お前の上司の麦野より格上」
浜面「……」
垣根「なあ、黙って寝ていろよ。そうすればお前だけは死なずにすむぞ」
浜面「……か、関係ねーよ」
垣根「あ?」
浜面「お前が学園都市第二位だろうが関係ねーよ。
俺は絹旗のためなら命をかけられるかもしれないって、アイツにそう言っちまったんだ。
相手が第二位だろうがなんだろうが、んなもん、まっ、全く関係ねーんだよ!」
浜面(ちっくしょ、カッコ悪いな俺……。こんな時に声が震えてやがる……)
垣根「ふーん」
浜面「……なんだよ」
垣根「第十学区、778研究所跡。そこが俺のアジトだ」
浜面「本当だろうな」
垣根「情報の真偽はテメェで判断しな」
浜面(くそっ、白々しい! こっちが信じるしかねえことを分かってやがる癖に!)
垣根「さて、そろそろおいとますっか。いいな、俺は確かに必要な情報は伝えたぞ?」
浜面「おい待て! まだ聞きたいことは」
垣根「この場じゃこれ以上何も答える気はねえ」
そう言うや否や、垣根はベッド横の窓から外へと飛び出していった。
浜面(ここ三階だぞ!?)
慌てて窓の外を覗くも、夜の闇は垣根の姿を確認することを許さなかった。
浜面(まあどうせレベル5だしピンピンしてんだろうが……。
と、んなことより今は絹旗のことだ。頭を切り替えるぞ)
垣根(思ったよりは骨のあるやつのようだな)
垣根(あるいは、順位を教えるだけでは未元物質の脅威が伝わりきらなかったか?)
垣根(今更詮無きことか。浜面とやらを俺達のアジトへやってくるように誘導できた、その結果が全てだ)
垣根(ここでびびって尻尾捲くようならそれはそれで問題無かった)
垣根(が、やはりこうでねえとな。絹旗の前で直接ぶったたくのが一番すっきりする)
垣根(待ってろよ絹旗。すぐにお前の暗部に対する幻想をぶち殺してやる)
垣根(暗部で出会えたのは頼りになる仲間でも運命の王子サマでもねえ)
垣根(そういうのは、もっと真っ当な場所で見つけやがれ)
垣根(お前に降ってかかる火の粉を払うぐらいは俺がしてやるからよ……)
――――――
フレンダ(まずいなー。相手の能力の底が一切分からないや。てかこの思考も読まれてんのかー、気分悪ぅ。
いきなり落とされたこんな場所じゃトラップ頼りの戦いもやり辛い。さて、どうしたもんやら)
滝壺「任せてフレンダ」
フレンダ「滝壺?」
滝壺「一つ気になることがあるの。もしかしたら多重能力のタネが分かる、かも」
ヘッドギア「俺の能力に特別なタネなんてないさ」
ヘッドギアは両手を前面に突き出した。
すると何もない筈の空間から水しぶきが現れ、ヘッドギアの全面180度方向に水を浴びせる。
噴き出た水しぶきは水圧が弱く殺傷力には欠けるものの、その水量は段違いに多かった。
そのため滝壺を庇うように立っていたフレンダは思い切り水を浴びてしまう。
フレンダ「うわっ、びしょびしょ! これで火薬をしけらそうって魂胆?」
ヘッドギア「どうせ多少濡れても問題の無い爆弾を使っているんだろ?」
フレンダ「いい加減勝手に人の心を読むのは勘弁してもらえないかなあ。あと今ので携帯壊れてたら弁償だかんね!」
ヘッドギア「どちらも無理な相談だな」
悪びれずにそう言うと今度は周囲に電撃を放出した。
横っ跳びに攻撃を避けようとするフレンダ。
フレンダ「つっ」
しかし回避は僅かに間に合わず、電撃はフレンダの身体を掠っていった。
全身に軽い痺れを覚える。
フレンダ(電力自体はレールガンの手を抜いた攻撃にも劣るみたい。火力は案外低いのかな?)
フレンダ(結局、相手を警戒して後手後手に回ってもジリ貧に陥るだけだし……。仕方ない、やぶれかぶれで突っ込もう)
ヘッドギア「ああ、一つ忠告しておくぞ。爆弾は使わない方がいい」
フレンダ「結局何を使おうが私の勝手でしょーが」
ヘッドギア「今この空間には水素が充満している。仲よく心中したいというのならあえて止めはしないが」
フレンダ「……そういうこと。結局さっきの電撃は、水を分解するためのものだったって訳ね」
ヘッドギア「その通りだ」
フレンダ「やだやだ、やり方が陰険すぎるっての」
ヘッドギア「自分の力をどう使おうが人の勝手だ」
滝壺「自分の力。本当にそうなの?」
フレンダ「滝壺? もしかして何か分かったの?」
滝壺「うん、大体の法則は分かったよ」
滝壺「能力者のAIM拡散力場の波長にはその人ごとに決まった癖がある。
だけどこの人のAIM拡散力場だけはちょっと違った。頻繁に、まるで別人のもののように、その形をゆらゆらと変えるの。
滝壺「そして波形が変わるタイミングはいつも同じ。決まって、異なる能力を使う時」
フレンダ「つ、つまり!?」
滝壺「使う能力ごとにAIM拡散力場の形は定まっているみたい。
だから、使う能力を複数の内から選ぶことは出来ても、同時に複数の能力を使うことはできない筈。
ちなみに今は読心能力を使える状態」
ヘッドギア「……まさかこの短時間でそこまで掴まれるとはな」
フレンダ「へっへーん、うちの滝壺を舐めてもらっちゃ困るね!」
ヘッドギア「だがそれだけで分かったところで俺の能力を克服できたことにはなるまい」
―――――
心理「今頃アイテムの連中がコテンパンにやれている頃かしら」
絹旗「やられるのはあなた達の側に超決定済みです」
心理「ふふん。垣根は勿論、他のメンバーだって一筋縄じゃいかないんだから。
例えばヘッドギアは一人でいくつもの能力が使えるのよ」
絹旗「多重能力者って奴ですか? 超嘘くさー」
心理「うっ、嘘じゃないわよ! えーとほら、プロデュースって実験、聞いたことない?」
絹旗「能力は脳のどの部位を使って行使されるのか。それを調べるために頭の中を切り刻んだ実験ですね」
心理「それは実験の表面的な部分。当初の目標に対し一定の成果をあげた科学者たちは、それで満足せずに更なる目標を持った」
絹旗「目標?」
心理「数人の脳から能力の使用に深く関わる部位を切り取って、それを一人の人間の脳に移植する。
そういう手術をすることで人工的に多重能力者を生み出せるんじゃないか。彼らはそう考えついたの」
絹旗「正気の沙汰じゃありませんね」
心理「結局その目論見は失敗。複数の能力を同時に行使した被験者はすぐに廃人になってしまったわ。
その原因は、自分だけの現実が崩壊したからだとも、脳にかかる負荷が高すぎたからだとも言われている」
絹旗「あれ? 結局多重能力者の生成には超失敗しているじゃありませんか」
心理「そう、ここまでなら学園都市によくある失敗実験の一つに過ぎないわ」
心理「でも実験関係者の一部は物凄く往生際が悪かった。ただの失敗で終わることを良しとせず、妥協案を考え出したの。
複数の能力者の脳を一つにした上で、その活動領域を機械で制御すれば、なんとか擬似多重能力者が作れるんじゃないかってね」
絹旗「その機械とやらがあのヘッドギアと」
心理「ええ。例えば炎を使う時、それ以外の能力を使用するのに必要な部位は、ヘッドギアにより眠らされているの。
完全な多重能力者並とまではいかないけれど、普通の能力者とは比べ物にならないほど相手しにくそうでしょ」
絹旗「確かにそうですね。ですが、無駄に選択肢が多いことが絶対的な強みだとは限りませんよ」
心理「むっ、そんな負け惜しみみたいなことを……」
絹旗「どう捉えて頂いても超構いません。それより、肝心のあなたの能力はどうなんですか?」
心理「私? 私の能力は秘密よ。こんな状況で手札を明かす訳ないじゃない」
絹旗「仲間の能力は超べらべら喋ったのに……」
心理「だってあいつとあなたが戦う可能性は低いもの」
絹旗「屁理超反対ー」
心理「事実よ。仮にこれが屁理屈だとしても、あなたに自分の能力を教える義理は無いわ」
絹旗「なんだか超すっきりしませんね。……そうだ、それなら私とあなたの能力以外の面で超勝負です!
これなら話してしまっても害は少ないでしょう」
心理「能力以外の? んー、とりあえず銃なら扱えるけど」
絹旗「私の超勝ちですね。私はマシンガンはおろかロケットランチャーまで扱えます」
心理「嘘ぉ!?」
絹旗「これはもうアイテムの勝利が超決まったようなものですね」
心理「でも私だって、その……くっ、クレーン車が運転できるわ!」
絹旗「クレーン車? それがロケットランチャー以上に役に立つのですか?」
心理「それはえーと……。ああそうだ、胸! 胸の大きさなら私の勝ちね!」
絹旗「窒素豊胸(胸に窒素を集中する大技)!」
心理「ちょっ、何イカサマしてるのよ!」
――――――
フレンダと滝壷がヘッドギアの男と交戦し、絹旗と心理定規が緊張感の無い言い争いをしていた頃。
麦野は携帯片手に苦い顔を浮かべていた。
麦野(滝壺、電話に出ないわね……。フレンダに至っては携帯に繋がらないし……。本当に大丈夫なのかしら)
麦野(ま、ここでボーっとしてても仕方ないか。私は私で動くとしましょう)
しばしの思考の後、麦野はこれからの自分の活動方針をそのように定めた。
そうして少し歩く内に、金属製で両開きの大きな扉が見えてきた。
麦野(いかにも怪しいわね)
麦野はそう考えてドアノブを軽く指でなぞる。
麦野(古びた建物の割にはホコリが指につかない……。まだ人の出入りがあるようね。とりあえずこの部屋に当たりましょう)
なるべく音がたたないよう重い扉を開け、素早く部屋の中に潜り込む。
部屋の中は扉の外と同様明かりがついておらず、一歩先も見えない完全な暗闇だった。
しかし麦野は豊富な実戦経験から、誰かがその暗闇の中に潜んでいることを直感的に察する。
麦野(人の気配がする。人数は恐らく一人――)
キィィィィィィィィ!
唐突に、嫌な感じの音が鳴り響く。
頭痛と吐き気を覚え、麦野は思わずその場にうずくまった。
麦野「キャパシティ…ダウン……」
狙撃手「ああ。正解だ」
声と同時に部屋中の電灯がつけられた。
麦野は敵の正体と、その斜め後ろに位置する巨大な音響器具を視認する。
麦野(十代半ばの女か。主な装備は大きめの銃器にヘッドホン。
あのヘッドホンを利用して自分だけキャパシティダウンの影響下から脱しているんでしょうね)
狙撃手「麦野沈利。殺させてもらうぞ」
麦野「く、くくくっ」
狙撃手「気でも触れたのか?」
麦野「いや、ね。アンタから漂う素人臭があまりに酷くってさ」
狙撃手「私は歴とした殺しのプロだ」
麦野「笑わせてくれるわ。“殺させてもらう”、今さっきそう言ったわよね?
そんなセリフを吐いた時点でアンタは殺し屋として二流以下なのよ」
狙撃手「意味が分からん。これ以上の会話は無意味だな」
狙撃手は肩にもたせかけていた銃を構え、麦野に向けて引き金を引いた。
放たれた銃弾はぶれずに麦野の胸部へ向かう。
しかし弾が命中する寸前、麦野の体を覆うように白い光の膜が現れ、その膜に触れた銃弾はジュッと音を立てて蒸発した。
狙撃手「何だと!?」
麦野「やっぱり思った通りね。無駄な感情を廃しているかのように見えて、いざ予想外の事態に陥ると大きく動揺する。
感情を持つ余裕が無いから、無理にでもそれを抑え込まなくてはならない。あなた、そういうタイプの人間でしょ?
この手の連中って一度崩れると脆いのよねえ」
狙撃手「黙れっ!」
立て続けに何度も引き金が引かれる。
途中からは電気を纏わせた銃弾も織り交ぜられた。
しかし、光の膜は全ての銃弾を難無くかき消していく。
麦野「いい加減分かれよ。んなこといくら続けても無駄だっつーことによぉ!」
狙撃手「こんなのおかしい! どうして能力が使えるのよ!? キャパシティダウンは今も作動しているのに……」
麦野「いいことを教えてあげる。キャパシティダウンが直接的に阻むのは、能力の組み立ての過程である演算のみ。
つまり能力の使用そのものは、あくまで演算を邪魔されることにより間接的に封じられるに過ぎない」
狙撃手「封じる手段が間接的であれ演算ができないのなら、結局能力が使えないも同然じゃない!」
麦野「はっ。ここまで言っても分からないか」
狙撃手「分からないわよ! 一体さっきから何が言いたいの!?」
狙撃手はヒステリックに叫びながら電気の帯を放った。
その全てが麦野に触れる前に軌道をねじ曲げられ、あらぬ方向へと逸れていく。
麦野「あらかじめいくつかの演算をパターン化して頭の中に叩きこみ、その式をショートカットとして利用できるようにする。
こうして下準備をしておけば、たとえ演算を邪魔されようが……、この通り能力は使用できるんだよ!」
麦野の手から白い光線が放たれた。
光線はキャパシティーダウンを貫き、その機能を停止させた。
麦野「ま、流石に能力応用の幅は大きく狭まるけどね。精度もガタ落ち」
狙撃手(ど、どうしたらいいの? こうなったら私に勝ち目なんてないじゃない……)
麦野「ところでさ」
狙撃手「なっ、何よ」
麦野「さっきから口調、完全に変わってるわよ」
狙撃手「あっ」
麦野「無理して気持ちに仮面かぶせて堅い口調で取り繕って、それでやっとこさ暗部に立っていられたってとこ?」
狙撃手「くっ……」
麦野「本物の裏の人間は息を吸うような感覚で、それこそ何の躊躇いもなく人を殺せる。
そしてそういう人間は、わざわざ“殺させてもらう”だなんてことは言わない。
何気なく人を殺せる域に達していなかったアンタは、遅かれ早かれこの街の暗部の中で淘汰されていたでしょうね」
狙撃手「私だって好きでこうなった訳じゃないもん! ただ実家に金銭的余裕が――」
麦野「ああ、敵の事情とかどうでもいいから。ましてや懐事情なんか論外」
光線が四本伸びていく。
狙撃手「へ?」
放たれた光線はそれぞれ狙撃手の両肘と両膝を撃ち抜き、彼女の四肢を欠損させた。
足が消滅したことにより立つことができなくなった狙撃手は、何が何だか分からないまま地面に落下する。
狙撃手「え? どうして私寝転がって? あ、あれ? おかしいわね、手と足が……。
……い、いやああああっ! なんで!? なんで私手足が無いの!? 嘘ウソウソ! やだよ! やだよぉ!!」
麦野「皮肉なものよね。火力がありすぎるせいで瞬時に傷口を焼いてしまい、逆に止血をしてしまうだなんて。
おかげで私の攻撃で半殺しにされた奴は死ぬに死にきれず、長時間苦しむ羽目になるんだけど」
狙撃手「うううぅ、痛いぃ……」
麦野「随分可愛い声で鳴くのね。殺しのプロさん?」
狙撃手「あ、う」
自分の言動を思い返して顔面蒼白になる狙撃手。
口元では合わない歯の根がガチガチと音をたてている。
戦意をなくした憐れな獲物に向け、麦野は無言で手を突き出した。
狙撃手「いやぁ……こ、殺さないで……」
麦野「はあ? 今更何言ってんの?」
狙撃手「お願い……です。殺さないでください……」
もはや彼女がかぶっていた暗部の人間としての仮面は完全に剥がれ落ちていた。
目からは涙が溢れ、時折嗚咽もあげている。
麦野「そうねえ。どうしても助かりたいってんなら、ちょっと誠意を見せて頂戴」
狙撃手「する! なんでもする!」
突然降って湧いた一縷の希望にパッと顔を輝かせる狙撃手。
しかし麦野は不気味に口元を歪めると、狙撃手の顔の僅か横に光線を放った。
狙撃手「っ!?」
麦野「まだ自分の立場が分かっていないようね。そういう時は“する”じゃなくて“させてください”でしょ?」
狙撃手「ご、ごめんなさい……、なんでもさせてください……」
麦野「いい子ね、ご褒美よ」
麦野は優しげにほほ笑むと、大きく足を振りかぶり、そのまま勢いよく少女の腹に叩きこんだ。
狙撃手「がっ!? がふっ、がはっ! は、はあっ……はぁ……」
麦野「ほら、ご褒美に対するお礼は」
狙撃手「うっ、ひくっ……ありが…とう…ございます……ひくっ」
麦野「はい、よくできました。もう少し可愛がってあげたいところだけど時間が惜しいから本題に入るわよ。
要求は簡単、アンタらのチームの構成を教えなさい」
狙撃手「人数は、ひくっ……全部で四人です。リーダーは……」
最終更新:2011年01月27日 01:18