※一方さん暗部落ち後、多分15巻前くらい、タイトルなし
学園都市を流れる水路はすべて浄水場を通ってから放水されており、濁りがない。
意図的に純化された汚れのない様は人工物のあふれるこの学園都市を象徴しているように思えた。
美琴は足元の小石を拾い上げ、緩やかな流れに投げ入れた。小さな異物が音を立てて沈み、水面に波紋を作る。
乱れた流れはやがて秩序を取り戻し、美琴がため息をついている間に押し流され、数秒前の姿へと徐々に戻っていった。
このごろの学園都市は何かおかしい。
幻想御手、絶対能力進化実験、九月三〇日の事件、ローマ正教との確執……。あげればきりがないが、すべてここ数ヶ月の間に体験したことだ。
長年学園都市で暮らしてきた美琴だが、こんな事態は初めてだった。
そのすべてが偶然この時期に噴出しただけなのか、今まで単に学園都市の暗部が見えていなかっただけなのかもわからない。
なんとなくだが、そのほとんどに例のツンツン頭の少年の影が見え隠れしている気がする。
偶然であればいいのだが。
もはや小石の起こした乱れの痕跡もない水面から目を離し、水路脇の歩道を進む。
衣替えのためにおろしたばかりの冬服ブレザーはまだ体に馴染んでおらず、少し固い。スカートのプリーツもピシッと折り目がついている。
特に肩の辺りが窮屈で、一歩進むたびに突っ張るような感覚が美琴に伝わる。
足元を見つめながら歩んでいた美琴がふと顔を上げると、前方に見える水路にかかった橋の上に誰かが立っていた。
何をするわけでもなく橋の欄干にもたれかかり、どうやら水路をじっと眺めているようだった。
(アイツ――)
見間違えようのない後姿。学園都市広しといえども、あれだけ目立つ姿をしている人間はそうそういない。
背中からにじみ出る哀愁は、初秋の空気のせいだけではないだろう。
美琴は行き先を変更することに決め、迷わず橋の中央付近に陣取っている背中めがけて歩調を早めた。
美琴の接近に気づいていないのか。
特に足音を忍ばせている訳でもないのでローファー特有のカツカツとした音は届いているはずだ。
なのにその白い背中は微動だにしない。手を伸ばせば触れられるほどに近くまで来たというのに。
おそらく気づいている。この少年はそんなに鈍くない。
反応を見せないのは話しかけられたくないという意思を表しているのだろうが、美琴にはどうあっても話しかけずにいられない理由があった。
美琴は肺の中からすべての空気を押し出すようにして長く息を吐いてから、さらに搾り出すように低い声を出した。
「アンタは……」
息が続かなくなり、そこで出かかった言葉が止まる。
美琴が続きを口に出す前に、一方通行がようやく反応を示した。
その声にに対する返答はまずため息だった。
「超電磁砲か」
振り返った一方通行は、全身から形容のしがたい暗鬱とした雰囲気を発していた。
退院し、体力は回復しているはずだろうが、最後に会ったときよりもやつれているように見える。
その真っ赤な双眸だけが飢えた獣のようにギラギラと美琴を貫いていた。
その視線に呑まれそうになりながらも美琴は疑問をぶつける。
「アンタはなんだってこんなところで油売ってんのよ」
「俺がどこで何してよォが俺の勝手だろォが」
「何が、勝手よ!」
文字通りにあまりに勝手な言い草に美琴は思わず叫びそうになった。ぐっとこらえて、静かに声を出す。
「連絡もよこさないとか……何考えてんのよ」
九月三〇日。
この日の出来事は学園都市に住む人々に深く刻まれている。
学園都市の機能を麻痺させた集団昏倒事件。上層部は未だにその原因に対する納得のいく説明をしていない。
美琴は知っていた。その昏倒事件の裏で、打ち止めが拉致され、それを一方通行がぼろぼろになりながら助けたことを。
そして、その後一方通行の行方がまったくわからなくなったということを。
美琴もその事件の一端にかかわったのだが、打ち止めに詳しく事情を聞いたのはすべてが終わってからだった。
そのときの怒りと後悔が、この少年にはわかっているのか。
「オマエに俺が連絡する必要あンのか」
それだけ面倒くさそうに呟くと、一方通行はもう相手にしないとでも言うように元のように水路へと視線を戻した。
他人事のような無関心に美琴は一方通行の背中を睨み付ける。
「アンタ……打ち止めがどれだけ心配してると思ってるのよ」
「あ?」
「あの子は今もアンタを探し回ってるのよ。知らないわけじゃないでしょう」
一方通行は答えない。
「約束、したでしょう。忘れたとは言わせないわよ」
一方通行は振り向かない。ただ舌打ちをして、傍らに立てかけたトの字トンファーのような現代的なデザインの杖を手に取った。
「ずっとそばにいるっつゥのが必ずしも『守る』ってことなンじゃねェンだよ」
一方通行が首元のチョーカー型の電極に手を添える。カチリという小さな音がした。
美琴は、それが一方通行が能力の使用を開始する合図だと言うことを知っていた。
「なっ」
「俺の近くにいるほうが危ないっつってンだよ。それこそ……こンな風にな」
美琴と一方通行の間に突風が巻き起こった。
美琴の足が地から離れ、視点がぐるりと一回転する。
スカートをたなびかせ、その下に穿いた短パンを晒しながら後方へ吹き飛ばされる。
指向性の暴風は一方通行の後ろ髪をわずかに揺らすだけだった。
それが一方通行の風向のベクトル操作によるものだと気づいた時には、すでに美琴の身体は橋の欄干を越えていた。
「っ!」
美琴は空中でバランスを取るのに苦労しながらも身体をひねる。
視界の隅に捕らえたのは緩やかに流れる水。
水深は浅い。このままではコンクリートの川底に叩きつけられる。
一瞬でそれらを判断した美琴は自身の周囲に磁場を展開する。
美琴はまるで重力の向きがが九十度傾いて働いたかのように橋脚に引き寄せられ、足から垂直に『着地』した。
橋脚を蹴り、すでに危険な高さではなくなっていたためそのまま水面向かって落下する。
ばしゃり、と周囲に派手に水を飛び散らせて美琴は水路のど真ん中に降り立った。
「ふざけてんじゃ……ないわよっ!」
理不尽な攻撃に美琴は激昂する。
すねの辺りまである水をばしゃばしゃとかき分け、橋の上の人影が見える位置まで走る。
ローファーの中に溜まった水が重い。水を吸った靴下とともに美琴の歩みを妨げるが、気にしてなどいられない。
橋の上の白い人影に向かって叫ぶ。
「アンタ、いったい何のつもりなのよっ!!」
同時に次の攻撃に備えて美琴は自らの電磁レーダーに注意を注ぐ。
もっとも、一方通行が本気になればどうあがいても美琴に勝ち目などカケラもない。
一方通行は相変わらず欄干にもたれかかったまま、微動だにしていない。
美琴が川岸に向かって走り出した瞬間、異常を察知した。
(水平面に対して約5°の角度で未確認物質が高速で飛来。主構成元素は銅、亜鉛。到達予想は約0.2秒後――)
「狙撃!?」
その声よりほんの少しだけ早く、美琴が補足した銃弾は目標に命中した。
銃弾は一方通行の眉間を正確に撃ち抜く軌跡を描いていた。
空を切って着弾した金属片が一方通行の頭蓋骨を割り、血と脳漿をぶちまけながら後頭部から飛び出す――
そうならなかったのは、単に一方通行が反射をONにしていたからだ。
一方通行は退屈そうに銃弾の飛んできた方向を見上げる。そよ風ほどの衝撃も受けてはいない。
弾丸の速度と入射角、風向や湿度などその他もろもろの自然条件から狙撃ポイントを割り出した。
一方通行は独り言のように喋る。
「狙撃者は予測地点Bから狙撃。予想通りだ。人員は配置してあるンだろうな」
『ええ。……誰が狙撃のタイミングを正確に伝えてくれたと思っているんです?』
片耳に装着された小さな通信機が一方通行に同じ『グループ』のメンバーである海原光貴の声を伝えた。
余裕ぶった爽やかな声音に、厄介そうな笑みを思い浮かべる。
『まあそちらのほうは我々『グループ』とは別の組織が担当していますけどね』
「チッ、学園都市第一位をオトリに使うなんざずいぶンと贅沢な作戦だな」
大掛かりなことだ、と軽く息を吐く。
『後始末はそちらのほうでやってもらいますので、貴方はこの後お好きにどうぞ。それよりも、先ほどの会話の相手は……』
「ちょっとアンタ! いきなり何してくれるのよ!」
頭に響くかん高い声は通信機の向こうからではなく、直接一方通行へと叩きつけられた。
海原とはまた違った意味で厄介だ。
一方通行は声の主、美琴のほうをちらりと見やる。
水路から駆け上がってきたせいか、それとも怒りのせいなのか、その肩は大きく上下していた。
その足元周辺がバチィ、と音を立てて、水を吸った靴と靴下が瞬く間に乾く。
一方通行は首に手を当てるとやれやれといった感じで首の関節を鳴らせた。杖を前に出し、ゆっくりと美琴へ近づく。
そしてそのままバチバチと帯電し、全体的に発光した少女の脇を無言ですり抜けた。
「無視すんなああああ!!」
怒声と同時に美琴の足元から放射状に波紋のような雷撃が地面を這い、橋の両端に設置された街灯が一斉に数度明滅する。
何事もなかったかのように歩き続ける一方通行の背中に向かって再度罵声を浴びせようと息を吸い込んだ。
「アンタねぇ……」
その時、美琴の背後で聞き覚えのある警告音が響いた。続いて電子的な合成音。
「ビー、ビー、ビー、警告、警告、本機巡回エリアにおいて電波障害の発生および周辺電子機器への規定以上の負荷を確認。
繰り返します……」
「やばっ」
美琴が振り返ったその先にはドラム缶型の警備用ロボットの姿があった。
ロボットはけたたましい警告音を鳴らしながらそれなりの速度で近づいてくる。
このままうかうかしていたら付近の警備用ロボットや警備員が集まってくるはずだ。
「ここは逃げるが勝ち……アンタも、ってああー! 逃げられたあー!!」
美琴が警備用ロボットに気を取られているうちに、一方通行は橋の上から忽然と姿を消していた。
行間***
「失敗……か」
狙撃銃のスコープを覗き込む男が高層ビルのオフィスの一室でつぶやいた。
薄暗いオフィスは無機質な机が整然と並んで静まり返っている。
スコープの中の一方通行はまるで男の姿が見えているかのように赤い眼光をこちらに向けていた。
「能力を失ったというのはガセ情報だったか」
悔しそうに吐き捨てる。一方通行を狙った銃弾は彼の能力により発射時と同じ軌跡を通ってオフィスへと打ち込まれた。
念のために『反射』を警戒し、発射の直後着弾を確認せずに物陰へと退避したため、自身に被害はない。
弾丸は狙撃手の後方の壁にめり込んでる。
ここも早々に引き上げなければ反撃の手はすぐに伸びるだろう。即刻退去すべきだ。
そう思って銃をおろした。
「残念ながら超遅いです」
自分以外に誰もいないと確信していたフロアに幼い少女の声が響いた。
「――っ!」
声の主は十二歳くらいのショートカットの少女だった。
ふわふわしたニットのワンピースを着て、一見すればおとなしそうにも見える。
「まさかここがばれていないとでも思っていましたか? 超おめでたいですね」
少女はフロアの入り口からつかつかと狙撃手に歩み寄る。
「おかげで超迷惑を被りました。今日は気になる映画の封切日だったんですよ」
警戒心はまるでなく、呆れたような表情を浮かべている。
「だからさっさと終わらせたいんです。抵抗しないで倒されちゃってください」
机と机の間を縫って近づく少女との距離は見る見る詰まっていく。
あまりに大胆不敵な少女の態度にあっけにとられていた狙撃手はようやく目の前の少女を『敵』と認識した。
考えるよりも先に利き手が隠し持った拳銃に伸びる。
手に馴染んだ愛銃だ。この距離で外すわけがない。ぱんぱんぱん、と冗談のように小気味よい音が発せられる。
眉間に一発、心臓に二発。少女の身体に合計三発の銃弾が叩き込まれた。
特別製の弾丸の威力に少女の身体は簡単に吹き飛ばされる。そのままデスクの島に倒れこみ書類の山を巻き上げる。
「くそっ」
近距離の戦闘では邪魔になるだけのライフルを投げ捨て、出口へ走る。
なぎ倒されたデスクの間から勢いあまって下敷きになった少女の白い脚が生えている。
いかにも前衛的なオブジェだ。
生きているはずがないと思いながらも少女の脚に銃口を向けながらそこを通り過ぎようとした。
バゴン、という金属をバッドで叩いたような音とともに爆発的な速度で山になったデスクが四散する。
男は悲鳴を上げる間もなく飛来したデスクに叩き潰された。
「いきなりびっくりしますね。パンツが見えないように倒れるのって超難しいんですよ」
立ち上がった少女は軽くセーターの腿の辺りをはたいて埃を払いながら平然と言う。
「相手の能力も確かめずに攻撃するのは学園都市では超命取りです。私の能力が『反射』だったらどうするんです?」
「あぐっ、ぐぅ、お前、何者……」
デスクと壁の間に挟まれた狙撃手は動く右手で必死に武器を探す。
その間にも少女の近づいてくるぺたぺたという緊張感のない足音が耳に届く。
「なんだ、生きてたんですか」
少女がデスクにぐっと手をかける。
小柄な少女が少々力を込めた程度では成人男性ならデスクごと押し返すことができるはずだ。
なのに、力いっぱい押し返してもびくともしない。それどころか狙撃手を圧迫する力はどんどん強くなる。
「ま、死んでもらっても超面倒なんですけどね。背後関係を調べないとだめですし。さ、ちゃっちゃと吐いてください」
「肉体操作系の、能力者かっ……!」
「答える義務は私ではなくあなたにあります。さあ?」
少女がそっと手のひらを動かすだけでデスクにかかる圧力が倍増した。内臓がつぶれそうな圧迫感に、狙撃手の口から異音が漏れる。
「ぐひゃ、そう簡単に、ひゅ、答えると、思っているのか」
「いいですよ? 学園都市にはいろいろな技術がありますから。
脳みそさえ超無事ならたいていのことはできるんじゃないでしょうかね」
少女の表情は変わらない。彼女の能力よりも、その事実が狙撃手を恐怖させた。
「う、ふざけるな、クソガキ、この学園都市の上層部に従って、ごひゅ、なんになる。
俺は見てきた……使い捨てられるだけでゴミのように扱われる子供たちを!
せめて一矢報わないでどうする! この街は狂っている!!」
男は気づかない。いつの間にか自分を押さえつける力が緩まっていたことに。
咽を壊すように絶叫する狙撃手に対して少女は静かに告げた。
「……私は仕事でここに来ているだけですから詳しいことは知りません。そろそろ黙ってください」
少女の握り締めた拳が狙撃手の顔面に刺さる。手加減した一撃は狙撃手の意識をきれいに刈り取った。
「……」
動かなくなった男をしばらく見つめていた少女は、誰に言うでもなく独りごちた。
「いまさら超わかりきったこと、言ってどうするんですか」
ため息をついてデスクを無造作に投げ飛ばす。フロアの片付けなどする気は毛頭ない。
さっさとここから出て行って、今日の仕事を終わらせてしまおう。
「こいつの携帯電話とか、通信機が壊れてないといいんですけどね」
少女はそれだけ呟いて、体重が自分の二倍近くある男を、よっこらしょ、と軽い動作で持ち上げた。
高層ビルの脇の人通りのない道路に一台の白いバンが停まっていた。
ビルの陰に隠れ、まだ日は高いというのに薄暗い。
そのバンの運転席に大柄な少年が窮屈そうに収まってる。
明るい茶髪にジャージにジーパン。崩れた感じの風体はどこからどう見ても立派なチンピラだ。
(完っっ全にアッシー君だな、っていつの時代の死語だよ)
倒したシートにもたれかかり、頭の後ろで腕を組んでだらだらとしている。
(こないだまでスキルアウトのリーダだったっつうのが嘘みてーだな)
チンピラオブチンピラ、スキルアウト時代の自分を思い出す。
自分が所属していたのは、学園都市に数多くあるスキルアウトの集団の中でも最大規模のものだっただろう。
一時的にしろそれを束ねる立場にあったのがこの浜面仕上である。
(ま、リーダーなんてガラじゃなかったけどよ)
御坂美鈴の襲撃に失敗し、とっ捕まって今では下っ端としてこき使われる毎日だ。たまに、こんな負け犬生活のほうが自分にはお似合いなんじゃないかと思うときすらある。
「でも、スキルアウトが能力者に取り込まれてちゃあざまあねえよな」
所詮俺の人生こんなもんだ、とぼやいて顔の前に持ち上げた携帯電話の画面を見上げる。
暇つぶしになんか面白いもんねーかな、とお気に入りサイトへの接続ボタンを押した。
それとほぼ同時に、コン、コンと小さな音がした。
浜面が音のほうに視線をやると、そこにはニットのミニワンピースを着た少女が立っていた。
ウインドウの向こうで人差し指を車体に向け、なにやら言っている。どうやら開けろ、という意味らしい。
「お、終わったのか絹旗。遅かったな」
浜面は身を乗り出して助手席のドアのロックを外す。ガチャリ、と音を立ててついでに内側からドアを開けた。
携帯電話を片手にだらけている浜面を見て、少女、
絹旗最愛(さいあい)は呆れたように左手を軽く腰に当てた。
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「またアダルト動画ですか?いい加減にしてください超キモイです」
「またってなんだよまたって」
こいつの前で見た覚えなんかないぞ、と浜面は口の中でもごもごする。
そのうちになんだか自分の記憶が怪しくなってきて、あれ? もしかしてあの時? などと不安になってきた。
頭を抱える浜面の姿に絹旗は一歩引いて距離をとった。
「浜面……キモさが超マックスです……」
「本気で引くなよ! 傷つくじゃねーか!」
「後ろも開けてください。私が当たりでした。コレ、積みますから」
浜面の抗議を無視し、絹旗はあごで足元を示した。そこには黒い服を着た男がぐったりと倒れこんでいた。
「……生きてんのか」
服は所々破れ、顔もあざだらけ、手足を拘束されてボロ雑巾のようにななった男に浜面は心の中で同情した。
相手が悪い。何せ大能力者(レベル4)の怪物だ。
「超当たり前です。私はそんなヘマしませんよ」
浜面が運転席のボタンを押すとほぼ同時に絹旗が後部のドアを開ける。
よほど急ぎたいのだろうか、片手で男をひょいと持ち上げると乱暴に座席に投げ入れた。
華奢な少女が自分の体重以上の物体を軽々と持ち上げる様は、何度か絹旗の能力を間近で見ているのだがなかなか慣れない。
「おお、すっげえな、『オルフェウスの窓』だったか?」
なぜか絹旗はいつもよりも少しイライラしているように見える。
「……相変わらず超馬鹿ですね。上司の能力くらい正確に覚えてください。『窒素装甲(オフェンスアーマー)』です。馬鹿浜面」
絹旗は虫けらを見下すような苦々しい視線を浜面に送る。
「なんだよ場を和ませようと冗談も言えないのか!? それはちょっとひどくねえ!?」
「そんな古い少女マンガ知らないって言ってるんですよ。それより早く行きましょう」
「知ってんじゃん!!」
絹旗はむすっとした顔のまま助手席に乗り込んだ。きっちりとシートベルトを肩から腰にかけ、浜面に指示を出す。
「さっさと麦野たちを回収に行きますよ」
「へいへい」
浜面は観念して車のキーを回す。安っぽいエンジン音が耳に障った。
車が吐き出す騒音のわりに意外とスムーズに発進する。
目立たないようにあまり新しくない車を選んだのだが、この学園都市では逆に目立ってしまう。
失敗したかな、と思いながら浜面は元々頭に叩き込んであるルートを走行する。
「……」
「……」
不快な音を奏でるエンジンとは対照的に車中は静まり返っていた。
車中の三人のうち、一人は気を失って喋れない。
残りの二人はなぜかじっと前方を見つめたまま黙りこくっていた。
もともと浜面は『アイテム』構成員四人娘のおしゃべりをぼーっと聞いていることが多く、求められなければ自ら話しかけることは少ない。
箸が転んでもおかしい年頃の少女四人で構成された『アイテム』は、各々が個性の強いキャラクターであることも相まって作戦会議の間ももわいわいと騒がしい。
それぞれがおちょくるように浜面にちょっかいを出してくることはよくあるので、いつの間にか会話に参加させられていることが多い。
特に絹旗最愛は浜面を小馬鹿にしたように遠慮なくずけずけと話しかけてくる。
その絹旗が、不機嫌そうに押し黙っている。これは結構珍しいことだ。
「……絹旗、どうかしたか? 怪我とかしたんなら早めに申告しろよ」
(どうせ「何超見当違いなこと言ってるんです。馬鹿は死ななきゃ治らないみたいですね」とでも言われるんだろ)
「……自称とはいえ正義の味方を殴るのは気持ちいいことじゃないんですよ」
「え?」
「いっそ、悪者に徹してしまったほうが楽なのかもしれませんね。別に私は正義の味方ってわけじゃないですけど」
浜面の予想に反して絹旗は真面目な声で答えた。
軽く言った風だったが、表情を見られたくないのか、そっぽを向いて窓の外を見ている。
浜面はなんとなく気まずい思いでどう声をかけるべきか考えあぐねていた。
笑って冗談で返すべきか。
車がモノレールの高架下に差し掛かり、視界が一瞬暗くなる。
ちらりと横を見たときに目に入ったウインドウに反射した絹旗の乾ききった表情がひどく印象的だった。
(別にこのガキのことなんかどうでもいいんだけどな……)
「お前みたいなクソガキに、悪者なんか似合わねーだろ」
言って、そっと左手を伸ばして少女の柔らかい髪をぽんぽんと撫で――
「うおうっ!?」
撫でようとして、指先が目に見えない『何か』に触れた。
「……何やってるんですか馬鹿浜面。私の『窒素装甲』については何度も超説明したでしょう」
振り向いた絹旗の顔には呆れたような表情が戻っていた。
見下されているはずなのに、なぜか浜面はほっと息を吐いた。
「気持ち悪いですね。超キモいです。……でも、とりあえずお礼は言っといてやりますよ」
そのあんまりな言い草に、浜面は苦笑しながらハンドルを大きく右に切った。
*
美琴は細い指の中にあるPADをじっと真剣な表情で見つめていた。
公園のベンチでPADをいじくる女子中学生。ともすれば、携帯ゲーム機に夢中になっているようにも見える。
その目はPAD集中しているように見えて、焦点は画面から若干ずれてる。
美琴は自らの電撃使いとしての能力を駆使し、指先から直接電子情報を読み取っているのだ。
『書庫』やその他学園都市に関する情報の中から『一方通行』に関するのデータを検索する。
(前も同じことしたけど……やっぱり一筋縄ではいかない、か)
美琴の額に小さな汗の玉が浮かぶ。
美琴のやっていることはまぎれもない違法行為であり、しでも手順を間違えれば痛い思いをするのは彼女自身だ。
精密で繊細な作業を延々と繰り返す。
(以前入手したデータと比較して更新されている部分、追加されている部分を中心に抽出……)
「……ふう」
一時間ほどPDAと格闘してから視線をふっと空に向ける。
進入の痕跡、PDA内のデータの消去などをてきぱきと行い、得られた情報について頭の中で反芻する。
『書庫』内の一方通行に関する能力データには変化はなかった。彼の現在の住居等に関する情報は一切記載されていない。
表面上は。
美琴は一方通行個人のデータからさらに範囲を広げて、過去に行われた『妹達』の実験についての情報へもアクセスした。
少し前にも同様のことを試みたので、今回は割とあっさりと道筋を見出すことができた。
『妹達』に関する実験、『絶対能力進化実験』についての記載の変更点。それは実にそっけないものだった。
『『一方通行が学園都市最強である』という樹形中の設計者による演算の前提が否定されたため、本実験は永久的に凍結するものとする。なお、実験において量産された『妹達』については添付の資料に記する』
そしてその『添付資料』のファイルが二件。
世界各地に散らばった『妹達』の処遇についてが一件。
そして、高度に暗号化されていたもう一件の内容は実にシンプルなものだった。
『一方通行について:一方通行は××年九月現在で言語能力、演算能力を喪失。その能力が劇的に弱体化したため、樹形中の設計者が再構成されたとしても本実験は再開されない。なお、統括理事による『プラン』への影響はないものと考えられる』
一方通行の能力が弱体化したこと。これがまぎれもない事実であることを美琴は知っている。
それは学園都市にとって秘匿すべきであり、そのことに関するファイルが厳重に暗号化されているということにも納得がいく。
いや、むしろ――
(セキュリティレベルが、甘い。というより隠すことによって逆に閲覧してくださいって言ってるようなものね、)
学園都市の技術レベルから言えば、もっと上手く秘匿することなど簡単なはずだ。
そもそもこの単純なファイルは付け加える必要はないのではないか。
『プラン』というのが何を意味するのかは美琴にはわからない。
しかし、わざわざ終了した『絶対能力進化実験』の末尾に記載する内容ではない気がする。
ということは何か別の意図により付け足されたと見ていいだろう。
(……学園都市上層部への反抗者を、洗い出すため?)
学園都市の表に出せない実験について調べていけば、この内容にぶち当たるようにできている。
この『プラン』とやらで一方通行が鍵となっていること、学園都市上層部の意思が深く反映されていることは一見して明らかだ。
統括理事のやり方に不満を持つ者たちに、『プラン』の中核を担う一方通行を殺害するように仕向けた、と考えると。
おあつらえむけに一方通行の能力が弱体化したことまで記載されている。
一方通行がまるで狙って下さいといわんばかりに橋の上でぼーっとしていた理由、図ったかのようなタイミングで狙撃を受けた理由が理解できる。
美琴はそこまで想像して、ぞっとした。
しばらく前に感じた学園都市の『異常さ』がまたもや美琴の中で形になる。
公園では小学生程度の少年達が無邪気に球技に興じている。その裏で、学園都市はいったい何を行おうとしているのか。
美琴の知らないずっとずっと前から。
どう考えても一方通行は学園都市の闇に染まりきっている。
これ以上彼に関わるべきではない、と美琴のどこかが警鐘を鳴らす。
しかし、美琴は一方通行の影を追いかける小さな少女のことを知っていた。彼女は今も街に出て、一方通行のことを探し続けている。
美琴は忠告するべきなのかもしれない。打ち止めに「もう一方通行に関わるのはやめろ」と。
だが、あの白い少年の真意がどこにあるのかを知らない美琴には、それが本当に正しいことなのかわからない。
彼が今現在どこにいるのか。何をしているのか。そしてどこへ向かおうとしているのか。
偶然彼を見かけることができたそのチャンスを生かせなかったことが悔やまれる。
美琴はぎゅっとPDAを握り締めると、再びその表面に指先で軽く触れた。
*
「お疲れ様です。『仕事』にはもう慣れましたか?」
謎の圧迫感を一方通行に与えながら、海原光貴は一方通行を出迎えた。
指先がちりちりとするような感覚。何度も顔を合わせているのに、これだけはいつまでたっても慣れない。
自然と海原と距離をとりながら、一方通行は部屋へと足を踏み入れる。
「……いちいち待ってやがったのか。暇な野郎だ」
「別に、そういうわけではないんですけどね。ここは元々『グループ』の隠れ家の一つです。自分がくつろいでいてもおかしくはないのでは?」
端正な顔に少し困ったような表情を浮かべて海原が言う。
そう言えば、この男はどこに寝泊りしているのだろうか。表の顔を持つ土御門や、どこかの教師のところに転がり込んでいるという結標と違い、そもそも海原は自身の顔も名前も偽者だと告白していた。
この際だから聞いてみようか、とも思ったが別に知ってどうするわけでもない。
一方通行は海原の言葉に無視を決め込んでキッチンに設置された冷蔵庫から缶コーヒーを取り出した。
海原も一方通行と特別仲良くするつもりもないらしく、無視されたことに対して不満の声も上げない。
海原を避けるようにリビングのソファにどかっと腰を下ろし、缶コーヒーの飲み口に口をつける。
「先ほど、御坂美琴さんと一緒にいましたね?」
海原光貴は笑っているようでいて、その目には軽く殺意がこもっている。
それが、わざわざ自分を待ち構えていた理由か、と一方通行は納得し、ため息をつく。
この男はどうやら超電磁砲にえらくご執心らしい。
「……だから?」
「御坂さんは超能力者(レベル5)とはいえあくまでも一般人です。自分達の『仕事』に巻き込むようなまねは止めてください」
「俺のせいじゃねェだろォが。人払いはしてあったはずだろ」
海原は不満そうに肩をすくめた。
一方通行はその仕草に舌打ちをする。ただでさえコーヒーの缶を強く握っていないと指先が震える事実に苛立っているというのに。
コーヒーが不味い。この銘柄はこんなにも鉄の錆びたような味だっただろうか。
「……クソ」
ソファの脇に立てかけておいた杖を乱暴に掴む。引き寄せた際に杖の先が床にこすれて不快な音を立てた。
その音に海原が顔をしかめる。
いい気味だ、と思いながら杖を頼りに立ち上がり、飲みかけのコーヒーを缶の中に半分以上残したままゴミ箱へ投入した。
そのままソファへとは戻らずに部屋の出入り口に通じる廊下へと足を踏み出した。
「どこへ?」
一方通行は無言でドアに手をかけた。答えてやる義理などない。気にせずノブをガチャリとまわした。
金属製のドアが薄く開き、少し寒いくらいの外気が流れ込む。
「自分は御坂さんに関しては彼に任せているのですが、彼女を不幸にする要因をむざむざ放っておくことなどしませんよ」
と、一方通行の背後から海原の冷たい声が響く。
先ほどのような、冗談の中に潜ませたものとはちがう。本物の殺意が一方通行の背中にじくじくと突き刺さる。
「自分は、そこまで愚鈍な人間じゃない。覚えておいてください」
一方通行は海原の言葉など聞こえなかったかのように、背後を確認せずに後ろ手でドアを閉めた。
*
一方通行が『グループ』の隠れ家を出たとき、あたりはすでに暗くなっていた。
完全下校時刻はとうに過ぎており、あたりに人通りは少ない。
それでも高校生から大学生程度の年齢の学生の姿がポツリポツリと見える。
一方通行は街灯で照らされた歩道を歩く。
その足は杖を突いているからというよりは歩くのが面倒だからという理由で遅い。
だらだらとした歩みに飽きが来たころ、一方通行は目的のコンビニへとたどり着いた。
自動ドアをくぐると、店員の事務的な挨拶が聞こえてきた。
カウンターの中の店員には目もくれず、買い物籠を掴み取り、店の奥へと進む。
ドリンク棚の扉を開けると、目に付いた銘柄のコーヒーを残らずかごに放りこんだ。
(チッ、まったく忌々しい)
切れかけなのか、チラチラと蛍光灯がほんのわずかに明滅している。その微妙な変化が鬱陶しいことこの上ない。
レジまで歩く間にも蛍光灯は視界の隅に映る。
買い物かごをレジカウンターにドンと音を立てて乱暴に載せた。
店員の声と表情が入店時よりも引きつって見えたのは一方通行の苛立ちが伝わったせいなのかもしれない。
(この店にはもうこれねェかもな)
面倒なことになった。
一方通行は体中から発散するさっきを隠そうともしない。
イライラを隠そうともせずに舌打ちをすると、店員の顔がさっと青く染まった。
会計を終え、缶コーヒーの入った袋をひったくるようにして受け取り、足早に店を出る。
(無駄にブラックコーヒーの種類が多くて悪くはなかったンだがな)
来た方向とは逆へと向かう。このまままっすぐ隠れ家に戻る気はなかった。
別の隠れ家に移動したほうがいいだろうと思いながら道を行く。
少しはあった人通りがまばらになり、やがてなくなる。
街灯の立つ間隔も少しずつ広がり、人の気配はすでにしない。
一方通行が歩いているのは、未だに開発中の地区だった。
新しい学校でも建つのか、商業施設でもできるのか。
工事中の建物や小さな空き地などが目に付くようになってきた。
足場の組まれた建物の角を曲がると、バリケードで囲まれた広大な空き地があった。
一方通行はその申し訳程度につけられた出入り口を蹴飛ばして開けると、我が物顔でそこに進入した。
足元に敷かれた砂利が一方通行が歩くたびに不快な音を立てる。
学校のグラウンドほどの大きさの空き地だった。隅には機材や建材が無造作にが積まれていた。
「もォ、いいだろ」
星の見えない夜空に一方通行の声が吸い込まれた。
それに呼応するように、背後でジャリ、という足音が鳴った。
(打ち切り?)
最終更新:2011年01月23日 21:49