7月30日午前11時30分、『樹形図の設計者』情報送受信センター
少し時間は遡り、『猟犬部隊』がエツァリ達と接触するより前の事。
鼻歌交じりにキーボードを叩く木原の事を、木山は本気で殺してやろうかと思っていた。
(この男……だから私をここに連れてきたのか!)
ここは、『樹形図の設計者(ツリーダイアグラム)』と呼ばれる超高度並列演算器と、唯一交信が出来る施設だ。
『樹形図の設計者』は、正しいデータを入力さえすれば、完全な未来予測(シミュレーション)を可能にすると言われている。
木原は数分前、上層部に申請してその使用許可を取り付けていた。
(あれほど私が望んでも許されなかったというのに……)
そしてそれこそが、木山に激しい怒りをもたらす原因である。
かつて彼女は、意識不明に陥った教え子を救う為に『樹形図の設計者』の使用申請を23回も申し出たが、全て却下されたのだ。
「木山ちゃん、怖い顔してんじゃねーよ。念願叶ったんだからさ?」
「貴様……!」
歯をギリギリと食いしばる彼女に対し、木原は予想外の事を言い出した。
「俺の指示通りに働いた後なら、ちょっとばかし俺は“目を離す”から好きに遊んでろよ」
「な……」
それは信じられない言葉だった。
あの木原が、“上”に逆らってまで木山に便宜を図る。
当然、何らかの思惑があるに違いない。
(何のつもりなのだ、あの男は?)
(だが、これはまたとない機会でもある)
(あの子達の為に、なんだってすると誓ったんだ)
(躊躇う理由など、在りはしない……!)
だが木山は、敢えてそれに乗っかった。
例え木原がどのような計画を立てているとしても、このチャンスを逃す訳にはいかないからだ。
それから2時間ほどして。
2人の科学者は、『樹形図の設計者』に新しいシュミレーションプログラムのひな形を入力し終えた。
それは元々存在した『能力の発現状況をシュミレートするプログラム』を流用していたので、ごく短時間で完成に漕ぎつけたのだ。
ちなみにインデックスは、木原が用意した大量の昼食を食べてお昼寝中である。
「おし、システムに異常はねぇな」
「……ああ。ソースコードのバグも確認されなかった」
「じゃあ自由時間にしてやるよ。精々頑張れ」
木原はそう言うと、本当に木山から“目を離し”てモニターを眺め始めた。
「……」
そして。
木山は自分の教え子を救おうと、再び『樹形図の設計者』へアクセスをする。
隣にいる男の口元が、わずかに上がっている事に気づかないで。
同時刻(日本時間)、バチカン
学園都市にいる1人の科学者から、驚くべきメッセージが届けられた。
その報告は、直ちにローマ教皇の耳にも入る事になる。
しかし、この事態を自分1人で判断するべきではないと彼は結論づけた。
代わりにローマ正教の行動方針を委ねられたのは、教皇の「影の相談役」として設置された『神の右席』だ。
そのメンバーのうち3人が、学園都市の科学者――木原数多にどう返事をするべきか現在話し合っている。
「どうやら、イギリス清教の『禁書目録』が学園都市の保護下にあるのは事実の様であるな」
「とんだ失態をしでかしましたねー。よりにもよって異教のクソ猿が魔道書図書館を手に入れるとは」
「しかも図に乗ったこの科学者は、私達と取引しようと持ちかけてきてる……虫唾が走るわね」
アックアの報告に、テッラとヴェントが憎々しげな表情で侮蔑の言葉を吐いた。
元々2人は、科学サイドを敵視しているのだ。
「そうは言っても、このまま捨て置くのはマズイのである。聞けば『必要悪の教会』の魔術師が、禁書目録の奪還に失敗したとか」
「だから? 言っておくけど、私は科学サイドの人間と慣れ合うなんて絶対に認めない。必要なら学園都市を私が潰してやる」
「異教徒と取引なんて、こちらがバカを見るだけですからねー。手っ取り早く奪っちゃいましょうよ」
木原が申し出た事は、『魔術』の共同研究。
禁書目録の知識及び学園都市の技術を提供するので、代わりにローマ正教の持つ魔術を全て明かして欲しいというものだ。
だが当然、そんな提案を受け入れる事など2人は考えられない。
「っていうか、今が絶好のチャンスじゃないの」
好戦的な口ぶり。
舌なめずりをしそうな表情で、ヴェントが声高く主張した。
「科学サイドに捕縛された、修道女を救う――そんな大義名分で堂々と禁書目録を私達のモノにできる」
「ぬ……」
「いいですねー。異教徒とはいえ、一応は十字教のシスターですから。アレが持つ知識は貴重ですし」
この場の空気が、学園都市と交戦することにほぼ決まりかけたその時。
「いかんなぁ。まんまと相手の策略に乗せられているようでは」
ようやく姿を見せた『神の右席』最後の1人が、その全てを言葉で切り裂いた。
「どういうことであるか?」
「やれやれ。まさかお前らは、向こうが本気であんな申し出をしてきたと思っているのか?」
そう嘲笑するのは、『神の右席』のリーダーでもあるフィアンマだ。
彼の言葉の意味が分からないので、他の3人は無言になるしかない。
「俺様には分かる。キハラとかいう科学者は、むしろ学園都市を攻めて欲しがっているのさ。つまりは挑発だな」
「何……?」
「驚く事かヴェント。少し考えれば一目瞭然なんだが」
「ですが、何故です? まさか本気で我々に勝てると思っているのですかねー?」
「それもあるんだろうが、それだけじゃない」
「?」
「向こうはすでに禁書目録を所持している。となれば後足りないのはそれを扱う“魔術師”だろう」
フィアンマの発言は、3人に大きな衝撃を与えた。
特に科学嫌いのヴェントは、目を見開いて愕然とする。
「ま、さか……この私達も捕獲して、モルモットにするつもりだった!?」
「ああ。俺様達がこの提案に乗るならそれで良し、挑発に乗って魔術師を寄こすのもそれで良しって事さ」
「……何と言う事であるか。それで、どうするつもりなのかね?」
アックアの疑問に対し、フィアンマは。
「こう返事をしようか」
7月30日午後2時30分、『樹形図の設計者』情報送受信センター
部下からの連絡を受けた木原は、その対処をインデックスに任せて自分の作業を続けている。
彼がここに来たのは、元々そのためだからだ。
(木山ちゃんは作業に夢中で、イイ感じに俺から“目を離した”)
(ガキどもをエサにした甲斐があったぜ)
プログラムを素早く組み立てるには、どうしても彼女の協力が必要だった。
だが、今している作業を彼女に見られるのは、面倒極まりない。
故にわざわざ、彼女の好きな様にシュミレートをさせている。
(ハハ! テストは完了! 廃棄寸前の人工衛星メモリに異常ナシだぜぇ)
(これで『樹形図の設計者』にデータを送っても問題は無いって事が確証された!)
その間に木原が行っていたのは、“とあるデータ”を機械的に保存できるかの実験だ。
そしてそれは、たった今成功した。
(まぁ当たり前だよな。なにしろデータは全て文字情報に記号や画像)
(情報そのものがアンタッチャブルな代物だったら、そもそも本に書き起こすことは不可能)
(それを0と1のデジタルデータに変換するぐらい、出来なきゃおかしいもんなぁ)
(あのガキが情報を保存出来ているのは、本人に魔力が無いから)
(そして、『樹形図の設計者』にも魔力は無いんだぜ?)
木原が『樹形図の設計者』に保存している“とあるデータ”とは、『学習装置』に保存された記憶を展開したものだ。
廃棄寸前の人工衛星メモリ内でそれを文字情報に変換したが、特に異常は発見されなかった。
(ちくしょう、自分の目で見れねぇのが悔しくて仕方ねーぞ!)
(だがまぁ、利用できるのならこれで我慢するか)
すでに文字情報はデジタル化されているので、木原が今見ても0と1の羅列でしかない。
だが、『樹形図の設計者』はそれを正しく読み取っている。
インデックスの記憶から抽出した、10万3千冊の『原典』を。
(よしよし、よしよしよしよしよしよし!!)
(データの入力は終了、後はこれを元にさっき作ったプログラムを作動させればオシマイだ)
――『樹形図の設計者』は、正しいデータを入力さえすれば、完全な未来予測(シミュレーション)を可能にすると言われている。
そして正しいデータとして、10万3千冊の『原典』はここにインプットされた。
つまり現在の『樹形図の設計者』は―――。
(学園都市製の『禁書目録』の完成だぜ、ざまーみろ!!)
あのインデックスと同等の、対魔術解析能力を手に入れたという事だ。
7月30日午後2時45分、病院の地下エリア
4人の敵に銃口を向けられたエツァリは、状況を打破する方法が1つしかないと判断した。
運悪く地下に追い込まれているので、金星の光を利用するトラウィスカルパンテクウトリの槍という主武器は使えない。
しかもその術式は、多人数を相手にするのに向いていないのだ。
ならば。
「降参しましょう、抵抗はしません」
隙を突くしかないではないか。
あっさりと両手を挙げたエツァリに、ショチトルが信じられないモノを見た、といった表情を向ける。
だがそれを黙殺した彼は、ゆっくりと跪いて抵抗の意思が無い事を示す。
同時にショチトルも跪かせながら、小声で彼女にこう告げた。
(即座に自分を射殺しなかったことから見ると、どうやら彼らに下された命令は捕縛の様です)
(自分が持つ『原典』は未だ不安定ですし、ここは素直に従いましょう)
(だがしかし……!)
(それに彼らは恐らく『禁書目録』に通じています。機会を待って入れ替われば……)
結局ショチトルは、エツァリの言う通りにするしかないと判断し、悔しがりながらも抵抗を諦めた。
あまりにもあっけない結末に、意表を突かれたのは『猟犬部隊』だ。
まず間違いなくここで激戦が始まるものだと思っていたのに、結局は銃弾を一発も発射することなく戦いは終わってしまった。
「……デニス、木原さんに連絡しろ。撤収する」
「了解」
取りだしたパチンコ玉をそっとしまい、マイクが迅速に指示を飛ばす。
当然彼は、この医者と看護師に化けた侵入者を信じてなどいない。
そしてそれは、無線越しに報告を受けた木原も同じだった。
『分かってんなマイク、連中は隙を突く気だ』
「ええ。油断などしません」
『ならいい。そいつらは姿を自由に変えられる見てぇだし、戻ってきたテメェらが妙な行動をしたら遠慮なく一発カマすからな』
「……こいつらが俺達に成り済ます気だと?」
『あー? 当たり前の話をさせんなカス。連中があのガキを狙ってる以上、それ以外考えられるかよ』
「失礼しました。では待機所へこいつらを連れて行きます」
『――いや、ちょっと待て。逆に隙を作れマイク』
「……は?」
突然の指示に、マイクは思わずうろたえた。
『アイ・カメラはまだ作動してんだし、俺とガキにあいつらが魔術を使うところを見せろ』
「それは……」
『他のメンバーには内緒で、こうするんだ』
木原の悪趣味な命令に、マイクは抗う術を持っていない。
一言了解、と呟いて命令を忠実に実行した。
その後猟犬部隊は、エツァリとショチトルに銃を突きつけながら、病院の駐車場に止めてあるワゴン車まで連行。
そして自分達の車に乗り込む直前、マイクは手榴弾を向かいの車へ誰にも気付かれないように放り投げる。
捕えた侵入者は後部座席に縛り付け、真ん中の座席にデニスとナンシーが座った。助手席はヴェーラだ。
何食わぬ顔でマイクが運転席の扉を閉めて、待機所へ戻り始めたその瞬間。
『絶対等速』の能力を解除された手榴弾が、時間差で向かいの車を爆破した。
ドォォン!と凄まじい振動が発生し、猟犬部隊の車が急停止する。
「何事!?」
「敵襲の可能性がある!デニスは車内で待機。残る3人で付近の警戒だ!」
ナンシーの叫び声を圧倒するかのように、マイクが大声で指示を出す。
咄嗟の出来事で判断力の低下していたナンシーとヴェーラ、そしてデニスの3人はマイクの指示に従った。
「付近を確認する、いくぞ!」
一瞬で車外に飛び出たマイク達は、まさに猟犬のごとく散らばっていく。
唯一車に残ったデニスも、ショットガンを構えて外にいるであろう敵を警戒する。
――そう、“外”にいるであろう敵を。
それから5分ほど経過して、マイク達が車に戻ってきた。
結局敵を見つける事は出来なかったので、ナンシーは不機嫌そのものだ。
そのイライラを、1人車で待機していたデニスにぶつけている。
「あの爆発は何なのよ一体……デニス、あんた敵を見てないの?」
「……ああ」
「ふん、使えないわね」
ナンシーがそう言っている最中、ヴェーラはふとある事が気になった。
後部座席で縛られている2人が、やけに大人しい。
(まあ、これから先の処遇を考えれば仕方ないのかな)
(あーあ、カワイソー)
助手席でそう思っているヴェーラは、マイクが無言で後ろを眺めていた事に気がつかなかった。
ましてや、この状況が全て木原の計画通りであることなど。
7月30日午後3時30分、『猟犬部隊』32番待機所
無事に侵入者を捕縛したという連絡を受けた木原は、とある指示をマイクに出した。
そしてそれも問題無く実行され、すでに木原とインデックスはモニターでそれを確認済みだ。
今は彼らの帰りを待ちながら、この後の計画を練っている。
(順調順調と言いたいトコだが、問題はコレだよなぁ)
『樹形図の設計者』情報送受信センターから帰ってきた木原が悩んでいるのは、新しいシステムの利用法だった。
すでに魔道書の情報は『樹形図の設計者』に送信しているものの、現時点ではこれを上手く活用することは出来ない。
何故なら『樹形図の設計者』から魔術情報を“受信”するには、先のセンターまで赴く必要があるからだ。
『樹形図の設計者』はその性能の高さゆえに、センター以外からの利用は不可能にされている。
(魔術師が出てくる度にセンターへ行くのは馬鹿らし過ぎるし)
(そこに籠りッきりって訳にもいかねェ)
(やはりアクセス用の小型端末を用意するのがベストだ)
もちろん技術的にはそれを作るのに問題無いが、自由度の高いアクセス権限を持つのはそう簡単ではない。
その権限を手に入れるには、統括理事会の合議により承認を得なければならないからだ。
(だが現状を鑑みると、上が俺にそこまでの特権を与えてくれるはずはない)
(下手にアクセスした結果、『樹形図の設計者』の利用権限を失いましたじゃ笑えねぇぞ)
(さーて、どーすっかなー)
目の前に立ちはだかる難問を、木原は楽しげに解き始めた。
7月30日午後3時(日本時間)、ロンドン
早朝のロンドンを、2人の魔術師が足早に歩いている。
その両者には共通の苛立ちと不安、そして渇望が存在していた。
「……僕はともかく、君が行くとなれば事はただでは済まないぞ」
「だからと言って、もうこれ以上待つのは不可能です」
大柄な神父の警告に、長刀を携えた女性が即座に反応する。
「……」
「あの子が大切なのは、あなただけではないのですよ――ステイル」
「それは分かっているさ。それに『聖人』が一緒となれば心強いというのも認める」
「ではそれで良いでしょう。もう最大主教の計算とやらに振りまわされたくは無い。この手であの子を取り戻せるなら、いかなる罰も恐れません」
「分かった。じゃあ、行こうか神裂」
「――あの子の囚われている、学園都市に」