< 第2部 >
08 「花の女子高生」
「行ってきま~す」
「ごはんまだ~?」
「ぶっ!?」
あたしはあやうくフローリングの床で滑って転ぶところだった。
「いいから静かにしてなさい!! あたしは学校行ってくるんだから!」
あたしの名前は佐天利子(さてん としこ)、学園都市教育大付属高校に通う高校1年生。
あたしは、高校1年からここ学園都市に来た。だから、学園都市デビューは遅いグループに属している。
「おはようございま~す、佐天で~す」 あたしは隣の部屋のインタホンに向かって挨拶する。
お隣は湯川宏美(ゆかわ ひろみ)さん。
そう、あたしと上条麻琴が初めて二人で学園都市に入ったとき、第一中央能力開発センターで一緒のグループになったうちの1人だ。
世の中は思ったより狭い、なんてね。彼女はあたしより1つ年上の2年生だ。
少しして、ドアが開いた。
「おはようございます。お待たせ。じゃ、行きましょ!」
湯川さんが玄関を開けて、扉を閉めた。殆ど音がしない、重厚な扉。
ここはオートロック、まるでホテルかと思うような、贅沢な作りの教育大付属高校の女子寮の廊下。
もう慣れたけれど、最初に来たときは正直あたしは少しびびった。
分厚いカーペットの上をあたしと湯川さんは並んで歩いて行く。
「佐天さん? つまんない話だけれど」 湯川さんがいたずらっぽい顔であたしを見る。
「昨日から、誰か、お部屋にいるの、かな?」
「わっ!?」
――― ドスン ―――
あたしは今度こそ転けた。カーペットの継ぎ目に靴先をひっかけて。
「ちょ、ちょっと! 佐天さん大丈夫!?」
「ててて……、だ、大丈夫です。スイマセン」 あたしは湯川さんに掴まって立ち上がった。
「危ないわねぇ、気をつけないと……。 で、マンガ的にこのタイミングで転けるというのは、図星、ってわけ、なのかな?」
湯川さんが(ほーら、はよ言え)という顔であたしを見てくる。
「ち、違いますよぅ、そんな期待してるようなことじゃないんですよぅ! 誤解しないで下さいよ!」
あたしはあたふたと手をふりまわして、湯川さんの誤解を解こうとする。
「ふ~ん、そうなの?」
「あ~、先輩が今晩うちに来ればわかりますから!」
「あら、そう。行って良いのかな?」
湯川さんは、(会わせてくれるってことは、カレシとかじゃないのか~)とでも思っているのか、明らかにちょっと落胆した感じで返事を返してきた。
「せんぱ~い、まさか、おかしな事考えてたんじゃないでしょうね~? だいたい、ここに外部の人は簡単に入れませんよぅ?」
「こらっ! 先輩を冷やかしちゃだめっ!」
あたしたちはエレベーターホールでエレベーターを待つ。
(夕方・完全下校時刻を少し過ぎた頃)
「あ~、自分で取っておいてナニだけど、月曜から補習って失敗したかなぁ~…… 花の女子高生だってのに……」
あたしはブツブツ文句を言いながら連絡バスを降りた。
「高校受験より酷いかも……」 クラスメイトの大里香織(おおさと かおり)ちゃんがあたしのつぶやきに合わせてため息をついた。
「こんなに補習があるだなんて、詐欺だよねー」
「……うん」 あたしも同感だ。
高校から入ったクラスの人間は、学園都市育ちの人とのカリキュラムレベルを合わせるために補習に次ぐ補習があるのだった。
(解説)
学園都市のカリキュラムは、普通の学校で行う勉強の他に、「超能力」についての開発が入っていることに非常に特徴がある。
どっちかというと、この「超能力開発」にスポットライトが当たることが多いのだけれど、実は「普通の学校で行う勉強」についても、実際のところは違うのである。
簡単に言うと、幼稚園の段階で、既に小学校低学年でやるような事を教えてしまっているのだ。
従って、小学校に入学すれば4年生のレベルの勉強が、そして高学年では中学校の、中学校では高校生の、と言うような感じだ。
しかし、当然ながらそれぞれの段階で外から入ってくる児童・生徒・学生がいる。いきなり、下から上がってきているひとたちと同じレベルのクラスに入れると問題が起きるので、どこの学校もレベルによって区分けを行っている。
もちろん、逆に素晴らしく優秀なひともまれに存在するわけで、そう言う人たちは飛び級で進学できるようにもなっている。
だから中学校3年生のレベルのクラスに何故か小学生程度の子供がいたりする。
ちなみに、あたしのいるクラスは全員が高校入学からの転入組だった。
補習は3時限あり、最後は完全下校時刻の18:30直前の18:15まで行われていて、連絡バスはその18:30に終バスが出る。
これに乗りはぐれると歩いて帰ってくるか、タクシーを使うしかなくなるのだ。
東京より圧倒的に不便だ。 時代の最先端を行く学園都市なのに、なんという田舎かとあたしは今でも思う。
連絡バスはタダだし、座れれば快適ではあるが、当たり前の事ながら、学校と寮との往復しかなく、途中下車は出来ない。
途中で買い食いとか本を買う、という場合には全く使えない。
「朝は仕方ないから乗るけど、帰りはね……」 と言った湯川さんの言葉の意味が今よくわかる。
でも、朝にはメリットもある。これに乗ってさえいれば、たとえ途中で渋滞等によりそのバスが遅れた場合でも遅刻扱いにならないのである。
そのため、たいてい朝の最後の連絡バスはすし詰めだし、雨の日はもちろん沢山の人が乗る。
一度寝坊して、危なく最終バスに乗り損なうところだった。
(解説終)
あたしは寮の玄関前に立ち、左手をチェック機にに当て、「だるまさんがころんだ!」と話しかける。
「声紋チェック、さてん としこ と確認」
「静脈シルエット・指紋チェック 完了 さてん としこ 確認」
無機質な機械音声が流れてゲートが開いた。
正直、セキュリティはスゴイと思う。でも、すっごくトロいし、実際に一度にバスから30人も出てきたら、この6つしかないゲートは行列になってしまう。
これじゃぁ、連絡バスで帰りたがらない人が出てくるわけだよねー。
「月に代わって、おしおきよ!」
隣のゲートでは、カオリん(大里香織)がセーラームーンの決めぜりふで声紋チェックをやっていた。
最初の頃はみんなマジメに自分の名前を言っていたけれど、いまでは誰もマジメに言っていない。
ただ、まずい言葉はあるらしくて、あるとき誰かが「痴漢~!」と叫んだところ、いきなりサイレンが鳴って警備ロボがすっ飛んできた事があって、その子は後で寮監からこっぴどく怒られていた。
ふかふかの絨毯を踏んで、あたしたちは食堂に入った。
ブッフェスタイルなので、この時間になると残りは少なくなっていた。
プチトマト完売。キュウリのスライス完売。水菜完売。スイートコーン残り僅か。レタス少し、千切りキャベツ少し。
セロリ 沢山(笑)、きんぴらゴボウ 少し、ほうれん草おひたし完売……
ベーコン少々、ソーセージ完売、生ハム完売、ハンバーグ完売、チキンカツ完売、メンチカツ完売、スモークサーモン残、ゆで卵残、生卵残、ええええ?
結局、ごはんとみそ汁、スープ以外、何が残ってるんだろう??
そして、あたしたちの最大の楽しみ、デザートは「んなもの、あるわけねーだろ」状態だった。
猫がなめたように綺麗さっぱり消えていた。
「はぁ……、補習だとやっぱり無理だよね……」 あたしはため息をつく。
「あたし、今日はご飯ぬいちゃおうかな、疲れたし」 カオリんもため息をついた。
「そう言って、チョコ食べると太るよ?」 あたしはカオリんのウエストをおおげさに見ながら釘を刺した。
「どこ見てるのよ? やめてよ~、気にしてるんだから!」 カオリんが笑いながらあたしの肩をパンと叩く。
「ま、少しでも良いから食べよう?」
「うん、リコちゃんと一緒ならいいよ?」
ニコッと笑ったカオリんと一緒に、あたしは夕飯を食べた。お互いに少しは気晴らしになっただろうか。
ふと、あたしは思った。
詩菜大おばさまは、あの家で、一人でご飯を食べているのだろうか……、寂しいだろうなぁ……
「上条さん、どうしましたぁ?」 御坂美鈴がほんのり赤い顔で言う。
「はいはい? いえね、あの子たち、ちゃんとご飯食べてるかな?ってふと思っちゃったりして……」
上条詩菜がこれまた少し赤い顔で答える。
「ふーん、寂しいんだ?」 美鈴がからむ感じで突っ込む。
「そうね、ちょっと寂しいかもね。だーから、美鈴さんを呼んだんでしょー! ほらほら、かんぱーい!」
「いぇーい!」
キャハハハハという二人の笑い声が玄関から漏れ聞こえている。
「どうした?」
「今、凄く入りづらい……」
「なんで?」
「かなり出来上がってるらしいんだよ」
「じゃぁちょうど良いんじゃないか?」
「どうやら、きみのかみさんも一緒みたいなんだが?」
「え?…………あの、上条さん、場所を変え……ないかな?」
上条刀夜と御坂旅掛の二人は玄関先で立ちすくんでいた。
「じゃ、おやすみ~」
「おやすみなさ~い」
カオリんは4階で降りた。あたしはそのまま8階まで上がってゆく。 自分の部屋の前まで来て「あ」とあたしは思い出した。
あたしはカバンをドアノブにぶら下げておき、隣の湯川さんの部屋のインタホンに向かって喋る。
「こんばんはー、佐天です。先輩いらっしゃいますか?」
しばらくして湯川さんが出てきた。
「遅かったのね、今日も?」
お疲れ様、と言う感じで声をかけてくれた。
「はい、月曜からってのは勘弁して欲しいですねー」とあたしも合わせて答える。
「もしかして、朝の話の続き、なのかな?」
「そうですよー」
「ホントにいいの、かな?」
「いいですよ、やましいことないし」
あたしはカバンをノブから外して、オートロックチェッカーに自分の左手を当て、ロックを解除した。ドアを開けると玄関に電気が点く。
「おなかすいた、おなかすいた、おなかすいた!」
いきなり叫ぶものがいた。
「佐天さん、だれっ??!!」
湯川さんがバッとあたしの後に隠れる。
「大丈夫ですよ、安心して下さいな」
あたしは湯川さんの肩をぽんぽんと叩いて、靴を脱いで部屋に上がる。
湯川さんもサンダルを脱いでおそるおそる、と言う感じでうしろについてくる。
「あ」
「ごはんまだ~ ごはんまだ~」
九官鳥だった。
「いや、昨日のことなんですけどね」
あたしは湯川さんに話し始めた。
*ふとんを干そうとベランダに出ると、何か黒いものがそこにいた。
「あら?」
「おなかへった、おなかへった、おなかへった」
いきなり呼びかけられて、あたしは思わずふとんを落としてしまった。
九官鳥がそこにいたのだった。
あたしが、そーっと後ずさりすると、九官鳥は「おなかへった、おなかへった」と言ってあたしについてくる。
とうとう部屋の中にまで入ってきた。
「アンタ、人に慣れてるねぇ?」
あたしは何か食べるものなかったかな?と考える。
ものは試しでピーナツをあげてみた。
トリはいきなり丸飲みして「クー」と鳴き、また「ごはんまだ? ごはんまだ? おなかへった」と言う。
あたしは3つあげた。3つともすぐさま丸飲みした。
「あたし、あんた飼うこと出来ないから、ほら、バイバイ?」
あたしは九官鳥を外へ追い出して、ふとんを干した。
2時間ほどして、ふとんをひっくり返そうとしてベランダに出ようとしたら、
―――― そこに、ヤツはいた ――――
つぶらな瞳でそいつはあたしを見て、
「ごはんまだ? ごはんまだ? ごはんまだ?」と鳴いたんですよ。
「アンタねぇ、あたしは飼えないって言っただろー?」と言ってしっしっと追い払おうとすると
あの野郎、いきなりあたしのアタマに止まって、
「おなかへった、おなかへった、おなかへった」と鳴きやがったんですよ。
「佐天さん、ちょっとだんだん言葉が乱暴になってきてるわよ?」 湯川さんがたしなめる。
「あはは、そうですね。でも本当にあのときはコイツをマジで締めようかと思いましたよ、あー、思い出しても腹立つ!
だってですよ、トリの爪がアタマに食い込んで、そりゃ凄く痛いんですよ。病気持ってるかもしれないし。
ヒチコックの『鳥』を思い出しちゃいましたよ。まぁそれでコイツをつかんで外へ放り出したんですが……」
九官鳥は飛んでいった。
あたしはホッとして、やがてそのことを忘れた。
そして夕方。洗濯物を取り込もうとしてカーテンを開けると
―――― ベランダの手すりに、ヤツは留まっていた ――――
あたしは意を決して、ガラとサッシを開けると、そいつはニコッとして(そういうように見えた)
「ごはんまだ?」といいやがりましたよ。
あたしが「不幸だ」とため息をつくと、そいつはひょいと飛んでよく知った家のごとく中に入って「おなかへった」と
いいやがったんですよ。
あたし、とうとう根負けして、でも鳥かごがないので、とりあえず段ボール箱に入れてあるんですが……
「おもしろいわぁ! アハハハハハハハハ、あなた、すっかり九官鳥に気に入られたのね、おなかへった、ごはんまだ?
ってすごいわぁ、アハハハハ」
湯川さんが腹を抱えて笑う。
「でも誰が教えたんだろうね? よりによって、『おなかへった』と『ごはんまだ』って、何よ? ……… 子供かな?
よっぽどおなか空かせてるんだわね、かわいそうに……え?」
ふと、湯川さんがまじめな顔になった。
あたしも気が付いた。
まさか、……虐待?
「ちょっと気になるわね。他に言葉は出てこないのかな?」 湯川さんが聞く。
「うーん、まだ1日しか経ってませんから……。もう少し時間が経つと他に喋るかもしれませんが」
「よし、明日、風紀委員<ジャッジメント>のみんなに相談に行くわよ!」
「……マジですか? あたし、明日も補習なんですけど」
「あら残念ね。じゃ、あたしがこの子借りるわ。あたしは通常授業だから結構時間はあるから。まかせてよ」
湯川さんはそう言って、あたしのところから九官鳥の入った段ボールを持って部屋に帰っていった。
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*タイトル、前後ページへのリンクを作成、改行を修正致しました。(LX:2014/2/23)