上条「學園都市……か」 > 第七話 曇天返し


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───

 踏ん切り直したとなれば、いつまも地に尻を付けている美琴では無かった。
 ぐん、と弾みを付けて快活に立ち上がり、尻に付いた砂を払った。
 その鋭い眼の中に更に熱を燃えたぎらせて。

 その瞳に映り込んだ獲物──当麻の顔に緊張が走る。
 先程叩き込んだ拳の一撃は、ほとんど不意打ち同然である。
 敵の予想の外だったからこそ、当てることが出来た。
 しかし、彼女は改めて覚悟を決めている── その上、注意を反らせる別の味方もいない。
 さらに、再び虚を突ける要素は見当たらなかった。

 彼の顔に浮かんだ汗が、しとり、と頬を流れ落ちる。
 状況は、全くを以て芳しくなかった。

 少女の口がゆっくりと開かれる。

美琴「もう……もう弱くはならない。 もう、もう……」

 ばちり。
 光が散る。
 散った光が宿った先は、煌々と燃える、少女の瞳。

美琴「もう、失わない」

 当麻の喉がこくりと震えた。

美琴「………」

 呟きが零れた落ちた砂地は、次の瞬間まとめて空に舞った。

上条「……!」

 地を一蹴りしたかと思えば、それは一個の弾丸。
 怒涛、という言葉面そのままの迫で突っ込んでくる美琴に
 足がすくんでしまう彼だったが、その呟きは、唇の動きは、しっかりと把握した。

 そうかい、それが、お前の、大事なものかよ。

上条「………」

 ならなおさら、負けられねぇ。

 空気が裂ければ、一拍遅れて地が割れる。
 亀裂が、破断が、崩落が、どみの倒しに一人の少年へ我先にと駆けて行く。


美琴(………)

 もう、一人にしないで。
 

 おとっつぁん おっかさん


───

 

───

 階級伍と階級零の戦い。
 一般認識では戦いにすら成らない組み合わせであるが、
 長閑だった休日の公園で、その無茶試合の火蓋が切って落とされたのは一寸前の事である。

 先に仕掛けたのは格上の少女。

美琴「棲雷っ!」

 強化した肉体を存分に操り、突っ込んだ勢いそのまま拳を繰り出す。

上条「っ!」

 それを迎えたのは、不格好なまでに前に突き出された、少年の右手。
 勿論美琴の動きは素人の彼に視認出来る物では無い。
 しかし、向こうから真っ直ぐ突っ込んでくれたなら別。
 その軌道に右手を"置いて"おけば良い。

上条「おおおっ!?」

 美琴の肩の部分が僅かに右手に触れたらしい、と思った瞬間、
 彼女の拳が当麻の首筋を掠めた。

 かわした、というより少女が"はずした"様な一合だった。
 とはいえ、足を駆った突撃の勢いを乗せていた一撃である。
 首の皮膚は切り傷を作り、当麻はひりつくような痛みに顔を顰めた。
 一方少女は焦りを顔に浮かべて、残った手で拳を作り彼の顔めがけて再度攻撃をお見舞いする。

 ご、と小規模な音がして少年の首が僅かに傾きを変えた。

上条「……!」

 いかにも少女らしい、大したことのない打撃だった。
美琴「っ……!」

 少女は今度は全身の力を込めて肩からぶち当ててくる。

上条「お」

 これには流石によろけてしまう。
 その隙に美琴は慌てたように後ろに下がり、一旦当麻から離れた。
 完全に美琴が押し、当麻が押された一合。
 しかし、美琴の顔は相変わらず神妙だ。
 唇を軽く噛み、忌々しそうに睨みつけている。

美琴「なんなのよ」

 憎々しげに。

美琴「なんなの おかしいわよ」

 少年は答えない。

美琴「あんた触れた瞬間、あたしの全身から一気に力が抜けていった……何それ、そんな術、聞いたこと無い」

 そう言って肩の部分をちらりと見遣る。

美琴「いえ、力じゃない……『術』が解除された……そう、あの時、滅打雷も打ち消したのね」

 擦りむけた少女の頬がひちりと痛んだ。

美琴「……ふん」

 ずず、と無数の地虫が地を這うような音が響いた。
 当麻がはっと辺りを見回すと、先刻からの騒ぎで周囲に散った砂──とりわけ黒い粒子、砂鉄──が
 美琴の元へと擦り集まっている。
上条(……何だ……何しようってんだ)

 黒々とした砂鉄達は美琴の右手の先へ、氷柱の様に棒状に凝り固まろうとしていた。
 電磁力を利用し砂鉄を誘導することで、自在に武器を生成する術。
 少年の頬をたらりと汗が伝う。

 そして、美琴が軽く息を吸った。

上条(……来る!)

美琴「鉄剣(てっけん)!」

 叫ぶやいなや、美琴がその右腕を威勢良く振るってくる。
 その瞬間、棒の様に垂れ下がっていた砂鉄の塊は鋭利な刃物状──さながら長刀の様な──に変化し、
 当麻の体を横にぶった切る様に迫る。

上条「なああああああああぁぁぁ!?」

 甲高い風切り音が背筋を凍らせる。
 本気で上半身と下半身をさばかんとしなければこの勢いで剣は振れんだろう。
 それ程に相手は本気だった。
 見事な一閃の太刀筋となって、しっかりとこちらを捉えている。
 後ろに下がっても剣先をかわせるとは思えなかった。
 前に出るにも美琴とは距離が離れすぎている。

 やはり出たのは、右手だった。

 迫り来る鋭い刃に向かって、頼みの右の掌を必死に突き出す。
 まともな流れならば、すっぱりと真赤な手首が宙に舞ってしまう所であるが
 これまで次々と術を撃破してきた代物なだけはある。
 手の平に触れた瞬間、日本刀さながらであった鉄粉の刃は雪解けのように、一切の粒子へと無数の亀裂を生み、
 全くの砂へと回帰し、宙に飛散した。
 しかし剣の形を失ったとはいえ、振り回された勢いの付いた砂がそのまま当麻の顔へ突進し、
 その表面をしこたま叩く。
 流石にその痛みには顔を顰めるしかない。
上条「……ぺっ、ぺっ」

 頭を振って、髪に入り込んだ砂を振り払う。
 口の中にも少し入ってしまった様で、奥歯のじゃりりとした感触が気持ち悪い。

 しかし、これで、凌いだ。
 正直、形を持った術を防げるかどうかは全く自信が無かった。
 というか、この右手を使い始めてまだ半時と経っていないのだ。
 自信も何も、行き当たりばったりで戦っているのだ。命懸けで。

上条(だが……)

 行ける。
 ここに来て、多少の自信が芽生えたことは事実だ。
 この右手さえあれば……。
 
 そう内心呟いて、ぎりと右の拳を握り込む。
 が、美琴は先刻の情景を全く別の方向に解釈していた。

美琴(あいつ……右手しか使ってない)

 観察から得た新情報。
 そしてそれを上回る、重大な発見。
 微かに動悸が早まる。
 網膜に焼き付いた先程の場面をもう一度脳裏に映写する。
 剣が、砕かれ、飛散し……砂は?
 砂は、あいつの顔に……。 

 発見は、確信に、そして、事実に。

美琴(術を解除しても、物質の慣性までは打ち消せないんだ……!)

 既に一度物質が動いてしまえば、それを支配するのは自然現象だ。
 そう、例え術を打ち消そうが、自然法則には逆らえない……!

 術とは即ち、世の物理法則への反旗だ。
 あの右手は、それを法則へ回帰させる墨守の徴。

美琴(まさか……)

 少女の意識がじりじりと洋ズボンのポケットに集約していく。

 其処にあるはずの銅貨が
 微かに擦れ合った音を立てた、気がした。

───
  

───

佐天「初春~次これやろうよ~!」

 若々しい黄色い声を上げているのは、当麻が入學初日に出会った人間の一人、佐天涙子である。

初春「むう、これが噂のビリヤアドという物ですかぁ」

 同じく友人の飾利。
 緑の羅紗が貼られた台を前にきゃいきゃいと楽しんでいる二人だが、
 勿論今正に当麻が命懸けで戦っていることは知る由もない。

 今日二人が訪れているのは、學園都市に点在する遊戯場の一つであり、
 それは劇場や活動写真と共に、學生達の憩いの場となっている。
 その中身は先述のビリヤアドに加え、射的やピンポンに御神籤、占いの類、
 更にはちんちろりんや花札と言った賭博場も備えられている。
 尤も、賭け事で使われるのは本当の金銭では無く、軽銀(あるみ)製の似非硬貨だが。

佐天「あ、あれもやりたいな~!」

 そう言いながら台の向こうに見える別の遊具の方へふらふらと誘われる涙子。

初春「あ、あれっ!? 佐天さんっビリヤアドは!?」

 余程やりたかったのか、名残惜しそうに台を離れる飾利。
 色鮮やかな球に最後まで目を奪われつつ、泣く泣く涙子の後を着いて行く。

  涙子が歩みを止めたのは、少し背の高い箱の前。

佐天「ほら、階級測定器!」

 箱は水平な台と表示板が組み合わせてあり、
 多数の摘みや取っ手が生え、丸や四角やら幾つか穴も空いている。
 成程學園都市らしく、単純な箱では無さそうだ。

初春「この前測ったばっかりじゃないですかぁ、それより、あの、びりやぁど……」

 泣きそうな、しかしやはり持ち前の甘ったるさの残る声で抗議する飾利だが、
 その親友は相変わらず飄々としたもので箱の前でわきわきと手を動かしている。

佐天「えーと、髪の毛を一本入れて……」

 小さな取っ手を摘まんで蓋を開けると、そこに髪を一本入れ、そしてまた幾つか摘みを操作。
 次に性別やら年齢やら趣味から好物、好きな色といった内容まで、摘みを操作して入力して行く。
 すると逐一、その細かな操作に合わせて中の歯車や螺子等がきりきりと、精密に動き出す。
 そしてしばらくすると……

佐天「お、出てきた出てきた」

 表示板の隙間からのれんの様に紙が吐き出される、という仕組みだ。
 ちなみにこの破天荒なからくりの機序については筆者の脳味噌では記すに足りぬ。悪しからず。
  佐天「あーあ、やっぱり零かぁ まだまだだなぁ~」

 するすると出てきた紙にでかでかと「零」の文字が書かれているのを見ながら溜息を吐く。

初春「うーん、その内階級上がりますよっ!大丈夫ですっ!だから、びりやぁど……」

 どうしても球突き遊びをしたそうな飾利が慰めもそこそこに急かす。
 
 しかしその願いを打ち砕く様に、突然「どん」と花火のような音が起こった。
 飾利ははっとした顔になると、慌ただしく首を廻らせ店の出口を探す。
 そして友人を置いたまま、ばたばたと駆け出した。

佐天「あ! 初春~?」

 段々と小さくなって行く涙子の声を背中に聞きながら、ひたすらに走る。
 そして足をもつれさせながら店の外に飛び出すと、息を整える間も無く空を見上げた。

初春「……!」

 目当ての物を見つけたらしい。
 一面に広がる青空の中で、ぽつり、と一つの雲が生まれていた。

 後からあたふたと涙子が店から出て来る。
 
佐天「初春、あれ……」

 涙子も手をかざしながら空を見上げる。

初春「はい……ちょっと、用事が出来ちゃいました」

 ふぅ、と一息付くと、呟く様にそう言った。
 その横顔は先程よりも随分大人びて見える。
 
佐天「そっか……お仕事、がんばってね!」

 両手をぐっと握りながら元気良く送り出す親友。
 まぶしいな、と飾利は思った。
 ならばとこちらも満面の笑みで答える。

初春「はい……行って来ます!」

───

 

 

               ───

 さて、初春が空を見上げた時点より数刻程遡(さかのぼ)る。
 今正に、美琴が新たな気付きによって、腰元に微かな重みを感じていた。
 その重みの正体、何処にでもある、ありふれた銅貨。
 それが美琴の鼓動を早鐘のように打ってくる。

 そして、美琴の脳内を駆ける思考や計算は、とどのつまり一つの命題へ行き着く。

 零路鬥は、効くのか。

 術による電磁力を用いて、弾である銅貨を発射する零路鬥。
 もし、慣性までは打ち消せないという仮説が正しければ、
 例え銅貨に触れたとしても、その時点で既に銅貨が持つ運動熱量までは消せないはずだ。
 つまり、零路鬥なら……。

 しかし、理屈は理屈。
 結果に確信は持てなかった。

 こちらの出方をうかがっている風の少年が、目の前にいる。
 次にこちらが何をしようが、その右手で打ち消そうという魂胆なのだろう。
 そして、こちらの手の内を全て出し尽くさせようとしている。

美琴「………っ」

 仮に、全力で零路鬥を撃ったとしよう。
 もしそれが防がれれば、相手にこちらの戦力の全てを把握されてしまう。
 美琴はそれを恐れた。
 今、相手の男がどれ程強いのか、何を持っているのか、そもそも、何者なのか。
 余りにも、情報が少なすぎる。
 加えて、これ以上こちらの戦力如何を知らせるのには抵抗があった。

 さりげなく、服の上から撫でて目的の物を探ってみる。
 二枚。
 二枚の銅貨が其処に収まっていた。

 十分、か。
 美琴はそう、判断した。

 件の少年は一片の動きも見逃すまいと、真剣な目でこちらを睨みつけている。
          . . . ..
 どんな攻撃も受け消してやる。
 そんな気概が見て取れた。

 一方の少女は、ついに決心を固めていた。

美琴(……やってやる!)

 美琴は体中に微かな電気を帯びさせる。
 零路鬥を撃つための、謂わば準備運動の様な物だ。
 そして……。
              

美琴「零路……」

 瞬く間に銅貨を取り出すと、勢い良く腕を突き出す。
 これで弾丸を発射するための砲台は完成だ。
 そして全身に満ちた電気を、一気に腕に流し込み、その指先へ集約。
 銅貨が青白い雷を纏い火花を散らした。

美琴「鬥っ!!」

 枯れ木が勢いよく爆ぜる様な、甲高い濁音が指先から発される。
 同時に硬貨が弾丸となって、空気を裂きながら一直線に吶喊。
 喰らい付く先は、

上条「……!」

 当麻

 の

  ──凄まじい、否、凄まじく、生々しい

 右手

  ──皮膚に、受け止められた、硬貨

 が

  ──確かに、受け止めた

 。

  ──食い込む、喰い込む、皮膚に、肉に。骨にまでは行かず。食い込む。

「いっ……」

 !?

  ──右の手の平から、つんざく、掌手首腕肩頸頭を通って脳に"つんざく"感触は。

「っっっ」

  ──感触は。

「痛っッてえええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!?!」


───

 

───

 灼熱、という小難しい単語が最もよく似合う。
 そんな感触だった。
 そんな物騒な感覚を、『手の平』に感じることは
 分別の付かない赤子が火の残った囲炉裏に手を突っ込む状況ぐらいしか縁が無かろう。
  .   . . . . .   
 今この拾伍の少年は「ああ絶叫しているんだな」と気付いた。
 叫んでいるのは
 自分だ。

上条「うあああああああぁぁぁっッ!?」

 "熱さ"に塗りつぶされた赤黒い溶岩の中にぽつぽつと何かが浮かんでくる。
 "痛み"だ。

 熱は頭までもひりつかせる。
 混乱、焦燥。
 なんだ、何だ、何が

上条(嘘だ……)

 分かっている、右手だ。
 俺は受け止めた、この手で。 唯一の、対抗出来る武器で。

       . . . . .. . . . .. . . . . .
 しかし、この圧倒的な違和感と不快感は何だ。

 熱い。痛い。気持ち悪い。
 鼓動の拍に合わせて、一歩ずつ"そいつら"が近づいて来る。
 どくん。ずきん。どくん。ずぎん゙。
上条(嘘だろ……)

 見るのが、怖かった。
 思考力が戻って来たせいもある。
 激痛、という言葉をはっきりと認識してしまった。その『先』も把握してしまった。
 見たくない。
 だが、見なくちゃいけない。
 見る。

 最初に浮かんだ言葉は『赤』だった。
 その次は、次の言葉は、奔流となって、濁流となって、自信や勝利といった言葉を脳の隅に追い遣る。

 認めざるを、えない。

 鮮血がしたたる右手が、否応無くその結論を迫って来る。

 勝てない。

───

 

───

美琴(効いてる……)

 血が滴る当麻の右手を見て、美琴は込み上げる喜びを感じていた。
 自然と上気した顔が綻んでくる。
 "手加減"して撃った零路鬥──通用するかどうかも確信は無かった──が、
 思いのほか相手に大打撃を与えている。
 加えて、こちらには未だ、もう一発弾丸が残っているのだ。
 そう、"全力で撃つ"分が。

上条「……っ……」

 当麻はちらりと自身の右手を見遣る。
 手の平が深々と裂け、何の留めも無く真赤な血が漏れ出ている。
 幸い、怪我を負ったのは手の部分だけで、腕や肩は多少痺れるだけで問題は無かった。
 しかし、この尋常じゃない痛みと出血が不利でない訳は無い。
 正直、この後も右手が使い物になるとは思えなかった。
 悔しそうに、唇を噛む。

美琴「………あは」

 口角を釣り上げた美琴の口から、乾いた笑いが漏れた。

美琴「あっはははははっ!」

 もはやその上機嫌を隠そうともせず、もはや勝者が自身に決定したと言わんばかりに
 大仰な宣言をかます。

美琴「最初はちょっと驚いたけど……何だ、結局、この零路鬥の敵じゃないわ」

 中學生らしい、無邪気とも云える悪魔的な笑顔で捲くし立てる彼女を見る当麻。
 彼のその目は、何所か無感動で、何所か哀しげだった。
美琴「っはぁ、弱いのよ、あんたは  強いのは、強いのがっ、あたしだっッ!!」

 彼女の生甲斐と信条が集約された、高らかな宣言だった。
 しかしそれにすら、当麻は悲しそうな視線を逸らさない。

美琴「もう、親も、誰も、殺させない! 侍だろうが、何だろうが、あたしが、あたしがぶっッ潰すっッ!!」

 目を見開き口端に泡を浮かべ吠える。
 喚き調子になっても、その瞳の爛々とした炎は消えない。
 それが、御坂美琴という人間だった。

 常人なら気圧されてしまうであろう、美琴の威圧的な姿態を眼前にしても、少年は動かない。
 濁々と零れ出る血を抑えることもせず、少女に悲哀の目を注ぎ続けていた。
 その口が、ようやく、開く。

上条「……お前の親は、それを望んでると思うのか?」

 静かに。諭す様に。

美琴「あっはははぁはぁ!? 何!?そうやって助かろうって?命乞い!? 古い古いっ!」

 心底可笑しい道化を見る様に笑い飛ばす美琴。

 が、次の瞬間、凍て付く氷の様な表情が貼り付いた。

美琴「あたしを庇って親は死んだ……殺された、無残に……あたしが強かったら、守ってあげられた、なのに」

 冷たい炎の様な視線が、当麻を貫いた。

美琴「もう、誰にも、弱いなんて言わせない」

 額にちりちりとその視線を感じながら、当麻は、静かに、口を開いた。

上条「弱いな、お前」

───

 

美琴「はぁ?」

 聞き間違い、だと思ったらしい。
 それも当然だ。その単語は、自身のこめかみに突き付けた拳銃の引き金に等しい。
 易々と口に出すとは、諦めか、死にたがりか、それとも被虐趣味でもあるのか。
 だから、聞き間違い、だと判断した。

美琴「何?何か言った?」

 彼の僅かばかりの延命の機会。

上条「弱い、って言ったんだよ」

 それを蹴っ飛ばしてでも、伝えなきゃいけないことがあった。

 びきり、と少女の額に青筋が浮き出る。
 逆鱗に鑢(やすり)を掛ける様な科白に、若干拾参歳の堪忍袋が堪え切れる訳も無く。

美琴「あぁあ゙、あ、ぁ……あぁあ? そ、そう……そんなに、」

 死にたいの、と少女が乾いた唇を震え気味に繰る。
 興奮が頂点を超えてしまったらしい。
 全身をわな付かせて、眼前の獲物を燃え盛る瞳に捉える。
 その炎の正体は、紛れもなく殺意だった。
 当の彼女は『殺す』という事を意識してはいないだろう。
 ただ、目の前の憎々しい仇敵を『完膚無きまでに叩き潰す』ことしか、頭には無い。
 しかし、奇跡的にこれまで人を殺めたことが無かった美琴には、「叩き潰した相手が死ぬ」という確実な未来を、
 実感として予測することが出来なかった。
 さらに、今の感情の高ぶりを理性で以て抑えることが出来る程、早熟でも無かった。

 自身の命の散り際が迫っていることを知ってか知らずか、少年はただ淡々と口を開く。

上条「お前の両親は、強かったんだろうな」

 美琴とは対照的な、深い深い海の底の色を湛えた目。

 当麻の言葉に、彼女はあからさまに不快な表情をしてみせた。

美琴「何?今度は煙に巻こうっての?悪いけど、もう絶対見逃したりなんか……」

上条「おい、自惚れんじゃねぇ」

美琴「は?」
     . .. . . .. ..
上条「強がってんじゃねぇ」

美琴「……──」

 びくり、と美琴の体が震えた。
 いや、"爆ぜた"。

 体中を電気が駆け巡る。
 全身の筋肉が小刻みにのた打った。
 悦んでいるんだ、と少女は想った。
上条「いいか、本当の強さってのは……」

 甲高い金属音が耳に届いた、瞬間だった。
 目の前に
 雷が
 堕ちた。
 
美琴「  零  路  鬥  っ ッ !!」

 鋼の塊を無理矢理引き千切る様な、圧倒的に不快な音。
 生存本能って奴に、直接罵声を浴びせるような、
 そんな身の凍る感触が鼓膜に叩き込まれる。
    . . . .
 否、そんな物より、

美琴「あ゙あ゙ぁ゙ぁぁああぁぁ゙ぁぁぁっッ!!!」

 地を割り、空を裂き、
 一切容赦の無い弾丸が飛んで来る。
 先程のお遊びの一撃とは全く威力を異にする、『全身全霊の零路鬥』が。
 青白い雷光を発しながら、耳をつんざく轟音にまみれながら、
 少年の喉笛を喰い千切らんと、吶喊する。
 
上条(………)

 当麻の右手は最早、使い物には成らない。

 そんな憐れな生き物を、
 あっさりと、破壊の権化が

  ──当麻が最後に見たのは、青い、ひたすらに青く、明るく輝く地獄

 あっさりと、飲み込んだ。

美琴「っっッし!!」

 後には、塵一つ残らない。
 ただ、余りに巨大な破壊力が通り過ぎた、だけ。

 ぉぉぉ、と轟音が尾を引き擦りながら、段々と姿を小さくして行く……
 現場には次第に静寂が戻りつつあった。
 ただ、濛々とした砂煙が辺りを覆い、その如何はすぐには窺い知れない。
 
美琴「………」

 霧が晴れて行く様に、徐々に場の姿が露わになる。
 凄絶だった。
 弾丸の軌道に沿って抉られた地面が道の様に伸び……威力はその先にある林まで届いたのだろう。
 林に"前から奥まで"一直線に『穴』がぽっかりと空いている。
 木々はへし折れ、その腹に惨たらしい抉り痕を残して、焦げ付いたような臭いを纏いながら、ただ、立っている。
 巨大艦の砲撃跡の様な、余りに凄まじい光景。それを引き起こしたのは、一介の少女だ。
 現場の痕跡の全てが、最大出力の零路鬥の凄さを物語っていた。

 ただ一つの"それ"を除いては。

美琴「嘘……」

上条「いいか、本当の強さっていうのは……」

 抉られた地面の傍らに、着物はあちこち破け、そこかしこに傷を作った少年が

上条「……っ痛ぇ……"余波"だけでこの有様かよ……」

 立っていた。何とか。

美琴「う、嘘よ!? な、何で……」

 あ、り、え、な、い。
 たった五文字の言葉が、美琴の脳裏に喰い付いて離れない。
 思考が、思考を、絶えず考えを巡らせるが、同じ筋を堂々巡りするばかりだ。
 ありえない。ありえない。

上条「簡単だ……『避けた』だけだ」

美琴「よ、避けた!? 無理に決まってるじゃない!!」

 後半は絶叫に近かった。
 悲痛、という表現が似つかわしい、そんな響きだった。

美琴「私の零路鬥は"零刻(しゅんかん)"なんだっ! そんな、一般人が、避けるなんて」

 出来るはずが無いっッ!
 そう叫び放って、焦った様にポケットをまさぐる。
 が

美琴「っ……!」

 生憎、残りの弾はもう無い。

上条「生まれてこの方、不幸な人生を送ってきたせいか……危険への勘は小動物並なんだ」

美琴「っそ、そんな馬鹿……」

上条「それに」

 そう言って、当麻は美琴の足元を指差す。
 美琴は慌てて下を見るが、あるのはただ戦闘跡の地面があるだけだ。
 土に、石に、黒い……

美琴「っ、まさか……」

上条「ああ、さっきお前が『振り回し』て『ぶち撒け』た」

 美琴が立つ地面に、小蟲の群れの様に漠々と広がる黒い斑点は……

上条「砂鉄だ」

 先刻の戦闘で、美琴が剣の形に固めて使用した砂鉄。
 それらが其処彼処に散らばっている。
 
 悔しそうに唇を噛んだ美琴が、軽くその身に雷を走らせる。
 それと同時に、周囲の砂鉄がざわつき、剣山の様に幾本もの針を彼女に向けて伸ばした。
 そう、磁石を近付けた時の反応と同じだ。

美琴「……!」

 彼女の零路鬥の強みは、その威力と"瞬発力"にある。
 直線的な攻撃である以上、その発射が見切られれば容易く避けられてしまう。
 だからこそ鍛錬に鍛錬を重ねて、その隙を見せずに撃つ事を可能にした。
 そして、零路鬥は美琴の最大最強の技となった。 

 しかし、その予備動作として全身に一度莫大な電力を溜めなければならない。
 同時に副産物である磁力も纏いながら。

 当麻はその時点を、見破った。
 そしてそれさえ掌握すれば、後は必死に飛び退くだけ……という訳である。

上条「いいか、聞け、聞いてくれ。 俺は知ってる。本当の強さを。お前も知ってるはずだ。」

 一語一語、噛み締める様に。
 分かってほしい。
 思い出してほしい。
 "親に救われた"んだろ? お前も。
 その『強さ』を、思い出せよ。

 当麻も必死だった。
 最早自身の命の行く末はどうでも良かった。
 
 階級零で、不幸で、田舎者で……。
 ただ一つ……この男は何処までもお人好しだった。

上条「思い出すんだ……!」

美琴「っるさいっっ、うるさいっ、うるさああぁぁいっッ!!」

 泣いているのか、怒っているのか。
 そのどちらもだろう。
 歳相応な癇癪を起こしながら声を枯らして叫ぶ少女。
 その身に再び、煌々とした雷光が纏わりつく。

美琴「零路鬥が無くたって……あんたをやっつける方法なんて……いくらでもあるんだあぁぁっッ!」

 全身で弾ける雷をもはや隠そうともしない。
 歯を食いしばり、明らかに限界を超える出力を無理矢理堪えている様子だ。
 まさに、全身全霊の……御坂美琴の、これまでの生き様を賭けた……

美琴「刑殴獲斧(けいおうゑふ)っッ!!」

 地崩れでも起きたのかと、当麻は思った。
 しかしそれは勘違いだと気付く。
 地に散らばった黒々とした砂鉄が、一斉に美琴の元に高速で集まっていた。
 その勢いが余りに凄まじかったため、当麻の立つ地面すら激しく震動する。
 これまでとは、桁違いの砂鉄量であった。

上条「……!」

 美琴の右手に砂鉄が次々と纏わりつき、急速にその体積を増していく。

美琴「ああ゙あ゙ぁぁ゙ぁああぁぁっッ!!」

 汽車の一車両分ぐらいはあるだろうか。
 見上げる当麻の視界を埋め尽くすように、美琴が振り上げた右手から
 巨大な『それ』が完成した。
 斧だ。
 罪人を処刑する断罪刃の様な、禍々しき巨斧。
 しかし──美琴の限界を超える代物だからか──その端からぱらぱらと砂鉄は崩れ落ち、もはや切る道具とは思えない。
 それでも良かった。
 彼女は、

美琴「これで……」

 当麻を

美琴「あんたを……」

 思いっきり

美琴「叩き潰してやるっッ!!」

 少女の腕が先程から嫌な音を立てて軋んでいる。
 明らかに許容質量を超えていた。
 しかしそれを、術で無理やり腕を強化して支えている。
 まさに身を切る様な戦い方だ。

上条「……っ……!」

 当麻はちらりと自身の右手を見る。
 相変わらず痛々しい状態だが、もはや泣き言を言っている場合では無かった。
 使えるか、使えないかじゃない。
 使う。

 右手を、紅に染まった右手を、天に向けて突き上げる。
 精一杯の、己の矜持。

美琴「死んじゃえええぇぇぇぇっッ!!」

 絶叫と共に、振り上げた巨斧を、思いっ切り少年の頭上へ叩き付ける。
 支える腕の骨が不快な音を立てて折れるのを感じた。
 しかし、もはやどうでもいい。
 勝つ。
 そして、取り戻す。
 一度は疑ってしまった、自分の強さを、信念を。

 そして当麻の右手が、遂に断罪の斧に触れる。
 その瞬間、その巨大な斧の崩壊が始まる……が、

上条「……!」

 その莫大な質量と勢いは……凄絶な破壊力は、打ち消せない。
 容赦無くそのちっぽけな体を飲み込み、牙を立て、喰らい尽くす。

 大量の砂鉄が地を叩き、巨大地震よろしく學園都市を揺るがした。
 公園の遊具は軋み、辺りの木々は大袈裟にその身を捩る。

美琴「……やっ……た?」

 あらぬ方に折れ曲がった右腕を抑えながら、息も絶え絶えの美琴。
 その目の前には砂鉄で出来た小山が在るだけだ。
 憎き敵を叩き潰した、血生臭い墓標だ。

 それが……

美琴「あ……」

 頂上が、微かに崩れた、と思った瞬間。
 黒い砂を?き分けながら、ぼこりと手が生えた。
 続いて腕、肩、と微かに震えながら、必死で砂山から這い出て来る。
 遂に覗いた顔は、

上条「……本当に……死にかけた、な……」

 そう言って、吐血混じりの唾を吐き捨てる。

美琴「……嘘……い、嫌……嫌ぁぁ!」

 少女は信じられない、といった表情でゆっくりと首を振った。
 次第に涙が浮かんで来る。
 これが夢なら、悪夢で済んだなら、どれだけ良いだろう。

 当麻はついに全身で這い出しながら、満身創痍の体でよろよろと立ち上がる。
 そして、目の前の少女を、見据える。
 しっかりと、その網膜に焼き付ける。

 美琴は地べたにへたり込んだ。
 戦意を失い、涙を浮かべた顔を恐怖にひきつらせて。
 其処にいるのは、ただの女子中學生だ。

 一方の当麻は、血に砂鉄がこびり付き赤黒く染まった右手を握り込む。
 
 成程、「気持ちを伝える」ってもんは難しいもんだ。
 こんな大怪我をしてまで、未だ、伝わらない。

 その足を、ゆっくりと前に出す。
 上手く動かない。すぐよろけてしまう。
 が、歩く。
 必死に、歩く。
 そして、走る。
 少女に向かって、走る。
 右手の拳は、拳は、拳は握った。
 構えた。

美琴「ひっ……!」

 気持ちを伝えるのは、難しい。
 難しい。

 だから、いくら美麗な言葉を紡いでも、
 飾った壮言を並べ立てても、
 相手の心に響かなきゃあ、意味が無い。
 
 長々しい説教を垂れても、意味が無い。
 相手を無視して自身の説法に酔っては、意味が無い。

 だから、語り合うんだ、拳で。

 理解(わか)り合うんだ、魂で。

美琴「ひっ、ひぃぃいぃ……」

 右手を構えたまま突進してくる当麻。
 それを真正面から捉えるしか無い美琴は恐怖の余り、
 ぎゅうと目をつむった。

 来る。

上条「……!」

 来る、右手が……。
 あいつの、拳が!

……。

 ………。

 …………・。

美琴「え?」

 ぽん、と頭の上に、何かが置かれた。

美琴「……?」

 恐る恐る、目を開ける。
 目の前には、恐れの元である少年が。
 そして、美琴の頭の上には……。

美琴「え……」

 少年の右手が、優しく置かれていた。
 彼の表情(かお)も、眼差しも、穏やかな光が宿っている。

 その口が、ゆっくりと、柔らかく、開かれる。

上条「辛かっただろ……今まで……よく、一人でがんばったな……」

 ……。

 そう言って、少年は優しく、そっと、少女を抱き締めた。
 慈愛と、逞しさと、精一杯と。
 
美琴「あ……あ……」

 両親を失ってから、
 必死で、必死で、必死過ぎて。
 壁を作って、怒涛の様に溢れる感情をせき止めて。

 それが、決壊した。

 少女が叫ぶ。
 しかしこれまでの荒々しい絶叫では無く、
 次第に涙声が混じって来る。
 
 あの時以来、人前で涙を見せたことが無かった御坂美琴は
 この日、声を上げて泣いた。
 本当の"強さ"を教えてくれた人の、腕の中で。

───

 

                    

───

 いつまでそうしていただろうか。
 先に気がついたのは美琴だ。
 ぴく、と肩を揺らすと恐る恐る己の現状を確認する。

 しっかりと、背中に当麻の腕が回っている。
 自分の顔は、彼の胸板にしっかりとうずめられ、
 お互い体が密着し──所謂、『抱き締められている』という、この状況。

 耳から煙が出そうになる、と同時に慌てて当麻の胸を押し離そうとする。

上条「お?」

 美琴はうつむいた姿勢。だから頭一つ高い当麻の目からは彼女の顔は見えない。
 真っ赤っかの美琴の顔が、見えない。
 まあ、見えた所で「熱でもあるのか?」と宣うのが関の山であろうが。

美琴「あ、う、ぇ」

 確認した自分の状況が、余りに衝撃的だったのだろうか。
 よろよろと後ずさる少女。
 と、その肩を男のたくましい指が再び掴む。

美琴「ひ」

 びくり、と跳ね上がる。
 

 上条「おい、大丈夫か」

 当麻の心底、心配そうな声が掛けられる。
 先程の戦いで、美琴は右腕を骨折し、その上全身を電撃に晒した。
 その身を気遣って、当麻は肩に手を掛けたのだったが……

美琴「な、な、」

 わたわたと暴れる美琴が身をよじる。
 当麻としては彼女が倒れないようにとやんわり支えているのだが、
 傍目からは男女がいちゃついている様にしか見えない。

美琴「ひ、ぃ、離し……」

 美琴はこの上なく混乱していた。
 高鳴る鼓動は何だ。
 火を噴きそうな顔は何だ。
  . . . . . ..
 この感情は何だ。

上条「どうした?」

 当麻の顔が自分に迫ってくる。
 半開きの唇が、汗のにじんだ頬が、網膜に叩き込まれる。
 あ、こいつ、意外と睫毛長いんだ、と思った瞬間、もうたまらなかった。
 

    美琴(あああああああそうだ、そうだ、これは、)

 ……が、素直に自信の気持ちを認められる程、美琴の精神は大人では無かった。
 これは悔しさだ、と無理矢理結論付ける。
 急速に走り出した自分の感情を曲げに曲げて、衝突した箇所はそこだった。
 『負けた悔しさ』がこの鼓動の高ぶりなんだ、と滅茶苦茶な理論で自分を納得させた。
 そうよ、ともう一度言い聞かせて、美琴はふむと頷いた。

 

美琴「あ、あたし……」

 思い切って口を開く。

美琴「こ、今度こそ、あんたを倒すから」

 何故か、当麻の目を見ることが出来ない。
 その理由も分からず、熱を帯び続ける耳を鬱陶しく思いながら、吐き捨てるように言った。
 一方の当麻は、その不躾な台詞に一瞬呆気に取られた顔をしたが、
 「やれやれ」と囁くと、へそを曲げた娘を見る父親の様に、微笑んで見せた。

 その笑みを向けられて、美琴は慌てて目を逸らした。
 勿論、頬は朱に染めて。

 一応は命の遣り取りをしたばかりの二人であるが、
 この状況を傍から見れば、男女が睦まじくいちゃついているようにしか見えない。

 だから、だろうか。
 二人の間に差し込まれた声は、とても冷やかな物だった。

黒子「お姉様……?」

───
  

  ───

美琴「うわぁぁぃ!?」

 素っ頓狂。
 正に、そんな声、

美琴「く、く、くろっ!?」

 をあげる先輩を白い目でじとりと見やるのは

黒子「………」

 久々の登場。
 風紀委員、白井黒子。
 ちなみに美琴とは常盤台女學園の先輩後輩の間柄であり(それ以上の関係、とも〈本人談〉)、
 初春にとっては風紀委員の上司である。

 と、そんな彼女が『階級伍の女が暴れている』と通報を受けて、風紀委員として急いで現場に駆けつけて見れば、
       
(※以下、黒子が見た映像)

上条「おぉ、まいハニヰ、嗚呼ジュテヱム……」

 周りに薔薇が咲く。

美琴「恥ずかしいわそんな……あたくしの愛しき人……」

 ひしっ

(以上)

 不純異性交遊の現行犯。しかも、
           . ...
黒子(しかも……わたくしのお姉様がっ……)

 当人が聞いたら拳骨でも食らいそうな憤慨の仕方をする黒子。

黒子(こんな下賤な類人猿とおおおおおぉぉぉぉ!) 
 

     美琴「え、えっと……」

 まだ頭のぼんやりが抜けきっていない美琴が焦りに焦りながらわたわたと言葉を紡ぐが、
 尚も黒子が刺し込む。

黒子「殿方と二人で……だき、抱き合って、何していますの?」

上条(この子は……確か……)

 過去の記憶を手繰り寄せるのに頭を使う当麻よりも
 心の中でハンケチをびりっびりにに噛み千切っている黒子よりも
 先に反応したのは、美琴であった。

美琴「だ、だ、だ、抱きっ!?」

 そこで慌てながら自分の状況を省みてみる。

上条「………」

 ひしり。
 腕に感ずる温もりは。

美琴「あ、っ、……?」

 しとり。
 己の肩に掛かる仄かな重みは。

上条「………」

 間近に映える濡れそぼった唇は。

 っ。

 少女の頭の中で、爆ぜる。何かが。

美琴「あぎゃあああああああああ!」

 絶叫しながら振るった平手が、しっかりと当麻の頬を捉えた。

上条「あぼへぁっ!?」 
                           

 

 女子の平手打ちというには余りにも大仰で重厚な音が響く。
 遠くで鳥達の羽ばたきが聴こえた。

 全ての時の流れが、遅くなった。と感じたのは、少年だけだったであろうか。
 数秒後には寸断される意識の残り滓が、
 普段は有り得ない方向に流れる景色を愛おしげに網膜に映す。

 二回、三回、とぐるりぐるりと酔っ払いの様に舞い回り

上条「…………」

 倒れた。

───
 

 

 

───

美琴「はぁーっ……はぁーっ……」

 顔はおろか耳まで真っ赤に染め上げて、
 洋シャツの合わせを震える指で締め上げて
 目に涙を浮かべる少女……といえば何やら誤解を招きそうだが

上条「………」

 鼻血を垂らしながら白目を剥いて倒れている少年が被害者である、ということを記しておく。

 一方の黒子は

黒子「あはぁんっ、それでこそお姉様ですのっ!」

 と黄色い声を上げながら美琴に飛びつこうとし、

美琴「だぁぁからあんたはぁぁ!」

 必死で手で押さえられていた。

 しばらくこの光景が続きこの章は終了、とするのが平穏な物語の筋というものなのだろうが、

「だ、だ、大丈夫ですかっ!?」

 もう一人の登場人物によって、話は別の方向へ転がりを見せるようである。

上条「ん……あ?」

「良かった……気がついたんですね!」

 半べその顔で当麻を覗き込んでいるのは……

上条「初春……ちゃん?」

初春「ひどい怪我……痛みますか?」

上条「あ、いや、大丈夫だよ」

 心から心配そうな顔をする飾利に、逆に当麻のほうが気を遣ってしまう。
 

黒子「あら初春、遅かったじゃありませんの」
 
 そういう黒子だが、特段怒っているようにも見えない。
 いつもの挨拶の様な物なのだろう「。

初春「それは、空間転移者の白井さんには敵わないですよぅ」

 狼煙(のろし)を見てから急いで来たのに、佐天さんと遊んでたのに、とぶつぶつ零す飾利。

黒子「ま、それはいいですわ。救急箱、持って来ましたわよね?」

 腰に手を当てながらそう言う黒子に、飾利が慌てて持ってきた手提げ箱を差し出す。
 
初春「はいっ」

黒子「じゃ、早速お姉様と……ついでに、この類人猿の手当てを……」

 と言い掛けた黒子だが、

黒子「……ってあら?」

 当の飾利は既に当麻の治療を始めていた。

初春「血がこんなに……それに、傷も……」

 泣きそうな顔で消毒液を脱脂綿に浸し、おずおずと傷口に当てる。

上条「っ痛……」

初春「あっ、ご、ごめんなさい」

上条「いや、いいんだ、頼む」

 一方、美琴の治療には黒子が当たる。

黒子「……これは」

 愛しのお姉様の躰に触れられる、とさえ思っていた黒子だったが、怪我の状況を見てその表情を変えた。

黒子「お姉様……痛みますか?」

美琴「うん、ちょっと……」

黒子「! 腕が折れてますわね……一体、何が?」

美琴「……別に、ただの喧嘩よ」

 ぼそりと呟き、ばつが悪そうに目を逸らす美琴。
 

黒子「喧嘩……!? もしかして先ほどの殿方と……!?」

 驚きの余り黒子の手が止まる。

黒子(階級伍のお姉様にここまで手負わせるなんて……)

 今年の入學者に其処までの逸材がいた等という情報は入っていない。
 ならば、何故。
 黒子が神妙な顔をしていると、美琴も又抑揚の無い声を掛けた。

美琴「黒子、手当て。」

黒子「あら、はいはい」

 お互いの表情は硬く、胸中に何か思いを含んだでいる風である。

 一方、当麻の側では割と藹々とした物だ。

初春「こんなに酷い怪我だなんて……後できちんと病院に行ってくださいね」

上条「ああ……」

 そう生返事をする当麻だが、自身の経済状況と物臭な性格を鑑みるに、後々医院に行く可能性は低いだろうな、
 と自覚混じりに考えていた。

 するとその心中を見抜いたのか、

初春「絶対ですよ? あ、何でしたら、その、私が……着いて行っても……」

 後半は何やらごにょごにょとしていたが、これでも随分な勇気を振り絞ったものなのだ。
 
上条「い、いやいや!そこまで気を遣って貰わなくても大丈夫だよ!」

 慌てて手を振る朴念仁は、少女が軽く哀しげな眼差しをしたことに気付かない。
 と、初春の目が改めて当麻の満身創痍の身体を見る。

初春「それにしても……」

 どうしてここまで、と初春がぽつりと零す。
 

上条「ああ……ちょっと……」

 少々言葉を濁す当麻。

上条「喧嘩で、熱くなっちゃって……」

 はは、と少々笑いで誤魔化しながら告白する。

初春「喧嘩、ですか」

 そう言って、ちらりと美琴の方を横目で見遣る。
 その眼差しは決して友好的なものでは無い。
 それもそうだ。
 初春だけではない。幾人もの風紀委員が──黒子を除いて──この"暴君"の存在を疎ましく思っていたのだ。
 喧嘩沙汰だ、このままでは死人が出る、と切羽詰まった通報が入る。
 そして駆けつければ十中八九、この少女が騒ぎの中心に居た。
 周囲に血を、"人体"を撒き散らしながら。
 しかし、誰がそれを制止出来よう?
 彼らの親玉たる學園都市、其の物が彼女の存在を、振る舞いを、赦している。
 また、その鬱憤が余りにも日常と化した。 
 そうして、もはや風紀委員のほぼ全員が──初春を除いて──この"暴君"の存在を諦めと共に認めてしまっていた。

初春「………」

 一人の"反逆者"たる少女の視線が、かの暴君の眼とかち合った。

美琴「……何よ」

初春「……恥ずかしくないんですか」

黒子「初春」

 たしなめる様に、黒子。
 それは、既に声が震えている後輩を気遣っている、彼女なりの優しさでもあるのだろう。
 

初春「だって、階級伍なのに、いっつもいっつも、その、人を、人を、傷つけ」

黒子「初春!」

 今度は強い声でぴしゃりと遮った。
 その怒声に思わず「ひう」と情けない声で怖じる飾利。
 が、黒子は飾利を叱っている訳では無い。
 判っている、のだ。
 自身が愛して止まない"お姉様"が、また、どうしようもない癖を持っているということを。
 即ち、『挑まれれば立ち向かない訳にいかない』ということを。
 飾利と美琴では勝負にならないことは目に見えている。
 しかし、それでも、神術士・御坂美琴は"立ち向かう"だろう。
 呪いのような、傷心記憶〈trauma〉に背中を小突かれ、その足を前に踏むだろう。
 黒子はそれを癒そうと幾度も幾度も試みてきた……。
 しかし、それは敵わなかった。
 今黒子に出来るのは、『風紀委員として正しく行動せんとしている後輩を止める』ことだけだった。
 歯噛みと、歯がゆさと、共に。

 はずだった。

美琴「……ごめん」

黒子「え?」

初春「……え?」

上条「……」

 呆気にとられ、思わず顔を見合わせる二人の風紀委員。
 目を丸くする少女の間で寝っ転がっている少年だけが、微かな笑みを浮かべているのみ。

 生まれてこの方最も縁遠かった言葉を吐いた少女は、その歯触りの心地悪さに思わずうつむいた。
 なんだろう、背中がぞくぞくする。
 そして、顔が火照ってくる。
 初めてだ。こんな感じは。
 

そんな不慣れ感触に思わず顔を伏せる美琴に「あらまぁ」と素っ頓狂な声を上げたのは

黒子「お姉様……もしかして頭も打ったのでは……」

 これまで彼女に抱いていた諸々を打ち捨てざるを得なくなった黒子だ。

美琴「なっ、何よそれっ、失礼ねっ」

 そして軽く上ずった声を出している美琴を見やりながら含み笑いをする少年は

上条「………」

 幸福だった。間違いなく。

 今のところは。

初春「……す、すみません……私こそ、失礼なこと言って……」

 ぺこりと頭を下げる飾利だが、内心はまだ呆気に取られていた。
 てっきり、自分もかの被害者達のように慰み者になると思ったのに……。
 実は、話せる人なのかもしれない、と評価をがらりと変えたのであった。

 そして、こちらも豆鉄砲食らいの黒子が未だ信じられないといった調子で口を開く。

黒子「先ほどもこの類人猿と抱き合っておりましたし……一度脳のお医者様に見ていただいた方が」
 

 黒子が頬に手を当て首を振りながらそうのたまっている傍から

初春「だっ、だっ、抱き合っ……!?」

 今度は別の箇所から感情が噴火した。

初春「かかかか上条さんどういうことですかっ!?抱き合っ、抱き、だく? だ、だ、抱くって、こう……」

 目は渦巻きで顔は真っ赤、耳からは湯気の三拍子でぽかぽかと可愛らしい音で当麻を叩く飾利。
 ところがいくら飾利の拳と言っても、叩かれる場所は先刻の命の獲り合いが遺した傷である。

上条「痛い痛い痛い痛い!?痛いよ初春ちゃん!?」

 場は一瞬で、再び混乱の渦と化した。
 軽く涙目になりながら飾利がふらふらと指を差す。
 その先には、さっき"暴君"から"実は良い人?"に評価が昇格した少女が。

初春「や、やっぱり私あなたのこと……御坂さんのこと、嫌いですっ!」

 何を言っているか当人も分かっていないのだろう。
 朱にそまった顔で、焦点の定まっていない涙目で、ふにゃふにゃとした口元で情けない声を飛ばした。

美琴「は、はぁ!?」

 美琴も目を丸くして、しかし先程の当麻との密着が思い出されたのか、興奮と混乱にまみれながら
 何やら頬を熱くして額に汗を浮かべている。

黒子「初春!お姉様になんてことを!」

 むきー、と云う感じで左右に束ねた髪を天に向けながら憤慨する黒子が一歩踏み出す。
 その足はぐにりと当麻の顔面を踏ん付けた。
 

 上条「痛いっ痛ふがふが」

初春「上条さんの浮気者ー!」

 飾利は更に顔を真っ赤にしてぽかぽかと叩き続けている。

上条「痛い痛い痛い痛いですよ!?浮気!?何が!?」

 鈍いにも程がある少年が、しかし痛みには敏感に絶叫する。

美琴「だだだ誰がこんな奴にど、ど、どきどきなんか」

 そう言いながら頬を朱に染めて手にばちばちと電流を走らせて当麻を見下ろしているのは階級伍の電撃使い。

上条「ふ……ふ……」

黒子「ですのー!」

初春「うええん」

美琴「あぁぁぁあぁぁああ」

 この状況の判断は人によって千々分かれるであろう。

 しかしまあ、少なくともこの自称不幸な少年にとっては

上条「不幸だ─── っ!」


───
 

 

 

    ───

 有機的な打撃音が軽く二つ。
 まだこの國には浸透していない、所謂ノックという文化である。

 返事は無い。

 もう一度執事が扉に手を上げた時、中でごそりと何かが動く音がした。
 軽く咳ばらいをしてみせてから、落ち着いた声で主を呼ぶ。

「坊ちゃま」

 それに応じて部屋の中から「はい」という透き通った様な、か弱げな声が上がった。
 割と年季の入った厚めの扉であるが、執事の白い手が至って上品に開ける。
 喧しい軋みの一つも許さない、と言う様な彼なりの矜持が見て取れた。

 長身、色白、端正な顔立ち。上流下流問わず、御婦人方が熱狂しそうな容姿を纏った青年。
 その彼が手に持つ盆には、これまた上品な茶器が鎮座している。
 芳しい香りの元は、ポットの口から儚げに立つ湯気だろうか。

 青年は部屋の主に軽く一礼すると、顔を上げてにこりと微笑んで見せた。
 くどいようだがその笑顔もまた世の女性達を虜に云々。

 一方、その極上の笑みを向けられた部屋の主は、寝ていた姿勢からゆっくりと起き上がりつつ、
 寝惚け眼をしょぼしょぼと青年に向けるばかりだ。
 
 部屋の内装は簡素だが、やはり気品が漂う造りとなっている。
 その中で一際……窓際に置かれた、アンテヰク調のベッドが存在感を放っていた。
 そしてその上で今まさに眠りから覚めたのが、この部屋の主たる少年である。

 姿勢を起こす度に少しぼさついた、白髪交じりの灰色の髪の毛が揺れる。
 まだ少し眠気が残るようで、子供のようなくりくりとした黒目が、
 しかし起きぬけのどんよりさに塗れてぱちぱちと瞬いた。

「坊ちゃま、お茶をお持ちしました」

 若き執事がにこやかに話し掛ける。
 

  「うん、ありがと、垣根君」

 少年が目を擦りながら、にへらと笑う。
 傍から見れば兄弟の様な立ち位置だが、彼らは齢拾六の同い年である。

 と、そこで垣根君、と呼ばれた青年は何故か困った様な、慌てた様な顔をしてみせた。

垣根「またその様な、困ります 私は貴方の執事なのですから、その様な呼び方は……ただ一言、『垣根』とお呼び下さい」

 胸に手を当てながら困り顔でそう諭す垣根帝督(かきねていとく)だが、
 当のご主人様はそれよりも更に苦悩顔をしながら腕を組む。

「うん、でも……垣根……くんは、僕と同い年だし……」

 後半は、聞いているこちらが心配になる程に泣きそうな声であった。
 それに少し心を絆されたのか、帝督は柔らかく、優しく言い諭す。

垣根「旦那様も、私の事をそうお呼びになります ですから、坊ちゃまも、ね?」

 まるで子供をあやす育児父である。

「おじさんも?」

 不安げに俯けていた顔を上げ、恐る恐る帝督の目を見る。

垣根「はい、ですから坊ちゃまもしっかりと……この家の主たる態度を取っていただかないと」

 そう言って優しく微笑む。

垣根「あなたは一方(ひとかた)家の唯一の跡取りなのですから……通行(みちゆき)坊ちゃま」

───
                                                   

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