エツァリサイド ―関東 某ビル建設現場―
学園都市の外、民間住宅と企業ビルの混在する一角。
建設途中のビルは、基礎工事が終え、一部H鋼の鉄骨が組まれたまま放置さた、
巨大なジャングルジムのような様相を呈していた。
その建設途中のビルの前で、エツァリとオリアナが対峙していた。
中途半端なところで工事が中断されているのは、第三次世界大戦の影響だろうか。
学園都市に敵対する各国は、物質的、経済的に日本を干上がらせる為に、日本への輸出を制限していた。
絶えず物流を止める事なく、経済活動が行なえるだけのシステムを構築していた学園都市と違い。
日本国自体は、戦争で経済的な損失を受けている。
ゼネコン業者も例外ではなかった。
例え、建設に必要な資金が用意できていたとしても、建築資材の流通がストップしてしまえば、工事の続行は困難になる。
加えて、戦争を起因としたインフレで、燃料や建築資材等の価格も高騰している。
このビルのオーナーとしても、工事が遅れるリスクを負ってでも様子見したい心境なのだろう。
そういった事情もあり。二人がいる場所には人っ子一人存在しなかった。
エツァリ「必要悪の教会の協力員ですか……」
オリアナはそう名乗った。
恐らく正規の職員ではなく。
何かのミッションの為に雇われただけの助っ人なのだろう。
エツァリにとっては好都合だ。
オリアナ「そっ。お姉さんとしては、貴方にお話が聞きたいだけだから。
そんなにかたくならなくていいのよ」
オリアナはにこやかな笑みをエツァリに向ける。
エツァリ(隠すべき事柄は二つ。
一つ目は、自分が学園都市のエージェントであったという過去。
二つ目は、原典を所持しているという事実。
この二つさえ偽る事ができれば問題ないはず。
単なる協力員ならば、与えられた仕事以外の余計な事はしないでしょうし。
ここは、相手が望む情報をさっさと差出して、ご退場願いましょう)
エツァリ「それで話とは?」
オリアナ「んー。ここは定番通り、お名前と職業から聞いておこうかしら?」
エツァリ「普段は海原光貴と名乗っています。
この姿を提供してくれた方の名前です。
職業は……廃業したスパイといったところでしょうか」
オリアナ「廃業?」
エツァリ「ええ。自分が所属していた組織が壊滅してしまいましてね。
学園都市をスパイをする意味が無くなったんですよ」
オリアナ「なるほどね。さっきまで一緒にいた女の子達は何者?」
エツァリ「スパイを続ける間に知り合った一般人です。
学園都市にはもう用がありませんからね。
日本を離れる前に、最後のお別れの挨拶をしていたんですよ」
オリアナ「ふーん。そう。
……今から6時間程前、日本時間だと、午後0時ごろかしら。
貴方何してたか覚えてる?」
エツァリ「丁度、学園都市発ったころですね。
監視カメラ等のセキュリティーを避けて移動していましたから、アリバイはありませんが……」
オリアナ「同じころアメリカでちょっとしたトラブルがあってね。
貴方と同じ姿をした人物が犯行現場で目撃されてるのよ。
こっちの方は酒場の監視カメラにバッチリ映ってるらしいわ」
エツァリ「なるほど。それで自分に疑いがかかったんですね。
でしたら、それは本物の海原光貴ではないですか?
彼が今どこにいるか、自分は知りませんが」
オリアナ「いえ、それはないわ。
本物の方は学園都市にずっといたらしいのよ。
ちゃんと裏付けは取れてる。
だからこそ聞いてるの。貴方、その時どこにいたの?」
エツァリ「参りましたね……。他人の空似ではないのですか?」
オリアナ「貴方が使ってる魔術。
人の皮を被るアステカの神官特有の術式よね?
他人が使用する事もできるの?」
エツァリ「ええ。可能です。
それなりの技術は要しますが、対象の皮を素材に使った護符があれば、誰でもできます」
オリアナ「その護符を他人に貸した事は?」
エツァリ「あるっと言いたいところですが、生憎心当たりがないですね。
自分が持っている護符はこれ一つだけですし、他人に貸すどころか、触れさせた覚えもありません。
スパイとして潜り込んでいた訳ですから、自分と同じ姿の人間がそう沢山いては仕事に差し障りますし、他の敵組織に自分がこの姿をしている事を知られる訳にもいきませんから。
当然、周囲の人間はもとより、自分が所属していた組織にも誰と成り代わっているかは秘密事項でした。
自分のようなスパイにとっての生命線とも言える護符を、他人に貸し与えるなんてありえませんよ。
……その偽者が、まったく別の魔術か、超能力によって変装している。
という線はないでしょうか?」
オリアナ「まったくないとは言い切れないけど。
その場合、何故その日本人の男の子の格好を選んだのかが問題なのよね……」
エツァリ「偶然でしょう?
海原光貴は、財界でも有名な、常盤台中学の理事の孫です。
彼の顔を利用してよからぬ事を企む者も多くいる筈。
自分もその一人でしたし」
オリアナ「理事の孫ってどのくらいのステータスなの?」
エツァリ「そこそこといった感じですかね。
まあ、理事本人に比べれば見劣りしますが。
理事クラスよりもセキュリティーレベルが格段に落ちます。
厳重なセキュリティーを突破するリスクを負わずに、それに近しい権力を振るえるわけですから。
自分のようなスパイにとっては狙い目ですね。
あるいは、アメリカにいたことを考えると、海原光貴の名を騙った詐欺師って線も考えられますね。
“理事の孫が小金欲しさに、学園都市の能力開発技術を売り渡す”
なんてシナリオならアメリカに存在する様々な能力開発機関から大金を巻き上げられそうですしね」
オリアナ「成り代わりの術を持ってるスパイにとっては、いいカモってわけね……」
エツァリ「一体アメリカで何があったんですか?」
オリアナ「なんてことない、ちょっとしたトラブルよ。
その偽者さんが、ラスベガスのカジノでチンピラ相手に喧嘩しただけ。
ただ、その騒ぎに御坂旅掛っていう学園都市のVIPが巻き込まれたみたいだから、
少しだけ事が大げさになったみたいだけど」
エツァリ(御坂旅掛……たしか、御坂さんのお父様の名前だったはず)
オリアナ「どうかしたの?」
エツァリ「いいえ、なんでもありません。
その学園都市のVIPというのは無事なんですか?」
オリアナ「気になるの?」
エツァリ「それはもう。
身に覚えのない罪状で指名手配などされては適いませんから」
オリアナ「残念だけど、詳しい事はお姉さんも知らないのよね」
エツァリ「そうですか」
オリアナ「……何か隠し事はしてるみたいだけど。
アメリカで起こった事件については本当に何も知らないみたいね」
エツァリはやれやれといった具合に、頭を振る。
エツァリ「ふっ。やはり、自分は人を騙すということが致命的に下手みたいですね……。
勘弁してください。
スパイという職業上、人に言えない事情の一つや二つあるものです。
ただ、アメリカで起こったという事件について、自分は無関係です。
それは誓って確かです」
オリアナ「分かったわ。信じましょう。おっと、通信が入ったみたい。ちょっと失礼するわよ」
オリアナはエツァリから目をそらし、仲間からの魔術による通信を受信し始めた。
小声で会話が交わされている為、エツァリからは内容が読み取れない。
もしかしたら、本来の彼女の仕事に関する連絡かもしれない。
エツァリへの職務質問は、彼女にとって突然起こったアクシデントのようなものだったのだから。
エツァリ(どうやら無事誤魔化せたようですね……しかし、何故御坂さんのお父様が……)
しばらくして、通信を終えたオリアナが、エツァリの方に向き直る。
その表情は先ほどとはうって変わって、真剣なものになっていた。
何があったのだろう、そうエツァリがいぶかしんでいると。
オリアナは、流れるような動作で、右手に持っていた単語帳を、その唇にあてがった。
エツァリは、彼女が何をするつもりなのか理解できなかったが、これまでスパイとして積んできた経験が言っていた。
何か来る。
咄嗟に上着のポケットに隠し持っていた黒曜石のナイフに右手をのばす。
エツァリ「何をっくっ!!」
オリアナが口で引きちぎった単語帳のページが黄色の眩い光を発すると、地面から5本のロープが生え、うねりながらエツァリ目掛けて伸びてきた。
攻撃するのではなく、捕縛する為の魔術。
エツァリの黒曜石のナイフは、金星の光を反射する事で、光を当てた対象を一撃で破壊できる。
まさに、一撃必殺。しかし、それゆえ複数の相手には対処できない。
ロープを破壊しようと試みるも。
ロープ全体で一つの魔術としてカウントされるのか、ロープの一本一本が一つのモノとしてカウントされるのか判断できなかった。
それぞれのロープを個別に狙いをつけ、破壊する余裕はない。
仕方なく、エツァリは魔術ではなく、本来のナイフの用途を用いる事で迫り来るロープに対処する事にした。
5本のロープはまるで蛇の様に一本一本が意思を持ち、エツァリの五体をそれぞれ縛るために伸びてくる。
まずは右手に向かってくるロープを切り捨て、次に首に向かってくるロープを狙う。
魔術を発動させたオリアナはその場に立ちつくしたまま、ロープ相手に奮闘するエツァリを眺めていた。
オリアナ「ごめんなさい。
事情が変わって、貴方をこのまま放置できなくなってしまったのよ」
エツァリ「一体なにがあったんです!?」
バックステップでオリアナから距離をとりながら、鮮やかなナイフさばきで、エツァリを捕らえようとするロープを断ち切っていく。
しかし、斬れども斬れどもロープは無限に地面から伸びてくる。
エツァリ(このままでは埒が明きません。彼女自身を傷つける訳にはいきませんし……どうしたものか)
オリアナ「貴方、必要悪の教会に最重要参考人として指名手配されちゃったのよ。
たった今、身柄を拘束しろって命令が入ったの」
エツァリは、オリアナの足元に落ちている単語帳の一ページに着目する。
表面に書かれている黄色い文字が、光を放っていた。
エツァリ(恐らく魔術の源は、さっき彼女が破り捨てた単語帳でしょう。
破いたページそのものに意味があるのか、
あるいは単語帳からページを破く事で発動するタイプなのかは分かりませんが、
とにかく、地面に落ちているあのカードを破壊してみれば確認できるはず)
エツァリは金星と標的の位置を確認する。
オリアナを傷つけるわけにはいかない。
ロープを格闘しながらも、慎重に角度計算を行い、隙をみてナイフに光を反射させた。
オリアナの足元に、精密に計算された光のスジが走る。
一瞬で、オリアナの魔術が破壊される。
ブチッっと音を立てて、ロープの群れは力なく地面に落下した。
エツァリの予期せぬ行動にオリアナの目が見開かれる。
それでも、彼女の口元には余裕の笑みが貼り付けられていた。
オリアナ「お見事♪」
エツァリはオリアナに背を向けて、建築途中のビルに逃げ込む。
先程のナイフの一撃を警戒してか、オリアナは必要以上に追っては来なかった。
オリアナ「ここまでされても、反撃はしてこないのね……。紳士なのは評価できるけど、これじゃお姉さんちょっと欲求不満かな」
エツァリ(……まさか、自分が学園都市のエージェントであるという情報が向こうに漏れたのか!?)
エツァリ「例のアメリカの一件が原因ですか?ただのチンピラの喧嘩でしょう?」
オリアナ「その偽者さんが、ラスベガスの街で、前方のヴェント相手に大暴れしてるらしいのよ」
エツァリ「前方のヴェント?神の右席ですか?……なにがどうなってるんだ」
エツァリが鉄骨の影から様子を窺うと、オリアナが再び単語帳を口元に運ぶのが見えた。
オリアナは彼女の信条故に、一度使った魔術は二度と利用しない。
しかし、それを知らないエツァリは、先ほどのロープによる捕縛魔術を警戒し、辺りの地面に意識を集中させる。
一度捕まってしまえば、原典の力でも使わない限りあの魔術からは逃れられない。
オリアナ「得体の知れない強大な力を持つ魔術師。
その正体を知る足がかりとして、貴方の事を詳しく知る必要が出てきたってところね。
本部の方は、上条当麻の行方を知る手がかりじゃないかって睨んでるみたいだけど……」
エツァリ(攻撃が来ない?任意のタイミングで発動させる事ができる魔術なのでしょうか?)
オリアナ「悪い事は言わないから、大人しく縛られてくれないかしら。
大丈夫、痛くしないから。
抵抗すれば必要悪の教会の敵になるわ。
今や最大勢力を誇るあの組織は厄介よ。
積極的に協力する姿勢を見せれば、手荒な事はされないだろうし」
エツァリ(マズイ。ここで捕まるわけにはいきません。
ボディーチェックを受けるだけで、自分が原典持ちの魔導師であることが露見してしまう。
そうなれば必要悪の教会全てを敵に回してしまう。
しかし、この女性を振り切ったとしても、自分が指名手配されているという事実は変わらない。
……せめて、ショチトル達だけでも逃がさないと!!
とりあえず、通信を……)
オリアナにばれないように、ショチトル達と魔術の通信を開こうとした時。
逆にショチトルの方から通信が入ってきた。
エツァリ『どうしました?』
ショチトル『エツァリ、に、逃げっ――』
エツァリ『ショチトル!ショチトルゥゥゥ!!!』
ぶつっという耳障りな音と共に通信が途切れる。
頭の中が真っ白になった。
呼吸をする事すら忘れてしまった。
よりにもよってこのタイミングで、通信がかかってきた。これは決して偶然ではない。
ショチトル達がどうなったのか、考えるまでもなかった。
前提が間違っていたのだ。オリアナは一人ではなかった。
今ごろショチトルとトチトリは、彼女の仲間に捕らえられていることだろう。
想像もしたくなかった、最悪の事態だ。
我を失ったエツァリは、自身の身の安全など無視して、H鋼の鉄骨の影から飛び出した。
歯噛みしながらオリアナを睨みつける。
オリアナに向けたナイフの切っ先が、怒りで微かに震えていた。
エツァリ「彼女達に何をしたぁ!!」
突然激昂したエツァリにうろたえる事もなく。
オリアナは平坦な口調で、謝罪の言葉をつむぐ。
オリアナ「本当にごめんなさい。お嬢ちゃん達は大きな怪我は負ってないわ」
オリアナは、通信用の単語帳のページを口に咥えていた。
彼女がこの場所で発動させた魔術は二つだけ。
一つ目は、はじめに放ったロープの魔術。
二つ目は、仲間にショチトル達を捕らえるように指示する為の魔術だけだ。
駅でエツァリを発見したオリアナは、同行していた仲間に連絡をとり連携しながら三人を尾行し始めた。
そしてオリアナ一人だけ、あえて気付かれるようなお粗末な尾行をし、揺さぶりをかけてから、相手の反応を見ていたのだ。
エツァリ達の危険度と、実力、素性を探る為に。
駅で出会った時から、すでにオリアナの尋問は始まっていた。
オリアナ「抵抗しない限り、むやみに手は上げないようにって、あの娘達には言っておいたんだけど……」
エツァリ「そんな問題じゃない!……彼女達に魔術を向けるなんてっ」
ショチトルは皮膚の裏に原典を書き込まれ、殺人兵器として組織の尖兵にされた。
トチトリは、テクパトトルが原典を運用する為の生贄として、地獄の苦しみを味合わされた。
魔術に関わる者ならば、自ら原典に手を出すような人間ならば、そのような仕打ちも覚悟しなければならないのかもしれない。
しかし、本来彼女達は前線に出てくるような人間ではない。
人を傷つけず、他人を幸せにする為に、魔術を利用していただけの、ただの少女だったのだ。
エツァリは、魔術の犠牲者たる彼女達に、再び魔術を向けた事が、何より許せなかった。
オリアナ「やっぱり何か訳ありだったのね……。
そんなに便利なナイフを持ってるのに、お姉さんを攻撃してこなかった原因は、やっぱり彼女達にあるの?」
エツァリ「………………」
ショチトル達は人質に取られたも同然だ。
彼女達の安全を確保する為には、対価を支払わなければならない。
その対価が、自分自身の命だと分かった上で、エツァリは決断する。
エツァリ「彼女達を解放してください」
オリアナ「貴方が黙ってついて来てくれるなら、喜んで」
エツァリ「……分かりました」
ごとんっと、地面に黒曜石のナイフが落ちる音が建設現場に響いた。
つづく