上条「學園都市……か」 > 第弐話 學級回


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───

 

ドンドンドン!
 
 けたたましい音がおんぼろ寮を揺らす。
 一撃毎にこれまた五月蝿く、壁が、柱が、大きな抗議の声をあげる。

上条「うぉあ!?」

 寝床が揺れ動く、という全く未知の災難に当麻は飛び起きた。
 いや、起こされた、というべきか。

 ぱらぱらと落ちる木屑と舞う埃が
 破れ窓から差し込む朝日の筋を現している。

上条(…………は?)

 まだ開かない目の間をぎゅぅと押さえながら、
 微かな痛みを伴い始めた寝惚け頭に血を送ろうとする、が

上条(……………………)

上条(…………は?)

 此の様な目覚しに合う心当りは無い。

 未だにやかましい打楽を刻んでいるのは入口の引き戸らしかった。
 
上条(……夢、か……)

 納得いったらしい当麻が、微かに頷いて布団に潜ろうとした矢先、

青ピ「かーみーやーん!! いつまで寝とるんや!遅刻するで!」

 今度は聞き覚えのある低い声が部屋を揺らした。

上条「…………」

 きりきり、と頭に一つの単語が鍵の様に捩じ込まれる。

 朝日にしては少し黄色掛かった様な光をぼんやりと眺めていて
 段々と、鳥肌が立つ様な、腹の底に鉛でも溜まっていく様な、
 言い知れぬ感覚が忍び寄って来る。

上条「……遅刻?」

 今度は、全身で飛び起きた。

自己最速、いや世界新記録も狙えるかという神技的早さで諸準備を終えた当麻が
 建付けの悪い引き戸を力を込めて勢い良く開けると、
 頭一つ分当麻より大きな青ピが拳を振り上げて立っていた。

上条「ひっ」

 その拳の意味を早とちりした当麻が慌てて顔を引っ込めると、

青ピ「なんや、起きてたんか」

 とりあえず当麻が出て来たことに安心したのか、笑顔を向ける青ピ。
 そして、またも戸板を叩こうとしていたゲンコツを引っ込めると、

青ピ「ほら、早く行かんと入學式、遅れてまうで」

 何時の間にやら取り出した懐中時計を当麻に差し出した。
 洋暦に疎い当麻でも、その時刻がかなり差し迫ったものであることは理解できた。

上条「っとと……わざわざ起こしてくれて、ありがとな」

 學園生活を説教から始めるという悲劇から救ってくれた青ピに心から礼を言う。
 そもそも寮生ですら無いのにわざわざ迎えに来てくれる辺りに
 青ピの甲斐々々しい性格が表れている。
 当麻は温かみのある友人に巡り会えた運命に、そして珍しく良い仕事をした天の神に感謝した。

 それはそれとして早速寮の出口へ向かおうと焦る当麻だが、
 青ピは元々細い目を更に細めてにやけるばかりで、動こうとしない。
 その目は“まだ寝惚けてんのかい”とでも言いたげだが、
 気もそぞろな当麻にはその理由が分からない。

 どうしたのだろうか、と足を止める当麻。
 相変わらずにやにやとした青ピの姿を訝しげに見遣り……

上条「ん?」

 ようやく他者に目を向ける余裕が出たのだろうか。
 この時初めて青ピの“衣更え”に気付く。ついでに、青ピの含み笑いの理由にも。

青ピ「まさか、その格好で行くん? 入學式」

 そう言って青ピは懐から新品の學生帽を取り出すと、勿体ぶった様な動きで頭に載せた。

 その青ピの姿は昨日の着崩れた着物とはうってかわって、
 全身黒地の詰襟に身を包み、すらりと伸びたズボンの裾からは新調したらしい朴歯の下駄が覗いている。

 一方自分は、と目を落とすと
 何時もの絣、袴に使い古した手拭いを提げて……

青ピ「初めが肝心やでぇ、女の子に自分を売り込むんは」

 そう言って青ピは格好付けるように帽子の鍔を手で詰まんで軽く揺すった。

 しかし当麻はそんなことなど眼に入らない、といった様子で部屋に飛び込んでいた。
 隅に放っていた荷に飛び付くと、もつれる指で結び目を解く。
 背中に青ピの笑い声を浴びながら、この日の為の晴れ着を必死に捜す。

 ようやく制服を引っ張り出し、慌てて袴と絣を脱ぎ散らす。
 ふんどし一丁になりながら「不幸だ、不幸だ」と繰り返し、慣れないズボンと格闘する当麻は気付かない。

 先程の自己新を塗り替える勢いであることに。

───

 

───

校長「えー、で、あるからして」

 体育館に集められた若人達 ── 新入生の面々は
 この入學式という、身は締まり心は躍る、そんな響きを持った催事の中にあって
 皆一斉に、唯一つの思いを胸に抱いていた。

上条(早く終われぇぇ!)

青ピ(話なっがいわアホ校長!)

土御門(もう帰りたいにゃー!)

 おうちにかえりたい、そんな純朴な願いと呪いを一身に受けている壇上の中年親父は
 眼下にひしめくげんなりとした面々などお構い無しに、
 我が校の伝統ウンヌン、諸君らの勉励カンヌン、と時々絡まりがちな舌を得意げに振るっている。

吹寄(……足が疲れてきたわね……)

姫神(………。)

 老若男女問わず襲い掛かる、残虐非道な無差別大量"口"撃が止む気配は無い。

 一方病む気配のある当麻達は、
 煩く飛んでくる二次熟語の連射を右耳から左へと何の引っ掛かりも無く流れ落としながら、
 若々しい己達の貴重な青春期をかくの拷問に費やしている現状に嘆息するしか出来なかった。

校長「でー、おほん、わたくしがぁー、改善いたしましたこの學校の便所、これを説明しますとぉー」

青ピ「な、なあ、カミやん」

 当麻の前に立っている青ピがふいに声を掛けて来た。

上条「なんだ、青ピ」

青ピ「僕、もう限界かもしれん」

 見れば青ピは肩をわなわなと震わせて、今にも學生解放運動を起こしそうな気迫が背中から立ち昇っている。
 その立派な体躯とは裏腹に、青ピの堪忍袋の緒は割と脆かったらしい。

上条「!? お、落ち着けって!」

 入學式から早速問題を起こそうとする親友を必死で止める当麻だが、
 民衆のくすぶりなどに頓着しない暴君は、相変わらず己の便所改革について熱を込めて弁を振るっている。

 青ピのみならず各地で革命の火種がふつふつと沸き始め、歴史が不穏な動きを見せ始めた 
 その時。

上条「ん?」

 見れば、壇上には校長とは別にもう一人の人物が現れていた。
 可憐な少女、というにはやや幼過ぎる姿の女児がトコトコと校長に歩み寄っている。
 その不思議な光景に生徒達はざわつき、一方教師陣は何やら安堵したような、一部は尊敬の眼差しを向けている者もいる。

上条「あ、あれ……」

土御門「あの子はなんなんだにゃー?」

青ピ「……どう見ても小学校低学年の幼女やな……ひひっ」

 何やら引っ掛かるものを感じるが、青ピが言っていることは事実である。
 童女の見た目からして十に満ちるか満たないかの背丈と姿であり、
 この場にそぐわないちぐはぐな雰囲気を出していた。


 当麻達が呆気に取られて見ていると、校長はそばに来た女児にやっと気付き、演説を一旦止めた。
 女児が二、三言、何かを言う。 と、校長は頭をかきながら少し照れ笑いを浮かべ、
 そして学生らの方へ首を戻すと



校長「えー、時間が押しているということなので、この辺で。」

 と告げた。

 その突然の福音に一瞬、場は水を打ったように静まりかえり……
 一拍遅れて、体育館は無言の歓喜に包まれた。

 一気に緊張が解け、桃色の空気が生徒達の間に広がる。
 安堵と解放感に満ちて行き、次第に歓声となってざわつきを増していく。
 涙を流して喜ぶ者まで現れる始末だ。
 「助かった」と言った者までいたか分からないが、正に彼らは救われたのだ。
 
 そしてまた、彼らの心は一つになった。
 少女への心からの感謝。
 ありがとう、と。

青ピ「菩薩や!あの子はボクらの前に現れた菩薩様やで!」

土御門「嗚呼、生き仏だにゃー!我らを救い給うたんだにゃー!」

 感涙にむせぶ二人の友に挟まれ、両側から肩を組まれ揺さぶられる。
 しかし当麻はどうしても、感謝と同時に浮かぶある疑問をつぶやかない訳にいかなかった、

上条「で……何者なんだよ、あの子」

 しかし当麻の独り言は
 周りの湧き立つ歓喜と興奮の渦の中に埋もれていつの間にか消えて行った。
 
 しかし、割とすぐに彼女の正体を知ることになる。
 そして
 長い付き合いになることも。

───

───

 

土御門「はぁ、やっと終わったにゃー」

青ピ「ほんとあの幼女は天使や、一発で惚れてもーたわ」

上条「いや、流石に幼過ぎねーか……」

 例の女の子のお陰で始業式も無事切り上がり、
 当麻達は自分達の教室で待機していた。

 三人は当麻の机に頭を突き合わせてぺちゃくちゃと喋っている。
 他の生徒も早速、新たな友を捕まえてはお喋りを始め、
 教室はがやがやと騒がしかった。

上条「いやしかし」

 そう言って当麻はきょろきょろと辺りを見渡すと、
 少し決まりが悪そうに声をひそめた。

上条「女と一緒の教室かぁ……」

 当麻には男女共に机を並べて、というのは初めての経験であった。
 自然と制服姿の女子にちらりと視線を注いでしまう。

 と、一人の少女を当麻の目が捕らえた。
 
 少し波の掛かった髪が柔らかな艶をこぼしている。
 そのふわりとした雰囲気とは対照的な切れ長の目は
 ややきつそうな印象だが、不思議と威圧感は無い。

 周囲のざわめきの中で、彼女は誰と話すでも無くきちんと着席し、
 しかし少し退屈そうに机に肘を付けて、ぼんやりと前を眺めていた。

 と、こちらの視線に気付いたのか、爽やかに澄んだ瞳を当麻の方へ向けた。
 肩よりも伸びた髪の先が揺れる。
 光と力の入った眼が、当麻の目とかち合った。
 そのきりりと尖った視線に射抜かれて、当麻は慌てて目を逸らした。

動機は違えどあちらこちらの女子達へ熱の籠った視線を送りまくる青ピと元春は
 当麻が微かに顔を赤らめていることには気付かず、呑気に会話を続ける。

青ピ「そっかー、カミやん女の子とおべんきょーするのは初めてなんや」

土御門「そりゃあ今までの人生損しまくりだぜい!」

 そう熱っぽく語る元春に若干たじろぎながら、
 当麻は照れ隠しにふと零した。

上条「別に女と一緒に勉強なんかしてもな」

 まあ嬉しいけど、という言葉を飲み込んで精一杯気障(キザ)な表情を作る。

青ピ「おお~、硬派や~」

土御門「カミやん、無理はよくないで?」

 そう言ってからかう二人の背後から

「なんですって……?」

 思わず三人の背筋が凍った。
 抑えた唸り声、とでも言うべき静かな怒声。

吹寄「女が勉學しちゃいけないっていうの?」

 よく通る凛とした声が当麻の耳に飛び込んで来た。
 が、現状が上手く把握出来ない。
 声のした方に首を捻ると、先ほど目を合わせた少女が
 切れ長の目を更に釣り上げて、こちらを見据えて
 腕組みをして立っている。

 当麻は口をポカンと開けてその少女──結構背が高い──を見上げる。
 青ピと元春も同様に呆気に取られた顔だ。
 学級の連中も事態に気付いたのか、ざわめきが次第に静まり
 皆が少女と当麻に注目した。

吹寄「貴様、名前は何?」

 当麻達と同年齢にしては少々主張の激しい胸を更に張って、堂々と仁王立ちしている、
 その少女に睨まれ、光る額の輝きに照らされ、当麻は蛙のように動けなくなった。

吹寄「私は吹寄制理」

 きっぱりと、彼女、制理が名乗る。
 当麻が自分も自己紹介をしたものかどうかを決めかねていると、
 それを遮って制理が弁を連ねる。

吹寄「好きな物は牛鍋、漢方、そして」

吹寄「平塚先生の御本」

 言い切った制理の言葉に、元春が眉をひそめながらふと零した。

土御門「平塚……?」

 どうやらその人物に心当たりがあるらしい元春に、当麻が声をひそめて尋ねる。

上条「おい、誰だよそれ」

土御門「多分、平塚=サンダーバードっていう、帰国子女の女性學者のことだにゃー」

上条「學者?」

土御門「ああ、女性権利の何とかって本をいーっぱい出してるらしいぜい」

 ひそひそと話す二人に痺れを切らしたのか、吹寄が少し苛立った声を出す。
 
吹寄「貴様さっき、『女なんか』と勉強しても、って言ったわよね」

 制理が何を言わんとしているか、当麻にも薄々分かってきた。
 要は昨今取り沙汰されている微妙な問題に触れてしまったらしいのだ。

 当麻は女性は家庭に入ってどーたらすべし、といった古臭い思想など毛頭持っていない。
 むしろ女學校だの大學予科だのに通って學問を修める女性を尊敬しているぐらいだ。
 もっとも、「勉強なんて面白くない物を進んで出来るなんて、何と凄まじい精神力だ」、という理由からだが。
上条「い、いや誤解だ……!」

 口を真一文字に結んでこちらを見据える制理におののき、慌てて弁解する。

上条「俺は、女と『勉強なんか』しても、って言ったんだよ」

 言い訳としては少し苦しいが、これは事実だ。

上条「お、俺はその、もっと女子と『勉強なんか』よりもっとこう、遊びだったり行楽だったり」

 しどろもどろになりながらも制理の顔を真剣な眼差しで見つめ、
 誠心誠意の陳弁に努める。

青ピ「せやー!ボクらも女の子と遊びたーい!」

土御門「勉強なんか詰まらないにゃー! 女の子とどっか行きたいにゃー!」

 そうだそうだ、と各所から同意の声が上がって来た。
 女子と遊びたいという部分には一部の、特に男性陣からの支持を集めたようだ。

 しかしそんな事は当麻にとってはどうでも良かった。
 今目の前で眼と額から鋭い光を射している少女の険しい表情を解かなければならない。
 それだけだった。
 吹寄制理、吹寄制理の機嫌を直さなければ。
 制理の名と申し開きの文句がぐるぐると頭を駆け廻る。

上条「だから俺は、勉強なんかじゃなくて、その、」

 自分が何を言ってるかも分からず必死で言葉を紡ぐ。

上条「吹寄と一緒にお茶飲んだり、劇場へ行ったりしたいんだ」

 そう言い切った瞬間、
 騒がしかった教室は静まり返った。

 先程から一番うるさかった青ピと元春まで、口をあんぐりと開けたまま硬直している。

 辺りの急激な温度変化、生暖かいような、凍り付いたような、不可思議な空間。

上条「え?」

 その雰囲気に当てられたのか、ようやく我に返る当麻。
 俺、何か言ったっけ。
 ふと、目の前に不穏な気配を感じ、そっと目を向けると

吹寄「………」

 何やらうつむいて顔色こそ見えないが、腕を、肩を、いや全身を震わせている制理がいた。

上条「ひっ……」

 思わず慄き一歩下がる。
 当麻は直感した。
 『何かとんでもない事を言って怒らせてしまったらしい』

 すぐに後ろを振り向き青ピと元春へ助けを求める、が。

 二人とも何とも言えない表情で固まったまま

 目を逸らした。

上条「!!」

 友達甲斐の無い二人の裏切りに狼狽し
 あたふたと制理の方を向き直ると
 震えたまま押し黙っていた制理が口を開いた。

吹寄「き、き、貴様……っ」

 そこで当麻は「あれ、」と思った。

上条(あれ、耳が真っk)

 次の瞬間、鈍い音が教室に響き渡った。

 膝から崩れ落ちる当麻の意識の残り滓には
 例によって、例による、例の言葉が浮かんでいた。

 

───

 

 

───

青ピ「カミやーん!」

土御門「しっかりするにゃー!」

 ド低い声と間延びした声。
 二つの声が情けないステレヲとなって空しく響いた。
 何とか当麻を助け起こそうと奮闘する二人だが
 彼女の一撃は相当重かったらしく、呻くばかりでなかなか起きる様子は無い。

 何がどうしてこんなことになったのか。
 当の本人(男)は床でノビているし、
 当の本人(女)は顔色を隠すように顔をぷいと背けて何やらぶつくさと零している。

 一方、教室の中はしいんと静まり返っていた。
 まあ仮に、この有様に割って入れる生徒がいたら、そいつは相当な大物だろう。
 誰も声を漏らさず、ただおどおどと視線を交わすだけ。

吹寄「なんだって、私が……まったく、何なのよ……」

 要領を得ない独り言が、沈々とした教室に浸みる。
學園生活の幕開け、それが修羅場から始まるとは。
 当麻で無くとも不幸を呪う生徒がそこかしこに現れ始める。
 今後の学級の行く末に暗雲が広がり始めた
 その時。

上条「う……」

青ピ「お!」

土御門「目ぇ覚めたかにゃー」

 ようやく当麻が目を覚まし、一瞬二人から喜色の声が上がる。
 黒雲に一筋の光が差すような、唯一の明るい報せ。

 体を揺すられ、当麻は薄っすらと目を開ける。
 しばし虚空をぼんやりと見遣った後、ぽつりと一言零した。

上条「……ふこ……うだ……」

 しかし、その口から零れた第一声は余りに悲しく、
 余計に場を落ち込ませることになった。

青ピ「………」

土御門「………」

 そろそろ皆が空気に耐えきれなくなったその時、
 突然やかましい音を立てながら引き戸が開いた。

 にわかに響いた大きな音にびくりとして教室の入り口を見ると

小萌「はい皆さ~ん、席に着いてくださいなのですよ」


 !?


 !!


 あのときの天使がまたも救済に現れたか。
 再び皆の意思が一つになった。

───

 

───

青ピ「あっ、あの子や!また御降臨なされたんや!」

土御門「ありがたや……ありがたや……」

吹寄「あの人……まさか……」

 俄然、活気の戻った教室は和やかなざわつきを見せ始める。

 その様子に内心微笑みつつも、
 月詠小萌はわざと眉間にしわを寄せて強い声でたしなめる。

小萌「もー!席に着いてくださいっ!」

 その声にばたばたと席に戻る生徒達だが、その中で一人腑に落ちない顔をしている者がいる。

上条「……だから、何者なんだよアレ」

 他の者々は特に感ずる所もないといった様子で着々と席についている。
 だが目の前で、教卓の裏の台──おそらく彼女専用なのだろう── に立ち、
 腰に手を当ててふんふんと怒っっている姿はどう見ても機嫌を損ねた小學生だ。

小萌「まったく、いいですかー? 初日からこんなんじゃあ先が思いやられちゃうのですよー?」

 言っている内容から察するに彼女は……いやまさか、そんなはずは。
 当麻の脳内で小萌の姿と或る言葉がぐるぐると回る。

小萌「はい皆さん、席に着きましたねーえらいのですよー」

 黒板の前に立つ少女のがにこりと微笑む。
 すると「ほう……」という溜め息と感嘆の声が各所から湧き上がった。
 幼子の可憐な笑顔がその場の全員の心を奪った瞬間であった。

青ピ「ほうぉあぁーっ!!」

 がたん!という大きな音に驚いて当麻が振り返ると
 後ろの席の青ピが立ち上がり歓喜の叫びを発していた。

 ここまで来ると病気なんじゃねぇか、と心でツッコミを入れながら、
 その実、当麻の胸中はそれどころではない疑念が渦巻いていた。

上条(まさか……な)

 そうだ、そんなことは幻想に違いない。
 これまで数々の幻想が打ち砕かれて来たが、まさかあんな小童が……

小萌「これから皆さんの担任せんせーになる、月詠小萌です。よろしくなのですよー」

 うおおお、という地を揺るがすような歓声の中で、一人の少年が頭を抱えている。

上条(ああそうですよね そうなりますよね)

 學園都市というものが"世間"とズレた世界であることは(経験から)重々承知していた。
 しかしまさか子供が教師って、"文化の違い"というには余りにも……

 己の先行きへの不安がふつふつと心中に沸いて来る。

 嗚呼、俺の學園生活はどうなっちゃうんでしょうね。
 ああ全く、ふこ

青ピ「至福やーっ!!」

 

───

───

 教室はお祭り騒ぎの様相を見せて来た。
 中には小萌の名で声援を送る輩まで現れる始末だ。
 最も、その中には我らが三馬鹿も含まれる訳で……。

青ピ「小萌っ!センセッ!」

土御門「小萌っ!センセッ!」

上条「………」

 失礼。二馬鹿であった。
 
 先述の通り、当麻が胸中落ち込ませているのは己の學園生活の将来についてだ。
 年端も行かぬお子様が担当教諭というのは冗談にしたって質が悪い。
 当麻が頭を抱えるのも無理からぬ話だった。

上条「大丈夫かよ……子供が先生なんて」

 思わず独りごちる。
 その呟きは周りの歓喜の渦に?き消えると思われたが、
 どうやら近場の人間は聞き逃さなかったらしい。

青ピ「あれ?カミやん知らんの?あのセンセのこと」

 先程まで万歳三唱に参加していた青ピが、これは意外といった風に話して来た。

土御門「あの先生、割と有名なんだぜい!……まあ、最初は俺らも気付かなかったけどにゃー」

 同じく土御門まで、先程までうるさく鳴らしていた手拍子を止めて、当麻へ向き直る。

 そう言われて彼女の顔容を思い起してみるが、
 当麻の頭の中に"ちびっこ教師"の情報に引っ掛かる節は無いようだ。

上条「そんな有名人なのか?」

 当麻は彼ら言う『有名』を完全には信用していなかった。
 何せ青ピと土御門なのだ、多少の色眼鏡は掛けた方が良いだろう。

 が、質問の答えは意外なところから返ってきた。

吹寄「貴様……月詠先生を知らないのか?」

 声の主は、先程当麻に『鉄拳制裁』を下した少女、吹寄制理であった。
 眉をひそめて怪訝な顔を当麻に向けている。

上条「あ、ああ……」

 その鋭い眼光に射抜かれた少年は思わずびくりと体を縮こませた。
 手は無意識に腹部をかばっているようだが。

 やれやれと大袈裟に首を振りながら、制理は軽く溜め息をついて見せた。

吹寄「全く、月詠小萌先生だ。 聞いたことぐらいはあるだろう?」

 つくよみこもえ、姓名で言われると何処となく聞き覚えがあるような気がする。
 しかし当麻の記憶力では其処までが限界であり、制理が満足する応えは出来そうになかった。

上条「すまん……」

 素直にぺこりと頭を下げながら、ふと思う。
 何で俺謝ってんだろうね、と。

 その様子を呆れ顔で見ながら、制理はもう一度嘆息してから口を開いた。

吹寄「月詠先生っていったら、日本で初の女性教諭だろう」
 
上条「へ? そうなのか?」

 なるほど、国學や史學というものに……否、學問全般に疎い当麻に分かる訳は無かった。 

吹寄「そう、今でこそ女性教諭は当たり前! でもそれまでの男性主義の歴史を覆し、教師という聖職に就くことは」

 いつの間にか鼻息を荒くしている制理の口上は熱を帯び始めている。

吹寄「そもそも男尊女卑の悪習が蔓延った旧来の各制度に於いて女性の権利は著しく」

 制理の口から零れる土砂降りのような説教を浴びながら、当麻はぺこぺこと頭を下げるしか無い。
 もっとも、降った雨は振り落とすのが世の常というもので
 制理の熱烈な説法は当麻の頭には一割も残らないのだが。

吹寄「つまり月詠先生のお陰で日本國は数十年前からようやく女権回復の黎明期を迎え」

 しばらく終わりそうにない制理の弁論をはいはいと華麗に聞き流す当麻。
 その周囲は相変わらずの小萌小萌の声援の渦で溢れている。
 良く言えば、にぎやかな仲間達。

上条(全く、こんな奴らと一緒の学級で、俺の學園生活はどうなっちまうんだ?)

 やれやれと頭を振りながら、そんなことを考える。

上条「はぁ……」

 盛大に、息を吐いてみる。
 いつもの、お決まりの、台詞。
 でも何だか、今日は言う気になれなかった。
 むしろ口元に微かに浮かんでしまう笑みを、何となく手で覆い隠した。
 
 肌で感じる暖かさは、なんだろう。
 何で心が躍るのだろう。
 俺は、ここに来て、

上条(……良かった、な……)

 漏れた笑いを手の下に感じながら、思わず当麻は目を細めた。


 が、次の瞬間、和やかに笑んでいた口元がひきつった。

上条「数十年……?」

───

 

───

 

小萌「さて、先生の話は以上なのです。 皆さんで仲良しな学級にしましょお」

 そう言って、壇上でにこりと微笑むのは言わずと知れた学級担任、月詠小萌先生である。

 後ろの席の青ピと、前の席にいる元春が先程から熱く我らが小萌先生の如何に素晴らしきかを語るものだから、
 間に挟まれた当麻の耳には嫌でもその崇拝にも似た称賛賞辞が飛び込んでくる。
 そんな賛美合戦を払いのけるように、当麻はわざとらしく少し大きな声を出した。

上条「さーて、ようやく始業も終わりか」

 伸びなんかをしてみせながら、当麻はやれやれと言った調子で帰宅を促す。
 もう早く帰って休みたいと言わんばかりに、手早く鞄を手に取って立ち上がろうとする。
 しかしそんな当麻をきょとんとした顔で見上げる四つの瞳。

青ピ「何帰ろうとしてんのん?」

 相変わらず妙な関西訛りが目立つ青ピだが、そう聞かれてはてと訝しんだのは当麻だ。

上条「いや、だって……もう担任先生の話も済んだし、な」

 これまでの自身の経験から言えば、それが済めばもう學校の始業日は上がりのはずである。
 この後にもまだ何か控えているのだろうか。

土御門「カミやん、日程表見てないのかにゃー?」

 そう間延びした声を掛けて来る元春はどこか楽しそうだ。
 いよいよをもって次に何が待っているのか、不安が募る。

上条「えと、この後何が……」

 そう言い掛けて、当麻はある影が近付いていることに気付いた。
 はたと目を遣ると、いつの間にやら小萌がそばまで寄っていた。

小萌「もー、先生の話をちゃんと聞いてくださいね?」

 口を尖らせながらそう零す小萌はどう見ても拗ねた童女である。
 すみません、ともごもごと謝る当麻だが、ふと小萌の服装に目が止まった。
 先程まで教卓に隠れて首から下は(一応"台"に乗っていたはずなのだが)隠れてしまっていたため、
 小萌の衣装は目に入らなかったのだ。

 見れば、可愛らしい桃色の着物が目を引くものの、仙台平の袴を履いている辺りは流石教師というべきか。
 ただし足袋の色まで薄っすら桃に染まっているのは、やはり彼女の趣味なのだろうか。

小萌「次は体育館で念術測定なのですよ 早めに移動して、そして」

 指を立ててはきはきと説明する小萌だが、当麻はやはりその格好に気を取られてしまう。
 和装は見慣れているはずなのだが、ある単語が当麻の頭を駆け廻り他の思考を邪魔するのだ。
 じいと見つめる当麻に気付いたのか、小萌がはっとした様子で着物の前を手で押さえる。

小萌「な、何なのですか、そんなに見つめて……」

 少し上気したように見える顔。
 罪作りな少年の背後から響くぎりぎりという音は、青ピか、元春か、恐らく両者であろう。

 当の本人は迷いあぐねていた。言いたい、しかし、言って良いものか。
 とはいえ、これ程見事な「それ」もあるまい。
 むしろ言って欲しいのでは。
 いや、そうに違いない?

 前からは熱っぽい目線を送られ、背後からは恨みの籠った念を浴びることにも全く気付かず、ふむと頷く当麻。
 そして、口を開いて放った言葉が。

上条「七五三みたいですね」

 その空気にぴしり、と亀裂が入ったように見えた。
 和やかな場を冷え切らせる呪詛を言い放った本人は無垢な顔で微笑みすら浮かべている。
 「上手い事言った」とも言わんばかりの仕事終えの表情である。


 小萌が涙を浮かべるより先に、背後から愛の鬼神と化した二人の男に襲われるより先に、
 憤怒を込めた叫び声を上げて突進してきた者がいた。

吹寄「貴様ぁぁ!! 月詠先生にッ、何て失礼なことヲッッ!!」

 あらぬ方から突如鼓膜を震わせた怒声に、当麻が驚愕の表情で振り向いた時
 既にその腹に深く深く、制理の正拳突きが埋め込まれていた。

 本日二度目の薄れゆく意識の中で、念術測定、という小萌の言葉を反芻し
 堕ちた。

───

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