上条「まきますか?まきませんか?」(5)


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「いきなさいホーリエ!」

 真紅の声とともに、開け放たれた入り口ドアから紅の光球が飛び出していった。

 可能な限り明度を落としてある上、陽光の中であの速度だ。目視できる者などそうはいないだろう。

 小萌の居るであろう場所―――他の薔薇乙女がいる位置は、ホーリエにしか感知できない。

 人工精霊の案内で向かう手もあったが、光球が人を案内する様は、いやがおうにも無関係の人間の気をひいてしまう。上条の知り合いにでも会えばさらに面倒だ。

 真紅はホーリエからの情報は受け取ることは可能。ならばホーリエを先行させることで、目的地を知ろうというのである。もちろん、その場で小萌が危険な目にあっていれば助けることを前提で。

「くそっ! よりによって小萌先生の方かよ!」

 上条は、ジャストミートされた弾丸よりも早く小さくなっていくホーリエを見送ることもせず、乱暴に己の靴に足を突っ込んだ。

 ついさっきインデックスが危ないと考えたときよりも焦りが大きい。明確に危険が迫っているとわかってしまっている。

 苦虫を噛み潰したような表情が、彼の焦燥感を如実に顕していた。

 五和のようにバイクも、その免許も持たない上条だ。確定的ではない場所への移動は己の脚しかなかった。

 自転車という手段もないではないが、上条はそれそのものを持っていないし、小萌の物があったとしても体格があわないだろう。

 ここからどれくらいかかるかわからない。時間と体力の勝負になる。

「・・・・・・」

 一方、彼の足元でその様子を見上げながら、真紅は僅かに眉を寄せていた。

(・・・ごめんなさい当麻)

 自分の闘いに巻き込んでしまって。

 真紅は胸の奥から浮かび上がったそんな台詞を、なんとか飲み下した。

 上条はきっとそんな謝罪を求めてなんかいない。逆にそれを気に病んでいることを知れば、彼は彼自身を責めるに違いない。

 上条当麻はそういう人間なのだ。

「よし! 行くぞ真紅!」

 爪先をガンガンと玄関土間に打ち付けつつ、上条が左手を差し出した。

 焦燥に満ちた彼の瞳には、しかし真紅を責める色は一片足りとも混ざっていなかった。

「ええ」

 だから真紅はただ頷き、その手をとった。すぐさま引っ張り上げられる。

 そのタイミングに合わせて身を捻る真紅。まるで申し合わせたかのような動きに無駄はなく、ストン、と彼の左上腕に腰かけた。

 そして上条は部屋の中に視線を向け、

「じゃあ行ってくる! 二人とも待っててく「待ってとうま!」っ!?」

 上条の声が、インデックスに遮られた。

いつの間にか近づいていた彼女が、至近距離から見上げてきている。

 インデックスは大きく息を吸い込むと、

「わたしも一緒に行くんだよ!」

 と、言った。

「はあっ!?」

 驚いたのは上条だ。

 だがインデックスの表情は変わらない。本気の顔である。

「ば、ばか駄目に決まってるだろ!」

「やだ! ぜったい行く!」

「駄目だって! 相手がどんなやつか全然わからないんだぞ!? 水銀燈みたいなやつだったらどうすんだ!」

「危ないってわかってるのにとうまだけ行かせるわけないんだよっ!」

「インデッ「それにとうま!」

 再度上条の声を遮るインデックス。その声の強さに上条が言葉を詰まらせた。

「もしまた結界が張られてたら、どうするの? とうまの右手なら壊せるかもしれないけど、ああいうのには核があるんだよ? なにをどういう風に壊したらいいか、わかる?」

「っ」

 息を詰める上条。

「それは・・・」

「わたしならわかるよ。とうまみたいに壊したりできないけど、何をどうすればいいかわかるもん」

「で、でもよ、結界と真紅は関係が」

 ない、と言い切る前にインデックスが首を振る。

 

「関係ないなんて言えないんだよ。魔術師の基本は秘密であること。とうまが『ない』って決めつけてることを狙ってるかもしれないんだよ」

 魔術師とは、秘匿をもってその基本とする。それは自己の術式や狙いが知られたら対抗措置をとられるということだけではない。

 広く一般に知られていることや長く続いていることが『一般常識』『慣習』という強制力を持つこととは真逆に、ごく一部しか知られないことは『貴重』『秘密』という名前で強力な力を持つ。

 魔術というものが一般的に普及していないのはそのためだ。魔術師は魔術を『秘密』にすることで魔術を維持しているのである。

 要するに秘密は彼等の力であり、一部と言えた。それほど魔術師は物事を隠すことに長けている。

 魔術師が残した痕跡や情報を信用しないのは、対魔術での鉄則だった。

「・・・・・・」

 沈黙する上条。

 インデックスの言い分に、不覚にも説得力を感じてしまったからだ。



 三沢塾事件。 



 御使堕とし。



 法の書。



 使徒十字。



 いままでにも何度も経験した『敵味方の目的の相違』を思い起こせば、インデックスの言葉は無視できるものではない。
 水銀燈も真紅も結界の大元は知らないだろう。

 だが、その知らないことを敵であろう魔術師が知っていたら?

 仮に敵の魔術師がいなくても、ローゼンも魔術師だ。真紅が知らないだけで、ローゼンが結界術の能力を授けていないと、なぜ言い切れる?

 そして、もしも小萌のいる場所に結界が張られていたら?

 上条はそこに入ることができないかもしれない。小萌を助けることができないかもしれない。

「・・・・・・」

 上条はインデックスを見る。

 魔力を持たない彼女は、目にしていない魔術までは感知できない。だが、

「とうま」

 近くにいるならば、話は別だ。

「っ」

 上条はインデックスを危険な目に遭わせたくない。

 姫神も、小萌も、そして叶うならば渦中であるはずの真紅だって、戦場に連れていきたくない。もしもそんなことに巻き込まれたら、全力で助けに行くだろう。

 だがそれは―――

「わたしだって、役に立てるんだよ」

「―――っ!」

 インデックスたちも同様なのだ。

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 沈黙。そして、

「~~~~っ!」

 上条は頭をバリバリと掻いた。そして次の瞬間、

「ええいちくしょうっ!」

 左腕に抱えていた真紅を、少し乱暴にインデックスに押し付けた。

「きゃあっ!?」「ひゃあ!?」

 いきなりの動きに紅と白から同時に悲鳴が起こる。

 それでも白は紅を落とすことなく抱え、上条を見た。

「インデックス」と、上条。

 彼の言葉が自分の名前だと、インデックスは一瞬わからなかった。

「・・・・・・」

 だからインデックスはぽかんとした表情で彼を見つめつづける。

 上条は彼女の両肩に手を置いた。そのまま、告げる。

「約束だ。危ないと思ったら絶対に逃げること! 絶対無理しないこと!」

「・・・・・・」

「俺が逃げろつったら、絶対に言うことを聞くこと! ・・・それが約束できるって言うんなら」

 一息。

「インデックス。俺と一緒に、小萌先生を助けにいこう」

 と、上条は言った。

「・・・・・・」

 それは一緒に戦うことを彼が承諾したということ。

 なし崩し的に巻き込まれたいままでとは違い、インデックスの力が借りたいという、そういう意味だ。

 じわり、とその言葉が耳に染み込み、

「う、うん!」

 理解に達した瞬間、インデックスは頷いた。

 これから戦場にいこうと言うのに、満面の笑顔を浮かべて。

 

 


「・・・・・・。」

 力強く頷くシスターを見ながら、姫神は内心でため息をついた。

 ついていきたい、と思う。

 小萌は行く先のなかった自分を拾ってくれた恩人だ。その彼女が危険に巻き込まれているというのだから、自分も助けにいきたかった。

 だが、それは叶わない。

(・・・私は。役に立てないから)

 きゅっ、と下唇を噛む。

 『吸血殺し』

 身に宿る能力は吸血鬼に対して絶対無敵で―――ただそれだけのものだ。

 上条のようにあらゆる幻想に効果があるわけでも、シスターの知識のように汎用が効くものでもなかった。

 身体能力も一般の女性とそう変わらない。むしろ低い方だろう。

 共に行ったところで、自分の身すら護れない可能性が高かった。

 一緒に行くと言えば、上条は頑強に反対するに違いない。とはいえ、シスターが行く手前、彼には断りきることはできない、と思う。

 しかしその場合間違いなく、彼は彼自身以上にこちらを護ろうとするだろう。

 三沢塾の事件と、先の大覇星祭。

 彼には二回、己の命の瀬戸際を見られていた。

 学園都市にいる彼の知り合いの中で、おそらく自分がもっとも、彼に対して『迫りくる死』を見せ付けている。

 自分が行くことで自分が倒れるだけならまだしも、彼が身代わりになるなど、あってはならない。
「・・・・・・。」

 前を見る。

 シスターは胸の中にいる真紅をなんとか収まりがよくなるように四苦八苦して抱え直していた。彼女の表情には戦闘に向かおうとする者としての緊張感ももちろんあったが、それと同等に、彼に頼られたという喜びを内在させていた。

 上条とともに行こうとする彼女と、その思いはあっても足手まといにしかならない自分。

 胸に渦巻くこの感情がなんという名前を持つのか、考えるまでもなかった。

「・・・・・・。」

 彼とシスターに気がつかれないように、後ろ手に、ぎゅっと手を握る。

 自分ができることとすべきことは、彼の不安要素を少しでも減らすこと。

 それだけで、それが精一杯だった。

「・・・・・・。」

 しかし彼女はいま、迷っていた。ついていくついていかないの話ではない。

 下手をすればそれ以上に気になってしまっている、ひとつの懸念。

 彼女はその懸念の元凶である『それ』に視線を固定したまま、迷っている。

 それを彼に告げるべきか、否か。

「・・・・・・。」

 だがそれを決断する時間はなかった。

 姫神の目の前で、インデックスが真紅を抱えて頷いたのだ。

 


「とうま、準備ができたんだよ!」

 何度かの抱え直しのあと、ようやく収まりよく真紅を抱えることに成功したインデックスが、上条を見上げる。

 インデックスはいまにも駆け出しそうな調子だ。彼女も彼女なりに焦っているのだろう。

 しかし上条は、

「じゃあしっかり捕まってくれ」

 と、言って、インデックスの背中側に回り込んだ。

「へ?」

 と顔を巡らすインデックスの肩に左手を回し、

「え?」

 少し屈み込んで右手を膝の裏に添え、

「ええっ!?」

 そのまま一気に立ち上がる。

「ひゃあっ!?」

 インデックスの可愛らしい悲鳴が響いた。

 それは漫画等ではよく見るが、実際にはそう滅多にお目にかかれない体勢だった。

 世ではそれをお姫様抱っこという。

「とととととととうま!?」

「・・・・・・」

 状況を理解したインデックスの顔が一気に紅く染まり、さらにその胸にいる真紅の頬が僅かだけ引き攣った。

「い、インデックス、あんまり暴れないでくれよ。バランスが取りづらい。後、首に手を回してほしい。少しでも体を支えてくれると助かるんだ」

「う、あ、わ、わかった、かも・・・」

 ごく直近にある上条の顔。声とともに頬にかかる呼気を感じながら、おずおずと上条の首に手を回すインデックス。

「・・・よし」

 上条の方はそんなインデックスに気がついた風もなく、バランスを確認。走ることに問題がないことを確かめる。

 それから、姫神に目を向けた。

「・・・・・・。」

 姫神は、一見無表情のようにも見える顔。

 だが上条にはわかる。

 あれは、心配している顔だ。

 きっと姫神もついてきたいに違いない。

 小萌は彼女にとって恩人で、そして上条もインデックスも―――自惚れでないと思うが―――大事な友人なのだから。

 だが連れてはいけない。

 インデックスのように、いざというときに魔術から身を護る術がない彼女。

 水銀燈との戦いを思い起こせば、上条といえども必ず護りきれる自信がなかった。

「姫神」

「・・・・・・。」

「すまん、スフィンクスとここで待っててくれないか」

 言いながら上条は思う。

 彼女の性格上、そしてインデックスを連れていく以上、ついてこようとするだろう、と。

 だがその予想に反して、

「うん。待ってる」

 と、和装の少女は頷いた。

「・・・・・・」

 驚いた表情を浮かべる上条。しかしすぐにそれを改めた。

 姫神が、よく見なければわからないほど小さく、しかし確実に、辛そうに眉をたわめていたからだ。

 姫神は後ろに回していた手を解き、胸の前で組み合わせた。

 西洋の祈り方。

 和装であっても、そんなことは関係ない。姫神はただ、上条とインデックスの無事祈る。

「私のことは心配しないで。勝手に追い掛けていったりもしない。きちんと待ってるから。だから」

「・・・・・・」 

 言いながら、姫神は上条とインデックスを見た。

「小萌先生を。助けて」

「わかった。任せてくれ、姫神」

 その言葉を残して玄関を飛び出して行った上条の背中を追い掛け、廊下まで出る。

 だがそこまでだ。

 それ以上進むことは約束を破ることになる。

「・・・・・・。」

 もう人目を避けることを諦めたように疾駆を始めた彼らを見る、彼女の瞳。

 彼女の視線は変わらず心配を讃えたまま、やはり変わらず『それ』に固定されていた。

「・・・・・・。」

 見ているモノ。

 それは、真紅だった。

「・・・・・・。」

 真紅の服よりも赤い顔のシスター。その胸に抱えられた彼女は、上条と同じ焦りと満ちた顔。こっちを気にしている様子もなかった。

「・・・真紅。」

 ぽつり、と舌の上でその名を転がす。

 だが彼女の口は、それだけで止まらなかった。

 水銀燈。



 金糸雀。



 翠星石。



 蒼星石。



 雛苺。



 雪華綺晶。



 次々と、薔薇乙女の名前を口にする。

 だがそれは真紅から聞いたこと―――ではない。

 

―――無念。ローゼンの傑作である薔薇は、すでに昇華されていた。別の方法を探さなければならない。



「・・・・・・。」

 脳裏に、ある男の言葉が甦る。

 少し以前に、協力関係にあった男の言葉である。



 その男は魔術師で、錬金術師だった。



 その男は、パラケルススの末裔だ、と言っていた。



 その男は、『完全なる知性主義』の魔術師だった。



 その男が魔術について話をしてくるのは珍しかったが、それゆえに覚えていたのだ。

 ローゼンと薔薇乙女について、話していたことを。  

「・・・気をつけて。上条君。彼女はもしかしたら」 

 ぎゅっと手摺りを持つ手に力を篭める。

 その後に続いた言葉は、吹き付けたビル風に撒き散らされ、彼女自身の耳にも届かなかった。 

 

 

屋上は大規模デパートらしく、かなりの広さを有していた。

屋台や花屋、ペットショップ等の店が並び、子供用のアスレチック広場まである。フェンスで囲まれ、眼下に町並みが見えることを除けば、ちょっとした公園のようだった。

「・・・・・・」

 買い物客や、そもそもこの『屋上公園』を目当てに来た家族連れで賑わう中。

 アスレチック広場付近に設置されたベンチに腰掛けた小萌は、うーん、と空を見上げた。

 待ち人が、こない。

(・・・困りましたねー)

 内心で呟きながら、視線を真正面に戻す。

 その先では、多くの子供たちに混ざって、雛苺がきゃいきゃいとアスレチックで遊んでいた。

 彼女の特徴的な風貌も、幼児たちにはあまり関係がないようだ。最初こそ珍しげにされていたが、5分もたたないうちに一緒になってはしゃぎ回っている。

「・・・・・・」

 小萌の困ったように結ばれた口元が、ふっと緩んだ。

 走り回り、アスレチックを登り降り、そして笑いあう。雛苺は明らかに異国の出だが、なるほどこうして見れば、子供というものは何処だろうと同じなのだと思える。

(うんうん、子供はみんなで遊ぶのが一番なのです)

 周囲にいる多くの親たちと同じような表情を浮かべる小萌。

 すぐ傍にいた家族連れが、そんな"年齢不相応"にしか見えない微笑に首をかしげたが、幸いにも彼女は気がつかなかった。

「こもえー」

 アスレチックの天辺で、ブンブンと手を振ってくる雛苺。

「はーい」

 それに返事をしながら、小萌は大きく手を振り返した。

 すると雛苺は嬉しそうに笑い、すぐにアスレチックの下りに入った。気分は登山家、というところなのだろう。

 フリルの多い洋服に四苦八苦しながら降りようとする危なっかしいその動きを苦笑を浮かべてから、小萌はちらりと腕時計を見た。

 デジタル時計の文字盤は、買出しに出かけてから、もう2時間の経過を知らせている。

「・・・なんとか電話できませんかねー」

 流石に、これは遅くなりすぎだろう。インデックスと姫神に本気で心配されていてもおかしくはない。

 アスレチックの方に目を戻す。

 雛苺が遊ぶのに夢中のいまなら、電話するタイミングとしてはいい具合だ。

 しかし残念ながらこの屋上には、公衆電話という設備はなかった。先ほどから周囲を見回しているのだが、唯一あったのは非常用の回線だけのようだった。ダイヤルもボタンもない受話器で自宅へ電話をかけようと思うほど小萌はチャレンジャーではない。

「下の階にならあるのかもしれませんけど・・・」

 雛苺を連れて階下に降りる手もあるが、迎えに来る人物とすれ違いになってしまっても困る。

 小萌の知り合い―――それこそ生徒でもいいのだが―――とでも遭遇できれば話は早いが、こういうときに限って遭わないもの。顔の広さと覚えられやすさは学園都市トップクラスなのだが。

(ヒナちゃんもここで待っていればいいって言ってましたけど)

「こもえー」

「はーい」

(・・・忘れちゃってるみたいですねぇ、ここに来た理由)

 確かここに『べりーべる』がいると言っていたように思う。

 屋上にまで登るように雛苺に言われここにきたものの、それらしい人が待っているわけでもなかった。雛苺に聞いても「まだー」としか答えてくれなかったのである。

(ヒナちゃんの言う『人形のお姉ちゃん』が『べりーべる』って人、ですよね)

 出てきた人名やその流れから言っても、それは間違いないはずだ。だがそれらしい人は、少なくともこの屋上には見えなかった。

「・・・・・・」

 念のためにもう一度周囲を見回す。

 だが、結果は変わらない。

「・・・・・・」

(仕方ない、ですかねー)

 はふ、とため息ひとつ。

 気が進まない、という顔で、小萌は先ほどから意識的に避けていた方向に視線を向けた。

 屋上出入り口付近にある屋外サービスカウンター。

 各種サービスの総合受付であるそこは、当然のごとく迷子の受付も館内放送も行っている。

 小萌個人としては、あまり使いたい手段ではなかったが、もうそれ以外に方法がなくなっていた。

 迷子となれば当然、詳しい事情聴取も避けられない。それを行うには雛苺はまだ幼く、小萌の方は見た目が影響して説明がめんどくさいことこの上ない。

 それになにより、雛苺の置かれた状況を一から説明すれば、下手をすると『警備員』を呼ばれてしまう可能性が高かった。

 そうなればせっかく回避しようとした"置いていかれる"感覚を、雛苺に与えることになってしまうのである。
「でも、これ以上遅くなったら、そっちの方が大変なのです」

 生徒ではないが、彼女のために自分の手間を惜しんでいられない。そして雛苺もそうだが、自分がいなくなったことでインデックスたちにも心配をかけているに違いないのだ。

 止む終えない。

 そう結論した小萌が、雛苺をこちらに呼ぼうとアスレチックに目を向けて、

「こもえー?」

 その瞬間、ひょい、と真横から雛苺が顔を出した。

「うっひゃあっ!」

「キャー!?」

 予想外のことに思わず飛び上がる。

 タバコは吸うが肺活量は見た目以上の小萌の声が屋上に響き、一気に視線が集まった。

「ひひひひひ、ヒナちゃん!?」

 身に刺さるような視線に反応する余裕もなく、雛苺に目を向ける小萌。

 雛苺は雛苺で、地面にへたり込んだ姿勢で、大きな目をさらに大きく見開いてこちらを見上げてきていた。

「び、びっくりしたのよー!」

 と、雛苺は言った。

「あ、ご、ごめんなさいヒナちゃん・・・小萌先生も、ちょっとびっくりしちゃいまして・・・」

 わたわたと手を振りながら、雛苺を引っ張り起こす。幸いどこも怪我はしていない様子である。

「うゆ・・・ごめんなさいなのこもえ。ヒナ、びっくりさせちゃったのね?」

「あ、いいえー。小萌先生の方こそ大声出しちゃってごめんなさいです。・・・それより、大丈夫なのですか? 怪我とかしてませんか?」

「だ、大丈夫なの。ちょっとシリモチをついちゃっただけなのよ」

 そう言って自分で、ぱふぱふとドレスのスカートをはたく雛苺。

 どういう素材なのか、土足であがる屋上に転んだにも関わらず、そして先ほどから走り回っているのにも関わらず、彼女の服はまったく汚れた様子もなかった。

 そうですかよかったー、と安堵のため息をついた小萌の目の前で、

「えへへ」

 不意に雛苺が笑った。

「? どうしたんですか?」

 雛苺は上目遣いに、小萌を見た。

「あのね、あのね」

「はい」

「えへへへへ」

 少女の無邪気な笑み。

「なんですかー?」

 それにつられるように、小萌の頬にも笑みが浮かんだ。

「うーとね」と、雛苺は言葉を続ける。「ヒナ、こもえに会えてとっても嬉しいの」

 そう言って、雛苺は小萌の手を取った。

 小萌のそれよりなお小さい手で、きゅっ、と握ってくる。

「ヒナね、ずっと寂しかったの」

「え?」

「・・・ヒナは鞄の中でずっと眠ってて、それで一人ぼっちだったの」

「・・・・・・」

「今日、起きてから人形のお姉ちゃんに言われて、待ってて、でもやっぱり一人ぼっちで、寂しくて泣いてたのよ」

「・・・・・・」

「でもこもえが来てくれて、ヒナは寂しくなくなったの。・・・こもえは、ヒナにとっても優しくしてくれたの」

 ぎゅっ、と雛苺の手に力がこもった。

「だからね、だからー・・・」

 にこりと、本当に素直な笑みが小萌に向けられた。

「ヒナ、こもえのことがだーい好きなのよ」

 

「・・・ありがとうなのですヒナちゃん」しっかりと雛苺の手を握り返す小萌。「小萌先生も、ヒナちゃんのこと好きになりましたよ」

「えへへへ・・・だからね、こもえ」

 雛苺は小萌と手を繋いだまま、その掌の中に小さな何かを滑り込ませた。

「これ、あげるのよ」

 そう言って、雛苺はするりと手を離した。

「?」

 握った手の隙間を通るようにして入ってきたもの。

 軽く首をかしげて自分の掌を見る。

「・・・指輪、ですかー?」

 そこにあったのは小さな指輪だった。

 小萌の手の上でもなお小さく見える、子供用と思える小さな指輪。雛苺か、それこそ自分程度の大きさの指にしか嵌らなさそうなものだ。

(これは、苺、ですかね? ヒナちゃんらしいですけど)

 植物の象りは繊細で、極めて細かい。一目見ただけでかなり高価なものだとわかった。

「ウイ」

 こくりと頷く雛苺。そして雛苺は後ろ手に手を組むと、真下から小萌を見上げた。


「ヒナはこもえのこと大好きだから。だからそれ、こもえにあげるのよ」

「で、でもこれ、ヒナちゃんの大事な指輪じゃないのですか? そんなの、小萌先生がもらうわけにはいきませんよー」

「ううん」と、雛苺が首を振る。

「こもえに、もらってほしいの。その指輪は、ヒナが一緒にいたいと思った人にあげるように、お姉ちゃんに言われたの。だからヒナはこもえにあげたいのよ」

「でも・・・」

「・・・それに早くしないと、間に合わないのよ」

「え、何に、ですか?」

 首をかしげて雛苺を見るが、

「・・・・・・」

 彼女は少しだけ困ったように笑ったまま、答えようとしない。


「・・・・・・」

 雛苺は尋ねてくる小萌にこたえないまま、僅かに視線を上向けた。

 もう秋になろうとする青い空の中で、無音のまま飛び交う二つの存在がある。

 あまりにも色が薄く、あまりにも高速のために他の誰にも気がつかれていない。

 ぶつかり合う、紅色と桃色の、光球。

「・・・わかりました。小萌先生もヒナちゃんのことが好きですから」

 僅かな沈黙の後、小萌はそう言った。

「!」

 途端、雛苺の顔が、ぱっと明るくなる。

「じゃあ、こもえ。いますぐそれをつけてほしいのよ」

「え、いま、ですか?」

「うい。いますぐ、この指につけて」

 ちょん、と少女の人差し指が、小萌の薬指を突付いた。

「え”」

 ちょっと予想外の要求に、思わず小萌は固まった。

 だが雛苺は、さらに続ける。

「それでね、それでね・・・つけたら、指輪にちゅってしてほしいの」

「ちゅっ!? ちゅって・・・」

「ちゅはちゅなのー」

 言いながら、雛苺は自分の指に唇をつける。流石の幼児。恥ずかしげな様子はまったくない。

「そっ、それは、絶対にしなくちゃいけないのですか!?」

「そうなのー」

 すごくいい笑顔で返された。

 これでも年齢的には立派な羞恥心の持ち主で、そして見た目以上―――否、実年齢基準から見ればかなり純情な小萌だ。正直遠慮したかったが、あまりの無邪気な返答に、いやだ、とも言えなくなる。

「・・・わ、わかりました」

 数秒間の葛藤の後、承諾の返事を返した。残念ながら小萌の中に、キラキラと目を光らせる子供の瞳を裏切るという選択肢は存在しないのである。

(し、仕方ないのですよ。子供のお願いを叶えるのも大人の役割なのです)

 小萌はゆっくりと左手薬指に指輪を嵌め―――その際、なぜか赤い神父の姿が浮かんだが―――次いで、口元に手を持っていく。

 その間にも、雛苺は近くからその様子を見上げてきている。

(うう・・・そんなにじっと見ないで欲しいのです)

 別に誰かにするわけでもなく、対象は自分の手である。正確には指輪のほうであるが、指を切ったときに舐めるのと状況的にはそう変わりがない。

 それでも、やはり恥ずかしいものは恥ずかしかった。

「じゃ、じゃあしますよー?」

「うい!」

 確認するような小萌の言葉に、元気なフランス語が返ってきた。

 そんなに恥ずかしかったらやっぱりいいのよー、とでも言ってもらうことを期待していたのだが、叶わぬ夢らしい。まぁこのくらいの子供にそういう気遣いを求めても無駄なことである。

「・・・・・・」

 再び脳裏に浮かぶ赤い神父の姿。それを、きゅっ、と目を閉じて掻き消すと、小萌はゆっくりと指輪に唇を近づけた。

 そして、苺を模した指輪に、彼女の唇が触れる。

 その瞬間。

 

 

 

 

 ドクン、とまるで生きているかのように、指輪が鳴動した。

 

 

「ひゃ!?」

 驚いて唇を離す小萌。

 だが彼女には指輪も、そして雛苺の顔を見る時間はなかった。

(え・・・?)

 まるでひどい風邪をひいたときのような倦怠感が全身にのしかかり、目の前がぐらりと揺れる。

「えへへへ・・・」

 雛苺が笑いながら、横倒しに倒れかけた小萌の背中に手を回した。

「これでずぅっと一緒なの・・・ずぅっと、いっしょに遊ぶのよ・・・」

 歌うような少女の声。ベンチに腰掛けた姿勢でぐったりとし、雛苺に支えられている小萌には、突然の疲労感も、彼女の言葉の意味も問う余裕はなかった。

 そこに―――

 バン! と屋上に大きな音が響いた。

「「「!?」」」

 小萌たちの周囲にいる者たちが、いっせいに音がした方を見る。

「小萌先生!」「こもえ!」

「・・・?」

 唐突に名を呼ばれ、そちらに目を向ける小萌。

 屋上への出入り口、自動ドア。

 そのドアが開ききる前に駆け込んできたため、誰かが激突したのだ。

 大きく揺れるドアガラス。しかしぶつかった当の本人は痛みにも視線にもまったく気にした風がない。

 崩れた体勢をドアにすがりつくようにしてこらえながら、こちらを見るその誰かは、

「か・・・みじょ・・・うちゃん・・・?」

 見覚えのあるツンツン頭の少年と、その隣で少年を見る白いシスター。

 その二人を小萌は知っていた。

 いつか傷だらけのインデックスを担ぎ込んできたときと同じ真剣な顔で、少年―――上条がこちらを見ている。

(ぁ・・・・・・)

 しかし、そこまでが彼女の限界だった。

 急速な闇が彼女の意識を多い、そのまま黒に染めていく。

 重くなった意識に負けて目を閉じる寸前の耳に、キン、と金属音にも似た、甲高い音が響いた。

 それが結界が張られた音だということを、小萌には知る由もない。


「!」

 がくりと小萌が意識を失ったのを見た上条が、ざわめく周囲を無視して駆け寄ろうとする。

 しかし。

「だめだよとうま!」

 インデックスが彼のシャツを掴んでとめた。

「うわっ!?」「きゃあ!?」

 がくっ、と急制動をかけられる上条。シャツの襟元で首がしまり、左腕の真紅が落ちそうになって慌ててしがみつく。

「げほっ! なにすんだよインデックス! 早くしないと先生が・・・!」

「結界が張られたかも!」

 上条の非難の声を、インデックスが遮った。

「!」

 慌てて周囲を見回す。すると違和感は一目瞭然だ。

 小萌の家からここまで。さんざん晒されてきた奇異な視線が、いまはもうない。

 ざわめき、人ごみ、すべては日常のまま。だがそれが『コインの表』に変わった瞬間、彼らの認識の中から上条たちは消えうせている。

 結界が張られた以上、掻き分けてでも進もうとしたその人ごみはもう蠢く圧搾機と化している。うかつに飛び込めば、ヒトとヒトに押しつぶされてしまう。

 触れても『ひっぱられる』ことも『押しつぶされる』こともないのは、デパートに到着した時点で腕から降ろし、いま真横に立つインデックスと、

「あれは・・・雛苺!?」

 上条の左腕に腰掛けた真紅のみ。

その真紅が、驚愕を露にして叫んでいる。

 視線の向きは上条、そしてインデックスと同一方向。小萌に抱きついている、幼児といっていいほど小さな少女だ。

 だが彼女の視線は上条たちとは種類が異なる。それは言うなれば―――あり得ないものが、そこにあるというようなもの。

「そんな・・・これはどういうことなの?」

 呆然と、信じられないような口調。

「なぜ雛苺がここにいるの・・・貴女はあのとき白薔薇に・・・!」



 そうだ。



 雛苺は、もういない。



 共にアリスゲームを終わらせようとした彼女は、白薔薇にとって喰われてしまったはずだ。



 それがなぜここにいるのか。



 いやそもそも、それ以前に、

(なぜ私は、ベリーベルの存在を忘れていたの!?)

 

胸に手を当てる真紅。

 自分は雛苺のローザミスティカを得ていたはず。それは雛苺が望んだこと。身体を失ってもなお、自分とともに戦おうとしてくれた彼女の意思。

 それを、なぜ、忘れていた?

「真紅・・・来てくれたのね・・・」

「っ!」

 思考に沈んでいた真紅を引き戻したのは雛苺の声。

 彼我の距離は十数メートル。人ごみ越しであっても、なぜか彼女の声は真紅にも、そして上条たちにも届いた。

「ひ、雛苺、なの? 本当に、貴女なの?」

 震える手を雛苺に伸ばす真紅。凛とした意思を湛えていたはずの彼女の瞳は、信じられないものを見ているかのように震えている。

「真紅!? どうしたってんだよ、おい!」

 上条が心配そうに真紅を見た。

 真紅の態度は尋常ではない。とても姉妹に出会ったとは思えない態度だ。

 だが真紅が上条の疑問に何か言うよりも早く。

「えへへへ・・・」

 ひらりとベンチから、いや、小萌の腕の中から飛び降りた雛苺が、上条たちに正対して、笑みを浮かべた。

 そこに浮かんだのは、見た目どおりの邪気のない笑み。

 だがその無邪気さは、ためらいなく昆虫をばらばらにできる子供ゆえの残酷をあらわすものだ。

「っ」

 純粋ゆえの狂気をその瞳から感じ取り、インデックスが息を呑んだ。

「待ってたの、真紅。ヒナはお姉ちゃんに言われて、真紅を待ってたの」

 言いながら、雛苺は上条たちに目を向けたまま、小萌に右手をかざした。白い指先が小萌に―――小萌の指輪を指し示す。

「う・・・」

 小萌の表情が苦しそうにゆがみ、

「!」

 コオッ! と指輪が光を放った。

 同時に、小萌の纏う洋服―――パーカーにジーンズというラフな格好―――が、まるで幻想でも見ているように、ドレスに変化する。

 それは色合い、形状、どれを見ても雛苺が纏っているものと同一のものだ。

 変化は意匠だけに留まらない。

 しゅるしゅると雛苺の足元から立ち上がった苺ワダチ。

 それはもう力の入っていない小萌の四肢に巻きつき、それだけでは飽き足らず、小萌の身体を網の目状に覆っていった。

 結果出来上がったシルエットは、言うなればヒト型の鳥篭だろうか。

 十字架に下げられたような格好の小萌を中心に、苺ワダチが成人男性のシルエットを構成している。

「あ・・・うあ・・・」

 『鳥篭』の中で小萌が苦しそうな声をあげた。

「な・・・!」

 魔術。

 それを目の当たりにした上条が目を見開き、

「や―――やめなさい雛苺!」

 茫然自失の状況から立ち直った真紅が叫ぶ。

(まさか・・・Nのフィールド!?)

 契約者の意匠の変化が意味することは二つ。

 通常、鏡の世界にしか存在しないNのフィールドが現世にあるということ。

 もうひとつは、媒介として許容量以上の力を薔薇乙女に与えているということだ。

 そして変化の度合いが急激であればあるほど、

「その人を離しなさい雛苺! 貴女、自分がなにをやっているかわかっているの!?」

 真紅が叫んだ。その顔は焦りに満ちている。



 ―――契約は私の力を引き出すために必要な手続きに過ぎない。私が力を振るうと、どうしても、貴方の体力を奪ってしまうのだわ



「!」

 上条の脳裏に、先ほど真紅から聞いた言葉がよみがえった。

 体力のある上条にして、身体の芯にダメージを残すほどの疲労。それをただでさえ小さな体躯の小萌が受けたとしたら。

「そんなの、わかってるのよ」

 雛苺が応ずる。無邪気な顔が上条たちに向いた。

「ヒナ、言われたの。お姉ちゃんに、言われたの。こもえに会って、ここにきて」

 カクン、と彼女が首をかしげた。

 まるで力の篭っていない、人形同然の不自然な動き。そして幼い彼女の口元が、まったく中身のない笑みを浮かべた。 


「真紅を壊せって」

「なっ!?」

 真紅の目が見開かれる。だが彼女にも、そして上条にも、その言葉の真意を問いただす暇はなかった。

「そうしたら、ヒナはこもえと一緒にいられるって、お姉ちゃんが言ってたの」

 言いながら、雛苺は小萌の身体に巻き付く苺轍ごしに空を見上げる。

「ヒナ、遊ぶの。こもえと一緒に、ずっと、ずっと」

 そこには、昼間の光の中でさえはっきり見えるほど光量を増した二つの光球がある。

 結界が張られたことで人目に晒されないことを悟ったのか、完全に色を取り戻している二つの光球。

 音もなく激突を繰り返していた二つの光。

 その片方である紅色の球が、先程小萌の部屋であったように―――危険を知らせたのはときのように―――激しく明滅した。

 それがまさに合図であるかのように。 

「ベリーベル!」

 雛苺が命じる。

 小さな指を、真紅の方に向けて。

 桃色の光球と、雛苺の身体。そして小萌の指輪が光を放った。

「くっ! ホーリエ!」

 歯噛みして、真紅も叫んだ。

 疑問も答えもすべてをあやふやなままに。

 アリスゲームが、始まる。

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