上条「もてた」③


「だぁっ。なんであいつらは見つけるのがあんなに早いんだ!」
「ごめんね。ちょっと。読みが甘かった。かも。」

特殊な出口から百貨店を後にして人通りの少ない道を選んで逃げたにもかかわらず、
土御門と青髪ピアスはあっという間に上条たちを捕捉し、追いかけてきている。

「まさか土御門のやつ俺の体に発信機とか仕込んでないだろうな」
「土御門君って。そういうことする人なの?」
「ああ。アイツならやりかねん」

なにせ魔術サイドと科学サイドの多重スパイをやる男だ。ただの高校生とは違うのだった。

「あっちに行こう。人ごみのほうが。紛れられると。思うから」
「だな」

姫神はさすがに上条ほど体力がないのか、かなり荒い息をついている。
後ろで追うのも体格の良い男子二人だ。遅かれ早かれ、鬼ごっこでは追いつかれて負けだろう。
角を曲がってショッピングストリートに出る。歩行者天国のそこは道幅も程よく狭く、人も多かった。

「当麻君。ここに」
「……え?」

姫神に連れ込まれた店は、試着室が用意されている服飾店だった。
ただし女物ばかりで、ついでに言えば面積がものすごく少ない。
女の人の腰の辺りとか、胸の辺りを覆う布を販売しているお店だった。
あんまりにも唐突な人生初入店に、上条は興奮するより先に居心地の悪さと気恥ずかしさで死にそうだった。
一瞬、数十メートル後ろから追いかけてくる二人のことをスッパリ忘れて、店に入って数歩のところで立ちすくむ。

姫神はあまり気にしていなかった。
店内に彼氏連れがいるのは見えたので、二人で入ってもおかしくないだろう。
自分の着る下着を上条に選定してもらうような流れにまでなればさすがに恥ずかしいが、
便宜的にここに入店するくらいなら平気なのだった。

「試着室はあそこだね」
「は? え、ちょ。いやいやいやいやいや何言ってるんすか姫神さん!!!」
「大丈夫だよ。こういうところの試着室は二重になっているの。
着替え部屋と彼氏とか友達が待つ部屋とがセットになった試着室だから」
「そ、そうなのか。いやでも、なんつーかそこに秋沙と入るってのは」
「……私は着替えるつもりはないんだけど。当麻君は。気になった?」
「ぶっ。上条さんはそんなこと思ってナイデスヨ?」

姫神は慌てる上条をクスリと笑った。
やっぱり女の人の下着を見ると。当麻君でも慌てるんだ。
さすがに姫神も自分の下着姿を上条に見せるのは恥ずかしすぎた。

早くしないと二人に追いつかれる。上条と姫神はそそくさと店内を奥に進み、試着室の前に行く。
姫神はそこで、大きな過ちに気がついた。試着室のカーテンの前にはサンダルが二つ。
つまり、使用中だった。

「当麻君。どうしよう」
「へ? なんだ?」

上条は心に大きく負荷のかかるこの空間で、すでに平常心を失っていた。
突然止まって後ろを振り向いた姫神のようには、自分を止めることができなかった。
展示用のマネキンの足元についたキャスターに、左足を引っかける。

「げ」
「あ」

気がつけば上条は試着室へと、突貫を試みていた。

「きゃっ!」

知らない女の人の、叫ぶ声がする。
上条は全身から血の気が引いていくのが分かった。
謝って許されるレベルじゃない。普通にこれは警備員(アンチスキル)に捕まって一晩説教を食らった上で、
保護者呼び出しの上謹慎になるコースだ。最悪すぎる。

「すすすすすみません! 本当にごめんなさい! すぐ出て行きます悪気はないんです!」
「……キミ、上条君?」
「え?」

名前を呼ばれて、思わず顔を上げる。

フワフワした金髪の、長身の女性だった。
手足も長くすらっとした印象で、薄い緑のブラジャーに包まれたどちらかというと薄い感じの胸が、
体の雰囲気によく合っている女性だった。下半身は長いソックスとスカートを穿いたままで、
エロいというよりも綺麗だった。

「え、えっと。確か対馬、さんだっけ」
「ええ。名前を覚えていてくれたのね。……ところで見るのを止めてくれると、ありがたいんだけど。
さすがに知り合うの頬をひっぱたくのはためらいがあるし」

上条はドギャンッ、と首を横にひねった。
対馬と上条のいる待合側ではなく、さらに奥の着替えを行う部屋のほうを、だ。

「対馬さん?! 何かあったんですか? それに上条さんって今……あ」
「や……やあ。久しぶり、五和」
「あ、お久しぶりです。上条さん」

あまりの驚きに、二人の行動は上滑りした。場違いなほどに普通の応対だった。
五和は対馬ほど背が高くない。
そして全てのパーツが細めに出来た感じのする対馬と違って、五和の体は柔らかそうだった。
濃い目のピンクの地に、黒の水玉が浮いている。ブラとショーツの縁を彩るレースは、これも黒だった。
コンセプトがセクシー路線なせいか、胸元はいつも以上に寄せてあって、
豊かな起伏のなかに出来上がった谷間の深さは深遠すぎるものがあった。
下のほうも勿論破壊力では負けていない。
前と後ろを繋ぐ腰紐の辺りは切れ上がっていてびっくりする位細いし、
よく見ればメッシュが入っていておへその真下なんかはシースルーだった。
そこを注視するとなんだか水玉の黒ともレースの黒とも違う黒々とした――

「こら」

対馬が上条の目にチョキを付きたてた。

「のうあ!」

悶絶していると、バタリと横で五和が気絶する音が聞こえた。




「奥が超うるさいですね」
「なあおい、さっさと出ようぜ」
「言われなくても超すぐに戻りますよ。麦野に怒られるのは御免ですから」

学園都市を暗躍する組織『アイテム』の一角である絹旗最愛とパシリの浜面仕上の二人は
ごく普通の繁華街の、これまたどこにでもあるようなランジェリーショップで買い物をしていた。
細々した任務が立て続いているらしく、着替えがないらしい。
二日同じ服を着続けることに殊更神経質に文句を言ったのはリーダーの麦野だった。
シャワーは確保したようだったので、下着と替えの服を二人で買いに行っているのだった。
下っ端は浜面以外にも顔も知らないのが山ほど付いているのだが、麦野は性別を指定できなさそうな
その連中には買いに行かせたくないらしい。浜面が許されるのは、友好の証ととってもいいのだろうか。
それとも人間として認識されていないと思うべきなのだろうか。

「それにしても麦野の下着、おばさんくさいとは思いませんか?」
「い、いやそんな、俺は……」
「ああ、浜面は麦野の年を超知らないんでしたっけ。麦野は今にじゅ」
「いいいいやいやいやいや! いいから! 聞いても寿命が縮まる気しかしねえ!」

ネットで注文を済ませ、受け取りをしに来ているのでデザインのチョイスは本人のものだ。
四セットの下着のうち、浜面の視界に入ったのは一番上にある麦野の下着と、一番下にある滝壺の下着だった。
率直に言って、麦野の下着は年相応でないかと思う。麦野があれで趣味が幼ければ浜面もどうかと思うが、
クラシックな、シルクでできた薄いピンクの下着は別に麦野が着ておかしな所はない。見たいとも特に思わなかったが。
一方滝壺の下着には、好感が持てた。綿でできた柄なしの薄青のショーツで、股の切れ上がったよくあるヤツと異なり、
僅かに裾が延びていてショートパンツのような形状をしている。

「浜面は超変態ですね」
「ちょ、待ってくれ。そもそもここに連れてきたそっちが悪いんじゃないのか」
「荷物持ちを拒否するんですか? 超下っ端の癖に?」
「ラップしてから渡してくれりゃいいじゃねえか!」
「ラッピングを引きちぎるところからやりたいなんて度し難いですね」
「ちげーよ! っていうかお前の下着は一体何なんだ」

中学生どころか高校生にもふさわしくない、清楚な白でありながら布地が少なくしかも薄いショーツ。
ちらっと見えたそれを、浜面はフレ
ンダのものとは見なさなかった。

「浜面? 私は見ていいとは超一言も言いませんでしたが」
「だからそっちが俺の目の前で受け取るんが悪いんだろーが!」
「何を言ってるのか超分かりませんね。帰ったらこの件は麦野に報告することにします。
浜面が麦野が今から穿こうとしている下着をじっと眺めて超おばさん臭いと言った、と」
「おいばかやめろ!」

浜面は、つい先日自分を殴り飛ばした男が隣にいたのに、ついぞ気がつかなかった。




視線が、痛い。
上条はファミレスでアイスティーを啜っている。
土御門たちは天草式の隠密術が相手ではさすがに分が悪いのか、見つけてくれるような気配はなかった。
……いや、この現状を打開してくれるだろう点は有難いが、見つかると何を言われるか分かったものではない。

隣に五和がいて、正面に対馬がいて、上条から一番遠い席に姫神がいるこの現状。
さっきまで姫神と触れ合ってドキドキしていただけに、対角線上から飛んでくるジットリした視線は、
上条に絡み付いて離れない。

配座を決めたのは年長の対馬だった。
姫神と上条の関係が気になって気になって仕方ない五和に口出しをさせず、
そして上条にも文句を言わせず、姫神にも敵対するでも迎合するでもなく接し、
ファミレスのやや奥まったところに連れてきたのだった。

「そろそろ落ち着いた?」
「ええと……」

余裕のある微笑で対馬がそう上条に尋ねた。
しかし落ち着いたかといわれてもこれだけ不安定な座席で落ち着けというほうが無理だ。
さっき下着を見てしまった五和はうつむいて顔を真っ赤にしたままもじもじしているし、
姫神は口をむっと曲げて上条を睨みつけている。
そして対馬は何を考えてこんなことをしたのかがさっぱり読めない。

姫神は内心で、なぜ上条からもっと疑う余地のない決定的な言葉を貰わなかったのかと自分に苛立ちを感じていた。
好きだ、と言ってもらっていたなら。人の彼氏に手を出すなと、一言それで済ませられるのに。
今告白してもらえるところでした、だから邪魔しないで下さい、
なんてのは恋敵かもしれない相手に言う言葉では断じてない。

「一応言っておくと、さっき五和が着てた下着は試着してただけだから、
今は別のを着てるわよ。変な想像はしないことね」
「はい?」
「つつつつつつ対馬さんっっ!! 上条さんの前でそんな話しなくていいですっ!」

ガタリと音を立てて五和が身を乗り出す。ちょうど上条の目の高さで、胸がたゆんと揺れる。
上条慌てて目をそらすが、そらすのはたゆんたゆんたゆん、くらいまで見届けてからだ。
上条の気づかないところで、姫神は劣勢を自覚して顔をゆがめた。対馬は薄く笑った。

「上条さん。さきほどのは……女同士で見せ合うだけならたまにはちょっと大胆なのもいいかなって、
そういう勢いで着ちゃっただけでいつもはあんなにはしたないのは着けてなくて、あの、その」
「でも五和、買ったわよね?」
「そそそれは決して上条さんがうっかり似合ってるよって言ってくれたからとかそういうのじゃなくて!」
「上条君。見たくなったら五和はいつでも見せてくれるって」
「だから対馬さん!」

見せてくれなんて言ったらすごいことになるだろう。五和も、自分も、そしてきっと姫神も。

五和は目の前にいる女の子をこっそりと観察していた。
女教皇(プリエステス)様には負けません、なんて思ってましたけど、そうですよね。
ここは学生の町ですもんね。上条さんみたいに格好良い人は、お付き合いしてる人、いますよね。
ため息をついてしまいそうなのを隠しながら、姫神の二の腕や頬などを眺める。
いいなあ。対馬さんもだけど、手足とか顔の輪郭がほっそりしてるのって、羨ましい。
手足が太いことを気にしている五和にとって、姫神の体のラインは羨望の対象だった。

そういう五和の思考を分かっているからこそ、対馬は無理矢理ファミレスに上条を連れ込んだのだった。
傍観していれば五和が「き、綺麗な彼女さんですね! 私はお邪魔でしょうから!」なんて言いだすのは
言うまでもなく分かりきっていることだった。
天草式は現在、世界を股にかけた流浪の民だ。定住型の人生を送る上条とはすれ違いが多い。
それが理由で、学園都市に定住する女に取られるなんてのは、面白くない。
女教皇(プリエステス)に取られるのなら、アリだ。上条に出会ったのはあちらが先らしいし。
なにより見てて面白い。五和と女教皇(プリエステス)なら陰湿なことにはならなさそうだし。

「それはそうと、遊んでるところをむりやり引き止めてごめんなさいね。デートだった?」

ビクリと、五和の肩が震えた。核心を突きすぎた質問だった。
変わらず姫神が上条を見つめ続けていた。

「えっと、まあ。追われながらでデートって言うのかは怪しいですけど、デートでした」
「手を繋いで歩いたり。ゲームセンターで遊んだりしたもんね。当麻君」

見る見るうちに五和の顔が曇る。意外な展開に対馬はすこしだけ戸惑った。
上条は相当鈍いらしい、というのが建宮あたりの見立てなのだ。
男連中のくだらない話はだいたい聞き流しているが、上条の話は別だった。可愛い五和のためにもなる。
ところが実際はどうだ。デートしてますなんて言葉が出てくる辺り、上条はこの少女を意識しているらしいではないか。

「そっか、彼女と遊んでたのね」

これが取りあいなら、対馬としては五和をひたすらプッシュするだけだ。
だがすでに彼女持ちなら、さすがに五和の本音とよく相談しなければならない。
奪うのか、諦めるのか。
だが、上条の返事は予想と違い歯切れが悪かった。

「いや、彼女……とは言えないというか。その、まだ」

確かに付き合ってくれって、告白はされていなかった。
姫神だってそういう瞬間をずっと待っていた。
だけど今この場で、何も正直にならなくたって良いのに。
私は当麻君の彼女だって、そう言ってくれたって良かったのに。

「そういや二人はなんで学園都市に?」

色々とまずい空気を換えたくて、上条は気になっていたことを対馬にぶつけた。
科学サイドの頂点に立つこの街に、日本人といえど外部の人間はそうやすやすと入れない。

「ん、ちょっと仕事でね」

対馬は上条に分かるよう姫神に目線をやった。

「ああ、姫神もそういうの、知ってる人ですから。っていうかイギリス清教の保護を受けてるってコトは、
姫神はこの二人と無関係ってワケでもないんだな」
「当麻君。この人たち。魔術師なの?」
「イギリス清教の……傘下って言うとまずいのかな。
まあイギリスで活動してる天草式十字凄教ってグループのメンバーになるんだ。この二人は」
「あなたが姫神さんなのね。ステイルさんから聞いてるわ。隠し事をせず話せて気楽でいいわね」

五和は目の前の女性の最も重要なことを、つかみ損ねていた。上条の彼女の席にきちんと座っているわけでは、ないらしい。
競争相手はこの方と、自分と、女教皇(プリエステス)様と、インデックスさんと、そして他にもいるかもしれない。
……どのくらい、上条さんと近づいてるのかな。
ゴールテープを切った人間がまだいない以上は競争相手たちに差がないのは確かなのだが、
誰が先行しているのか、それはものすごく気になる問題なのだった。

「それで、仕事ってのがあの店で……?」
「ちょっともう。思い出さないでよね。あれはついでよ。ここは日本人の学生の町でしょう?
やっぱり、こういうところの下着が一番体に合うのよね。五和、すごかったでしょ?」
「ちょ、ちょっと対馬さん! だからもうその話はやめてください!」
「そういうこと言うなら、五和こそもっと上条君と話せばいいじゃない」
「えっ? あ、そんな」

対角線上にいる五和に、対馬は自分達にしか分からない方法でコッソリと言葉を伝える。

「ほらほら、もうじきアックアの件で五和は同棲するんだから。
ここで慣れておかないと後で喋れなくなるよ?
それに隣の子に差をつけられたままじゃ、
今度来たときに落ち込むようなことになってるかもしれないし」
「……それは、嫌です」
「でしょ?」

ついさっき体中を見られてしまった相手だ。恥ずかしくて死にそうだ。
でも上条と喋りたいというのも、五和の本心だった。
「あの、上条さん」

そこで五和の声に返事をしようとした上条を、遮る声がした。

「当麻君。お茶なくなったみたいだから入れてくるね。また紅茶でいい?」
「え? あ、ああ。それで頼む」
「……ちょっと四つは持てないから。手伝ってくれると嬉しい」
「あ、それじゃ私やります!」
「そう」

無感動に姫神が五和を見つめた。ボックス席の通路側に座った姫神と五和が動くのは自然なことだ。
姫神は上条に声をかけていたが、最初から五和を誘い出す気だったのかもしれない。
店の中央にあるドリンクバーで二人して氷を足し、ジュースを注ぐ。無言の中に緊張感があった。
火蓋を気って落としたのは、姫神だった。

「貴女は。当麻君とどういう関係なの?」

五和はそれに怯みそうになった。当麻君という響きは、一体いつになれば自分の口から付いて出ることだろう。
そしてどういう関係なの、とこちらの目を見て言えるその気持ちの強さは、まさに彼女という席にいる人のそれに近かった。

「お仕事の関係で知り合った人です。ヴェネツィアを旅したり、最近はフランスのアビニョンを二人で歩きました」

柔らかい笑みを返す。それはある種の攻性防御。
決定的な切り札を出せないことが激しく悔やまれる。
近々、上条さんのお宅に仮住まいさせていただく予定なんです、その言葉がどれほどのアドバンテージを引き出せることか。

「貴女にとって。当麻君はただの仕事上の知り合いなんだね。当麻君から見たら貴女はただの知り合いなのかな」
「そういう姫神さんは違うんですか?」
「私はクラスメイトだから。毎日当麻君とは会ってるし。今日もデートをしてる」
「異性のお友達と遊ぶのをデートって言うんですか? すみません、学園都市の流行語とかは押さえきれてなくって」

話すことはまだまだあった。だが、手際のいい二人の目の前にはすでにドリンクは出来上がっていた。
手にグラスを持ち、歩き始める。しかし二人とも、自分が黙ったままで会話を終わらせて、
暗黙のうちに『負け』を認めてしまうのは気に入らなかった。

「デートに誘ってくれたのは当麻君。それと学園都市でデートっていうのは恋人同士がするものだよ」
「でもお付き合い、してないんですよね?」

あっという間に座席にたどり着く。
五和は劣勢を自覚していた。だって自分の言葉は。

「貴女だってそうだよね?」

お前もまた上条当麻に好かれてなどいないんだぞという、自分にナイフを突きつける言葉だからだ。
五和が怯んだ隙を姫神は逃さない。先ほどの席とは違う、上条の隣に姫神は腰掛けた。

意外にも、二人が席に戻った後、対馬と姫神の二人が談笑をはじめた。
内容は学園都市の奇抜さに関する、他愛ないものだ。
ただし、上条を取り巻く事情はそう穏やかではない。水面下で、色々と変化があった。

まず最も重要なことは、姫神が腕を絡めていることだろう。
あからさまにならない程度に、しかしそれでいて明確に姫神は上条に寄り添っていた。
二人の関係が恋人か否かを店員辺りにジャッジさせたら、間違いなく恋人だと言うだろう。
ソファ型の座席についた手をそっと上から握られて、上条は冷静ではいられなかった。

他にも気になって仕方ないのは、なんともいえない表情をした五和が自分を見つめていることだ。
その表情を色で表現するなら、灰色に水色を混ぜたような色、とでも言えば良いだろうか。
怒りのような峻烈な感情は読み取れない。
不安と疑念の灰に羨望と、そして嫉妬の青を垂らしたような表情。
――カップルではないんだけど、まあこれじゃあそう見えるよなあ。
上条は五和が、カップルを目の前にしているせいでそんな表情なのだと予想していた。
上条も彼女のいない男子学生として、ファミレスでイチャつくカップルを見ればモヤモヤするものだ。
五和もおそらく付き合っている彼氏はいなさそうだし、自分と同じような気持ちを抱いてもおかしくない。

ぐに、と足を踏まれる感触がした。

「……えっと、五和さん?」
「どうかしましたか、上条さん」

つーん、と冷たい声ですっとぼけられた。
別に痛くはない。でもなんだか普段は勘違いのせいで尊敬のまなざしで五和に見られている上条としては、
五和がやけに冷淡な感じがするのが気になるのだった。
足はまだどけてもらえない。

「当麻君。どうかした?」
「え、あ、いや」
「あなたには関係のないことですよ」

姫神に告げ口するような形になるのをためらっているうちに、五和が姫神の質問を切って捨てていた。
意外な五和の対応に上条が驚いて見つめていると、それに気づいた五和が拗ねたような表情をした。

五和は上条の驚いた表情を見て、傷ついた。
きっとこの人は、どうして私がこんな態度をとってしまうのか、全くわかってないんですよね。
気になる人のことだから、こうなってしまうのに。

カランと鳴る氷の奥で、対馬はその光景を面白く見つめていた。
……私は青春、過ぎちゃってるなあ。
そういう思いを感じてちょっと感傷に浸るところも、あったりはするのだが。

「当麻君。これからどうするの? あまりお邪魔しても。二人に悪いし」

ケーキを頼んだ対馬と五和も、すでに食べ終えている。
ドリンクバーで原価の元をとるにはどうせ二十杯くらいは飲まなければいけないのだ。
定価で考えれば缶ジュース二本飲むのと同じと思えば、目の前のグラスに注がれたアイスティを干してしまえば割には合う。

思案していると、五和がさらに強く足を踏むのが分かった。
五和にとっては、それは意思表示だった。
足を踏んでいるのだから確かに上条への不満だとか怒りの表れではあるのだが、それだけではないのだ。
不満があることに、気づいて欲しい。気遣って欲しい。自分のことを見て欲しい。
それは精一杯の思いの発露であり、そしてそれが限界でもあった。

「当麻君?」
「あ、なんだ?」
「五和さんに足。踏まれてるの?」

なにも分かっていないようなすっとぼけた口調の姫神のその一言は、けん制だった。
たまたま足を踏んだだけなら仕方ないが、意図的に足を踏むなんてことは五和はするはずがない。
そういうポジションの確認だった。五和には、上条に触れさせない。

すっと上条の足の上から重みが引いた。だがそれは撤退を意味しない。
顔を上げると朗らかな五和の笑みがあった、

「この後、もしよろしかったら、少し街を案内していただけませんか? 私達は不慣れですし」
「……? 五和たちって仕事で来てるんじゃないのか?」
「いえっ、あのっ。荒事があると土地勘の有る無しは大きな違いですから、
元から街をざっと歩く予定だったんです。だからこれはついでというか、むしろこっちが大事っていうか……」

はしゃぐような感じで、五和が上条を誘った。
隣では対馬がにっこりと微笑んでいる。そうしてくれると嬉しいんだけど、というような表情だった。

「でも。今日は私とデートしてくれるんだよね?」

隣の姫神が、斜め下から見上げるようにそう呟く。
あざとい甘え方ではない。
だが上条の肩に僅かに頭を預け長い髪が制服の袖を軽く擦っていくその様は、思わず上条をドキリとさせる。

だいたい、さっきから姫神にはドキドキしっぱなしなのだ。
横に座られたせいで、髪を撫でてみたりしたい気持ちを押さえているのだ。
案内を断る友達甲斐のないことはしたくないが、
でもやっぱりデートを優先したいという気持ちが、上条の中で少しずつ強くなっていた。

上条の目線の動きを、対馬は眺めていた。
このまま座して待てば、上条がクラスメイトの子のほうに傾いていくのがなんとなく分かった。
それは、面白くない。

「まあ、追いかけてきてた子も撒けたみたいだし、そろそろ出ない?」
「え? あの」
「まだ紅茶が残ってるから困る?」

クスリと笑って、上条の前のグラスを手に取る。
上条が口をつけていたそのストローに、ためらいもなく口をつけて残りを飲み干す。

「あっ……」
「つ、対馬さん?!」

構図としては漁夫の利といえば良いだろうか。
とはいえ対馬に他意はない。年下のあどけない上条は男性とは意識しない。
もちろん二人の若い女の子達にとって上条はまさに意中の男性なわけで、
間接キスは二人をからかう意味を多分に込めてやったことだった。

そりゃ五和が本気になるだけの子だからね、あっちから本気でアタックされたら分からないけど。
十五、六歳を二十歳そこらの自分が相手にするのはややためらうが、七年もすれば上条も大人だ。
上条は、良いところも悪いところも知りすぎた天草式の男衆よりは気になる存在だった。

「さて、お代わりはもういらない?」
「あ、はい。いや……」

上条はチラチラと対馬の前に置かれた自分のグラスを気にしている。
照れた雰囲気が可愛かった。

「ちょっとだけ残ってるのが、そんなに気になる?」

対馬は自分が悪乗りしているのを自覚した。
その残りを再び上条が吸えば、今度は上条が対馬と間接キスすることになる。
若いし、意識しちゃってるんじゃないかな、と対馬は上条の下心を見透かした。

「い、いやべつに! ってあいでででで!」
「あ、ごめんね。当麻君」

重ねられた姫神の手が、突如として爪を立てて体重を掛け始めた。
姫神のリアクションはそれだった。
一方銃後から撃たれた五和のほうが混乱は深刻だった。

「対馬さん! 一体どういう……」
「あくまでも一般論だけどね? 五和。気になる男の子を捕まえたかったら、インパクトに残るような事をしないと」

危機意識ここに極まれり。五和は冷静さを失いながら、何をするべきか必死に頭をめぐらし始めた。




「えっと、すみません。払ってもらっちゃって」
「ううん。いいのよ。大した金額じゃないし、あなたたちは飲み物だけだったしね」

支払いは対馬がしてくれた。姫神は素直に頭を下げることに抵抗があるのか、目礼で済ませた。
その警戒感は正しいわね、と対馬は思う。

「特に上条君の紅茶は私が口をつけちゃったしね?」

ニッコリと微笑みかけると、上条はドギマギした。
姫神は面白くないという感じをもう隠そうともしなかったし、五和は目の前の展開が未だに信じられないのか、
すがるような目線を自分に向けてくる。

「さて、今後のことは歩きながら考えれば良いじゃない。さっきの商店街にでも行きましょう?」
「あ、はい……」

上条は、年上に弱い。
対馬はそれを確信した。もとより女性に強く物を言うタイプではなさそうだし、
五和や姫神に対してよりも対馬に対する物言いのほうが遠慮がちだった。
年下が趣味というわけでもないが、今日一日くらいは対馬が上条をリードできるだろう。
だが、もちろんそんなことをしたいわけではない。

「上条さん! あの、皆にお土産を持って帰りたいのでいいお店を知りませんか?」
「え?」

積極的に声をかけて誘ったのは評価。
しかし、声の勢いが良過ぎる。緊張と焦りが見え見栄だった。
……上条以外の人間には。

「たしか近くに日本じゃ学園都市にしかない海外のスイーツブランドが……って、
五和は今あっちに住んでるからそういうのじゃないほうがいいのか?」
「いいです! 構わないです! 上条さん案内してください!」
「まあ、そう言うなら、って! 五和さん? ちょ、ちょっと当たって」

五和は上条の左手をそっと握る姫神を、一度も見なかった。
そして姫神から想い人を奪うように、上条の右腕をぎゅっと抱きこみ引っ張った。
姫神に腕を抱かれたときにも「当たってるかも」なんて感じたことはもちろんあったのだが、
正直に言って五和のそれとは差があった。
肘の辺りが、もうそれはそれは柔らかい感触を伝えている。胸だけではない。
抱きこまれた腕の感触全てが、五和の柔らかさを伝えている。
上条は五和の包容力に理性を持っていかれそうになった。

「当麻君は。五和さんと遊びたいの?」

姫神の、ここ数時間の積極的だった「引き」が鳴りを潜めていた。
上条の体半分を五和に取られても、姫神はそれを奪い返さず、
きゅ、と上条の手を両手で握った。

五和が上条の二の腕に、頬をくっつけてうつむいた。
さっきにも増して腕の抱き方はタイトで、だが顔は上条の視線の外だった。

「上条さん! もしご迷惑だったらそんなにお時間は取らせませんから!」

朗らかな声。だがどんな表情をしているかを上条には一切見せない。

「こんなこと言うと建宮さんや皆さんに怒られちゃうかもしれませんけど、
結構天草式って禁欲的な決まりとか多くて中々羽目を外せないんです。
でも今日なら大丈夫で、だから上条さんと遊べたらすごく楽しいなって言うか、
アハハ、すみません私舞い上がっちゃって……っ」

きっと見せない表情のほうが、五和の本心だったのだろう。
あっという間に、声がしぼんでいった。
そうやって必死に誘うのが、五和の精一杯だった。

駄目よ五和、と対馬は思いながら横から見ていた。
シリアスでは駄目なのだ。二人で上条を振り回して、隣の少女が不貞腐れて帰るまで、
上条をドギマギさせてやらねばならないのだ。
だって、隣の少女にだって譲れないものがあるのだ。
どちらかを選べと上条を窮まらせてしまったら。彼はどちらを選ぶだろう。
五和の逸る気持ちは分かる。だけど、選ばせる前に、天秤はこちらに傾けさせておかなければならなかった。

「五和……」

その必死さを、上条は可愛いと思った。
今すぐ彼女の思うとおりに動いてやったら、五和はどれほど喜んでくれるだろうか。
くすぐったくもあったが、五和は自分に素直な尊敬と親愛の情を向けてくれる子だ。
裏表がなくて、柔らかい。

だけど、上条はそのまま五和に傾くことはなかった。
五和ほど抱き込まれてはいない。だけど、左手に感じる確かな温かみ。
姫神が、隣で上条を見つめていた。

「当麻君」

名前を呼ばれる。言葉を返そうとして、ためらった。なぜかどんな言葉も言い訳になる気がした。
何も弁解すべきことはないはずなのに。

姫神は、決心した。それは前から、言いたくて言いたくて、だけれど仕舞い続けていた言葉。
ためらいはある。恐怖で足もすくみそうだ。上条の腕を抱きにいけないのは、そのせいだ。

「当麻君。私は。当麻君と二人っきりがいい」

上条が息を呑むのが分かった。

「今日はデートの日だから。好きな人と。当麻君と二人がいい」

――言ってしまった。
最後のほうは声が震えていた。
だって今ここで当麻君に断られたら。明日からどうやって生きていけばいいのかわからない。
好きな人に好きだというというのは、自分を袋小路に追い詰めるということだ。
絶対に答えが出てしまう。逃げられない。
しかし同時に、ついに言えたんだ、という思いもあった。

五和はその言葉で、どうしようもないほどの距離を上条との間に感じてしまった。
二人っきりでアビニョンを旅したり、あれやこれやと距離を縮めた気でいたのだ。
今日だって偶然会えたら良いななんて思って、そして信じられないことにそれが実現して、
もっとあの人の心に自分というものを沢山記憶してもらおうって思っていたのに。
『その言葉』を、自分は言えなかった。
言おうなんて考えもしなかった。それが、自分と上条の間の距離感だった。
隣の女の子の距離感は、それよりずっとずっと近かった。

対馬はちくりとした痛みを感じながら、それを見守っていた。
その痛みが、失恋という名前なのを対馬は知っている。
平静としていられるのはその痛みが自分の痛みじゃなくて、五和の立場に自分を重ねて、
いつだったか味わったその痛みを思い出しているからだった。

上条は、何を口にしたら良いのかさっぱり分からず、頭も空っぽのまま何も浮かべられなかった。
姫神の顔を見る。きゅっと唇を横に引いて、じっとこちらを見つめていた。
明らかに何かを待っている目だった。そして左手が、きゅっと強く握られた。
そのいじらしさが、可愛い。当たり前だ。好きだと言われてその子を可愛いと思わない男なんていない。
ましてや、姫神秋沙という、控えめであってもまっすぐな心を持った女の子からともなれば。

「秋沙」

びくりとしたのは、左の手よりもむしろ、右腕のほうだった。
五和はもう、抱き留めるだけの勇気がなかった。
上条の離すのは嫌だ。
だけど意気地のない自分を認めてしまったら、もう抱きとめる腕に力はこもらなかった。
そっと、上条が右手を動かした。ごくやんわりと五和の腕を振り解く仕草だった。
五和はもう、上条のその意思に抗うことは出来なかった。

「五和。その、ごめんな。悪いんだけどさ」
「いいです。わかりました」

五和は上条に最後まで言わせなかった。聞きたくなかった。
そして、笑おうとして、笑い損ねた顔しか上条には見せられなかった。

去り際の口上を、対馬が告げた。上条と姫神とは別のところへ行くとのことだった。
五和は地面を見つめていて、愛想笑いをしているような、していないような、そんな曖昧な雰囲気しか窺えなかった。

この期になってようやく、上条は五和が沈み込む理由を、なんとなく想像していた。
それは自分に都合のいい妄想だから、確信は持たないことにした。
……都合のいいものだ、と思う。
出来ることなら、五和を慰めてやりたいと思うのは。

対馬は五和の腕を引いた。まず立ち去るべきは自分達だろう。
五和の表情は、笑顔と言うには悔恨の影が強すぎた。
だが、笑顔を形作ろうとしたその努力を対馬は褒めてやりたかった。

「さて、じゃあ帰ろうか」
「……」

上条に背を向けて数歩。対馬は五和の顔を見るのをやめた。
五和は子供じゃない。
どんな後悔をこぼしているのか。どんな追慕を呑みこんでいるのか。
そんなものは、五和自身だけが知っていればいいことだった。

五和と対馬が離れるまで、姫神は上条に寄り添うことはしなかった。
隣の上条がそれを望んでいない気がしたからだ。
そして、自分が伝えた言葉に、上条からきちんとした返事がないせいでもあった。

「そろそろ、完全下校時刻が来ちまうな」
「……そうだね」

さあっと、心に不安が差す。
――今日はもう遅いし、ここで分かれよう。
そんな言葉を上条に告げられるのではないか。

「なあ、秋沙」
「何かな?」
「夜、一緒に街、歩かないか?」

期待と不安、その両方がひどい強度で心臓を叩く。
上条の提案はごく当然のものだ。
完全下校時刻を過ぎたデートを制服でやるなんてのは馬鹿の極み。
そして場所さえきちんと選べば、寮暮らしの二人は何時まででも二人っきりでいられる。

「うん」

姫神は、上条にそう返事をした。




部屋の明かりをつける。
手早く制服と下着を抜いで、髪をまとめる。
今日は随分走ったから、もはやシャワーを浴びて下着を替えることは確定事項だった。
髪は。さすがに無理か。
腰まで伸びたストレートヘアは、一旦濡らすと乾かすのに途方もない苦労が必要になる。
自分の能力をあれこれ応用して乾かす学生は多いが、あいにく姫神にはそんな応用力はない。

服選びはシャワー中に頭の中で行う。気に入った組み合わせは二つ三つあるから、
あとは鏡の前でそれらを試すだけだ。あまり待たせるのも、悪いだろう。
……待たせることで、心象を悪くしたくなかった。

汗をかきたくない一心でぬるめのシャワーを浴び、手早く濡れた体を拭く。
下着は上下がおそろいになるよう選んだ。
露出の激しい服は好みではないので見える心配はないし見せることにはならないと思うが、
準備とは出来ること全てをやることである。
首筋に張り付いた数本の髪を丁寧に拭く。シャワーを浴びたのがバレバレだとみっともない。
化粧水で軽く頬を拭いて艶を出す。唇のカサつきが気になったので、
グロスと兼用のリップクリームを小指に取り、塗り広げる。
唇の出来栄えには、いつもより気を使った。

バスルームを出て時計を見れば、分かれてから35分くらいが経っていた。
そろそろ待たせすぎになるだろうか、と手早く財布や細々したものを学生鞄からバッグに詰め替える。
さっと戸締りや手荷物を確認して、姫神は部屋を出た。

上条は十五分くらい、エントランスで待っていた。
着替えというほどの着替えもないし、部屋で一息つくだけの余裕を置いてから、下に降りてきた。
女子寮と男子寮は隣同士だ。女子寮には丁寧なセキュリティが掛かっていてこちらから迎えにいけないので、
男子寮側のエントランスで待ち合わせているのだった。遅い、とは言うまい。女の子の準備には時間がかかるのだ。
姫神が降りてくれば、恐らくエレベータの動きで分かるだろう。
そちらをチラチラと見ているところを青髪なり土御門なりに見つかれば
大変なことになるので周囲には気を使う。

頭の中で、さっきの姫神の言葉を思い出す。
唐突過ぎて何も言葉を返せなかったが、きっと姫神にとっても重要な言葉だっただろう。
上条はどんな答えを返せばいいか、決めあぐねていた。
実は俺も前から好きだったんだ、と言ってしまうと嘘だった。まさか好かれてるなんて思いもしなかった。
綺麗なのはもちろん知っていたし、付き合ってくれなんていわれたら嬉しいよなあありえないよなあ、
と思ったことは何度もある。だけど、姫神にだけ向けた特別な視線では、なかった。
姫神に強く惹かれているのを、上条は今自覚している。
だけど姫神に伝える言葉はいくら練っても陳腐で、だからさっきはすぐに答えを返せなかった。

女子寮側のエレベータが、降りてきた。
とりあえずは町を歩いて、公園だとかゆっくり語らえそうなところへ行こう、と上条は思案した。

「上条。貴様、こんな時間から外出する気なの?」

姫神ではなかった。
エレベータから出てきた吹寄が、ジロリと上条を見つめた。

「吹寄。いや、そっちこそどこ行くんだよ?」
「どこ、って……貴様が悪いのよ上条当麻」
「はい?」
「休み時間中の話をもう忘れたわけ? 貴様が言ってたんでしょうが。
西部山駅の駅前に面白そうな通販のカタログがあるって」
「あー」

言った。そういえば。

「もしかして、一人で行くつもりだったのか?」
「し、仕方ないでしょう。貴様は姫神やあの二人と遊びに行ったみたいだし」
「いや、明日まで待てばよかったんじゃ」
「……」
「……ごめん。悪かった。にしても、何でこんな時間に?」
「……」
「……ほんとごめん」

明日まで待ちきれないくらい楽しみで、だけど知り合いに見られるのは嫌だ、ということのようだった。

「それで、上条。貴様は今からどこへ行く気なの?」
「まあなんだ。土御門とかとどっか遊びに行くかって話になってさ」

決まりが悪くて、相手が姫神だとは言えなかった。

「日中も遊んだのにまだ遊び足りないわけ?」
「う……悪いかよ」
「悪いわよ。宿題どころか学校までサボって小萌先生を泣かせるような学生が夜遊びなんてしていいわけないでしょうが」

上条が学校を休むのには色々と事情はあるのだが、明かすわけにもいかず無断で休んでいるので、
実質上条は学校を代表するサボリ魔なのだった。
土御門辺りもサボりっぷりで言えば大して変わらないのだが、目をつけられないのは立ち回りが上手いのだろう。

「吹寄も寮を抜け出すんだろ? 止めたり、しないよな?」
「……まあ、あたしは学級委員じゃないから。でもちゃんと明日も学校に来なさいよ」
「ああ。俺の意思に反して誘拐でもされない限りは皆勤でも何でもやるさ」
「それで。どこに行くわけ?」

上条はその一言に焦りを覚える。土御門たちとどこかへ行くという嘘を上塗りしていく作業。
それに破綻を聞かせないように注意を払わなければならない。

「いやべつに、どこって決めてるわけでもないけど」
「この時間ならどっかで外食する気?」
「んー、まあ、たぶん」
「そう。ならあたしも行こうかな」
「……え?」
「なにかまずいことでもあるわけ?」

吹寄の意図が、上条にはつかめなかった。感じるのは危機感。
まさか、吹寄がそんなことを言うなんて予想していなかった。
万が一あと数分でもここで待たれたら、姫神が降りてくるだろう。
うまく姫神が誤魔化すのを手伝ってくれれば切り抜けられるかもしれないが、危うい。

「まずいっつーかさ、いいのか? 俺と土御門と青髪なんて、見るのも嫌な三人組だろうに」
「あんた達がバカでどうしようもない問題児であることにあたしはなんの疑いも持ってないけど、
別に嫌ってはいないわよ」
「へ? そうなの? てっきり大覇星祭の一件で俺は嫌われてるものと……」
「いい加減忘れろ! 忘れなさい! 今すぐ頭から消し飛ばしなさい!」
「ご、ごめん!」
「……そういえば上条当麻。貴様は一端覧祭(いちはならんさい)にはきちんと参加するの?」
「……たぶん」
「断言は出来ないわけ?」
「俺の個人の意思としては参加する気だけどさ。まあ、最近いろいろありまして」

ローマ正教二十億の敵なんて物騒な言い方をされている上条当麻にとって、
自分の都合というのは最近では冷蔵庫のカレンダーに書いた大型ゴミの日の書き込みよりも影響力がない。

「あたしは実行委員になるつもりなんだけど」
「そうなのか。まあ、吹寄っぽいよなあ」
「上条。貴様も一緒にやらない?」
「――――へ?」

信じられないお誘いだった。嫌とかよりも、何故のほうが先に頭にひらめいた。
顔に出ていたのだろう。吹寄は言葉を継いだ。

「そのサボリ癖なんとかしなさいよ。確約が出来ないって言うなら実行委員とか責任ある仕事を引き受けて、
自分を追い込みなさいよっていう提案をしているの」

吹寄は怒っているように見えなくもない。しかしそれが普段の表情だった。
つい、まじまじとそれを見つめてしまう。真意が量りきれなかった。
「何よ」とぽつりと呟いて、吹寄は上条をにらみ返した。

……その応対の時間が、余計だった。
気がつかぬうちに、女子寮側のエレベータが下りてきて、見知ったその人を吐き出した。

「吹(ふき)ちゃん?」
「あ、姫神」




委員長気質の吹寄は転校生の姫神に率先して接してくれたので、姫神にとって吹寄はかなり親しい友人だ。
そして吹寄はあまり恋愛話を好むほうではないとはいえ、恋愛話は女子同士の会話の大事な一要素だ。
姫神は共通の友達をネタに何度となく吹寄と恋愛話をしたことがある。
だが、互いに一線を引いたように、互いの好きな人に関する話はしたことがなかった。

そして、吹寄がいないところでも、吹寄の好きな人についての話、というのは聞いたことがなかった。
男に興味のなさそうな吹寄だが、だからこそ噂話に花が咲いてしまうのが女の性だ。
吹寄のいないところではそれこそあれこれと憶測が飛び交っても不思議はないのに。

その理由は、姫神にはおおよそ予想がついていた。
明言したことは一度もないが、姫神が気になる男の子は上条当麻である、というのはクラスの女子の常識だ。
別段あからさまな態度を取ったことなんてただの一度もないはずなのだが、
女の洞察力というのはこの手の問題に関しては神がかり的な鋭さを発揮する。
そしておそらく、クラスメイト達は吹寄の好きな男子についても確度の高い推論を持っていることだろう。
そういう話を、していないはずがないのだ。だからその話を姫神が耳にしない理由は一つ。
吹ちゃんの好きな男子『も』たぶん。当麻君だから。
そして同じ人を好きな私の前では。誰もその話を出来ないから。

間接的な証拠に基づく推察でありながら、姫神はその予想を全く疑っていなかった。
何より自分の女の勘が、吹寄も上条のことが好きなのだと告げていたから。

エレベータが静かに開く。
吹寄と上条の距離は、クラスメイトくらいの距離。
特別な点なんて何もないのに、やっぱり姫神の脳裏で警鐘がカンカンと鳴っていた。

上条は事態のマズさに嫌な汗が伝うのを感じた。
姫神がとっさに嘘にあわせてくれるかは分からないし、なにより今日、
上条は姫神の手を取って学校を飛び出したのだ。
不純異性交遊を目の前に、吹寄ブチ切れるかもしれない。
吹寄は姫神と仲が良いから、なおさらだ。

「吹寄さん。これはですね」
「貴様、姫神と遊ぶ気だったの?」
「いや、まあ」
「土御門とかと遊ぶってのは、嘘だったということ?」
「――ああ。そうだ」
「吹ちゃん……」
「姫神。確認しておくけど、上条当麻に無理矢理誘われたとか、そういうのは……ないか」

吹寄は姫神を一瞥しただけでそう判断した。
髪の整い具合だとか、そういうところで姫神の気持ちを見抜いたのだろう。

「別にあたしは風紀委員じゃないから。止めたりはしないわよ別に……」

吹寄はそう呟いて、髪を軽く指でいじった。

「吹ちゃんは。いいの?」

気づかない振りをすれば、良かったのに。
姫神は吹寄にそう、尋ねずにはいられなかった。

「いいって? 何であたしが姫神と上条を止めるわけ?」

そのとぼけ方は上条を騙すのには充分で、姫神に悟らせるには充分なくらいの不自然さだった。
きっと吹寄が本当に上条のことをなんとも思ってなかったならば、多分怒っただろう。
あたしはそこまで優等生ぶらないわよ、か。姫神の恋路を邪魔するほど野暮じゃないわよ、か。
たぶん、今みたいに姫神が何を言ってるのか分からない、なんて態度には留めないと思う。
それが姫神の感じた吹寄の『嘘』だった。

「私は。今から上条君と。晩御飯を食べに街に行こうって約束をしてた」
「……見れば分かるよ」
「今日は一日中。上条君とデートした」
「……おめでとうって言えばいいの? 姫神意外と隠さないんだね」
「でもデートって言っても。土御門君たちがついてきたりしたんだけど」
「そう」

人を突っぱねるような態度のくせにかまいたがりな吹寄と、人当たりはそう悪くない割にドライなところのある姫神。
普段この二人は仲が良い。
だけど上条はどうも、姫神と吹寄の間に不穏な空気が漂っているような気がしていた。

「なあ、姫神」
「どうしたの? 当麻君」

ぴくりと、吹寄の髪をいじる手が止まった。

「あ……」
「そういう名前で呼ぶ位、進展したんだ。で、貴様は下の名前で呼ばないわけ?」
「いや、二人のときは秋沙って呼んだけどさ。クラスメイトの前じゃ恥ずかしいだろ」
「……」

今は、上条にそれをばらして欲しくなかった。
上条にアタックするのに、何も吹寄に断りを入れたりする必要はない。だけど無断も嫌だった。

「まあ良いけど。で、上条。さっきの話の続きだけど、あたしもついていっていいわけ?」
「え?」
「晩御飯、いくんでしょ?」

姫神を、吹寄が見つめた。
真意は測れない。でも、駄目だと言う気はなかった。姫神はコクリと頷いた。




入った店は、イタリアンレストランだった。
ファミレスよりは高級感があるが、学生の夕食に出来る程度の価格帯だ。
適当に三人とも注文して、料理待ちの時間。

夕方にもこういうボックス席にいたっけなと上条は思い出す。
そのときは対馬が座る席を決めた。今は、吹寄が決めた。
上条と姫神を隣同士に座らせて、吹寄は反対側に腰掛けた。

「で、確認しないと居心地悪いから聞くけど。あんたたち、付き合うことになったの?」

腕に掛かった長い髪を払いながら吹寄はそんなことを尋ねた。
上条が答えようとすると、姫神が上条をじっと見た。私が言うから、という意思表示のようだった。

「ううん。まだ。そういうことにはなってないよ」
「……そう。じゃあ、邪魔しちゃったんだ」
「そんな。邪魔だなんて。思ってない」
「思いなさいよ。あたしは人のデートに割り込むような野暮をするつもりはないし」
「……吹ちゃんは。それでいいの?」
「だからそれでいいって何よ。姫神は何の心配してるんだか」

いつもよりも少しイライラした感じの聞き返し方。
きっとそれは、図星なのだ。

「貴様はどういうつもりで姫神を連れ出したの?」
「え? どういう、って」

突如、矛先が上条のほうを向いた。

「夜に、単なるクラスメイトの女子を連れ出したら問題でしょうが。
どう考えたって下心があるに決まってるでしょ」
「し、下心って……」
「ただ食事をするためだけに、貴様は姫神を誘ったわけ?」
「吹ちゃん!」

上条が何かを言う前に、またも姫神が二人の会話を遮った。
何がなんだかわからない上条の前で、女二人の思惑だけが交錯していく。

「姫神」
「ごめんね。上条君。何も聞かないで」

遮るように、朗らかな声で注文した料理が運ばれてきた。
パスタにフォークを刺して、クルクルと回す。
皿とぶつかる硬い音がテーブルの上でかすかに流れる。
そんな音が気になるくらい、上条たちの間には会話がなかった。

吹寄は、自然な態度で食事を摂っている様に見える。
目の前にいる自分や姫神が赤の他人だったら、完全に自然だっただろう。
自分達と会話をしようとしないこと以外は、おかしい所はなかった。
姫神も食事時におしゃべりなほうではないと思う。
食べ方もがっつくような感じではないので不自然には見えない。
だが、ずっとパスタを見つめているのに、時折思い出したようにチラリと吹寄を見るその視線が
意味ありげで、姫神と吹寄に間にあるおかしな空気を象徴していた。

「上条。貴様はもう少し落ち着いて食べられないわけ?」
「あ、ああ。悪い」

一番不自然なのはおそらく自分、上条当麻だろう。
会話を振るでもなく、黙々と食事をする二人の女の子の顔をまじまじと見つめているのだ。
……とはいえ黙っていろといわれた手前、会話を提供する役になるのもためらいがあった。

女の子達と同じ、並盛のパスタを頼んで正解だった。
あっという間に食べ終わるくせに、緊張していてそれ以上欲しいと思わない。
セットでついてきたコンソメのスープを口に含むと、吹寄もちょうど食べ終えたところだった。

「貴様に聞いておかなくちゃならないことがあるわ」
「なんだ?」
「貴様はこれから、姫神になんて言う気なの?」
「……」
「好きだって、言うつもり?」
「それを言う相手は、姫神だ。吹寄、悪いけどお前のいるところで、そういう話はするわけにいかねーだろ」

姫神はその言葉に、息を呑んだ。
告白を、してもらえるのかもしれないと姫神は確かに期待している。
微かにしか期待していないつもりで、しかし上条の一言で緊張にうっすらと汗ばむくらいだった。

「まあ、いいわ。今ので分かったから。あたしがここに来た理由はね。上条。
貴様のことを好きなクラスメイトを、姫神のほかに知ってるからよ」
「えっ?」

姫神と上条の驚きが唱和する。しかし意味は異なっていた。
上条は吹寄の言葉の中身が信じられなかったから。
姫神は吹寄が遠まわしにでも、その気持ちを上条に伝えたから。

「吹寄。……唐突過ぎて驚くしかないんだけどさ、それ、ホントなのか? そんな話聞いたこともないぞ」
「黙ってたんだから、そりゃあ伝わらないでしょ」
「一体誰なんだよ……って、言ってはくれないか」
「当たり前でしょうが。貴様は今から誰に何を言おうとしてるのか、よく思いだしなさいよ」
「……」
「黙らないで何とか言いなさいよ。上条当麻、貴様は今から誰に、何を言おうとしているの?」
「姫神に」

姫神はもう食べる気にならないのか皿の上に残ったパスタを、フォークで弄んでいた。
その肩が、ぴくりと震えた。

「これから、姫神と二人でどっか歩く気だ。それ以上は吹寄、ここでお前に話すようなことじゃない」

二人ですべきことを、二人以外の人がいるところでしてはならない。
それは通すべき筋だと上条は考えていた。
姫神も上条の意図を理解していた。だが同時に、吹寄がどう感じるかも痛いほどわかるのだ。
その言葉は、「お前なんて眼中にない」と言われているように、きっと吹寄には聞こえたろうと思う。

「……そうね。あたしは部外者。確かに貴様にあれこれ聞くのはお門違いだったかもしれないわ。
でも。今じゃなくてもきちんと教えて欲しい。
上条のことを好きな女の子に、貴様のことを諦めさせなきゃいけないから」

上条は、吹寄の呟きを聞いて、言うべき言葉を見失った。
きっと吹寄は、そのクラスメイトの気持ちをよく知っている。
面倒見のいい吹寄のことだ。きっと親身になって相談に乗ったのだろう。
残念そうな、いや違うか。悔しそうな、のほうが近いかもしれない。
そしてまるでわが身のことのように傷ついた響きが、声には含まれていた。
反射的に謝りそうになって、それを自制した。

「吹ちゃん。私は」
「姫神は何も言わないで。姫神は別にズルなんてしてない。
誰にも後ろ指を指されるような事なんてしてないんだから、変な気遣いなんていらないわよ」
「……ごめん。なさい」
「謝るのも自己満足よ。姫神には語る言葉なんて何もない。ただ、上条と幸せになればいいだけ」
「……うん。吹ちゃんは。私のことを嫌いになった?」

何バカなこと言ってんのよ、と吹寄が笑った。
どことなく泣き顔めいて見えたのは、上条の錯覚だったろうか。

「何で第三者のあたしが姫神と喧嘩するのよ。きっと上条のことが好きな子も、姫神のことを恨んだりはしないって」
「うん」

吹寄がグラスの水をあおった。
それをきっかけに三人は席を立ち、支払いを済ませてとっぷりと暮れた夜の学園都市の空を見上げた。
星は見えない。言葉も少なに吹寄は上条たちと別れ、寮へと帰っていった。




肌寒い空気が、すっと足元を吹き抜ける。
夏の名残の暑さももう失われて、日が沈んでからは冬の足音も聞こえ始める季節。
街中のレストランを出てから、上条と姫神は黙々と緩い上り坂を登った。
姫神は上条の導くままに従っていたが、おおよそ、行き先に心当たりはあった。
この先には眺めのいい公園がある。夜景が綺麗だというのは、有名な話だった。
繁華街から遠く不良にとって退屈な場所なこともあって、学生達の逢引の場所として、
それなりに有名な場所だった。

姫神の足取りは、重たかった。
さっき吹寄と交わした言葉が、これからのことに対する期待感以外の気持ちを膨らませていた。
吹寄の言ったとおりなのだ。姫神は卑怯な手は何も使わなかった。
だから、確かに悪いことなんて何もない。
だが同様になんら悪いことをしなかった友人の口を封じ、
心に秘めていた気持ちをそのまま秘めさせるように仕向けてしまったのも事実だ。

「姫神」

ほんの少し前を歩く上条が、そう名前を読んだ。そしてすぐ、間違いに気づいた。

「秋沙。手、繋がないか?」

少し前から、上条がさりげなく手を差し出して、手を繋ごうと誘う仕草を見せていたのには気づいていた。
それを取らなかったのは、自分で何かを決めるのが怖くて、上条に強く引っ張って欲しかったから。
姫神は無言で指を絡ませた。手の温かみが伝わるのと同時くらいに、上条が身を寄せて、体が軽くぶつかった。
公園の入り口に立つ。高低差の激しいここから展望のいい広場までは、階段を上ることになる。

「今日はなんかやたらといろいろあったな」
「うん」
「青髪と土御門には追いかけられるし」
「うん」
「御坂のヤツにもなんか追いかけられることになったし」
「うん」
「五和にも……まあ、会ったしな」
「……」

立場が違えば仲良くも出来たであろう、彼女のことを思い出す。
そうだ、あの時。もし自分が上条にアタックしなかったなら。
当麻君は。あの子と親密になっていたかもしれない。
五和とは初対面だ。それだけが理由なのかもしれないが、吹寄に対してとは異なり、
姫神は五和に対しては敵対意識を持っている自覚があった。
自分のものだと見せ付けなければ、上条は取られていたかもしれない。
その危機感を思い出すと、自分のやったことが正しかったとも思えた。
恋は戦争。分かち合うことの出来ないものが、確かにあるのだ。

「吹ちゃんの言ってた。上条君のことを好きな女の子のこと。考えてた」

安っぽいスニーカーの音を響かせながら、雑草の生えた階段を登る。

「あー……。あれ本当なんかね。なんていうかさ、 全くもてた事のない上条さんの人生を振り返るに、
どうも信じられないんだよな。別に疑うわけじゃないけど」
「吹ちゃんは嘘なんてついてないよ」
「もしかして、その子の事、知ってるとか?」
「――うん。予想はついてる。綺麗な子だよ」
「クラスの女子の誰が綺麗か、なんてのを秋沙に話すわけにはいかないな。万が一女子に知れたら俺は確実に殺される」
「言わないよ」

じっと、上条を見つめる。視線の意図は、割とすぐ伝わった。

「秋沙は、綺麗だと思う」
「クラスで何番目に?」
「番号なんてつけたことないって」
「男子がランキングつけてるの。知ってるよ?」
「マジで? まあ、女子もつけてそうだけど」
「うん。当麻君は。結構ポイント高いよ」

上条がグッと拳を握った。女子の評価の高さはクラス内での過ごしやすさとかなり関連している。
非常に心強い、ありがたい情報だった。

「私やその子が気にしてる男の子を。みんな非難なんてしないから」
「……」

一体、何度目だろう。姫神が、これほどにきわどい言葉で自分の気持ちを表現するのは。
もう上条はその意味に気づかなかったり、取り違えたりはしなかった。

「ねえ当麻君。吹ちゃんと比べて。私の順位はどうだった?」
「吹寄はおカタい奴だからなあ。告白しても無理そうって奴が多かったな」
「本当はそうでもないんだけどね。……それと私が聞きたかったのは。皆じゃなくて当麻君のこと」
「う。えーっと。吹寄はなんていうか、女の子のカテゴリに入れてなかった」
「え?」
「吹寄ってだいたいいつも怖いし。時々遊ぶけどぶっちゃけ男子の連中と同じノリだし」
「吹ちゃんは。結構女の子なところあるよ?」
「そうかあ?」
「当麻君は。見る目がないよ」
「……まあ、否定なんてとてもできやしませんが。でも何で秋沙が吹寄のことで怒るんだよ」
「自分でちゃんと分かって。私の口からは。言えないし言わない」

ぷいとそっぽを向いた姫神の横顔を眺めながら、残りの段を一つずつ上がっていく。

「それで。私のことは。どう思ってたの?」
「この先で、話すよ」

最後の一段。それを越えると足音が砂を踏むものに変わった。視界が開け、眼下に学園都市の眠らない光の海が姿を現した。


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最終更新:2011年06月05日 12:00
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