黒子「また、名前で呼んでもらえるまで」2


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風紀委員の帰り道、夕焼けに染まる八月の空を眺めながら、黒子は繁華街を歩いていた。
オレンジ色に染まるその姿は、どこか寂しげだ。

――あれから一月が経った。
夏休みももう終盤に差し掛かり、世の学生達は手付かずの宿題に慌てだす頃だろう。

「……当麻さん」

彼も、そうなのだろうか。

実はあれ以来、一度も連絡を取っていないのだ。
最後に会ったあの日から幾日も経たない内に幻想御手事件等、色々と厄介な事件があったせいでタイミングを逃してしまっていた。

いや、それもあるが向こうが「また連絡する」と言ったのだ。
こちらから連絡するというのも、なんだか、癪だ。

「舞い上がっていたのは私だけなのでしょうか……」

気付くと足は止まっていた。心なしか、体が重たい。
既に半分以上身を隠している太陽を、薄く細めた目で眺める。

「お姉様まで、近頃はなにやら問題を抱えていらっしゃるようですし……」

はぁ……っと、割と深いため息を吐く。
そこで、ふと飲み物でも買って帰ろうかと思い立ち、振り返る。

「この辺りで自販機と言えば……確かバスの停留所近くにありましたわね。」

長く伸びた自分の影を眺めながら、ゆっくりと歩を進める。

遠くに見えるバス停のベンチに、楽しそうに話すカップルと思しき二人組が見えた。

「はぁ……」

今日何度目だか分からないため息を吐く。
何故だか羨ましくて、悔しくて、思わず目を背ける。

背けた。が、その二人がよく知る人物であることに気付き、再び目を向けた。
心臓がドクンと跳ねる。
あれは……自分がこの一月想い焦がれていた人物、上条当麻。

そして、

 

「お姉様?」

 

 

思いのほか大きな声が出ていたのだろう。上条当麻が、振り返った。
瞬間、全身を嫌な汗が流れ、心臓が嫌というほど激しく音をたてる。
あれほど会いたかった人物、上条当麻がそこにいる。
思わず駆け寄りそうになったが、彼の隣に座る人物に目を向け、思いとどまる。





彼の隣に、寄り添うように、

まるで、恋人のように、





御坂美琴が、そこにいた。

 

やはり、舞い上がっていたのは私だけでしたのね……。
心の中でそう呟き、ぐっ、と溢れそうになる涙を堪える。

黒子を見る上条の表情は、明らかに知り合い同士のそれでは無かった。
「なんだこいつ?」とでも言いたげな、そんな顔だ。


黒子は、悟った。

彼にとっては可愛い後輩が出来た程度にしか思われていないのだろうか。
そんな事を考えたこともあった。
だが、現実にはそれすらも思われていなかった。
存在すら……忘れられていたのだ。

所構わず泣き叫びたい衝動に駆られるが、歯を食いしばり我慢する。
それが私の最後の矜持だ、とでも言わんばかりに。

勤めて明るく、勤めて"他人"の様に。そう決意してからは早かった。
震える手を無理やり押さえ、胸の前で両手を組む。
"仲の良い先輩の恋愛を、偶々見かけてしまった後輩"
そんなイメージを相手に与えるよう意識しながら、無理矢理笑顔を創った。

「まぁ、お姉様! まぁまぁお姉様! 補修なんて似合わない真似していると思ったらこのための口実だったんですのね!」

美琴は、頭痛を押さえるように頭に手をやりながら、

「えぇっと、念のために聞くけど。『このため』とは『どのため』を言っているのかしら?」

「決まっています。そこの殿方と密会するためでしょう?」

自分がした発言が、胸にズキンと響く。
しかしそれは、決して表情には出さない。

バチン、と美琴の髪の毛から火花が散ったが、黒子は気付かない。
気付く余裕も、無かった。

上条の方に目をやると、呆然とした表情を浮かべていた。
にっこりと満面の笑みを創り、近づく。
何故だか慌ててベンチから腰を浮かそうとしている上条の手を強引に掴み取り、両手で包む。

「"初めまして"殿方さん。わたくし、お姉様の『露払い』をしている白井黒子と言いますの」

黒子は目を落とす。上条の大きな手を両手で包み込む自分の小さな手。
彼に手を引かれ商店街へと二人並んで歩いていった、あの光景がフラッシュバックする。
再び溢れそうになる涙をぐっと堪える。
私の恋はもう終わったんですの。そう自分に言い聞かせる。

「ちなみに、この程度でドギマギしているようでは浮気性の危険性がありましてよ?」

すると美琴がゆらりと立ち上がり、

「あー、んー、たー、はー。このヘンテコが私の彼氏に見えんのかぁ!」

青白い火花を飛ばしてきた。
手を握るのはこれが最後だろう。そんなことを考え、スッと上条の手を離す。

もう、限界だ。これ以上は自分の感情を抑えきれない。
そう悟った黒子は、最後に上条の顔を眺める。おそらく、これが見納めだろう。
しっかりと目に焼きつけ、黒子は虚空へと消える。

 

 

 

 

 

黒子は、溢れる涙を拭おうともせずに空間移動を繰り返した。
座標が狂っても構わない。もう自分には何も要らない。もう死んでも構わない。
そんなことまでもを思いながら学園都市の夜を飛び回った。

「当麻……ざぁん……」

やがて力尽き、空間移動する気力も無くなった頃には、街からは遠く離れていた。
どこにあるのかも分からない、誰も居ない廃ビルの屋上。
制服が汚れるのも気にせずその場にへたり込む。

「ひ…ぐっ……ぐす……うぁ」

一度決壊してしまえば、もう止める事は出来なかった。

「ひぐっ……どうま……ざん……おね…ひっぐ……ざまぁ……うああぁあぁぁああああぁあ!!」

嗚咽は、やがて叫びへと変わる。
溢れる感情を全て吐き出す様に、誰も居ない夜の空に泣き叫んだ。

 

 

―――――

―――

――

次の日、黒子は一日部屋から出る事は無かった。
昨日あの後どうやって帰って来たのかも覚えていない。それ程に憔悴しきっていた。
部屋に戻るなりシャワーも浴びず服も着替えずに布団に潜り込んだ。

何故だか、美琴は帰って来なかった。
彼の家にでも泊まっているのだろうか。そんな事を考えると、収まりかけていた涙がまた溢れてくる。
しかし、それを慰めてくれるお姉様は、居ないのだ。愛する人を二人同時に失ったような気がした。
黒子は布団に潜り込むと、朝日が昇るまでずっと泣きじゃくっていた。声が漏れるのも気にせずに。
その姿に心配を掛けることもないだろう。何故なら、黒子の支えとなる人物は、もう誰も居ないのだから。


「……もう、こんな時間ですの」

いつのまに眠ったのだろうか。目が覚め窓に目をやると、外は既に夕闇に包まれていた。
今日は運良く風紀委員も非番だ。部屋に篭っていよう。
そんな事を考えながらモゾモゾと布団に潜り込む。

(お姉様の言っていた"あの馬鹿"とは当麻さんのことでしたのね……)

枕に顔をうずめると、頬に冷たさを感じた。涙が染み付いているのだろうか。
枕の位置を変える為に、体を少し浮かすと、

ピーンポーン……

やけに間延びした、間の抜けた電子音が部屋に響いた。

「どなたでしょうか……」

のっそりと起き上がり、重い足取りでインターホンへと向かう。

『あ、えっと……』

心臓が、止まるかと思った。
全身を嫌な汗が包み、体が一気に熱を持つのを感じる。
目頭が熱くなり、何かがこみ上げて来る様な感覚に襲われた。
何故なら、インターホンからは今一番聞きたくない声が、聞こえてきたのだ。


『……、上条、だけど。御坂か?』

そして、今、一番聞きたくない名前が。
喉が、口が、乾く。背中を汗が伝うのを感じる。
喉の奥が震え、上手く言葉を発せられない。
気持ちを落ち着かせるために軽く深呼吸をし、震える唇を、なんとか、動かす。

「はぁ、カミジョーさんですの?」

返事は、一秒としない間に帰ってきた。

『あ、やべ……部屋番号間違えたか?』

「いえ、いえいえ大丈夫ですの。お姉様に御用がおありでしょう? わたくし、お姉様とは相部屋ですから」

ほんの数秒、相手の声を待つだけの沈黙が、黒子にはやけに重く感じられた。
インターホンの向こうには、上条当麻が居る。
どれだけ自分の事を傷つけたのかも知らず、いつもの上条当麻が。
その事実が、黒子は凄く悔しかった。
弱みを見せてなるものか。そう決意し、溢れそうになる涙を堪える。
インターホンは少しだけ、ほんの少しだけ黙り込んだ後、

『あー、そう。で、その様子だと御坂は帰ってねーのかな?』

なんと、そっけない態度だろうか。
悔しい。
悔しい悔しい悔しい。
掌に滲む汗も気にせず、拳を強く握りしめる。

「はい。ですがお姉様ならすぐお戻りになるかと。そこの玄関は門限と同時にセキュリティが働くので」

そっけない態度を取ろうと、言葉を選びながら話す。
不自然な程に声が間延びする。

「お姉様に御用がおありでしたら、中に入って待つことをお勧めしますの。行き違いはお勧めできませんもの」

インターホンを切り、玄関のロックを解除した後、大きく深呼吸を一つ。
急いで洗面所に向かい、顔を洗い身だしなみを整える。
赤く腫れた目を誤魔化すために目薬を点した。

「次は……布団ですわね」
洗面所から駆け戻る。
荒れた自分の布団を見ると、僅かに涙の後が残っていた。

「まずいですの……」

美琴のベッドから掛け布団を剥ぎ取り、自分の布団と入れ替える。
枕にも涙の後がついているのに気がつき、乱暴に掴み上げる。

そこで、コンコン。と、控えめなノックが聞こえてきた。
ビクっと体が震える。枕を握り締めたまま、美琴のベッドへと急いで移動し腰掛ける。
再び、深呼吸を一つ。

「どうぞ。鍵はかかっていませんので、ご自分の手で開けてくださいですの」

 

ドアが開く。上条当麻が、入ってきた。
昨日、もう見ることはないだろうと思っていたその姿が、再び眼前に現れた。
その手には何故か小さな黒猫を抱えており、ドギマギしているようにも見える。
女の子の部屋に入るのは初めてなのだろうか。落ち着かない様子で部屋を見回している。
何故だか滑稽に見えて、黒子は小さく笑う。

「ごめんなさい。元々寝て起きるための部屋ですので、客人をもてなすようにはできていないんですの。お姉様を待つのでしたら隣のベッドに腰掛けてくださいですの」

「……いや。まずいだろ流石に本人の許可も取らないで」

「ご心配なさらず。そちらがわたくしのベッドです。」

「アンタ何やってんだ!? 他人のベッドの上でごろごろしちゃって変態さんかよ!」

「む、変態とは聞き捨てなりませんですの。人間、人には言えないもののみんな心の中ではこれぐらいオッケーと考えているものです、
ほら好きな女の子のリコーダーに口をつけたり自転車のサドルをパクってきたり」

「しねーよ! 一体どうしたらそんな純粋な気持ちがそこまで歪んで表現されるんだ!」

他愛の無い会話。
悔しいが、やはり楽しい。心に重く圧し掛かる何かが、ゆっくりと溶けていくような、そんな心地がした。
あれ程自分を傷つけた相手だというのに、それでも自分は彼のことが好きなのだろう。
その事実が、また悔しい。心の中で小さくため息をつく。

 

「それで」

一度区切り、上条の顔を見る。

「あなたは、普段からお姉様と頻繁に諍いを起こしている殿方でよろしいんですの?」

「?」

すると上条は、何故だか不思議そうな顔をして何やら思案しているようだ。

(……お姉様の言う"あの馬鹿"とは、当麻さんのことでは無いのでしょうか?)

予想外の反応に、黒子は小さくため息をついた。
そのため息には、どんな意味が込められているのだろうか。自分でも分からない。

「……、違うなら、それで構いませんの。お姉様の支えとなっている方のお顔を少しばかり拝見してみたいと思っていただけですから」

「支え?」

「はい。お姉様は自覚していませんけどね。それはそれは嬉しそうな顔で食事の際に入浴の際に―――」

「―――まるでそこだけが世界で唯一の自分の居場所みたいな顔をされますとね、流石に少し響くのですのよね」

言葉ではそう言ったが、黒子には美琴のその気持ちが少し分かる様な気がした。
恋は盲目、とはよく言ったものだ。

「……? けど、あれってそんなタマか? いつでもどこでもリーダーシップ使いまくりで輪の真ん中にいそうな来もするけどな」

「だからこそ、でしょう。常にリーダーであり続けるお姉様には、輪の中心に立つ事はできても輪の中に混ざる事はできない。
人の上に立って、敵を倒すことはできても同時に敵を作る事は避けられない。
―――そんなお姉様にとって重要なのは、自分を対等に見てくれる存在と、まぁこんな所だと思いますのよ」

そんな美琴には、支えとなる人物が、自分を対等に見てくれる人物が、居るのだ。
黒子にとっての、支えだった人物が。

「きっと、お姉様は自分でも気付かない間にその事に照れていて―――」

黒子はわずかに目を細めて、そう言った。
自分には辿り着けないポジションを夢見るような声で。

「―――気恥ずかしさのあまり、必要以上に攻撃的な態度を取っているのでしょうね」

部屋を静寂が支配した。
何故だか分からないが、上条はどこか気分が悪そうな顔で地面を眺めている。
ほんの数秒の、沈黙。

それを破ったのは、ドアの向こうの通路から近づいてくるカツコツという足音だった。
上条の抱える黒猫の耳がピクリと動く。

(みこと……まさか、帰ってきたのか!)

上条は心の中でそう呟いた。
―――はずだった。しかし、唇が僅かに動いているのを黒子は見逃さなかった。

(……? どういうことですの?)

上条は美琴に会いに来たのではなかったのか。
なのに、その尋ね人が帰って来て焦りを見せるとは一体どういうことなのか。黒子には分からない。
しかし、思考は中断される。その足音の主が何者なのかに気付いたからだ。

「うわまずい、寮監の巡回のようですのね!」

「……、は?」

「ど、どうしましょう。あなたの事が寮監に知れますとまずい展開に―――

 

 

 

―――あれから約一時間後。

上条をベッドの下に押し込み寮監と共に食堂へ向かった黒子は、一人もそもそと食事を取った後部屋に帰って来ていた。
普段一緒に食事を取っていた美琴は、どこで何をしているのか、今日は居ない。
一人きりの、寂しい食事。

しかし、黒子にとってそれは都合が良かった。
食欲が無かったせいであまり食べられず、かなりの量を残してしまっていたからだ。
そんな所を見られたら、あのお姉様の事だ。心配するに決まっている。
そして何より、今は美琴とはあまり顔を合わせたくなかった。

(当麻さんは無事出て行かれたようですわね……)

黒子は、上条に思いを馳せる。
美琴の物と思しき足音――実際は寮監のものだったが――を聞いた時の不可解な焦りよう。

告白でもしに来たのだろうか。そんな事を考えたがすぐに否定する。
あの焦り方は、そんな甘酸っぱい感じではなかった。
もしそうなら恋する乙女であった自分が見逃すわけ無いだろう。

(……なら、何しにここにいらっしゃったのでしょうか……?)

布団に潜り込んだ黒子はあれこれ考えていたが、結局その疑問は解けないまま、気付くと眠りについていた。

 

 

 

次の日も非番だった。
思っていたより疲れていたのだろう。意外にもぐっすり眠れたようだ。
上体をゆっくりと起こす。眠たげに目をこすりながら時計を見ると、朝食の時間は既に過ぎていた。

「あら、おはよう黒子。今日はやけに遅い目覚めね」

いつの間に帰ってきていたのだろうか。
バスルームから、美琴がいつもの制服姿で出てきた。
シャワーでも浴びていたのだろう。濡れた髪をバスタオルで乾かしている。

「おはようごうざいますですの、お姉様。……今日は機嫌が良さそうですのね」

ここの所続いていた不自然さは、今日は感じない。
疲労の色が濃く現れているが、それでもどこか晴れやかさすら感じさせる。そんな風に黒子には見えた。

「んー? まぁ、ちょっとねー……」

言いながら、自分の鞄をゴソゴソと漁りだした。
そんな美琴を、黒子は薄く細めた目で眺める。

「肩の荷が降りた。……そんなところでしょうか?」

美琴の手が、ピタリと止まる。
数秒固まった後、ふぅっと少しわざとらしくため息を吐くと、
首だけを動かして肩越しに黒子の顔を見る。

「相変わらず、変な所で鋭いわねアンタ」

対して黒子は、僅かに首を傾げ小さく微笑み、

「ここの所、お姉様の態度は少しばかり不自然でしたから。それくらいすぐ分かりますの」

実は違う。確信は持てなかったので、鎌をかけてみただけだ。
たまたまそれが当たったというだけの話だ。

黒子はほっと息を吐く。
そして、そのため息の理由を考え、自嘲するように乾いた笑いを零す。

美琴の上機嫌の理由が、色恋沙汰では無かった。だから何だと言うのか。
例え二人が付き合っていなかったとしても、自分にチャンスが回ってくる訳でもない。
彼は、自分のことを憶えてもいないのだから。

そんな黒子の心情に気付いていない美琴は、「お、あったあった」などと能天気な声を出すと、
鞄から財布を取り出しスカートのポケット突っ込み、立ち上がる。

「あら、どこか行くんですの?」

美琴は、少しだけ考えるような素振りを見せた後、

「あー……お見舞いよお見舞い。あの馬鹿が結構な怪我して入院しちゃってね」

「とっ……」

体がビクリと震えた。布団が僅かに衣擦れの音をたてる。
思わず声が出そうになったが、寸での所で堪えられた。

「詳しいことは聞かないでくれるとありがたいんだけど」と、美琴は付け足したが、黒子の耳には届かなかった。

(当麻さんが……入院?)

唇が震え、心臓の鼓動が徐々に早くなる。
自分でも気付かないうちに、震える手はパジャマの胸のあたりを握り締めていた。

「? どうかしたのアンタ?」

「い、いえ……。なんでもありませんの……」

パジャマから手を離し、降ろす。そのままギュッと布団を握り締めた。

「……ちなみに、どこの病院に?」

「あーほら、あそこよあそこ。カエルみたいな顔した先生がいる所」

握り締めていた布団をゆっくりと離すと、そのまま掌の汗を拭う。
美琴に気付かれないように、小さく、本当に小さく深呼吸をした。

「そう、ですの。……では、行ってらっしゃいませお姉様」

黒子の様子に若干怪訝そうな顔をした美琴だったが、「じゃ、行ってくるわね」と、
不自然な程に明るそうな声をあげて部屋から出て行った。

黒子は、気付けなかった。
美琴がどこか翳りのある瞳を浮かべていたのを。

黒子には、分からない。
自分がどれだけ残酷な言葉を吐いたのかを。

美琴の"肩の荷"は、降りることはない。
10031もの命が、一生その背中に重くのしかかるだろう事を。
黒子には、知る由もなかった。



そして。それでも、黒子の前では明るく振舞っているお姉様の心情を。

黒子は、気付けなかったのだ。

 

―――――

―――

「……ここですの」

時刻は昼過ぎ。
黒子はとある病院に来ていた。その中の数ある病室の中の一つ。
上条当麻と書かれたプレートの掲げてあるドアの前で、黒子は何度も深呼吸していた。

会って、どうしようというのか。
出会って間もない他人(だと思われている)に、いきなりお見舞いにこられても、彼は困惑するだけだろう。

(それでも、私は……)

震える手を何とか動かし、小さくノックした。
返事はない。

「……失礼、します」

ゆっくりと扉を開ける。白一色の病室が視界に入る。
電気は着いていなかった。
窓が開いたままなのだろう、外からの風でカーテンがゆるやかに揺れている。
そして、一つだけあるベッドの上で、寝息を立てる上条当麻が居た。
そのベッドの脇には、来客用の椅子が寂しそうに佇んでいた。

音をたてないように、静かに椅子に座る。
静かに寝息を立てる上条の顔は、安らかだった。
体のあちこちが包帯まみれだが、見たところ大きな怪我は無いようだ。
ほっ、と黒子は息を吐いた。

そっと手を握る。懐かしい、彼の手。
傷だらけで、包帯の巻かれたその手は、それでも暖かかった。

「当麻さん……」

頬を、涙が伝う。
声も出さずに、黒子は静かに泣いた。
溢れる感情が、どんな意味なのか自分でもよく分からない。
握る手に、少しだけ力を込める。

「おっと、お見舞いかい?」

ふいに後ろから声を掛けられた。
黒子が振り返ると、カエル顔をした医者が音も無く入ってきていた。
医者は、黒子の瞳に涙が溢れているのに気付き少し困ったような表情を見せ、
白衣のポケットに突っ込んだままの両手を軽く浮かした。裾が僅かにはためく。

「君は、彼の恋人かなにかかな?」

黒子は握っていた上条の手を離すと、乱暴に涙を拭い立ち上がる。

「……いえ、ただの知り合いですの」

平坦な声でそう告げると、廊下に繋がる扉へと歩き出した。

「……いえ、知り合い"だった"と言った方が正しいですわね」

どこまでも、平坦な声。しかしどこかに哀しみを感じさせる、そんな声。

「君は」

視線を上条の寝顔に向けたまま、医者が口を開く。
しかしその言葉は、黒子に向かって発せられていた。
後ろからの声に、黒子はピタリと立ち止まる。

「この子のことが好きなんだね?」

「はい」

一瞬の間もない返事。
照れもせず、恥ずかしがりもせず、黒子はあっさりと肯定した。
揺れるカーテンの隙間から、外の光が見え隠れする。

「ですが、彼は私のことなど憶えておりませんの。彼……当麻さんにとって、私など路傍の石程度にしか思っていなかったんでしょう」

自嘲気味にそう言い捨てた。

「そう自分を卑下するもんじゃないよ? ……"知り合いだった"、ね? なるほどね」

医者は僅かに目を細めた。視線の先には、変わらぬ上条の寝顔がある。

「僕はこの病院が自分の戦場だと思ってるんだけどね?」

互いに背を向けたままの会話は続く。

「一月ほど前だね。僕は初めて敗北したんだ」

黒子には、何の話か分からない。それでも黙って耳を傾けていた。

「ある少年がここに連れて来られてね。全身傷だらけだったけど、一番ひどかったのは脳へのダメージだったよ」

医者も、黒子も、動かない。
医者の視線の先には、随分と色の付いた、かつて透明だった少年の寝顔がある。

「手は尽くしたんだけどね? 物理的に脳細胞が傷つけられていたからね。彼の思い出を取り戻すことは出来なかったよ」

ペタン、という音が、どこまでも白い病室に響いた。
黒子の足から力が抜ける。支えを失った板のように、その場にへたり込んだ。
黒子はようやく理解した。理解してしまった。

医者の話を。ある少年の物語を。




上条当麻の、記憶喪失を。

 

 

「この話をしたのが知れたら、彼は怒るだろうけどね?」

ここにきて、初めて医者は上条から視線を外す。
後ろを振り返り、ゆっくりと歩を進める。
へたり込んだまま微動だにしない少女の横を通り過ぎ、ドアノブに手をかけると、一度だけ立ち止まった。

「これからどうするかは、君しだいだよ?」

それだけ言うと、部屋から出て行った。一度も振り返らずに。
そして、扉は静かに閉ざされた。

部屋に残された黒子は、涙を流すでもなく、声をあげるでもなく、ただ呆然としていた。

真っ白な病室に溶け込むように、ただただ呆然としていた。

 

 

「あ、はは、は」

声が、漏れた。
嬉しいのか、哀しいのか。
そのどこまでも乾いた笑い声には、どんな感情が内包されているのだろう。

自分が、ただ忘れられたわけではないという安心か。

真実を知らずにひたすら空回りしていた自分への嘲りなのか。


それとも、


愛する人の『死』を知ってしまった、絶望だろうか。




「あ、あは、は、はははは」

泣き声とも笑い声とも判別の付かない、ただ空気が漏れる音のような、声。
笑い声と呼ぶには、哀しすぎる、声。

「はははは、は、ははは、あははははははははは」

渦巻く感情に身を焼かれ、真っ白になった少女は笑い続けた。

狂ったように、笑い続けていた。

 

 

――――――

――

チャリン。
と、機械の中で小銭同士がぶつかり合うくぐもった音が微かに響く。

「良かったんですか」

簡単なソファとテーブルだけが置かれた、病院内の談話室。
ため息交じりの、女の声がした。
病院のナースだろうが、ナースキャップは外され机の上に投げ出されていた。
ソファに腰掛け、足を組んでいる。
テーブルを挟んだ向かい側のソファには、ツインテールの少女が寝かされ静かに寝息を立てていた。

「何がだい?」

声を掛けられた医者は、カエルのような顔をしていた。
無数に赤く光る自販機のボタン。その一つを人差し指で押す。

「……話してしまっても」

彼女の視線は、ガラス張りのドアへと向けられている。
ドアの向こうには清潔そうな通路が続いていた。その長い通路の一番奥には、とある少年の病室がある。

「いつも言ってるはずだけどね?」

医者は、言葉をそこで一度区切ると自販機からコーヒーを取り出した。
湯気の立つ紙コップは、口元に運ばれる事無くテーブルへと置かれる。
窓に映る少女の寝顔を眺めながら、こう続けた。




「患者に必要なモノを揃えるのが、僕の仕事だよ」

 

 

 

 

 

 

目が覚めると、電気の消えた天井が目に入った。

上体を起こし、辺りを見渡す。
そこは白い部屋だった。宵闇に黒く染められた、白い部屋。
自販機から発せられる僅かな光によって、かろうじて視界を確保出来る。
その視界の端。自分の目の前に、紙コップが置かれていた。
紙コップにはアマガエルのシールが張られている。

黒子は、何の躊躇いもなく紙コップを拾い上げ、口を付けた。
黒い液体が、喉を通る。ゴクリ、という音が静かな部屋に響いた。

「……苦い、ですの」

すっかり冷めてしまったブラックコーヒー。
それでも、それが喉を通る度に心が暖まるのを黒子は感じた。
誰かの優しさに、触れているような気がして。


あの後のことは、あまり覚えていない。
なんとなく、病院のナースに介抱されながらここに連れてこられたような気もするが、思い出せない。

「あれは……」

紙コップを両手で持ち直し、天井を見上げる。

「夢、だったのでしょうか」

おぼろげな記憶を、辿る。

                                    

歌が、聞こえた気がした。




世界の全てを拒絶していた心に、優しく溶け込むような歌。

母の胎内を思い出させるような、暖かく包み込むような歌。

どこの言語なのかも分からない。

何を伝えようとしているのかも分からない。


それでも、その歌は



「泣いても良いんだよ」



と、そう言ってくれているような気がして――――

                  

少女の心に、色が戻る。

「う、うぁ」

誰かが、抱きしめてくれていた。
どこの誰かも分からない、真っ白なシスター。

「うあぁぁぁあああああ……」

胸に、すがりつく。
全身を包み込む長い銀髪に、涙が染み込む。

「うぁぁぁああああぁああああああああああ……」

それでも、耳元で奏でられる優しいメロディーは止まらない。

慈しむような歌声は、止まることは無かった。

 

 

――――――

――

コーヒーを、もう一口飲む。
心地よい苦味が口に拡がる。
ふぅ、っと息を吐いた。

コーヒーを机の上に置くと、何かを思い出すように天井を見上げた。

両腕を曲げ、まるで何かを抱きしめるかのように自分の肩を掴んだ。
体に残る、包み込まれるような優しい感覚。

「……あれは、やっぱり」

そこに。
ガラ、とドアの開く音が響いた。黒子は少し驚いて後ろを振り向く。

「うん。お目覚めかな? 調子はどうだい?」

入ってきたのは、カエル顔の医者。
その口調は、まるで患者に話しかける様な優しいものだった。

「もう大丈夫ですわ。……ご迷惑おかけしましたの」

「気にしなくていいよ? 本当ならこんなソファじゃなくて病室のベッドを使わせてあげたかったんだけどね?」

「いえ、お気になさらず……。それで、あの、……シスターさんは?」

「あの子ならもう帰ったよ? 面会時間はとっくに過ぎているからね?」

「そう、ですの……」

黒子は、うつむき地面を眺める。
しかし、その表情は決して暗くはない。

(やはり、あれは夢ではなかったんですのね……)

その事実が、何故だか嬉しかった。
殻に閉じこもりかけていた自分の心を、優しく開いてくれたのだ。
それも、見知らぬ他人の為に。

「あの、連絡先とかご存知ありませんの?」

言われ、医者は一瞬だけうーんと唸ったが、

「生憎僕は知らないけどね? すぐに会えると思うよ?」

黒子は、言葉の意味が良く分からなかったが、なんとなく大丈夫だろうと思った。
この先生がそう言うなら、きっとまた会えるのだろう。そう思えた。

「彼に会っていくかい? まだ起きてると思うけど?」

医者は、親指だけを立てた右手を、くいっと後ろへ向けた。
しかし黒子は、ゆっくりと首を左右に振ると、

「いえ、大丈夫ですの」

満面の笑みを浮かべた。

「また明日来ますから」

 

 

 

次の日。

黒子は病院内の廊下を歩いていた。
その足取りは、自分でも驚くほどに軽い。ツインテールが弾むように揺れる。

彼は、全てを忘れてしまった。

初めて会った日、寮まで送ってくれたことも。

手を繋ぎ、並んで歩いたことも。

一緒に、ご飯を食べたことも。

"最後"の日。照れながらも互いを名前で呼び合ったことも。


ならば―――



病室の扉に手をかけ、勢い良く開け放つ。

「当麻さん!」

―――もう一度、歩み寄れば良いだけの話だ。

また、名前で呼んでもらえるまで。

 

 

 

作者あとがき

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