上条「もてた」②


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ふっと我に返ったとき、自分のすぐ傍に上条がいることに美琴は気がついた。
思わず声をかけようとして、声が出なかった。あのバカの隣に、女がいたから。
上条の制服とその女子高校生の制服の体裁がよく似ている。たぶん、同級生。
控えめで物静かな感じのする、黒髪の綺麗な人だった。

「そっか」

こんなにうるさい場所なのに、上条の言葉は全て聞き取れた。
ああ、この人もアイツに救われた人なんだな、と美琴は理解できた。
そして、その女がどんな気持ちを上条に抱いているのかも。
上条のその言葉は、夏の終わりに美琴が聞いたそれと、ほとんど同じだった。
アイツは、誰にだってああいうことをいうヤツなんだ。

「分かってた、ことなのにな」

ふと上条の隣の女が、こちらを振り向いた。
それは単に、立ち尽くす美琴が不自然だっただけで、他意はなかっただろう。

「姫神、どうかしたか? ……って、御坂?」
「上条君の。知り合いなんだ?」

もう一度姫神が美琴を見た。
視線が交わるときに、今度は隔意があった。
あえて表現するなら、敵を値踏みするような、そんな意味合いの込められた目線。
たぶん美琴が向けたそれも、同じだった。

姫神と美琴は、軽い会釈で挨拶をした。
軽い探りはそれで済ませた。

「で、アンタはこんなところで何をしてるわけ?」
「何って……まあ、なんだ」
「デート」

言いよどむ上条に、姫神が言葉を重ねる。

「ひ、姫神?」
「上条君は。さっきデートをしようって言って誘ってくれた」
「いや、それは」
「違うの?」

じっと、ハッキリしなさいよと美琴が上条を見つめている。
姫神も肯定して欲しいと、切ない目で上条を見つめていた。

「う、まあ。これはデートだってことに、なってる、けど」
「そういうこと」

姫神は、美琴のほうを見て事実を解説した。
常盤台の制服を着た、つまり中学生を相手にこんなことを言う自分を姫神は浅ましいと思った。
だけど、きっと判断は間違っていない。
目の前の女の子はアクティブな印象の子だった。
綺麗というにはやや幼く、可愛いというには芯が通りすぎている。
だけどこんな子に甘えられたら、上条君だって悪い気はしないと思う。

今。上条に貰った勇気を使うべきなのは今だ。
自分の思いが報われないことを許容してしまったら、この子でなくても誰かの方に、
想いを伝えたい誰かはなびいてしまうだろう。

上条の口から出たデートという言葉は、美琴の強気を挫くには充分な威力だった。
美琴は姫神の遠慮のない視線に一歩、後退させられた。

「行こう。上条君」

姫神がやけに積極的だった。自ら上条の腕を引き、ベンチから立たせる。
そして、そのまま上条の二の腕辺りの袖をつかんでいた。
腕を組むところまでは、していなかった。それが彼女の限界でもあった。

「上条君、ねえ。彼女には下の名前で呼んで欲しくないわけ? と、と、当麻?」

上条の連れは、腕も組めず、名前で呼びもしない。
それは最悪の予想とは少し違って、まだ自分が蚊帳の外に放り出されたわけではないらしいことを意味している。
私が仮にアイツの彼女だったら絶対もっとくっついて、名前だって当麻、って呼ぶ。
……べべべ別にアイツのじゃなくても一般論としてそうよね!

「……お前にそんな呼ばれ方したの何度目だっけ?」
「知らないわよバカ!」
「まあ、姫神は彼女ってわけじゃない。姫神の名誉のために言っとくと」

姫神が目を伏せた。だが上条の腕を手放さない。
美琴は目を上げてそれを確認し、目をそらした。

「当麻……君」
「え、姫神?」

記憶を失うより前から知り合っていた美琴の場合と違い、
姫神にそう呼ばれるのが初めてだというのに上条は自信があった。

「私と当麻君は。確かに付き合ってるわけじゃないけど。でも今日は。デートをする約束でしょ?」
「姫神、いや、俺の自意識過剰だってんなら笑ってくれりゃ良いけどさ、その」

まるで、二人で遊んで最後に告白、なんて流れになりそうな台詞だった。
そんなわけはないはずだと思いながら、上条もしがない男の性で、期待せずにはいられなかった。

「ねえ、と、当麻。メールの件は一体いつ、付き合ってくれるわけ?」
「メール?」

次は美琴に声をかけられる。前から後ろから、振り回されてばっかりだった。
この間からメールメールと、やけにつっかかってくる。

「買い物とかに、付き合ってくれるって話してるじゃない!」

身に覚えのない話だった。

「あのう御坂さん? 上条さんはあなたとそんな約束をした覚えが全くないのですが」
「ちゃんとしたわよ! ほ、ほらこないだアンタが私からのメール消したかもって言ってたじゃない!」
「……その内容が買い物に付き合うって話だったと?」
「そ、そうよ! なによ疑うの?」

上条は気の抜けたため息をついて、ぼんやりと宙を仰ぎ見た。

「別に疑いはしねえよ。ただ、俺は返事した覚えないんだけど?」
「そ、そうだっけ? 貰った気がしてたんだけどなー」
「どんな返事を?」
「あー、たしか『この不肖上条当麻、美琴様にどこまででもお付き合いさせていただきます』って」
「ふざけんな! そんな返事俺がするわけねーだろ! そういうメールは白井に送ってもらえ!」
「ちょ、やめてってば! 黒子の場合はそれが冗談にならないのよ!
ああもう貸しなさいよアンタの返信メール探したげるから!」
「お、おい」

小気味のいいテンポで、美琴と上条は掛け合いをしていた。
あんな調子を、自分は出せないだろう。姫神は急に開いて見えた上条との距離に怯えた。
美琴が上条の腕を捕まえて、尻のポケットから携帯を引き抜いたところだった。

「俺の返信が気になるなら自分の携帯を見ろよ」
「うっさいわね。アンタの送信履歴見たって同じことでしょ?」

ポチポチとボタンをいじりながら、美琴は上条のメール受信履歴を見ていた。送信履歴ではなく。
上から女の名前を探していく。上条詩菜と書かれたメールは中身を一つ見てスルーした。
ひめがみ、漢字なら姫神だろうか。その名前を探しながらスクロールし続けて、
過去数ヶ月間にその名前が一度もないことを確認した。
そのことにほっと息をつくも、しかし気になる名前が、一つ。

「土御門って、これメイドの土御門じゃないでしょうね?」
「おい。それ受信履歴だ!」
「あーゴメンゴメン。間違えた。で、土御門って? 私の知り合いにメイドの子がいるんだけど。
アンタそういう趣味じゃないでしょうね」
「舞夏のこと知ってるのか? このメールはアイツの兄貴のほうだ。舞夏のアドレスは知らねーよ」
「ふーん」

上条に見えないようにコッソリとメールを開く。語尾がにゃーにゃーしていて、男同士のものらしいくだらない内容だった。
土御門舞夏と連絡しあってるのではないことを確認してほっとため息をつく。

ふと、そこで見落としていた名前に気がついた。いや、名前だと思わないから流していたのだ。
よく考えれば何度か聞いた名前。
つい最近メールをしたその送り主の名前は、インデックスと書かれていた。
そのメールをポチっと押して開ける。

「おい、御坂! 関係ないメールを開けるなよ」
「あーうん。ごめん」
「テメェ全然謝る気ないですねコノヤロウ!」
「なによ。わ、私が頑張って送ったメールをどっかにやっちゃうような薄情なヤツが偉そうにしてんじゃないわよ!」
「頑張ったってなんだよ。お前はメールも送れない情報弱者か」
「そうじゃなくて、わ、私だってその、どういうメールを送ったらとか……」

ゴニョゴニョと言葉にならないぼやきをうつむいた美琴が吐き出す。
それでもメールを見るのを止めたりはしなかった。

「『猫+1のエサはちゃんと用意してあげたよお兄ちゃん』……?」
「ああ、そのメールか」
「……最低」
「あ?」

汚らわしいものでも見るように、美琴が上条を冷ややかに睨んでいた。
すぐ後ろで、姫神も瞳をすっと切れ長にしていた。

「かみ……当麻君。君は。あのシスターの子にお兄ちゃんって呼ばせてるの?」
「違う違う! それは濡れ衣だぞお二人さん方や。それはインデックスが書いた内容じゃなくてだな」
「へぇ、違う女の子になら、アンタはお兄ちゃんって呼ばせてるワケね」
「そう。上条君は。知り合いの女の子の数なら両手があっても足りないものね」
「な、なんで二人とも怒ってるんだよ。ちなみにそれはさっき話に出た土御門の妹の舞夏だ。
アイツは誰にでもお兄ちゃんという女だし、ついでに言えばアイツは義理の兄と一線を越えてるっぽい」

美琴と姫神が驚いた顔をした。ついでに上条から少し離れたところで誰かの暴れる音がした。
金髪と青髪が印象的な二人組だ。上条には心当たりがありすぎた。

「あれ、土御門君と」
「何も言うな姫神。どうやら逃避行は続けないといけないらしいな」
「そうだね。見られるのは。恥ずかしいし」
「え? ああ、うん。後で何言われるかわかんないしな」
「え、ちょっと。一体なんなのよ?」

美琴が事情を飲み込めずに戸惑っている。姫神が、そっとその手から上条の携帯を奪った。

「ごめんね。これ。返してもらうから」
「あなたのじゃないと思うんだけど?」
「そうだね。じゃあ当麻君。行こう」
「お、おう」

手を握ると、照れた顔をした上条がぐいと姫神を引っ張った。
加速をそうやって上条に助けてもらって、二人は猥雑な地下街を、人を縫うように走り出した。

「ちょ、ちょっと! どこ行くのよ!」

奪われたのは携帯ではなくて、上条だった。
後ろから走ってくる高校生と併走しながら、美琴は上条たちを追った。






「くそ、あいつらなんでこんなにしつこいんだ」
「土御門君たちは分からないけど。あの子はなんとなくわかるかな」
「へ? 御坂のアレを理解できんの?」
「……当麻君は。ひどい男の子だね」
「ひどいってなんだよ」

地下で美琴と土御門と青ピを撒くのに人ごみを縫いながら、建物の一つに逃げ込む。
そこはいわゆる百貨店の地下一階。お菓子のショーケースを横目に見ながら、エレベータに駆け込んだ。

「これでいったん追っ手からは逃れたけど」
「何階で降りるか。それが問題だね」

土御門たちも当然エスカレータなり隣のエレベータなりで追ってくるだろう。
すぐ上の一階で降りて逃げるのが一番手詰まりになりにくい。
それより上の階に上がれば見通しのいいフロアになる。逃げ場は少ない。
勿論あちらもそれは分かっていて、おそらく一階には追っ手が割かれるだろうが。

「土御門はこういうのに機転が利くほうだ。逃げ場が少ないほうに行っちまったらそれこそ詰みだ」
「それじゃ。次で降りよう」

あっという間に次の階に着く。エレベータは空のまま上にあがるようにボタンを押した。
エスカレータは右手奥にあるから、それ以外の逃げ場を探す。
左に逃げた先に、トイレや荷物搬入用の出入り口が押し込められた一角が見えた。

「あっちだ」
「あ」

ぎゅっと上条が姫神の手を握る。その遠慮のなさに、姫神は胸を高鳴らせた。
楽しい。
鬼ごっこを恋人と一緒にやるというのは。きっとすごく楽しい遊び。
姫神は上条に引っ張られながら、そんなことを考えていた。




「やべっ! 御坂が来てる!」

警戒していたのとは別ルート。階段からの刺客だった。
その視界から逃れるために、トイレの横に伸びた搬入口通路に逃げ込む。
ダンボールが身長くらいに積み上げられて、うまく視界を遮るバリケードが出来ていた。

「姫神、ここだ!」
「うん」

後ろから付いてきていた姫神をダンボールに隠し、上条は覆いかぶさるように姫神に密着した。
スタスタというローファが奏でる足音が聞こえる。御坂だろうか。

「……」
「……」

沈黙の意味が、二人で異なっていた。
上条はひたすら外に意識をやり、追ってくる連中の気配を嗅いでいた。
一方姫神は。

……どうしよう。当麻君が。すごく近い。
背中に手を。回せちゃう距離だよね。

なにせ頬が上条の制服に触れるレベルの距離なのだ。
抱きつくのが目的ではないことになっているから、体の全てを上条に預けたりはしていない。
だけども体温とか匂いとか、それどころか心臓の鼓動さえ聞こえそうな距離に、
姫神は戸惑いと嬉しさを隠せないくらいに感じていた。

「姫神」
「何?」

突然耳のすぐ近くでかけられた声にビクリとなりながら姫神は返事をした。
上条の息遣いがただひたすらに近い。

「気配を完全に見失った。なんつーか、いつまでこうしてればいいかわかんねえ」
「そう。……もうちょっと。隠れていよう」

追っ手の件とは別の、自分の都合で姫神はそう上条に提案した。
そこで上条も気づいた。いつの間にか、姫神との距離が近すぎることに。
二人は互いを見つめたまま硬直していた。
周りを警戒しなければならないはずなのに、姫神の彫りの薄い顔の1パーツ1パーツに
上条視線を縫いとめられてしまっている。
姫神も、上条から視線を外せずにいた。畢竟、二人は見つめあい続けることになる。

「う……」
「……」

姫神が視線をそらせない理由は、それが上条への無関心や嫌悪を意味してしまわないかと不安だったからだった。
上条が硬直してるのは、今日もう何度目か分からないが、
姫神のいつもと違う側面にドキッとさせられているからだった。

僅かに、姫神の唇がわなないた。
緊張に耐えかねたせいかもしれなかった。
それが、上条には誘っているように見える。

誰の視線もないそこで、十センチをつめるだけの簡単な作業。
キスまでの物理的障壁はほとんどないと言ってよかった。

「なあ姫神」
「え……」
「お前、好きなやつとかいるか?」

そんなことを突然聞く上条の態度のせいで、姫神は頭が真っ白になった。
どういう理由で、そんな質問をするんだろう。

唇を開く。言葉の形に整えたはずのそこからは、しかし声が出てこなかった。
後ろに握った手が震える。
浅くなる息を必死で吸い込む。
文にならないのは仕方ない。最低限の音を、なんとか紡ぎだした。

「とうま……くん……」

それが姫神の限界だった。
元から小さな声がさらにかすれ、音の一粒一粒が途切れがちで、抑揚に乏しかった。

「……えっと、なんだ、姫神?」
「え?」

上条の声は、戸惑いを含んでいた。

「いやほら、姫神が俺の名前で呼びかけたまんま黙っちまうからさ。なんなのかと聞きたくなって」
「あ……」

姫神は、ありったけの勇気を振り絞って、答えを口にしたつもりだったのだ。
でも、声調がちょっとおかしかったせいで、そうは受け取ってもらえず、
普段「上条君」と呼びかけるのと同じ意味合いだと理解されたらしかった。

「つーかさ、当麻君ってのは姫神も小っ恥ずかしくないか? なんでそんな呼び方するようになったのか
よくわかんねーけど、付き合ってない男をそう呼ぶのは、あんまりよくないぞ」
「……迷惑。だったかな」
「え、あ、いや。そういうわけじゃないけど。……でも、よくねーよ。さっきも『好きなヤツいるか?』って
質問のすぐ後に『当麻君』ってとこで言葉を切っちまうのもさ」

上条が恥ずかしがっているのを隠すように頭をかいたり、しきりに周囲を警戒している素振りを見せた。

「そういうの、男の側を勘違いさせちまうぞ? 上条さんだって一応健全かつモテない男子高校生なわけで、
姫神みたいな綺麗な女の子とこういうシチュエーションになったらさ、まあなんだ、期待しちまうって、言いますか」

そこまで言って恥ずかしさが規定値を越えたのか、上条が頭を抱えて悶絶しだした。

「だーっ! 今のなし。武士の情けで聞かなかったことにしてくれ」
「私。侍じゃない。……聞き流せないよ」

断じて、聞き流したりなんてできるものではなかった。
上条が自分だけを見ていて、意識してくれているのだ。

「頼むから聞き流してくれ。それと姫神。俺の呼び方も、戻さないか。やっぱドキッとしちまうよ。
お前だって俺から『秋沙』って呼ばれたら……ほら、びっくりして落ち着かないだろ?」

一瞬で体が反応した。上条の声はバリトンに届かない、渋いというほどの声ではない。
だけど、紛れもなく男性の声だ。
上条が紡いだ秋沙という響きは、心地よくなんて思えないくらい爆発的な感情を姫神にもたらした。

「……」

そのまま、長い沈黙の時間が続く。
姫神は心の中にある消化し切れないほどの大きな感情を、必死に咀嚼しているところだった。
抱えている気持ちを、嬉しさを甘味に、気恥ずかしさを酸味に、戸惑いを苦味にたとえるなら、ちょうどグレープフルーツくらいの味だった。
客観的に見れば、峻烈な酸味と程よい苦味は、甘みを引き立てている。
もちろん姫神にはそんな達観は無理で、ただひたすら籠に山盛りになった果物をもてあましていた。
上条は、そんな姫神の心境を斟酌できるわけもなく、頭の中で謝罪の言葉を練っていた。

「その、姫神。嫌な気持ちにさせたみたいで、ごめん。名前で呼んだのは悪かった」
「違うよ……」
「姫神?」
「秋沙……って。呼んで欲しい」
「それって――」

上条が、そこで口ごもった。瞳に真剣な色が湛えられた。
こっそりと姫神は視線を外して、上条の胸の辺りを見つめていた。
体の重みをそっと上条に預ける。それが、姫神の精一杯の意思表明だった。
見えないところにあっても、上条がじっと姫神を見つめてくれていることを、理解していた。

「ひめ……なあ、秋沙」
「――っ」

心臓が跳ねる音がする。

「もし買いかぶられてるんなら困るから一応言っとくけどさ、
俺だって女の子に興味はあるし下心もある普通の男子だからな。
秋沙って下の名前で呼んで、当麻って下の名前で呼び返してくれる女の子を、俺はただの友達だとは思えないんだ。
もっと特別なさ、まあ、彼女とか、そういう関係の女の子だと思う」

上条の制服に僅かに髪が触れる距離。姫神は首を横に振って、
髪と、そして自分の匂いを上条に擦りつけた。

「もし仮に秋沙が、普通の友達として俺を見てるんだったら、
今日の遊びが友達同士の遊びの延長なんだったら、
名前で呼んだり、こういうのをするのは止めよう」

また姫神は、首を横に振った。今度はおでこまでくっつけた。

「首を振るってことは……俺が意識しちまってるのは、間違いじゃないって、
そういうことで……良いんだな?」

僅かに逡巡して、すこしだけ、姫神は頭を縦に振った。

「当麻君の……。当麻君の。気持ちを聞かせて?」

姫神の瞳が潤んでいる。
物凄く、姫神が可愛かった。
上条とて一般男児。自分が「お前のことが好きだ」と一言言うだけで目の前の女の子が靡(なび)いてくれそうなこの瞬間。
いつもならただのクラスメイトとしか見ていない姫神の、ごく何気ないような仕草の一つ一つまでが、
首元に見えるほくろや切りそろえられた前髪までが、鮮やかな驚きを伴って上条の瞳に美しく映る。

「秋沙は、可愛いと、思う」
「えっ」

信じられない言葉を聴いたような顔をして、そして姫神は表情をくしゃりとさせた。

「嬉しい。信じられないよ。当麻君がそんなことを言ってくれるなんて」
「信じられないって何だよ。前から秋沙のことは綺麗だなって、思ってた」
「本当に? でも言ってくれなかったよね」
「いやだってさ、ただの友達にそんなこと言うの、変だろ?」
「そうだね。ただの友達の男の子にそんなこと言われても。困るだけかも」
「今は良いのか?」
「うん。だって。そう言ってくれたのは当麻君だから」
「秋沙」

つい、気がはやった。
知らぬ間に、上条は自分の手が動いて、姫神の肩にかかったことに気がついた。

「あっ……」

どんどん自分の中で、姫神の存在感が大きくなっていく。
インデックスを別とすれば、クラスメイトである姫神はもっとも上条に近しい場所にいる少女なのだ。
学校を休みがちであっても、学生生活という青春を彩る各ページに確かに姫神はいた。
この肩にかけた手を引き寄せるだけで、きっともっと楽しい日々が待っている。
上条は、口の中の渇きを覚えながら、無理矢理つばを飲み込んだ。

その時だった。
カツカツと、ローファの音が再び聞こえてきた。
二人の体が強張る。
見つかると面倒だという以上に、こんな物陰で、こんなにも近い距離にいる自分達が、
もはや誰かに見られたら言い訳の出来ないような、そんな風に感じていた。

「……ったく。なんで私がアイツなんかのこと探さなきゃいけないのよ」

そんなぼやき声が聞こえる。足音の主が御坂美琴であることに疑いはなかった。



御坂美琴は学園都市に数多と存在する電撃使いの、頂点に立つ能力者である。
その能力の高さの一つの発露が、電磁場を電気力線や磁力線として視覚化できることだ。
追いかけるのに消極的であるかのように口では言っておきながら、美琴は能力をフルに活用して二人を追っていた。

建物の端近い、トイレの辺りを歩いているときだった。
つんつんと、目の前で力線が束ねられるのが分かる。緩く集めた糸を引っ張って束ねる感じに近い。
出力としては大したことがない。一本の力線に対応する電束と磁束を小さくし、
力線をかなり高密度に描いてようやく分かるレベルだった。
普段、美琴はそのデータを意識しないようカットしている。なぜなら自分自身が頻繁に発し、
そして学園都市のほぼ全ての住人が発するものだからだ。気にしていてはキリがない。
――メールチェックのための携帯電話の発信、なんてものは。

ふうん、と美琴は心の中で呟く。
丁寧に目を凝らせば、ダンボールの物陰にあたる空間は、金属でもプラスチックでも紙でもない、
生体特有の誘電率と透磁率をしていた。そして多分、二人いる。
みーつけた、とでも声をかけてやろうかと思案したところで、ふと気になる。
そんなところで、高校生の男女が、一体ナニをするというのか。

ふふふ不純よ不純! もしそんなコトしてたら絶対に許さないんだから!
って、だいたいあの二人は付き合ってないみたいだし、ありえないわよそんなの!
ていうか許さないってなによ。別に高校生カップルが街でイチャついてたって、
私は気にしたことなかったじゃない! なんで、こんなに気になるのよもう。

足が、先に進まなかった。真実を知るのが怖いような、そんな気分。
見つめる物影から、さっきの女の声が聞こえてきた。

「当麻君。さっきの。御坂さんのことはどう思ってるの?」

美琴の心臓は、その機能を停止した。




姫神の質問の内容よりも、上条はその声の大きさが気になった。
隠れているのだから見つかっては困るのだ、だというのに姫神の声には遠慮がない。
もとから小さな声だから、あまり気にしていないのかもしれないと上条は思った。

「……」

返事を保留して、辺りの気配を探る。
遠ざかった音は聞こえなかったが、それらしい足音も聞こえない。
気づいているのならここまで見に来るだろうから、おそらく美琴はまた離れたのだろうと上条は判断した。

「ひめ……秋沙。さすがに今の声は大きかったんじゃないか?」
「いいの。それより。ちゃんと返事して欲しい」

上条は質問を反芻する。
御坂のやつのことを、どう思ってるかって?

とりあえず浮かんだのは御坂妹のことだった。あいつら元気にやってるかなー、といった風に。
なんだかんだで美琴とはこまめに会ったり連絡を取ったりしているので、特に思うところはないのだった。
上条は、頼れる人もおらずどうしようもなくなった美琴の、泣き顔を知っている。
美琴の表情が、あのときみたいな絶望の影を背負っていないことを知っている。

「どうって……なんていうか、ビリビリ中学生、だなあ。アイツは」
「え?」
「会うたびになんか突っかかってくるし、勝負だなんだってのが好きみたいなんだよ。
俺の右手に勝てないのが不満らしくてさ、戦えーって言われたり、
体育祭で勝負したりしてるんだ。まあ、まだ子供なんだろうな。
俺もそういうノリは嫌いじゃなくて、結構付き合ってやってるから偉そうなことは言えないけど」
「……そうなんだ。好き。じゃないの?」
「へ? い、いや。そりゃ嫌いなヤツなら相手なんてしないけどさ。
好きとかそういうのとは違うだろ。だって勝負よーなんて言ってくる女の子を
好きになってならないだろ。しかも中学生だし」

姫神は、自分のしたことを自覚していた。
上条の鈍感と、美琴の素直になれない気質を利用して、恋敵に現実という名のナイフを突きつけるつもりだった。
ただ、思わぬほど上条の言葉は鋭利で、そして突きつけるだけのはずが、確実に心臓をえぐっていた。
それは姫神の誤算だった。
目の前にいる姫神という女の子を意識しているが故に御坂という女の子をいつも以上に軽んじてしまう、
そういう男の性は、姫神に計算できるはずもなかった。




足音を立てないのは、強がりだった。
ザクザクと、上条の表裏ない言葉が美琴の胸に突き刺さる。
美琴はなぜ自分が傷ついてるのかも分からないまま、これ以上上条の言葉を聴きたくなくて、
そっと二人から離れた。

別に、アイツが私のことどうとも思ってないって、わかってたじゃない。
っていうかどう思われてようが私には別に関係ないじゃない。
なんで、なんでこんなにココロが痛いのよ。ワケわかんない。

「ん? あれ嬢ちゃん、カミやんは見つかったのかにゃー?」

鬱陶しいその声を無視して、美琴は上条たちから遠いほうの出口へと去っていった。

「どないしたんやろ。何やらあの子すごい怒ってたみたいやけど」
「分かってないにゃー。あれは泣き顔ぜよ」
「ええー。そうかなあ?」
「あれくらいの子は素直になれない年頃なんだにゃー」
「舞夏ちゃんも素直なとこ見せてくれへんのんかな? お兄さんはつらいねー」
「まっ、舞夏はそんなことないぜよ。それより、嬢ちゃんの来た方に行くぞ。たぶんカミやんはあそこだ」
「せやね。あの子のあの表情がカミやんがらみなんは間違いあらへんし」

二人はトイレや非常口などの集まった、商業施設としては「影」にあたるその一角を目指して歩きだした。

姫神は、かすかに美琴の立ち去る音を聞いて、そっとため息をついた。

「当麻君は。女の子の気持ちを分からない人だね」
「……え?」

上条はまったく脈絡のない姫神のコメントに困惑した。
姫神が自分の毛先を整えるように軽く払った。

「……私も。酷いことをした人だけど」
「あのう、秋沙さん? よくわからないんですが」
「いいの。わからなくて。それに悪いと思っても。私は譲る気なんてなかった。
それより当麻君。そろそろ。逃げないと土御門君たちに見つかると思う」
「あ、ああ。そうだな。さすがにここも潮時だろうな。けど、見つからない逃げ口っつったら……」

荷物搬入口。たしかにトラックの発着がある以上そこから逃げられるだろうが、
制服を着た男女の高校生は常識的に考えてそんなところを通らない。

「大丈夫。見つかってもなんとかなるよ」

姫神が、上条の腕をそっと抱きこんで、そちらへと導いた。
主張に薄い性格でありながら、意外とこういう曲面ではためらいのない姫神だった。

その3へ

ツールボックス

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