とある世界の残酷歌劇 > 終幕 > 08


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「はっ――はっ――」

酷使された心臓と肺が熱を持っているのが分かる。
それに先程からずっと、ごうごうと耳鳴りが止まない。

「はっ――」

息をするのも苦しい。
喉は干乾び、舌が貼り付きそうになる。
唾液も口内を潤すには足りるはずもなく、粘つくような不快感しか生まない。

「っ――は――」

思考は酩酊し、視界も靄が掛かったように朧だ。
四肢の感覚は既に失われ、痛みすら生まない。

筋肉から僅かに感じるのは重さだけだ。

切り捨ててしまえば楽だろうか、と益体もない考えが霞掛かった脳を過ぎった。

無我夢中というのはこういうことを指すのだろう。

我を忘れ、まるで深い霧の中を行くように目的地すら定まらない。
何処へ辿り着けば両足が止まってくれるのか、自分でも分かってはいない。

そんな漠然とした道に射すように、音が聞こえた。

「は――、――」

歌だ。



「――――」

歌声に導かれるように爪先が向く。

その音色を間違えるはずもない。

手足の痛みも、胸の熱も、脳裏の霧も忘れてしまうほど。
絶対的な確信がそこにあった。

だからというように。

何故だか全く人通りのない街路に独り、彼女はベンチに腰掛け夜空を見上げていた。
唇から漏れる歌声は確かに耳に残っていて。

暗闇の中から浮かび上がったその髪色を目にした時、自然と言葉が生まれた。

「――――フレンダ!!」

叫びに歌声が止まる。

そして彼女はゆっくりとこちらを振り返り。

「――や。結局、遅かったわね。麦野」

いつものように微笑んだ。



「――――」

言葉を紡げない。

喉は酸素を求めて喘ぐことしかできず、声を発する余裕は先の一言で全て消費されてしまっていた。
立ち止まってしまった以上、もはや手も足も動いてはくれない。

麦野は崩れそうになる身体を強引に起こし、ただ彼女を見ている他なかった。

瞳は感情に揺れている。
その大半は疑問の色を持っていた。

何故。

どうして。

言いたいことも、問い詰めたいことも、幾らでもある。
けれど口からは熱い吐息しか漏れず、声にすることができない。

そんな麦野にフレンダは緩くウェーブの掛かった髪を僅かに吹く風に流しながら柔らかく微笑むだけだった。

そして幾許かの時が流れ、ようやく何とか言葉を紡げそうになったところで。

「――――ねえ」

と、フレンダが先を回るように言った。

「どうして――こんな事になっちゃったのかな」



「っ――――!!」

その一言に放とうとしていた全ての言葉が潰された。

替わりに生まれたのは疑問ではなく激昂だった。

「アンタが――っ!!」

感情が溢れ返り、塞栓を起こす。
それに続く言葉が余りにも多すぎて、逆に何も言えなくなった。

詰まる言葉はどれもが彼女の先の言葉に対する憤りだ。
彼女の喉元まで出掛かっているそれらは行き場を失い麦野の体の内で暴れる。

「そう。結局のところ、結果的に私が仕組んだ訳」

しかしその全てをフレンダは一言で代弁した。

「そうね……私がアイツを繋ぎ止めたから、悪いのよ」

頷き、でも、と首を振る。

「私は結局、それ以外にできなかった。だって――」

微笑みのまま言う。

「他ならぬアイツが、命を賭してまで守ったんだもの」



「――――――どう、いう」

「麦野には分からないわよね、結局」

ふ、と小さく息を吐き、フレンダは肩を竦めた。

「もしかしたら他に幾らでもやり様があったのかもしれないわ。
 それ以外にも道があるのかもしれなかった。
 きっとあそこが全部の基点で、そこから色んなことに影響していた。
 誰が生きて、誰が死んで、何がどうなるのか。一連の因果はあの時に集約されるのよ。
 いわゆる分岐点。選択肢がある場所。ゲームなら間違いなくセーブしておくべきポイント。
 でも現実にはそんなものはないし、過去は取り返せない。
 時の流れは不可逆で、起こった事は何があっても覆せない。
 過去は変わらず、未来だけが刻々と変化していく。結局、世界っていうのはそういう風にできてるのよ」

「アンタ――何を、言って――」

上擦るような麦野の声に彼女が答えることはない。
フレンダはただ、麦野を見る目を細めるだけだった。

「私はこうするしかできなかった。
 そして結局、それが全部を台無しにした。だからきっと、私が悪いのよ」

微笑み、しかし。

「だけどさ――」

嘆くように彼女は言う。

「私だって、ねえ、大切なものがあったのよ」



その言葉に、麦野の視界はまるで酩酊のような色を得る。

「じゃあ――!」

その時、咄嗟に口にしてしまった言葉は、後戻りできなくなるものだった。

「アンタにとっての『アイテム』ってのは、そうじゃなかったってことなの!?」

「……」

血を吐くような叫びに、フレンダは矢張り微笑みを返した。

「馬鹿ね。そんなはずないじゃん」

「だったら――、――!」

その先に何と言おうと、当の麦野にしても分からない。

続く言葉を失い歯噛みする麦野に、しかしフレンダは問い掛ける。

「麦野はさ、なんで『アイテム』なんてやってるの?」

「――――え?」



予想外の問いに、麦野の思考は固まる。

何を今さら、とも思う。

『アイテム』は彼女たちの存在意義だ。
ある種の大前提であり、覆すことはできない。

なのに、フレンダは何故と問う。

それは一体どういう意味かと、考えるよりも、問い返すよりも早く、フレンダは続けた。

「どうしてって、聞かれても困るわよね。だって理由なんてないんだもん。
 選択の余地すらない。『アイテム』として生きるか、そうでないかの二択。
 不条理よね。理不尽よね。でもそんなの大抵どこでも同じようなものじゃない。
 結局ただ単に、少しばかり皆が不幸だったってだけの話」

でもね、とフレンダは言う。

「私は、違うもの」

そう微笑む。

「麦野も、滝壺も、絹旗も、結局のところはみんな似たような境遇な訳じゃない。
 でも私は違う。私だけは違う。一人だけ、前提条件が間違ってる。
 確かにフレンダ=セイヴェルンは『アイテム』の構成員よ。だけどさ――」

「っ――!」

麦野は気付く。

先の問いが、残っていたかもしれない最後の道を断ってしまったことに。

この先を言わせてはいけない。
既に事態は断崖へ向かって疾走している。
残された距離は僅かしかなく、後戻りできるような状況ではない。

「フレンダ、アンタ――!」

だからせめて、少しだけでも食い止めようと叫ぶ。

けれど悲痛な叫びに、フレンダは矢張り変わらず、どこか泣き顔にも見える微笑を浮かべたまま――。

「だけど『私』は、『心理掌握』違うわ。
 私が『アイテム』である事を強要されることなんてなかったんだもの」



そう、『アイテム』の中で彼女だけが唯一立場が異なる。

滝壺も、絹旗も――そして麦野も、他に居場所などなかった。
自ら進んでそうなったはずもない。けれど彼女らには他に選択肢などなかった。
『置き去り』と呼ばれる彼女らにはそうでもしなければ生きる術がなかったから。

しかしただ一人、フレンダだけが立場を違えていた。

学園都市最古の超能力者、初代虚数学区、『心理掌握』。
他者の精神を乗っ取り、自分の形に書き直すという能力を有する超能力者。

その実体は、肉体を持たず、人の脳に寄生する精神生命体に近い。
幾つもの名と顔を持ちながらそのどれでもないという埒外の存在。
この学園都市においてAIM拡散力場という土壌がある限り、彼女は誰にも縛られず、誰にも止められない。

最も神座に近く、しかし神座には至れないとされたが故の序列第五位。

他の三人とは違う。
彼女は『アイテム』などなくとも関係ない。

「でも――!」

しかし否定の言葉を麦野は叫ぶ。

「アンタだって、皆で一緒にいようって、言ってたじゃない――!」

「……」
            私 た ち
「アンタにとっての『アイテム』っていうのは何だったのよ!
 アンタがどこの誰だろうと知らないわ!
 でも――『アンタ』は私たちの仲間だったでしょう!?
 それともそう思ってたのはこっちだけで、全部嘘だったって言う訳!?
 答えてよ、答えなさい、フレンダ=セイヴェルン――!!」



血を吐くような彼女の叫びに、フレンダは静かに微笑みを返す。

「結局――そんなはずがないじゃない」

目を細め、ともすれば泣き出しそうな微笑を浮かべそう言った。

「だったらどうして――こんな事になってんのよ!
 滝壺も、浜面も死んだ! 絹旗もあの様よ!
 アンタが言う『アイテム』っていうのはもう跡形もない!
 それでもアンタはこの残骸を見て大切だったって言う訳!?」

「そうよ」

フレンダは迷う事なく頷き、言った。

「じゃあなんで……!」

「結局、その事については私の失策だったって訳よ」

麦野の言葉に僅かに顔を歪める。

「どうしようもない凡ミス。私が甘かったってだけ。
 結局、あっちが一枚上手だったってだけの話。弁解の余地も無いわ」

ふ、と短く息を吐き。

「でもね、例えこうなったとしても、私はそうせざるを得なかった。
 言ったでしょ? 私は麦野や、滝壺や、絹旗とは違うって」



そう、彼女だけが例外だった。
彼女だけが『アイテム』に依存していなかった。

「ねえ麦野。どうして私が『アイテム』にいたのか、言ったことなかったわよね」

ならば――どうして彼女は暗部に身を窶していたのか。

「私はね、普通が欲しかった。
 超能力とか、『心理掌握』とか関係ないただの『普通』。
 私が『アイテム』であった理由は、たったそれだけなのよ」

身の丈に合わぬ高望みをしたから悪いのだろう。

「私には皆とは違って、他にも欲しいものがあった。守りたいものがあった。
 私が一人だけ卑怯だったから、罰が当たったのかな。
 ――ああ、うん。違うわね。結局、こういうのをきっと――」

不幸だった、と言うべきなのだろうと彼女は嘯き。

「――――!!」

その先にある断崖を麦野は、見た。

転がり落ちる先の末路を、麦野はこの時始めて直視した。
誰も彼もが不幸になって、諸共に墜ちる奈落がそこにある。

最悪の結末という深淵の魔物が大きく口を開いて待ち構えている。



「駄目――」

ずっと目を逸らしていた。
きっとどうにかなるだろうと淡い期待を懐いていた。

口から漏れる言葉の隅で、どうしてそんな甘い考えをしてしまっていたのだろうとふと思った。

答えはすぐに見つかる。
そんなものは一つしかない。

あの時、彼に懐いてしまった期待が全てを破滅へと導いた。
要するにこれは賭けの負債なのだ。

彼は賭けに負けた。

たったそれだけ。
単純明白、簡潔な答えだ。

「だから――」

敗因については、ただ運が悪かったとしか言えない。
しかし結果として、賭けのつけを払わされる事になる。

そこで待ち構えている恐ろしい魔物をようやく理解し、麦野は。

「言うな、フレンダ――!!」

ただ叫ぶことしかできず。


     、 、 、 、 、 、 、 、 、  、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、 、、 、 、 、 、 、 、 、 、
「結局、それを台無しにした垣根帝督をそのままにしておくなんてできなかった」



彼女と彼女にとっての最後の一歩がその一言で踏み出された。



「――アンタ、それ、分かってて言ってんの」

麦野の押し殺すような声。
その言葉にフレンダはただ無言で微笑みを返すだけだった。

「その理屈だと、私は」

彼女がそう言うのであれば。


            『 ア イ テ ム 』
――麦野もまた、守りたかったものを台無しにした彼女を。



「ごめんね、麦野」

じゃり、と靴が砂を噛む音。
フレンダはゆっくりと麦野に歩み寄る。

「アンタはいっつも、そうやって人に全部押し付けて――!」

麦野の言葉にフレンダは苦笑する他なかった。

そして僅かな距離をおいて対峙し、フレンダは足を止める。
身長差がある。俯く麦野をやや見上げるようにフレンダは笑った。

「そっか」

彼女の顔を見、フレンダは言う。

「結局、麦野はそう思っててくれるんだね」



柔らかく笑い、そしてフレンダは目を瞑り、回想する。

それは在りし日の光景だ。

上辺だけの言葉で取り繕い、嘘に塗れた関係を繋ぎ止めていた。
本当の感情を仮面で塗り潰し隠して送っていた。

全てが全て虚構に彩られていたような、そんな場景だった。

けれど、失われてなお目蓋の裏に焼き付いた、きっと眩しいと思える日々。

彼女の記憶は余りに確かで、その時々の感触までもがありありと思い出せる。

(――ああ、嫌だなあ)

胸にある諦観と共に目を開く。
するとそこには麦野の顔があった。

「あのさ、麦野」

苦笑して、フレンダは言った。

「もし全部をやり直せるなら、今度はもっと上手くやってさ。
 ――結局、また皆で仲良くやれたらいいなあ」



あるはずのないその言葉に麦野は。



「――アンタのそういうご都合主義なところ、大嫌い」



言葉と共に、光がフレンダの胸を貫いた。

心臓に突き立てられた超高熱の『原子崩し』の光剣は、瞬間的に血液を沸騰させた。
膨張したそれは体積を増して圧迫し、脆い毛細血管が破裂する。

つ、と目と鼻から赤黒い血の筋が垂れ。

「――くふ」

と、えずくような音。
肺の空気と共に口の端から血が滴り落ちた。

己の能力の持つ自動的な精神防御は心臓と脊髄を焼き貫かれても即死させてくれはしない。
それを幸と取るか、不幸と取るかはさて置き、一瞬の猶予がそこにあった。

「――――――」

死の間際、唇が僅かに動き言葉を紡ごうとして、しかし声にならず。

そしてようやく少女の身体から力が失われた。



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