とある世界の残酷歌劇 > 幕前 > 16


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何が正しくて何が間違ってるかなんてどうでもよかった。

ベッドの上に身を投げ出したまま目を伏せていた。
目を開けば下らない世界が見えてしまって泣きたくなる。だから目を閉じたまま暗闇に身を任せる。
そうすれば頭の中までも柔らかな黒に埋め尽くされて何も考えずに済むと思った。

――どうして?

シーツの海はまるで羊水に漂っているようで、嫌な事を考えなくていい気がする。
まどろみの中にたゆたうように、思考も何もかも放棄して安穏とした惰眠を貪るように。

世界は優しくなんかない。

理不尽。不条理。災難。事故。悪意。酩酊。喪失。忘却。
意のままに事が進むなどあるはずがなく、幸福の絶対値は常にマイナスへと傾いている。
何を以って幸と定義するかは人それぞれだけれど、不幸の定義は常に似通っている。

幸福は天からの贈り物だという。

だとすれば世界は不幸に満ちているのだろう。

それはきっと呪いのようなもの。
生きる限り常に苛まれ蝕まれる。満ち満ちた泥の中をもがくように生きるしかない。
傷付き、溺れ、喘ぎ、凍えながら。きっとつまり、この世に生れ落ちた事自体が不幸なのだ。

幸福などという訳の分からないありがたいものを誰かから恵んでいただかなければやってられないくらいに世界はどうしようもなく最悪だ。
青い鳥の居場所を必死に探して、見つけたら逃がさないように籠の中に閉じ込めて。
それを幸せなのだと自分に言い聞かせて他の事からは目を逸らす。

誰もがそうして現実逃避を繰り返しながら生きている。
直視すれば目が潰れる。どうしようもない世界には絶望するしかなくて、きっと壊れてしまう。

人はそんなに頑丈じゃない。
信念は簡単に折れてしまうし希望は呆気なく砕け散る。
大昔に流行ったらしい根性論とかいう馬鹿げた理屈は幻想だ。
愛とか勇気とか友情とか努力とか、結局のところ蜃気楼の偶像でしかない。
あるとすればただの思い込み。プラシーボ効果。結局真実なんて何一つ見えてなんかない。

世界は見方一つで百八十度変わる。
誰もが自分だけの現実を持っていて、それに縋って生きている。



現実の一般定義なんて明確なものは誰も持っていなくて、皆それぞれの色眼鏡を通して世界を観測している。

悪意の塊のような人物であってもきっと誰かに愛されている。
善意の塊のような人物であってもきっと疎ましがる者もいる。

主観でしか世界は形作られず共通意識は存在しない。
客観というものはたまたま主観が一致したか、でなければそう錯覚しているだけだ。

誰もが孤独に生きている。結局どこまでいっても人は独りだ。
真実を知り得た者は、達観か諦念か発狂か自死か、いずれかの境地に辿り着く。

――けれど私の場合はほんの少し違った。

達観を嘯くには幼すぎ、諦念に逃げるには覚悟が足りず、自死に迷うには経験がない。
結果残された道は発狂しかないのだけれど、それよりも前に壊れてしまった。

誰かが救いの手を差し伸べてくれるなんて事はない。

この世界にカミサマなんていない。

願いも祈りも届きはしない。
世の中なるようにしかならない。ご都合主義なんて始めから存在しない。
別に運命を信じている訳ではないけれど、奇跡なんか起こりようがないくらいに世界は理路整然としている。

誰もが薄々気付きながらも目を逸らしている事実。それが世界の真理だ。
けれど人は信じる事を止められない。希望を持たずにはいられない。
目の前にニンジンをぶら下げられなければ走る事もできない。それが例え虚像だとしても。

宗教で戦争が起きるなんて馬鹿馬鹿しい話だ。架空の誰かさんを勝手に祭り上げて人を[ピーーー]ための言い訳にしているのだから。
でも、そんな馬鹿馬鹿しいものに縋らなければやっていられないのだろう。
見えないナニカを盲信して、何もかもを忘却して、思考を放棄して、判断すら依託して。酒に溺れるように偶像を信仰する。

信じる者は救われる。確かにその通りだ。
きっと彼らはそれで救われているのだろう。

何かを拠り所にして寄り掛からなければ人は簡単に倒れてしまう。

形は違うけれどそれは信仰の形だろう。
人という字は、なんて文句が事あるごとに使われるけれど本当にその通りだ。
支えを失った人間は脆い。倒れたら一人で起き上がる事もできない。

そういう意味では――辛うじて倒れていないというだけで――。

本当はもう――。



「…………」

無意識の内に手を伸ばす。

右手を、左肩へ。柔らかい女の肌が指に触れる。
けれど関節から数センチのところを境に変化する。

僅かに窪んだ継ぎ目の先は柔らかく、つるつるとしたゴムのような触感。強く押せば覆われた下にある硬いものが感じられる。
リン酸カルシウムの組織ではなく、カーボンナノチューブで作られたフレーム。人工の骨が埋まっている。

脈は感じない。
血液は流れているけれどフレームの内側で接続されている。フィルタを通さなければいけないから。
ゆっくりと二の腕の表面を指でなぞる。擬似球体関節になっている肘の先、前腕の中程から再び生の肌に戻る。

自分のものとは少し違う質感に微かな違和感を覚える。
肌の質、肉の硬さ、骨の太さ、一つ一つは些細かもしれないけれど明らかに違っている。

指先に僅かに力を入れる――脳の指令は電気信号となり神経を伝達し筋肉を収縮させる。
間に幾つかの機構を媒介して、信号が指先へと伝達される。

ぴくり――と指先が動く。
それだけの事に嬉しくなってしまい口を綻ばせてしまう。

肩と、それから肘――の代わりになっている部位を動かして左腕の先を顔の前に持ってくる。

そして目を開けば。

視界いっぱいに右手があった。

「――――当麻」

再び目を瞑り、頬擦りすると優しい感触が返ってくる。
するとどうしてだか涙が込み上げてきて、見ている相手もいないのに慌てて拭った。

「あ――」

指先に涙が付いてしまった。
でも撫でてもらえたみたいで嬉しかった。
それでまた涙が出てしまいそうになる。

だから、嬉しいのも悲しいのも楽しいのも辛いのも、全部綯い交ぜにして指先に口付けた。



唇に伝わってくる感触は暖かい。
それが嬉しくて悲しくて、夢中になって口付けする。

愛してる、愛してる、愛してると狂ったように想いを唇に託して。
夢中になってキスを繰り返した。

「は――あ――」

啄ばむように唇で挟み、喘ぐように吐息が漏れる。

酒に酔えばこういう感じになるのだろうか、と頭の隅を冷めた思考が過ぎったけれど、すぐに溶けて消えてしまった。

熱病に浮かされたように体が火照る。
頭の中はたった一つの事で埋め尽くされてしまってまともな思考ができない。

「当麻――」

その言葉に答える者はいないと分かっていても黙殺した。

彼の名を呼ばずにはいられなかった。

愛しい人の腕に抱かれた時のように。
あるいは泣きじゃくる子供のように。

そうしないと何もかも全て壊れてしまいそうだった。

この想いが最後に残ったただ一つの支えなのだ。
どうしようもなくちっぽけで、端から見ればそんなものを拠り所にするのは狂っているとしか思えなくとも。
たった一つ、まるで小さなガラス玉を宝物だと言い張る子供のように。

世界は不幸で満ちている。

幸福なんて降ってこない。

だから何より大切な物を抱き締めずにはいられない。
手の中に大事に持って、離さないようにずっと。

幸せの鳥はすぐに逃げてしまう。だから籠が要るのだ。
逃げてしまわないように、手放さないように、ずっとずっと大切に抱きしめていなければならない。
そうしていればきっと幸せでいられる。

両目はもう伏せたままだった。



人差し指の先をそっと口に含む。
舌でくすぐると仄かな甘みを感じる。

ああ――――。

脳裏に浮かぶのは、間違いなく幸せの光景だ。
唇と舌に感じた瞬間を思い出すように、もっと、と唇を寄せた。

口の中をくすぐられて得も知れぬ感覚に痺れる。
それがとても心地よくて、より深く指を飲み込もうとしてしまう。

「ふ――」

吐息に混じり頭の隅で誰かが小さく囁いた。

もしかしたらあったかもしれない光景。
それはきっと幸せの瞬間だろう。

ああ、つまりこれは――もう起こるはずのないその時を空想しているのだ。

「――――」

思考から切り離された部分で囁く声は続く。

この行為がどういうものなのか分からないはずがない。
相手の意思など構いもせず、勝手に涙を流しているだけだ。

口も利けないのをいい事に弄び悦に浸っている、文字通りの自慰行為。

いや――そう称すにもおこがましい。

相手の意思は既に亡く、後に在るのはただの残滓だ。
それを言い訳にする事などできない。何より愛しいと思うならばこそ赦されるはずがない。

きっと何より死者を愚弄する行為。これはただ独りで善がっているだけに過ぎない。
想いの毒に浸すように、弔いもせず死を否定する最悪の行い。

これは死姦だ。

「――――」

そんな事は分かっている。
けれど止めようとする理性はとうに失われていて、残っているのは狂おしいほどの慕情だけ。

たった一つ大事だと思うもの以外は全て捨ててしまった。
一番以外は切り捨てて、二番目も三番目も何もかも。
絶対に捨ててはいけないものも手放してしまわなければ抱き締められなかったから。

私はきっと、救いようのない馬鹿な娘なのだろう。



指紋の一つ一つまで感じるように丁寧に舌先でなぞる。
微かな粘液質の音だけが耳に反響して世界がそれに満たされているかのように錯覚する。

唇と、舌と、歯と、口内の粘膜を使って愛撫する。
愛撫。いい言葉だ。愛しい愛しいと撫でるというその字は間違いなくこれだ。

ぞろりと指を引き抜かれ、名残惜しさが後に残る。
手の甲に口付け、軽く舌でなぞり、それからゆっくりと手を導く。

「ん――」

優しく撫でられ、たったそれだけで震えそうになる。
触れ合った部分は暖かい。指先の動きが強張った体を溶かすようだった。

下着をずらし、直接触れ合う。

最初はくすぐるように微かに。それから次第に強く。
ゆっくりと解きほぐすように手が動く。
手の平に収まるくらいのサイズで申し訳ないけれど、きっとそれでもいいと言ってくれる。

「っ――」

吐く息は熱く、意識は朦朧としている。
それでやっぱり、これは熱病なんだと改めて思う。
恋の病は心臓と脳をぎしぎしと蝕み続ける。

とっくに硬くなってしまっている部分を指に挟まれ、思わず声を上げてしまいそうになる。
声が漏れても構わないと思いながらもどうしてだか押し殺してしまった。

「は――、っ――」

もう指は乾いてしまって、少し貼り付くように肌を擦る。
だから再び唇に寄せた。それで傷を癒せると祈るように丁寧に濡らす。

「ん、ちゅ――」

湿った音に少しばかりの恥ずかしさを覚える。
けれど思考はそれがどうしてなのか判断できないくらいに朦朧としていて、だから深く考えずに済んだ。



離された指は、脇を掠め、ゆっくりと下腹へと伸ばされる。
肌と下着の間に滑り込み、和毛をくすぐるような動きに体がぴくりと反応する。
その小さな身動ぎがどうにも恥ずかしくて小さく息を吐いた。

く、としなやかな指先に力が込められる。
ぬめるような感触と共に肉内に埋没してゆく。
唾液と、そうでないものが潤滑油になって思いの他すんなりと。

痺れるような甘さが走る。

暖かいような冷たいような、痛いようなくすぐったいような、奇妙な感覚。
ほんの少し動くだけでも脳に火花が咲き思考が寸断されてしまう。

優しく、けれど強く。愛撫される。
肉に分け入り、甘くこそがれる。ともすれば引っ掻くように。

小さな水音に顔が紅潮してしまうのが分かる。
いや、きっと全身がそうだろう。目を開ける勇気はないが。

「ん――っ、は――」

漏れ出る声も羞恥心を誘う。きっと今、酷く嫌らしい顔をしているだろう。

けれど感じる事ができる自分が何故だか嬉しかった。
好きなヒトに触れられているのだ。そうでなくてはおかしい。

「とう、まぁ――」

愛しい名を呼ぶだけで心が震える。たったそれだけで達してしまいそう。
えも知れぬ幸福感に身を浸すように肺に溜まった熱を吐きシーツの海に身を沈める。

「く――っは――」

全身を苛む痺れにもがくように体をよじる。
割り込み押し広げようとする動きに対し、離すまいとするかのように強く抱きしめているのが分かる。
意識する事なく動いてしまっている。考えるまでもなく体は正直なのだと嬉しくなった。

心も、体も、魂さえも彼を愛している。
自分という存在全てが彼を愛するために存在している
爪の先から髪の毛の一本に至るまでもが彼だけのために在る。



「っ――くふ――」

喜悦に濡れた音が口の端から漏れる。

それは果たして笑声なのか苦悶なのか、自分でも理解できなかった。
けれど上げた嬌声は当人の意思など関係なく、ただ瞑した闇の中に溶けて消えてゆくだけだった。

ぬるま湯の中に漂うような不思議な気分に身をゆだね、指の動くままに任せる。
赤い靄が掛かったような頭では、吐く息も、軋む体も、何もかもが朧げだった。

世界が曖昧で不確かになっていく。
そんな中で、体内に感じる異物だけが何よりもはっきりしていた。

どこかの巫山戯た狂人に言わせれば世界は自分が見たままそのものだという。
彼の戯言を鵜呑みにする訳ではないが、もしそうなのだとしたら。

五感はどれも曖昧模糊として、外界を知ることはできない。
そんな状態ならばきっと世界には自分がたった一人存在している。
他は全て排斥され、残されたのは自己という限りなく漠然とした存在だった。

そんな自分の中に異物を感じる。
自己ではない他者。それが曖昧な自分の中に影を落とし、その輪郭を模ってゆく。
他者という比較対象を得たことで自己が確実なものとなってゆく。

下腹部がじわりと疼く。

ああ――ならばきっと、世界は愛に満ちている。

限りなく濃縮された世界は自分自身だけ。
その内に他者を感じることで世界は成り立っている。

異なる者と一体となる行為が世界を創造する。
その引き金となる火花が愛という名のものだとしたら、世界は愛によって創られている。

この歓喜を表すには言葉はあまりに不便なものだけれど、あえて表現するなら――気持ちいい、と。
心臓は高く早鐘を打ち鳴らし、血管の中をごうごうと命の水が奔流となって吹き荒れる。
満ち足りて、補われて、触れ合って、世界が溢れ返る。

「――――――っ」

息をするのも忘れるほどの充足感。閉じられた闇の中に火花が散る。
全身が張り詰め、内側から弾けてしまいそう。
息が詰まり声も出せず、数瞬の白く染まった世界の中で何もできず、ただ身を任せるしかなかった。

「………………ぁ」

ようやく口から出た声は言葉にもならず、茫とした意識の中どこか他人のもののように聞こえた。

そして。








「…………最低よね」





一雫――頬を伝う何かと一緒に、多分最後に残っていたいらないものが零れ落ちた。







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