とある世界の残酷歌劇 > 幕前 > 15


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己の人生について振り返ってみよう。

自身とは一体何なのか。

哲学者を気取って戯言を吐こうとは思わない。
ここでの意味は、例えばもし森羅万象あらゆる事象を記した書物があったとすれば、自身の名の項にはどのような事が書かれるか。
伝記ではなく、客観的に簡潔に記された、それでいて究極的にその本質を指す短い文章でどのように表されるか。
一つ問題があるとすれば、それを探すときどの名を引けばよいのだろうという事くらいなもので。

過去と現在と未来。
まずは単純に三つの区切りで考えてみよう。



何処から来て、何処に至り、何処へ往くのか。



過去。
つまり生の瞬間から現在に至るまで。

彼の場合、恐らく他の多くの者とは意味が異なる。
己が人生において誕生の瞬間は母の胎内から零れ落ちた場面ではなく、この街の門を潜った時だろう。
それ以前の記憶は曖昧で、それはつまりどうでもいいという事に違いない。

悪魔と呼ばれた。

話によれば悪魔とやらいう代物は女の胎から産まれるものではなく、木の股から湧いて出るものらしい。
なるほど。だとすれば、母を持たない異形の存在は悪魔と呼ばれるに相応しい。

初めは周りと区別の付かなかった外見も次第に変化していった。
伝承というものもいまいち当てにならない。悪魔は黒いなどという先入観は全くの間違いだった。

悪魔とはどうやら白いものらしかった。

鍍金が剥げ落ちるように徐々に色素が抜けてゆく。
余分な肉も磨耗してしまって中身が透けて見えるほどになった。

白い線だけで形作られるようなその身は恐らく死そのものだ。生憎と鎌は持ち合わせていないが。
それでも一目見ただけで明らかに違うと理解できる。彼とすれ違う人々は一様に目を瞠り、それから慌てて目を逸らす。
気付かない振りをして、どうか気付いてくれるなと心の中で念じるのだ。



未来。
つまり生の帰結、死の瞬間に至るまで。

彼の場合、恐らく他の多くの者とは意味が異なる。
予定調和。予め定められた法則に従い本来在るべき場所へと回帰する。
それ以外に選択肢はなく、振り返ることも立ち止まることもできず、ただ直進するしかない。

つまり地獄だ。

人界に悪魔がいるという事態こそが間違っている。人外の身が在るべきは矢張り相応の場所だろう。
この世の条理に照らし合わせても、まかり間違って人として裁かれる事があったとしても地獄逝きは約束されているようなものだ。

一〇〇三一人の少女を殺戮せしめた稀代の悪魔は地獄に墜ちて然るべきだ。
そういうものは相応の場にこそ相応しい。逝き着く場所は最初から一つしかないのだ。

元より彼に架せられた呪い名はそういうものだ。

ただひたすらに、脇目も振らず突き進むしかできない。
それ以外の全ては許されず、思考する暇すら与えられず、単一行動しかできない瑣末な機構。

初めの頃は、夢とか希望とか、そういう人々が賛美してやまないものがあったのかもしれない。
けれどいつだっただろうか、虚影に過ぎないと理解した。そういう人並みの幸福を望めるような存在ではないと自覚した。
存在自体が不幸の塊。いるだけで悪夢を撒き散らすもの。誰彼構わず引き摺り込む奈落という名のそれだ。



そして現在。
つまり悪魔と呼ばれた彼が未だ人界に留まっている理由。

彼の場合、恐らく他の者とは意味が異なる。
生きるのではない。生への執着はとうに失われ、彼にとっての生とは死への緩慢な行軍に過ぎない。
一歩、また一歩と無明の道を歩み続ける行為は目隠しの綱渡りに等しい。それでも彼は決して歩みを止めはしない。

ではその力の源は何なのだろうかと問う。

生の活力は嫉妬と羨望、憧憬、そして分不相応な希望だ。
現在より未来へ、未知の先に何かがあるかもしれないという根拠のない漠然とした期待に縋り一歩を踏み出す。

しかし彼の場合は勝手が違う。人界の条理を人外に求める事はできない。
元より違った存在に常識は当てはまらない。馬の耳に念仏、所詮人の理は人間という限られたコミュニティにしか通用しない。

彼の場合、それを自身ではなく他者に求める。

代替行為。人から外れた身でありながら人に憧れた鬼は、それを誰よりも深く理解していた。
さにあらん。彼の持つ性質はそういう類のものであり、そうであったからこそ、かく成った。

己に不可能な物事を他者に依託し身代わりとする。彼が執着しているのは、自身ではなく他者の生だ。
依存ともいえる。彼は己に対し淡白であったが、優先順位が違うのだから仕方がない。
本来人は利己的な生物だ。自己中心的。全てが己の望むままにある事が至上と定義する。

であれば、人ならざる彼はそれと異なる。

己を他に――他を己に投影する。

彼の出会った一人の少女。
白い悪魔の前に舞い降りた小さな天使。

比類なき暴虐の徒は、他の何かと比べるという事がなかった。
彼が最強にして究極、無双の存在だからこそ、他と比べるという事ができなかった。
けれどあまりに無力で小さなその光は、どうしてだろうか、彼ととてもよく似ていて。

彼は初めて他者を知る。



鮮烈であった。
彼女もまた人ならざるものであったからこそなのだろうか。
酷く似通った、けれど決して相容れない存在。反発しあう相克。
彼が地獄だとすれば彼女は天上であろう。彼女が希望ならば彼は絶望だろう。

そして彼は慟哭する。
何もかもを飲み込まんとする深遠の奈落だったからこそなのかもしれない。
吹けば飛ぶ、撫でれば消える程度の小さな光であった彼女を、けれど彼はどうしてだろうか、愛しく思ったのだ。

彼女は彼の持たぬ全てを持っていた。

嫉妬し、羨望し、憧憬した。
当然の結果である。それらの感情は受動的であり、他者がいなければ存在しない。
それは自分に持ち得ぬものを持った者に抱くもの。
他者を自らに重ね、けれど叶わないと知って初めて生まれる感情だ。

彼は初めて確かな希望を見た。

そして彼は恋に落ちる。

正確にはそれは恋心ではない。ただ、性質としては恋慕に近い。
異形の怪物である彼は彼女の光に魅せられたのだ。仮面の怪人がそうであったように。

彼女に己を依託する。

つまり彼の生とは彼女の生だ。
彼女の為に生き、彼女の為に死ぬ。
きっとそれが唯一の彼女と彼女らへの贖罪だった。

彼にも救いはあったのかもしれない。



だが結果を見てみればどうだ。
腕に抱かれた少女の温もりを感じながら彼は瞑目する。

少女は動かない。

反射としての瞬きや呼吸はある。発熱し代謝もある。促せば食事もする。
だが虚空を見詰める意思の籠もらない双眸は果たして生きていると言えるのだろうか。

自分は生きていると言えるのだろうか。

結局、自分は自分でしかなかった。
分不相応な望みを抱いたから罰が当たったのだ。
無明の奈落が光を抱けるはずがなかった。

それは光がないから黒いのではない。
光を飲み込むからこその黒なのだ。

それでも最後の抵抗を試みる。
彼に力は残されていない。あるのはただ、か細い両手と言う事を聞かない矮躯だけだ。
その全てを使って、彼は彼女を強く、優しく抱き締める。

過去はとっくに失われていて、未来は決定されている。
これは生と死の狭間。最後を先延ばしにしているだけの無駄な足掻きでしかない。
それでも彼は一度抱いた希望の灯を消せなどしなかった。

どうか――と願ってしまうのだ。

この身はどうなっても構わない。
けれど彼女だけはどうか救って欲しい、と。

悪逆の権化である自分が神になど祈れるはずがない。絶望の塊でしかない自分が希望に縋れるはずもない。
けれど願わずにはいられないのだ。お伽噺の英雄のような存在が颯爽と現れて彼女を救い出してくれる幻想を。

自分はそんな大それた存在にはなれなかった。
悪魔が英雄になどなれはしない。それそういう存在だからこそ悪魔と呼ばれるのだ。

だから初めからそうであった者に願うしかない。

「大丈夫……大丈夫だ……」

誰かに言い聞かせるように同じ言葉を繰り返す。

ご都合主義に塗れた英雄の登場などありはしない。
そんなものは寝物語の中の幻想でしかないと分かっているのだけれど。

そういう存在を知ってしまっているから――。





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