とある世界の残酷歌劇 > 幕前 > 03

「ったく……どうしちまったんだこりゃあ」

土御門は酷く焦っていた。
彼をよく知るものからすればさぞ稀有な光景だっただろう。
いつも飄々としている彼が珍しく余裕のない表情を浮かべている。

手の中で転がす携帯電話は数時間沈黙したまま。
いや、一度だけ結標から掛かってきた。
だがそれ以外の二人からの連絡が一切ない。

最後に彼らと連絡が取れたのは夕方の事。
その後第七学区の一角で大きな戦闘があったようで、現場周辺では警備員が忙しなく事後処理に追われている。

戦闘の跡、破壊の爪痕は常軌を逸している。
間違いなく高位能力者同士の戦闘。それも文字通り桁違いの能力者だろう。

それが誰か。考えるまでもない。
片方は姿を消した一方通行。彼以外にあり得ない。

最強の名をほしいままにする彼に対抗できるのはやはり同位の超能力者。
暗部組織『スクール』のリーダー、序列第二位――『未元物質』垣根帝督。

そこまでは容易に想像できた。
二人の戦闘の末に何か予定外の出来事が起こり一方通行は姿を消した。そこまではいい。

だが、もう一人の失踪者。
海原と彼らが呼ぶアステカの魔術師の行方が知れないのはどういう事だ。



「巻き込まれた……って事はないだろうが。アイツはアイツでそう簡単に死ぬようなキャラじゃねーし」

その辺り信頼はしていないが信用はしている。
『グループ』の四人はお互い利用し合うだけの名目上の共闘関係だ。
だが、だからといって使い捨ての駒のように扱おうとは思わない。
彼らがお互いに肩を並べるだけに足る実力者だと、手を結ぶ価値のある相手だと認識しているからに他ならない。

そう簡単に死んでもらってはこっちが困る。
土御門の望みを果たすには彼らには存分に役立ってもらわなければならないのだ。

「今日は舞夏が来てくれる予定だったんだがにゃー……とんだ厄日だぜぃ」

ぼそりと土御門は愚痴るように最愛の義妹の名を口にする。
何に代えても彼女だけは守ると誓った。彼女の世界を守る事こそが土御門の唯一の望みだ。
だからこそこんなドブ攫いに等しい慈善事業に身をやつしている訳だが――。

「……おっと」

不意に手の中の携帯電話が震える。
長い振動のサイクルは通話の着信を知らせるものだ。

姿を消した二人の携帯電話には自分の着信履歴があるはずだ。
電波の届かない場所にあるか電源が入っていない。そんなアナウンスを嫌というほど聞いてはいるが、サーバーに着信履歴が残る。
電波状況が復活すればそのデータを読み込み何度も土御門から連絡があった事は分かるだろう。
それを見れば折り返し連絡をしてくるだろうと踏んで途中から発信を諦めたのだが。

「…………」

ディスプレイに表示された登録名を見て土御門は眉を顰めた。

電話帳に登録はしているものの、今まで一度も通話をした事がなかった相手からだった。



少しだけ、数秒にも満たない間土御門は逡巡する。

このタイミング。何も勘繰らない方が無理というものだ。
そもそもこの時間は本来、彼の活動時間ではない。
いや、恐らくは起きているのだろうが、誰かに電話をかけてくるようなキャラじゃない――そう理解していた。

(……ま、どっちにせよ出ない訳にはいかないか)

電話に出て事態が転換する場合はあっても出ずにどうにかなるという事もないだろう。
思考を打ち切り、土御門は通話ボタンを押し携帯電話を耳に当てる。

「もしもーし。オマエから電話なんて珍しいにゃー」

惚けた口調は日常でのものだ。少なくとも今この場にそぐうものではない。

『…………』

電話口の相手は無言。
けれど土御門は更に、一方的に言葉を続ける。

「オマエこの時間いつも何してんの? つーか寝なくていいのかよ。
 明日も学校だろ。小萌センセーに怒られるぜぃ。いやそっちの方がいいのか? むしろご褒美?
 んで用件は何よ。あ、もしかしてなんかいい感じのメイド系の漫画とかゲームでも見つけた?
 いやー嬉しいねぃ持つべきものはやっぱり友達……っていい加減何か喋れよ」

『……せやね』

電話口から聞こえる声はいつもの彼には似合わない、どこか沈痛さを伴うものだった。

『小萌先生のお説教はご褒美やね。困らせるのは悪いとは思うけど、小萌先生の怒った顔可愛ええからなあ。
 結局、好きな子には意地悪しちゃうって奴? これも一種の愛情表現って訳やね』

「小学生かい」

『神聖シスコン軍曹に言われたかないね』

そんな他愛もないいつもの応酬をして笑い合う。
乾いた笑いなのは自覚している。前置きは様式美だとは思うが殊更に隠すほどではない。
一頻り笑い合った後、少しだけ間を置いて、それから小さく溜め息を吐いてから。

「それで、何の用だね青髪ピアスくん」

相変わらずの巫山戯たような口調で、表情は硬いままに土御門は問うた。



『……なぁ』

「んー?」

『こんな時間まで起きてたらボク、明日絶対遅刻すると思うんやけど』

「今何時だと思ってんだよ。もう三時だぜぃ? 明日じゃなくて今日」

『細かい事言わんといてーな。それでな、お願いがあるんやけど』

「あぁ?」

会話を続けながらも土御門は直感する。
そして同時に閑念を得る。

『風邪引いたーとかって言っといてくれん?』

「……先生心配するぜぃ?」

『ああ、そりゃ悪いなあ。でもお見舞いとか来てくれると嬉しいなぁ。
 せやけどやっぱ、風邪ぇ伝染したらあかんし、そこは上手く丸め込んどいてくれへん?』

「……りょーかい。仕方ねぇ。他ならぬダチの頼みとあっちゃ断る訳にもいかないぜよ」

『嬉しい事言ってくれるねえ。……もしかしてボクに気でもあるん?』

「アホぬかせ……へっくし」

夜風にくしゃみを一つして、ビルの屋上を吹く風に土御門は眉を顰め鼻を啜った。



『えんがちょー。夜遊びは関心せーへんで。愛しの義妹ちゃんが泣くんやないの』

「こっちにだって事情はあるんだよ」

『事情ねえ。結局、どんな事情だか』

「オマエこそどうなんだよ。こんな時間まで起きて何してたんだ」

『うん。それなんやけどね』

土御門のサングラスの奥に隠された双眸が細められる。

眼前に広がるビル群。
深夜だというのにきらきらと光る人工の銀河を無感動に眺めながら土御門は相手の言葉を待つ。

それから数呼吸分。やけに長く感じられた時間の後。
ぼそりと呟くような声と共に彼の――少女の声が鼓膜を震わす。



『――――カミやんが死んだ』



「…………」

その言葉に土御門は答えられなかった。



『ほんと馬鹿やね、カミやん。自分から危ない橋に突っ込みまくってりゃいつかこうなる事くらい分かってただろうに。
 それでも真っ直ぐなのがカミやんらしいというか何というか。結局、それ以外に生きられなかったんだろうね』

彼――彼女は今どんな顔をしているのだろう、と土御門は思う。

ずっと仮面に隠されていたその素顔を土御門は知らない。
土御門もまた彼女の能力の影響下にあり、長身で低い声の、派手な外見のクラスメイトとしての外見しか知らない。

そう認識させられていたから。

多重スパイの土御門元春。
裏で諜報活動に勤しみ情報操作を生業としている彼にその存在が隠し通せない事くらいは彼女も分かっていたはずだ。
何せ同じクラスには名簿の人数に比べ机と椅子が一組多い。
あとは消去法。名簿にないクラスメイトが誰なのかくらい容易に割り出せる。

一度疑問に思えば後はいくらでも荒を探せる。
寮に派手な青い髪をした少年の姿はないし、電話に出た事もない。

そもそも誰も本名を知らない。
青髪ピアス、と。外見的特長だけで呼ばれていた少年。

クラス委員長という役職も土御門の通う高校には存在しない。
あるのは『学級委員』だ。
クラスという一つのコミュニティを仕切るという意味では同じなのだろう。
だが、そう簡単に誰もがその肩書きを間違えたりはしない。

誰もが嫌がるだろうその役職についていたのは誰か。
決まっている。クラスには決まって貧乏くじを引かされるという稀有な体質の少年がいた。
もっとも――いつのまにか増えたクラスメイトがその役割を全て代行していたので名目上に過ぎなかったのだが。

『ほんと、不器用』

名も、顔すら知らぬ少女の声が電話越しに聞こえる。

初めて聞いたそれは綺麗なソプラノだった。



印象を誤魔化し、認識を歪め、意識を逸らし、記憶を改竄する。そういう能力を持つ物がいる。
精神感応系能力者。一括りにテレパスと呼ばれる比較的ありふれた能力者。

だがその特性の派生は他系統の能力と比べ多岐に渡る。
対象の精神、意識……大雑把に言ってしまえば心というものに干渉する能力だが、基本的に一つの特性にだけ特化する。

念話能力は口にせぬままの意思疎通を。
洗脳能力は相手の精神の改竄を。
記憶操作は思い出を自由に捏造する。

心という人としての根源部分に触れるからだろうか。何もかも自在とはいかない。

だが彼女は複数の特性を操っていた。
それも高校という一大コロニーに対し丸ごと影響下に納めるという常識的には考えられない大規模な能力の発現。

そんな事ができるのは学園都市広しといえど一人しかいない。

超能力者、第五位――『心理掌握』。確証はなかったがそれ以外に考えられない。
常盤台中学を統べる女王蜂。群れる事をよしとしない『超電磁砲』とは異なるもう一人の超能力者。

だがここで一つ疑問が残る。

こうして土御門が限りなく真相に近付けているという事実。
その気になれば完全に洗脳もできただろう。疑問を持つ事さえ許されないような完全な意識改変。
故に彼女の名は『心理掌握』。誰であろうと彼女に罹れば掌の上で踊らされる。
対抗できるのはそれこそ同位の超能力者他六名くらいだろう。

もしかするとそれすらもブラフなのかもしれない、と思いながら、土御門は今まで何もしなかった。
仮初に過ぎないとしても彼女は――下手な関西弁を喋る少年は屈託のない笑みで笑っていたから。

彼女の心の内は誰にも分からない。
どんな手練の詐欺師でもこと精神を操るという能力の頂点に坐す相手には敵わない。
彼女と対峙すれば男も女も老人も赤子も等しく傅かされる。



ただ、たった二つだけ彼女の能力が通じぬものがある。

『ねえ、ちゃんと聞いてる?』

思わず忘れてしまったのか、関西弁ではなく、女性口調だ。

一つは機械。

電話越しの、一度電気信号に変換されたものとはいえ初めて聞く本人の声に感慨を抱かないでもない。
けれど土御門の胸中にはもっと大きなものが蟠っていた。

「……なあ」

土御門は応える代わりに一つの問いを投げる。
きっと今この瞬間にしか聞けない事。たった一つ、知りたかった彼の本音を訊く。

「カミやんは……オマエの事、気付いてたんだろ」

『…………そりゃ、ね』

もう一つの例外。
上条当麻――彼の『幻想殺し』。
あらゆる異能も魔術も問答無用に打ち消す右手。強力無比な『心理掌握』であろうとも同様だ。
少なくとも一方通行、彼以上の力でなければ相手にもならない。彼を上条当麻はその右手を以って下している。

だから彼には彼女の正体が知れていたはずだった。
けれど土御門の知る限り、彼が下手な素振りを見せた事はない。

間違いなく彼女を男性として扱っていた。青髪ピアスと呼んでいた。
遠慮も見せなかった。男同士だ。グラビアアイドルがどうのエロ本がどうのと下世話な話もした。
そもそもクラス内での『青髪ピアス』のキャラクターは「バカでエロいお調子者」だ。
誰も彼も、土御門も、そして上条当麻……彼もまたそう扱っていた。



だから土御門には彼がずっと不思議だった。

面と向かって問い質せる筈もない。
本当に能力に罹っているのか、それともそういう振りをしているだけなのか。傍目からでは見分けが付かなかった。

『それがさ、聞いてよ。本当に傑作なんだから』

もう体裁すら取り繕う気すらないのか『心理掌握』は電話越しに揺れる声で言った。

笑っているのか。
泣いているのか。
怒りに震えているのか。

それとも――それすらも演技なのか。

『一応ね、効く事は効いてたのよ。でね、あれ、右手。あれで頭触るたびに能力打ち消してんの。
 その度に掛け直してたのよ。結局、私に対する認識を改竄する程度だから楽っちゃ楽なんだけど』

「ああ……なるほどにゃー」

土御門の属する組織の一つ、イギリス清教第零聖堂区『必要悪の教会』。
彼をよく知る同僚の報告書にあったのを見たことがある。

精神支配を右手を頭部に当てる事で解除した。
八月八日、学園都市内の学習塾を根城にしていた異端の錬金術師を攻略した際のものだ。

そういえばまだその頃は彼に自分の裏の顔を明かしていなかったなと土御門は回想する。

『そんなの髪洗うときに毎日触るっての。カミやん毎朝遅刻ギリギリで入ってくるじゃん?
 その時たまにさ、こっちみてすっごい済まなそうな顔する訳よ。それで、ああ今日もか、って。
 学校にいる時でも自分の頭掻いたりとかさ、そういう時に一瞬びくってなった後、恐々私の方見るの。
 それで結局、途中から面倒になってきてさ、開き直って言ってやったの。もう毎日やるの疲れたって』



土御門は目を瞑る。

土御門が今こうして携帯電話を耳に当てているだけでも右手は頭部に触れている。
さぞ日常茶飯事だった事だろう。その度に彼は何か申し訳ないような面持ちを向けてくるのだ。
記憶の中に残る彼の顔を思い返す。ああ、確かにそれは随分と嫌になってくる。

それをずっと自分に気取らせなかった彼も流石だと思う。
陰陽師、占術師、そして詐欺師。土御門は人の顔色を窺い見るのが本業だ。
その土御門に一切気取られる事なく毎日を過ごしてきたのだとしたら、もしかすると彼は自分以上の詐欺師かもしれない。

『そしたらあの馬鹿、何て言ったと思う?』

電話の向こうで彼女もまた彼の顔を思い出しているのだろうか。

『オマエがどうしてこんな事してるのかは知らないけど、別に何か悪さするつもりじゃないのは分かってるつもりだ。
 何か理由があるんだろ。だったら俺も他の奴と同じようにしてる方がきっといい。だから気にせずガツンとやってくれよ。
 また馬鹿やるだろうけどさ、その時も悪いけど頼むわ、って。それで……ただ、助けが要るときは言ってくれ、って』

頭の中で容易に想像することができた。
彼の顔も、仕草も、声も、よく知っている。

『そんな事言われたらカチンとくるじゃない。結局、頭ん中好き勝手に弄り回されてんのよ?
 怒らないのか、怖くないのかって思うじゃない。言ってやったわ。そしたらさ――』

ああ……と彼女はきっと何かの感情を吐き出すように小さく嘆き。

『ダチだろ――って――』

「……そりゃあ随分と、カミやんが言いそうな事だ」

きっとその時の彼は、笑っていて。
何の迷いも躊躇いもなく、誇らしげに言い放ったのだろう。

土御門の知る上条当麻という少年はそういう奴だ。



『そう言ってくれたのにさ、友達だ、って言ってくれたのに』

彼女は震える声を隠そうともせず――嗚咽の混じるその声を電話越しに土御門にぶつける。

『私……助けられなかったよぉ……!』

彼女の慟哭を土御門は黙って聞き続ける。

露にされる感情の吐露。
その気になれば自分の感情も思考も好きに改変できるだろう。
だがきっとそれをしようとしていない。その意味を土御門は分かっているつもりだ。

『友達って、言ってくれたのに。カミやん、私の事、助けるって言ってくれたのに。
 何が超能力者よ、何が『心理掌握』よ! 私の能力は友達一人助けられなかった……!』

その気持ちにだけは嘘をつきたくない。
友達と彼女は言う。形ばかりのクラスメイトだったにも関わらず。
下手な事は誤魔化すし都合の悪い事は隠そうとする。誰だってそうだろう。

けれど一番大事な部分だけは譲れない。

それすらも偽ってしまったら彼の心を本当に殺してしまうから。

『私は! 何も! できなかった! 見てるだけしか!
 目の前でカミやんが死んじゃうのに私は立ってるだけしかできなかった!』

電話越しで本当によかったと思う。
土御門の知る彼女――青髪ピアスという少年とは全くの別人。
ただ無力に嘆くだけの少女がそこにいた。

「…………」

ただ、彼ならどうしていただろう。

きっとなりふり構わず駆け出して、散々走り回った挙句にようやく見つけて。
それからきっと、力いっぱい抱きしめる。

間違いなく自分のキャラじゃないな、と土御門は思う。

そういう漫画の主人公みたいな役は彼にこそ似合いだ。



『…………でもね』

暫く電話の向こうに聞こえた嗚咽の後、彼女はぽつりと言った。

『結局、最後にね……そんな土壇場で、カミやんさ、女の子、助けたんだ』

「ああ」

『最後の顔、覚えてる。しっかり私の目に、記憶に、心に焼きついてる』

「ああ」

『カミやんね……笑ってた』

「……ああ」

きっとそうだろう。
そういう奴だ。

『右手でね、こう、突き飛ばしたんだ。右手よ、分かる? あの右手。
 それでね……その時のカミやんの心がね、聞こえたの』

……それから暫く彼女は続く言葉を発せなかった。

電話越しに彼女の吐息が聞こえる。
それを土御門は無言のままじっと聞き続け、待った。

三馬鹿、と呼ばれていた。
そう言われるだけの馬鹿をやった。
自分と、彼と、そして彼女で。

何度も担任の小さな女教師を困らせた。クラスメイトたちには迷惑をかけた。
それでも最後にはきっと皆が笑っていた。

運動会は楽しかった。
色々面倒事が重なって初日は参加できなかったけれど、泥まみれになってはしゃいだ。
一人大怪我をした少女がいたけれど、彼女も最後には笑っていた。

楽しかったと、心の底から偽りなしに思う。

その日々はもう戻ってこない。
永久に。

けれど、一時の泡沫に過ぎない幻想だったとしても――決して忘れる事のない日々。



彼と共に過ごした瞬間。
それは間違いなく青春だった。

だから、と土御門は思う。
きっとそれを聞くのが自分の役割だ。

他の誰にもこの役は譲れない。
彼の、そして彼女の友人である自分だけの役割。

誰もが真実を知りながらそれを隠してきた。

土御門元春は二人の秘密に半ば気付きながらも黙殺した。

上条当麻は虚構のクラスメイトの仮面の下に隠された本当の顔と声を。

そして記憶と精神を統べる彼女は自分の素顔と――彼の唯一の、そして最大の禁忌を。

誰もが日常を壊さぬようにと嘘をつき続けた。
目を瞑り耳を塞ぎ口を閉ざした振りをして形骸ばかりの友情を守ろうとした。

本当に嘘つきばかりの三人。
けれどその絆はきっと本物だったのだと信じたかった。

『……あのね』

そしてこれはきっと二人だけの秘密。
共に駆けた青春の最後の墓碑。

『……よかった、って、言ってたの。結局、自分が死ぬって瞬間に』

嘘で塗り固められた三人を繋ぐ――たった一つの道標。

『――俺の右手は一番大事なものを殺さずに済んだ、って』

「………………っは」

土御門は笑っていた。
心の底から可笑しかった。

「は、はは、はははは。やべえ、やべえよ。なんだそりゃ。
 流石カミやん。凄ぇよ。ぱねぇ。俺たちにできない事を平然とやってのける」

『そこにシビれるあこがれる、って?』

やっぱり馬鹿だった。

でもそれがきっと、最後の救い。



『……でもさ、絶対カミやん怒るよね』

「ああ」

それは二重の意味で。

虚構の友諠に何か特別な意味があった訳でもない。
土御門も、そして彼も、利用価値は十分にある。けれど彼女はそれをしようとはしなかった。
ただ笑顔であの場にいたのだ。

だから彼女の望みはきっとあの世界。
ただただ平和で平凡な穏やかな日々。
友達と馬鹿をやって騒がしく過ごす日常。
それが失われた今、彼女があの場に残る意味はただの悔恨でしかない。

三角形の一角は永遠に失われた。決して揺らぐ事のない形だが頂点を失えば容易く崩れてしまう。
もうあの教室に二度と派手な色の髪をした少年は現れない。
彼女の事だ。きっと何かあった時のために時限式の仕掛けでもしているのだろう。
記憶は風化する。青髪ピアスの少年はいつの間にか忘れ去られてしまうだろう。

けれど彼女という存在そのものが無くなってしまう訳ではない。
亡霊のようなものだとしても、彼女は実体を持ってこの現実に生きている。
その亡霊が行き付く先は矢張り墓場だろう。

彼女は死ぬ。いずれ遠からぬ内に。

彼女が死ぬ理由など一つしか思い浮かばない。

「怒るだろうにゃー。もう大激怒間違いなしだぜぃ」

土御門もまたその尻馬に乗ろうとしている。
元からこういう真似は彼の十八番だ。利用し、利用される振りをして美味しいところだけを掠め取る。
そんな胸の内が明かせる相手など今や一人しかいないのだが。

だが二人が言っているのはそんな事ではない。

もう一つの意味。
上条当麻がきっと怒るだろうというそれは。

「――『馬鹿言ってんじゃねえよ。何最初から諦めてんだ。俺にできて俺のダチにできねえはずがねえだろ!』」

そう彼は言うはずだ。

『絶対言う』

彼女の守りたかった世界はもう亡くなってしまったけれど。
土御門のそれはまだ失われていない。



「――ありがとう」

本当に電話越しでよかったと思う。
まさか面と向かってこんな言葉を吐ける筈がない。

自分の一番大切なものを彼女は守ろうとしてくれた。
彼女の大切なものはもう守れないのに。

でもきっとそれが彼女の友情なのだろう。

名も知らぬ友人。
その本当の名を訊くほど土御門も無粋ではない。

「……ところでさ」

だから代わりに一つ。これもまた無粋の極みと思うが幾らかましだろう。
即ち究極の命題。

「もしかしてオマエ、カミやんの事、好きだった?」

『…………ばーっか』

随分と意地の悪い問いだと土御門は自分の事ながら苦笑した。

『あんなぁ……ボクら、ダチやろ?』

「そうだにゃー」

本当に、心を隠すのだけは上手いから腹が立つ。

真相は彼女の心の中にだけ。





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最終更新:2012年08月04日 18:16
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