とある世界の残酷歌劇 > 幕間 > 05


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『それで『スクール』はどうするんです? まさかこのままほっとく訳じゃないでしょう? 命令違反だとか言われるのは嫌ですからね』

スピーカー越しの馬場の問いも当然だろう。
彼ら『メンバー』の仕事は、『ピンセット』を奪取しようとしている垣根と『スクール』の暴走を止める事だ。
正面からぶつかっても敵わない事は目に見えているが、牽制して垣根を抑止する必要がある。
だから最低限、垣根や『スクール』に対して警告なりのポーズを示しておかなければいけない。
そうでなければ命令違反のペナルティを頂戴してしまう。それだけは何としても避けなければならない。

結局のところ彼らはこんなところでいたいけな少女を追い掛け回している余裕などないのだ。

だが博士は、微塵も焦燥など見せず落ち着いた風に頷く。

「君は心配性だな。大丈夫だ、問題ない」

『というと?』

「査楽が単独で垣根と交戦するように仕向けてある。まず間違いなく死ぬだろう」

『はっきり言うなあ……』

博士の言葉は少なくとも名目上は仲間であるはずの人物を捨て駒に使うというものだった。

だが馬場もまた、正直なところ査楽などどうでもいい。
彼もまた博士と同じように、他人というものに全くと言っていいほど執着しない性質だった。
そもそも彼は博士の弟子のようなものだ。機械工学に長けるのもそうした理由があった。

「査楽を捨石に心理掌握を手に入れる。『ピンセット』などというおもちゃには興味はない」

『作りましょうか? 仕組みはなんとなく想像つきますし。問題は部品の調達ですがね』

さらりと言ってのける馬場に博士は顔を喜悦に歪める。

「ふむ……垣根帝督の『未元物質』にも興味はある。機会があれば用意しておいてくれ」

『りょーかいっす』

声を聞く限りではあるが馬場もまんざらではなさそうだった。
この手の畑の住人は大抵、結果ではなく過程こそが楽しくて仕方ないのだ。



さて、と博士は一呼吸置き、馬場の操る機械の獣を顎で示す。
     、 、
「馬場。それで心理掌握を運べるか。私が運ぶのは些か骨が折れる。もう年だな」

『はは、まだまだお若いでしょうに。大丈夫、背に乗せるのであれば可能です。
 ただ、機動力は十分ですが落ちないか心配ですね……』

「その辺りからケーブルでも拝借するか。……おい、何か使えそうなロープ状の物はないか」

振り返り、博士はショチトルの方に向き直る。
彼女はフレンダの腰に手を回し肩を組むように抱き起こしていた。

博士の言葉にショチトルは顔を上げ、



「――いや、その必要はない」



冷たく言い放った。

「……どういう意味かね」

淡々とした物言いは彼女の常だが、その言葉にはもっとひやりとした――殺意のようなものが込められていた。
そんなショチトルに対し博士は慌てた様子もなく、至って事務的に問いを投げる。
対し、彼女は鋭い視線で博士を見据え、フレンダを肩に担いだまま答える。

「言葉通りの意味だ。この超能力者、私が貰う」

「…………」

説明としては不十分だが、答えとしては充分だった。

「――馬場」

変わらぬ調子で博士の一言が発せられると同時に、傍らに佇んでいた機械の獣がショチトルに飛び掛った。



だが――。

ショチトルに切っ先を突きつけるようにセンサーを向けた機械の獣は寸前で動きを止める。
がくん、と急停止を掛けたロボットはそのまま飛び退るように跳ねショチトルから距離をおいた。

『なっ――!』

スピーカーを通じて馬場の焦燥の声が聞こえる。
それは操縦者である馬場にとって想定外の行動だった。
そして同時に――その動きは彼の意図しないものでもあった。

(コントロールを奪われたか……)

馬場とは対照的に博士は突然の事態にも驚く事なく冷静に思考する。

(『魔術』か。……なるほど、超能力とは別ベクトルでのデタラメだな)

視界の外に跳ねた機械の獣には興味がないとばかりに無視し、博士は頷き呟いた。

「実に面白い」

にい、と口の端を吊り上げ、博士は不敵に笑んだ。

「『心理掌握』に対抗できたようだが、どうも精神操作ではないな。
 しかしベクトル違いという事もあるまい。情報操作か、対象を『乗っ取る』、操作そのものが能力といったところか」

独白じみた言葉に、ショチトルはフレンダを抱きかかえた体勢のまま無言で睥睨していた。
そして博士は身を包む白衣のポケットからペンライトのような装置を取り出し、右手の中で遊ばせる。

「まあいい。目に見えぬ無数の『オジギソウ』を相手にどこまでやれるか見物だ。せめてサンプル程度にはなってくれよ」

嘲笑するように歯を見せ笑う博士は、指を小さく動かし手に握るコントローラーを操作しその見えない矛先をショチトルへ向けた。



だがショチトルは顔色一つ変えず、身構えようともせず、冷めた目を博士に返していた。

「――勘違いしているようだが、どんな武器をどれだけ使おうが関係ない」

その言葉に博士の笑顔が凍り付いた。同時に体の動きが停止した。
だというのに、『オジギソウ』のコントローラーを持つ手がびくりと痙攣する。

「残念だったな、『博士』。私を傷つけようとした時点で貴様の死は確定している。
 貴様は不運だよ。そこらの魔術師が相手なら貴様の知的好奇心も満たせたかも知れんが――相手が悪かった」

ぐねり、と。
ショチトルの胸元、赤いセーラー服から覗く肌が蠢いたように見えた。

サイケデリックな騙し絵を見たような錯覚に博士は得体の知れない寒気を覚える。
 、 、
「これは貴様程度に理解できるほど生易しいものではない」

彼女の言う事は真実だろう。
                 世界樹            ニーズヘグ
これは世界を犯す病毒だ。システムの根幹を蝕む最悪の毒蛇。人の身では対抗できない怪物だ。
だが博士は、科学者として、真実の探求者としてその言葉を受け入れる事ができなかった。
それを認めてしまえばそのままアイデンティティの否定に繋がる。故に博士は熱病のような嫌悪感と惑乱に苛まれていた。

びくん、と指が博士の意思とは関係なく反射的に跳ねる。
その動きはコントローラーをひとりでに操作するもので――。



「――呪うならば自身の探究心を呪え。そして絶望し、死ぬがいい」



見えない雲霞のような機械が、一切の感情もなく主に牙を剥き、音もなく喰らい付いた。



無音のまま身体を外側、表皮から順に内側にはつられ、断末魔を上げる博士を横目にショチトルは熱い溜め息を漏らす。
病毒に侵されているのは彼女も同じだった。

何人たりとも破壊不可能という絶対上位存在である魔道書の『原典』。
            、 、 、 、
皮膚の裏側に直接刻まれているショチトルはその毒に身を浸しているようなものだ。
『原典』の自動迎撃機能はそれ自体が無敵に近いが、同時に術者の肉体と精神も蝕んでゆく。
何しろ乾燥させた皮膚の粉末を辺りに散布するというその形態からして狂っている。
そんなどうしようもなく最悪な発動キーを要求するものがまともであるはずがなかった。

ぷ――――ん、と薄い鉄錆の臭いが鼻腔をくすぐる。
臭いもまた空気中を漂う微粒子が鼻腔の嗅細胞の嗅覚受容体に付着する事だ。

目に見えない血液の粒子が、そして自身の皮膚の粉末と『ピンセット』。
それらが空気に満ち溢れ、そこに溺れている。ともすれば吐き気すらこみ上げそうなその状況にショチトルは思わず咳き込んだ。

ごほ、と嫌な音と共に吐き出した吐息は、肺腑の中に沈殿した微粒子も共に。
喉奥に甘苦い鉄の味が広がる。喉が痙攣し空えずきを繰り返した。

「――っげ――ご、カハっ――」

目尻に涙が浮かび、視界がぼやけた。
痒みに似た異物感が眼球の中でごりごりとうねる気配に目を閉じた。

荒い呼吸を繰り返し、その度にこみ上げる嘔吐の発作を捻じ伏せ、しばらくの間ショチトルはその場に蹲っていた。
腕に抱いたフレンダの細い腕に指が食い込むが、薬物で意識を失ったままの彼女はぴくりとも反応しない。



そうして、どれくらいの時間が経ったのか。
体中に浮かんだ冷や汗のじっとりとした不快な感触に浅く呼吸を繰り返しながら目を開く。

そこには中身を失った服が無造作に纏まって積み上げられていた。
微かに赤く染まったような錯覚を伴う白衣は博士の羽織っていたものだ。

しかしよく見れば――中身はあった。
ただそれは白衣と同じ色をしていて、ぱっと見ただけでは気付きにくかっただけで。

「…………」

白衣に埋もれるように見える白骨を一瞥しただけでショチトルは視線を逸らす。

「さて……と」

まったく気が重い。
死体とも呼べぬような無惨な末路もそうだが、当面の問題は。

「確かに、女の細腕で人を一人抱えるのは確かに骨が折れる。やる前から挫けそうだ」

物憂げに呟き、腕の中の金髪の少女を見下ろし溜め息を吐いた。





――――――――――――――――――――





しん――――と不自然なまでに所内は静まり返っている。

それがどうにも不安を掻き立てる。

気配というか、空気というか。
具体的にどんな、とは言えないが、得体の知れない嫌な感じが充満しているように思えた。

いくら祝日とはいえ休日返上で稼動していた施設だ。
照明は点灯している。それは誰かがスイッチを入れたという事だ。
全自動という線も考えられたがそれはないと踏む。便利だが、コストパフォーマンスが悪すぎる。

だが周囲には、職員の影も見えず、物音もしない。
人の気配が一切なかった。

まるで怪奇小説にしばしば登場する幽霊船のようだと場違いな事さえ頭を過ぎる。
ついさっきまでそこで仕事をしていたはずの職員が一瞬のうちに残らず宙に掻き消えたような。

馬鹿な妄想だ。人は消えない。マジックには必ず種も仕掛けもある。
だからこの妙な状況にも必ず何かしらの原因があるはずだった。


    マジック
(本当に魔法が存在しているなら別だがな……)



言うまでもないが、浜面はそんな夢みたいな事は信じてはいなかった。



エレベーターを利用する気になどなれなかったので階段を使った。
いくら人の気配がないとはいえ大手を振って歩けるはずがない。
浜面は能力者でもなければ一流の軍人でもない。そこらの不良に毛が生えた程度の、凡百な少年だ。

(慎重に動くに越した事はねえ……臆病? 大いに結構。こちとら無能力者なんでな)

とはいえ、足元のおぼつかない滝壺に階段を移動させるのは気が引けるものだった。
振り返れば滝壺は手摺りに半ば寄り掛かるようにして、一段一段ゆっくりと階段を下りてきている。

その横を、絹旗が並んで下りてくる。
気遣うような素振りを見せながらも直接手を貸すのは躊躇っているのか。
居心地が悪そうな様子でちらちらと視線を送りながらも結局は無言のままだった。

そんな二人の少女の様子を階段下から見上げながら、浜面は滝壺の様子に気を揉まずにはいられなかった。

普段から白く綺麗な肌だとは思うが、顔からは血の気が引いて同じ白でも病的なものに変わってしまっている。
唇も青く、凍えたように小さく震えている。そのくせ額には汗が浮かんでいる。吐息も荒い。
気丈に振舞ってはいるが、安静にしておいた方がいいのは明らかだ。

(原因? 決まってる。体晶以外にありえない)

先ほど、あのゴーグルの少年との戦闘で彼女の摂取した白い粉末。
その外観はただの小麦粉にも見えるが、それは同時に。

(ヤバイ薬にしか見えないって事だよ)



  スキルアウト
能力者から外れた者と呼ばれている、無能力者のレッテルを貼られ、居場所を失い、路地裏にたむろしていたあの集団。
浜面はつい最近まであの路地裏にいた。

学園都市のおちこぼれ。この街では能力の有無が直接存在価値に反映される。

浜面の所属していたコロニーは比較的安定していた。
それは第七学区のスキルアウトを束ねるカリスマ的なリーダーが無頼なりに筋を通す男だった事が大きい。
駒場利得という名の男は言ってみれば他の者の憧れだったのだろう。

隠しているようで周知の事実だった事がある。
本当に笑ってしまうけれど――駒場は子供好きだった。

似合わないにも程がある。
子供向けのヒーロー番組であれば確実に悪の怪人役であろう駒場。
木石のような厳しい外見の無骨で無愛想な男は、確かに信念を持っていた。

正義などと言えるはずもない。だが一概に悪とも言い切れない。
そういう男がいたからこそ浜面のいたコロニーはある程度の自治を保っていた。

だが他の学区のスキルアウトは。

他の学区の連中にちょっかいをかけるのは火薬庫で火遊びをするようなものだから。
だがどうしても耳には入ってくる。

(クスリだけは駒場さんが許さなかったが……)

どれだけ目を光らせても擦り抜けてくるものもある。
だからこそ知っているのだ。

見遣る先、彼女の目はどこか虚ろだった。

(滝壺……オマエ、どこからどう見てもヤク中じゃねえか)

禁断症状があるのかは関係ない。
ただ確かなのは、体晶が確実に彼女の体を蝕んでいる事と。
体晶を摂取しなければならないような境遇に彼女はいる。

(――死んじまうぞ、オマエ)

だからといって浜面に何ができるという訳でもない。
所詮、浜面は無才の少年なのだ。



階段を下り、こちらに向かってくる二人を手の仕草だけで制し、浜面は壁に張り付くように身を屈めた。

意識の先には階段ホールの先、『B5』と書かれた廊下がある。
いくら人気がないとはいえ大手を振って歩くなど愚の骨頂だ。

施設を完全に制圧したわけではない。
力押しがまかり通るほどこの施設は狭小ではないし、無意味に騒ぎ立てるほど馬鹿でもない。
無意味な戦闘は避けるべきだ。少なくとも浜面は重火器で武装した相手に真正面から立ち向かえるような力を持っていない。

ポケットから取り出したのはツールナイフ――十得ナイフと言った方が分かりやすいだろうか。
折りたたみ式の、缶切りやドライバーが詰め込まれたレジャー用品店などで見かけるあれだ。
学園都市製のそれは普通のものとは違うツールも組み込まれてはいるが、今必要なものは違う。

ぐいっ、と引き出したのはナイフだ。
刃渡りは六センチほど。合金製の刃は綺麗に磨かれていて、まるで鏡面のように傷一つない。

それを浜面は曲がり角に身を隠したまま、少しだけ廊下へと突き出した。

ナイフと一概に言っても用途は刃物としてだけではない。
この場合ツールナイフの持つ数多の用途の一つとして、鏡として使う事も念頭に入れられているのだ。

「……」

床近く、目立たぬようにナイフを動か。
何分刃は小さい。だから浜面は少しずつ角度を調整しながら廊下の状況を確認し――。



「――何を超ちんたらやってるんですか」

苛立ちの声と共に浜面の横を絹旗が駆け抜け、廊下へと踊り出る。

「おい絹旗……っ!」

きゅっ、とスニーカーの靴底で廊下を踏み、絹旗はその先に視線を向ける。

「……クリア。何もありませんよ」

「オマエ、待ち伏せされてたらどうすん――」

「私の『窒素装甲』がそこらの豆鉄砲で貫けるとか超思ってませんよね」

いつもに増して棘のある物言いをする絹旗は、しゃがみ込んだ浜面を半眼で見下ろしていた。

その様子に浜面は僅かな違和感を覚える。
いつもの絹旗は、浜面への態度こそ多少きついもののこの手の感情を露にする事などなかった。少なくとも浜面の知る限りでは。
だがどうしてだか……絹旗は浜面に初めて負のベクトルを持つ感情を見せていた。

『窒素装甲』の名を持つ少女。

彼女の鎧の内にあったはずのものが漏れ出しているのは、単に抑えきれなくなったのか、それとも。

(――多少は俺の事を信頼してくれたと思ってもいいのかな)

それはきっとナルシズムからくる錯覚だろうと思いつつも、浜面は少しだけ嬉しかった。

こんな、死の臭いが蔓延しているような状況にも拘らず。



……実際のところ絹旗が感情を抑えきれずにいるのにはいくつもの理由が複雑に絡み合っている。
人の心を一言で言い表せるはずがない。人は機械ではないのだから。

だから浜面が思ったように彼に対して絹旗が気を許したというのはあながち間違いではない。
本人も自覚していないが、今まさに、緊迫した状況によって着々と二人の接点は近付きつつある。
それは生命にとって基本的な生存本能とも言えるだろう。吊り橋効果もストックホルム症候群も根底は同じものだ。

だからこそ絹旗は、自分の中で大きくなりつつある浜面に苛立ちを覚えていた。
それは確かに好感ではあるのだが、その理由が分からないのだ。

理不尽なまでに絹旗の心の中に存在感を広げてゆく浜面。
どうして彼がそこまで気になってしまうのか。

(これが恋……などと能天気にも程があります。そんな訳あるはずがないじゃないですか)

第一にだ。

(この超冴えないチンピラのどこに惚れる要素があるっていうんです)

何故か少し嬉しそうな表情でポケットにナイフを仕舞う浜面。
その顔がどうにもムカついて、絹旗は足で軽く小突くように浜面の脇を蹴り押す。

「私が超先行します。浜面は滝壺さんをお願いします」



「先行って言ったって、オマエ……」

「私をやろうと思ったら戦車でも爆撃機でも超足りませんよ。それこそ麦野あたりでなければろくにダメージも貰いません。
 私の『窒素装甲』は浜面が思っているよりも超高性能ですから」

だから、最も危険な先陣を切るのは最も堅い自分であるべきだと。
適材適所。確かに彼女の言う事はもっともだ。絹旗の言葉に浜面は押し黙るしかなかった。

幼い少女を矢面に立たせ自分は後ろに引き篭もっているというのは確かに気分がよくない。
だが、浜面も多少頭は切れるとはいえただの無能力者。
滝壺も大能力者とはいえ直接的な戦闘能力を持っている訳ではない。
第一、今の滝壺に派手な立ち回りができるはずもないのは明らかだった。

浜面は一瞬だけ顔を顰め、だが結局。

「分かった。頼む」

短くそう告げると浜面は滝壺に肩を貸そうと歩み寄った。

「……」

その姿を横目で見つつ絹旗は焦燥を抱えていた。

苛立ちは何も浜面の事だけではない。

――嫌な予感がする。

先ほどのあの土星の輪のように頭をぐるりと取り囲む機器を被った少年。
彼の顔には見覚えがあった。思い出したくもないが。

小さく唇を噛んだ。ぎり、と痛みが突き刺さる。
この空気、そして臭いには覚えがある。



――『暗闇の五月計画』。



かつて、絹旗最愛のいたあの最悪が。
再び彼女の前に現れようとしている気配があった。



(『スクール』に彼がいた。『アイテム』については言うまでもなく)

黙考しつつ絹旗は足音を立てないように靴底に能力で作った空気の膜を作りながら歩く。
無意識の内にそうしていた事に少し歩いてから気付き、浜面に偉そうな事を言った手前どうにもばつが悪かった。

しかし無意識の内にそうしているのであれば止めるには意識しなくてはならない。
些細な事だがその程度の事に頭のリソースを割くのは賢明ではないと判断し絹旗は思考を他に回した。

(とすれば、他の組織にも『ご同類』がいる可能性が超高い)

背筋を何か冷たいものが撫でる。
滝壺のそれではないが――具体的な証左が何一つないのに絹旗は敏感に場の空気を感じ取っていた。

(なんか……超超超嫌な予感がします。冗談じゃない)

それは確信とも呼べる、ある種の予知じみたものだったのかもしれない。

「――滝壺さん」

振り返らずに絹旗は背後の少女に向かって言葉を投げる。

「この感じ、どうも超キナ臭いです。……可能であれば滝壺さんも警戒してください。私よりもあなたの方が索敵に超向いています」

「おい絹旗。滝壺もこの状態じゃ――」

「浜面は超黙っててください。それに可能であれば、と言っています」

口を挟んだ浜面の言葉の上からぴしゃりと言ってのけ、絹旗はさらに続ける。

「浜面は分からないでしょうけど……私の勘が正しければ本当に超ヤバイ相手なんです。
 下手をすれば超能力者七人以上に異常な相手とやりあわなきゃならないんですから」

自分が前衛を努めているのにも理由がある。
『何か』があった場合、絹旗が最も対応に適しているからだ。
防御力だけではない。戦闘力だけではない。

経験――単純にその一点だけで絹旗が対応するのが最善なのだ。



    、 、 、 、 、 、
「――超能力者以上、ね。それはどうも。褒め言葉と受け取っておきます」



割り込むように、耳元で囁かれた男の声に絹旗は戦慄した。

「ッッッ!?」

一瞬前まで何の気配も無かったというのに、心臓の鼓動さえ聞こえてきそうな至近距離に突如として気配が現れた。

ぞぞぞぞぞぞっ!! と無数の小さな虫が背中を這い上がるかのような錯覚。
柔らかい口調だというのにとてつもない怖気を伴って声は絹旗の耳朶を打った。

反射的に振り返る。
しかしそこには声の主の姿はなく。


                チェイサー
「どうも。お久し振りですね『追跡者』」



絹旗から十メートルほど離れた場所に今までこの場にいなかったはずの男が立っていた。
肩口に白いファーのついたダウンジャケットを着込んだ高校生くらいの少年だ。

絹旗は、彼に見覚えは、ない。

だが。
      バックスタブ
「――――『裏打ち』」

代わりに、ぼそりと呟くように滝壺はそう口にした。



絹旗は動けずにいた。

いつの間に移動したのか、彼は滝壺に肩を貸していたはずの浜面から彼女を奪い背後から抱きすくめるように手を回していた。
その手にはスリムなシルエットの洋風の鋸。それを滝壺の細い首に添えていた。

「今は査楽でしたっけ。あんまり呼ばれ慣れてないんですが、それが私の名前らしいです。
 あなたはええと――滝壺さん、でよかったですかね」

口調こそ柔和なものの寒気を誘うようなものが声の奥に潜んでいた。
査楽と名乗った少年は薄い笑みを浮かべながら

「テメ……! 滝壺を放しやがれ!」
             レ ベ ル 0
「動かないで下さい『出来損ない』」

査楽は手にした鋸を見せ付けるように軽く刃を返す。
その動きに浜面は沈黙するしかなかった。

「さて。登場して早々なんですが、大人しく退いてはくれませんか?」

「……なんですって?」

訝しげに眉を顰める絹旗。
査楽は変わらず薄笑いを浮かべながら続けた。

「私の所属する組織――『メンバー』っていうんですがね。リーダーから頼まれまして。
 別に従う義理なんてこれっぽっちもないんですが、私の役目はあなたたちの足止めなんです。
 とはいえ、どうにも彼は私を捨て駒にする気満々のようですが、大人しく犬死になんてまっぴら御免です。
 超能力者を相手に正面からやるなんて愚行もしたくはありませんから。簡単に言えばそう、単なる人質です。
 第四位のアキレス腱であるあなたたちをここで封じる。私はそれをカードに、この戦争を生き残らせてもらいますよ」



そう言った直後だった。

「――そうかい」

小さな呟きと共に浜面が動いた。

「っ――!?」

予期せぬ事態に査楽は息を呑む。
滝壺の首元に突き付けている鋸が見えていないはずがないのだ。

知り合いの少女を、しかも明らかに体調の悪そうな者を人質に取られれば誰でも躊躇する。
暗部にいれば人死にに頓着しないのは常だが、味方をばっさりと切り捨てられるほど浜面も絹旗も非情になり切れはしない。

そして浜面には彼女の死と引き換えにしてまで動こうとする理由がない。
そう踏んでいたからこそ、最も弱々しい滝壺を人質に選んだのだ。

しかし浜面は動く。

ほんの一呼吸もない間に、査楽の見せた僅かな虚を突いて反撃に打って出る。

彼のできる事は限られている。何しろ他の物とは違いなんの能力も持っていない。
何かしら目に見えないほどの小さな能力を持っているのかもしれないが浜面仕上は無能力者だった。

代わりになるようなものは持っていない。精々がポケットの中のツールナイフだ。
だがそれを取り出している暇など存在するはずがない。

だから彼はその身一つで立ち向かうしかなかった。

そして、彼の取った行動は実に単純明快だった。

その手で彼と査楽、そして滝壺との最短距離を貫き、首に添えられた鋸の刃を直に握りそのまま力任せに引き離した。



鋸という刃物の類の最大の特徴は細かい刃が連続して折り重なっている点にある。
他大多数の刃物と違うその性質。それは簡潔に立った一言で表せる。

要するに切れ味が圧倒的に悪いのだ。

「ぎっ――!」

滝壺の首と鋸の間にあった僅かな隙間に右手を滑り込ませ握り締める。
みちみちと手の肉を押し切る熱さと、対照的に頭の内側に寒気が走る。

だがそれを意思だけで捻じ伏せ浜面は強引に鋸を引っ張る。
突然の事に体勢を崩した査楽の、鋸の柄を持つ右手首を左手で跳ね上げ、返す手で刃の付け根辺りを握り手前に引き下ろした。

「なに……っ!」

驚愕に笑みを崩し目を見張る査楽。

浜面は彼の声を無視し、左肩から査楽と滝壺の間に身を割り込ませる。

回転。
左手は鋸から離し滝壺の腰を抱く。
ジャージに血が付くだろうが今はそんな事に構っていられない。
右手で鋸を投げ捨て、肘で査楽の胸を押し滝壺から引き剥がす。

からん、と乾いた音が響くよりも先に浜面は右足を上げていた。

狙いは査楽の左膝。絶対的な急所である関節。

踏み折り砕く。

たった一つ、単純な目的のために浜面は全体重を込め斜め下方に靴底を踏み下ろした。



だんっ!! と大きな音が廊下に響く。

それは足をへし折る音ではない。
浜面の靴は空を穿ち何もない床に向かって踏み下ろされた。

(消え――空間移動系能力者!)

人口二三〇万を誇る学園都市にも数えるほどしかいない希少種。
十一次元に干渉する演算を操り三次元的な物理限界を無視し空間を渡り歩く能力者。


                           バックスタブ
「だから私はこう呼ばれていたのですよ――『背中刺す刃』と」



視界の外、背後からの声に浜面は戦慄する。
空間移動能力者は総じて演算能力が高く、自身を移動させられる者はその時点で大能力者に認定される。
無能力者である浜面が相手取るには荷が重過ぎる。

だが同時に安堵していた。

――タネが割れちまえばいくらだって対処のしようがある。



常々思っているのだが、どうしてこうも能力者連中は自分の手の内を簡単に明かしてしまうのだろう。
自分のアイデンティティに直結するからだろうか。能力こそ彼らの自尊心、誇りそのものなのだろうか。

能力は一人につき一つきり。それは覆せない大前提だ。
だから手の内を明かすという事は己の弱点を見せ付けるようなものだ。

(こいつは別に目に見えない念動力が使える訳でも手からビームが出せる訳でもない)

鋸を見せたのは脅迫のためだ。目に見える武器は場を演出するための小道具でしかない。

そう、人を殺すには別に能力を使わずとも銃弾の一発で事足りるというのに。
最初から殺すつもりなら空間移動で死角に回った直後に一撃で終わるのに彼はそうしない。
        、 、 、、 、 、 、 、、 、 、 、
逆説的に、空間移動しか能がないのだ。

なのにこの体たらく。彼は自らのいる場所をきちんと理解しているのだろうか。
偉そうに口上を述べている暇があればさっさと背をさせばいいというのに。

所詮、この程度。

彼はこちらに向けて言葉を投げている。
意識はこちらに注がれている。

彼の意識はこちらの背に向いていて、しかし彼自身の背には。

(だったら楽勝だ。なあそうだろう――)



絹旗、と。

小さく唇を動かすだけで彼の知る限り最強の大能力者を呼び、浜面は抱きかかえた滝壺を押し倒した。



「――っらァァああああああああああああッッ!!」

ごっ!! と大気が悲鳴を上げ、浜面の頭の上を何かが物凄い勢いで通過していく。

鉄壁、『窒素装甲』をその身に纏った絹旗が小さな身を宙に躍らせ、査楽の背に全力の飛び蹴りを放ち吹き飛ばした。



とっ、と小さな音。
軽やかに着地した絹旗は視線を浜面たちに向けぬまま前を見据えたままだった。

「……ふううゥゥゥ――っ」

運動エネルギーを全て威力に転化し、査楽と入れ替わるように着地した絹旗は低く、長く息を吐く。

しかし何か、いつもの彼女とは何かが確かに違っていた。

「絹、旗……?」

戸惑いに浜面は彼女の名を呼ぶ。

その目が、異様だった。
いつもの年相応の可愛らしい瞳ではなく、それとはかけ離れた、ぎらぎらとしたものが宿っていた。

「――浜面」

絹旗は両手を軽く開閉させ、腰を落とした体勢を変えず答える。

「ちょっと面倒なヤツが来たみたいです。査楽、お願いできますか」



はっとなり浜面は視線を上げ振り返る。
視線を絹旗の視線の先、蹴り飛ばされた査楽の舞った方へ。

「私はもう一人の相手を超しなければならないみたいです」

絹旗の険しい視線の先。

そこには――、

「……さてはて。矢張り私でも一人で三人相手は骨が折れますね」

痛がる様子を見せながらも、大してダメージを負っている様子もない査楽が不敵な笑みを浮かべ。

そして、査楽の姿を背に。
彼を背後に立ちはだかるように。

更なる乱入者の影があった。





「――――やっほう。殺しに来たよ、絹旗ちゃーン。再開の挨拶は必要かな?」





「黒夜……海鳥」

絹旗と同じく窒素を操る少女が刃のように笑い立っていた。



単身矮躯の、奇妙な格好の少女だった。

細い体に黒い皮と鋲で形作られたパンキッシュな衣装は拘束具を思わせる。
その上から白いコートを、フードを頭に引っ掛けるだけで羽織っている。袖に腕は通されずだらりと垂れ下がっていた。
黒いストレートの髪が肩口から肩甲骨の辺りまで零れているが、両サイドの一房ずつの耳あたりから先が金色に染め抜かれている。

研究所などではなく、ステージの上でマイクを握り叫び歌っていた方が似合うような少女だった。
だから彼女がこのような場にいるのは場違いでしかなく――しかし確かに場の空気には似合っていた。

血と死の臭いしかしないこの場において彼女の衣装は確かに似合っていた。

「……どォしてあなたがここにいるんですか、黒夜」

絹旗がいつもとは明らかに違う奇妙なアクセントで問いかける。

「どうして? 説明が必要なのかい、絹旗ちゃンよォ」

対し、黒夜も同様の口調で答える。

「私も、アンタも、査楽も、それにそっちの滝壺ちゃンもさァ」

彼女は順繰りに視線を投げ。

「『同窓生』じゃないか。寂しい事言うなよ、ねェ?」

一体何が犯しいのか。くつくつと嗤った。

寒気のするような口調と声色に浜面は絶句していた。
乾いた喉をどうにかしようとごくりと唾を嚥下しようとするが、からからに干乾びた口は嫌な痒みを生むしかなかった。

腕の中の滝壺もまた揺れる瞳で黒夜と査楽を視線を見詰めている。
そしてぽつりと一言、呟いた。

「……『暗闇の五月計画』」

――ああなるほど、分かったよ滝壺。

「つまりこいつらは……」

浜面はぎり、と奥歯を噛み締め、黒夜と査楽を睨め付けた。

――俺たちの、敵だ。








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