8月20日午後5時20分、アビニョン『教皇庁宮殿』入り口
先行したナンシー達が、音も無く入り口に集結する。
「ちゃっちゃと済ませましょう。内部の人数を確認して」
「22号が受諾。……センサーに反応、9名の生体反応を確認しました」
ナンシーの命令に、遅滞なくクローンが返答した。
それを聞いた彼女は沈黙すると、即座に脳内で分析を行う。
(想像してたよりも敵の数が少ないわね。仮にも連中の切り札を保管してる場所だっていうのに)
(……それだけの戦闘能力を持った魔術師が、中に詰めてるって事かしら)
(例えば、1人で軍隊を相手取る事が出来るレベル5クラスの化物がいるのかも)
尤も、それは今さらの話ではあるのだが。
ナンシーとしては相手が油断してくれている事を期待していたのだが、どうやらそう上手くはいかなかったらしい。
(まあ、私は指示をするのが仕事。木原さんの用意した人形が幾ら壊れようと、知った事じゃないしね)
ヴェーラと異なり、ナンシーは猟犬部隊に相応しい悪人である。
自分以外の命に価値など欠片も見出していないし、必要なら凄惨な拷問だって行う。
ましてや、兵士として製造されたクローンに憐憫の情など抱くはずが無い。
「中に居る人間は全員殺していいわ。ただし、『C文書』だけは現物を持ち帰る事」
その命令を聞いたクローンが、ギュバッと音を立てて教皇庁宮殿へ突入する。
直後。
宮殿の中から、魔術師のものと思われる悲鳴が響き渡った。
そもそも『C文書』を破壊するだけなら、とっとと爆撃でもすれば良い。
あれは『原典』ではなく只の『霊装』であり、自己防衛機能は備わっていないのだから。
もちろん国際的に非難を受けるのは間違いないが、そこは上層部がどうとでも理由をつけて対処するだろう。
にもかかわらず、このような潜入行為をしたのは何故か。
(木原さんも面倒な注文をしてくれる……あれを手に入れてどうするのかしら)
木原数多が、人心を操るその霊装を欲しがったからだ。
言うまでも無いが、彼がそれを求めたのは自分で利用する為ではない。
ただ単純に、研究者としての好奇心。
それだけだ。
「ナンシー、本隊の展開も完了した。俺達もいくぞ」
「了解。さあて、ドジだけは踏まないようにしないとね」
クローンの後を追って、指揮官であるマイクとナンシーも宮殿へ入る。
中では、予想外の光景が広がっていた。
8月20日午後5時30分、アビニョン『教皇庁宮殿』近くの庭園
クローン部隊が宮殿内部で戦っている頃、エツァリとショチトルは別のアプローチで『C文書』を無効化しようと動いていた。
すなわち地脈の切断。
現在『C文書』をアビニョンで使えるのは、バチカンと魔術的なパイプラインが出来ているからだ。
その流れを曲げてしまえば、霊装の効果は失われる。
インデックスの助言を受けた彼らは、そのポイントを探している最中なのだが。
「ふう、これは骨が折れそうです」
「言うなエツァリ。元々が専門外の分野だし、仕方ないだろう」
地脈の利用に長けたわけでもないアステカの魔術師にとって、この仕事は容易ではなかった。
インデックスから大まかな場所は知らされているが、慣れない地理の中ピンポイントで地脈を特定するのに手こずっている。
「この近くで間違いないはずですが……」
エツァリがそう言いながら、庭園の樹木を観察する。
ショチトルから、切迫した声が発せられたのはその時だ。
「伏せろエツァリ!!」
「!」
ドッ!!と暴力的な音がするのと同時、何らかの“白い攻撃”がエツァリに襲いかかった。
ギリギリで反応した彼は、芝生を転がって荒い息を吐く。
ショチトルの声がなければ、直撃を喰らっていたかもしれない。
「これは……小麦粉……?」
半ば呆然としながらそう呟くエツァリに、楽しげに声がかけられた。
「おやおや。やはり近距離から放たなければ精度が落ちるみたいですねー」
声をかけたのは、一見して異様な雰囲気を感じさせる男だ。
痩せぎすの体に緑色の礼服を着ており、先ほどの小麦粉を『白い刃』として右手に持っている。
「U.E.G.Fからの救援物資だなんて名目で、本気で私を誤魔化せると思っていたんですかねー」
「そうは思いませんか、学園都市なんかに従属している裏切り者さん?」
男の声にショチトルが怯えて、エツァリの服にしがみつく。
「……エツァリお兄ちゃん……」
ショチトルが怯えるのも無理はない。
皮肉にもエツァリはそう思った。
同じ魔術師として、絶対的な差がある事が十分に感じられたからだ。
「せっかくですし、名乗りぐらいは上げておきましょうかねー」
「ローマ正教神の右席が一人、『左方のテッラ』と言います」
「あっちはすでに手を打っていますし、私の出番は無いと思っていましたけれど……」
「丁度いい暇つぶしになりそうですねー。少しは楽しませていただけるとありがたいのですが」
それでも、ここで殺される訳にはいかない。
決意を固めると、エツァリはショチトルを守るように1歩前に進み出た。
「ご期待に添えるか分かりませんが、精一杯足掻いてみましょう」
「自分にも意地がありますから」
相手に向けた黒曜石のナイフが鈍く光る。
夜の闇の中、魔術師同士の激闘が始まった。
同時刻、アビニョン『教皇庁宮殿』
遅れて宮殿に入ってきたマイクとナンシーが見た光景。
それは、常人では相手にならないはずの聖人クローンが、1人の男にまとめて吹っ飛ばされるというものだった。
しかも何人かの魔術師はすでに殺してあるものの、肝心のC文書を扱う術者はその“彼”が庇っているので生きている。
そんな想定外の出来事に驚くマイク達に目を向けると、“彼”は淡々とこう述べた。
「理解しがたいのである。聖人に匹敵する力を持つ兵隊が、こうも大勢いるとはな」
「噂では、極東の聖人が学園都市で殺されたらしいという事だが」
言葉を止めた“彼”が、ズン!!と重機じみた音を立てて持っていた巨大なメイスを床に叩きつける。
そしてそのまま、学園都市の人間を鋭い眼光で射抜いた。
「このような所業、許されるとは思っていまい」
同じ人間とは思えないような巨大な気配が膨れ上がり――。
「死人をも利用する傲慢さ、この『後方のアックア』が粛清する」
破滅をもたらす嵐に匹敵する、圧倒的なチカラが襲いかかった。
8月20日午前9時30分、胤河製薬学園都市支店
テレスティーナと五和が対面している同時刻。
研究棟地下3階の、一番奥。
それぞれが各自の思惑に従って行動している中。
木山も、その例に倣って行動を起こしていた。
「おや、また来たのかい木山君?」
「……」
嬉しそうにそう喋る幻生に、木山は答えない。
そして彼女の手には、かつて自殺に使おうとした拳銃が握られている。
「しかも随分と物騒なものを持ちこんでいるじゃないか」
「……」
一瞬で自分の命を断てる武器を目にしても、幻生は笑みを崩さないまま。
だがすでに木山の目は、寒気がするほど真剣だ。
ゆっくりと拳銃を幻生に向けると、ようやく口を開いた。
「……私は、犯した過ちをここで清算する」
「ふむ?」
「あんな悲劇、二度と繰り返させはしない」
「そのためなら私は“なんだってする”」
徐々に綻びを見せる木原数多の計画。
あるいはそれこそが彼の計算通りなのか。
その答えを知る者は、本人以外誰もいない。
最終更新:2011年06月11日 16:16