「なあ、ショチトル」
エリザリーナのもとへ向かう車内で、ふと思いついたように上条が声を掛けた。
「何だ?」
一面真っ白の風景を眺めていたショチトルは、ゆっくりと彼の方へ顔を向けた。
「スフィンクスに変身してたってことは、あいつに会ったんだよな? 今どこにいるんだ?」
「え、ね、猫か? し、しししししし、知らない」
ショチトルは知らないらしい。
「何でだよ?」
「あの、へ、変装魔術には、対象の皮膚がほんのちょっとだけ必要なので、
失礼してほんのちょっとだけ剥がせてもらったんだが」
「……かわいそうだな」
「一応応急処置をして、その後はどこかへ行ってしまった」
「でも、元気にしてるんだろ?」
「そうだ。すごく元気だ」
スフィンクスはすごく元気らしい。
雑談をしている内に、車はとある同盟国の市街に入り、停止した。
「着いたぞ」
「ありがとう、ディグルヴ」
滝壺に続いて上条とショチトルも挨拶をし、せっかくだから街で買い物をするという彼と別れる。
エリザリーナは、病院にいた。
柔らかそうなベッドで、上体を起こして落ち着いている。
上条とショチトルは石の床で一晩越したので、それを見ると羨ましい限りである。
「ごめんなさいね。早く目を醒ましていれば出してあげられたんだけど」
上条たちが訪ねて行った時、彼女はベッドから降りようとした。
しかし近くにいる世話人が全身全霊で止めたので、
仕方なく彼女は絶対安静で彼らと対面することになった。
「ディグルヴの集落に、ロシア成教の追っ手が来たんだろ?」
挨拶もそこそこに本題に入る。
上条は、車の中で滝壺から聞いたことをエリザリーナにも確認した。
「そのようね」
「尋問に行く予定だって聞いたけど」
「そのつもりだったのだけど、行き倒れてしまって」
ネギを傍らに倒れてしまい、計画は頓挫したという。
買い物ついでに尋問をするつもりだったらしい。
割と気軽である。
「気が付いたのはいいけど、皆が私をベッドから出そうとしないから、行くに行けないの」
「分かる気がする」
「あなたを動かすと命が危ない気がする」
「私はそんなエリザリーナさんを応援してる」
「どうもありがとう」
青白い顔で、エリザリーナは礼を言った。
エリザリーナは外へ出してもらえないものの、
弟子に様子を見に行かせて、集落に捕えられた刺客から情報を引き出すことは出来たらしい。
そこまで言って、彼女は滝壺を見た。
「追っ手は見た目十代の少女。あなたは知ってるわね?」
滝壺はこくりと頷いた。
「うん。その場にいたから。ラクロスのユニフォームみたいな服装をしていて、見た目は普通の女の子だったよ」
「ラクロス……ふーん」
「何か思い当たることでもあるのか?」
思案顔の上条を見てショチトルが訊ねるが、彼は黙って首を振った。
「……追手の正体はスポーツマンではなくて魔術師。
でも、弟子の話ではロシア系の魔術の傾向は見られなかったそうよ」
「もしかして、あいつか?」
「特徴は似ているけどね」
実は上条の頭には、とある乱れた性観念を持つ少女の顔が浮かんでいた。
いくらお説教しても懲りない、嘆かわしい現代のティーンエイジャー。
かくいう彼もまだ十代ではあるのだが。
ここでまた知り合いが登場すると面倒なことになりそうなので、
彼は人違いだと思い込もうとしていた。
「ロシア成教の人間ではないけど、雇われているのかも知れないわね。
お金次第では敵対する宗派に力を貸す組織もあるらしいから」
「あいつは確かにラクロスのユニフォームみたいなの着てるイギリス人の十代の女の子だけど、
そんないい加減な信念の奴じゃない」
「何か事情があるのかもしれないし、人違いかもね」
実際に会ってみないことには、滝壺の追手と上条の知り合いが同一人物かは分からない。
結論が出ないことを考えていても仕方がないので、ショチトルが話題を変えた。
「ロシア成教の狙いは何だ?」
「その追手の女の子も詳しいことは知らされていないらしいわ。
学園都市の技術を使って何かをしようとしている、としか」
つまり、その少女は下っ端か、単に雇われているだけなのだろう。
「何でわざわざ科学に頼る必要があるんだろう」
「……科学に出来て、魔術には出来ないことがしたいのでしょうね」
エリザリーナは、冷めた目をして言った。
彼女がそういう目つきをすると、常人よりずっと無気力な印象である。
生きているのかどうか分かり辛くなるので、なるべくやめてほしい。
「魔術に出来ないこと……たとえば?」
「たとえば、そうね。クローン人間を生み出すこと。
そんな魔術は無いのよ。人を作ることが出来るのは神だけだから。
魔術で再現が可能だとしても、十字教の魔術師なら絶対に行使しない。
それは神に対するとてつもない冒涜になるの」
それを聞いてショチトルが口を挟む。
「そんな冒涜行為をロシア成教が行っているというのか? 科学の手を借りて?」
「たとえばの話よ。流石に彼らがクローン技術に手を出すとは思えないわ」
クローンいえば、と上条はふと思い出した。
世界中にいる一万人の妹達が、ローマ正教によって捕えられていることを。
(ロシアもロシアだけど、ローマも何を考えてるのか分らないよな)
(まさか、神に対する冒涜だからってクローン達を殲滅しようなんて考えてるんじゃ……)
背筋にうすら寒いものを感じる上条。
何とか無事を確かめたいが、今は手一杯だった。
何だかんだで救助リストはまだ半分も解決していないのだ。
あーあ。
(一方通行……勢いで妹達のことを任せちまったけど、
あいつ自身が攫われたとかいう情報もあるし、大丈夫なのか?)
現時点での一方通行の働きぶりは上条よりよっぽど大丈夫なのだが、そんなことを彼は知る由もない。
ところで、魔術だの十字教だの聞き慣れないはずの言葉が飛び交っているが、
滝壺は特にうろたえも驚きもせず、ぼーっと宙を眺めていた。
「図太いというか、結構大物なのか?」
ショチトルがそっと彼女の顔を覗き込む。
「ぐーすかぴー」
寝ているだけだった。
「何をしたがっているのかは、連中に直接聞くしかないってことか」
「行くつもりなの? 止めはしないけど、上手くいく見込みはあまりないわよ」
「プロの魔術師が大勢詰めているだろうからな」
エリザリーナとショチトルは、やや不安げに意見を言った。
対して、上条は笑って見せる。
「けど、放っておくわけにもいかないからな。滝壺は助かったけど、研究者たちがまだ一杯捕まってるんだ」
「エツァリも……いるんだろうか」
ショチトルが心配そうに呟いた。
結論が出たらしいと判断したエリザリーナが、ベッドの上で窓を指す。
「なら、場所はそこの彼に聞くといいわ」
窓の外では、買い物から戻って来たディグルヴが、また車に乗り込んでいるところだった。
彼は一度、滝壺を助け出すために魔術師のアジトへ行っている。
確かに、彼にまた送ってもらえば迷わず辿りつけるだろう。
滝壺が「何度もありがとう、ディグルヴ」とか何とか言えば連れて行ってくれるに違いない。
目を覚ましたらしい彼女に、上条は尋ねた。
「お前が捕まってた場所って、どんな所なんだ?」
「新しくてきれいな建物だよ。ハイテクな感じの」
「ハイテク?」
魔術サイドなのに? と上条が首を傾げると、エリザリーナが解説してくれた。
「第三次世界大戦の時に、学園都市はロシアの土地に大量の基地を造ったの」
「ああ、聞いたことがある。上空から資材を投下して即席で組み立てるんだろ?」
エリザリーナが頷いた。
一方、ショチトルは訝しげな顔をする。
「だが、技術漏えい防止のために、戦争が終わった後すべて回収か解体かされたはずだ」
無くなった基地が何なのかと聞く彼女に、痩身の魔導師は首を振った。
「それが、連絡ミスがあったせたいで、一基だけロシアに忘れられていたらしいわ」
「何それ。ばかじゃないの?」
またそういう凡ミスをしたのか、学園都市。
ため息を吐く上条を尻目に、エリザリーナは肩をすくめて続ける。
「私も弟子たちにはホウレンソウはしっかり守るようにいつも言って聞かせてるわ」
「立派だね」
「つまり奴らは、忘れられた基地を使っているのか」
「最新式の機材がそのまま残されているからね」
その最新技術を使って、彼らは何をしているのか。
やはり、実際に見て確かめるしかないだろう。
エリザリーナに礼を言い、魔術師のもとへ乗り込んで行くことを宣言する。
上条が病室を出る時、ショチトルもとことこと着いて来た。
「私も行こう。エツァリがそこにいる可能性は高そうだから」
一方、滝壺は同盟国に残る事になった。
彼女がのこのこ出て行ってまた捕まったら元も子も無いからである。
さらに、学園都市に帰ることもできない。
彼女がのこのこ帰って行ってまた交渉の材料にされたら元も子も無いからである。
「悪いな、すぐ解決して浜面の所に帰れるようにしてやるから」
「ありがとう、かみじょう」
滝壺は、ぼんやりとあさっての方向を見ていた。
最終更新:2011年05月15日 22:26