エリザリーナ独立国同盟とロシアとの国境付近に、小さな集落がある。
ロシアの正規軍やプライベーティアに狙われてボロボロにされながらも逞しく生き抜いたその村は、
大戦の傷も癒えぬ内にまた大きな騒動に巻き込まれていた。
「巻き込まれてヤレヤレ系の主人公なんだ。日本のラノベによく出てくる奴」
(ハルヒとかね)
「この集落が?」
「そうそう」
冗談を言ったのが村人の男性。
日本人の感覚から言えば大柄だが、その物腰で気さくな印象を与える好人物だ。名前はディグルヴ。
対して、彼のジョークにクスリともせず「おもしろい」とだけ呟いたのは、
この村には少し不似合いな、小柄で黒髪の東洋人の少女だ。
彼女はロシア語が分かるらしい。
だが口数は少なく、次に口を開いたのもディグルヴだった。
「ところで。お前に関係あるかどうかは分からないが、今エリザリーナ独立国同盟では騒ぎが起こってるらしい」
「うん。どんな?」
「エリザリーナが誘拐されたらしい」
「大変。早く助けに行かないと」
驚いて顔を上げる少女。
だがディグルヴは笑って手を振った。
「大丈夫大丈夫。未遂に終わったんだ。犯人に担がれてるところを街の人が見つけてな」
「街中で堂々と担いでたの?」
「そうらしい。相当間抜けな奴らだな」
少女は少し首を傾げ、そしてくるりと顔を正面に戻してディグルヴを見た。
「それが、私に関係あるかもしれない?」
「ああ。その犯人な、日本人の少年なんだってよ。
高校生っつってたから、十代だよな。お前と近いんじゃないか?」
「! もしかして……」
少女の目が期待に輝いたのを見て、ディグルヴは慌てて彼女の予想を否定する。
「違うと思うぞ。聞いた特徴が全然あいつと一致しない」
「はまづら。やっぱり来てくれたんだね」
が、乙女の耳には届かない。
「違う違う。あいつが人攫いなんかするか?」
「何か事情があるんだよ。私を助けるためにロシアに来て、倒れてるエリザリーナさんを見つけたのかも」
「そう都合よくエリザリーナが落ちてるわけないだろ」
実は結構落ちているものなのだが、そんな事をディグルヴが知るはずもない。
「はまづらは悪い人じゃない。……ちょっとワルだけど」
「確かに。多少アウトローな感じはするよな」
「でも人を苦しめるようなことはしない。みんなに分かってもらおう。今度は私が助ける番だから」
うん。と、決意を胸に刻む少女。
「違うと思うんだけどなあ……」
ディグルヴは参ったな、と肩をすくめる。
彼女はやる気だ。
しかしここから例の犯人が投獄されている場所までは歩かせられる距離ではないし、
わざわざ車を出すのは面倒なのだ。
「はまづらが捕まってるのはどこ?」
「だから、浜面じゃないって。犯人は二人組だって話だぞ」
「……二人組?」
「日本人の少年の他に、どうやら中米っぽい浅黒い女の子が一緒だって。そんな知り合いいるか?」
「!!」
ディグルヴの言葉に、少女は固まった。
勘違いと分かってくれたかな? と一瞬ホッとしたディグルヴだったが、
目の前のジャージ少女の様子を見て、認識を改めることになった。
「褐色の肌……むぎのやきぬはたじゃない……あの二人は美白に物凄く気を使ってるから」
口以外の部位をほとんど動かさず、少女は固まっていた。
「た……滝壺?」
名を呼ぶと、少女――滝壺理后はゆっくり彼と視線を合わせた。
「はまづらが……女と二人っきり?」
ディグルヴの背筋を何か冷たいものが走り抜ける。
「はまづらが、他の女と二人っきりでロシア旅行?」
「え? 何で旅行になるんだ?」
滝壺の目が光った。
ように見えた。
「ディグルヴ。はまづらはどこ?」
「待て滝壺。その目はヤバイ」
「はまづらの居場所はどこ?」
「落ち着くんだ滝壺。そいつは浜面じゃ」
「連れて行って」
「はい」
無表情で迫り来る滝壺の姿を見て、ディグルヴは「人形みたいだ。怖い意味で」と思った。
上条は夢を見た。
夢の中で「これは夢だ!」と気が付く夢だ。
そこで彼は、
「目が覚めたら何もかもがただの夢で、
実はみんな無事で、
行方が分からない知り合いなんかいなくて、
またちょっと不幸だけど穏やかな日常が始まりますように」
と願いを掛けてみた。
結果的に、それまでの出来事は夢オチにはなってくれなかった。
起きてみると、そこは八方を石に囲まれた空間だった。
両手足が鎖で部屋の隅の柱に繋がれている。
背中が痛い。肩が痛い。腰も痛い。尻も痛い。
そして寒い。
まるで牢獄だ。
そして、事実牢獄だ。
窓は一つ。高くそびえる壁面の上方に、ポツリと浮かぶように存在していた。
エリザリーナ誘拐の罪で投獄された上条は、
その窓を見て、現在が日の射す時間帯らしいことを辛うじて認識した。
「起きたか。思い切り殴られていたから心配していたんだが」
一緒に捕まったショチトルは既に目覚めており、上条から少し離れた柱に繋がれていた。
「大丈夫……痛いけどな。ショチトル、今何時だか分かるか?」
「いや。そこまでは。私が起きたのも日が昇ってからだったし」
「そうか……」
痛いし寒いし、空腹だった。
不幸である。
とても不幸である。
そう考えるといつものことだった。
ショチトルと、取りとめも元気もない会話を過ごしていた時だった。
石造りの牢で唯一別の素材で作られている木戸が開き、彼らを捕えた男の内の一人が顔を出した。
ロシア語で一言挨拶のような言葉を言い、
その後ショチトルの方を向いて英語で何か語りかける。
英語を理解できるのが彼女だけだからだ。
ショチトルは彼の言葉に何度か頷き、英語で何か答えた後、上条に向き直った。
「何て?」
「私達……というより、あなたに面会人らしい。日本人の少女だとか。
会わせてやるが妙なことは考えるなと言っている」
「妙なことったってなあ……誰だ?」
「会えば分かるだろう。断る理由も権利もないのではないか?」
ショチトルの問いに、上条は頷いて見せるしかなかった。
面会人を待つこと数分。
殺風景な牢獄に、華やかなピンク色の服を着た少女が現れた。
ただし、ジャージだが。
「誰?」
「誰?」
顔を合わせた少年と少女が、同時に同じ言葉を発した。
初対面にしては気が合う。
「……っておい! 誰だか分からない奴の面会にわざわざ来たのかよ?」
上条のツッコミに答えもせず、ピンクジャージの日本人は呆然としている。
「はまづらじゃない……」
「浜面? 知り合いか?」
「知り合いじゃないよ」
「ええ?」
じゃあ何だ。
なぜ上条が浜面ではないことに愕然とするのだ。
取り敢えず知り合いでないなら何なのかと尋ねたところ、少女は心なしか頬を赤らめてこう言った。
「ただの知り合いじゃない……恋人」
そうか、変人か。
ではなくて、
「こ、コイビト!? あいつ彼女いたのか!(ちくしょうもげろ)」
「うん。はまづらを知ってるの?」
上条よりもショチトルの方を若干気にしつつ、ジャージの少女は尋ねてくる。
「まあ、ちょっとな。ああ、俺は上条当麻。そっちはショチトル。
ショチトルは浜面と面識はないよな?」
「聞いたこともないな」
日本人の少女の方へ会釈をしつつ、ショチトルは簡潔に答えた。
それに安心したようで、ピンクジャージはほっと息を吐いた。
「そうなんだ。……私は滝壺理后。
日本人の高校生が捕まってるって聞いて、はまづらかと思ったの」
少女の自己紹介は、上条にとって衝撃だった。
「なっ……滝壺理后!?」
無事だった。
それはよかった。
滝壺理后という少女のために学園都市を駆け回り、
さんざん苦労してそれも全て報われなかったのだが、
彼女は無事ロシアで自由の身になっていたらしい。
まあ、よかったと言える。
むしろ今は上条の方が不自由の身だ。
もう何が何だか。
「あの……滝壺さん。とりあえず、俺たちを解放してくれるように、外の人達を説得してくれませんか?」
「でも、かみじょうはエリザリーナさんを攫ったんだよね」
「えっ! ちが……」
「応援できない」
そして。
上条とショチトルは、必死になって滝壺に事情を説明することになった。
どんどん腹が減る。
一時間後。
二人による涙の説得を聞き入れた滝壺が、エリザリーナに連絡を取って、上条たちを解放してくれた。
説得に応じたというよりも、決め手は上条の以下の一言だったらしい。
「そうえば浜面な、お前のこと心配しすぎて空飛んでたぞ」
「……はまづら……」
「あ、そこは感動するところなんだ」
これで、急に滝壺の機嫌がよくなった。
何はともあれ、エリザリーナ直々の指示により、上条とショチトルは牢から出されることになったのである。
「かみじょうの名前を出したら話がすぐ進んだよ。有名人?」
「有名ではないだろうけど、エリザリーナとはちょっと知り合いなんだ」
「……知り合いが多いな」
ショチトルが、驚いたような呆れたような顔で彼を見ていた。
彼女は昨日から上条の行動を追っているので、
学園都市の暗部やら統括理事やら飛行機の中の人やらと知り合いなのを見て来ている。
それでいて、ここへ来てエリザリーナほどの人物とまでちょっと知り合いだと言う。
(エツァリが言っていた「上条勢力」か。本人がその価値に気が付いてしまったら恐ろしいことになるな)
こっそりと、ショチトルは思う。
ただ、今のところそんな心配はないらしい。
上条、そして滝壺の知り合いであるというエリザリーナに会うため、三人は彼女のいる同盟国へと向かう。
移動には屈強そうな四駆が使われた。
雪なんかに負けないぞ! という気迫が伝わって来るような立派な車である。
背が高く、横にも大きい。タイヤもごつごつしている。
男の夢はこうありたい。
運転をしている男も、大きくて頼りがいがありそうだった。
「何度もありがとう、ディグルヴ」
「いいんだ」
滝壺に礼を言われ、運転席の男はどこか諦めたような顔をしていた。
彼は観光業で働いていた経験があるそうで、日本語が話せる。
上条たちに気を使ってか、滝壺との会話にも日本語を使ってくれていた。
「ところで、聞いておきたいんだけどさ」
ディグルヴとの話がひと段落ついたのを見計らって、上条が滝壺に声を掛ける。
「うん。何?」
のんびりと、ディグルヴの方から上条の方へ顔を向ける滝壺。
「滝壺は、学園都市からロシア成教に渡されたんだよな?」
「そう。第一位と引き換えに」
「なんで普通にで歩いてるんだ? しかもエリザリーナ独立国同盟で」
「助けてもらったの」
そう答えて、滝壺は運転席を見た。
ディグルヴは黙っていたが、照れたような顔で運転を続けている。
「ロシアとの国境の近くに、小さな集落があるの。
はまづらと私は大戦の時にそこですごくお世話になって……」
「いや、浜面には俺たちの方こそいくら返しても足りないほど恩がある」
滝壺の話を遮って、ディグルヴが熱っぽく言った。
何があったのか多くは語らなかったが、集落の人々を救うのに、浜面が命を張ったらしい。
「へえ。やるな、浜面」
「そう。はまづらはかっこいいの」
もっとはまづらのこと褒めて、と彼女の目が言っていたので、上条はそれ以上褒めるのをやめた。
「……それで、その集落には縁があったから」
「滝壺が捕らわれてるって情報が伝わって来てな。少しでも恩を返せると思って」
集落の人達で滝壺のいる施設に乗り込んで、彼女を奪還したのだという。
「それは、壮絶なドラマが繰り広げられたのだろうな」
黙って聞いていたショチトルが、ぽつりと感想を述べた。
それに応えてディグルヴと滝壺が言う。
「まあな……死人は出なかったけど」
「それに、集落にまで追手が来ちゃって」
奇妙なことに、やって来たのは一人だった。
村人だけで撃破したが、奇妙な術を使う少女だったらしい。
闘いの末その少女は大きな看板に突き刺さったまま抜けなくなった。
今もそのままにしてあるので、近い内にエリザリーナが尋問する予定だそうだ。
滝壺が無事である理由は判明した。
しかし、聞き足りないことはまだあった。
例えば、
「第一位って、一方通行だよな? 会ったのか?」
「ううん。会ってないよ。大事な人質だから。特別な部屋に隠されていたみたい」
そして、
「何のために滝壺が必要だったんだ?」
「分からない。私の能力は能力追跡だけど、超能力を使えないロシア成教に必要なものだとも思えないし」
どちらも、あまり有力な情報には繋がらないようだった。
「でも……」
「ん?」
「日本人がたくさんいた。多分、学園都市の研究者」
「そうか。そういえばそういう話だったな」
学園都市を出発する前に、親船最中から聞いた話。
百五十人の研究者が、何らかの研究のためロシア成教に攫われている。
何を研究しているのかは不明。
「能力追跡(AIMストーカー)って名前を聞いた限りだと、AIM拡散力場と関係のありそうな能力だよな」
「うん。他の能力者の力場を覚えて、地の果てまで追い続けることができるの」
「……そうか(何か怖いな)」
制限があって普段は使えないけど、と滝壺は付け加えた。
「じゃあ、連中はAIM拡散力場の研究をしてるのか……?」
「そうかもしれない。私は何かされる前に助け出してもらったから、詳しいことは何も分からなくて」
何をするつもりだろう。
魔術師は能力開発を受けない。
そんなことをする必要ないし、彼らからすれば脳の開発など忌むべき行為であるはずだ。
ならば、AIM拡散力場とも無縁である。
レベル0レベルの頭脳を誇る上条には、ロシア成教の狙いなどどう考えても分からなかった。
エンジンは快調。
悩める四人を乗せて、立派な四駆は銀世界を走る。
■■■■救助リスト(抜粋)■■■■
===学園都市===
新生アイテム
麦野沈利 【解決済】
浜面仕上 【解決済】
滝壺理后 【奪還:ディグルヴ】
絹旗最愛 【解決済】
その他
風斬氷華 【中の人】
スフィンクス 【行方不明】
冥土帰し 【解決済】
研究者(約150人) 【誘拐:ロシア成教】
最終更新:2011年05月15日 22:23