07 「17年前」
17年前。
麦野沈利は学園都市の暗部に所属していた。
もっとも大半の仕事はもっと若い連中が専ら対応しており、ベテランとなった彼女が前面に出るような仕事は事実上無かった、と言うような状態だった。
彼女自身もいい加減飽きていたところだったし、いつまでもこんな血なまぐさい仕事を続ける気もなかった。
そんなある日、珍しく電話が来た。
「ちょっと、今回は今までとは違う話なんだけど?」
いつもの相方はいつになく下手に出た切り出し方をした。
(ち、ろくでもない話か)
こういうときは大抵めんどくさい話なのだ。もう何度も経験している麦野は心の中で舌打ちした。
「よければ、これが最後の仕事になるかもしれないんだけれど?」
(最後の仕事? どういうこと?)
ベッドに寝転がっていた麦野は起きて携帯を持ち代える。
「へぇ、こんなおばさんはもう御用済みですって? じゃぁ、たっぷり退職金を頂けるんでしょうね?」
皮肉たっぷりに麦野は返したつもりだったが、相手はマジメに返答してきた。
「退職金もいいけど、それより次のポストを準備しようかなー、と思ってるんだけど、どうかな?」
「けっ、これ以上まだあたしを働かせたいってわけ? もっとイキのいいアンちゃんネェちゃんにやらしたげなよ?」
だが、麦野の毒舌に返ってきた言葉は意外なものだった。 「風紀委員<ジャッジメント>の特別ポストなんだけどなぁ?
綺麗事だけじゃなくて、裏のウラまで知り尽くした麦野さんじゃないと勤まりそうもない、し・ご・と、なんだけど?」
(風紀委員<ジャッジメント>だぁ????? 何を言ってるんだ、コイツ? 暗部の人間に表をやらすってのか?)「気でも狂ったの? 暗部の人間を表に出すってどういうことだかわかってんの?」「なかなか面白いでしょ? でも、これはあなただから可能な事。他のひとでは無理なのよ。
それに、表といっても半分は裏方なのよ。だからこそ、あなたでないと勤まらないの。わかってくれるかな?」(けっ、何のことはない、やっぱりウラじゃん。あー、一瞬でもどきっとしたあたしがバカだったわ。はぁ)「言っとくけど、表の世界なのは間違いないからね、裏方って言葉に反応したみたいだけど?」「で、最後の仕事ってなんなのよ?」「気になる?」「どうでもいいけど、聞き始めちゃったからね、最後まで聞くわよ」「女であるあなたしか出来ない仕事。子供を産んで欲しいの」「ふっざけるなぁああああああああああ!!!!!!!!」
思わず麦野は携帯を吹き飛ばしてしまった。もちろんそれだけでは済まず、壁に大穴が開いてしまったが……
1週間後、新しい麦野の携帯に仕事の話が入った。よくある危険分子の排除だった。(そんなことをあたしにやらすのか?)と思ったが、能力者(レベル3)で危険なので是非あたしに、と言うことだった。気乗りしないまま行って驚いた。どう見ても相手はまだ子供、小学生だったからだ。「子供を、小学生をあたしに始末しろ、というのか?」麦野はほっぽって帰ってきた。特に何も、文句は来なかった。翌日、再び仕事の話が舞い込んだ。「また子供じゃないだろうな?」 「行けばわかるわ」果たせるかな、前回の小学生ではなかったが、中学生。生意気盛りの女子中学生だった。(あいつら……、あたしに嫌がらせで子供の始末をさせるつもりか?)麦野は耐えた。その翌日。依頼はまた来た。今度は依頼そのものを、無視した。するとその翌日、買い物に出かけた麦野にスキルアウトの連中が襲いかかった。異例なのは、通常スキルアウトの集団には能力者はそう多くはなく、いてもせいぜいレベル3がいいところで、通常はレベル1もしくは2程度というのが相場だった。もちろん圧倒的多数はレベルゼロである。しかし、今回麦野を襲ったのは軒並みレベル3であった。さしもの麦野もレベル3が束になって来られると簡単には撃退できない。そのうち、1人の発火能力者が麦野のお気に入りの服に焼けこげを3つ作ったので、さすがの麦野もこれにはキレた。「この野郎ォ!」 手加減はしたものの、原子崩し<メルトダウナー>の電子線はその発火能力者の左腕をすっぱり切り落とした。「いてぇよう、いてぇよう、かぁちゃん!!!」 泣き叫ぶその発火能力者はどう見ても中学1年生程度であった。「わぁっ!?」 「逃げろ!!」腕を切り落とされるところを見た他のスキルアウトは一斉にクモの子を散らすように逃げたが、麦野もまた逃げたのであった。(クソ、子供の手を切り落としてしまうなんて!)
そしてその次の日も、次の日も電話がかかってくる。無視を続けたある日には、部屋に催涙弾が投げ込まれた。逃げて行くのは子供であった。2ヶ月が過ぎた。麦野は陥落した。さすがに70日近く、連日の子供たちによる攻撃にはもう精神が耐えられなかった。「で、誰と寝ろっていうのさ」半ばやけくそ、自暴自棄になっていた麦野はどうとでもなれ、と言う調子で訊く。「そんな必要はありませんよ?」相方は極めて冷静に言う。「一度、指定病院で検診を受けて下さい。そして休養を取って頂きます」精神的に参っている状態ではダメ、と言うことなのだろうか、麦野は指定された病院へ行くと直ちに入院手続きが取られ、丸1ヶ月精神のリハビリを受けた。そしてある日。「あなたの卵子を使った、人工受精による妊娠・出産を行います。同意頂けますね? 宜しくお願いします」
と告げられた。「誰の精子さ?」麦野は訊いてみたが「規則により、お教えできません」ということだった。
およそ1年後。すなわち16年前。麦野沈利は女の子を出産した。父親は不明。自分(だけ)の子供だから、と言うことで、麦野は自分の「利」をとって、彼女は「麦野利子」(むぎの りこ)と命名された。約束通り、麦野にはもはや仕事の電話が来ることは無くなった。退職金ということなのだろうか、銀行口座にはある日大金が振り込まれていた。一生喰うには困らない金額であった。もっとも、彼女の実家自体が既に裕福であったし、彼女のレベル5時代の奨学金やら、暗部時代からの報酬も相当な金額が残っていたので、仮に退職金?が無くても問題はなかった。麦野は学園都市を出て(許可は簡単に下りた)、気候が穏やかな海に面した、とある小さな街の1軒の家を借り、生活を始めた。温暖な気候と、新鮮な海の幸と山の幸が豊富な、風呂は近くの温泉から引いているという実に恵まれた環境である。考えてみれば、小学生で学園都市に転入して以来、初めての穏やかな日々だったなと、麦野は今でも懐かしく思う時がある。
あの時が一番幸せなときだったと。
「どこそこの家に、スゴイ美人の若奥様と玉のように可愛い赤ちゃんがいる一家が来た」と言う話が街であっという間に広まった。麦野も最初は面食らったが、特に下心があると言う訳ではなく、新しく街の一員になった若い奥様と、未来を担う可愛い赤ちゃんに心からお祝いをしているだけ、ということがわかったので、不要な警戒心は解け、ゆったりとした時を過ごせるようになった。利子(りこ)は人なつこく、良く笑ったので、たちまち街の人気者になった。「将来が楽しみだねぇ」という声もあった。生まれを思い出すとちょっとブルーになる麦野ではあったが、利子の笑った顔はそれを忘れさせるに十分であった。麦野もよく笑うようになった。学園都市にいたひとが見たら驚くだろう、あの原子崩し<メルトダウナー>が大笑いをするだなんて、と。それから1年が過ぎようとしていた。すなわち15年前。1歳の誕生日の1週間前に、利子が「ママ」と言い始めた。初語である。麦野は感動した。自分の子供が、自分を「ママ」と呼んだのだ。まん丸な目で、麦野を見てニッコリ笑って、ちっちゃな手をふりふりして「まんま、まんま」と。嬉しくてボロボロ涙が出た。「利子ちゃん、かわいいわ、ママはあなたが大好きなのよ、いい子ね」と訳のわからないことを言いながら、麦野は利子をずっと抱きしめていた。
1歳の誕生日を少し過ぎたところで利子(りこ)は歩き始めた。
麦野が気が付かないうちに利子が台所に立っていた、というのが正しいが。ハイハイするだけでも結構神経を使うのに、歩き始めたことから麦野はさらに気を配らねばならなくなった。ちょっと目を離すと利子はとんでもないところに行ってしまうのだ。またいたずらも激しくなった。手が入るところには必ず手を突っ込んでみる。トイレの便器に手を突っ込んでいたこともある。飛び出ているものはつかんでひねる、ぐるぐるまわしてみる、かじってみる。開いている扉は必ず閉めてみる。閉まっているドアは必ず開けてみる。水たまりには必ず入ってどろんこにならないと気が済まない、そして泣く。麦野は毎日へとへとだった。それでも夜、自分の腕の中で安心しきってすやすやと眠る利子の顔を見ていると、疲れも吹き飛ぶのであった。麦野は幸せだった。そう、本当に幸せだった。そうして、あと少しすると利子が2歳の誕生日を迎えるというある日。麦野は台所で夕飯の支度をしていた。
ふと麦野は久しく感じたことのなかった悪寒を感じた。嫌な感じがふくれあがる。庭で利子が遊んでいたはずだった。台所を駆け抜け、居間を突っ切り裸足で庭へ飛び出した。「利子? リコ!? リコ!!」利子がいない。いない? い・な・い!!麦野の第六感は異変を感じ取っていた。(あいつらだ、学園都市だ!)久しくかけていなかった番号を選択してコールする。「あら、珍しいひと」 二度と聞きたくなかった人間の声が返ってきた。「テメェ、娘をどこへやった!?」 久しく出したことがなかった口調が、声が出た。「そろそろ、こちらへ返して頂こうかな? と思いまして」 と相方はごく当たり前の事のように回答してきた。「ふっざけるなぁぁぁぁぁ! あたしの娘をなんだと思ってるんだ、テメェはぁ!?」「あら、あたくしは『子供を産んで欲しい』と依頼しただけですけれど。育てて欲しいなんて言ってないでしょう?誤解なさらないでちょうだいね? あなたもこれで肩の荷が下りたでしょう? そろそろ次の」 ―――― グシャ ―――― 麦野は携帯を握りつぶした。その日以降、街から麦野親娘の姿は消え、街ではあの親娘はどこへ行ったのだろうかとひとしきり噂になった。
麦野は学園都市へ戻っていた。ピーンと張りつめた空気は廻りにひとを寄せ付けず、人々は彼女をよけて通っていった。麦野はまず、自分が入院した病院へ行ってみた……が。 ―――― 病院がなかった ―――― そこは鉄索で囲われ、大型トラックやダンプ車、クレーン車などが入り乱れていた。近くのひとの話では、昨年に病院は取り壊されたということで、しかも移転ではなく廃業ということだった。建築予定表をみると商業ビルが建つ予定になっていた。近くのネットカフェに入って検索をかけてみる。ものの見事に何も出てこなかった。 「クソ、あいつら存在自体を消しやがったか」昔使っていたパシリの小僧に電話をかけてみた。「おかけになった電話番号は現在使われておりません。もう一度」 無機質なお知らせ回答が流れた。(くっ……!)麦野はギリギリと歯をくいしばる。名前も顔も知らない学園都市の人間が、麦野をあざ笑っているようだった。(あたしは、あたしは利子を取り返す。絶対に諦めない! あの子はあたしの娘なんだから!)
ふっと麦野はあるひとを思い出した。「あの子なら出来る!」麦野は決断した。正直言って本当なら電話したくない相手。だがもう他に考えられる手段はない。麦野は15学区へ移動した。少しでも目立ちにくい場所を選びたかったのだ。そしてレンタカーを借りた。足が付くがこの際かまってはいられない。クルマを走らせ、多摩川べりに出る。河川敷のゴルフ場へ向かう道の途中でクルマを止めた。この場所は少し開けており、接近するクルマその他がよく見える場所であった。もちろん麦野の方も相手から見える、のであるが、強大な戦闘能力を持つ麦野は頓着しない。麦野は運転席に座ったまま新しい携帯を取りだし、電話をかけた。コール2回で相手が出た。「もしもし?」 麦野がまず聞いた。「もしかして、むぎの?」 相手はすぐさま答えてきた。懐かしい声。滝壺理后だった。
「あんた、元気なようね」「うん。もうすっかり大丈夫だよ? むぎのも元気?」<解説>一時期、滝壺は「体晶」と呼ばれる能力増幅剤を用いて自らの能力をフルに利用していたが、その副作用により廃人一歩手前まで追いつめられたことがあった。そしてその状態に追い込んだのは他ならぬ麦野自身であった。その結果、暗部「アイテム」のパシリであった浜面仕上と滝壺理后はアイテムから脱走し、2人を追った麦野と浜面は戦うこととなり、麦野は右目をその戦いで失ったのであった。(麦野の右目は現在人造眼球でもちろん見える)その後、滝壺は体晶の毒をとある療法で排出することに成功し、現在は健康を取り戻した。また、治療後のリハビリで、彼女は「体晶」を使用せずともAIM拡散力場を識別できるようになっている。さらにもう一段上の能力も実はその結果発揮できるようになっているのだが、これを公にすることは彼女の立場を極めて危険なものにしてしまうために、いつもは使用することを自ら封印しているのであった。<解説終>「ああ。それで、実はあんたに頼みたい事があるんだけど?」「?」理后のとまどう様子が感じられる。
「あたしのAIM拡散力場、まだ把握できるよね?」「うん、むぎののはとってもよくわかるよ?」「あたしと同じようなソレを持っている人を捜してるの。 御願い、滝壺。 あんただけが頼り。
御願いだから探して、いいえ、探して下さい。 御願いします! 助けて下さい!!」「むぎの……?」途中から麦野の声はそれまでとは違った悲痛な声に変わっていた。理后は返事を返せない。「あたしの娘なのよ!」麦野が叫ぶ。「あたしの宝物! 学園都市に連れ去られてどこかで実験動物にされるかもしれないの!
絶対にそんなこと、許さない。 あたしの娘を助けて……、御願い、お願い助けてよ!」今まで、耐えに耐えてきたものが一度に堰を切ったようにあふれ出た。麦野は泣いた。理后は、電話の向こうで号泣し、嗚咽する麦野の声をじっと黙って聞いていた。(あのむぎのが、あのプライドの高いむぎのが、わたしに……、わたしに……)麦野の嗚咽が少し収まってきた。理后はとても優しい声で「むぎの、ママになってたんだね? おめでとう。 よかったね。 あたしはそんなむぎのを応援する。
ちょっと待ってて?」麦野はあわてて叫んだ。「切ったらダメ!!!」「ふぇ?」あまりの剣幕に理后がびくっとする。
「切ったら次は繋がらなくなるかもしれない。 あたしのいた病院は影も形もないの。 存在自体が消されてるの。
だから切らないで! 待ってるから、このまま」「うん、わかった。むぎの。やってみる」しばらく沈黙が支配する。理后は、まず麦野のAIM拡散力場を捉えた。強大な「原子崩し<メルトダウナー>」のパワー。かつて学園都市の闇に君臨したレベル5の一人。「むぎのの位置は把握出来たよ? 昔と変わらないね」理后は優しい声で麦野に声をかける。「そう?有り難う」少し落ち着いた麦野。「むぎの? お嬢ちゃんはいくつなの? 名前はなんていうの?」「リコ。あたしの利に子供で利子にしたの。もうすぐ、2歳になるわ。なるはず、だったのに……」麦野の声は、娘を思い出したのだろう、再び涙声になる。「むぎの? 泣いたらだめ。むぎのは強いんだから、これから子供を取り戻しに行くんだから、強い精神力が必要だよ?」(まさかあの子に言われるとはね……)麦野は心を奮い立たせた。(ありがと、滝壺)「むぎの……?」理后の声に麦野は携帯を握りしめる。「似た人は……むぎのと同じようなAIM拡散力場を持ったひとは……いないわ」(まさか、利子には能力がない? それならそれであの子にとっては良かったかもしれないけれど……
いいや、だったら学園都市が誘拐するはずがないわ!)
「有り難う、少し違うタイプで探せないかな?」「だよね? ちょっと違うパターンを見てみるから……はぁ」理后の苦しそうなため息を麦野は聞き逃さなかった。「滝壺? 大丈夫なの?」まさか、また体晶なんか使ったの??「うん、もうアレは使わないでも、能力は使えるようになってるの。でも、体力を、つかうん、だよ。でも、むぎのの娘さん、探すから、待ってて?」苦しそうにとぎれとぎれに話す理后。麦野は携帯を握りしめたまま祈る思いで理后の答えを待つ。
「かなり違う、けど、これ、かな?」数分ののちに理后が口を開いた。思わず麦野は息を吐いた。「むぎの、の位置、から、西北西、4318m、に、同じ、ような、反応が、2人いる。
その、近く、東北東17mに少し、違う、反応が1人」「待って、GPSで確認するわ……自分の位置……ここ。
ここから、半径4318m 、位置は西北西……鮎原リサーチセンター? でも、どうして3人も同じようなAIM拡散力場が?? 最初の2人は同じタイプなの?」どうして3人もいるのか? 1人は利子だとしても、残りの2人は? 「最初の二人は同じ波、 でも、むぎのとは違うよ? でも、同じ、むぎの、と、同じ、色、が見えるの」(色? いろ? わからないわ。でも、いいわ)「離れている1人は?」麦野が聞く。「この、ひと、は、全然、違うの。 でも、むぎの、と、同じ、精神波。波が、すごく、似て、いるの。だから」(よくわからないけど、2人と1人か。1人が利子かもしれない。残り2人って、まさかクローン?
いや、それならもっとそっくりなはず。 どういうことだ?)麦野の頭脳はめまぐるしく回転を始める。「理后、ありがとう。 もういいわ。 休んで。 他にはあたしと似たAIM拡散力場は観測されていないのね?」「うん。娘さんの能力がゼロだったらあたしでは無理だけど?」
(その可能性もあるけれど、ならば学園都市は誘拐なぞするわけがない。あの子はおそらく能力者になるのだろう)麦野はあのあどけない利子が、自分のような戦闘型能力者になった姿を想像しかけて思わず震えてしまった。
そんなことは!「ううん? 理后、ありがとう。今更だけど、あのときはつらく当たってごめんなさい。許してちょうだい」「むぎの……」理后は一瞬言葉を失った。 よもや 「あの」 麦野が自分から謝ってくるとは予想もしなかったからである。思わず、理后の頬を涙が伝って落ちた。(むぎのが、 『ごめんなさい』 と謝ってくれた! あたしに謝ってくれた……)「もういいの。あの時は……仕方が無かったんだよ? それより早く、子供のところへ! 着いたら電話して!それから、むぎの、こんど子供と一緒に遊びに来て? 待ってるから………… はまづらも、待ってるから、ね?」最後に言うべきかどうしようか迷っていたひと、夫の名前を滝壺は出した。「そうね、無事取り返したら、きっとね。じゃぁ行ってくるわ」電話は切れた。思い切って浜面の名前を出してみたが、特に麦野の声に変化はなかった。(本当に言って良かったかな?)浜面理后と名を変えた滝壺は満天の星空を見ながら、遠く離れた学園都市にいる麦野とその子のことを考えていた。「……ったく、最後にアイツの名前出して! あー、一番聞きたくなかった名前だっつーのに! ……けど、仕方ないか。あの子の愛するダンナだもんね!」思いの外、冷静にその名を聞くことが出来た自分に、麦野は少し驚いていた。
我ながらずいぶん大人になったもんだ、と思う。「利子、待ってなさい。ママが必ず助けてあげる!」 麦野は思い出を捨て、レンタカーを走らせる。
「しかし、あの子カワイイねぇ」「あんた、何父親やってるのよ? 情が移ると仕事に差し支えるわよ」「へ、そこはプロだから任せろ。と言ってもなぁ、あの子のアタマかき回すのは俺はちとやだな」「ほら、もうおかしくなってるw」「お前ら!無駄なおしゃべりしてるんじゃない! DNAチェックはどうなっている?」「現在チェック中だよ。あと2時間くらいかかるんじゃねぇの?」「こっちの抗体検査は終わった。やっぱり自然の子は違うね。研究室の無菌培養じゃ太刀打ち出来ねぇよ」「いや、あいつらはウチで生き残ったエースだからな、これでうまく行かなかったら悲惨だよ」「しかし、やっぱり男はダメだな。結局生き残ったのは女の子だし」「そりゃお前、もともとの遺伝子からすれば男は傷入りのイレギュラーなんだからな、自然の掟の通りになっただけだろ」「いやいや、そもそもうちのチームが大体だな」「そこ! くっだらないこと言ってるんじゃないわよ!!」「ほらな、自然の掟の通りだよなアハハハハ」「全くだ、アハハハハ」「ハハハハ、異議なし!」「お前ら全員給料カットするーぅ!」――― しーん ―――「静かに出来るじゃないか」
ここは鮎原リサーチセンターのリラックスルーム。笹岡梢(ささおか こずえ)をリーダーとする第3チームのメンバーが休憩を取っていた。麦野利子(むぎの りこ)は、浜面(滝壺)理后のAIMストーカーによる探知の結果の通り、鮎原リサーチセンターに運び込まれていた。彼女の無垢の笑顔はここでもその力を発揮し、第3チームのメンバーを虜にしていた。リーダーの笹岡梢を除いて。「今日はどうします?」「今日はもうこれで止めよう。急ぐ話でもないからな。各人の帰宅を認める」笹岡は今日の仕事の終了を宣言した。「あー、終わったか」 とメンバーの1人が椅子から立ち上がった ――― その瞬間 ――― グワッシャーンという轟音が響き、リラックスルームの壁を貫いたエネルギー電子線が横なぐりに部屋をなぎ払った。立ち上がったメンバーはその電子線に水平にまっぷたつにされ、上半身がすとん、と床に落ちた。「え?」とその男はどうして急に背が低くなったのかわからずにまわりを見渡し、――― 上半身のない下半身が臓物をぶちまけながら自分に倒れてくるのを見て ――― 「うわぁーっ!!」と叫んでショック死した。他にも、伸びをしたところで電子線に手首を切断され、手首から血を振りまきながらのたうちまわる男。頭の皿を飛ばされ、脳みそをぶちまけて倒れた男。腰が抜けて立てない男。リーダーの笹岡は死体を見てげぇげぇと吐いている。 ――― ボォン ――― 2人が無惨な死に方をしたリラックスルームの扉が破壊された。
笹岡が振り返ると、そこには体中が青白く輝き、目をつり上げた若い女が立っていた。「!!」 笹岡の目が大きく見開かれる。「利子を取り返しに来たわ」 女がドスのきいた声で言う。笹岡は恐怖で答えることが出来ない。「どこにいるの?」 女が聞く。「警告! 警告! 攻撃エネルギー探知、攻撃エネルギー探知!」そこへ警備ロボットが3台突っ込んでくる。「うるせぇ邪魔だ!!」 女が喚き、右手から電子線を乱射する。 ――― ボンボンボン ――― あっけなく3台の警備ロボットが溶けて小爆発するのを笹岡は見た。「わぁーっ!」 「助けてくれーっ!」2人の男が逃げ出す。「逃がすか!」 再び右手から発光線が飛び、2人の男は肉片と化して飛び散った。「ぐげぇっ!」 その光景を見てしまった笹岡は、もはや吐くものもなく今度は胃液を吐いた。「そこのあんた、もう一度聞く。子供はどこにいる?」
女は吐いている笹岡の髪を左手でひっつかんで顔を引きずり上げて聞く。「し、知らない」 笹岡は視線をそらせて答える。
「ふ」 女は髪をつかんでいる左手に力を込め髪を焼き切った。タンパク質が焼ける臭いが新たにあたりを包む。「ぐ」 笹岡が頭から崩れ落ちる。「なら思い出させてあげるわ」 女は躊躇せず、笹岡の左手を発光線で切り落とした。「ギャーッ!」 笹岡は悲鳴を上げて床を転げ回る。「時間の無駄。死にたい? 死にたくない? どっち?」 女はのたうち回る笹岡を蹴り飛ばし、仰向けにしてヒールを思い切り腹に突き刺して聞く。「知らない、あたしは、何も!」 笹岡は同じ答えを返す。「そう。残念ね」 女は笹岡の頭を吹き飛ばした。女は、今度はうめき声を上げている両手首を失った男へ近づく。「く、来るな! あっちへ行け!、こ、この悪魔!」 男が叫ぶ。「あたしを悪魔にしたのは、あんたたちよ!」 女はその男のあたまを蹴り飛ばす。「あんたも、あいつのように頭吹っ飛ばされたい?」 右手をバチバチさせながら質問をする女。「こ、子供『たち』なら、地下2階に、いるよ!」「階段?エレベーター?」「ど、どっちでも行ける」「そう? ありがとう」 言うなり女はその男の頭を吹き飛ばした。女、修羅と化した麦野沈利はリラックスルームを出て、振り返ることもなく事務所棟を歩いて行く。
途中にあるセンサー類は、義眼である右目のマルチセンサーがギミックを全て見破っていた。もっとも、その殆どを破壊しながら進んで行くので、ある意味ではどう動いているか丸見えでもあったが。地下2階。思っていたよりこの区画は細かく広かった。ある部屋に入ると、そこは更に細かく区分けされた、半個室がかたまっていると言うべき部屋だった。「おねえちゃん、どうしてここに?」不意に男の子が目の前に現れた。青いパジャマを着ている。「テレポーター?」 麦野はその子に聞いてみた。「うん。まだレベル2だけどね。もっと練習してレベル5になってえらくなるんだ!」胸を張った、まだ10歳にもなっていないであろうその子に麦野はちょっと心惹かれた。「どうして偉くなりたいの?」 彼女はそう尋ねてみた。「え? だって、レベル5になればテレビにも映るしさ。
そうしたらお母さんかお父さんか、誰かが僕を見つけてくれると思うんだ。
そうすれば、僕がどこの誰だかわかるはずだし、家に帰ることも出来るからね!」(置き去り<チャイルド・エラー>か……かわいそうに) 心にズキっと走るものがあった。麦野は思わず微笑んで、「そうか、だからなのね。さすが男の子ね、おねえさん応援したげる」 と答え、「おねえさん、君に聞きたいことがあるんだけど、昨日か今日、ここに2歳くらいの女の子が来たはずなんだけど、知らないかな?」とその男の子に聞いてみた。
「うーん、僕知らない。この部屋には新しいこは来てないし。ちょっと待ってて?」そう言うと、男の子はある部屋の扉を叩いて
「ねぇ、18番、ちょっと起きてよ? 子供探してるひとがいるんだ?」しばらくして扉が開き、ピンクのパジャマを着た女の子が出てきた。「こんばんは。どちらさま?」少し年上らしい。見たところ5年生か6年生あたりだろうか。「こんばんは。あたし、むぎの しずりって言うんだけど」麦野は携帯を出して、その中の待ち受け写真を18番と呼ばれた彼女に見せた。「この子を探しているの。あたしの娘。間違って、ここに送られて来ちゃったらしいんだけど、地下2階にいるとは言われたんだけど、あなたご存じない?」女の子は写真を見て、そして麦野を見て、「いいな……おかあさんが来てくれて」 と本当に小さな声でつぶやいた。そしてその子は「あたし、過去の形跡を見ることが出来るの。AIM拡散力場の流れを逆に読めるかららしいけど」それを聞いて、麦野は青ざめた。上での戦闘を見られてしまうからだ。「もう知ってるわ。おばさんのAIM拡散力場はものすごく強力だもの。
あの人たち、心底悪い人たちじゃなかったけど、でも嫌いだった」そう言って再びその子は目を閉じて精神集中に入った。(く、おばさんと呼ばれた) と麦野は一瞬カチンときたが、(子供のいる女は、この子からすればおばさん、だわね)と思い直した。そんなことで怒っていては身が持たない。気が付くと、いつの間にか他の部屋からも子供たちが出てきていて、そこには6人の子供が集まっていた。「この部屋を出て、左、直進して。突き当たりを右に行き、正面の部屋に運び込まれていたわ。
前野さんていう先生がたぶんいるはず」目を開いて女の子が答えた。
「ありがとう。ところであなたの名前は?」麦野はその子に尋ねてみた。「18番よ」女の子はちょっと寂しげに笑った。「ここにいる子には名前がないの。番号で呼ばれるだけ」「僕は37番」さっきテレポートしてきた子が答えた。「あたしは136番」髪の長い女の子。「55番さ」「99番」「174番だよ!」男の子3人が一斉に名前、いや番号を答えた。「全部で6人いるのね」麦野は緊張した声で子供たちに確認を取った。「ううん、あと3人いるよ」と37番の子が言う。男の子では最年長のようだ。「外に出れない子が2人。それからおねえちゃんが1人」「おねえちゃん?」どういうこと?と麦野が尋ねる。 置き去り<チャイルド・エラー>の中・高校生ということだろうか?「おねえちゃんとおなじくらいのひとだよ? 風使い<エアロ・マスター>だけど、暴走するとすごいんだよ?」「わかった。じゃあとでその3人にも会ってみるね」と麦野は答えてくれた37番の男の子に返事をした。すると、「2人とは、あなたは直ぐ会えると思う」と18番の女の子が無表情で言う。「あなたの子供と同じ部屋にいるから」
18番と一緒に麦野は自分の娘がいるはずの部屋に入った。「18番、そのひとは誰かな?」 前野という研究者はこちらを一瞬だけ見て再びモニターに視線を戻した。「その子供のおかあさんだそうです」 と18番が答えた。「ほう、それはそれは、よくここへ。さすがレベル5は違うねえ」 と前野は軽く答えた。18番の女の子は 「え?」 と言う顔で麦野の顔を見上げる。「利子(りこ)を返してもらうわよ」 麦野は憤怒を押さえ、努めて冷静な声を出した。「いやいや、それは困ったな。ようやく実験が始められると思ったのにな」 前野が困った声を上げる。「ひとの子供を勝手に誘拐しておいてなんていう言いぐさよ!」 麦野の声が大きくなる。「いやいや、麦野くん、それは違うぞ? あの子は、我々が頼んだ子供だ。
我々の依頼による、キミの意志ではない妊娠によりこの世に生まれてきた子供だったはずだよ?
キミの妊娠は依頼された仕事だったはずだ。違うかね?」「く」 麦野が詰まる。「キミにはそれなりの報酬も渡ったはずだ。すくなくとも突き返されなかったと聞いているが? 慰謝料だな」(しまった、突き返しておけばよかったのか……) あの時に来たカネにはまだ一切手を触れていない。自分のカネで十分生きてこれたからだ。ただ、そんなことを今更言ったところでなんの効果もないこともわかっていた。
麦野は唇をかむ。「慰謝料には違う意味もあったんだがね? そこに2人の女の子がいるんだが」前野が手元を弄ると、暗くて見えにくかった奥に、4つのカプセルが立っており、そのうち2つに子供が入っていた。「あの子たちもきみの子供だ」
カプセルの中に、まだ小さな女の子が2人いた。(滝壺の、言っていた2人はこれか!) 麦野は驚愕した。「クローン?」 麦野が震える声で聞く。18番の子は黙って聞いている。ひとことも聞き漏らすまいとして。「違う」 前野が即座に否定した。「クローンでは、既に結論が出ている。オリジナルに遠く及ばないと。第三位の話ぐらい聞いているだろう?」第三位、レベル5の第三位すなわち御坂美琴。
超電磁砲<エレクトロ・マスター>のクローンによるレベル5量産化計画は大失敗に終わったことは麦野も知っていたし、御坂美琴本人とも戦ったことすらある。「ならば、高位者同士のカップリングによる自然交配ではどうか、ということで、生まれたのがキミの子供たちさ」麦野の顔が引きつった。 高位者、ということはレベル5に決まっている。 まさか……?18番が麦野の顔をじっと見つめている。「第二位、垣根帝督と第四位のキミ、 すなわち麦野沈利の組み合わせが選ばれた。
本来なら第一位と第三位だろうが、第一位は生殖能力が低く実験には不適当だった。
第二位と第三位の組み合わせは統括理事会で明確に否定されたのでボツになった」麦野がこぶしを握りしめている。ツメが手のひらに食い込み血がにじんでいる。「もちろん、第二位はもはや人間の形をとどめていない。
だが彼の肉体であったものは残っている。精液も冷凍保存されてね?」「キミに人工授精を施す際に、キミの卵子も実は排卵誘発剤を用いて複数個取りだした。
残念ながら未成熟な卵子は受精後に死んでしまったりして、結局生き残った個体は4体だった」
麦野が顔を上げて前野をまっすぐに見すえる。(こいつら、ひとの命を……なんだと思っているのか)「更に、保育器のメンテなどで外に出した際に病原菌に冒されて死んでしまったものが2体。
2年後の今、生き残ったのはその2体。 どっちも女性だ。
キミのところも女の子だが、やはり女の方が生き残る確率は高いのだな」「自然に生まれでた個体と、人為的に誕生し生育を受けたものとで、どのような違いが出るのか、今から思えば、キミに依頼した方も双子にしておけば、ウチの子たちと良い比較データが取れたかもしれない、と思っているのだが」「……すると、そこの2人は、一卵性双生児、ということ?」 麦野が目を伏せて言う。「その通りだ」 と前野が言う。「もう一つ。父母がともに能力者だった場合、どちらの影響がより強く現れるのか?という観点がある。
学園都市の年齢層は現在上の方は結婚適齢期を迎えており、第二世代が今後増えることが予想される。
どのような結果になるのか知りたいとは思わないかな?」「話はわかったわ」 麦野が前野を見すえて言う。「利子だけじゃない、その双子も取り返すわ。あたしの娘だもの」「それは、無理な話だ」 前野は即座に否定した。周りがそんなことは許さないだろうと。「わたしが死んでも」前野は続ける。「キミの娘は、レベル5を両親に持つエリートだ。これは動かしがたい事実なのだ。ここにいる生き残った2体もまた、育った環境こそ違え、同じレベル5から生まれた子供だ。
これは学園都市にとって歓迎すべきことなのだよ。この3人の娘たちは私たちが消えても、必ず誰かが注目することになろう」
「ふふ」 麦野は冷たい笑いを浮かべた。「18番さん、目をつぶりなさい?」 と言い、
「ハッ?」と彼女が一瞬の躊躇のあと目をつぶったのを見届けた麦野は、「あなた、考え違いをしているようね」 と冷たく言い放ち。――― 「ダーッ!!」―――気合いと共に放たれた電子線は4つのカプセルと前野を粉々に吹き飛ばした。「取り返したわ。あんたたちの汚い手からね」麦野は18番という名の女の子に「目を開けていいわ」と言おうと振り返った。しかし、彼女の目は既に見開かれていた。その目には明らかな敵意があった。(やっぱり見ていたか、子供には見せたくなかったけど……)「どうして?」 最初の言葉だった。敵意を持ったままの彼女の目からぽろりと涙がこぼれた。「どうして、殺したの? なんの罪もない子供2人を? かわいかったのに。よく笑う子だったのに?」麦野は答えない。「あんたも、ここの連中と一緒だわ! 人殺し! 卑怯者! ばけもの! あんたなんか消えちゃえ!」18番の子は泣きながら麦野に向かって呪いの言葉を吐く。「やかましい、クソガキ!」 麦野は18番の子を張り飛ばす。「あたしは、アンタの言うとおり、人殺しさ。ああ、何十人、何百人と殺してきたさ」麦野は彼女のパジャマの襟を握りしめてささやく。「アンタも自分の子を持ったときに、自分の子供を手にかけた、あたしの無念がわかる時がくるだろうよ」18番は、目をぎらつかせ殺気に満ちた麦野の頬に、涙の跡を見た。麦野は、18番の襟を離すと、自分の娘、利子を捜し始めた。
何も知らぬ麦野利子は、カプセルの中で、いつもと変わらないあどけない顔ですやすやと眠っていた。笑う利子、泣いた利子。私を 「ママ」 と呼んだ利子。私の、私の利子!「ママを許して、ごめんね、リコ……」麦野は利子が寝ているカプセルにすがりつき、思い切り泣いた。18番はじっと号泣する麦野を見つめていた。「カエルの子はカエル、か……」 泣きはらした麦野はふらっと立ち上がり、小さくつぶやいた。「あんたに、あたしの人生は歩ませないわ」麦野は自分の、血に染まった半生を思った。なんでこんな能力を持ってしまったのだろうと考えたときもあった。悩み続けた結果、 「考えない」 という結論に達した。
持ってしまった事実は消せない。
人を殺してしまった事実も消えない。あたしは闇の掃除人。学園都市の暗部の1人。光あるところ影がある。影なら、影らしく生きて死のう、と。「利子……」産まれてきた利子は、そんなあたしに、再び「人間」としての意味を考えさせてくれた。この子とともに生きようと。でも、神様はあたしを許さなかった。ひとの命を奪い続けた女に、人並みの幸せを与える訳にはいかなかったのだろう。「あたしの娘として産まれてきたのが、あなたの不運。ごめんなさいね、利子」あたしは人並みの幸せを望んではならなかった。死神ともいうべきあたしに、そんなことはあってはならなかったのだと。「利子、ママと一緒に、遠いところに行こうね。誰にも邪魔されないところに。なんか、あなたに姉妹もいるらしいし、みんなで楽しく暮らそうね」麦野はきっ、と利子の寝るカプセルを睨み、右手をあげた……
「がっ!?」いきなり目の前が真っ暗になり、麦野は床にたたきつけられた。「うはー、ひでぇよー、でも、成功だぜ~」 37番の男の子が麦野にテレポートアタックを敢行したのだった。「こ、このクソガキがぁ! ……てててて、痛っ?」 麦野は悪態を付き、反射的に電子線を放とうとしたが、打った場所がよくなかったのか、演算がうまくできない。「うわぁ、可愛い子だ~? ハイハイ、おねーちゃんが守ってあげるからね~、もう心配ないでちゅよぉ~?」どこからか、子供ではない、女の声がカプセルのところからした。「リコ!? リコ!!」 麦野はついさっき、自分が利子を殺して自分も死のうとしたことも忘れ、利子に近づいた女を見ようと立ち上がった。「その子に触るなぁっ!!」 麦野が怒鳴りつける。「なーに言ってるんですか? 貴女は殺そうとしてたじゃないですか、こんな可愛い子を?
絶対ダメです。渡しません!」見ればまだ若い女だ。20歳くらいだろう。長い黒髪。意志の強そうな目。その女は利子をしっかりと抱きかかえ、麦野に渡すまいと全身で防護しようとしている。「おねーちゃん、だめだよ!」「止めて、ください」「そんなことしちゃ、いけないんだよ!」子供たちが利子を守る女の前に集まってかたまる。その姿は2年前の、あの相方が送り込ん出来た子供たちを麦野に思い出させた。「てめぇらぁーっ! どこまであたしをバカにしやがるんだぁーっ!!!!」思わず麦野は電子線をなぎ払う、………… 子供たちの頭の遙か上を…………
はぁはぁと麦野は荒い息をつきながら悪態をついた。「クソったれが……」
子供たちは一瞬茫然としていたが、麦野のその言葉で我に返り、「うわぁぁぁーん!!!」 と一斉に泣き出したのだった。「怖かったよー」「死にたくないよー」「ごめんなさい、もうしませんから、ごめんなさい!!」その、いかにも子供らしい泣き声に、麦野の緊張はぷっつりと切れた。「あー、もう止めだ、止め!! てめーら泣くんじゃねぇ、泣きたいのはあたしの方なんだよ!!」そのとき、利子をかばっていた若い女が小さい声で言った。「あ、あの、2年ほど前に、あなたは、わたしを助けてくれませんでしたか?」
「あん? なんだって? 2年前って、どこで?」 そう言いながら、麦野は思い出した。不良能力者の始末を依頼された麦野は、予定通りに任務完了して帰ろうとした途中で、異様な空気を感じ取ったのだった。果たせるかな、そこには3人がかりで若い女性に襲いかかっているスキルアウトを見つけ、まだ仕事の興奮の余韻が残っていた麦野はその3人を一撃で粉砕したのだった。襲われていた女はパーティの帰りだったらしく、着飾った服が破られ、無惨な状態だった。
麦野が気づいたのは、その女の口と下腹部から血がにじんでいたことだった。服をめくると、下腹部にはどす黒い内出血の跡が見える。「ちっ、面倒なことになったわね」 そう思いつつも、麦野は後始末専門の部隊長を呼ぶ。気を失っている女をワゴンに乗せ、病院へ搬送したのだった。――― あの時の? ―――
麦野は、利子(りこ)を守る女の顔をもう一度見た。「そういえば、そんなこともあったかもね……」 麦野はつぶやいた。「やっぱり!? 今の光線見て、もしかしたら、あたしの命の恩人なんじゃないかっておもったんですよぅ!!あ、あたし、佐天涙子(さてん るいこ)って言うんです!! そ、その節は、本当に、本当に有り難うございました!」佐天はペコペコと頭を何度も下げる。彼女の周りにいた子供たちは、新しい話の流れに耳を傾け、じっと聞いている。泣いている子はもういない。
「もし、あのとき、来てくれなかったら、あたし、きっと強姦されて、そして殺されてました!
貴女は、わたしの命の恩人ですっ! もう、何でも言うこと聞きますから!
そ、そう言えば、貴女のお名前はなんと仰るんですか?」(あー、もううざいな、コイツ) と思うが、命の恩人、と持ち上げられて悪い気はしない。「麦野沈利(むぎの しずり) だよ。あたしは」 麦野は名乗った。「むぎのさん、なんですね? じゃ改めて、麦野沈利さん、本当に命を助けて頂きまして有り難うございました!」もう一度佐天は麦野に深々と頭を下げて御礼を言った。「もういいわよ、過ぎたことよ。それよりね、あなた、いい加減に娘を返して欲しいんだけど」うんざりした感じで麦野が佐天に言う。「え、この子、貴女のお嬢さんなんですか? えええ? 娘を殺そうとしたんですかっ!? 一体どうして??」「うっさいわね、誰だって好きこのんで自分の子供を手にかけるわけがないでしょ!?
どこに、どこに自分の子供を殺す……親がいる……わけが……ないじゃない」 麦野はうつむいてしまった。「何があったか知らないですけど、一人で悩んだらダメですよぅ。
一人だと、かならず結果を悪い方向へ想像するんです。
あたしも昔幻想御手<レベルアッパー>で酷い目にあってますし」 佐天が熱弁をふるう。 (この子供の命がかかっているんだから! 母親が娘を殺すなんて絶対させないから!)「難しい話は人の意見を聞くべきです! それで、たとえ最後の結論が変わらなかったとしても!
かならずいい方法があるはずですから、ね、ちょっと時間を取りましょう!」
麦野は下を向いたままだった。少し落ち着いた彼女の頭の中では、激しい葛藤が渦巻いていた。よりによって、あの第2位、メルヘン野郎の子供……、 人為的な「原石」の創造を狙ったのか……、父親の能力を受け継いだとすればこの子には未元物質<ダークマター>が、私の能力を受け継いだら原子崩し<メルトダウナー>が。どっちもろくな能力ではない。どちらかといえば戦闘能力。学園都市の科学者が押し寄せるだろう。いや、外界のあらゆる国も欲しがるのは確実。この子を巡って争いが起きるのは自明の理。実際のところ既に起きているのだし。どうする……? 殺してしまうのが一番早い。あの子たちのように。つらすぎるけれど。殺さないで済む方法は? 能力を消す。そんなことが出来るのか?
キャパシティダウナーは、昔から見れば小型化されたが、まだ持ち運びできるところまでには至っていない。
AIMジャマーは小型化されてきているとはいえ、慣れの問題でジャマーの機能が無効化される例もある。完全ではない。どうすれば、どうすればこの子が生きて行けるか……?「あのー、もしもし、麦野さん? 聞こえてますかー? 」 ふと気が付くと、目の前に佐天の顔があった。「わ!」 思わず麦野が後へ飛び退く。「す、すみません、ちょっと遠いところに行ってらしたみたいなもので……」 佐天が頭をかきながら謝る。「それで、とりあえず一旦ここから出た方がいいんじゃないでしょうか?
あたしは少なくとも今行方不明になっているはずなので、連絡取りたいですし、この子たちの行く先も相談したい人がいますので……」ふと、麦野は思った。この子、誰に相談するつもりだろうか?
アンチスキルでは危険だし、おそらく上の手がまわっているはずだから、逆効果になる可能性も高い。
「そうね、ここにいてもしょうがないし。おちびさんたち! ここから出るよ!」 麦野が声をかける。「えー、どこ行くの?」「そとは寒いんじゃないかな?」「夜はこどもは出ちゃいけないって昔おかあさんに言われた」「おまえら、もう変な薬飲まなくて済むんだからすこしは喜べよな!」「……一難去ってまた一難……かも?」「く、こいつら……」麦野は子供たちがもう少し喜ぶと思っていたので、予想外の反応にとまどいを隠しきれなかった。(住めば都ってことか? あのままいたら研究材料として死んでいっただろうに。その方が良いとでもいうのか?)「いやならここにいろ! あたしにゃ関係ないことだからな。アタマ弄くられて、実験のモルモットになって、捨てられてもいいのなら、ここにそのまま残ってるんだね!」麦野はそう突き放した調子で子供たちに宣言し、部屋から出た。1階へ上がると、夜の冷気が襲ってきた。麦野が入ってくる時にぶちこわした正面玄関から冷たい風が入ってくるのだった。既に11月。夜は冷える。「さむーい!」 付いてきた子供たちが震え上がる。「こりゃ、このままじゃダメですね……」 佐天が残念そうに言う。「あんたたち、下へ降りてなさい。あたしの友達に来てもらうから!」佐天がいうと、子供たちは「うん、この服じゃ耐えられないもん!」「明日の昼でもいいよぅ……」と適当なことを良いながら下へ降りていった。
「すみません、もし良かったら電話貸して頂けませんか?」 と佐天は麦野に尋ねてきた。「どこに連絡するつもり? アンチスキルは当てにならないよ?」 麦野が質問しながら佐天に携帯を渡した。「あ、あたしの中学時代からの友達で、初春飾利ってのがいまして、エヘヘヘヘ……」いやぁすいませんねぇ、という調子で佐天は受け取った携帯で電話をかける。「その子、大丈夫なの?」 麦野はまだ警戒を解いていない。「ええ、バッチリですよん……………もしもし、初春? あたし。 ……ごめん、捕まってた。うん、…………そうなのよ!なんとかね。…… それでね、チャイルドエラーの子供たちもいるのよ、全部で6人。…………そう、出来ればね。
…………場所はわかる? これ、あたしのケータイじゃないのよ。……むぎのさんってひとの…………
そう、むぎの しずりさんてひと。……ええっ?ホントに!?…………マジでレベル5なの? 道理でスゴイわけだ……」佐天は話しながら、麦野を驚きと尊敬のまなざしで見る。「すいません、ここ、なんていうところだかご存じですか? すみません、あたし昨日一昨日くらいに連れてこられたもんで知らないんです」佐天が聞いてくる。「鮎原リサーチセンターよ」 と麦野が教えてやる。「鮎原リサーチセンターだって…………オッケー?……うん、じゃ待ってるから、ありがとね、初春!」佐天は電話を切ると、「どうも有り難うございました」 と麦野に携帯を返した。「ちゃんと連絡できたの?」 麦野は佐天に尋ねる。「ええ、もう大丈夫だと思いますよ」 とニッコリ佐天が微笑む。―――――― 佐天が続きを言おうとしたとき ――――――「風紀委員<ジャッジメント>ですの!」いきなり現れたのは白井黒子だった。
「いやいや、僕はただの医者だからね? あまり患者個人の事情には立ち入りすべきじゃないと考えてるんだが?」カエル顔の医者がちょっと面食らった顔をする。そう、ここは冥土帰し<ヘヴンキャンセラー>の病院であり、彼の個室である。「いえ、先生には大人の男性としての意見を述べて頂くだけですから」赤ん坊を抱くのは御坂美琴改め上条美琴。彼女は昨年に上条当麻と結婚式を挙げ、先月初めに女の子を出産していた。名前は当麻の「麻」と美琴の「琴」を取って「上条麻琴(かみじょう まこと)」と名付けられていた。
(よりによって第三位が出てくる、とはどういうことなのよ……)麦野は会いたくない相手の一人である上条(御坂)美琴の出現に混乱していた。学園都市に7人しかいなかったレベル5の二人。
片や学園都市のヒロイン。しかし、元はレベル1からのたたき上げという努力のひとであった。
その努力は実を結び、彼女は美貌と知性・教養と、そして学園都市ならではの超能力者<レベル5>という3つを備えたスーパーヒロインとして、揺るぎない地位を確立していた。まさに「光」のヒロイン。片や、麦野沈利。彼女は天才であった。
とある資産家のお嬢様として産まれ、持って産まれた美貌と知性、優秀な頭脳は小学生時代で既に折り紙付きであった。しかし、中学生時代に起きたある不幸な事故以来、彼女は表の世界から姿を消した。彼女が表の世界から消えて数年後。「裏」の世界で、たぐいまれな美貌を持つ「暗殺者」が話題に上り始める。圧倒的パワーで邪魔なものを排除してゆく、「原子崩し<メルトダウナー>」、それが「麦野沈利」すなわち「影」のヒロインであった。
「許せないわ、そんなこと! 絶対に許さない。 女をなんだと思ってるのよ?」美琴が麻琴を横抱きしながら怒っている。妊娠して以来、彼女は極力電撃を飛ばさないように首、腕、手首、足首にAIMジャマーを内蔵したリングを着けていた。まだ試作品であり、それぞれは結構大柄でフルに装着した姿はやや異様であった。
しかも、これとて美琴のレベル5のパワーを全ては受け止めきれないレベルでしかなかった。
とはいえ、無いよりはましで、麻琴がぐずることが大幅に減ったのもまた事実であった。「お姉様、言うは易く行うは難し、ですわ? 24時間じゅう起きて守っているわけには参りませんのよ?
しかも相手は学園都市だけではない可能性もありえますの。
学園都市から出てもまた同じ事が起きるとなれば気の休まるときはありませんわ。
いかに学園都市レベル5の第4位のパワーを持っていたとしても……」白井黒子が麦野をちらちら見ながら上条美琴を諫める。「そう、ですよね……、だからいっそのこと、って考えちゃったわけですよね、ここからいなくなればって……」初春飾利が言う。「ひとつ、良いかな?」黙って話を聞いていたカエル顔の医者が言う。皆が一斉に彼を見つめる。「いなくなってしまえば、死んでしまえば追跡は消える、んだね? 初春くん?」カエル医者が初春に尋ねる。「えっと、それは100%保証できませんけれど、通常死亡届が出ると、もちろん戸籍から『抹消』され、他に書庫<バンク>からもデータは『抹消』されます。
但し、普通は死亡ということで通常の検索からは外されますけれど、あくまでも記録データそのものは残っている事が多いのです。
ただ、中には完全に消えてしまっている例があります。
どういう場合にそうなるのか、私にはわかりませんが……私の小学校のお友だちがそういう目にあっています。
……『最初からそんな人はいなかった』 ということになっているんです。
あたしと、一緒に遊んだ……う、ううっ、…………有希、ちゃんが……」初春は今は亡き幼なじみを思い出したのか、涙声になる。「おいおい泣くな、初春、ね?」 佐天がハンカチを出して初春に渡す。「す、すびばせ~ん」 初春が鼻をかむ。
「おやおや、ちょっと初春くんにつらい思い出を思い出させてしまったみたいだね、ごめんね。
そう言うつもりじゃなかったんだけれど。さて、母である麦野沈利くんのやってしまったこと、やろうとしたことは、追跡者の手を逃れる、と言う面から見れば正解だったと言えるんじゃないかな? 誤解しないでくれるといいけれど?」 カエル医者が言う。「先生、つまり、死んだことにすればいいと?」 佐天が言う。「でも、そうしたら麦野利子さん本人はどうしますの? 幽霊になってしまいますわよ?」 白井が否定する。「それですよ! 新しく産まれたことにすればいいんですよ!」 佐天が目を輝かせて言う。しかし、白井はため息をついて、「あなた、この子が赤ちゃんなら良いですわよ? お姉様の麻琴ちゃんのように。
ですが、こちらのリコちゃんはもう2歳になろうかというもう立派なお嬢様ですのよ? それを今更どうしろと?」
白井が重ねて否定する。「うーん、良い方法だと思ったんだけどなぁ……」 と佐天が言う。「記憶は学習装置<テスタメント>を使えば修正可能ですよね、先生?」 今まで黙っていた上条美琴が口を開いた。「可能、だよ」 カエル医者が答える。「あたしは、麦野さんに残酷なことをあえて言うけど、『死ぬ』 ことしか追跡を終わらせる方法はないと思うわ」 美琴がいう。
「なんですって!! ひとの娘だと思ってなんて事を! そんなことならここへ来る必要なんかなかったわよ!!そんな結論聞きたくもないわ!」 黙っていた麦野が激高する。「最後まで聞きなさいよ、麦野さん? それから大声出さないでよ、麻琴が起きちゃうから」
美琴がやんわりと言い聞かせる。「『麦野利子』という人間は死んで消える。そして新しい子供が生まれる、ならいいのよ?
全然関係ないひとのところで」「でも、この方法では、麦野さんと利子ちゃんの縁は永久に消さなければならないの。
新しく産まれてきた子が麦野さんの娘と言うことになれば、話は振り出しに戻ってしまう。
あと、2歳年をサバ読みするから、子供の時にすごく苦労すると思うわ。
まぁ私たちくらいになれば、良くやってることだから問題ないわよ(笑)」最後で美琴は固くなっている雰囲気を和らげるように冗談を言った。
残念ながら皆マジメに聞いていて、笑うものはいなかったが。「……」麦野は黙って美琴の話を聞いていた。(麦野利子という存在は消える。あたしが殺しても同じ事。あの双子と同じように。
でも、利子自身は生きて行く。どこかの誰かの娘として。 あたしからすれば同じ事だ)「あたしは、その条件のむわ」 麦野は美琴の目を見て宣言した。「あの子が生きていけるなら、あたしは親娘の縁がなくなってもかまわないわ」 彼女は言い切った。「麦野さん……」「……」「……」白井、佐天、初春は黙って麦野の決断を聞いていた。「あの時に、麦野利子は死んだのよ。あたしが殺したのよ。あいつらが勝手に育てていた双子と一緒に、親のあたしが」麦野は両手で顔を覆った。その隙間から涙が伝って落ちていった。
「で、里親というか、新しい親をどうやって見つけようか?」美琴がしばらくして、重苦しい雰囲気を振り払うべく新たに問題を提起した。「あの、御坂さんの寮監さんの行ってたところ、なんて言いましたっけ、あそこに預けるというのは?」初春が合わせるように明るい声で尋ねる。「あすなろ園、ですわね?」 白井が答える。「ですが、あそこはもともと置き去り<チャイルド・エラー>の子供がいる場所ですのよ?
真っ先に手が伸びますわ。あまりに危険すぎますわよ」「ダメか……」 初春はしゅんとしてしまう。「困りましたわね、内容が内容だけに、広くオープンに聞けることではありませんし……」白井がため息をつく。しばし、沈黙が支配する。―――――――――――― そのとき ――――――――――――「あ、あたしがなりますっ!」佐天涙子が手を挙げたのだった。「佐天さん?」「あなた……?」「ほ、本気ですか?」一斉に皆が佐天に訊く。
「あー、もう、あたしは聖徳太子じゃないんで、一斉に訊かれても答えられません!」佐天がどうどう、となだめにかかる。「佐天さん、あなた、確か……」白井が言いにくそうに途中で言葉を切る。「えへ、そうです。あたしはあの事件で実は子供を産めなくなってます」重大な発言なのだが、佐天はしれっとして言い放った。麦野は「えっ?」という顔で佐天の顔を見つめる。カエル顔の医者は「むう」と唸った。「実は、スキルアウトに乱暴されていたあたしを助けてくれたのが、この麦野さんでした!!」佐天はジャジャーンというオープニングをつけて麦野を改めて紹介した。唖然とする他の仲間。「もし麦野さんがあの場にいなかったら、あたしは今、ここでみんなとお話していなかったでしょう。
私の命の恩人なんです。 しかも今回で2回目です」「残念ながらもうあたしは自分の子供を持てません。
だから、というわけじゃないですけれど、でも命の恩人のお役に立てるのなら、 その人のお嬢さんを育てられるのなら、あたしは喜んで親になります!」
少し間をおいて、「佐天さん、あなた、シングルマザーになるのよ? 世の中冷たいわよ? 犬猫飼うのとはわけが違うのよ? ひとさまの娘さんを育てるのよ? あなたの人生、大きく変わるのよ? 覚悟は良いの?」上条美琴がかんで含めるように訊く。「あたしは、二度死にかかった女ですよ? それを思えば」佐天はいつもとは違う真剣な顔で言う。
「あなた、研修生でしょ? 生活費は? 子供いてやっていけるの? 片手間じゃ出来ないのよ?」「生活費はあたしが出す」 いきなり麦野が発言した。「あたしの、昔、あたしの娘だった子のために」みな声を出さなかった。「す、すみません。でも正直有り難いです。最初はお世話になりたいと思います。でもいつの日か、お返ししますから」佐天が頭を下げた。「いいわよ。でももらいっぱなしがいや、というのならわかった。期待しないで待ってるわ」麦野が答える。
「佐天さん、もう一度訊くけど、本当にいいのね?」美琴がもう一度訊く。「決めました。麦野さん?」佐天は麦野を見て言う。「私があなたのお嬢さんの母親になります。安心して下さい。
あたしの娘として、どこに出しても恥ずかしくない子に育てます!」麦野は混乱していた。こんなことでいいのだろうか、と。こんな簡単に、3人の人生が決まってしまってもいいのだろうかと。そして、本当に、あの子が、利子が自分のところからいなくなってしまうのだ、という事が今や彼女の頭を占めていた。
物事は決まるとトントン拍子に進むものである。その日のうちに、やることは決まり、翌日朝から全員が行動を開始した。上条美琴は、鮎原リサーチセンターの事件の内容確認である。親船元理事長のコネを使ってもみ消しに入ったものの、そう簡単にはいかない。しばらく時間がかかりそうで、一刻も早く麦野親娘を舞台裏に隠す必要があることが判明した。そして佐天が預けることになる保育園の打診。
これは夫の上条当麻の高校の担任だった月詠小萌先生の紹介でなんとかなりそうだった。白井黒子は、鮎原リサーチセンターから脱出してきた子供たち6人の落ち着き先を決めること、これはあっさりとあすなろ園の園長先生が引き受けてくれたので簡単に済んだ。問題は戸籍及び学籍の再調査であった。
なんせ記憶を消されていたので自分の名前を覚えておらず、難航が予想された。初春飾利は、データハッキングの準備である。普段とは逆の作業をすることになる。カエル顔の医者は、学習装置<テスタメント>の下準備、そして自分の開発した新型AIMジャマーの最終チェックであった。
彼としては万全の準備と言うことで、大脳生理学の木山春生教授に来てもらっての事前打ち合わせまで行った。
これといってやることがなかったのが中心人物の麦野親娘と佐天涙子の3人だった。
3人は病院から出ることなく特別室で一緒の時を過ごしていた。佐天は麦野から、娘利子の癖や好み、過去にあったこと等、聞けること全てをメモっていった。麦野もまた、覚えていること全てを佐天に話した。話し始めると、麦野は饒舌になった。佐天は話をしている麦野の顔がとても穏やかであることに気が付いていた。(このひとから、あの子を取り上げてしまって、本当にいいんだろうか?) ちくちくと佐天は良心が痛むのを感じていた。一方の麦野は麦野で、(この子、本当にあの子をちゃんと育ててくれるのかしら? しっかりしてるようで、大ざっぱだし……利子、お母さんを許して、あなたをもう危険な目に遭わせることはさせないからね、あなたを捨てるわけじゃないのよ、わかってね)自分の娘を手放す事に、良心の呵責と未練が心をさいなむのであった。そんな二人を和ませるのは、あどけない利子の仕草であった。二人は利子のかわいらしい動きを見て声を上げて笑った……そして、そのときがやってきた。麦野は忘れたことがない。忘れることが出来ようか?今でも夢にみることがある。ひともいなくなった、面会時間を1時間過ぎた夜。病院のある部屋。
まだ2歳なのに、なにか感じ取ったのだろうか?いつもの、ニコニコとした見る人に安らぎをもたらす笑みもなく、利子が、不安そうに自分を見つめている。「ママ?」麦野は一瞬手を伸ばしかけた。が。麦野はくるりと、わが娘に背を向けると、そのまま部屋を出た。「ママ? マぁマ!? マぁマ!!??」背中に利子の声が突き刺さる。麦野は耳をふさいで階段を駆け下り、走って、走って、走った。病院を出て、街の中を走った。とめどもなく涙を流しながら。(ごめんなさい、悪いママを、許して。お願い、生きて、さよなら利子!)どれくらい走ったのだろうか。麦野は走るのを止め、息をついた。そして、恐る恐る振り返った。もしかしたら、もしかしたら利子がニコニコ笑ってそこに立っているのではないかと。そこには、誰もいなかった。ただ、静かに眠る学園都市の夜の姿があっただけであった。麦野はぺたっと座り込んでしまった。「リコ! あたしの、あたしのリコ!!!!」 麦野の脳裏に、幸せだった海辺の家での生活が浮かんで、消えた。
翌日、麦野は、娘・麦野利子(むぎの りこ)の死亡届を出した。立会人は、カエル顔の医者と、学園都市風紀委員<ジャッジメント>第7学区委員長白井黒子、学園都市教育大・大学院生上条美琴の3人。
そして、1週間後。佐天涙子はカエル医者の病院で女児を出産し、女児は「佐天利子」(さてん としこ)と名付けられた。立会人は学園都市風紀委員<ジャッジメント>情報部第2チーム・チームリーダー初春飾利であった。……という言うデータが書庫<バンク>に作成されたのであった。もちろんこの作業の主役は初春飾利であった。
初春は1週間、佐天涙子の病歴記録を総当たりして、彼女の子宮頸管破裂事故に関するデータを全て消して廻ったのであった。
さらにそこから彼女に乱暴したスキルアウトのデータ内容についても確認を行うなど、1件のデータを改ざんするのにどれだけの労力を要するか、またとない経験を積むことになったのだった。麦野利子の死亡について、初春はデータロガーをひそかに仕掛けておいたが、最初の1週間は恐ろしくなるくらいのアクセスがあり、一部はデータ履歴の詳細までチェックしようとした形跡が数度あったが、これは全て撃退されていた。1ヶ月を過ぎると大幅に減少し、1年を過ぎるとほとんどアクセスは消えた。しかし、用心深い初春は今でもまだロガーを撤収していない。同じように佐天涙子についてもデータロガーを仕掛けていたが、こちらは数回アクセスがあっただけで、しかもいずれも役所関係からのもので通常よく見られるデータ検索であったことから、こちらもロガーは残してあるが年に1回見る程度になっている。鮎原リサーチセンターにおいて研究員が全員死亡した件は、漏れていたガスによる爆発事故によるもの、として処理された。
センターに拉致されていた子供たちは、結局追跡が出来ず、置き去り<チャイルド・エラー>ということで、全員に名前と学籍が新たに付与された。
佐天涙子は1年間の休職を取った。規則上は問題はないものの、研修生の身分でシングルマザー、という内容は水面下ではかなり問題となった。
この苦境は上条美琴が圧力をかけて、佐天涙子の地位は確保された。
もちろん、彼女自身の成績の優秀さによる部分もあったのは事実である。「麦野利子(むぎの りこ)」はその後カエル医者の病院で、木山春生教授の指導の下で学習装置<テスタメント>により記憶を完全消去され、「佐天利子(さてん としこ)」として、ゼロからのスタートを切ることになった。とはいえ、元々は2歳児であった佐天利子がゼロ歳児というのは実際上はかなり無理があり、佐天親娘は大変な苦労をすることになった。誰がどう見ても彼女はゼロ歳児には見えなかったからである。それが明らかになったのは休職期間が終わるほぼ1年後、保育園でのことである。彼女は名目では1歳であるが、外観はどう見ても3歳ぐらいだったからである。上条美琴から紹介を受けた保育園にしても、園長先生や保育士まではなんとかごまかせても、他の子供の親の目をごまかすのは不可能であった。その結果、彼女ら親娘は保育園を転々とすることになり、そして直ぐにそれすら出来ない状態になった。「異様に育ちがよい、とっても可愛い女の子」の話が広がり始めたからである。非常に危険だった。研究者たちの興味を引く可能性が出てきたからである。万一調査され、その結果能力が発見されたのでは、なんのために麦野親娘の縁を切り、データを捏造してまで追跡を振り切ろうとしたのか意味が無くなってしまうからである。佐天はいつものメンバーに相談を持ちかけた。
もはや学園都市にいることは難しい、というのが佐天の実感であった。しかし実家に戻る選択は既に無くなっていた。麦野から利子を譲り受けたその日に、既に佐天涙子は実家に連絡をしてみたのだった。彼女の父親は激怒し、「そんなふしだらな娘は二度とウチの敷居をまたぐな」と勘当されてしまったのである。まさに、美琴が言った「世の中はシングルマザーに冷たい」という事実を、身にしみて実感した佐天であった。よもや、自分の実の親に否定されるとは彼女も予想だにしなかったのである。相談を受けたなかで、まず上条美琴は自分の母親、御坂美鈴に、佐天利子の里親になってもらえるかどうかを確認してみた。美鈴は二つ返事で受けたので、割と簡単に片づくと思われたこの件は思いもかけないところで躓いた。学園都市が許可を出さなかったのである。原因は明らかにしてもらえなかった。後に親船ルートで確かめたところ、昔、彼女の母御坂美鈴が「帰還事業」の首謀者として危険人物として登録されていたことに原因があった。学園都市にとっての危険人物たる人間に、学園都市で産まれた子供を寄宿させるなどもってのほか、ということなのであった。
御坂美鈴・美琴親娘は大いに落胆した。
その晩、愚痴をこぼした美琴に夫となっている上条当麻が助け船を出した。すなわち、彼の母、美琴の義理の母である上条詩菜に白羽の矢が立った。上条詩菜もまた、二つ返事で引き受けた。
どれくらい気に入ったかというと、翌日に学園都市に単身乗り込み、どの子がうちに来るのか教えて欲しいと言ってきたくらいである。そして再び、今度は上条詩菜を里親という形で学園都市に申請を出したのであるが、今回は違った。
許可が下りないのである。御坂美鈴の時は、「不許可」という回答があった。しかし今回は回答そのものが出ないのである。ここにいたって、佐天涙子は決心した。方法は、二人揃っての学園都市からの「退去」であった。佐天涙子は既に「無能力者」として書庫<バンク>に登録されていた他、娘の「佐天」利子は、カエル顔の医者の試作品であるマイクロAIMジャマーのおかげで無能力者扱いされていたためか、不思議に許可が下りたのであった。「どうして、子供だけでは不可で、親子ならOKなんでしょうね?」佐天はそう言って美琴にぼやいた。佐天母娘が住む場所は、上条当麻の家、すなわち上条詩菜のところであった。これは詩菜自身が強く望んだからであった。そして、佐天涙子は気象科学研究所の研修生を辞め、東京の気象大学大学院に再入学した。
彼女の頭脳・才能・頑張りのおかげで、彼女はめきめきと頭角を現し、2年後には逆に学園都市気象研究所から再招請を受けるほどになっていた。
彼女は再招請を受ける際に条件を出した。「東京に住んで学園都市に通勤すること、出張の際には子供が小学校に入るまでは同伴する場合がある」
というものだった。実際には毎日行く必要はないので、気象研究所は許可を出し、再び佐天涙子の姿を学園都市で見ることが出来るようになった。
そして、それから十年ほどが経過した今……
麦野沈利、佐天涙子、上条(御坂)美琴の3人は再び冥土帰し<ヘヴンキャンセラー>の病院で対決した。
「そうね、あんた、あんたはまるで、昔のあたし」 麦野は荒い息をしながら答えた。「あの子と一緒に死のうとしてた、あたしそのものよ……」 佐天を見すえながら麦野は続ける。「あたしになんて言ったっけ? え? 子供に罪はない、子供を守るのが親の務め?
一人で悩むと悪い方を考える? 全部あんたに、いま返してやるさ!」佐天は14年前を思い出したのだろうか、大きく目を開き、そして麦野から目をそらした。「あんたはよく頑張ったよ。正直、大丈夫かと思ったこともあったけど、あの子を見てよくわかった。あの子が良い子に育っていて、本当に良かった。本当に有り難う。感謝してもしきれないくらいよ。あんたは間違いなくあの子の母親よ。
だから、最後まで、あんたは死ぬまであの子の親をやり遂げるのよ。御願い」麦野はゆっくりと喋る。「あの子はまだ中学生。でも、今の年頃で自分の一生を決めてしまうひともゼロではないわ。
今は、最初の巣立ちの時期。 たぶんあの子は揺れ動くと思う。あの子が今飛び立つか、飛び立てるかどうかはわからない。
でも、もしあの子がそうしようとしたら、あんたはそれを止めちゃいけない」
佐天はじっと立っている。アタマの中では沢山のことが渦巻いているのだろう。「佐天さん?」美琴が佐天に近寄って、優しく言う。
「あなた自身、お母様の願いを振り切って学園都市にやってきたのではなくて?」
佐天がびくっとすくむ。「お母様は、あなたの強い意志を知って、せめてとあなたに神社のお守りをお渡しになったのではなかったの?お母様はあなたを止めることだって出来たはず、でもお守りをお渡ししただけなのでしょう?」美琴は言葉を切った。麦野は黙って佐天を見つめている。「おかあさん……」ぽつりと佐天は言ったまま、下を向き、身じろぎもしなかった。しばらく3人は黙って立ちつくしていた。
「佐天さん、行こう? ここでの立ち話は邪魔だし、どこで誰が何を聞いてるかわからないし。とりあえず部屋に戻ろうよ?」美琴は優しく佐天の肩を抱き、歩き出した。佐天涙子も落ち着いたのか、美琴に抱かれるまま歩き出した。「あたしは、オフィスに戻るわ」麦野は僅かにほほえみを浮かべて「報告書がどうなってるか、ちょっと見ておかなきゃいけないからね」と言った。佐天ははっという顔で麦野を見つめた。麦野は無言のまま、ぽんと佐天の肩を優しく叩き、そのまま右手を軽く上げて挨拶をすると、廊下を歩いて去っていった。
ヤバ~い!!!!!!!!!!!! 大変なことに気が付いた!
「宿題やってない!!」
あたしは飛び起きた。あれ? 母がいる。美琴おばさん、それに何故か麻琴もいる。みんなびっくりしてる。「はい?」あたしは麻琴がなんでここにいるのかちょっとわからなかった。麻琴がぶっと吹き出し、「リコ~! 起きたのね!! よかった!! 良かった~!!!」
と顔をくしゃくしゃにして飛びついてきた。「ちょ、ちょっと、何よ、どうしたのよ、なんでアンタが?」あたしはまだわかっていなかった。「利子、おはよう。よく寝てたわね? ちょっと寝過ぎよ」お母さんが、怒ったような、泣き笑いのような何とも言えない顔であたしに声をかけてきた。ここ、いったいどこ?
「リコちゃん、おはよう。ここは学園都市なんだけど、覚えてるかな?」美琴おばさんがニッコリ笑って言う。はいっ?「ええっ? どうして? なんであたしが学園都市に? あれ? 3月に学園都市に行きましたけど、えっと?
今日はいつですか?」あたしのアタマがおかしいんだろうか? なんか未だにピンとこない。「今日は5月26日よ、あなた4日間もずっと寝てたのよ?」お母さんが優しい声で教えてくれる。う、この優しい声はちょっと怖いかも、って「5月? 4日間も!!?? どうして誰も起こしてくれなかったのよ?」なんでみんなしらけた顔するの?「ゴメンね、ちょっとあたし、よくわかんないから、順追って話すね? いい?」あたしのアタマはものすごく混乱している。なんなんだろう?「無理しなくて良いからね? まだ起きたばかりだしー?」 麻琴が心配そうにあたしの顔をのぞき込む。「うん。ありがと。えーと、じゃぁ、ラブレターもらったとこからね。」―――「「「 えええええええええええええええええ???????????????」」」 ――― あたし、 バカだ。 orz
結局その日一日、あたしは3人からおもちゃにされた。麻琴はふくれるわ、お母さんと美琴おばさんは目を輝かせて、「誰よ誰、どこの誰から? どんな男の子なの? 何が書いてあったの?」思い出した。あれはあたしの机のなかにしまいこんだままだった。何が書いてあるか、あたしだって知らないのだ。だから答えられる訳がない。あー、よかった、初めは記憶無くしたのかと思ってしまった。もうお願いだから聞かないで、と言っても聞く耳持たず状態だったりで、さんざんいじりまわされて悲惨な目にあった。もともとはあたしのおバカな発言からなんだけど。自業自得か…… 「不幸だ」
少しずつ思い出してきた。学園都市に拉致されてきたこと、お母さんが誘拐されて、あたしも拉致されて、倉庫で銃撃戦があって、あたしは撃たれてけがをして入院し、4日間寝ていたというわけだ。麻琴のお父さん、上条さんの「不幸」が伝染したみたい。「不幸だ」 あたしはまたつぶやいてみた。明日はリハビリらしい。わずか4日寝込んでいただけだけど、筋肉はもう弱ってしまっているらしい。確かになんかちょっと違和感がある。陸上選手のはしくれとしてはこれはちょっと問題だわね。そして髪の毛。伸びて来てはいるけれど、まだまだ坊主刈り状態でとてもこのままでは外へ出られない。
事のきっかけになった麻琴の「カツラ」も、明日また麻琴が持ってくるらしい。情けないけれど、髪型の研究だと思えば少しは気が……休まらない。夕方、美琴おばさんの携帯を借りて、詩菜大おばさまと電話で話をした。最初、大おばさまはあたしの声を聞くなり泣き出してしまって話にならなかった。ごめんね、心配かけちゃって。あたしも早くうちに帰りたいよぅ。はー、お家でみんなでご飯食べたいなぁ……
それからひろぴぃとケイちゃんにも電話した。二人とも最初びっくりして(あたしは幽霊かい!)、そして二人ともズルズル涙声になって、更にお見舞いに行くからと言いだしてしまって往生した。
とりあえずみんなに宜しく、と言っておいたけど、どうやらあっちでは結構な騒ぎだったらしい。
なんだか、話が少し違っていて、いつの間にか「学園都市」そのものに拉致されたことになっているらしい。美琴おばさまから、「それ以上しゃべると帰れなくなるかも!」と注意されてしまった。母も実は1日ここで一緒に入院していたらしいことも知った。あたしたち、無事に東京へ帰れるのかなぁ……3日後、あたしは退院した。栗色の髪は伸びているけれど、まだまだ、とてもとても人前には出られない。仕方ないので麻琴が持ってきたカツラをつけている。いろいろ選べるのはある意味楽しかったけれど、自分の頭を見ると泣きたくなるやら恥ずかしいやら。結局無難な、黒髪のストレートをベースに緩くウェーブをかけたものにした。まぁ今までのものに近い、かな。
カエル顔の先生は、「としこちゃん、元気でね。僕のところにくるのは、これが最後になるといいんだけれど、でもそれはちょっと寂しいかな?」なんて言っていた。ミサカ麻美さん(10032号)がそれを聞いて「ぶっ、ミサカはいまの発言が信じられませんと思わずネットワークのメモリーを呼び返してみます」 なんていってた。母と美琴おばさんは、「その通りですよ」 「ホント、ウチのアイツだけで十分よ」 と言って笑っていた。麻琴は 「リコ、来年は一緒の高校に行こうね!」 と顔を輝かせていたけれど、あたしは曖昧に頷くしかなかった。学園都市には、出来るならもう来たくはない。 あたしには刺激が強すぎる。(でもさ、結局戻ってくることになりそうね)もう一人のあたしは、ずっとはっきりとものを言うようになっていた。(美琴さんみたいに、ちゃんと超能力を使いこなせるようにならないとだめでしょ?
人間凶器になるのはいやでしょ? お母さん守るんでしょ? それには訓練しないとだめじゃないのかな?)あたしの首には新しい特注のネックレスが、両腕には小型のアームレットが収まっている。AIMジャマーだ。半年前の麻琴と同じ状態。 昨日、あたしは能力開発テストを受けたのだ。母の希望もむなしく、あたし自身も願っていたのだけれど、あたしの能力は消えていなかった。しかも、その能力はおぞましいものだった。思い出したくもない。どうせならもっと平和な能力であって欲しかったのに。それでも判定はレベル3<強能力者>。麻琴に追いついてしまった。無意識下で演算を行っているらしい。基本的な開発教育を受けていないのにこのレベルにあるのは珍しいらしい。木山という女の先生も 「珍しい、良い素質を持っているから訓練と勉強をして、レベル5<超能力者>を目指しなさい」
と言っていた。あたし的には、まだ全然力を出していない感じがするのだけれど、何をどうやったらいいのかわからないし。(だから、ちゃんと訓練がいるのよ) とまたぞろ、もう一人のあたしが割り込んでくる。
母があたしを心配そうな目で見ている。「不幸だ……」あたしは小さくつぶやいた。(何言ってるの、ついこないだまで無能力者だと思いこんでいたくせに) あー、あんたちょっと静かにして、挨拶!「本当に今回も前回もいろいろとお世話になりました。おかげさまで無事健康体を取り戻して東京へ帰れます。
どうも有り難うございました!」あたしはニッコリと笑顔で、皆さんに挨拶をして、母と美琴おばさまと一緒に、美琴おばさまのリモに乗り込んだ。「さようなら」「有り難うございました」「お世話になりました」あたしたちを乗せたリモが病院を出て行く……「良かったんですか? 挨拶しないままで? だって」 「黙ってて!!!」病院のバス停に立つ二人は、走り去るリモを黙って見つめていた。 (第1部 完)
→ 08 第2部 「花の?女子高生」
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*タイトル、前後ページへのリンク、改行・美琴の一人称等の修正を行いました。
*前ページの最後の部分17行ほどをこちらへ移動しました。(LX:2014/2/23)
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