「もてた」い、と上条が言い切るより先に、両隣からゴバァッと両頬を殴られた。ほんの少し土御門がタイミングを遅らせたせいで上条は左右に首をグキッとひねることになった。「うぉいテメーら! いきなりなんだよ」「それはこっちの台詞にゃー、カミやん」「自覚の無いこういう男はホント許せへんね。なんでカミやんて二次元の主人公みたいに鈍いんやろね」ギャアギャアと騒ぎ出すバカ三人組を横目に吹寄はため息をつく。この程度の騒ぎはまだ止めるレベルですらないのだった。今日の話は上条当麻がいかに二次元世界の住人っぽいか、らしい。盛り上がる三人のうち一人はメイドの学校に通う義妹がいるあたり、なんて不毛な会話だろうと吹寄は思った。「だから、もてないことの証明なんて今俺に彼女がいない時点でもう済んでるだろ!」「ええかカミやん? もてるっちゅーのはな、フラグを何本立てられるかって意味なんやで。カミやんはそのフラグを回収も折りもせずに延々ため込んでるんやないか。それはもてるっていうんや!」「はぁ? だからフラグなんて立ってないって! そんなモン立ってたら全力で回収してやるさ!」シン、となぜかクラスが静まり返った。上条の言葉が、言質を取られるように周囲に浸透していく。「ほうほう、面白いことを言ったにゃーカミやん、じゃあ、やってもらおうか」「なんだよ、何をやれって言うんだ?」「カミやんが今までに知り合った女の子に、『デートしようぜ』って言っていくってのはどうかにゃー?」「お、おいおい。それ下手したらドン引きされるんじゃ」「ちっちっち。分かってないなあカミやんは。いきなり本気で誘ったらそりゃ引かれるかも知れんけど、ちょっと冗談ぽく言って反応を確かめてみたらええんやんか」「それで一人でもオッケーが出るようならカミやんは不幸少年を返上して俺達に土下座をする、そして全員から断られたら俺達のおごりで残念でした会を開く、ってことで」奨学金が振り込まれるまでの三日を、どうしても乗り越えられそうになかった上条にとってタダ飯は重要だった。「ほう、いいじゃねーか。この上条さんの不幸体質を甘く見るなよ?」自分で言ってることにホロリと来ながら、上条は誘いに乗ることにした。姫神がトイレから戻ると、突然、上条に話しかけられた。「なあ姫神、ちょっと話があるんだけどさ」「何? 言っておくけど。早弁したからって私のお弁当はあげない」「いやそうじゃなくて。その、さ、姫神。付き合って……くれないか?」「え――」一人目の少女がドキリと驚きに目を開いて、嘘、と呟いた。「上条君。その。教室でそういう冗談を言うのはやめて欲しい。君にはシスターの子が。いるでしょ?」「なんでインデックスの話がでてくるんだ? 姫神、俺は今真面目に話をしてるんだ。そういう茶化すようなのは止めてくれ」姫神はなんだか警戒しているように一歩引いた。その一歩を詰め返して、上条は迫った。なにせタダ飯がかかっている。それは真面目になるには充分すぎる理由だ。姫神にノーと言わせるだけで一勝目を稼げる。上条は、イエスと言ってもらえる可能性をこれっぽっちも考えていなかった。「私。そんな――」戸惑う姫神が上条から目線を外すと、クラスメイト達はにこやかに談笑していた。……はずなのに声のボリュームがやけに低くて、耳だけは全員こちらを向いていた。「上条君。お昼。一緒に食べられる?」「え? ああ、いいけど」「それじゃ。続きはその時に」「待ってくれ!」「何?」ほとんどいない女友達の顔を思い出しながら、人数を数える。夕方までに全員に声をかけなければいけないのだから、先延ばしはマズイ。「今すぐここで、ってのは無理なのか?」「だって。ここは教室で。みんなが聞いてる」どんな感情のゆれも些細にしか表さない姫神が、はっきりと焦っていた。「お前の本当の気持ちなんて、誰に隠すようなもんでも無いだろ?どんな言葉だって、俺はちゃんと受け止める。周りの連中のことなんて気にするなよ」ごめんね上条君、なんて言葉は体育館裏で言われたって悲しいだけなのだ。どこで言われようと上条は、ちゃんと受け止める覚悟をしていた。周りの連中は上条のことを笑うだろうが、その覚悟も出来ている。……心の中にシクシクと降る雨を止ませることはできないかもしれないけど。「……ぅ」姫神は声が出なかった。あまりにいきなりで、頭が回らないのだ。それなのに上条の目が真剣で、曖昧な返事は許されない気がした。「……いい。よ」「――――え?」上条の口にしたデートという言葉は、まだ二人を強く結びつける言葉ではないかもしれないけれど。二人で話して、遊んで、そうしているうちにきっと絆は深くなるから。「デートとか。すればいいの?」「え、えっと、ああ」そのデートにノーと言って欲しかったのだが。後ろでは、勝者のはずの土御門と青ピアスが猫でも噛みそうなほど窮鼠の顔をしていた。「くそ、カミやんは茶化さんかったら素でこの威力か」「これは一人目にしてすでに背中刺す刃の出番かにゃー」マズイ。いきなり負けそうだった。脳裏で勝ち誇る土御門の笑顔を思い浮かべ、グーでそれをぶち抜いた。なんとしても姫神にノーと言わせなければ。「ひ、姫神。ほんとにいいのか?」「そういう上条君こそ。私でいいの?」「へ? い、いやそりゃ姫神みたいな綺麗な子とデート出来るとか、上条さんにあるまじき幸運が降りかかるならそれは全く問題ないといいますか。でもそれってあれ? なんかありえなくね?」悶々と呟く上条の言葉の、「姫神みたいな綺麗な子」より後は、姫神には聞こえなかった。降って湧いた嬉しさを持て余して、ただ混乱する。「いきなり褒められても。その。困る」ばっさり断られて不幸がずーん、というのを期待しているのになぜかだんだんと周囲がお花畑と化していく。上条はその雰囲気に当惑した。「な、なあ姫神。上条さんはぶっちゃけ不幸な人ですよ?一緒に出歩いちゃったりしたら、どんな不幸に会うか分かりませんよ?」「いい。理不尽な不幸には慣れてる。それに一緒に未来を歩く人の不幸なら。背負ったっていい」姫神が僅かにはにかみながら下を向いて、そう言った。違うのだ。上条は心の中で否定を繰り返す。そうじゃないだろ姫神! キレがないぞ。お前はもっとナイフで切るようにこの上条当麻を切って捨てるヤツだ!「だーかーらー! 違うんです! 違うんですよ姫神さん!ここは上条ライフ的に考えてソッコーで断られるシーンなの!ここでオッケーされちゃうとまた俺の負けになるんだから……ってそうか、だからオッケーされちまうのか。これも不幸の一形態ということか!」「あの。上条君?」いきなり不満を噴火させた上条に戸惑う。「よくわからないんだけど。君は。デートを断られるのを望んでいるの?」「ああそうだよ! このままオッケーされちまったら俺は あそこでニヤニヤしてる連中に土下座しなきゃなんねーんだ。いや、あいつらのことだから絶対土下座じゃすまねえ」「ふうん」事情を察した姫神が、冷たく相槌を打った。断れば、上条君の願いどおりになる。そんなことはしてやるつもりはなかった。「上条君」「な、なんだ?」「今日の放課後。校門のところで待ってるから」「へ?」そう言うと、きびすを返して姫神は自分の席に着いた。休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴った。姫神は次の休み時間に声をかけても一切反応してくれなかった。「ほらーカミやん。はやく土下座してや。こういう勝負事で負けた人が往生際悪いと白けてまうんやで?」「そうだにゃーカミやん。ほら、『私はナンパして一人目の子を五分で落とせる一級フラグ建築士です』って言いながらそこに這いつくばって謝れ」「ふざけんな! さっきのだって姫神が一方的に決めたんじゃねーか。そういうのをデートって言いきっちまうのはどうなんだよ?」「カミやん? 僕やったらそれデートって思うよ? そういう展開けっこうあるし」「今は二次元の話はしてないぞ」ちょっと上条も分が悪いのを自覚していた。授業中に思いなおして放課後に待ち合わせか、とドキッとしたからだった。「んー、あくまでもあれをデートだとは認めないと?「あ、ああ。そうだ」「それじゃ今回はカミやんの言い分を認めてやるかにゃー。でもカミやん、二度はないぜ?」「わかった。ちゃんと断らせればいいんだろ?」「それじゃ次のターゲットはどの子にするん? 気の強そうな委員長とか?」上条が近い席に座っている吹寄を見ると、薄いブックレットから目を離してこちらを睨んだ。「姫神のときから見てて事情を知ってるあたしに、貴様は声をかけるわけ?」「い、いや。別に委員長サマにそんなことをするつもりは……って吹寄。お前今度はそんなモンにはまってるのか?」「え? そんなモンって、貴様これを見てもそういう風に言えるわけ?この『どんなふくらはぎの張りでも一瞬で吹き飛ばす! アステカ産黒曜石を丁寧に研磨して作った トラウィスカルパンテクウトリの指圧棒3,980円』って!」「それ科学っていうより魔術の匂いがぷんぷんしてるじゃねーか!っていうか俺が言いたいのはその冊子のほうだよ。そのシリーズ、西部山駅の近くの路地裏にあるいかがわしい本屋に置いてあった」いつ通ったかは忘れたが、そこはオカルト系のトンデモ本を扱う専門店らしかった。学園都市でオカルトは今日び流行らない。必然的に魔方陣が表紙に載った通販カタログなんてものはそんなところにしか置いてなかった。「上条。貴様、このカタログを置いてる店を知っているの?」「あ、ああ」「……いつなら、案内してくれる?」「はい?」急に吹寄の態度が軟化した。「……だからさ、あれはどう考えても違うだろ!だってデートのデの字も口にして無いんだからあれはノーカンだって!」「ちゃうよカミやん。フラグがいくつ立つかが重要なんやって! あんなトントン拍子に女の子と放課後を過ごすフラグ立てるとか、角を曲がったらパンを加えた女の子とぶつかりましたってのとおんなじくらいありえへんよ!」「んなこたねーだろ! 吹寄が読んでるカタログの話振ったら、本を置いてる場所を教えてくれって言われた、それだけじゃねーか」「それだけ? カミやんいまそれ『だけ』って言った?許されへんよその言い分は! 謝れ! 学園都市の、いや日本のすべての出会いの無い男に謝れ!」昼休み、さっさと昼食を済ませて上条たちは廊下を歩く。「で、言っとくけどあれをデートに誘ったと俺は認めないからな」「くっ、この期に及んでカミやんは往生際が悪い……」「まーでも自分から誘ってないのは事実だしにゃー。まだまだ続きはあるんだし次行こうぜ次」「次って、俺はどこに案内されてるんだ?」「どこって、次は小萌先生を攻めるんですたい」ぶは、と上条の口から息が漏れる「ば、ばか! いくらなんでもそれはシャレにならねーだろ!」「でも脈もなさそうな隣のクラスの女子とかに声かけても面白くないにゃー。カミやんに脈ありなのは小萌先生くらいじゃ?」「ないないない! っていうか俺は青髪と違ってロリじゃねーし」「僕はロリちゃうでー。ロリもいけるだけやでー?」「っていうかインデックスとイチャイチャしてる時点でカミやんもロリいける人確定ですたい」青髪に聞こえないよう土御門が囁く。「で、どこまで手を出したのかにゃー?」「だぁっ! 何もしてねーから! っていうかお前こそどうなんだよ。夜な夜な何やってるんだ! 壁のクソ薄い寮で」「ななナニって、別に何もしてないんだにゃー?」「はぁ、職員室の前でも上条ちゃんたちは上条ちゃんたちなんですねー」「月詠先生?」「カミやん、チャンスやないか。お願いしてみたら?」「だからシャレにならねーっつの」「いやいや、断ってもらったらええだけなんやから、問題ないやんか」小萌先生が首をかしげ、この子達は何をしにここに来てるんでしょう、と呟いた。上条が正面を向き、しぶしぶという感じで口を開いた。「月詠先生」「はい、なんでしょう上条ちゃん?」「付き合ってください」上条はくっと腰を曲げて礼をする。「はい、いいですよ。先生今日の放課後は時間取れますから」「……え?」「それで、単位が危ないのは透視と記憶術ですよね。上条ちゃんはどっちをやりたいんですか?」「あー」そりゃそうだ。生徒を導くことに一番熱心なのが月詠小萌という教師なのだ。付き合ってといわれたら補習に付き合ってということなのだ。「月詠センセ、ちがうでー。カミやんはそういうこと言ってるんとちゃうねん」「ほえ? どういうことですか?」ガリガリと上条は頭をかく。「その、付き合ってってのは、一人の女性として俺とデートしてくれって意味です」「え?」ぽん、とはじけるように勢いよく、小萌先生の顔が真っ赤になった。「ななななな何を言ってるんですか上条ちゃん! せせ先生をからかっちゃいけません!」「すいません」その通りからかっているので謝った。「先生は上条ちゃんたち学生さんの未来を担い任されている身分なのですよそれなのにこ、こ、恋人だなんてそういう関係には断じてなっちゃいけないのです確かに男性教諭と女学生の結婚というのは少なくない例があるようですがこの場合女性の側の先生は上条ちゃんよりもずっと年上でですね、その」「やっぱり、駄目ですよね?」良かった。上条はほっと息をつく。さすがに学校教師は鉄板で断ってくれそうだ。「う……。一応これでも私は大人の女性です。でも、先生はだからといって上条ちゃんの、その勇気を笑ってはぐらかすようなことは、したくないのです。上条ちゃん、もう一度だけ聞いてもいいですか? さっきの言葉は上条ちゃんの本気、なんですよね?」「……」冷や汗が背中をつたう。月詠先生は真剣だった。むしろ昼休みの廊下でここまで真面目になれるのはどうなんだろうと思うが、月詠先生はそういう人なのだ。小萌はふと、後ろの二人が気になった。色々とバカをやってくれる3人組だ。自分は本当にからかわれてるのでは、と不安がよぎる。上条ちゃんの付き添い? ううん、男の子はむしろそういうのは絶対にしないです。いやでも、見届けるとか意味がきっとある……はずです。先生に告白なんてきっと高校生の上条ちゃんにとってすごく大変な決心が必要で、それなら誰かに相談したくなることだってあるかもしれません。「お二人は、上条ちゃんに相談されたんですか?」「へっ? ええ、まあなあ。そうやんな?」「ああ。カミやんがすごく悩んでたみたいだったからにゃー」深刻な顔で土御門が頷いた。あまりに迫真の演技だった。そのせいで、上条は小萌先生を放り出して土御門に殴りかかることが出来なかった。「上条ちゃん。先生は、ううん、私は」「月詠先生」上条は何かを言いかけた小萌先生に、言葉をかぶせた。「すみませんでした」深く頭を下げて、事情を説明した。他愛ない冗談なのだ。誰が誰を好きだとかそういう話で日々を埋めてしまえる、それを青春というのだ。たぶんこの三人にはそれほど悪気はなかった。「先生は、あなたたち学生さんからしたら女の子じゃないですもんね」正しい対応は、きっと黄泉川先生みたいにさばさばと対応した上でニッコリと微笑みながら、みぞおちに拳を放り込むくらいのあっけらかんとした物だったのだろう。真剣に受けとってしまって、むしろ悪かったのかもしれない。教師の目線をやめて女性として上条を見ようとしたことを物笑いの種にされたのは憤りもあるが、そういう遊びを遊びだと受け止めてあげられずに恥をかいた自分が悲しかった。「上条ちゃんそれに後ろの二人も。そういうおふざけは傷つくことだってあるんですから、もっと気を使ってやってくださいね。上条ちゃんたちはいたずらっ子ですけど、人が嫌な気持ちになるようなことはしないと先生は信じてるです」「はい」小萌先生はしょんぼりと職員室の中に入っていった。「……なあ」「なんやカミやん」「まだ、続けるか?」「あんまり笑えへんことになったもんね。おしまいかなあ」「姫神はどうするんだにゃー?」「え? いや、あいつとはデートするわけじゃないし、断ればいいんじゃねえの?」いち早く土御門が普段のテンションを取り戻した。「カミやん、それはあんまりぜよ。俺達が発端でアイツはカミやんを誘ったんやから、やっぱりカミやんは責任をとるべきにゃー」「おい、責任って俺だけかよ。お前らだって共犯だろうが」「姫神は成り行きでカミやんを誘っちまったし、『カミやんもてない説』の検証も途中だし、いろいろと消化不良でこのままじゃ収まりが悪いなってカミやんも思うにゃー?」「話を聞け」「そこで提案ですたい。カミやん、カミやんがもてないことの証明をするために、姫神と本当にデートをしてみる、というのはどうかにゃー?」「ちょ、おいおい! 姫神とデートって」「このまま放課後に姫神と町を歩いて、姫神から告白されなければカミやんの勝ち、告白されたら俺達の勝ちでどうかにゃー? ……まあ告白されたら俺らは敗者にもなるわけだけどにゃー」「まあカミやんに彼女が出来たら抱えてる未回収フラグを折って捨ててくれそうやし、ありかもなー。彼女持ちのカミやんなら幸せ余ってるからご飯くらいなら奢ってくれそうやし」上条も、さすがに姫神を無視するのは悪いかなーと思った。姫神と町で遊んだことは無いが、それほど派手に遊ぶヤツにも見えない。軽くファストフード店で腹ごしらえをしてゲーセンを流すくらいなら構わないだろう。「姫神がどういうつもりか知らないけど、まあ、遊びに行くくらいならやるわ。お前らも来るか?」「お邪魔になるのが分かってていくやつはいないにゃー。あ、結果は明日辺り聞かせてもらうにゃー」「結果って、それは飛躍しすぎだろ。姫神が告白とかありえねーって」「じゃあカミやん、もし告白されたらどうするん?」「え? い、いや、だからありえないって!」一瞬頬を染めて当麻君と言葉を紡ぐ姫神を想像して、上条は自分の都合の良過ぎる妄想に蓋をした。放課後までに、三度、姫神と目が合った。今まで上条は姫神のことを授業中に注視したことはなかったので分からないが、姫神は上条の呼びかけを無視する一方で、上条のことが気になっているらしかった。放課後になってすぐ、姫神が声をかけてきた。「上条君。掃除とかは?」「ない」「そう」「さっきの休み時間の話だけどさ、姫神は」「校門のところで。待ってる」姫神の表情はいつも同じだ。落ち着いて見ていれば変化にも気づくが、短い会話でそれを窺うのは難しかった。「おっと確認に行ったカミやんがあっさりと受け流されたにゃーっ!」「きっとあれは照れ隠しなんやって!転校してくる前から知り合いやった女の子とこれでようやく進展か。カミやんおいしいなあ……」「青髪お前はいい加減に次元を間違えるのを止めろ」「で、どこに行くん? 最近話題のデートスポットといえば古代魚復元で盛り上がってる水族館やけど、入場料が割高らしいよ」「そういうとこに入られると財布が軽くなるからなるべくチープなところで頼むにゃー」「お前らは追ってくんな!」ジロリと睨むと、はっはっはと乾いた笑いが返ってきた。「いややなあカミやん。ちょっとした冗談やって」姫神は上条にケーキセットの一つでも奢ってもらう気で校門前に佇んでいた。ごめんの一言もなしにすっぽかす人ではないことはなんとなく分かっている。「結構真剣に。言ったつもりだったんだけどな」それなのに、あれは酷かったと思う。姫神がクラスの友達に相談でもすれば、上条は女子から総スカンを食らうだろう。それをしないのは、相手のことが気になる弱みか。「上条君はあのシスターの子が気になるのかな」色気より食い気といった感じの気質だが、自分と同い年になる頃にはきっと綺麗になって、上条君もたぶん、邪険になんて扱えなくなる。日ごろ、姫神は自分から上条に声をかけることはほとんどなかった。そして上条から声がかかることも珍しかった。。だから今日したことは小さな転機であり、大きな決断だった。「おーい姫神!」遠くから上条の叫ぶ声が聞こえた。やけに急いでいる。走って自分のことを迎えに来る上条を見て、心臓がコントロールを失った。「上条。君」「逃げるぞ!!!」「えっ?」ぎゅっと手を握られて、姫神は上条と一緒に駆け出した。ハッハッと浅い息が聞こえる。自分と上条のだ。都合がいいと言わんばかりに今にも発車しそうだったバスに強引に体をねじ込んで、二人はクーラーの聞いた車内で息を整えているのだった。「上条君。急に。どうしたの」「悪い。土御門と青髪のヤツが尾(つ)けようとしてたから撒こうと思ってさ」こちらが行き先を決めてない以上、降りる場所は向こうに読まれることはない。「バスに乗せといてなんなんだけどさ、姫神はどういう用で校門前に呼び出したんだ?」「え?」「いや、なんていうか事の発端を考えますと上条さんは平身低頭しなきゃいけない気もするんですが、もしかして罰ゲームでも吹っかけられるのかなとか思っておりまして」「……そういうのじゃ。ない」「えっと、じゃあ、どんな?」「……私は。デートに誘われたから。待ち合わせを指定しただけ」イニシアチブを上条に丸投げする一言だった。「その、青髪とかの口車に乗った結果やってしまった出来心でして、その辺の事情はもう一度お話したほうがよろしいでせうか」「いい。上条君が嫌なら。次のバス停で降りよう」「姫神。お、お前は良いのかよ」面白くなさそうに淡々と上条を見つめていた目が、軽く泳いだ。「私は待ってるって言った」見覚えのあるファーストフード店。58円のお徳用バーガーは値上がりして、いまや100円もするらしい。「上条君。100円」姫神は冗談半分に、上条にそうお願いしてみた。飲み物とあわせて200円、奢ってもらえた。「そういやこれが、お前と会ったきっかけだったっけ」「そうだね」「あれからはなんともないんだよな?」「うん。あの人達だって普通に平穏を望んでいるから。私みたいなのが無理矢理吸い寄せたりしなければ。何も起こらない」もう慣れたケルト十字の重みに意識をやる。「そっか。さて、それじゃ今からどうする?」「私はデートに誘われた側。上条君が。決めてくれると思ってた」「う……。わかった。腹くくるわ。水族館でも映画館でもゲーセンでもジムでも銭湯でも連れて行ってやる。姫神はどれがいい?」「銭湯は。デートにならないと思う」「まあ、普通はそうだな。あ、でも二二学区のスパリゾート安泰泉ってトコ、水着着用で男女混浴の風呂があった」「そういう意味じゃなくて。水着を着て二人でのんびりお湯につかるのって。デートとは言わないと思う」「そりゃそうか。水着ってのはデートっぽいと――っ?!」姫神の水着はどんなだろう。ふと頭にそれがよぎり、上条は一瞬姫神の胸元を見て、ドギャンっと首ごと視線を外した。「……上条君。人の体を見てそういう態度をとるのは止めて欲しい」「うぇっ?! い、いいいや何のことでせうか?」「どうしてそんな初(うぶ)な振りをするの? 上条君は色んな女の子に声をかけてるのに」「そんなことしてないって! インデックスのこと言ってるのか? 別にアイツとは特別な関係じゃないって」「本当に?」上条は意外と姫神が執拗に尋ねてくることに戸惑いを感じた。「隠してどうするんだよ」「キスとかもしてないの?」「当たり前だ!」「そう」姫神が素っ気無く呟いてそっぽを向いた、ように上条には見えた。彼女がやった、と笑みを浮かべたことには気づかなかった。「他にも心当たりはないの? いつだったか。自分の部屋まで常盤台の女の子を連れてきてたよね」「へ? ああ……御坂妹な。あれ、初対面だったんだぞ?」「上条君なら。初対面の女の子を連れ込むくらいはやりそう」「おまえなぁ……。典型的なモテない高校生のこの上条当麻さんに限ってそんなことあるわけないだろ?」お前の言ってることは見当違い過ぎると、ため息をつく。それじゃあ、私は。「私は。どうなの? 私はどうして君の前にいるように見えるの?」「どうって……姫神はどう罰ゲームを執行してやろうかと思ってるんじゃ、って」「それは違うって。言ったよね?」「姫神……」「私は。自分らしくないことを言おうとしてるのは分かっているけど。上条君とデートを。するつもりでここにいる」姫神がぎゅっと、指をペーパータオルでぬぐった。「姫神、俺は……」そこまでしか、声にならなかった。あまりに突然で、あまりに意外。そして未だに事態を正しく理解できている自信がない。姫神が、俺のことを? ……いやいやいや! 調子に乗るな上条当麻。冷静に現実を見つめろ。つまらない希望的観測で小躍りなんてすると後で死にたくなる。なにせ姫神はクラスメイトだ。事の顛末がワンフレーズでも教室の雑談に上れば、上条の破滅は約束される。「上条君。その。何かを言いかけたんだったら言って欲しい」俺はお前のことを友達としか思えない、か。俺はお前のこと嫌いじゃない、か。俺は、から繋がる言葉は望ましい予想と望ましくない予想、どちらにも容易に転ぶ。まあ、まさか俺はお前のことが好きだなんて言葉が飛んでくることはないだろう。そこまで、姫神は自分のことを過大評価できなかった。「なあ姫神! と、とりあえず、これからいくところ考えようぜ!」「え?」姫神ははしごを外されたような気分だった。上条にしてみれば、姫神の考えていることを探るのに必要な展開だった。「近場といえば、博物館で『科学の興り・錬金術と神学展』を見るか、地下に降りてゲーセンで遊ぶか、まあ、それかここでダベるかだなぁ。姫神は……ゲーセンか?」姫神はお、という顔になった。「その三つなら。ゲームセンターかも。どうしてそう思ったの?」「え? なんとなくだけど、お前は意外と騒がしいの好きなんじゃねーかなって」姫神の女友達はどちらかというと皆大人しかった。博物館にこそ友達と行ったことはないが、図書館に集まったりすることは多かった。上条の予想は当たっていて、自分のことを分かってもらえていることが、嬉しかった。「確かに嫌いじゃない」「うし、じゃあ、行きますか。小遣いはちゃんと下ろしてあるし、大丈夫だな」「あ。私――」姫神はこまめに貯金を下ろす人だった。今も、財布の中には三千円もない。食費を含めればちょっと頼りない金額だった。「姫神はゲーセンで熱くなるほうか?」「別に。そんなことない。見てるだけで楽しいから」「うし、じゃあ足りない分は俺が出すよ」「そんな。それは悪いよ」「いいって。これ、『デート』なんだろ?」申し訳ないけれど、その気遣いが嬉しかった。「さて、と。今日こそは、手に入れてやるわよ」御坂美琴は無類のゲコ太好きだ。市販のグッズはたいてい揃えてある。非売品だってあれやこれやと手を使って入手してきた。だから、ゲームセンターのUFOキャッチャーの景品を入手するのはむしろ自然なことだ。「昨日と違って小銭(タマ)はたっくさん用意してきたし、絶対手に入れてあげるわ」美琴の目の前には『超シビア設定! 取れたらこちらのゲーム機と交換!』と書かれたポップアップ。もちろんゲーム機など要らない。たった数万円ぽっちのおもちゃなどいつでも買えるし、テレビのない常盤台の寮生がそんなものを買っても仕方がない。ゲーム機の代理として筐体の中に配置された非売品のゲコ太人形。彼女の狙いはそれだった。ガチャガチャと小銭を突っ込み、彼女はゲコ太を、ゲコ太だけを見つめていた。「あっちのUFOキャッチャーは占領されてるみたいだから。これにしよう」「姫神はこういうラインナップが好みなのか?」「別に。ぬいぐるみはそんなに好きじゃないから。小さめのにしようと思っただけ」交代で一つのターゲットを狙おうという話になった。どうせならと姫神の欲しいものを狙うことになり、その目星が付いたところだった。小さな涙の雫の形をした、お洒落なアクセサリ。ラピスラズリの青を姫神は気に入った。上条はそれをキーホルダーだと認識していた。そういう風にも使えなくはなかった。だが、その涙の雫のモティーフに通す鎖の長さを調節すれば、それはペンダントにもブレスレットにもなる。それを姫神は、できれば上条にとって欲しいと思っていた。「気づいてくれないかもしれないけど。私は君からのプレゼントが欲しい」ゲームセンターの騒がしい音に紛らわせるよう、そっと想いを言葉にした。「え? ごめん、なんだって?」「私はあんまりうまくないから上条君が取ってね。って言った」「ん。まあ、得意って訳じゃないけどいいところ見せたいしな。頑張ってみるわ」ニッと笑う上条に、姫神は微笑を返した。ガチャガチャと小銭を突っ込み、上条は青い涙の雫と、そしてプラスチックのウインドウに映った姫神を見つめていた。「これくらいの金額なら、遊んだ分の値段込みで悪くないな」「うん。上条君。結構上手だったね」「ま、格好悪いとこ見せずに済んでよかった」景品が出てくるポケットから上条は目当ての品を取り出し、姫神に手渡した。「ほい。それじゃあ、貰ってくれ」「うん……。ありがとう。大切にするね」「え、あ、ああ」ふわりと笑って、小さな景品を大事そうに握る姫神の仕草に、思わず上条はドキッとした。パッケージをそっと姫神が開けると、そこには短めの細い鎖が入っていた。鎖自体には薄い白のメッキがかかっていて、銀の光沢に温かみを与えている。そしてところどころにビーズ細工がしてあって、鎖だけでもそれなりに洒落ていた。姫神は上条を一瞥すると、その鎖に青い涙の雫を通し、ブレスレットにして左腕に嵌めた。「どうかな?」「どう、って。まあ制服にはそんな合わないかもな」照れ隠しの言葉は素っ気無かった。そういえば御坂の妹にネックレスを送ったこともあったはずなのに。同級生の姫神とゲーセンに行って自分のとった景品をつけてくれた事実が、なんだか男冥利に尽きるというか、上条の心をくすぐるのだった。きっと、姫神がカジュアルな服装にそれを合わせれば、似合うだろう。「迷惑だった?」「そ、そんなことないって。そうだ、姫神。喉渇かないか?さっきから結構声を張ってるから飲み物欲しくなってきた」「うん。そうだね。買いにいこうか」喧騒の中心から少し離れた自販機コーナーへと向かう。ディスプレイに置かれたラインナップは、ごくありきたりだった。特に深くも考えず、コインを飲み込ませて適当なスイッチを押す。「うーん」「どうしたんだ?」「ちょっと。一缶は多いかなって」上条に続いて姫神は自販機の前に立ったが、ペットボトルの飲料は売り切れで、少ない量で売られている缶コーヒーは買う気がしなかった。「じゃあこれ飲むか?」僅かに姫神がためらいを見せた。「上条君は。間接キス。気にならないの?」「へ? 気にするような年じゃないだろもう……意識させるなよ」「うん……」差し出されるより、あるいは引っ込められるより先に、姫神は上条のサイダーに手を出した。適当にあけられたプルタブには、上条が口をつけた跡が残っている。僅かにためらって、姫神はそこに口をつけた。「ありがと」「もういいのか?」「うん。これ以上飲んだら。良くないから」「炭酸苦手だったか?」ふるふると姫神は首を振った。これ以上飲んだら、意識しすぎて自分が変態というか、良くない嗜好を持った人になりそうな不安があった。休憩の意味も込めて、自販機の傍のベンチに二人で腰掛ける。背中のほうからは格闘ゲームと思わしき打撃音や、レーシングゲームらしきエンジン音が響きわたる。ゲームセンターの片隅のうら寂れた一区画。周りに人は少なくないのに、ぽっかりと二人だけの空間が開いていた。「ずっと。こんな日が続けばいいんだけど」上条君が学校をサボらないで、大過なく過ごせる日が。――その言葉を、上条は少し違った意味で受け取っていた。「続くさ。明日からもこれからも、毎日姫神の平穏な日々は」真剣な響き。希望的観測だというよりも、強い意志のようなものが言葉には乗せてあった。姫神は上条の勘違いを正さなかった。「そうだと良いね。でも。私の平穏は十字架の上に建ってる。でも上条君と一緒で。私も多少の不幸には慣れてるから」もう慣れた首から下がるその重みに、服の上からそっと触れた。「やめろよ」その言葉が、嬉しかった。姫神は自分の言葉が卑怯だったことに自覚はあった。上条にそんな風に否定して欲しくて、人には滅多に見せない弱気を、覗かせた。「幸せなんて人間なら誰だって手に入れられるんだ。手の届かない黄金なんかじゃなくて、それは毎日簡単に手に入れられる安いモンなんだ。姫神。お前は今、毎日を楽しめてるか?」「……うん。穏やかで。結構楽しいよ」「なら余計な心配なんてすんな。ちゃんと毎日を過ごしてたら、ちゃんと毎日幸せはやってくる。それにもしお前がどうにもならない厄介ごとを抱えちまったなら、俺を頼ればいい」「上条君」「どんなにお前がピンチでも、どうしようもない境遇に陥っても。助けが必要なら、俺はいつだってお前のところに駆けつける」真剣なその声に、姫神は口を開くことが出来なかった。隣にいるこの少年はあの日、自分を助けてくれた。ちっぽけな出会いがきっかけだったのに、姫神の身を案じてくれた人だった。だから、そんな直球過ぎる言葉を、茶化すこともなく受け止めてしまえる。「お前が不安に付きまとわれる未来しか描けないって言うんなら。俺がその幻想を、ぶち壊してやる」それは愛の告白のように、姫神にとっては大切な大切な意味を持った言葉だった。姫神は缶サイダー一本分あいていた二人の隙間を、体を傾けてそっと埋めた。その2へ
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