上条「何とも仰々しい名前だなぁ……」汽車の窓から覗く、十伍、六の少年の顔。やや精気を欠いたその目は、ただぼんやりと流れる景色を眺めてゐる。土御門「ん?」上条当麻の独り言に反応したのは、向かいの席に座る、少々柄の悪い男。土御門「何か言ったかにゃー?」意外。その声はまだ少年の色を含んだ物であった。上条(何だ、俺と同い年くらいか……?)上条(いや、それよりも……)独り言を、聞かれた。上条(思わず声に出ちまったか……)額に嫌な汗が浮かぶ。微かな羞恥を浮かべる上条に対し、土御門が間延びした声を掛ける。土御門「今、學園都市って言わ無かったかにゃー?」上条「え……?」土御門「君"も"、學園都市へ向かってるのかにゃー?」上条「"も"ってことは……」思わず、指をさして問うてしまう。上条「君"も"學園都市へ……」言い掛けるが、肝心の箇所は汽車の吐くけたたましい咆哮にかき消されてしまった。もっとも、向かいに座った少年のニヤリとした笑みを見れば、その答えは自ずと明らかであったが。───
───土御門「へぇ、上やんって言うのかにゃー。よろしくにゃー」上条「ああ、よろしく」上条(随分ひと懐っこい奴だなぁ)土御門「いやーしかし、運が良かったぜい」上条「? どういうことだ?」土御門「上やん、アレを見るにゃー」上条「アレ?」車掌「チワース キップヲハイケンシマース」チョキン チョキン上条「えーと……車掌さんが切符を切ってるだけじゃないか? ああ、俺もそろそろ用意しないと……」ゴソゴソ土御門「それでだにゃー……」土御門「実は俺……切符を無くしてしまったみたいなんだにゃー」上条「え……あ、でも、その場で金払って切符買えば何とかなるんじゃ……?」土御門「それがだにゃー、金は學園都市に着いてから為替で受け取るつもりだったから、今は持ち合わせが無いんだにゃー」上条「え……あ……でも……その……」土御門「かみやぁ~ん……」ウルウル上条「………」上条「はぁ、分かったよ……」上条(不幸だ……)───
───ポッポー!上条「やっと着いたぁ……」長時間の汽車による移動で凝り固まった背筋を伸ばす上条の後ろから、土御門「舞夏ぁ~っ!!」土御門の素っ頓狂な声が上がる。土御門「お兄ちゃんはっ!お兄ちゃんはっ!長らくお前に会えなくて寂しかったにゃー!」汽車から降りるや否や一目散に掛けて行く土御門の向かう先には、メイド服に身を包んだ可憐な少女……舞夏「恥ずかしいからやめろっつってんだろバカ兄貴!」ゴンッ、と鈍い音が駅舎の構内に鳴り響く。上条(可憐な……?)当麻は少女に対する第一印象を素早く修正しつつ、目の前で崩れ落ちる土御門にそっと心の中で手を合わせた。舞夏「ん?お前は誰だー?兄貴の知り合いかー?」その口調と態度にまたも速やかな人物情報の改定を行いながら、上条はやや疲れた様子で答える。上条「いや、汽車の中で知り合ったんだ。 今年から、俺も學園都市で世話になる。」それを聞いて、ぴくりと舞夏の眉が動いた。舞夏「學生さんかー?てことは兄貴と同級生になるのかー?」上条「ああ、そうなるな……」舞夏「そうか。 ま、學生さんならたまに顔を合わせるかもなー。 よろしくなー」
上条「ええと、君は學生じゃないのか?」舞夏「ああ、私は學園都市でメイドをやってるんだ」メイド、という聞き慣れない言葉に上条は一瞬戸惑う。上条「冥土? 葬儀屋でもやってるのか?」何度か似たようなやりとりに経験があるのだろう。舞夏は軽く溜め息をつくと、慣れた調子で説明し出した。舞夏「メイドってぇのはつまり西洋の女中や下女みたいなもんだー。 ま、書生さんの世話なんかをするんダヨ」へぇ、と思わず感心した声を出す当麻。上条「まさか、俺が女中さんの世話になる日が来るとはなぁ……」その言葉にちっちっと指を鳴らして、舞夏が呆れたように諭す。舞夏「残念だがー、私らが世話するのはもーっと身分が高い方々だぞー」上条「身分?」舞夏「まー、そのうち分かるよー」舞夏「嫌でもな」上条「………」舞夏「じゃ、私はこのバカ兄貴を部屋に連れてくからー、あんたは適当に入學手続きしときなー」上条「あ、ああ……」舞夏「ったくー重いんダヨこのバカ兄貴!」 ズルズルズル……上条「………」上条「身分、か……」
────
「身分」、という言葉が上条の脳裏に深く沈んで胸をむかつかせた。駅舎を抜け、歩みを進めながら、独りごちる。上条「……學園都市ってのは……やっぱりお偉方が多いんだろうな」何せ、この国で唯一「鉄道」なんて大層な物を引いている都だ。音に聞こえていたが、実際に目にするまで『煙を吐いて走るバカでかい蛇』なんて信じられなかった。古里から二山程離れた町の小さな駅舎に着いた時からだ。そこに現れたブンメイのノリモノに圧倒され、脳を痺れさせたまま、この"終点"まで運ばれた。先刻の汽車の窓辺に流れる景色のように、己の人生は瞬く間に移って行った。上条(……何弱気になってんだ……。決めたじゃないか。)上条(絶対、何か大きなことを成して、錦を飾るんだ。)当麻は、風呂敷を握る手に力を込めて、正面に構える「げえと」を見据えた。入れば、出られない。ごくり、と唾を飲み込み、袷の襟を整える。睨みつけるように門を學園都市に於ける唯一の門。その敷居を、上条の下駄が勢い良く跨いだ。上条「いいぜ……どんな不幸が待っていようが……ぶち壊してやる!!」
───
───上条「これが」門を抜けた当麻の目の前に広がるのは……上条(學園都市……!)煉瓦造りの建物が軒を連ね、地平線まで果て無く伸びているような石畳の道路の脇には洒落た瓦斯(ガス)灯が立ち並んでいる。現代科學の粋を集めた、世界最大規模の文明都市。上条「狐に化かされてんじゃ無いだろうな……」今まで生きていたものとは別世界の景色に、当麻はただ目を丸くするしか無かった。上条「っと……感心してる場合じゃねぇ、寮を探さないと……」キョロキョロ上条「おっ、あの女の人に聞けば分かるかな……」タッタッタ
黒子「………」スタスタ上条「あ、すいません!」黒子「はい?」クルッ当麻が呼びとめた女性 ── というには幼い容姿であるが ── は怪訝な顔で振り向いた。上条「ええと、寮を探しているのですが……」と、呼び止めてから改めて女性の姿の違和に気付く。なにやら珍妙な、薄っぺらな服を身に付けて、腕には腕章を巻いている。下に履いているのは袴を短くしたような、それでいて縁に白い華のような飾りが連なっている。上条(あの舞夏っていう女中さんの召し物と似ているなぁ)悪気は無いのだが、奈何せん珍しい服飾を不躾に眺めまわしてしまう。黒子「っ……!」その不審な視線に気付いた黒子が、若干苛立ちを含めた抗議の声をあげる。黒子「何をじろじろ見ていますの!下劣ですわ!」その声に驚いた当麻は慌てて視線を外し、必死に弁解を試みる。上条「あっ……わ、悪い。 その、服が珍しかったもんで……」黒子「この服が? まさか、御洋服も見たことが無いだなんて、どんな家で育てば……」そう言い掛けて、何かに気付いたようにハッとした顔をする黒子。黒子「貴方……その格好、もしかして"入學者"ですの?」
上条「あ、ああ……今日から世話になる、上条当麻っていうんだが……」自己紹介を始めようとする当麻を制して、黒子が言葉を被せる。黒子「御生まれはどちら?」上条「……え?」黒子「貴方の御出身を聞いていますの」さっさと言いなさい、と言わんばかりの不遜な態度を怪訝に思いながらも、当麻はにこやかに答えた。上条「ここから数拾里ばかし離れた村の……」黒子「そうではなくて」上条「え……」黒子「御家は何をしてらっしゃるの?石炭?鉄鋼?それとも貿易かしら」上条「え、え?」黒子「銀行……為替……あら、最近では造船なんかもお盛んですわねぇ」ニコ段々話を大きくする黒子に当麻は慌てて止めに入る。上条「い、いや……そんな大層なもんじゃ……親父はただの行商人だよ」
その瞬間、何故か、当麻の脳裏に舞夏の姿が浮かんだ。理由は、黒子の表情の変化を目の当たりにしたからだろう。
黒子「はッ……」盛大な溜め息とも嘲笑とも取れる呼気を吐きながら、黒子は侮蔑の眼差しを当麻に向ける。黒子「やはり、平民の出でしたの」 ─── 舞夏『まー、そのうち分かるよー』黒子「全く、時間を無駄にしましたわ。」くるりと踵を返して黒子はさっさと行ってしまう。黒子「こんな下賤な男と口を利いてしまうなんて」スタスタスタ上条「………」 ─── 舞夏『嫌でもな』上条「………」なるほど、ね。上条「………はぁ」身分、という壁。まさかこんなに早々と痛感することになるとは。上条(まあ、覚悟はしてたけどさ……)がしかし、それよりも重大な懸念事項が未だ当麻に圧し掛かっていた。上条「で、」上条「結局、寮は何処なんだよ……」時間帯のせいだろうか、人通りは少ない。道を聞いてもさっきのようにあしらわれては……。やはりここでも、この科白を吐くことになるのか。上条「不幸だ……」
─── 文明都市にも夜は来る。 その気配は深々と都市にも忍び寄り、煉瓦造りの高層建築が作る影がするすると伸びて行く。 段々と視界が暗んでくる現況に焦るのは、例によって不幸な少年である。上条「糞ぉ! 日が暮れて来やがった!」 勘に任せて行き当たりばったりに駆けずり回ってみたものの、 やはりというか不幸な体質の少年が都合良く辿りつける訳は無かった。上条「もうクタクタだ……早く寮で休みてぇな……」 汗をぬぐう当麻の脚は既に相当の疲労を溜めていた。上条「もうこんな時間じゃ出歩いてる人も少ねぇし……」 ダルく上条「どうすりゃいいんだ……」 重い。上条(はぁ……ふこ) お決まりの科白を脳内で吐こうとして肺に蓄えた溜め息は、 突如背後から伸びてきた甘ったるい声で出口を失ってしまった。。初春「あのぉ……」初春「どうしたん、ですか?」 こちらの顔色をうかがうような不安そうな色を湛えた目。 胸の前で交差した腕は警戒の印だろうか。 確かにこの"いかにも"な少女はそうでもしなければ 多少未成年には報道し辛い悪辣な事件に巻き込まれかねない、 そんな雰囲気を纏った少女が上条「………」 夕日の残り滓も去り掛けたこの場に、現れた。
上条「………」 面喰ったのは当麻だ。 それもそうだ、この黄昏の過ぎ掛けた刻に出歩くのが物騒な年頃の娘が、 ましてや自分に声を掛けて来たのだ。上条「ええと……」 しかし、幸いであることには違い無い。上条「寮を、探しているんだ」 極力落ち着いた、紳士的な声を出したのは少女の態度に配慮してだろう。初春「………」 少女の目が大きく開かれる。 以て、質問の内容に沿った答えが真っ直ぐ返って来ないであろうことは多少想像がついた。初春「もしかして、入學者の方ですか?」上条「………」 先刻の出来事が脳裏を掠める。─── 黒子『やはり、平民の出でしたの』上条(やはり……) この子も、という思いに微かな落胆を覚える。
上条「そうだ」 間。初春「そうですか……」 間。 では、次の質問は?上条「はぁ………」 ……間。 さて、初春「それで、道に迷ったんですね。 初めてだから、分かりづらかったですよね、道。」 合点が行ったのか、静かに頷きながら微笑みを浮かべる少女の顔。上条「え……」 思わず、間の抜けた声が漏れる。 その前には拍子が抜けていたのだが。上条「そうです」 一瞬呆けた自分を内心叱咤しながら、少女に当麻も微笑みで応じた。初春「ウン、分かりましたぁ……じゃ、ご案内しますねっ!こっちです!」 それまでの縛りの有った表情がゆるゆると笑顔に変わり、 少女は一転して明るい、そしてやはり甘ったるい声を奏でた。 それが網膜に映ると同時に、不覚にも当麻は心の底に浮かぶ久々の感覚を認めざるを得なかった。上条「………」 幸福だ。────
─── ボゥ、という音を纏いながら柔らかな明かりを撒く瓦斯(ガス)灯。 それらが挟む通りを、足元からあっちこっちへ濃淡混じった影を伸ばしながら歩く、うら若き二人の男女。上条「わざわざすまないね」 すまない。そりゃそうだ。 こんな時間に女性を歩かせて、しかも手前の道案内のために。 これが謝らずにいられますかってんだ。初春「いいえっ、気にしないでください」 でも・・・・・・と当麻が言い掛ける。 弁明や謝罪を口にしたところで自己満足にしかならないのは分かっていたが、 ただでさえ他より男気が勝りがちな当麻が斯様な言葉を口にしてしまうのは仕方が無い。 それを制してか気にせずか、初春が言葉を重ねる。初春「だって、お仕事ですからっ」上条「お仕事?」 仕事、という言葉に違和感を覚える。 当然だろう。 どんな欲目で彼女を見ても、出来るオシゴトは花売りか子守りか奉公か、といった幼い容姿をしている。上条(そういえば……) 此の地に来てから見る人見る者皆がそうであったため感覚が鈍っていたせいか、 当麻は今更ながら飾利の服装にまじまじと目を遣る。上条「初春ちゃんは……」 確か、かなり昔に本の挿絵で見たことがあるような。上条「水兵さんなのかい?」 記憶を探るのに力を掛けたせいで、質問文を推敲する余裕が無かった。 口に出しながら、一拍遅れて女性に掛ける言葉で無いことに気付き後悔の念が追いかける。初春「へ?」 元々大きな目をさらに見開きながらぱちくりと瞬く飾利の顔を眺めながら、 心の中で自分に対して舌打ちをする。 何言ってんだ、俺は。上条「いや、その、なんだ、すまない」 先ほども吐いた科白を繰り返しながら、何とか弁明を質問へつなげようと試みる。上条「その服、水兵さんの服と似てるなぁって、思ってさ いやなんか、その」 しどろもどろ。初春「……あー」 しばらく見開いた目を上条に向けながら小首をかしげていた飾利だが、 上条の言葉を聴き終わるとしばらく逡巡してから合点の言った声を上げた。初春「えへへ、この服ですか?」 上の制服をつまみながら、いたずらっぽい笑みを上条へ投げかける。 右腕の腕章がかすかに揺れる。
初春「確かにこれ、水兵さんの服……みたいです、元々は」 記憶を確かめるように一語一語つむぐ。初春「でも、これウチの中等學校の制服なんですよ?」 えへへ、と照れたような笑いを付け加えて、 飾利は両手を軽く広げて当麻への"お披露目"を行った。上条「それ……制服なのかぁ」 何故水兵の服が女学生の制服に、という至極当然な疑問をしばし考察したが、 それがいち若輩の自分の頭脳の許容を超えると即判断し、思考を目の前の少女へ戻した。初春「セーラー服、って言うらしいですよ」上条「せえらあふく」 純日本人的な発音で復唱しながら、 当麻は「やっぱりブンメイジンってのはよく分からない」という半ば確信じみた結論を下していた。 果たしてその確信が今後裏切られるのか、裏付けられるのか。 次の質問の答え次第かもしれない。 上条「中學生なのに、お仕事かい?」初春「あー、お仕事っていうのは」 腕章をズイと前に披露目ながら、初春「風紀委員(じゃっぢめんと)です!」 自信と誇りに満ちた堂々の口上。上条「………」 やはり ブンメイジンってのは、よく分からない。───
───上条「じゃっぢめんと?」初春「はい。 まあ、學園都市の治安維持組織、ってトコでしょうか」 どこかしら誇らしげな口調ではきはきと説明をつなげる。初春「まあ、大体學校内の事件を担当するんですが」 たまにはこうやって外回りも警邏することもあるんですよ、と続けた。上条「へぇ!」 当麻は感心した声を洩らすと、自分に差し向けられた腕章に改めて目を落とす。上条「!」 そういえば……上条(さっきの女の子も同じ腕章をしていたな……) 当麻が最初に声を掛け、見事に玉砕したあの少女。 彼女も同じ緑地に将棋の駒のような型を映した、これと同じ腕章を着けていた。 そこまで思考が至った時、上条「……さっき、君のお仲間に会ったよ」 何故こんな言葉が口を付いたか分からない。 しまったとばかりに慌てて手で口を覆うが、初春「えっ?」 初春はきょとんとしながら、大きな目を当麻と合わせる。上条「あ、いや……」上条(ええい、俺の馬鹿野郎! さっきの話をしても気不味いだけだろう!) 当麻は本日何度目かの己への叱咤を終えて、 とにかく必死で会話を転がす。上条「その、髪を左右に結った女の子に会ってね、同じ腕章をしてたから、さ」 平静めな声を捻り出す。初春「そうですかぁ! きっと白井さんですね!」 心当たりがあるのだろう。 飾利は胸の前で手を合わせながらうんうんと頷いた。上条「白井、サン?」 なるほど、あの子は白井というのか……。 思いがけず新情報を得ながら、顔と名前を記憶に入れる。 まあ、再び会うことがあるかも分からないが。初春「はい。白井黒子さん。 風紀委員では私の上司に当たる方ですよ」 にこりと微笑む飾利の表情には、紹介する上司への敬意と人望が読み取れる。 当麻はへぇ、と気の抜けた返事をしながら、何となく複雑な心境だった。 あれ、でも、と飾利が声を上げる。初春「白井さんには道案内を頼まなかったんですか?」 自分と同じ職務である黒子がそうしなかったことを妙に思ったのだろう。 顎に手を当てて訝しがる飾利に、当麻は慌てて説明する。上条「あ、あー……何だか白井サンは忙しそうだったから、道を聞くのを遠慮したんですよ」 とってつけたような言い訳だったが、初春「あー、そうだったんですかぁ……」 彼女は納得してくれたようだ。上条(まあ、初春ちゃんなら信じてくれると思ったけど) この短時間で既に当麻は、飾利の純粋過ぎるような人柄を把握しつつあった。
初春「白井さんは色んな事件に引っ張りだこですから、忙しいんでしょうね……」上条「事件、か」 風紀委員、つまりは治安維持部隊、という先程の飾利の説明を思い出す。上条(風紀委員ってのは大変なんだなぁ) ま、少女というのが妥当な歳の彼女らが扱うというなら、割と可愛い"事件"なんだろうな、 一人で勝手に納得していると、飾利が少し調子を落とした声で告げた。初春「この前も……學校に変な男が侵入したとか言って、白井さんが狩り出されて解決したんですよ?」 気遣いを含んだ飾利の口調から、飾利の白井への敬意を感じ取ると共に、 同時に"事件"が割りと大きなものであることが当麻にも分かった。上条「え……風紀委員ってそんな危険なこともするのか?」初春「はい。 といっても……まあ稀ですけど。」上条「そうか……」上条(風紀委員って大変なんだな……) と、自分よりも一回り年下の彼女らが警察じみた活躍をしている姿を想像するのに苦労しながら、 感心と同情のようなものが混じり合った心境を胸に落とす。上条「しかし……初春ちゃん達みたいな女の子がそんな危険な……」 労りの意味も込めて、当麻は胸中の思いを素直に掛けた。初春「大丈夫ですよっ」 そう言って顔を上げた初春の目は自信と誇りを湛えていた。初春「なんせ白井さんは階級四の術士ですから!」 はっきりとした語調で上司自慢を行う飾利の表情はここ一番で嬉しそうだ。 よっぽど黒子のことを敬愛しているのだろう。 しかしそれよりも、やはり当麻は"専門用語"に気を取られてしまう。上条「階級……術士?」 相変わらず新参者さを醸す自身に半ば嫌気が差しながらも、 とりあえず質問をしようと試みる、が。佐天「やっほー、初春ぅー!!」 瓦斯灯の灯りの下にいきなり姿を現した少女に面食らって言葉を飲み込んでしまった。初春「佐天さん!」 佐天、と呼ばれた少女は初春よりも少し年上な雰囲気ではあるが、 やはり瑞々しい若気を纏っている。 ひときわ目を引く黒髪が灯りを艶やかに反射して揺らぐ。 その肩下まで伸びた髪に飾られた一輪の桜花。その白さが濡れ烏色の黒髪に良く映えた。 花菱模様の着け下げと海老茶色の行灯袴の鮮やかさ。 女性に不慣れな当麻の目を奪うには十分だった。上条「……」 呆気に取られる当麻のことなど意に介さず、 涙子はさも当然と言わんばかりに飾利の詰め寄るとバサァッ上条「………」 一瞬、時が止まったような世界で、 めくれあがったスカートが披露した鮮やかな白い下着が、しっかりと当麻の網膜に叩き込まれた。初春「……っ きゃあああああああぁぁぁっ!」 一拍遅れて悲鳴を上げる飾利の顔から耳まで瞬時に紅く染まる。佐天「えへへー、今日は白かぁ~、いいねー」 けたけたと無邪気な笑い声を上げる涙子とは対照的に、涙目でスカートの端を押さえる飾利。上条「………」 生まれて初めて見たものを、人は決して忘れないという。 衝撃や歓喜や自制やら色んなものがごちゃ混ぜになった当麻の脳は、これ以上何かを考えることを一切拒否した。 今のこの状況がいつも通り不幸なのか、それとも幸福なのかも考えなかった。 いや、考えたら結論が出てしまう。 少女の名誉のために、自身の意地のために、その結論を認めたくなかっただけかもしれない。───
───耳まで真っ赤に染めながら、涙目でスカートの端を押さえる少女。その恨めしそうな目を意に介すことなくけらけらと笑い声をあげるその友人。そして、その二極化した気色に挟まれているのは、例によって不幸な少年である。しかし、果たして先程の出来事は不幸だったのだろうか、と当麻はふと自問する。先刻網膜に焼き付いた映像が割と鮮明に脳裏に浮び上がる。ふわりとめくれあがる下布と、そこに妖しく際立つのは、白く鮮かな……上条(いや、待て、落ち着け、あれは不幸な事件だったんだ。 そうに、決まってる。)一瞬緩みそうになった己の表情筋を慌てて締め直す。すぐそばでいかにも思春期らしい葛藤を行なっている男がいることも露知らず、二人の少女は温度差のある言い合いを続けていた。初春「ど、どうして佐天さんはっ、いっつもいっつもぉ~!」いつの間にかそこまで赤に染まってしまった手足をバタつかせて、飾利は精一杯の怒りを込めた声を涙子にぶつける。といっても、出てくるのは幼さの残る、舌っ足らずで甘ったるい声でしかないのだが。佐天「よいではないかよいではないか~w」そのか弱い抗議の声など吹き飛ばすように、今度は抱きつくようにして悪戯を再開する涙子。初春「うひゃあぁ~!? や、やめてください~」せめてもの反抗を口で表すものの、涙子の妙に慣れた手さばきは飾利の色んな箇所を愉しみ始める。佐天「ほらほらぁ、観念しなさいっ」初春「あぁっ、んっ、もぉ~やめて~ください~……」その破廉恥、いや一部の者にとって眼福な行為は我に返った当麻が、抵抗虚しくされるがままの飾利を見るに見かねて止めに入るまで続いた。
───佐天「はぁー、堪能したぁ」息遣いを荒らくし、半ば恍惚とした表情をしながら涎を拭っているのは、果たして過剰な演技であろうか。何かを奪われたように死んだ目をしてぐったりとしている飾利を見るに、あながち演出でもないような……。その余りに不慣れな空気に耐えかねたのか、先に口を開いたのは当麻だった。上条「えーっと、佐天サン、って言いましたっけ」先ほど飾利がそう呼んでいたことを思い出しながら、涙子に話し掛ける。佐天「はいっ、佐天涙子でっす! よろしくぅ!」敬礼!の格好で元気良く挨拶をする涙子に若干たじろぎながらも、なるべく落ち着きながら当麻も自己紹介をする。上条「上条当麻……うえに、条例のじょう、あたるあさ、で上条当麻。」涙子の威勢の良い挨拶への対抗意識か、妙に丁寧な紹介を終える。それに対して「へえ」と声が出たのは意外な所からだった。初春「そういう字で書くんですかぁ……」声を上げたのは、飾利。しかしその顔はなんだか不満気だ。上条(そういえば初春ちゃんには言ってなかったっけ)なるほど、今初めて知ったから相槌の声を出した、というのは分かる。上条(でも何だか怒ってるように見えるんですけどー!?)飾利の不満気な態度の理由が分からず戸惑っている当麻に空気を読んでか読まずか、涙子が話し掛けてくる。佐天「カミジョーさんって入學生の方ですよね?」
ああ、と当麻が返す。
佐天「んもぅ、入學早々ナンパですかぁ~?」こんな時間に飾利と歩いていたのを茶化しているのだろう。早熟な子だなぁ、とは口に出さず、道案内を頼んでいることをあくまで大人の余裕を以て説明しようする、と初春「そ、そ、そんなんじゃないですっっ! わわ私はただ道案内をっっ」飾利がまた紅く染まりかけた顔をぶんぶんと振りながら必死に弁解する。初春「わ、私と当麻さんはまだそんなんじゃっっ」そこまで否定されると若干凹むな、と自称不幸体質の朴念仁が内心独り言ちたところで、涙子がまたも飾利への密着型親愛表現、もとい頬擦りを開始する。佐天「えへへ~、必死な初春もかわいいなぁっ、もうっ」初春「うひゃぁあ!」えーっと、と目の遣り場に困る当麻のことは眼中にないらしい二人。しばらくあらぬ方を見ていた目をくんずほぐれつの少女達にちらりと向けてみて、当麻はようやくあることに気が付いた。上条「佐天さんの服……普通なんですね」普通、という言葉に少し違和感を感じたのだろうか、もっぱら本能欲を貪っていた涙子がひょいと顔をあげた。その目が「あたしが普通のカッコしちゃいかんのかい」とでも言いたげだったので、慌てて付け加える。上条「いやっ、その、今まで見たひとがほとんど見たことない服だったから、」ああ、と涙子が合点がいった顔をした。佐天「そっかぁ、この地区は大体洋服ですもんねー」上条「ヨウフク」ええと、西洋の服ってことか、と脳内で解釈しながら話を聞く。
佐天「あたしも最初来たときは戸惑いましたよぉ」えへへ、と屈託なく笑うその姿はより少女らしいものだった。佐天「でもほら、あたしみたいに私服は着物って子がほとんどですし」涙子がくるりと回ってみせると、海老茶色の袴がふわりと舞って少し当麻をどきりとさせた。そんなことには気付かず、涙子は『學園都市における女性の着こなしについて』の説明を続ける。佐天「私服でも洋服着てるのは、常盤台のお嬢様ぐらいですよぉ」お嬢様、という聞き覚えがあるような無いような単語の意味を脳内で検索していると、初春「か、上条さんは、和服と洋服、どっちが好きですか?」おずおず、といった感じで ── 本人は勇気を振り絞ったのかもしれないが、飾利が尋ねる。その目は佐天と自分の服をちらちらと見比べているような。何も考えていない当麻は、まあ、和服の方が見慣れているから、という単純な理由で上条「和服かな」と、のたまった。初春「そう、ですか……」その配慮を欠いた返答に表情を曇らせる飾利を見て、「なんだか知らんが怒らせてしまったようだ」と焦る当麻はまた自称することになる。上条(不幸だ……)と。───
─── スタスタ。 トコトコ。 テクテク。 夜の帳が降りきった、静かな静かな街の中。 三つの足音が歩みを刻む。 その音が、今、 止まった。初春「あ、ここですね!」 初春が見上げるのは第七學区、學生寮。上条「ここが……」 そう、ここが ある者は校舎との往復地点と呼び、ある者は勉強部屋、ある者は寝床、ある者は賭博場、 またある者──これは恐らく当事者では無いであろうが── 檻、と呼ぶ。 当麻がこれから青春の大部分を過ごす住み処、である。佐天「へぇーっ! けっこー棚川の寮と近いじゃん」 遠くを見るように手を目にかざして大げさな声を出す涙子。 しかし、そんな仰々しい見方をしなくても全体を一目に出来るささやかな寮である。 木造で二階建、純和風。 正に學生用といった様子のそれは、 夜風にかすかな軋みの音を建てながら、新入りの当麻へ己の年季を誇示しているように見えた。
上条「ほんとにありがとう。助かったよ」 何の世辞も気取りも無い、心からの礼だった。 それもそのはずだ。 当麻にしてみれば、飾利と出逢わなかったら今晩夜露をしのげるかも危うかったのだから。初春「そんな、私は、別に」 当麻から目を逸らし、たどたどしく返事する初春の顔色は、暗がりで良く見えない。佐天「へえぇーぇ」 茶化すように上ずった声を出す涙子には、それが見えたのだろうか。 瑞々しさ溢れる青春の一幕である。 それを破ったのは青ピ「なぁんや~、騒がしいから来てみたらカワイコちゃんがおるや~ん」 何とも間延びした関西弁だった。 何時の間にかそばに寄って来ていたその声の主は、 闇に溶けそうな深い青い色に染みた髪をかきあげながら、よれた着流しは大きく胸元をはだけている。 何より空気を凍りつかせたのは、その六尺を越えようかという立派な体躯と、 腹の底に響くような低い声だ。 当麻は、出発前に父親から冗談交じりに言われたことを思い出していた。 都会には怖い人が多いからな、絡まれないように気をつけろよ、と。青ピ「と、思ったら 男もおるんやね」 当麻を見下ろすようにして、男の細目がちらりと向けられる。上条「………」 もう、今日は十分過ぎるほど吐いた。 しかし どうしても少年はその言葉を吐かない訳にはいかなかった。───
─── その少し老朽の進んだ寮からは時折り賑やかな声が漏れてくる。 そんな學生の棲み家の入口に、これまた陽気な関西弁が流れていた。青ピ「なんや君ぃ~! 入寮生やったん!」 バシバシと背中を叩きながら嬉しそうに話す男に若干気を飲まれながらも、 上手く息が出来ないのをこらえつつああ、とだけ何とか返す。 この青い髪をした男は当麻と同い歳で、今年から同じ高等學校に通うという。 当麻は自分の通う学び舎の学力が都市の中でもどん底の底だと聞いていたので、 この男の知性品性その他を薄々だが把握した。 また、先ほど当麻に一瞬目を向けたものの その後はそっちのけで飾利と涙子へ口説き同然の口上を始めたのを鑑みても、 その性格は推して知るべし、であろう。 当の二人の少女は何やら引きつった笑顔のまま 「あ、宿題をしなくちゃ」とあからさまな言い訳交じりに小走りで去って行ってしまった。 もっとも、男だけはその宿題の存在を一向に疑うことなく、 ただ彼女らの担任教師へ筋違いな恨みの念を送って悔しがるだけであったが。上条「えーと……」 と、男の顔を見ながら言い淀んでいると、青ピ「青ピ、でいいで。 青髪でピアスやから青ピや」 青ピ、と当麻が口の中でつぶやく。青ピ「ピアスってーのはこの耳飾りんコトや キレーやろ?」 耳にきらりと光るそれをいじりながら、そう言っていたずらっぽく笑う。 すっかり打ち解けたようで、まったくだ、当麻も相好を崩してと笑い返す。上条「しかし、良かったよ 青ピみたいな面白い奴が同じ学級でさ」 楽しい學校生活になりそうだ、と屈託無く笑い掛けると、 いやまー、おもろいだけが取り柄やからな、と冗談めかすように着流しの袖をぱたぱたと振る。 それに合わせて、だらしなく緩ませた帯の端がゆらゆらと揺れて可笑しかった。上条(なんだかマトモそうだし、良い奴と知り合えて良かった……!) 当麻にしてみれば、都市に来てから初めて同性同世代同級の人間と知り合えたのだから、 よほどの安堵を感じたのだろう。 そして、屈託無く笑い合える友人が出来た。それが一番嬉しかったのだ。 自然と話が滑らかに口を突いて出る。上条「青ピはこの寮にどれぐらい住んでるんだ?」 学級が同じと言っても、この都市の住人としては青ピの方が先輩である。 当麻はまだまだ分からないことだらけであるから、心の中で青ピを頼もしく感じていた。
青ピ「あー、學園都市にはかなり前から入ってんやけどなー、この寮には住んでへんのよ」 意外な答えが帰ってきた。上条「え?だってこの寮から出て来なかったか?」青ピ「ああ、友人を訪ねとったんや。 僕は寮やのーて、」青ピ「寮のすぐ隣の麺麭(パン)屋で下宿しとるんや」上条「何でわざわざ……」 折角寮がそばにあるのに、どうして。 一瞬不思議に思ったが、もしかしたら下宿し、その店の手伝いをすることで自分を鍛えているのでは、 と思い至り感心の言葉を掛けようとした矢先青ピ「いや、そのお店の店員さんの服がメイド服みたいでなぁ~、可愛いんよ~っ」 この上なく目尻を下げて顔を緩ませながら、言い放った。 鼻の下を伸ばして夢心地で語っていた青ピがふと我に帰ると、 目の前で当麻がガクリと頭を垂れていた。青ピ「? どしたん? お腹でも痛いん?」 全身の力が抜けていくのを感じながら、当麻は考えていた上条(……學園都市ってのは、幻想がぶち殺されるところだな……) 割と正解に近いことを。
─── それからどれ程の時間語らっただろう。 生まれながらの不幸体質のせいで、これまで当麻は友人というものに恵まれなかった。 そんな当麻にとって、この『トモダチとのオシャベリ』の時間は全く新鮮で、本当に、本当に愉しかった……。 何時の間にやらすっかり夜も更けて、寮から漏れる喧噪も鳴りを潜めている。 ふあ、と青ピは欠伸をすると、それを合図にするようにすくりと立ち上がった。青ピ「ほな、また明日學校でなー」 手をひらひらと振りながら、相変わらず少し気になる関西弁で別れを告げる青ピ。 当麻もまたなー、と元気に返すものの、やはり別れるのは何処か寂しかった。上条(明日、か……) 青ピは寮の出口に消えていった。 下宿先の麺麭屋へ帰って行ったのだろう。上条(俺も寮にで休むか……) 振り帰った寮にはぽつぽつと明かりが灯ってはいるが、 ほとんどは既に就寝しているのであろう、暗い硝子窓が並んでいる。上条(すっかり話し込んじまったな) 当麻も軽く伸びをする。 と、大きな欠伸が盛れた。 もう寝るにも良い時分だろう。
上条(さて、俺ももう寝ないとな 明日の入學式に遅れちまう) 少し涙の浮かんだ目をこすりながら寮の中へ入る。 中には寮監室の樣なものは見当たらず、目の前にあるのは染みと割れ目だらけの階段と、 これまた所々腐って床が抜けている廊下が左右に伸びているだけである。 そういえば、と当麻は思い返す。上条(自治寮、って書類に書いてあったっけ) つまりは學生が規則を定め、管理する寮という訳だ。 普通なら消灯の律があるであろう時分に、何処かの部屋で未だ麻雀の牌がぶつかり合っているのはそういう訳なのだろう。 それでも当麻は就寝の者々に気を遣って歩くが、どうしても歩く度に床も階段もぎしぎしと喧しく哭くのだ。 仕様が無いので、気負わずからころと下駄を鳴らしながら、部屋まで闊歩する。 床が抜けやしないかと冷や冷やしながら歩いていると、すぐに部屋の前に着いた。 概観の衰え方からおんぼろ長屋の様な造りを想像していたが、 部屋の戸は障子ではなく錠のついた一枚板の引き戸であった。 歴史を感じさせる佇まいをしていても、多少文明の波は及んでいるようだ。
当麻は慣れない南京錠と格闘しながら、ふと思う所があった。上条(お隣さんに挨拶しなくていいかな) 流石に遅い時間だが、隣の戸の隙間から明りは漏れている。 どうやらまだ寝てはいないようだ。「こんな感じかにゃー。 なんせ久し振りだからにゃー」 何処かで聞いた様な声も漏れてくる。 やはり隣の住民はまだ起きているようだ。上条「よし、やっぱり一言挨拶し」「あっ、んっ、兄貴ぃ……激し、過ぎ……」「舞夏ぁ! お、お兄ちゃんはもうっ!」 当麻はその晩、泥の様に眠った。 今日一日で彼の肉体的、精神的疲労は、極限にまで溜りに溜まっていたのだ。 隣の部屋の雑音が問題にならない程に。
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