アンジェレネは、本来ならまだ義務教育を受けているような年齢だ。しかも彼女は甘えたい盛りの時期を両親から愛されずに過ごし、あげくの果てに知らない土地で捨てられた。そんな少女が、自分に対し厳しいながらも真摯に向きあってくれるルチアになつくのは、自明の理と言えよう。いつしかアンジェレネにとってルチアは姉のような母のような、そんな存在になっていた。アンジェレネ「今日はー、日曜日ー」 さて、実はアンジェレネとルチアの間にはある一つの決まりごとがある。それは彼女達がまだ出会って数か月の頃、一人で眠るのが寂しいとごねたアンジェレネがむりやり取りつけた約束。『じゃ、じゃあ毎週日曜日は一緒に寝ること。約束ですよ!』『はいはい』 そんなこんなで、人の優しさに飢えて育ったそばかす少女アンジェレネは、毎週日曜日の夜がいつも楽しみだった。そう、ちょうど今日この時間が。アンジェレネ「シスター・ルーチアー!」 よほど嬉しいのだろう。今が夜だということを気にも留めずに大声をあげ、そのまま返事を待たずにルチアの部屋のドアを開けた。アニェーゼ「うおっ、なんだかやたらテンション高いですね」 するとそこにはルチアの他にもう一人、いつもはいない筈のアニェーゼがいた。アンジェレネ「え? シスター・アニェーゼ?」ルチア「……えーと、その……」 ルチアがばつの悪そうな顔をする。ルチア「そういうことなので、今日はあなたと一緒に眠れません」
アンジェレネ「えっ!? そ、そういうことってどういうことですか!?」アニェーゼ「いやー、実はちょっとピロートークに花が咲いちまいましてね。ねとっちまってすいません」アンジェレネ「ぴろーとーく? って、何ですか? それにねとりって?」ルチア「……シスター・アニェーゼ、黙ってお尻を出しなさい」アニェーゼ「あ、ちょっ、シスター・ルチア、タンマ! 弁明を! 私に弁明の機会を!」ルチア「お尻叩きの後でゆっくり聞いてあげます」アニェーゼ「ひぃっ!?」アンジェレネ「……」 ピロートークやねとりという言葉の意味はよく理解できなかったが、自分を置いて楽しそうにしている(?)二人を見ていると、何故だかアンジェレネは胸が苦しくなった。父と母が仲良く話しているのに自分だけ一人疎外されて。そんな、捨てられる直前の生活を、どこか連想させる。アンジェレネ(本当はそこは私の場所なのに……) アンジェレネはうなだれてルチアの部屋を去った。
――――――アニェーゼ「あー、いてててて。お尻がヒリヒリします。素で泣いちまいそうなんですが」ルチア「自業自得です」アニェーゼ「私はただ真実味を増そうと」ルチア「げ、限度というものがあります!」アニェーゼ「ああはいはい、あなたの前で下ネタを出した私が馬鹿でしたぁ!」ルチア「誰の前であっても淫らな発言は好ましくありません!」アニェーゼ「とまあ、そんな話は置いといて」ルチア「置いとかないでください」アニェーゼ「……本当にアンジェレネに対してあんな態度をとってよかったんですか?」ルチア「ええ」アニェーゼ「この部屋を出ていく時なんて、神裂さんのウメボーシを食べた時よりも辛そうな顔してましたけど」ルチア「あの子を一人立ちさせるためです、仕方ありません」アニェーゼ「一人立ちねぇ」ルチア「ふと不安になったんですよ。 私の服の裾を握ってばかりのあの子が、この先ちゃんとやっていけるのかって」アニェーゼ「確かにあなたにベッタリしすぎな感はありますが、急に突き放しちまうのもどうかと。というか……」ルチア「な、何ですかその目は」アニェーゼ「いやほら、私をだしにしなきゃ上手く断れねえあたり、 なんだかんだでシスター・ルチアもアンジェレネには厳しくなりきれないんだなーと」ルチア「うっ……。じ、自覚はしてます……。どうもあの子のペースに巻き込まれてしまうというか……。 きっとそんな私の甘やかしがあの子を駄目にしてしまっているのでしょう」
アニェーゼ「というかさっきからアンジェレネのこと散々に言ってますけど、あれで彼女も結構成長してますよ」ルチア「そうでしょうか。今日だって冷蔵庫の中身を勝手に漁っていましたが」アニェーゼ「あはは、まあそういう面では駄目駄目ですけどね。 でもほら、初対面の時のあの子のことを思い出して下さい」ルチア「あの時は……、ずっとビクビクしていて、なかなか口を聞いてくれませんでしたっけ」アニェーゼ「オルソラ嬢の料理を口にして発した『オリーブの味がする……』。確かこれが第一声でした」ルチア「最初は大変でしたね。二日三日経つ頃には今のように会話もできるようになりましたが」アニェーゼ「ほら、その頃と比べれば大きく成長したと思いません?」ルチア「……確かに、少なくとも人見知りは和らぎましたね」アニェーゼ「あなたはあの子と近すぎてかえってその成長ぶりが見えてないんじゃねえですか?」ルチア「そう……、なのかもしれませんね……」アニェーゼ「ま、たまにはムチばかりじゃなく飴をやってもいいと思いますよ」ルチア「……。ちょっとあの子のところへ行ってきます」アニェーゼ「ええ、そうしてください」
―――――― 自室の片隅に置かれたベッドの上で、アンジェレネはいじけて丸まっていた。アンジェレネ(シスター・ルチア……、も、もしかして、いつも迷惑だったのかな……? 嫌われてたらどうしよう……) 思考は悪い方へ悪い方へ傾いていく。無性に悲しくなり、涙があふれてきた。アンジェレネ(もう寝よう……) 明かりを消してまぶたを閉じるも変に目が冴えて眠れない。暖かい涙が顔をつたっていくが、それをぬぐう気力すら起きなかった。と、その時、「シスター・アンジェレネ、まだ起きていますか?」 ドアの外からルチアの声がした。アンジェレネは思わず跳ね起きる。アンジェレネ「ね、寝てないです!」ルチア「入りますよ」
ルチア「あら、真っ暗じゃありませんか。明かり、明かり、と……」アンジェレネ(……あっ! 明かりがついたら泣いてるのがばれちゃう!)アンジェレネ「ま、待ってください!」ルチア「え?」 静止の声は間に合わず明かりのスイッチが入れられた。ルチアはベッドの上で自分の方を向いているアンジェレネの顔をまじまじと見つめる。ルチア「……、泣いていたのですか?」アンジェレネ「ち、違い……まっ……」 慌てて首を振るも、溢れ出す涙は止まらない。アンジェレネ「だ、だって、お、お母さんもお父さんだって、最初はそうでもなかったのに、私にどんどん冷たくなっていって……。 だからシスター・ルチアも私のこと嫌いになったのかなって……」ルチア「馬鹿ですね。そんな筈ないじゃありませんか」 そう言って、小さく縮こまったアンジェレネの体をルチアが優しく抱き締めた。アンジェレネ「ほ、本当に本当?」ルチア「ええ」アンジェレネ「よかったぁ……」 アンジェレネは心底ほっとしたような声でそう呟く。厳しくしすぎるのも考えものなのだなと、ルチアは心の中で反省した。
アンジェレネ「あっ」ルチア「どうしました?」アンジェレネ「えへへ、安心したらお腹が空いてきちゃいました。 お、お夜食とか……駄目、ですよね?」駄目もとで、そう確認する。するとルチアは普段なら考えられない反応を見せた。ルチア「はぁ……、仕方ありませんね」アンジェレネ「えっ?」ルチア「今から軽く夜食をとりましょう」アンジェレネ「えええっ!? いいんですか!?」ルチア「ええ。ただし今日だけ特別ですよ」アンジェレネ「や、やったー! シスター・ルチア大好きー!」はしゃぐアンジェレネを見て、ルチアは思わず口元を緩めるのだった。「おわり」
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