……………………………………
「キャー!」
女の子の悲鳴が聞こえたのは白井さん達と別れてから数秒後の事だった。
白井さんがいないとはいえ私もジャッジメントの端くれ。
助けないわけにはいかないので、急いで声の元へと駆けつける。
「うぅ……」
上条さんの方をちらりと見やる初春。
上条さんは苦笑いを浮かべている。
「初春さん、話しなさい」
「は、はひ……」
ごまかすのは不可能だと判断したのか、初春は観念してポツリポツリと話し出した。
「ジャッジメントです!大人しくしてください!」
「あぁ?」
いかにも柄の悪そうな男達が三人、女の子を取り囲むように下卑た笑みを浮かべていた。
そしてその男達は怪訝な顔をしてこちらを振り向く。
私は腕にある腕章を見せつけるように左手を前に出した。
「その女の子を解放してください!」
「テメェ本当にジャッジメントか?」
「そ、そうです!」
腕章つけてるんだからあたりま……あれ?
腕章は?
「あっ、……チィ。テメェのせいで逃げられちまったじゃねぇか」
男達が私に気を取られてる隙に女の子は逃げ出すことが出来たようだ。
良かった。
よし、私の役目はここまでだ。
「それでは失礼します!」
クルリと振り返り、歩き出す。
「どこ行くんだ?」
「ひえぇ~」
が、すぐに路地裏に引っ張り込まれてしまった。
「くだらねぇハッタリで俺らの楽しみを邪魔しやがって」
「変わりにお前で楽しませてもらうぜ?」
「あ、うう……」
た、大変なことになっちゃった……
どうしよう……誰か助けて……
「おい、お前ら。その子を離せ」
ケンカなど出来るはずもない私が何も出来ずにふるえていると、後ろから声が上がる。
「あ?今度は誰だ?」
振り返ると、逆光で顔はよく見えないが、その特徴的なツンツン頭が揺れていた。
「か、上条さん?」
「あぁ?上条ぉ?」
上条さんはゆっくりとこちらへ歩いてくる。
「お、お前は……」
「ん?お前ら……」
どちらもお互いを知っているのか、静かに睨み合っている。
先に口を開いたのは上条さん。
「お前ら、まだ懲りてないのか?」
「グッ……クソ、行くぞ」
三人の内のリーダー格らしき男が仲間を引き連れて退散していった。
「あ、あの、ありがとうございました!」
「ああ、それより大丈夫だったか?怪我とか」
「は、はい、大丈夫です。……上条さん、あの人達知ってるんですか?」
「いや、あいつら佐天を襲った奴らだったんだ」
「はぁ~、あの人達が」
けっこう強そうな人達だったけど。
上条さんって強いんですね~。
「そ、そうだ!お礼したいんで、一緒に支部まで行きましょう!」
「え?いいってそんなの」
「あ、忙しかったですか?」
「いや、そんなことはないけど」
「じゃあ決まりですね!ついてきて下さい!」
意気揚々と歩き出す私。
すぐそこにある空き缶に気付かずに足を踏み出す。
「へぶっ!」
「うお!」
そして見事に転んでしまった。
「い、いたた……」
足を捻っちゃったみたいだ。
うぅ、痛くて立ち上がれない。
「だ、大丈夫か?」
そして抱き起こそうと近付いてきた上条さんも、同じ空き缶にかかって。
「ぐあ!」
転んでしまった。
………………………………
「という訳です……」
「なるほど。腕章を忘れていき、スキルアウトに目を付けられ、本来守るべき対象である一般人に助けていただき、あまつさえその方の手を煩わせて帰って来た、という訳ですわね?」
「う、……はい……」
固法先輩の目がギラリと光る。
「初春さん、後で私のところに来なさい。ジャッジメントのなんたるかを叩き込んであげる」
「はうぅ……お説教ですか……」
上条さんもだけど初春も大概不幸だね~。
「ま、まあまあ。大事にはならなかったんだから良いじゃないか?」
「だめですの。ジャッジメントたるもの常に周りに気を配っておかないと、少しのミスが致命傷になりえますので」
「面目ないです……」
うーん、いろいろと大変なんだね~。
これだけ真剣に取り組んでるってことは、やっぱり白井さん達はこの仕事に誇りを持ってるんだろうな。
そういう打ち込めることがあるっていうの、ちょっと羨ましいかも。
「うーん、それなら俺からは何も言えないなー。……んじゃ、俺はそろそろ帰るとするよ」
ええ!?
せっかく会えたのに。
「もう帰っちゃうんですか!?もうちょっとゆっくりしていって下さいよ!」
「そうですよー、……あ、そうだ、おいしいお茶とお茶菓子があるんです!」
初春がポン、と手を打った。
「ほらほら、初春もこう言ってる事ですし」
上条さんの手をグイグイ引っ張る。
上条さんの手をグイグイ引っ張る。
「え、でも仕事の迷惑に……」
「だーいじょうぶですって!私いっつも来て迷惑かけてますから!」
「自覚はあったのね……まあいいけど」
はぁ、と固法先輩がため息をつく。
上条さんをソファに座らせ、ササッとお茶とお茶菓子を用意する。
「そ、それなら少し休憩していこうかな」
やった!
あたしは嬉々として上条さんの隣を陣取る。
白井さんはその光景をポカーンと見て、初春とコソコソ話し出した。
………………………………
「う、初春、あれはどういうことですの?」
白井さんが二人に聞こえないような声で話しかけてくる。
「え、えっとですね。…………って事がありまして」
私は事情を話す。
「へ、へえ、そんなことが。あの類人猿に、佐天さんが……」
「たぶん上条さんも佐天さんに惹かれてるはずですよ。早く告白ちゃえばいいのに」
友達の微笑ましい話を聞き、今現在楽しそうにお話ししてる二人を見て、しかし白井さんの顔は浮かばない。
「……?白井さん、どうかしましたか?」
「い、いえ、何でもありませんの」
慌てて首を横に降る白井さん。
どうしたんだろ?
「そのこと、他に知っている方は?」
「うーん、多分上条さんのお友達の土御門さんと、青髪ピアスさんと、後は白井さんだけだと……」
「そうですの……」
白井さんはほっと胸をなでおろす。
おかしな様子の白井さんに私が首を傾げていると、突然白井さんの後ろから固法先輩が顔を出した。
「それと、私ね」
「わ!ビックリさせないで下さいよ!」
「いいじゃない。上条くん、いい子そうだし、しっかりしてるし。佐天さんとお似合いだと思うわよ?」
「そ、そうですわね……」
優しい目で二人を見てる固法先輩に対して、乾いた笑みを浮かべる白井さん。
やっぱり変、だよね?
そうこうしているうちに、上条さんはお茶を飲み終えたようだ。
………………………………
「それじゃ、俺はそろそろ帰るよ」
「そ、そうですね、いい時間ですし。今日は一杯お話し出来て楽しかったです!」
本当はもうちょっと一緒に居たいんだけど。
「あ、そ、そうだ!あたしも一緒に……」
帰ろうかな、と言おうとしたが、その言葉は白井さんに遮られてしまった。
?
別にいいんだけど。
話って何だろ?
「じゃあそういう事なんで、あたしは残りますね」
「あぁ、じゃあな」
「日曜日、楽しみにしてますね!」
「おう」
別れの挨拶を済ませ、上条さんは支部を後にした。
……………………………………
「日曜日、何かあるの?」
上条さんが帰り、適当な椅子に座ったところで固法先輩に尋ねられる。
「あ、それはですねー」
あたしはカバンをあさる。
「じゃーん!ここに行くんです!」
取り出したのは先日渡された遊園地のチケット
「あら?新しくできた遊園地の……ってそれプレミアムチケットじゃない!?」
固法先輩がビックリした顔をする。
プレミアム?
「何ですかそれ?」
「あら、知らないの?それ、10枚しか発券されてないチケットよ。アトラクションに待ち時間全くなしで乗れるのは勿論の事、遊園地内部で色々とサービスしてもらえるの」
え、嘘、そんな凄い物だったの?
「かなりのレア物なんだけど……。それ、どこで手に入れたの?」
「上条さんに貰ったんですけど……」
「あの子に?」
「ほえ~、上条さんってそんなに凄い人だったんですか?自分のことただの貧乏学生だって言ってましたけど」
う~ん、私にも普通の学生にしか見えないんだよね。
固法先輩がニヤリと笑う。
「玉の輿かもしれないわよ、佐天さん。で、そこで告白するのかしら?」
「ふぇ?」
な、何で固法先輩がそれを……
初春、話したな!
「いいんじゃない?そこ、今人気の告白スポットらしいわよ?観覧車に乗って夜景をバックに、なんて素敵じゃない」
「そ、それいいですね!佐天さん、そうしましょう!」
あ、あれ~。
なんか勝手にどんどん話が進んでく……
なんとか話をそらさないと。
「そ、それにしても、固法先輩詳しいですね~。黒妻さんと行ったりするんですか?」
「な!?」
固法先輩の顔が真っ赤になる。
そして何事かごにょごにょと呟き出した。
「わ、私だってそういうロマンチックな事したいけどあの人そんな柄じゃないとか言って相手にしてくれなくて……大体あの人は……」
あら。
自分の世界に入っちゃった。
「と、ところで白井さん、話って何ですか?」
ぐにゃぐにゃになった固法先輩を放っておいて、さっきから押し黙ったままの白井さんに声をかける。
「……あの、ですね。……その殿方の事ですの」
「黒妻さんですか?」
「そっちではありませんの」
「冗談ですよ~。上条さんがどうかしたんですか?」
「その……お姉様には内緒にしていただけません?」
お姉様、って御坂さん?
「なんでですか?」
いやまあ、自分からそんな事は言わないけどさ。
「なんでも、ですの」
「でも、なんか仲間はずれしてるみたいで心苦しいんですけど……」
初春が口を開く。
「いいから、お願いしますの」
「わ、私は別に構いませんけど」
「あたしも別に……」
良く分かんないけど、御坂さんにあたしと上条さんの関係を秘密にしろ、ってことだよね?
「固法先輩も、聞いてますの?」
「……だから私もこういうのいいなーとか色々調べたりしてるんだけど結局実行できなくて……え、何?」
「ですから、上条さんの事をお姉様には秘密にして下さい、という事ですの」
「御坂さんに?どうして?」
「どうしてもですの!」
「わ、分かったわ」
どうしたんだろ、白井さん?
こんな真剣な顔してるの、久しぶりに見たかも。
「話はそれだけですの。お呼びだてして申し訳ありませんでした」
そして白井さんは自分の席に戻り、仕事を始める。
「じ、じゃあ私達も仕事に戻ろっか」
「そうですね」
不振に思いながらも、初春と固法先輩も持ち場に戻る。
あたしは仕事なんてないし、邪魔しても悪いので、家に帰ることにした。
本当にどうしちゃったんだろ、白井さん。
そういえば御坂さん、今日来てなかったな。
――――――――――――
ジャッジメントの支部を後にした俺は、カバンを片手に家路につく。
佐天も初春も良い奴なんだけど、多少強引なとこがあるんだよな~。
「さて、と、さっさと帰ってメシ作らないと」
居候にしては図々しいあいつにまたどやされる。
いつも帰りに通りがかる公園を横切る。
家はもう少しだ。
「ちょっと、アンタ!」
うあー、もうすぐ家に着くと言うのにトラブルメイカーならぬ不幸メイカーの声が聞こえてしまった。
いや、空耳だよな。
うん、そうだ。
「コルァ!アンタよアンタ!無視すんなーっ!」
ゲッ、街灯が割れた。
このまま無視し続けるとまた警備ロボに追い回される事になりかねない。
仕方なしに振り返る。
「はぁ、なんだビリビリ」
「ビ、ビリビリ言うな!私はみ、さ、か、み、こ、と!」
「で、何だ?何か用か?」
「う?え、えっと……」
突然真っ赤になるビリビリ中学生。
何なんだこいつは。
御坂はおたおたしながら矢継ぎ早に聞いてくる。
「え、えっと、アンタ日曜日ヒマ?いや、ヒマよね。ヒマに決まってるわ。どうせヒマなんだから、私に付き合いなさいよ」
「あーあー、ちょっと待て。」
なぜか暴走している御坂をなだめる。
「な、何よ?」
いや、何よはこっちのセリフだ。
「お前はまず落ち着くという事を覚えろ。あと、すまんが日曜日は約束が入ってる」
「え、そ、そうなの?」
「あぁ、悪いな。どっか行くのか?」
「べ、別にアンタには関係ないでしょ!」
いや、お前俺誘おうとしてなかったか?
「はぁ、用はそんだけ?」
「溜め息つくな!ま、まあそう、だけど」
「そっか。そんじゃな」
「あ、ちょっと……」
「ん?」
「……何でもない」
?
本当に良く分からない奴だ。
怒っていたかと思うと急にしおらしくなる。
ま、戦いを挑まれなかったのはラッキーだったかな。
………………………………
「バカ……」
誰かと出かけるの?
どこに行くの?
そんな言葉を飲み込み、宿敵のツンツン頭が見えなくなったところで私は呟く。
ふん、別にあいつがどこの誰と出かけようが知ったこっちゃないわ。
それに、間違えてチケット二枚買っちゃっただけだし。
大体、よく考えてみれば他の人と行ってもどうせ馬鹿にされるだけよね。
う、うん、断られて良かったんだ。
「やっぱり、一人で行こうかな」
こんな事なら、一時間も待ってないで早く帰れば良かった。
――――――――――――
「がはぁっ!?」
「おい、てめぇら何考えてんだ?」
「な、何が、ですか?」
「てめぇらが一般人に凄まれてノコノコ退散してるとこを他の奴らが見てんだよ!」
「!……い、いや、あれは奴が強くて!」
「黙れこの面汚しどもが!」
「がっ!」
「強ぇやつにはそれ相応のやり方ってもんがあるだろうが。あぁ?」
「え……?」
「分かったらさっさとそいつをここに連れてこい。それともナメられたままのこのこ退散すんのか?」
「わ、分かりました!」
「失敗したら命はねぇからな」
「は、はい!」
――――――――――――
――――――――――――
夏を間近に控え、少し日差しは強くなってきたものの、まだ穏やかさの残るうららかな春の朝。
窓から吹いてくる優しい風があたしの鼻腔をくすぐる。
空を見上げると、雲一つない青空がどこまでも広がっているようだ。
今日は土曜日。
待ちに待った上条さんとのデートもついに明日となり、あたしの心もこの青空のように澄み渡っている。
はずだったのに……
「なんで今日に限って補習なの……」
昨日帰ってから机の上に放置したままの数学のテストには、今まで何とか保っていたギリギリのラインを軽々と越える、見るも無残な点数がでかでかと書かれている。
やはりテスト中に上条さんのことばかり考えていたのが敗因だろうか。
うぅむ、と唸りながらテストを睨みつける、が、そんな事をしていても点数が変わるはずもない。
溜め息をつき、仕方なしにテストをカバンに入れ、学校へ行く支度を始める。
憂鬱な気分のまま最後に筆箱を入れて、準備完了。
さて家を出ようかな、としたその時、ポケットの携帯からブブブ、とメールの着信を告げるバイブが鳴った。
さっき初春に、補習は午前中で終わるから午後買い物に付き合って!、という旨のメールを送ったので、おそらくその返信だろう。
やっぱり新しい服でオシャレして行きたいし。
すでに使い始めて数ヶ月経つ携帯を慣れた手付きで操作し、受信ボックスを確認する。
案の定初春からだ。
「えっと、補習が終わる頃にまたメール下さい、学校まで迎えに行きます。か」
って事は買い物付き合ってくれるって事かな。
「分かった、お昼ご飯奢ったげるよ。っと」
この前も上条さんの高校に行くの付き合ってもらったし、それくらいはしてあげないとね。
「よーし、補習頑張っちゃおっかな!」
明日の事を考えると思わず緩む頬をパンパンと叩き、気合いを入れて、あたしは学校へと歩き出した。
――――――――――――
「朝、かぁ……」
朝6時。
このような早い時間にもかかわらず、浜面仕上は欠伸と共に立ち上がった。
他の彼程度の年齢の者達にとっては、休日の朝など有って無いようなものなのだが、彼には起きなければならない理由がある。
その理由は一つ。
「朝飯、つくらねぇとな……」
アイテム、という学園都市の暗部組織において、彼の上司であるところの少女四人分もの朝食を用意しなければならないのだ。
彼にとっては、朝食などとらなくても何ら問題は無い、が、彼女らが言うには、規則正しい生活をするのが美容を保つ秘訣、なのだそうだ。
シャケ弁やら鯖缶やらばかりを食べているような奴らに美容もクソも無いと思うのだが、そんな事を言った日にはそれが最期の言葉になりかねない。
いつも通りに脱ぎ散らかされた洋服やら下着やらを洗濯カゴに放り込みながら、キッチンへと向かう。
女共に幻想を持っているやつにこの惨状を見せてやりたいもんだ。
そんな事を思いながらキッチンのあるリビングへと繋がる扉を開けると、そこにはもうすでに先客がいた。
「あ、浜面」
「おぉ、早いな」
ショートの栗色の髪を揺らしながら振り向いた少女。
絹旗最愛である。
「えーとですね、超この前の件なんですが」
朝の挨拶もほどほどに絹旗はうつむきがちに尋ねる。
「あぁ、見つけといてやったぞ」
絹旗はその言葉を聞くやいなや、パッと顔を輝かせ浜面を見上げた。
が、浜面のニヤニヤとした顔を見て、すぐにその顔を元に戻す。
「浜面にしては超よくやりましたとだけ言っておきましょう」
「なんだ、もっと喜べよ。あんなに気にしてたじゃねぇか」
「うっさい死ね!」
「なにその暴言!?せっかく見つけてやったのに!」
機嫌を損ねたのか絹旗は椅子に座り、浜面を一切無視して映画のパンフレットを読み始めた。
「ったく」
映画館の一件以来、『あの二人、超どうなったでしょう』という言葉を何度聞いたことだろう。
うるさくて仕方が無いので、それなら謝りに行ってこい、明後日までに場所調べといてやるからとアドバイスしたのが一昨日のこと。
絹旗は多少戸惑ったものの、やはり気がかりだったのか最終的にはそうする事に決めた。
おそらく今日早く起き出してきたのはそのことが気になって眠れなかったからであろう。
(素直じゃねぇやつだな)
そう心の中で呟きながら、浜面は朝食の準備に取りかかった。
………………………………
「おーい、朝飯出来たぞー」
時刻は八時をまわり、とある高級ビルの一角に浜面の声が響きわたる。
「んー、おはよー」
寝ぼけ眼をこすりながら顔を出したのは、金髪に碧眼の、およそ日本人とはかけ離れた容姿をした少女。
名前をフレンダ、という。
先に述べた、鯖缶ばかりを好んで食べるのがこの女子高生だ。
「超おはようございます」
浜面が焼いて机の上に置いたパンをサクサクとかじりながら、絹旗はフレンダに挨拶を返した。
「あら、早いのね絹旗」
「え、えぇ」
「何かあったの?」
「へっ?えっ、いえ、別に何もありませんよ?」
「?……まあ良いけど。浜面ー、鯖缶はー?」
キッチンから浜面が顔を出す。
「また鯖かよ。昨日も一昨日もじゃなかったか?」
「何言ってんの。食べたいのを我慢してストレス溜めるよりいっそのこと食べちゃったほうが身体に良い訳よ」
「駄目な奴の理論だぞそれ」
「は?」
「いえ何でもないです。そこの買い物袋の中に入ってる」
「ふっふ~ん、そうならそうとさっさと言えば良い訳よ」
フレンダは鼻歌交じりに買い物袋を漁り始めた。
「朝っぱらから騒々しいわね~」
と、そこにドアの辺りから若干不機嫌そうな声が聞こえてくる。
三人が声の上がった方へと目を向けると、そこには、ゆるめのウェーブのかかった髪の先を指でクルクルと弄りながらリビングへと入ってくる、大学生ほどの年齢の女性がいた。
この組織におけるリーダー、麦野沈利である。
「オハヨ」
「お、おはようございます」
「お、おはよう麦野」
「お、おす」
「シャケ弁」
麦野はそれだけ言い放つとどっかりとソファに腰掛けた。
絹旗とフレンダは顔を見合わせ、チラチラと麦野へと目を向けながら意志疎通をはかる。
(これは……どうでしょうか?)
以前、麦野の機嫌が悪い時に不用意な発言をした浜面が塵になりかける、という事件があったのだ。
そしてそれ以来、『浜面はどうなっても良いけど明日は我が身』をコンセプトに、何をするにもまず麦野の機嫌をうかがおう、という日課が彼女達の中に生まれたのである。
「ま、こういう超微妙な日はアレしかないですね」
「結局アレしか無いわけよ」
「「浜面チェック」」
二人はぐるりと振り返り浜面を見やった。
浜面チェック。
これが、見ただけでは機嫌が分からない時に使われる、一番簡単であり、そして一番有用な方法だ。
とどのつまり、ただ浜面が麦野に話しかける、というだけのことなのだが。
判別方法としては、シカトされれば不機嫌、されなければ上機嫌とは言わないまでも普通の状態、である。
(さあ行くのです浜面。私たちの未来は君に超かかっている)
(グッ、お前ら俺にばっかり危ない橋渡らせやがって。言っとくけどすげぇ怖いんだぞ?)
一度消し飛ばされかけただけにかなりの説得力を持つ言葉だが、少女二人は知ったこっちゃないと言わんばかりに彼をせかす。
仕方なしに浜面はシャケ弁片手に麦野に歩み寄る。
「ほら、シャケ弁」
「そこ置いといて」
麦野は雑誌片手に机の上を指差し、
「……?何か用?」
シャケ弁を机に置いた後もまだそこにいる浜面を不審に思い、そう尋ねる。
(わ、私にもわかんないわよ、下手な事できないわね……)
彼女らが気にしている事。
それは麦野の機嫌、である。
「あー、いや、何だ。今日もいい天気だな」
「はぁ?なんで私があんたと世間話なんかしなきゃなんないのよ。それとも何?新手のナンパ?どこの女が好き好んでお前なんかとお茶するかっつーの!バッカじゃねぇ!?」
麦野は何かツボに入ったのかケタケタと笑い出した。
「……なんか良く分かんないですけど、麦野超ご機嫌ですね」
「そうね。浜面泣きそうなわけよ」
「超いたたまれないですね」
「あーあー、臭いとか言われだしたわよ」
絹旗とフレンダは今だ罵詈雑言を浴びせ続けられている可哀想な男を見ながら呟き合う。
その後、浜面はトイレへと席を立ったが、用を足していたのかどうかは定かではない。
………………………………
「おはよう」
浜面がトイレから戻って来るとすぐ、ピンク色のジャージを身にまとい、無表情な顔をした少女がリビングへと入って来た。
彼女がアイテムの最後のメンバー、滝壺理后である。
「た、滝壺!」
彼女を見るや、浜面は顔を輝かせた。
人権などほとんど無視されるこの組織において、彼女は唯一の清涼剤だ、とは彼の談である。
浜面と滝壺は一般に言う、付き合っている、関係なのだ。
「はいはい、外でやってね」
「浜面鼻の下超伸ばしすぎです」
「結局、浜面は気持ち悪い訳よ」
滝壺は彼女らの言葉、そして目の赤くなった浜面を見て、ぽん、と手を打ち、言う。
「大丈夫。そんなイジメられてるはまづらを応援してる」
結局彼をイジメから助けてくれる人物などいないのだ。
だが、滝壺が応援してくれているだけで俺は頑張れる、らしい。
………………………………
朝食を終え、彼らは各自思い思いの時間を過ごしていた。
フレンダは買い物に出かけ、麦野はすぐに部屋へと戻って行った。
なので、今この場にいるのは絹旗、滝壺、そして浜面の三人である。
浜面が後片付けをしていると、絹旗がコソコソと近づいてきた。
「浜面、浜面、例の件」
「あー、分かった分かった」
浜面はポケットから一枚のメモを取り出し、絹旗に渡す。
「それに書かれてる所に行ってこい」
「なんですかこれ?柵、川、中学?」
そのメモには、どこかの学校への地図、そして小さく棚川中学、とだけ書かれていた。
「あぁ、どうもその学校に通ってるらしい。ちなみに一年だ。お前と同い年くらいじゃないか?」
「はぁ、そうですね。でも今日は超土曜日ですよ?」
「そうなんだが、今日は補習があってそれに出てるみたいだな。昼頃に終わるらしいから、今から行けば丁度良いくらいに着くじゃないか?」
「……やっぱり浜面超気持ち悪いですね。というより超怖いですこのストーカー」
「ああ言われると思ったよ!言ってて自分でも気持ち悪いと思ったしな!」
浜面は開き直ったようにハッハッハと笑い出した。
「まあこの事は後でみんなに超チクっとくんで置いといて、ここに超行けばいいんですね?」
「そういうことだな。……あと、あいつらに言うのだけはやめてくれないか?」
彼は以前、ちょっとしたミスでバニー好きだというレッテルを貼られてしまっており、そしてさらにその上ストーカー疑惑まで掛けられては、彼女らに家畜同然の扱いを受けるようになるであろうことは目に見えている。
「考えときます」
「頼むよ、ほんと」
浜面はそう言い、ひらひらと手を振って皿を洗う作業に戻った。
が、絹旗は浜面の隣から動こうとはしない。
皿を洗うカチャカチャという音だけが二人の間に流れる。
「……」
「……」
「……?どうした、行かないのか?」
浜面は、隣で渡したメモを畳んだり開いたりしながらもじもじとしている絹旗に声をかける。
「……ついて来て下さい」
「……」
こうなるだろうな、とは予想していたのか、浜面は諦めたように口を開いた。
「……はぁ、分かったよ。洗い物終わるまで待ってろ」
何だかんだ言ってこの男、面倒見は良いのだ。
つづく