彼女らの仕事、というのは毎日あるわけではない。それでも集会は頻繁にあるわけだが。だがその仕事も、最近はなんとなく連続しているように思えた。滝壺(だけど……私にはただやるだけだから、関係ないけど)絹旗「滝壺さん、隣いいですか?」滝壺「表は?」絹旗「ここから飛び出しても大して変わりませんよ」そう言って車内に入り込んだ今日はどこからかの防衛戦らしい、フレンダが既に防衛地に入って爆弾を仕掛けている。麦野はそれが零した奴の駆除。フレンダは優秀だが、詰めが甘いからよくひとりふたり見落とすため、バックアップが必要なのだ。更に絹旗、滝壺がそれのフォロー。ここまで来ることは滅多にありはしないのだが。絹旗「……今日はどうだったんですか?」滝壺「……なにが?」絹旗「例の少年のことですよ。今日も行ってきたんでしょう?」絹旗の言葉に、滝壺は黙る。確かに、行っては来た。だがそれは語るようなものではない。デート、だなんて愛らしいものではなく、最後のお別れだったから。滝壺「別に、なにも」平静を装ってそう返す。感情に乏しいためか、絹旗は気付かなかった。絹旗「春、ですね。もうすぐ超冬ですけど」絹旗は窓の外を眺めながら言う。外からこちらの様子は見えない、特殊仕様のガラスだ。この中にいると、さながら出られない檻に閉じ込められている気分になる。さながら、間違ってはいないが。絹旗「浜面もそろそろ彼女ぐらい超探したらどうです?」浜面「簡単に探せるんなら苦労しねぇよ!」絹旗「それもそうですね」運転席へと呼びかけ、絹旗はくすくすと笑う。絹旗「兎にも角にも、私たち的には滝壺さんに幸せになって欲しいと思ってますよ。……麦野は、すこしわかりませんけど」浜面「そうだぜ、滝壺。もしお前を泣かせることがあったら、あんなヤツぶっとばしてやるからな」滝壺「……うん、ありがとう」彼女はお礼を言う。今は、 自分の幸せを願ってくれている二人に対して、心からそう思った。滝壺「……でも、私は――」もう、彼とは会わないから。そう言おうとした瞬間に、ガラッ、とドアが開く。フレンダ「ふぃー……つかれたー」ぐでっ、としたフレンダが車のシートにもたれかかる。絹旗は超お疲れ様です、と言って、もう一人の姿を探す。……が、それは影も見えなかった。フレンダ「あー、滝壺ー、麦野がアッチで呼んでたよー」滝壺「むぎのが?」フレンダ「うん、なんか色々あるんだってさ」フレンダは言葉を濁し、自分が今来た方向を指す。いつもならば、能力者が逃げたから、というのが彼女を呼ぶ理由だろうが。今日に限っては、なにやら違う気がした。滝壺「……わかった、行ってくる」絹旗「気をつけてくださいね」絹旗の言葉を背に受けて、滝壺は施設の中へと向かう。違和感を胸に秘めたまま。滝壺が去った後、数秒の沈黙が訪れる。それを壊すのは、絹旗。確認するようにフレンダに言う。絹旗「……フレンダ、もしかして、麦野は……」フレンダ「あー……うん、そう」肯定。最後まで言わずとも、理解はできる。麦野は滝壺の居場所を奪うつもりだ、と。それをわざわざ滝壺に告げる意味は単純明快だ。縛るため。或いは、脅すため。もう会わないと約束しないと。或いは、能力をちゃんと使えと。もしくは、その両方。麦野ならきっと、両方を選ぶ。浜面「……なんていうか、俺らにはどうしようもないことなのかな」絹旗「……少なくとも、私たちにはとめる権利は超ありませんね」一度見逃されている身の上。逆らったら、間違いなく死が待つだろう。絹旗「願わくば、滝壺さんが無事であることを――――ん?」フレンダ「どうしたの、絹旗?」絹旗「……いえ、なんでも」駆け抜けていく影のようなものが見えた気がしたのは、きっと気のせいだろう。絹旗はそう片付けて、滝壺の無事を祈った。こつこつ、と足音が反響する。辺りには重器材が惜しげもなく置いてある。もっとも、ここを戦場にする時点で重要なものは移しているためにここにあるのは全く必要ないものなのだが。他には天井が崩れたあとの瓦礫――フレンダがツールで落としたもの――が沢山落ちている。その奥に、彼女はいた。動かない人間の中心にありながら、返り血一つ浴びている様子もなく。麦野「ああ、やっときたか」そこにいつもの軽い口調はない。いやキレている時に比べれば今は随分とマシなものだが、それでも、だ。滝壺「どうしたの、もう終わってるみたいだけど」麦野「あー、これ関係ないから気にしないで」うん、と答えてからおかしく思う。動かない人間を気にしないで、等というのはおかしいだろう。そして、それに躊躇いもなくうん、と答えれる自分もどこか人としてズレている。滝壺「それで……どうしたの?」麦野「あい、んじゃ、単刀直入にいうわ」麦野は一拍置いた後、告げる。麦野「滝壺の知り合いの、あの上条当麻とかいうの、殺すことにしたから」自分はいま、どんな顔をしたのかわからなかった。唖然としているのか、呆然としているのか。怒っているのか、悲しんでいるのか。或いは、いつもどおりに無表情なのか。それほどまでに、滝壺は自分の中に沸き起こる感情が制御できなかった。滝壺「どうして」思わず、口をついてそうでていた。それが間違いだと気付くのは言ってから。麦野「やっぱ、ねぇ……」麦野は足元の動かないそれを掴み、投げ飛ばす。それは受身すらとらず、地面を赤く染めながら転がる。麦野「今のが答えよ、滝壺。反射的にどうして、なんて口に出るくらい、あれの事が大事ってことでしょ」麦野「このままだったら、この先の仕事に支障が出かねない。だから、殺るの」それは、前々から麦野が散々思っていたこと。どうせ後数回で壊れるかもしれないが、使えるものは限界まで使うのが彼女だ。だから邪魔な存在を破壊する。当然だ。滝壺は気持ちを落ち着ける。高ぶった感情をぶつけても意味はない。だから数回深呼吸して返す。滝壺「その心配は、ないよ」麦野「なんで?」滝壺「だって、かみじょうとは……今日、別れを告げてきたから」そうだ。自分は上条当麻とは、もう既に接点を絶った。彼を殺す理由は、何一つないのだ。麦野「ふぅん……なるほど、なるほどねぇ……」タンタン、と足先だけを動かして音を響かせる。思考までの場つなぎ。麦野「……じゃ、今すぐ殺すのはやめにするとしても、一応保険かけておくわ」滝壺「保険?」麦野「そ」滝壺の鸚鵡返しに麦野は短く答える。そして、指を二つだけ立てた。麦野「一つ。上条当麻と、もう二度と会わないこと。二つ、能力を使う際にためらわないこと」麦野「これを守れなかったら、即アレを殺す。今ここで守れないっていっても、今から殺しに行く」その言葉には、ありありと本気が見て受け取れた。彼女は、やるといったらやる。麦野「さぁ、滝壺。誓いなさい」滝壺「――――」誓う。誓える。上条当麻とは関わりを持たないのだから、誓える。滝壺「――――――」……だというのに。喉は震えず、自分の言うことを聞かず、それを誓わせない。『――また、な』リフレイン。夕焼け、別れ際。また今度、と言う意味の、別れの言葉。大切な人と交わした、交わされた、約束。滝壺「――――――――」どれだけ、麦野に誓おうとしても。それは、全く叶わない。当たり前だ。大切な人と、大切になった人と別れの言葉一つだけで別れることなど元から出来はしないのだから。それが、更に約束を交わしたとなれば、尚更。そんな彼女を、麦野はやっぱり、と言った面持ちで見つめる。彼のために誓おうとして、しかし誓えない彼女を冷たい視線で射抜く。麦野「……もういいわ、滝壺」こうなれば、やはり当初の予定通りに決行する。そうすれば、滝壺の居場所は奪われ、能力を使うのに躊躇う理由もなくなるのだから。麦野「殺るわ、あいつ」滝壺が息を飲むのがわかった。だが彼女はそんなことを意にも快せず、髪を掻き上げて彼の元へと向かおうとする。約束を守らないならば、彼が殺される。けれど、約束を守ることなどきっとできない。ならば、どうする?どうすればいい?答えは、一つしかない。そうだ。彼にも言ったはずだ。『私は、大能力者だから』。『私は、AIMストーカーだから』。だから、無能力者の上条を守ってみせる、と。滝壺「……行かせない」当然、彼女は立ちふさがる。麦野は最初から、それすらも想定している。麦野「だったら、滝壺を倒してテメェの前でアイツをぶっ殺してやるよォォオオオオオオオオッ!!」滝壺は一直線に向かってくる麦野に対して。ポケットからそのケースを取り出し。中の粉を、嚥下した。上条当麻は走っていた。それは、つい先ほど来た土御門元春からの電話によって。滝壺と別れて、数十分。適当に食材を買って帰り、インデックスと食事をとり終えた後。ふとテーブルに置いておいた携帯を拾い上げたその瞬間に見計らったかのようにベルが鳴った。表示されるのは、隣人の名前。怪訝に思いながらも通話ボタンを押し、自分だと言うことを示す。上条「はいはい、こちらカミジョーですよ」土御門『もしもしカミやん?学園都市第四位『原子崩し』って知ってるかにゃー』開口一番、そんなワケの分からない質問が飛んできた。内容を理解するのには三秒とかからないが、どうしてそんな質問をしてくるのかが理解できない。上条「……はぁ?第四位って……あれだよな、御坂が第三位だから……」土御門『そうだぜい、第四位は『一方通行』、『未元物質』、『超電磁砲』に続く二三〇万人の上から四番目の存在だぜい』上条「……で、その……めるとだうん?さんが俺に何か関係あるのか?」土御門『いやいや、カミやんにというより、カミやんが最近親しくなった人、かにゃー』ついでにメルトダウンじゃなくて、『原子崩し』だぜい、という言葉を遠くに、上条は思考する。最近親しくなった人物。その存在といえば、一人しか存在しないだろう。上条「……土御門が、どうして滝壺のこと知ってるんだ?」土御門『土御門元春ことつっちーさんはスパイですよ?いまや危険度の高い上条勢力を把握しておくのは当然だとおもうんだがにゃー』なるほど、とは思う。『御使堕し』の時にそれは既に知っている。優秀だということも。上に報告する、しないにしてもそういった情報を取得しておくのは極自然なことだと理解した。土御門『ま、それはそれとして……その滝壺さんがピンチだって知ったらカミやんどうする?』上条「え、どういうことだ!?」当然の大声に、テレビの前を陣取っていたインデックスは思わず彼を見上げる。上条はそんなことを介にせず、続けた。上条「どうして滝壺がピンチなんだよ!?土御門、何か知ってるのか!?」土御門『まーまー、落ち着けよカミやん。いや、今は一分一秒が大事だが、それよりも冷静になる方が先決だぜい』土御門『とりあえず続けるのがご所望みたいだから続けるが、一度しか言わないからな?』上条は途端に喉を鳴らす。一言一句聞き逃すまいと耳に神経を集中させる。土御門『滝壺理后とその第四位は……そうだな、依頼を受けるチームとでも思ってくれればいい、そのチームメイトなんだ』土御門『基本的にそのチームというのは……活動はいいか、とにかくまぁ、おおっぴらには出来ないものと認識してくれ』上条「……それがどうして滝壺の危機に繋がるんだ?」土御門『話はまだ途中だ。とにかく全部聞けよ』逸る上条を土御門は戒める。土御門『滝壺はそのチームの中でも一際重大な役割を担っている。その理由は珍しい能力ゆえに』『能力追跡』。一度補足した能力者は、例え太陽系の外に逃げても位置を確認することが出来る能力。それが珍しい能力だということは上条は聞いた時から分かっていた。土御門『……滝壺はその能力を全力で使うには、とある物質を利用しなければならない』上条「とある、物質?」土御門『カミやんには聞き覚えがないだろうが……『体晶』っていう奴だ。意図的に能力暴走を引き起こす物質。身近なもので言うと大麻みたいなものだ』能力暴走――と、声に出さず紡ぐ。それがどんなことを意味するか、上条はあまり理解出来ない。だが、大麻と同義から危ないことだということはわかる。土御門『それを使わずともそこそこは能力を使用できるが、彼女はそれを使って初めて、大能力者というレベルになる』土御門『……そこまでしなければ、実戦では使えない。それはカミやんでも理解できるだろう?』上条「……日常で役に立つレベルがレベル3で、戦術的な価値を持つようになるのがレベル4……だろ?」土御門『その通り。そして、彼女らのチームの依頼というのは、主に戦闘……つまり、そこでいう戦術的な価値が必然的に求められるわけだ』上条「っ」ここまで言われれば、馬鹿でも気がつく。上条「ってことは、その『体晶』って奴を滝壺は何度も使ってるってことなのか!?身体に悪いのを承知で!?」土御門『ああ、そうだカミやん』上条の驚きと怒りを秘めた言葉を、土御門は静かに肯定する。土御門『だが、聞け。彼女はそれを使いたくない、と最近思い始めてきたんだ』土御門『今までは思わなかったが、身体が壊れてしまうのが恐ろしいと。大切なものを目の前にして、その考えが浮かんできた』土御門『その大切なモノ……何かわかるよな?ここでわからないとかほざいたら一撃入れに行くぞ』上条「……俺、か」言って、空気にそぐわず、なんとなく嬉しくなる。自分が思っていたように、相手も自分を思ってくれていたんだ、と。ただのギブアンドテイクの関係ではなかったんだ、と。土御門『だが第四位は非情だ』上条の耳に、そんな声が響く。土御門『アイツは自分以外の人間がどうなろうが、知ったこっちゃない。その身が滅びようが、死ぬまで能力を使い続けさせるつもりだ』土御門『その為に邪魔な存在は、消す。つまり、カミやんを消そうとしていたわけだ』上条「……え?」妙に現実味のない言葉があった。消す。土御門はさらりといってのけたが、それは異常なことではないか。引き離すでも別れさせるでもなく、消す。文字通りの意味以外に捉えるには、あまりにも難しい文字。そこで、カチン、と合点が言った気がした。滝壺は何か思いつめていたような表情をしたこと。じゃあね、という単語が嫌に重く感じたこと。またな、と言ったときに悲しそうな顔をしたこと――――上条「滝壺は……俺を守るために、別れた?」土御門『……お前たちの間に何があったのかわからないが、そう感じたならそうなんだろう』土御門『しかしながら。第四位はそんなことでは納得しない。きっと彼女はこう言う』土御門『「もし、能力を全力で使わなければ、お前の大事なものを奪う」、と』何故、という言葉が浮かぶ。滝壺が意を決して、守るために別れたというのに。どうして、そこまで念入りに押し込む必要があるというのか。芽生えるのは、怒り。携帯を持っていない手に思わず力が入り、爪が手に食い込んで小さく血が流れる。土御門『このまま滝壺理后が『体晶』を使い続けると、彼女はおそらく死ぬ』土御門『それを止めたいか?彼女を取り戻したいか?』上条「ったりまえだ!そんな人間を使い捨てな道具としか思ってない奴に滝壺を任せていられるか!!」土御門はそうか、といい。一つの場所を告げる。土御門『……そこで、今彼女らのチームが仕事をしている』土御門『彼女を救いたいなら、助けたいなら。行け、カミやん』上条「……サンキューな、土御門」上条は短くそう言って、電話を切る。そのままそれをポケットに滑り込ませ、上着を羽織った。禁書「……とうま、どこかにいくの?」上条「ああ、少しな。すぐ戻ってくる」少し冷淡かな、と言ってから思った。しかしインデックスはそれに対して睨みもせず、文句も言わず、ただ言う。禁書「とうま。別にケガするな、とか、私も連れてって、とかはいわないかも」禁書「だけど、これだけは約束して」インデックスは真剣な顔をして、上条を見詰める。そこに、様々な感情も込めて。禁書「絶対に、りこうを連れて帰ってくるって」インデックスは、言う。大事な人を連れ帰ってこないと赦さない、と。上条はそれに一瞬だけ呆気にとられて。そして、頷く。上条「勿論。絶対に滝壺は連れて戻ってくる」それだけ言い。夜の街に、彼は飛びこんだ。バシュン、と頬をそれが掠める。本来ならそれは肩を貫いていたはずだ。その事実に麦野は舌打ちをする。乱されている。滝壺「っ」至近距離、真横に振るわれた拳を滝壺は屈んで避ける。顔面に膝が迫る。思わず手で受け止めようと試みるが、その勢いのまま真正面から膝蹴りを受けた。がしゃん、とポケットからスタンガンがこぼれ落ちる。彼女の武器だ。いくら後衛と言ったって、戦闘に巻き込まれることはある。それが野戦というなら尚更。だから絹旗は危なっかしい滝壺には余程使用法を間違えなければ自滅もしないこれを手渡した。しかしながら、目の前の女性にこれは効かない。電子を操る存在に、効くほうがおかしい。麦野「……へぇ」麦野は足元まで転がってきたそれを拾いあげて、試しに手元でスイッチを入れる。バチバチバチ!と市販のそれより強い電気が爆ぜた。僅かに、暗闇を照らす。麦野「……滝壺。アンタのせいでさ、無闇矢鱈に能力使えないのよね」麦野「能力乗っ取ろうとしてさ、AIM拡散力場乱しやがって……アンタを殺すつもりはないんだから、大人しく――ッ!」ブゥン、と眼前にそれが出現した。麦野は思わず首を無理矢理に反らす。『原子崩し』。麦野沈利の能力。それなら、避ける必要などない。しかし。今は、何の意識もしていなかった。瞬間、麦野の顔があった部分を、それが射抜いた。一歩でも遅れていたら自分の目が刳り抜かれていたことだろう。能力の暴走、或いは乗っ取り。考えられるのはそのどちらか。そして、そのどちらも目の前で立ち上がる少女に可能なこと。滝壺「……かみじょうのところへは、いかせない」口の端から血が垂れる。先程の膝蹴りでどこか切れたのだろう。受け止めたはずの左手も真っ赤に腫れている。それでも、立ちふさがる。今までの滝壺理后には見られない兆候。それほどまでに、その男が大事なのか。麦野(……もういっそ、ここで捨てたほうがいいか?)自分の身を犠牲にしてまで守りたい男を殺すと、別の意味で彼女は壊れてしまうかもしれない。ならば、いっそ彼女も、その男も両方共殺してしまうというのはどうだろう。ああ、それは名案だ。なにせ、照準がズレているからといって『原子崩し』を封印する理由にはならない。麦野「……そうだな、そうしよう」麦野沈利は冷静さを欠いていた。どちらかを殺せばもう片方は片付ける必要はないというのに、彼女は今感情に任せている。麦野「喜べ滝壺。一緒にあの世に送ってやるよ」麦野はふらふらとして今にも倒れそうな滝壺へと一歩踏み出す。彼女の血の気は引いて、回避行動も取れなさそうだ。つい、と手を伸ばして、そこに『原子崩し』を生み出す。酷く照準がずれている。だが第四位の演算能力を以てすれば、そんなものどうにでもなるだろう。麦野(……射出方向左に69°、上に53°修正)えらく手間がかかるが、まぁ仕方があるまい。どうせ避けられないのだから、時間をかけてもいいだろう。狙いは、頭。麦野「……射出」ズバン!と打ち出された『原子崩し』は自分の足元、脇腹にも飛び、焼けるような痛みが走った。しかし、滝壺へと放ったそれは真っ直ぐに、彼女の頭に吸い込まれる。殺した、と思った。しかし前触れもなく、彼女はふらっ、とそれを避ける。麦野「なんっ、」追撃しようと駆け出しかけるが、彼女は重力に逆らわず、地面へと叩きつけられた。今のは避けたわけではない。その答えは至極単純。限界が来たのだ。麦野「…………」滝壺はもう動かない。恐らくは、もう一、二度能力を使うだけで崩壊するだろう。利用価値など殆どない。滝壺「……いか、せ。な…………い」荒い息の中で、滝壺はしきりに呟く。しかし、動かない。動けない。既に、麦野沈利を邪魔するものはなくなっていた。麦野「はっ」彼女は鼻で笑う。コツコツ、とわざとらしく地面と脚をぶつけて、至近距離で彼女を見下ろした。麦野「ざまぁねぇなぁ滝壺。私を止めようとして、逆らった結果が自分の破滅か!」麦野「このまま殺してもいいが……放っておいても死にそうだからな。そうだな、やっぱり当初の予定通り、上条当麻を殺しに行くとするか!」ぴくり、とだけ滝壺は反応する。 しかし、それだけだった。ケラケラケラ、と麦野は笑う。心底、面白そうに。麦野「ほら、ホラァアアあああああああっ!!もっと抗ってみろよォオオオオおおおおおお、殺させねぇんだろォオオオオおおおおおおおおおお!?」ガッ、と滝壺の肩に脚を引っ掛ける。そして、ゆっくり、ゆっくりと万力のように力を加えていく。滝壺の顔が悲痛に歪み、その肩はミシミシと音を立てる。滝壺「っ…………ぐ、ぁ……っ……!」麦野「ふっ」麦野は力を乗せ、踏み込んだ。なんとも、形容しがたい音が鈍くして。滝壺の絶叫が短く響いた。麦野「……運がよかったねぇ。『ハズレタ』だけですんで」麦野はその腕を、軽く蹴る。それだけで激痛が走るのか、滝壺は悲鳴をあげた。滝壺「あ、ぐ……ぅ…………」麦野「『あぐぅ』って萌えキャラかよ。それなら、もっと愉快にしてあげましょうかねぇ?」ガッ、と滝壺の顔をアイアンクローで掴み、そして引き上げる。それだけでも滝壺から声が漏れる。……いや、もはや声とも言えない。呻き声に他ならない。麦野「さぁて……死にかけのお前の前で大事な大事な彼を殺すのと、お前の顔をぐっちゃぐっちゃにして、それをその彼の前に差し出すの、どっちがイイ?」それはもはや、選択ですら無い。どちらを選んでも、向かう方向は決まっているのだ。即ち、絶望。滝壺「……ぁ」滝壺は漏らす。痛みに苦しみながらも、それを伝えようと。麦野「ん?」滝壺「かみ、……――……」麦野「……言いたいなら、もっとはっきり言えよ」滝壺「――かみ、じょ…………だめ」麦野がはぁ?と言うと、彼女の肩に、手が乗せられて。それに呼ばれて、振り向くと同時。彼女の右頬に、強烈な右ストレートが入る。麦野はそれの勢いで数メートル、吹き飛ばされる。滝壺は彼女の手から解放されて、地面に崩れる前にその少年の手に受け止められる。温かい、腕の中。駄目、と言ったが、それだけで安心したような気分になる。手の中の彼女から伝わる体温は、思っていたものよりずっとずっと低いものだった。生きている人間とは思えないほどの低さ。そして、口の端や、倒れた時にこすったいたる所から赤いそれが垂れていた。上条「滝壺……お前……」滝壺「……ごめんね、かみじょ……わたし、まもりきれなかった…………」上条「いい、喋るな」言いたいことは、沢山ある。どうして何も相談してくれなかったのか。どうして勝手に自分を犠牲にして俺を守ろうとするのか。訪ねたいことも、沢山ある。けれど、それよりも、なによりも。上条当麻は見据える。その、数メートル先にいる化け物を。それは、彼に殴られた部分を拭って、人を殺せそうな視線で彼を睨んでいた。しかし、上条はそれに臆せず、拳を向けて、ただ宣言する。上条「滝壺を傷つけた分。やり返させてもらうぜ」ペッ、と麦野沈利は地面に唾を吐き捨てる。赤いものが混じった唾。それこそ、今の一撃をまともに受けたと他ならない。それに、麦野は苛立を隠せない。麦野(ただの、無能力者如きに)彼女はそういった『序列』にこだわっている節がある。三位と四位の違いは殆どないにしても、自分が下であることに苛立を持っているのは確実だし、無能力者に対してはゴミ同然にしか思っていない。それどころか、レベル4の滝壺や絹旗でも簡単に見捨てるような性格の持ち主だ。無能力者から打撃をもらい、こんなザマになっていることに怒りを感じない方がおかしい。最も、ただの無能力者ではないことは重々承知している。ただのそれなら滝壺が興味をもつはずはないし、こんなタイミングよく現れることもない。だが、そんなことは関係ない。相手が何者だろうが、例え能力者だったとしても。自分が殺すことには、何ら変わらないのだから。麦野「やりかえさせてもらう、ねぇ……」ブン、と煌めくそれを宙に浮かせ、次の瞬間には高速でそれを打ち出していた。麦野「こっちの台詞だっつぅのっ!!」滝壺に乱された『自分だけの現実』から、またあらぬ方向に幾つか反動のように飛んでいくが、そんなことはいい。ただ一直線に打ち出した『原子崩し』、それは闇を切り裂いて、滝壺を抱く上条へと迫った。それに対して、上条はたった一言。上条「邪魔、だ」パァン!と裏拳気味で横薙ぎに右手を払う。たったそれだけ。それだけの行動で、彼女が放った『原子崩し』は横へと反れ、宙へと霧散する。麦野「は?」思わず、間抜けな声が漏れてしまった。普通じゃない、普通じゃないとは思っていた。でも関係ないと思った。だがしかし。素手で『原子崩し』を弾き、消しとばすなど、あまりにも『普通じゃない』。麦野「……っ、アンタ、一体何モンよ……」彼女にしては警戒深く、慎重に訊ねる。しかし、上条にそんなことはどうでもいい。ただ右手に宿る『幻想殺し』が麦野の『原子崩し』を打ち消したことなど、どうでもいい。上条「……すまん滝壺、少しだけここで寝ててくれ」上条は左腕で抱いていた滝壺をそっと床に倒し、そしてそれと麦野の間に立つように立ちはだかる。そうして向き合い、数瞬の間が経過する。聞こえるのは滝壺の荒い息遣いぐらいのものだった。麦野「……黙り?まぁ、それでも関係ネェか……」先程の答えが待つのをいい加減に飽きた麦野は能力の誤差を確かめながら続ける。そうだ。どちらにしても、関係はない。能力が消えるのがあまりに不意だったから動揺してしまったが、アッチから攻撃を仕掛けてくる様子はない。つまり、あれは偶然か、或いは道具か。はたまた、隠し持っていた特別な能力だとしても、それは防御専用だということ。麦野「こねぇんなら……こっちからいくぜぇっ!!」ダンッ、と麦野は僅かな痛みが走る脚を踏み出し、上条へと迫る。上条は素早く小慣れたファイティングポーズをとって、同じく踏み出した。先手を打つのは勿論麦野。ブンッ、と右方向から横薙ぎに振るわれたフックを上条は腕を盾にしてガードする。上条「っ!」ピリピリと、腕に振動が走った。その勢いで軽く横に払われる。ただの女性の攻撃ではない。能力にしがみついているだけの能力者の攻撃力じゃない。上条は払われた後バランスを立て直し、そのまま反発力を利用して地面を叩き、足をバネのようにして麦野へと跳びかかる。真正面の、ストレート。顔面を捉えたと思われたそれは、紙一重で身体ごと横に回避される。殴るつもりで身体ごと跳びかかってそれが交わされたとなれば、何も彼を受け止めるものはなく、無防備に麦野の前へ躍り出ることになる。麦野「ふっ、と!」麦野の長髪が、舞う。続いて、ドゴン!と上条の腹部にそれはクリーンヒットした。遠心力を利用した回し蹴り。あの状態では、どうしてもかわせない。投げられた野球ボールが打たれたとき、遠くに飛んでいくように。ボクシングなどの格闘技でカウンターが通常より強い威力を誇るように。全速力とは言わずともスピードの出ていた上条に反対の力が加わるとどうなるかぐらいは予想がつく。上条「がぁっ!?」数歩の距離、無様に背面に腹部を押さえて転がる。しかし上条の直感が告げていた。このまま倒れていてはいけない、と。彼は横に転がりながら立ち上がる。次の瞬間、上条のいた場所を光が貫いていた。上条「っ……」息を飲む。背筋に悪寒が走った。あのまま倒れ伏していたなら、オレンジ色に焼けていたのは自分だった、と。麦野「チッ……本来ならその程度、簡単に修正できてたハズなんだけど……滝壺も余計なことをしてくれたわ」調子の悪い腕時計を確認するように麦野はその右手を振る。実際に調子がわるいのはその能力だが、大差はないだろう。上条は麦野の動向に警戒しつつ、腹部の調子を触って確かめる。骨まではいっていない。自分の身体の丈夫さに今は感謝する。上条(戦い、慣れてる)一番最初のフックの威力、そして冷静に攻撃を見極め、そしてカウンターに繋げる思考。明らかに喧嘩慣れをしている動き。単純に能力を盾にしている者の動きではなかった。どこぞの魔術師に見習わせてあげたかった。上条(……俺も、殴り合いなら慣れてるはずなんだけどな)一応不幸により絡まれやすい彼はそこそこの強さはある。だからこそ、麦野の強さがよくわかった。能力と格闘を合わせて使う奴ほど、厄介な相手はいない。能力にしても格闘にしても、どちらかならばそのどちらかに警戒していれば済む話だ。幸運にも、上条は『幻想殺し』などというジョーカーを持っているのだから。しかし、合わせて使われる場合に圧倒的不利な状況に追い込まれる。至近距離で能力を使われ、それをまともに喰らったとしたら一溜まりもない。だから常にそれを前提条件として行動しなければならない。だから一歩、どうしても遅れてしまう。致命的な差。それに上条は歯噛みする。上条「ちくしょう……」麦野「無駄口を叩いてる暇は、あるの?」タンッ、という軽快な音と同時。麦野は再び彼との距離を詰める。上条「くそっ!」今度は防戦一方。反撃する暇などない。ジャブ、ジャブ、フック、ストレート。ボディ、アッパー、ハイキック。麦野は素早く技を繰り出しながら翻弄し、その中に時折本命の一撃を混ぜる。それすらも上条は回避する。そのかわりに、反撃の糸口は一切見つからず、攻撃を捌く今年か出来ていないが。麦野「――っ!」キュガッ!、と麦野は右足を軸に自分の身体を一回転させ、高く振り上げた左足の踵で上条の側頭部を狙う。上条「っと!」咄嗟に上条は後ろに跳び、距離をとる――その彼の身体が、揺らいだ。上条「なっ!?」足元に大きな石のような何かが引っかかったような感触。それは上条が来る前、『アイテム』の仕事でフレンダが作り上げた天井の欠片。バランスを崩し、そして尻をつくように転ぶ。無論、その隙を見逃す彼女ではない。上条(しまっ――――っ!!)バシュン!と一閃。右手以外ではまるで防ぐ余地のない、『原子崩し』が上条当麻へと放たれた。チリッ、と髪の毛を僅かに削りとる。しかし、それだけだ。上条当麻へ致命的なダメージを与えることはできなかった。上条「…………!」上条も素早く立ち上がるが、麦野が追撃を仕掛けてくる気配はない。今彼女は上条ではなく、他のことに気をとられているようだった。当然だ。今の彼女の計算は完璧だった。上条当麻の眉間を確実に射抜く『原子崩し』を発したはずだった。それなのに、『原子崩し』は斜め上にずれて、僅かに数ミリ髪の毛を削っただけ。これの指すところは、ただひとつ。麦野「また、アンタか……とことん、邪魔しやがって……」麦野は言う。しかしそれは目の前の上条へ向いていない。彼女の背後。たん、たん、とゆっくりとした一定のペースで近づく足音。闇の中から、スローペースで姿を現すのはこの戦いの中心人物。上条「滝、壺……!?」息を荒らげながら彼らを見る彼女は、滝壺理后に他ならない。ここまで来たら、上条ですらいくらなんでも理解する。先程の『原子崩し』が外れた理由。能力を使用する際に、何かに割り込まれたと考えるのが正しい。『自分だけの現実』を再び乱され、照準を滅茶苦茶にされた、等。それを行うには、通常の滝壺のスペックでは足りない。底上げするものが必要なはずだった。からん、と彼女の手からシャープ芯入れのようなケースが滑り落ちる。中に入っていたものは、『体晶』と呼ばれる暴走を誘発する薬。そして、その中身は空。意味するところは一つ。滝壺「だめ……」それは、掠れるような声で。滝壺「かみ、じょうは…………――――っ」彼女は結局、最後まで言い切れず、身体は傾く。時が止まったように思えた。上条が触った時、滝壺の身体は冷え切っていた。弱りきり、まだ生きているということがすごいと思えるほどだった。つまり、その時点で限界だったのだ。それなのに、彼女は力を振り絞り、その上『体晶』も使い切った。彼女は、滝壺理后は限界を超えた。上条当麻は、一度こんな光景を見たことがある。それは、姫神秋沙がアウレオルス=イザードに『死ね』と命じられたとき。身体中から力が抜けて、正しく『死ん』だ彼女の光景が、今の滝壺と重なる。上条「た、き――――――」思わず、声が飛び出す。彼女をここで倒れさせてはいけない、と身体が言っているように。上条「滝壺ぉおおおおオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――――――――――ッッ!!!」上条当麻は吠える。時が動く。同時に一直線に駆け出す。麦野沈利が再び、蹴りで押し返す。彼も地面に転がり、そして。無残にも。滝壺理后は地面に崩れた。麦野「……くく……」静寂が訪れた研究所内に、含み笑いが響く。そして、徐々にそれは大きく、耳障りな程の笑い声へと変わる。麦野「くくくく……あはははは、あっはははははははははははっ!!なんだこりゃ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」麦野はただ狂喜する。当然だ。彼女にとって、これ以上ない結末だから。麦野「テメェが守りに来たヤツが、テメェを救う為に死んでちゃワケねぇよなァッ!!アハハハハハハハハハハハッッ!!」そんな狂気じみた笑い声も、上条には届かない。うつ伏せに倒れ、俯いたまま彼は動かない。いづれ、麦野もその様子に気づき、笑うのをやめた。それは別に上条に同情したわけではない。彼女はそんな気持ちを欠片も思ってはいない。単純に、反応のない上条に飽きただけだ。麦野「あーあー……ま、やけにあっさりとした終わりだし、結局テメェの能力は分からず仕舞いだが……まぁいいか」ぼりぼりと後頭部を掻き、そのまま手を伸ばす。ポウ、と四つほど光が踊る。それでも反応を示さない上条に、麦野は目を細めて告げる。麦野「じゃーねー」つい、と手首だけを動かして。四つの閃光は上条を襲った。四つの閃光は、それぞれ、四肢を切断して終わり。そのはず、だった。ゴォ、と風が吹く。室内に、吹くはずのない風が。は?と麦野は再度、唖然とする。何が起きたのか理解が追いついていない。当然ともいえる。そもそも、『幻想殺し』さえ知らない彼女が一体どうして、この事態を予測することができようか。彼女にとっての不運は、その右腕を初めに切断してしまったことだろう。上条当麻はゆっくりと立ち上がる。右手を除いてその腕と脚はある。しかし、そのないはずの右腕に、何かがあるように感じることが出来た。知らず知らず、麦野沈利は距離を取るようにその足を後ろに下げていた。膨大なその存在感に蹴落されて。麦野「……っ、おいおい……何の冗談よ…………」それに気づき、麦野はまたもや愕然とする。ありえない。何かが、とは何もわからないが、何かありえないことが起きていることだけはわかる。死んでいるはずなのに。殺したはずなのに。生きているだけでも異常なのに。それ以上に見逃せない、信じることの出来ない何かが起きている。上条「――テメェは」上条の口が動き、麦野は身体を硬直させた。しかしすぐにそれが自分を指しているものではないと知る。上条「テメェが、何者か、なんてことはわからねぇ」上条当麻は言う。その自分の右腕から溢れ出るそれに。上条「テメェが、どんなことをできるな、なんてしらねぇ」上条当麻は言う。その自分の中に秘められていたそれに。上条「だが、お前が俺で、そして『幻想殺し』の正体だっていうんなら」その、見えない何かは。上条当麻の意志に沿うように、彼の目の前、水平に伸びた気がした。そして、彼は告げる。上条「――この『幻想』を喰い殺せ」――――こんな『幻想』は否定すると。何かが、変わった。何が、というのは麦野には判別がつかない。だが『何か』。まるで、決定した事項が書き換えられたかのような。――次の瞬間、麦野沈利は有り得ない事態を目にする。もぞり、と背後で動く気配がした。彼女はホラー番組を見た後、突然音がした時のように振り返る。滝壺「う……」滝壺理后が、意識を取り戻していた。麦野「んな…………」有り得ない。先程、滝壺は限界を超えて倒れた。崩壊した。それは間違いなかったはずだ。それなのに。どうして、彼女がこうして再び動いている?麦野(……実は滝壺は崩壊していなくて、単純に気絶していただけ。そして、今意識を取り戻した。そうじゃないと、辻褄があわない……!)麦野は滝壺が倒れるシーンを見ていない。最初から最後まで振り向かず、音と上条の反応だけしかみていない。だからそう考えることで、自らを平静に保った。しかし。彼女のその『幻想』は目の前へと視線を戻した瞬間に打ち壊される。ズルズルと。上条当麻の右肩から、右腕が伸びてきた。細胞分裂をどのようにするとこんな元に戻るのか、彼女には全くもって、検討もつかなかった。『肉体再生』という能力がある。それは能力がある限り、名の通り自分の肉体を再生する、というものだ。それでも、こんなスピードで回復するものなど見たことはない。『有り得ない』。もう、何度目にもなるこの言葉。この科学の街学園都市において、こんな事象があるなどと信じたくなかった。上条「――おい」その言葉に、麦野は見てわかるぐらいに跳ねる。今度こそ、それは自分へと向けられた言葉。今まで感じたことのない言いようのない恐怖が、彼女を埋め尽くす。それでも。超能力者として、暗部組織『アイテム』のリーダーとして、彼女は虚勢をはる。麦野「ンだよ、まだ殺るって?いいぜ、だったらとっととブチ――――」上条「……もう、やめないか」その聞こえてきた声に、麦野は思わず自分の耳を疑った。上条「お前、よくわかんねぇけど……組織のリーダーなんだろ?」上条「滝壺が『体晶』とかいうヤバイ薬を使って、もう『崩壊』寸前だったことは聞いた」上条「なんで、そこで限界まで使わせる必要があるんだよ。リーダーなら、仲間や部下のことを気遣うのが普通じゃないのか?」上条当麻は続ける。これ以上、滝壺も、麦野も誰も傷つけなくて済むように。上条「……そうすると、元から争う必要なんてなかったんじゃねーか」上条「どうして、邪魔者を排除しようとしてまでそうして壊そうとするんだよ」確かに普通ならそこまでする必要はない。だが、上条はどこか履き違えている。ここは暗部だ。無事に表に帰ろうと思う方が間違いなのだ。だから麦野は、そもそも自分が帰ることの出来ない表舞台に誰かが帰るのを許せないだけ。結局、滝壺を使い潰そうとしたことも、上条を殺そうとしたことも、麦野の独りよがり。本来なら、それでよかった。暗部では強いものこそ全て、それ以外は使われるだけなのだから。しかしながら、麦野はその自分の目で見てしまった。自分より遥かに強く、恐ろしい存在を。アレと戦うぐらいなら、いっそ――という弱気な考えが彼女の頭を過る。だが、すぐに打ちけす。今目の前にいるのは、あの化け物じゃない。ただの無能力者だ。麦野(そして、私は誰?)麦野沈利。学園都市の学生二三〇万人の頂点に立つ超能力者、その上から四番目。麦野は自問自答する。ただの無能力者などに、負ける要素は無い、と。ふと、上条から視線を外して背後を見やる。そこにいるのは滝壺。しかし、意識を取り戻したとはいったものの、息は未だに荒い。戦況は何も変わっていない。ここで引く理由などない。麦野「……ハッ、何を言ってるのやら」故に麦野沈利は、上条の提案を一蹴する。麦野「取引っていうのは、自分と相手が同等の立場において初めて成り立つモンなんだよ」だから乗る必要はない、と。上条はその答えに、そうかとだけ答え、その右手を構えた。上条「……いいぜ、お前がどうしても、滝壺を逃がさない、そのための邪魔者は潰すって言うんなら」上条「――その幻想を、ぶち殺す」上条当麻は踏み出す。それを見て、麦野沈利は大きく顔を歪ませた。彼女は右手を前に付き出して、『原子崩し』を放つ。ダン!と上条はそれが発射される前に左右に素早く動き、それを回避する。いつもの状態ならまだしも、照準の出鱈目になっている今の状態では上条の回避先を割り出して当てるのは難しい。麦野(だったら)彼女は開いている片手でカードのようなものを懐から取り出す。『拡散支援半導体』。弾幕を張るタイプでない『原子崩し』の弱点を補強する、彼女の用意しているアイテム。自らも動いて距離をとりつつ、ピンッ、とそれを自らの目の前に弾き、それに『原子崩し』を当てる。瞬間、バシュンッ!と『原子崩し』が拡散し、上条を襲う。上条「うぉおおおおおおっ!?」上条は右手を前に延ばし、前に力いっぱい飛び込んだ。間違いではない。単純に後ろに飛ぶよりは有効だ。近距離というのが幸いする。なぜなら、近ければ近いほど、拡散前の『原子崩し』を『幻想殺し』で潰すことができるのだから。 だが、全てとはいかない。上半身に当たるものは潰すことが出来たが、太ももから付近を幾つものレーザーが貫通する。上条「―――――ッ!!」それでも、前へ。貫通した脚部が悲鳴をあげる。踏み込んだ足に力が入らなく、ガクン、と身体が一段階下がった瞬間に、その頭上を『原子崩し』が過ぎた。不幸中の幸い。安堵したと同時、すぐ近くから舌打ちが聞こえた。ドゴン!と跳び膝蹴りが上条の顔面を捉えた。上条「がっ――――!!」意識が飛びかける。視界が瞬く。しかし、それでも。空を泳いだ右手は、麦野沈利の胸ぐらを掴んだ。麦野「っ!」パンッ!と上条が反撃をするより早く、麦野は拳を真っ直ぐに叩き込んだ。鼻の奥が切れた気がした。しかし、上条はその右手を放さない。麦野「このクソ――――っ!」下からすくい上げるような裏拳で、ボディに一撃。だが、怯みすらせず。次の瞬間、麦野の脳が揺さぶられた。別に、拳を受けたというわけではない。それなら、この至近距離でも避けたり止めたりする自信がある。いま受けたのは、頭突き。額同士のぶつかり合い。麦野(クソ、た)考える間さえ与えられず、一瞬、意識が飛ぶ。麦野(こ、)幾度も。幾度も幾度も幾度も。幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も幾度も――――――麦野(は――――)麦野は僅かも与えられない思考の中、漠然と思う。なんだこれは。どうしてこんな一方的にやられているのだろう。私は第四位、『原子崩し』。無能力者など、果たして瞬殺できるはずだというのに。なんだこの体たらくは。ドン、とようやく脳を揺さぶる衝撃から解放されて、距離が開く。足元がふらつく。恐らく、あと一撃重いのを受けたら終わる。目の前の少年が吼えた。朦朧とする意識の中、自分にも少年とはまた別の感情が湧き上がる。無能力者なんかに負けたくないという、強い想いが。麦野の腕が闇のなかで光り輝く。『原子崩し』がその腕の周りを延々とループしているのだ。当たれば、正しく一撃必殺。だがしかし、上条はそれに全く臆せず。その右手を振り抜いた。麦野(あ――――)上条にその拳が届く前に、その光は力を失った。敗北。その二文字が、脳裏に浮かぶ。最後まで勝利に執着したというのに、結局、無能力者の一人にも勝てなかった。麦野(……いや、違う――)本来なら、もっと優勢だ。『自分だけの現実』を乱されていなければ、もっと優位に進めて、勝っていた。これは、つまり。滝壺と、少年に負けた、ということだ。麦野(……そっ、か)なんとなくだが、大切な人同士を思う力というのを思い知った。……自分もそんな人間を作ろう、というのは思わなかったが、少しだけなら認めてもいい気がした。視界が黒く染まっていく。五感が失われる。思考が止まる。上条「――滝壺の借りは、返したぞ」そんな中なのに、嫌にはっきりとその声は聞こえ。そして、麦野沈利は意識を落とした。
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