8月3日午前10時20分、『猟犬部隊』32番待機所木原数多、テレスティーナ、そして木山春生。『対魔術師用特別編成隊』の科学者3人は、ローマ正教からの手紙を前に打ち合わせをしていた。「『……今回の話を切っ掛けに、両者の関係が深まる事を期待しております』……ねえ」「ハッ、向こうの真っ黒な思惑が透けて見えるようだぜ、なあ木山ちゃん?」テレスティーナと木原の言葉に対し、木山は憂鬱そうに返事をする。「……それで、一体貴様はどうするつもりなのだ?」「そりゃーこうして招かれた以上、謹んで招待を受けるつもりだが」ローマ正教からの手紙には、2週間後にバチカンの聖ピエトロ大聖堂で会合を行いたい旨が記載されていた。それもローマ教皇自らの名前で。
「しかし、どう考えてもこの招待はおかしいだろう。『聖ピエトロ大聖堂』で会合を開くなんて聞いたことが無い」「分かってるって木山ちゃん。そもそもあそこはローマ正教の本拠地で、一般見学用に解放されている場所以外は厳重に封鎖されているからな」「きっと魔術的な仕掛けが、わんさか有るんだろーよ」ま、詳しい事はあのガキに聞けば分かんだろ、と木原は余裕の表情を見せる。「つまりこれは、こっちを誘い込んでんだ。魔術の共同研究を本気で提案したなら、当然こっちに来れるはずだ、とな」「それが分かっているなら、尚更断るべきだ。これは今までと事情が違う」こうして木山が焦るのには理由がある。今まで木原達が魔術師に勝ってきたのは、学園都市が戦いの舞台だったからだ。科学技術を容赦なく使えるホームだからこそ、こうまで圧倒できただけの事。聖ピエトロ大聖堂はそうではない。魔術サイドでも最高クラスの城塞であり、しかもバチカンという国自体がローマ正教の術式の支配下にある。木原のような科学サイドの人間にとって、アウェイ以外の何物でもないのだ。「……ダメダメだなぁ、木山ちゃん。ちっとばかし考えが浅いぜ?」それなのに木原は、敵の本拠地へ行くと宣言した。
「何を言っている!? こっちは何人も魔術師を倒しているんだ! 最悪の場合、バチカンで殺されてしまう!」「んー。俺の心配かよ?」「バカな! 貴様に死なれては、あの子達を助けられないだろう!」そっちかよ、残念だなぁ。と木原はニヤリと笑う。微塵もそんな感情を持っていないのに。それが分かっているからこそ、木山は苛立ちを覚えるのだ。「まあ少なくとも、今回の会談に限って言えば切り抜ける方法は有る。ここは堂々と敵情視察をさせてもらおうじゃねーか」「切り抜ける方法……?」「それよりも、問題はメンバーの選抜だよなぁ。どーすっかなー」最早木山への関心を失ったのか、彼女に目もくれずに木原はブツブツと呟き始めた。そして木山を置き去りにして、別の部屋へ歩き出す。テレスティーナも研究所へと向かった。
32番待機所には、別室として広い戦闘訓練所がある。現在そこで戦闘訓練を行っているのは、猟犬部隊の正規メンバーではなく――。「何の用だ、科学者!」「おいおい落ち着けよ。そうやって殺意ビンビンにするのは、ガキのガキのクソガキって証拠だぜ?」「――そうだろステイル?」元イギリス清教『必要悪の教会』所属の魔術師、ステイル・マグヌスだった。「……一刻も早く消えてくれ」「そう嫌うなよ、傷ついちゃうだろーが」「ふざけるな!」ステイルが『猟犬部隊』入りしたその日。インデックスの姿が偽物である事を知った彼は、激怒して木原に掴みかかった。だがルーンの準備すらしていない彼が、天才的な格闘センスを持つ木原に勝てるはずもなく。そのまま手酷くボコボコにされてしまった。正に犬の調教と同じく上下関係を叩きこまれた彼は、インデックスを人質にされている事もあり比較的素直に従っている。
「黙れよ駄犬。俺が来たのは、単純にテメェの調子が気になったからだ」「……悪くは無い。後は反復して慣れるだけだ」「そうそう。駄犬が処分されない為にはそうやって這い蹲ってりゃイイ」木原がステイルに行った事は、それだけに留まらなかった。ルーン魔術はその性質上事前の準備が不可欠である。通常は霊装を準備したりルーン文字を刻む所を、ステイルはカードをばら撒く事で高速化を成し遂げた……が。木原はさらなる策を彼に与えた。――「カードってのはあらかじめ大量にストックできる反面、剥がされやすいという欠陥も持つ」――「……それがどうした?」――「カードよりも速く設置可能、それでいて容易に無効化されない方法がある」現在彼は、その新しい方法を実践中なのだ。
ソレを片手で握りしめながら、ステイルは悔しそうにこう吐き捨てた。「全く、上手く考えたものだ。この方法なら確かに準備は早いし、ルーンを剥がすことも不可能」「魔術師には、この発想は厳しかったかよ?」「ああ。だがそれ以上に厄介なのは、コレだと僕はお前に反抗する術を奪われているって事さ」「ギャハハハ、何せ好き勝手扱えるカードと違うからな。その程度の首輪で文句言うんじゃねーよ」ステイルの戦力強化と同時に、彼の反抗を抑え込む2重の策。全てが目論見通りに言った事で、木原は満足そうにクツクツと喉を鳴らした。「よし、訓練は一旦止めて中央の会議室へ行け。ローマ正教から招待状が来た」「!」「迅速にな」そのまま返事を聞かず、木原はさらに別の部屋へと向かった。
32番待機所のトレーニングルームでは、マイク達猟犬部隊がエツァリと一緒に体を鍛えている。日常的にデニスの姿でいるよう指示されたエツァリが、ウェイトトレーニングを終えてショチトルから飲み物を受け取った。「ありがとうございます、ショチトル」「礼などいらん。……体は大丈夫なのか?」「ええ、勿論。いつも気にかけてもらって申し訳ないですね」「な、何を馬鹿な! 別に気になどしていない!」顔を赤くして否定するショチトルだが、エツァリはその意味が分からず首を傾げるだけ。それを傍から見ていたナンシーが、やってられないと言わんばかりに顔を背けた。「……」「ちょっとナンシー、何を羨ましそーに見てた訳?」「アホな事を言うと殺すわよヴェーラ」「……下らねぇ」女性2人の会話を聞いて、マイクがポツリと言葉を落とす。(魔術師が加入したことで、微妙に猟犬部隊の雰囲気が変わったかもしれないわね)ヴェーラはふとそう思った。それが良いか悪いかは別として、こんな空気もアリかも、と。尤もそう感じられたのも、あの男が来るまでだが。「全員、会議室へ行け。今後の打ち合わせだ」「「「「「了解」」」」」木原の指示を受けた彼らは、飛び起きるようにバタバタと会議室へ向かった。悲しい事に、彼らはどこまでいってもクズの猟犬でしかない。
その後木原が向かったのは、地下研究所だ。「あ、あまた!」「……走ると転ぶぞ。テレス、進捗の報告を」そこにいるのは数人の研究者と、責任者のテレスティーナ。そしてインデックスだ。「『歩く教会』はまだまだね。一度試作が出来たけど、本物のスペックデータの1/100が限界だったし」「……そうか。理由は?」そこに口を挟んだのはインデックスだ。「多分、魔力の循環が上手く行ってないんだよ。もうすこし十字教の概念を理解してほしいかも」「ならモルモット、死ぬ気で理解しろ」「クソが、死ね。こちとら常識を粉々にされてんだぞ」「知った事か。出来なきゃ殺す、そう言ったぜ」「……チ、もう少し時間を寄こせ。後、別の楽しいオモチャならマシなのが完成してる」「オモチャ?」テレスティーナがそう言って取り出したのは、大きなスピーカーだった。
「私が以前作った『キャパシティダウン』を改造した、『対魔術師用キャパシティダウン』ってとこね」「効果は?」「実験データが絶対的に不足してるけど、十字教を根幹とする魔術師相手なら5分程度の無力化が見込めるわ」「このガキの 『魔滅の声(シェオールフィア) 』を音声データにして、その対象を広く浅く設定したのよ」テレスティーナの説明を聞いた木原は、しばらく考え込むとやがて頷いてこう述べた。「面白いな。いずれ実践に投入してデータを取ってやるよ」「……当てがあんのか?」「まーな。それよりさっきの件で会議だ。全員会議室へ戻れ」「あまたあまた、私はお腹がすいた」「……うぜぇ」しがみ付くインデックスに一瞥をくれないまま、木原は廊下にスタスタと出て行った。
そして、木原が最後に向かったのは。彼以外入室を許されない、待機所のVIPルームだ。6台ものコンピュータに占領されているので狭く感じるが、木原はそれを苦に思っていない。彼が素早くキーボードを叩くと、やがて通信専用のモニターが光り、1人の男が恐縮したように応答した。「……な、何の用だ……?」「あァ? 寝ぼけてんのか?」「ヒッ、ち、違う!」「そりゃ良かった。んじゃあさっさとそっちのほーこくしてくれよ、天井ちゃん?」彼の名は、天井亜雄(あまいあお)。こう見えて優秀な科学者だ。特にクローン技術に関しては、木原数多の数段上を行くと言っても過言ではない。「……あの素体の複製は問題ない。ただ……」臆病な研究者の煮え切らない態度にイライラした木原が、ガン!と机を蹴り上げる。その音に怯えた天井が、慌てたようにペラペラと喋り出した。
「の、残る問題は各個体の統率だ!」「兵士として見た場合、統一された意思を持たせる方が便利だろう!?」「その方法と、いざという時に反抗を抑えるストッパーが、考えつかない!」「なるほど。そりゃーテメェじゃ無理だわな」「? 何か妙案が?」「当然」(あのガキに聞いた通りなら、聖人のアレを使って個体の管理が出来るだろーよ)(ま、物は試しだな)木原の『妙案』が分からずに混乱する天井の後ろでは。先の戦いで死んだ聖人と同じ外見をした人間が、およそ数十人ほど特殊な容器の中でプカプカと浮いていた。そう、誰よりも争いを拒んだ聖人。――神裂火織が、目を開けることなく――。
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