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病や不健康以外の理由で、一日に幾度も気を失う人間なぞそうそういるものではない。 この不幸な少年を除いては。上条「んあ?」 間抜けな声を出しながら、当麻は辺りの騒がしさに目を開けた。 薄ら目に映る天井がやけに遠い。 なんだ、どこだ、ここは。青ピ「やーっとお目覚めかぃ」 相変わらずの妙な訛りを後ろから浴びて、慌てて起き上がろうとする当麻だが、上条「ぅおぐっ!?」 腹にずきりと痛みが走り、思わず呻いてしまった。土御門「まぁ、あんだけ強烈なボデヰを喰らったらしょうがないにゃー」 元春の格好付けた横文字など耳に入らぬ様子で、当麻は腹を押さえてふらふらと立ち上がった。 成程、どうやら先刻の騒ぎで"また"気を失っている間に移動させられ……してもらった、ようだ。 そこでふと、先ほどの小萌の台詞を思い返す。── 「次は体育館で……」上条「……体育館」 呟いてから、辺りを見回す。 各所傷みの目立つ木造の体育館だが、中は広々としている。 妙なことはと言えば、何やら學生達がうろうろとしたり、幾らかの列に並んだりしては、何やら紙と睨めっこしている。 列の先は保健室にあるような幕で区切られた小さな区場が幾つかあり、 そこでは白衣の人間が数名あわただしく動いていた。
学び舎には珍しい白衣の人々に「おや」と思いながらも、現場の様子に心当たりがない訳では無い。 卯月の恒例始業、もとい學年の初めに必ず行われる通過儀礼。上条「身体測定か!」 合点がいった当麻が無邪気に結論付けて笑んだところだが、 そばでそれを聞いていた青ピと元春の両名はやれやれと言わんばかりに当麻を肩を叩く。青ピ「かみやん、よう見てみ」土御門「まあ測定すんのは間違ってないんだけどにゃー」上条「え?」 そう言われて戸惑いながらも振り返って目を凝らしてみると、 確かに身長計や体重計等が見当たらない。 代わりに、机の上に握りこぶし程の球や、何やら目盛りが付いた不思議な器具が置かれているばかりだ。 そんな物に長い列を組んでいることすら訝しいのに、生徒が真剣な目を据えながら手をかざしている、 更には白衣の連中はそれらに鋭い目を注ぎながら、鉛筆を持つ手を忙しく動かしている。 己の思考能力の限界を超える光景に、当麻は首を傾げるしか無かった。
困ったような顔で振り返る当麻に、青ピが肩をすくめて言う。青ピ「念術測定や」 そう言われれば、その言葉には憶えがある。 上条(小萌先生がそんなこと言ってたな……) しかし、当麻の眉間の皺は深くなるばかりである。 答えが答えになっていないのだ。上条「念術測定って、何だ?」 頬をかきながら尋ねる当麻に、今度は元春が素っ頓狂な声を出した。土御門「かみやん!? そんなことも知らんで此処来たん!?」上条「お、おう……」 自身の無知加減に少し落ち込んだのか、当麻は思わずしゅんとしてしまった。 その様子に元春が慌てて言葉をつなげる。土御門「えーと、まあ、とにかくやってみれば分かるにゃー! ほら、一緒に行こうぜい!」 そう言われて手を引かれ、当麻は青ピと元春と一緒に近くの測定場の列に並ぶ。 列は割りと長めで、仕切り布で囲まれた場で何が行われているかはよく見えない。 少しずつ列を前に進みながら、元春が当麻に声を掛ける。土御門「そーいや、かみやんはどーして此処に……學園都市に来たんだにゃー?」 前に並んでいた当麻は振り返ると、しばし逡巡してからぽつりと口を開いた。上条「不幸だ……から、かな」
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─ 当麻には幼少から不幸が付き纏った。 初めは周りの大人も「運が悪い子だ」と笑い話に済ませていた。 が、当麻の引くあみだくじはいつも外れる、必ずじゃんけんで負ける、といった話から始まり 当麻が渡る番になると川の橋が崩れる、当麻が楽しみにしている行事は雨が降る、といったことが続くにつれ、 次第に大人達も気味悪がるようになった。 それでも当麻の母親、詩菜は「当麻さんはおっちょこちょいなのねぇ」と優しく撫でては息子を可愛がったし、 「人間、運に頼れば駄目になる だから当麻、お前は偉い子なんだ」とは、父親の刀夜の言である。 当麻が成長しても、やはり不幸な出来事は付いてまわった。 神社の神主に御祓いを受けたこともあったが、帰り道に転んで川へ落ち、その拍子に船に積んであった米俵を沈めてしまった。 次第に村の中でこう囁かれるようになった。 『疫病神』と。 村の子供達、また心無い大人達からも爪弾きにされながらも、両親の愛情に包まれて当麻はひねくれずに育っていった。 しがない行商人である刀夜の稼ぎは決して多い訳では無かったが、家は食うに困る程でも無く、平々凡々な慎ましい暮らしをしていた。 数多の不幸に襲われながらも、それだけで当麻は"幸せ"だった。
転機が訪れたのは、当麻の齢も拾伍(十五)を迎えた、ある夏の日。 その日は朝っぱらから囃子やお太鼓が鳴っては響く、村総出の夏祭りが在る日であった。 父親の刀夜も朝早くから祭の準備に駆り出され、詩菜も村の奥さん方の手伝いにへと行ってしまい、 当麻は朝から家に独り残された。 親は「友達と祭りで遊んできなさい」と言ってはいたが、自分が顔を出せばまた突然大雨でも降り出すんだ、 そうくさくさ呟いては、家で寝っ転がって天井を睨み付けていた。 しかし…… 遠くから聞こえるお囃子の音、時折上がる威勢の良い掛け声。 年頃の少年が気にならないはずも無く、次第に当麻はそわそわし始めた。 そうだ、別のことを考えよう、そうだ、歌でも歌おう。 村の鎮守の 神様の 今日はめでたい お祭日 どんどんひゃらら どんひゃらら どんどんひゃらら どんひゃらら 朝から聞こえる 笛太鼓 違う違う、こんな歌じゃなくて。 頭に流れるのは學校で習った、今は思い出したくも無い唱歌。 だんだん、いてもたってもいられなくなってきた。 ちょっとだけなら、いいかな。 当麻はいつもの癖でぽりぽりと頭をかくと、はやる足が絡みそうになるのを堪えながら家を出たのであった。
─── とある村のとある小さいあばら屋の、 土間口の戸がガタガタと音を鳴らして開いたかと思うと そこからひょこりと顔を出した者がいる。 少年は出した顔をきょろきょろと左右に走らせると、 まだ躊躇いの残る動きでのそりと外に出て来た。 いつも当麻を疫病神と虐める子らは残らず祀(まつり)のある神社へ行っているらしい。 辺りはしんとして、聴こえてくるは遠くから響くお囃子の楽しげな拍子だけである。 しかし少年は外に出たものの、 暗みを帯びた表情を浮かべ神社のある山の方へ伏し目がちに見向くばかりである。上条「………」
生まれてこのかた不幸という言葉と切っても切れぬ縁に纏わり憑かれた彼を 未だに思い切り祭に参加させぬのは、正にその縁に依るこれまでの体験だ。 また何かやらかしはしないかと臆病になるのも仕方ない程に、 この永くも無い人生の中で相当の不幸せを舐めて来たのだ。 しかしうら若い精神を引き留めるには…… 特段変化の無い日々を味気なく過ごす村において、年に一度の村人総出一切合財巻き込んで騒ぎに騒ぐこの祭事は 余りに魅力的過ぎた。 一瞬迷う。腕を組む。悩む。 が、よしと頷くと次の瞬間には駆け足で神社へ向かった。 その跳ねる背中は、間違い無く、間違い無く幸せの欠片を携えていた。 その類の幸せを……人はそれを期待と呼ぶ。 しかしこの少年に限っては、ほんの少しの勇気も宿っているのだということを、是非記しておきたい。
神社の長い階段を登り終えた当麻は思わず息を呑んだ。 どんとした佇まいの大きな神輿が境内の中央に鎮座している。 まるで出番待ちの横綱力士のようだ。 そして普段閑散として無駄な広さを誇っている境内だが、 此の時ばかりはうじゃうじゃとして賑やかだ。 吹けば飛ぶよな小さな村だが、ここまで集まると壮観である。 来て良かったな、と当麻は思った。 勿論、色とりどりの露店や、年に一度お目に掛かれる荘厳流麗な御神輿だって心躍る。 しかしそれよりも村の活気というか、躍動というか、そんな生き生きとした空気が何より好きだった。 ……普段の不幸体験の反動だろうか。 そして思わず口元に笑みを浮かびかけたそのときだった。「あ、疫病神だ」「疫病神ー!何で来たんだよー!」「来んなよ!不幸が移るだろ!」 突如後ろから浴びせられた罵声に振り向くと、 いつもの当麻を虐めている面々が揃って口々に罵っていた。 上条「………」 もはや茶飯事過ぎて怒り哀しみも湧いてこない。 ただ寂しかった。 彼らの言うことは間違っていないのだ。 自分は、疫病神、なのだから。 当麻は踵を返し、駆け出した。 絶えず背後から投げつけられる「疫病神」の言葉から逃げるように。 当麻は人気の無い神社の裏手まで行くと、 誰もいないのを確認してその場にしゃがみ込んだ。 はあと一息ついて、周りの音に耳を澄ましてみる。 ぴーひゃらどんどん、と下手糞な、けれど楽しげなお囃子。 がやがやと騒がしく飛び交う話し声。 それが聴こえるだけで幸せだった。 そう、これでいい、と当麻は思った。 露店を覗くのも、踊りに交じるのも、何だか気が進まなかった。 自分が関われば不幸に皆を巻き込みかねない、そんな思いが圧し掛かったからだ。 しかし、そんないじらしい自重が一瞬で吹き飛ぶ胴間声が耳に飛び込んで来た。「神輿が出るぞーっ!」 祭の佳境、ついに神輿担ぎが始まるのだ。 豊穣と平安を祈願し、村の男衆で巨大な神輿を担ぎ、揺すり、轟かせる。 その猛々しい怒涛と臨場を以て、祀(まつり)は最高潮を迎えるのだ。 当麻は軽く唇を噛んだ。 ふつり、と胸の奥底に湧いたソレは段々と形になって言葉となって はっきりと浮かんでしまった。上条(……見たい……) こきこきと鳴らして首をめぐらせる。 頭がぐりんぐりんと三週程する間に、当麻の中で一つ折り合いが着いた。上条(物陰からこっそり見れば大丈夫だろう) 我ながら良い考えだと自賛しつつ 神社の本殿の端に駆け寄ると、そろそろと頭を覗かせた。 ここからなら良く見える。
境内の真ん中で大の男達が威勢の良い掛け声を上げている。 それに合わせて豪壮な大神輿が轟々と上下に揺れている。 それを建物の影から眺めながら、当麻は興奮を隠せないでいた。 上条(……すごい!) 憂いを帯びた顔は大人びてみられるとはいえ、中身はやはり少年である。 雄々しく波立つ神輿と体躯──当麻の目を奪うには十分だった。 と、そこでふと一人の担ぎ手に目が止まる。 弩太い担ぎ棒を肩に乗せ、汗を散らしてひと際力強く上下に揺すっているのは──上条(……父さん!?) 当麻の父親、上条刀夜であった。 刀夜の振りは他の担ぎ手の中でも一段と勇ましい。 神輿の周りの人だかりから歓声が飛ぶ。 喧騒と喚声の渦のなかで神輿がうねる。 祭の波は絶頂を迎えようとしていた。 熱狂の真っ只中で活躍してみせる父親を見る。 その姿が、当麻には余りにも眩しかった。 気付けばもう足は動いていた。 そして、夢中で物陰から飛び出すと一路、神輿見物の人だかりへ突っ込んで行った。 人混みを掻き分け、ひたすら前に出る。上条「通して……通して下さい!」 必死で進んだ先が拓けた時、すぐ目の前で神輿が揺れていた。 そして、父親が精一杯の仕事をしていた。 それを見て、当麻は胸に込み上げる物を感じた。 周囲に、そして父に負けじと声を張り上げる。上条「父さーん! 頑張れーっ!」 その声に気付いたのか、刀夜がこちらを振り向く。 自分の息子を見つけたらしく、白い歯を見せて笑い掛けた、 その時だった。 腹の底をえぐるような、得体の知れない鳴動が轟いた。 それが、神輿を支える心棒が軋み、割れ裂けた音だと知れたのは 神輿の胴が捻じれ、座が歪み、 その巨大な屋根が とある不幸な少年の上に降って来た、時、だ、っ、た。
世の常人が己の人生を振り返るのは、齢幾つの時だろうか。 山を越えて一息着いた五十の頃か、はたまた寿命尽きんとする畳の上か。 ただ、彼の場合は僅か拾伍(十五)の時であった。 そんな不幸な、ただ不幸な男の話である。 少年も聴いていた。 体の芯まで震わす轟音と、尾を引きずる不快な"裂けび声"を。 しかし、何が、何だか、すぐには、分からなかった。 いきなり世界の動きが遅くなった。 いやにゆっくりとした景色。 周りの人間はこちらを見て口をぱくぱくと忙しく開閉しているし、 担ぎ手の男達は鬼気の表情(かお)で何やら叫んでいる。 指を差す者、顔を覆う者、何だかそれらが滑稽に思えた。 少なくとも、 真上を見上げて黒々と迫る巨大な物塊──神輿の屋根が「お前を圧し潰してやる」と宣言するまでは。上条「……うわあああああああああぁぁぁぁ!!」 そして前述の通り、己の人生を振り返る訳である。 ちなみに走馬灯という言葉を彼が知るきっかけとなったのは、この件である。 馬鹿馬鹿しいぐらいの巨人の掌が襲って来る。 眼の前の影が段々と黒濃く塗り潰されて行く。 当麻は目をきゅっとつぶり、 心の底から 観念した。 不幸な人生だったな、と思った。 でも最後に格好良い父さんを見れて良かったな、と思った。 俺もああなりたかったな、と思った。 あ、やっぱり不幸だな、と思った その時だ。 再び轟音が場を、地を、髄を震わせた。 しかし先程の怖気立つ音とは違う。 もっと血の通った……上条「………?」 恐る恐る、目を開ける。 思わずひい、と情けない声が出る。 目に飛び込んで来たのは、眼前ぎりぎりに迫った屋根の角部分だった。 そして、上条「とっ、父さん!?」 誰一人、誰一人担ぎ手のいなくなった神輿の下で いや、唯一人、上条刀夜が 支えていた。 肩に担ぎ棒を食い込ませ、其処彼処を血にまみれた姿で たった一人で支えていた。 逃げなかった。 息子を助けるために。当麻が再び口を開くより先に、刀夜が吠えた。刀夜「当麻ああああ!!逃げろおおおお!!」 当麻はその言葉に弾かれたように体ごと飛びのいた。 その瞬間だった。 無茶な均衡で留まっていたそれは再び大きく軋むと、 呆気なく崩れ落ちた。 地を震わせるような砲声と轟音を上げながら 下に居る刀夜を容赦無く巻き込みながら。 当麻は見た 無情な巨塊に踏み潰される寸前に見せた 刀夜の微笑みを。上条「父さああ゙あ゙あああああああああああん!!」
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