「はぁ……不幸だ……」陽も落ち始め薄暗くなりだした大通りを、上条当麻はがっくりと肩を落として歩いていた。遠目から見ても分かるほどに、その姿からは負のオーラが滲み出ている。もし子供に『哀愁を感じる背中』というものがどんな物かと聞かれたら、この背中を見せれば一発で理解するであろう。それほどに強烈な暗黒ムードっぷりを、上条当麻は醸し出していた。理由は単純。タイムセールを逃したからだ。「あーちくしょう。あのバカ〔スキルアウト〕共のせいだ……」よく見ると身体のあちこちに擦り傷や打撲傷の跡が見て取れる。それもかなり新しい。簡易的とはいえ、一応処置は施してあるが応急手当程度だ。傷口から薄く滲み出る鮮血が、ついさっき出来たケガだというのを主張していた。そう。上条当麻は、いつも通りの帰宅ルートを、いつも通りに歩いていると、いつも通りにスキルアウトに絡まれる女の子に遭遇し、いつも通りに助けに入った。それだけの話である。ただ、いつもと違ったのは、ツインテールの風紀委員が助けてくれたことくらいだ。
「あら、あなた……まだこんな所にいらっしゃいましたの」上条が振り返ると件の風紀委員が立っていた。茶色い髪をツインテールにしており、名門常盤台の制服に身を包んでいる。片腕を腰に当て凛としたその姿は、"立っていた"よりも"仁王立ち"の方がしっくりきそうだ。「あぁ、あんたか……えぇと」「白井黒子、ですわ。先程も名乗りましたでしょうに」白井黒子と名乗った風紀委員はふぅ、と息を吐く。肩にかかったツインテールを、細く白い指でサラリと後ろへと払った。「もうそろそろ完全下校時刻ですの。早くお帰りになって下さいまし。陽が落ちるのが遅くなって来ているとはいえ、この辺の治安もそう良くはありませんの」上条は、鞄を持っていない方の手で頭をガシガシと掻きながら答える。「お前こそ大丈夫なのかよ。こんな夜道をか弱い女の子一人で歩いてて」「そのか弱い女の子に助けられたのはどこのどなたでしたっけ?」そう言うと白井は、口に手を当てて悪戯っぽく笑った。対して上条は、「うぐっ…」と言葉を詰まらせバツの悪そうに顔をしかめる。
「さて、早く帰りませんと。誰かさんのせいで残業が増えて、こんな時間になってしまいましたし」薄く細めた目でチラッと上条を見る。冷たい視線を送りつつもどこか楽しそうだ。「じゃ、その残業のお詫びも兼ねて、白井さんを寮まで送って行くとしますか」予想外の反応に、白井は少し戸惑った。自分の嫌味に、申し訳なさそうにする様を眺めるつもりが、とんだカウンターで返ってきた。しかし、凛とした態度は崩さない。「結構ですの。万が一何かあった時、足手まといになりかねませんし」「まぁそう言うな。男が一人居るだけで、面倒ごとが起こる確率はグンと下がるんですよー」言いつつ、白井の返事も待たずに上条は先々歩いていってしまった。はぁ……っと溜息を吐きつつも、存外嫌そうな顔もせずにその後ろを付いて行く。ここだけの話。タイムセールに遅れたのはバカ共に構っていたせいでもあるが、風紀委員であるこの少女の事情聴取(大半は説教)が長引いたせいでもある。恨み言の一つも言いたい所だが、そんな事は決して口に出さない紳士な上条であった。
「全く……。送り狼を許すとは私も落ちたものですの」「失礼な。上条さんは紳士ですからそんなことしませんよー」「……それにしても、」そこで区切り、チラリと上条に視線を送る。変な所で言葉を区切った白井に、上条は向き直る。チラリというよりギロリと言った感じの眼が上条を捕らえていた。「あなた馬鹿ですの? 八人もの不良相手に単身立ち向かうなんて、どんな脳構造をしていらっしゃいますの? もしかして知能は猿並なんじゃありませんこと?」「あれー!? 何で急に罵詈雑言!? ああもう分かってるよ! 「一般人は首を突っ込まないで下さいまし」とか言うんだろ!? もうさっき詰め所で聞き飽きましたよ!」また説教する気かよもう良いよチクショー! と上条は頭をバリバリと掻き毟った。が、なんだかヒートアップしていた上条とは対照的に、白井は淡々と言葉を紡ぐ。「そうじゃありませんの」
瞬間、上条は空気がピリッと張り詰めるのを感じた。いや、恐らくはもう少し前からそうなっていたのだろう。そんな中で自分だけおちゃらけムードだった事に気付き、僅かに俯く。数秒の静寂。冷たい夜風が二人の間を吹きぬける。白井の茶色いツインテールが風でなびいた。「何の勝算も無く突っかかっても、勝敗は見えてますの。もし私が駆け付けなかったら、どうするつもりでしたの?」真剣な様子の白井に気構えていた上条だったが、何だそんなことかと溜息を吐き、「何も考えて無かったよ。体が勝手に動いてたんだ」あっさりと返した。「……は?」「困ってる人が居たら、助ける。当然じゃねえか?」格好つけるでもなく、気取るでもなく、上条は当たり前の様にそう答えた。「………」白井は、何も言えなくなった。-己の信念に従い正しいと感じた行動を取るべし-何故だか風紀委員の心得の一つが頭に過ぎる。見て見ぬフリが常識となりつつある昨今、白井にはそんな上条が凄く常識人に見えた。今日はよくよく妙なカウンターをもらう日だ。と白井はひとりごちた。
「ここまでで、結構ですの」白井は立ち止まり、上条の方に向き直る。ローファーの踵がカツっと音をたてた。「いやいや、ここまで来たらちゃんと寮の前まで送っていきますよー」「いえ。もう建物も見えましたし、この距離なら私の能力で自分の部屋まで直で帰れますの」 テ レ ポ ー タ ー「そういや空間移動能力者だっけか。……あ、そうだ! 連絡先教えてくれよ」思い立ち、上条はポケットからゴソゴソと携帯を取り出す。右手を軽く振り、その勢いでカパっと開いた。「はい?」「今日は助けてもらったのにお礼も言ってなかっただろ? 今度何かお礼させてくれよ」ナンパなら遠慮しておきますの。そんな言葉が口から出そうになったが、思い直す。そんな人間でもないだろう。純粋にお礼がしたいだけのようだ。ならば。尚更……「……遠慮しておきますの。風紀委員として当然のことをしたまでですから。それにここまで送っていただきましたし」「それは"残業のお詫び"だったろ? まあ人の好意は受け取っとくもんだ。ほら、携帯貸して」
白井から携帯を受け取った上条は、それを操作して自分のアドレスを登録しようとするのだが…。「え? なんだこりゃ」手渡されたのはリップクリームの様な形状の筒。どこをどう操作すれば良いのか、貧乏が故に0円ケータイをずっと愛用している上条には、皆目見当も付かない。「はぁ……。貸しなさいですの」上条から半ば強引に二人分のケータイを奪い取ると、手馴れた手付きで操作した。上部のボタンを押すと、側面のスリットからまるで巻物の様に薄く透明な『本体』が滑り出てきた。「うわぁ……。無駄にカッコいいけど扱いづらそうだな、それ。」「うふふ。そのくせサイズが小さすぎて、なくしやすい、ボタン押しづらい、モニタ見にくいの三拍子揃っていますのよ、これ。」力の無い笑みで『本体』を筒に戻し、もう片方はパタンと閉じて上条へと返した。
「サンキュー。近いうちに連絡するよ」「ふふ。期待しないで待ってますわ。それではお気をつけて」ペコリと頭を下げて踵を返す。きちんと手入れされているであろうツインテールが、ふわりと舞う。ほのかに甘いシャンプーの香りが、上条の鼻腔を優しくくすぐる。「……今日はほんとにありがとな白井! じゃ、またな!」上条の声に白井は振り返り、微笑んだ。「ええ……それではまた。素敵な類人猿さん」それだけ言うと白井は虚空へと消えた。彼女の能力、空間移動だ。「類人猿て……。上条さんのガラスのハートはちょっと傷つきましたよ……」
――――
―――
―
「はぁ……不幸だ……」今日……いや、昨日は散々な目に遭った。スキルアウトに絡まれてる女の子を助けようとしたら、返り討ちにあいボコボコにされ、明らかに年下の風紀委員の少女に助けられるという、情けない姿を披露しまった。その上その帰りに、最近やけに突っかかってくる変なビリビリ中学生少女に夜通し追い掛け回された。しばらく追いかけっこをしたら諦めてくれるはずだったのだが、何故か昨日は普段の三割り増し程にしつこかったのだ。適当に負けてあげれば彼女の気も晴れるだろうと思い立ち、「すわマイリマシター」と、下手な芝居を打ってしまった。それが少女の逆鱗に触れたのだろう。鬼のような形相で一晩中追い掛け回された。「ったく。疲れ知らずなのか、あのビリビリ中学生……」呟き、ベッドに倒れこむ朝帰り少年上条当麻。「……ま、昨日は白井と知り合えただけ良かったとすっかな」そういえば白井とあのビリビリ中学生制服同じだったな。同じ学校なんだろうか。あ、そういえば白井にするお礼何か考えとかねーと……そんな事を考えながら意識は徐々にブラックアウトしていく。
「お帰りなさいませお姉様」
同日同時刻、常盤台学生寮。
「寮監の目を誤魔化すのも大変なのですから、夜遊びも程々にして欲しいですのー」「別に……遊んでたわけじゃないわよ……」お姉様などと呼ばれた少女は、自分のベッドへとフラフラと力無く進む。「登校時間まで寝かせてもらうわ。朝食はパスするからテキトーに理由言っといて」アンニャロウ…いつか…かなら…ず…呟きながら、ベッドにボフッと倒れこむと、ものの二秒で夢の世界へと旅立ってしまった。「また"あの殿方"ですの?夜通し追いかけっこするなんて非常識な行動を……」ブツブツと愚痴をこぼしつつ、ため息を吐く。枕を抱きしめ幸せそうな表情で眠る姿を見ていると、少々嫌な予感が思考を掠める。「まさかお姉様に限って……ねぇ」杞憂であることを祈りつつ、風邪をひかないように愛するお姉様に布団をかけてあげる。
「っと、マナーモードにしておきませんと」充電器に繋いである携帯を拾い上げ、慣れた手つきで『本体』をシルシルと引き出す。そこに表示される画面は、いたっていつも通りだ。つまり、「着信あり」も「新着メールあり」のアイコンも表示されていない。「……礼儀知らずな殿方ですの」いえ、別に期待していたわけではありませんのよ。全くあの類人猿は……と、誰に向かってしているのか分からない言い訳を呟きつつ、携帯をベッドに放り投げる。もしお姉様が起きていたなら、さぞ『嫌な予感』がしたであろう。「さて、朝食……の前に書類に目を通しておきませんと」昨日の"要らぬ残業"のせいで出来なかった仕事を、少しでも消化しようと机に向かう。書類の先頭には『連続虚空爆破事件』と書かれていた。
「ちっくしょおおお! 不幸だああああ!」下校時刻、バス停の前で怪しげな独り言を叫び悶える少年がいた。勿論上条当麻だ。「なんだよあの運転手!? 俺に何か恨みでもあんのかよ!」寝不足の体に鞭を打ち、全力疾走したにも関わらずバス乗り口の扉は無情にも上条の目の前で閉ざされた。ちなみに次のバスまでは20分待ちだ。わずかに涙を滲ませながらがっくりと肩を落とし、ずずずっと鼻をすする。「仕方ねぇ、歩いて帰るか……ん?」見ると、先程バスから降りてきた少女が、辺りを不安そうにキョロキョロと見回している。迷子だろうか。困っている人を見ると放っておけない上条は、その少女に話しかける。「どうかしたのか?」「えっとね、ここに行きたいんだけど……」少女の握り締めていた紙を広げると、第七学区内の地図だった。大手チェーンの大型デパートの辺りが丸く囲まれている。「あぁ、あそこか。こっから近いし、案内してやろうか?」「ほんとに!? ありがとうおにーちゃん!」パァっと明るい表情になった少女の手を握り、遠くに見えるセブンスミストと描かれた看板を目指して歩き始めた。
風紀委員第一七七支部。
白井黒子はパソコンに向かい苦心していた。連日起こる連続虚空爆破事件の資料を調べなおしていたのだが、やはり犯人の特定に繋がる物は出てこない。もう少し手掛かりがあれば…と、思わず机に突っ伏す。「遺留品を読心能力で調べさせても何も出ませんし、同僚が九人も負傷しているというのに……」そして、気付く。「――九人!? いくら何でも多すぎません?」すぐさま電話へと手を伸ばす。仲間の危機を知らせるべく。
―――――――
――
「あの……容疑者の少年を確保した模様です」「……了解ですの」白井が現場に駆け付けた頃には、事件は既に終わっていた。荒れた店内の惨状が、テロの威力の凄まじさを物語っている。しかし、白井の立つ場所から後方にかけてのみ、綺麗に元の状態を保っていた。「白井さーん」名前を呼ばれ振り返ると、頭に大きな花飾りをつけた同僚が居た。腰の辺りには、小学校中学年くらいの少女が抱きついている。「ああ、初春。無事だったんですのね」今回のテロの標的であった同僚の姿を見て、思わず駆け寄る。怪我をしている様子もなく、白井は安堵した。「御坂さんのおかげです」「トキワダイのおねーちゃんが助けてくれたの」「「ねーーー」」そんな同僚は、少女と仲良くステレオ放送だ。無事だったんなら遊んでないで働けと突っ込みたい所だが、それよりも白井には気になる事があった。
お姉様が?一体どう能力を使えばこういう風になるのだろうか。まるでここ一帯のみ、爆破を丸ごと打ち消したかの様だ。丸ごと打ち消す……?つい最近似たような物を見たような……「初春」「はい?」「事件発生時、現場にツンツン頭の高校生くらいの殿方はおられませんでした?」「え? えーと確か……」顎に人差し指を当て、荒れた天井を眺めながら思案していると、「あのおにーちゃんじゃないかな? わたしその人にここに連れて来てもらったんだよー」先程の少女が割って入った。「あ、はいそうでした。私にこの子を預けて、ついさっき帰っちゃいましたよ」でも何で白井さんがその事を…と、初春が言い終わる前に白井は出口へと走り始めた。「……初春! この場は任せましたわよ!」「え!? ちょ、白井さん!」言うだけ言うと、白井は虚空へと消えた。
帰路についていた上条の前に、何の前触れもなくいきなり人影が現れた。ストっという足音が響く。「お待ちになって下さいな」突然表れた人物に一瞬たじろいだ上条だったが、それが白井だと分かると親しげに声をかける。「おぉ、白井じゃねぇか。何してんだこんな所で」すると白井は、上条の正面に向き直り深々と頭を下げた。「先程は、同僚を助けていただきありがとうございましたの」「うおお? なんだよいきなり!? ……って、あぁさっきのアレか」あれ? でもあれはビリビリ中学生が助けたって事になってるんじゃなかったか?と、上条は首を捻った。「やはり……お姉様ではなく、あなたでしたのね」「? どういうこった?」
上条は更に首を傾げる。大方、あのビリビリ中学生から話を聞いてきていたのだろうと当たりを付けていたが、それはどうやらハズレのようだ。「初春……私の同僚から、あなたがあの場に居合わせたと聞いて鎌を掛けてみましたの」「まんまと引っ掛かったって訳か……ん?」上条はようやく理解した。が、先程とは違う方向に再び首を傾げる。「あなたの右手、ですの」そんな上条の心情を見抜いているかのごとく、すぐさま疑問の答えを提示した。「お姉様の能力じゃあんな風にはなりませんの。じゃあ誰が? そう考えたらあなたの事が思い浮かびましたの。昨日あなたが不良と喧嘩してらっしゃったとき、相手の能力を打ち消していましたでしょう?」身振り手振りを加えつつ、スラスラとロジックを紡ぐ。その完璧とも言える推理に、上条は素直に驚いた。「可愛い顔して大した推理力だなー。上条さんちょっと尊敬しちゃいますよ」それを聞いて、黒子は小さく照れるようにニコッと笑みを見せた。自分の勘が当たっていた事が嬉しいのだろうが、その笑みには違う感情が含まれているであろうことは本人も気付いていない。
「借りが出来てしまいましたわね」推理ショーを終えた白井は、歩道縁のガードレールに腰掛け一息つく。上条はそんな白井を横目で見ながら、自販機に小銭を入れる。「あーそんなもん気にすんなって。昨日は俺が助けてもらったんだし、おあいこだろ?」「それはそれ、これはこれ、ですの。何かお礼をさせて頂けませんこと?」「いいっていいって。「一般人は余計なことをしないで下さいまし」とか言った方がお前らしいぞ」「ははは」っと笑いながら、自販機から取り出したヤシの実サイダーを一口飲む。白井がぶすっと仏頂面になっているのに気付くと、「飲むか?」とそれを差し出す。一瞬たじろいだが、上条の手から乱暴に奪うと一気に飲み干した。
「うおおおぉぉおい!? 俺まだ一口しか飲んでねえのに!」「たかがジュース一本でうるさいですわよ。ほんの数百円じゃありませんの」「苦学生である上条さんはその数百円でも結構な出費なのですがー!?」貧乏なんだろうか。そういえば昨日もタイムセールがどうとか喚いてたような気がする。「……夕飯。何かご予定は?」「上条さんは一人寂しく自宅で冷凍レトルトですよー。……はぁ、不幸だ」狙っているのかこの男は。「でしたらご一緒しませんこと?」「え? あぁ、そりゃ構わねえけど。上条さんは貧乏ですから財布に優しい所でお願いしますよ?」「はぁ……。ご馳走するって言ってるんですのよ」「年下の女の子に奢ってもらうのは流石に上条さんのプライドがですね……。でも、一緒に飯喰うってのは大歓迎だぜ?」「それじゃあお礼の意味がありませんの……」「だからそんなもん気にしなくても良いっつーの。さ、早く飯行こうぜ」言いつつ、ガードレールに腰掛けたままの白井の手を取りぐいっと引っ張る。突然手を握られ、初めての感触に思考が停止した黒子は、そのまま引きずられるように商店街へと歩いていく。
二人は、全国チェーンのイタリア風レストランに来ていた。夕飯時ということもあって、店内は学生達で賑わっている。周囲の客の話し声や食器類が立てるカチャカチャという音に混じって、控えめなBGMが流れている。ちなみにこの店をチョイスしたのは上条である。「そういえば、」言いつつ、上条はミラノ風ドリアを口に運ぶ。……何故か味噌の味がするのは、ここが学園都市だからだろうか。「飯なんかに来て大丈夫なのか? 仕事中じゃなかったのかよ。……今更だけど」「ほんとに今更ですわね。……まぁ大丈夫でしょう。同僚が私の分まで頑張ってくれてますわよ」「うわぁ……」こいつの同僚にだけはなりたくねぇな等と思いつつ、ストローに口をつける。が、ほんのちょびっとしかジュースは口に流れてこず、ズズズっという音が響いた。「っと、ちょっと飲み物取ってくる。白井も何か要るか?」「学園都市で開発された"実験品"じゃなければ何でもよろしいですの」「ん、りょーかい」白井から空になったコップを受け取りつつ、上条はドリンクバーへと向かう。
「はぁ……私らしくありませんの……」ゴンっと机に額をぶつけ、突っ伏す。その衝撃で食器類が僅かに音を立てた。大事な仕事をほっぽり出して食事に出るなど、普段の白井ならありえない事だった。そう。普段の白井ならば。「きっと支部に帰ったら大目玉ですの……」まさか私あの殿方のことを……そこまで考え、黒子はガバッと勢いよく起き上がった。「ないないそれはないですの私の心はお姉様一筋で……!」首をぶんぶん振り、自分の頭に沸いた疑問を必死に否定する。「何やってんだお前?」そこで、両手にジュースを抱えた上条が帰ってきた。突然の声に黒子はビクっと体を震わせる。食器類からさっきより少し派手な音が響く。「な……なんでもありませんの」
一人盛り上がっていた黒子は慌てて平静を装うが、真っ赤になった顔は隠しきれていない。限界までパスタが絡みついたフォークを、更にクルクルと回転させている辺りから動揺の程が伺える。「? ま、良いけど。メロンソーダとレモンティーどっちが良い?」「……レモンティーで」受け取り、ストローに口を付けようとした所である疑問が浮かぶ。「……ちょっと、上条さん。さっきまでどちらのコップを使っていたか憶えてらして?」「どっちだっけか? まぁどっち使っても一緒だろ」上条は、何の気なしにストローに口をつけメロンソーダを飲み始めた。黒子の動きが凍りついた様にピタリと止まる。「? どうかしたのか、お前」何でもないですの、と黒子は答えつつコップを両手で持ち直す。小動物のようにストローをくわえ込むと、チューっと控えめにレモンティーを飲み始めた。何故だか顔が赤くなっている。
「そういえばさ、何で白井はジャッジメントになろうと思ったんだ?」スプーンをひらひらと振りながら上条は尋ねた。「んー……そうですわね」スプーンとフォークを使って丁寧にパスタを絡めながら少し考え込む。「ま、確かにそんな便利な能力持ってたら、人の為に使おうとか思いつくかもなー」何の気なしに。本当に何も考えずに上条はその言葉を発した。しかし、それを聞いて黒子はピタッと動きが止まる。口に運ぼうとしていたフォークを皿に戻した。カチャッという音が響く。「逆、ですの」「え?」よく分からない返答に、上条は思わず聞き返した。そこで、白井が妙に真面目な顔をしているのに気付く。
「では逆に聞きますの。今日の事件、あなたはその右手が無かったらその場に居た人を助けませんでしたの?」「いや、そんなことは……」「でしょう? あなたなら例え右手〔チカラ〕が無くとも、爆弾の前に躍り出た筈ですの。違いまして?」「多分、そうするだろうな……」「そういうことですの」「? どういうこった?」訳が分からず、上条は首を捻る。「私は空間移動能力〔チカラ〕があるから、仕方なく人を守ってるんじゃありませんの」黒子の目は、真っ直ぐ上条を捉えていた。そこに迷いも無く、揺るぎも無い。確かな意志が感じられた。「守りたいモノがあるから、空間移動能力〔チカラ〕を手に入れたんですの」上条は、聞き入っていた。何も言えず、ただただ聞き入っていた。「どれほど万能な力を手に入れても、それを正しく使えなければただの無能ですの」言い終え、ふぅっと息を吐くと、黒子はストローも使わずにレモンティーを一気に飲み干した。
「ちょっと……クサかったですわね」気恥ずかしそうに、少し赤みが差した頬をポリポリと掻いた。「凄いな……お前。凄ぇよ」「いえ、まだまだ半人前ですのよ」素直に褒められ、照れた黒子は思わず視線を逸らす。「かっこよかったぜ? さっきのお前。あーあ、俺もいつかそんな台詞を誰かに言えたりする日が来るんですかねー」両手を頭の後ろに回して、背もたれに上半身を預ける。天井に描かれた、天使のような女性の絵をぼんやりと眺めた。
すると、後ろのファミリーシートから「イッキ!イッキ!」というお決まりの掛け声と共に手拍子が聞こえてきた。学園都市は学生の街だ。故に、こういったレストランではあまりアルコール類を見ることが少ない。そういった理由から「イッキコール」を目にすることもそう多くは無いのだ。怪訝に思いつつも、今時イッキコールかよアルハラは良くねーぞ等と呟きながら、上条は振り返る。見ると、今にも泣き出しそうな顔をした男が立ち上がっていた。何やら青黒い液体で満たされたグラスを眺めるその男の瞳からは、わずかに涙が滲んでいる様にも見える。「罰ゲームか何かか? うわぁ……ありゃガラナ青汁だぜ」先程、上条がジュースを取って来たドリンクバーコーナーには、ありとあらゆる種類の飲み物が所狭しと並んでいた。しかもそのほとんどが、「黒豆サイダー」やら「きなこ練乳」やら「いちごおでん」やら、明らかに食品衛生法ギリギリの物ばかりであった。こんなもん飲む奴いるのかよ……と思ったものだが、なるほど、こういう楽しみ方もあるのか。……学園都市の未来は大丈夫なのだろうか。「騒がしくなってきましたの……」この街の行く末を想像し、遠い目をしていた上条は、黒子の声で現実に引き戻される。「え? ……あぁ、そうだな。混んできたみたいだしそろそろ出るか」「そうですわね。順番待ちの方もいらっしゃるようですし」
店を出ると、外はすっかり暗くなっていた。思いのほか話し込んでしまっていたようだ。熱いものを食べて火照った体に、冷たい夜風が心地好い。「今日は……本当に楽しかったですの」あんな事件があった後だというのに、我ながら不謹慎な言葉だ。と黒子は内心思う。でも、本当に楽しかったのだ。「俺も楽しかったよ。誰かと飯喰うなんて結構久しぶりだったからなー」「あら、一人暮らしなんですの?」「言ってなかったっけ? おかげで上条さんの料理スキルはそこそこ高いんですよー。なんなら今度食いに来てみるか?」「ええ、是非。期待しておきますの」「あんまり期待されても困るけどな」楽しそうに話す二人のすぐ近く。ほとんど車の走っていない車道を白い影が走りぬけ、路上へと消えていく。それを追うように二つの黒い影が通り抜け、同じように闇の中へ消えていった。二人は気付かない。「ここまでで大丈夫ですの」例によって、上条は黒子の寮の近くまで見送りに来ていた。辺りに人影はほとんど無く、虫の鳴き声が響いている。「遅くまで付き合わせて悪かったなー」「いえいえ。誘ったのは私ですし。……それで、あの……もしよろしければ、また御飯ご一緒して頂けませんこと?」指先を絡ませながら、少し俯きもじもじと話す黒子。顔は少し赤くなっている。そんな黒子を、上条は素直に可愛いと思ってしまった。「あぁ、そりゃあ大歓迎だぜ? それに明後日から夏休みだし、暇な日にどっか遊びにでも行こうぜ」一瞬、突然のデートの誘いに硬直してしまったが、ニッコリと嬉しそうに微笑む。「ふふ。それも良いですわね。開いた日があれば連絡しますわ」「上条さんは補修続きですからねー。何とか早めに終わらせるように頑張りますか……」
「そんじゃそろそろ帰るか。じゃな、白井!」言って、帰路に着く為に歩き出した上条だったが、「……黒子」後ろから声が聞こえ、止まる。「え?」「黒子、とお呼び下さいまし。当麻さん」「……あぁ。じゃあな、黒子。また連絡するよ」「お待ちしておりますの。お気をつけて。当麻さん」自分の顔がいつのまにかニヤついているのに気付き、当麻は慌てて振り返る。そんな当麻を、黒子は背中が見えなくなるまで、手を振りながら見送った。
―――――
それから、数日後。上条当麻は、インデックスと名乗るシスターと出会い、魔術師を名乗る二人と出会う。その少女の悲痛な運命を知り、そして、上条当麻は――――
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