「早いな、上条」「あ、先輩」「仲良く朝から二人で登校か。妬けるな」姫神と二人でエレベータを降りると、ばったりと雲川に出くわした。この人の生態などほとんど分からないが、そう真面目に学校に通う性質ではないように思う。むしろ、朝からこの人が鞄を持って学校に行こうとしているほうが不自然なような。「……」隣の姫神が、はっきりとした隔意を瞳に浮かべて雲川を見つめていた。その理由に思い当たって、上条は居心地の悪い思いをした。雲川と気安く二人で過ごした自分が、姫神に心労をかけているのは間違いなかったから。「秋沙」「何? ……えっ?」信じられないことを、上条にされた。朝のエントランス、雲川が見ているその前で、とっても恋人らしい甘いキスを。「上条……朝からそれとは、さすがに私でも中てられるんだけど」チラリと横目に見えた雲川の、すっと視線を外す仕草に姫神は優越感を覚えた。当麻君の恋人は、一番愛されてるのは、私だ。雲川という人間のことは良く分からないけれど、上条のことを憎からず思っていることくらいは、分かっていた。「い、行くぞ秋沙。先輩、それじゃ」「失礼します。雲川先輩」雲川に取り合わずに立ち去ろうとする上条の隣で、初めて姫神は雲川ときちんと挨拶をした。長い髪をさらさらと流して折った腰を戻すと、姫神はサッと踵を返して当麻に並んだ。そして、雲川を残してエントランスを抜ける。空は秋晴れ。街路樹が色づき始めた街道は、冬の到来を予感させる。今年の冬は、恋人同士の楽しい時間を沢山作りたい。「当麻君」「ん?」「どうして。あんなことしたの?」それは、是非とも聞いてみたいことだった。恥ずかしそうにそっぽを向く上条の顔を無理矢理に覗き込む。ためらいを見せた後、こぼすように呟いた。「秋沙となら、どこでキスしたって良いだろ?」「恥ずかしいよ」「じゃあ、やらないほうが良かったか?」「……ううん。当麻君が気遣ってくれたの。嬉しかった」自分と雲川を区別してくれたのだと、当麻のその意図を姫神は分かっていた。でも。「あの。街中でどこでもやるようなのは。恥ずかしいから」「いや、俺も恥ずかしいよ。そういうのは基本、二人っきりで、だろ?」「うん。当麻君……大好き」「俺も大好きだよ、秋沙」二人は見詰め合って、往来のど真ん中でごく軽いキスを交わした。昼休みは、ここのところ数日は姫神とは別れて摂っていた。上条にだって男友達との付き合いがあるわけで、やっぱり男同士で馬鹿話をしたいというのもあった。放課後は、毎日と言っていいほど姫神と一緒にいるわけだし。「……悪かったわね、上条」「いや、まあいいけど。急にどうしたんだよ吹寄」目の前にいる吹寄は、もちろん男子ではない。いつもの連中と学食にでも繰り出すか、というところでなぜか吹寄に捕まったのだった。そして一人、人の少ないこの体育館裏に呼び出された。つい先日、吹寄と二人で草むしりをしたばかりの場所だ。たいていの学生はここが未だ背丈ほどもある雑草の密集地帯だと思っているだろうから、人はまず来ない。「まあ、ちょっと」歯切れの良さが売りのはずの吹寄が、言いよどんだ。始末し損ねた雑草の気にするようにザクザクとつま先で土を掘る。「あの、吹寄さん。上条さんは優雅にお昼ご飯を頂きたかったのですが」「ごめん。一応、上条のぶんのパンはあるんだけど」手にしていたビニール袋から、二つほどパッケージを取り出して見せた。……食べると脳内物質の伝播を促進するパン、だそうだ。おそらく通販で買ったのだろう。そこにはもう突っ込む気もなかった。「まあ、昼飯が有るならいい。……で、用件は?」「ん。上条、さ。最近姫神とどうしてる?」「へっ?」意図の読み取りにくいぼんやりとした表情で、吹寄は突然にそんなことを聞いてきた。「噂で、上条が浮気したって話、聞いたから」「ハァ? 浮気?」「なんでも三年の先輩とって」「……」「実際、ここ数日姫神の雰囲気が落ち込んでたし」「……別に、浮気とかそんなんじゃねえよ」思い当たる節が、上条にはあった。たしかにあの日雲川と夜のパーティを過ごしたことは、姫神を不安にさせた。そしてきっとスマートではないやり方で、つい今しがた、線引きはしたつもりだった。「なんで即答しないのよ」「いや、なんでって」「後ろめたいことでもある訳?」「ねーよ!」「じゃあなんで、即答しないのよ」詰られるのに苛立ちを覚えて、吹寄を見つめ返す。いつものきつい視線とは違った。湿度のある目線だった。「何もなかったけど、姫神を不安にさせたのは事実だからな」「……やっぱり夜、上条はあの先輩と一緒に」「え? 吹寄お前――」「ごめん。なんでもない」「見てたのかよ」「……ごめん」二度目の謝罪は、第三者からの情報らしく装って、実は雲川との逢瀬を発見したのが自分だったことの謝罪だった。「いや、学校前だったんだからそりゃ見ている人がいてもおかしくはないけどさ」「うん……」吹寄は言えなかった。自分の視線が上条をずっと探していた、その結果だということは。「上条はさ、姫神と付き合ってるんだよね……?」「え? ああ。前にも一応報告しただろ?」「うん。聞いた、けど」「なんだよ、吹寄らしくねーな」「うん……」今日はどうやら、本当に吹寄はおかしいらしい。調子出せよと焚きつけても、一向に火がつかなかった。と同時に、少し、この場所にいることが気まずくなってきた。「つーかあんまりここで二人っきりって良くないだろ。理由も無しじゃ。自分らで草むしりしといてなんだけど、ここ、人が来なくて告白とかに使えそうだし」「えっ。そ、そうね。よくないわね」「だから早く用件をだな」「……わかった。ねえ上条。付き合ってはいるんだろうけど、ちゃんと姫神と仲良くしてる?」「……」ああ、そうかと上条は納得した。コイツは姫神が心配で、それでこんなところに俺を呼び出したのだろう。「ちゃんと返事しなさいよ」「仲良くは、してるよ」「は、って何よ」「ん、まあ、ちょっと色々あってだな」美琴のことや、インデックスのこと、そういう事情を吹寄に話す気にはならなかった。好かれていると思っていなかった女の子や、恋人としては見ていなかった女の子を泣かせてしまった話なんて。「付き合ってるんだったら、もっと幸せにしてやんなさいよ」「お、おう」「一緒にいるときもなんか無理した感じでさ。悩んでるのが顔に出てるし、あの子」「そうか」「貴様がそんなんじゃ、振られた女の子が、立つ瀬ないじゃない」「……悪い」そういえば。名前も教えてもらえなかったが、上条のことを好きな女の子が吹寄の友達にいたらしかった。誰かを選ぶということは誰かを選ばないということだ。選ばなかった誰かのために頑張るなんてのは、恋愛の理由としては成り立たないが、でも振られた側からしたらカップルが不仲なのは、きっと遣る瀬無い思いだろう。――――もし、自分が隣にいたら?それを考えずにはいられないのだ。考えても考えても、きっと傷つくだけなのに。「ねえ上条」「なんだ」「姫神と付き合って、後悔してない?」「え?」「そうやって、姫神だけと仲良くしなきゃいけなくなったことを、窮屈に思ってない?」そんなことは、ないとも言い切れなかった。やっぱり、一人の女の子以外とは付き合いを制限しなきゃいけないし、その女の子のためにいろいろと気を使ってあげなきゃいけないというのは、窮屈なところもある。幸せな窮屈さなのだから、誰しもがそれを喜んで受け入れるべきなのだが。「別に。秋沙といると楽しいしさ」「そう」内心の逡巡を押し隠した上条の返事に、吹寄は素っ気無い返事を返した。葛藤を読まれたのかと、ドキリとした。「なら、上条って意外と大人だったのかな」「え?」「ついこの間、ここで野球ごっこして遊んだじゃない」「ああ、やったな」「ああいうバカやってて、上条はやっぱ子供っぽいのかなって思ってたんだけど」上条とバカをやるときのテンションは好きだった。姉ぶるほど年上の目線ではないが、吹寄はもっと落ち着いた目線も持ち合わせている。まだ、恋愛だのなんだのというのに真剣になれるほど、上条は大人じゃないのかななんて思っていたのに。「子供っぽいつもりはなかったけどな。でも、そうかも知れねーな」「え?」「口に出すと恥ずかしいけど。女の子の気持ちっつーのを、ちゃんと理解してやれなかったんだなって」美琴とインデックスと、吹寄の友達の気持ち。そして姫神の気持ち。思い返せば、美琴は上条のことが好きだというサインをいくつも出していた。あれはそうだったのかと、今更になってようやく分かり始めた。もし、そのサインに気づいていたら、自分と美琴はどうなっていただろう。「これからは秋沙の気持ち考えて、動ける男にならねーとな。……俺を呼び出した件への答えって、これであってるか?」吹寄は上条が姫神を大事にしているのかを問いただしに来てくれたのだと、上条は推察していた。それは、ある側面では正解であり、しかし完全な答えではなかった。吹寄は、上条の後ろ、この体育館裏の出口にザッという足音がしたのを聞き届けた。上条は気づかない。そしてこんな何もない場所に来るのは、きっと自分がメールで呼びつけた相手だけ。「結局、それで正解になったわね」「どういう意味だよ」「未練、かな。上条を呼び出したもう一つの理由」「未練?」姫神が、その角の奥にいるから、言えるのだ。上条がそれに気づいていないから、言えるのだ。不意に吹寄が顔を上げて、じっと上条の事を見た。その、いつになく女らしい、険のない切ない瞳に、上条は一瞬見蕩れた。「好き」「え?」「私、上条のことが、好きなんだ」突然のその告白に、上条は、そして物陰にいた姫神は硬直するほかなかった。吹寄は今、俺のことを、好きだと言った?なにか信じられないようなものを聞いたような気がして、その言葉に乗せられたはずの重たい意味を、上条はちゃんと受け取ってやれなかった。「……なんだ。やっぱり全然気づかれてなかったか。そんなんだから、貴様は姫神を困らせるのよ」「……」自分のそういう機微の疎さは、確かに直すべきところだと思っていた。思っていながら、吹寄の気持ちに疎かったのだと、気づかなかった。「ごめんね、上条」「え?」謝るのは、むしろコッチのほうだろう。好きだといってくれた気持ちを、上条は受け取らないのだし。そして気づいてさえ、やらなかったのだし。「嘘ついてて、ごめん。……姫神にはバレてただろうけど、私にも、虚勢の一つくらい張りたい時があったのよ。上条が姫神に惹かれてるの分かってて、それを横からどうにかできるくらいの勇気なんてなくて、上条のことが好きだったのは私だなんていえなくて。……私の友達の話ってことに、したんだ」「……そうか」「あーあ、スッキリした」肩の荷が下りた、というポーズを吹寄はとって、はあっとため息をついた。上条とて内省はある。女の子の、そういう表には見せない気持ちを、もっと汲み取ってやらないと。「吹寄。気づいてやれなくて、その」「だめよ。上条」「……」「謝らないでよ。お願いだから。惨めになるのは私でしょうが」また、やってしまった。そうやって吹寄の虚勢を引き剥がして、素顔を覗き込むような真似をしてしまった。「吹寄。俺がかけられる言葉なんて、ないのかもしれないけど。また、遊ぼう」「うん。そうね」吹寄は、無理だと思いながら笑った。時間はいつか癒してくれるかもしれない。だけどもう、もっと親密になれるかもしれないと言う期待を持って上条と遊んだ日々は、戻らない。その儚い事実が、吹寄の心にじんわりと染みた。そして頬に現れたのは、笑顔だった。上条はまたも、吹寄に見蕩れた。真面目で芯のある吹寄の柔い泣き笑いは、美しかった。それ以上何も言わずに、吹寄は上条を置いて体育館裏を後にした。それを見送って、上条は壁を背に、空を見上げた。平常どおり空腹感を伝えてくる自分の体のデリカシーのなさに、少し嫌気が差した。「吹寄が、ねえ……」可愛いクラスメイトだった。いや、そういう感想はきっと、告白されたから強く抱いているのだ。もっと、うるさいとか怖いとかお堅いとか、そんな評価を与えていたではないか。自責とも少し違うやりきれない思いを抱えながら、充分時間が空いたからと自分も教室に戻ろうかと足を踏み出したところで姫神に出くわした。「秋沙」「当麻君」「聞いてたのか……?」「吹ちゃんに。メールで呼び出されたから」「そっか。どういうつもりだったんだろうな、アイツ」「中身は。心臓が止まりそうな内容だったよ」「え?」「『今から上条当麻に告白するから止めたいなら急いできなさい』だって」それは、確かに無視できない内容だろう。友達のはずの吹寄の、挑発するようなメール。「それで来たんなら、どうして声かけなかったんだ?」「だって。私には関係ない」「え?」「当麻君と吹ちゃんの関係は。私には関係ないから。当麻君が決めることでしょ?」「……そうだな」姫神を、上条は校舎裏に手を引いて連れて行った。そして、ぎゅっと抱きしめた。「当麻君」「俺は、吹寄のこと、好きだ」「えっ?」抱きしめられたのに反したその言葉に、姫神は戸惑った。「御坂のヤツのことも好きだ。インデックスも好きだ」「……当麻君」「これを言うと、秋沙は傷つくかもしれないけど。なんだかんだ言っても雲川先輩のことも好きだし、五和の事だって好きだ。……そういう好きじゃ、駄目なのかな」姫神は、当惑するよりも、上条の普段と違う雰囲気を感じて、それに心を傾けていた。「寂しいなんていうと贅沢かもしれないけどさ、もっと、バカやってたいだけだったんだけどな」喪失感。上条が覚えているのはそれだった。気まずくなって、会えない友達が急に増えた。みんな、好きの意味を変容させた挙句、今までの距離を保てなくなった。男と女は、難しい。友達でいるというのは、同性なら簡単なことなのに。上条の言うことがわかって、不思議とこの瞬間は姫神は嫉妬を抱かなかった。ぎゅっと、抱きしめ返す。「秋沙」「なあに?」「キスして良いか」「うん。してください」吹寄が魅力的な女の子であったことなど、姫神は当然知っている。美琴も五和も、きっといい子だろう。雲川はどうか知らないが、嫌な人間ではないのだろう。上条と縁のあった女の子の中で、自分が女として突出していたとは、思わない。けど。好きになってもらったのは自分だし、上条は結局、自分だけを選んでくれた。ちゅ、と唇が触れ合う。その仕草はもう、随分と慣れ始めていた。他のカップルがどうか、上条が他の女の子とするならどうなるのか、そんなのは知らない。自分と上条のキスの形が、ちゃんと出来上がりつつあった。「当麻君。一番好きな人は。誰?」切実な響きではなかった。もう、なんて答えてもらえるかに不安がないから。上条はそれを見て、なんだか、姫神に惚れ直した気がした。「一番はさっき挙げた誰かかな」「え?」「秋沙は、特別だ」恋人を他の女の子と同じランクになんて載せられない。きっかけというのは、そのドラマティックさとは関係無しに、全て『運命』なのだと上条は思った。神様に与えられただとか、生まれる前から決まっているという意味ではない。全ての縁(えにし)は等しくただの偶然であり、だからこそ稀有なのだ。姫神の優しい顔。目の前に浮かぶそれは、上条のことを信じてくれる笑顔。キスをすれば喜んでくれて、抱きしめてやれば安心してくれる。そういう姫神の反応を喜ぶ自分の気持ちを、好き以外の言葉で表現などできるものか。「当麻君……ん。あ」軽く舌を絡めて、もう一度キスをした。「秋沙。至らないところもあるけどさ、愛想尽かさないで、好きでいてくれ」「変なの。そういうところが。当麻君を好きになったところなのに」素朴なそんな姫神の笑顔に、またもう一度、上条はキスをした。「放課後、時間あるか?」「うん。当麻君と一緒にいるための時間はとってあるもん」「じゃあまた、二人っきりで」「……うん」期待を込めて、恥ずかしそうに姫神がコクリと頷いた。放課後。カチャリと、姫神が後ろ手に部屋のカギを閉めた。帰り道は言葉少なだった。そして人目を気にしながらそっと女子寮に忍び込んで、姫神の部屋に上条はお邪魔したのだった。「散らかってるけど。あんまり見ちゃだめだからね」「いや、どう見ても俺の部屋よりマシだろ」「うん。まあね」あは、と笑った姫神の表情が僅かに硬かった。二人っきりですることといえば、こないだの水着で睦みあったあれを思い出して仕方ないのだ。全開あそこまで許したと言うことは、今日も、そこまではたどり着くんだろうと姫神だって思う。そう考えただけでも恥ずかしくなって、頬が火照ってくる。そして、あの時よりどこまで『先』に行くのか、それが気になることだった。何せあれから、インデックスに対抗意識を燃やしたせいで、裸で一緒にお風呂に入ったり、同じ布団でキスをして、一晩一緒に寝たのだから。「秋沙」「えっ?」まだ、リビングにすらたどり着いていない廊下の途中で、上条が軽く姫神を押した。壁にもたれかかる羽目になり、そして、上条が唇を押し当てた。「んっ……」「好きだ」「ちょっと。急でびっくりしちゃうよ」「ごめん」心臓がバクバクいうのが止まりそうになかった。急に、ベッドにも行かないうちからあんなことやこんなことをされるのかと思ってしまったから。怒られてしょんぼりした上条の背中に手を回して軽くぎゅってすると、それで機嫌は回復したらしかった。なんていうか、男の子は現金なものだと思う。婉曲さのない単純な性根は、どこか可愛げがあった。「あの。当麻君」「ん?」「上着。かけるから」「あ、ああ。サンキュ」そっと上条の背中に回って、学ランを脱ぐのを手伝う。そして受け取った学ランをハンガーに掛けた。照れくさい上条の顔を見るのが嬉しかった。自分もきっと、照れているから。「洗面所に行っても大丈夫か?」「うん。洗濯機の中だけは覗いちゃだめだからね?」「し、しねーよ」まだ洗っていない服が数枚、中に入っている。平日は一日制服だから、主にそこにあるのは、姫神の下着。見られたら恥ずかしくて死ぬ、というか見ている上条を見たら真剣に怒ると思う。上条が手洗いうがい以外のことをしないかと聞き耳を立てつつ、少しだけ部屋を片付けた。そして自分も手を洗ってリビングに戻ると、上条が腰を落ち着けずに立っていた。「当麻君? どうしたの?」「あ、なんか女の子の家ってどこに座れば良いかわかんなくってさ」「当麻君は。どこがいいの?」「え、っと」本音を見透かされた気がして、上条は口ごもった。「……はしたないって。思っちゃ嫌だからね」「秋沙?」「ベッドに。座って」「ベッドって……」「当麻君。今何を想像したの?」返事をせずに上条が照れた顔をした。そしてそっと、姫神のベッドに腰掛けた。そして姫神も、その隣に座って、きゅっと上条に抱きついた。「こういうの。ベッドじゃないとできないもん」「……だな。でもベッドなんていわれるとさ、ほら、な?」「当麻君のえっち」「文句あるか?」「……だって。知らなかったよ。当麻君がこんなエッチなこと考えるなんて」「秋沙の中の俺ってどんなだったんだ」どんなって、正義のヒーローだったのだ。もちろん上条がただの人だってことくらいもう分かっている。だけど、上条に助けられたあの日に抱いた憧れの中には、上条がエッチかもしれないなんてことはちっとも考慮されていなかったのだ。「私以外の人には。しちゃだめだよ」「分かってる。だから、秋沙には一杯するからな」「うん……」そっと、見詰め合う。何度見ても、潤んだ姫神の瞳が綺麗で、そのたびに上条はドキリとなる。穏やかさが特徴と言えるだろう自分の彼女の表情が、上条は好きだった。それに合わせる様な表情が、自分にも増えた気がする。美琴をバカをやっているときや、インデックスといるときに浮かべる表情とは全然違う、それは姫神といるときだけの上条の顔だった。勿論それは、姫神にとっても同じ。まだそれは仮初めかも知れないけれど、恋人はお互いに影響されて、きっとその人にふさわしい人に変わっていくのだ。「秋沙。好きだよ」「私も。当麻君のこと大好きだよ……」そっと上条が姫神の頬に手を当て、上を向かせた。もうその仕草も初めてじゃない。ごく自然に、姫神の唇が上向いて、そっと上条の唇と重なった。初めてのキスじゃないから、戸惑いだとか、恥ずかしさだとかはない。だけど、キスするたびにその行為は新鮮で、瑞々しい喜びを胸の中に広がらせる。「キス、だいぶ慣れたな」「うん……当麻君のキスの仕方。覚えたから」「なんか嬉しい、それ」「私も。嬉しいよ。だんだん当麻君の色に染められちゃってるんだね」「もっと染めてやる」「あっ……」今度は不意打ちで、キスをしてやった。「んん……」舌を滑り込ませると、姫神は抗わなかった。そしてすぐ、ちゅく、ちゅくと水音が室内に静かに響いた。「当麻君……」頭を撫でながらキスしてやると、穏やかな顔をした。背中に手を当てて、深いキスで姫神の体を倒していく。そっと、背中がベッドに着いた。「ベッドからも秋沙の匂いがする」「もう! 恥ずかしいよ……」「昨日俺の布団で寝ただろ?」「でもあそこで当麻君は寝てなかったんでしょ?」「まあ……」嫉妬の炎が軽く燃え上がったのだろう。拗ねた瞳が可愛かった。当麻も隣に寝そべって、腕枕をしてやった。そして楽な姿勢でキスをする。「ん。ふ……」深く舌をねじ込むようなことはしない。互いの舌先を絡める程度。そのかわり、お互いの目を見つめあいながら、キスをする。時々舌と舌の絡まりに垂れてきて邪魔をする姫神の長い髪のほつれを指で直してやりながら、何をするでもなく、唇と舌で、姫神と粘膜を交歓させる。時々背中を撫でてやると、気持ちよさげに目を細めるのが愛らしい。「可愛いよ、秋沙」「うん……なんだか。眠くなってきたかも」「眠い?」「昨日。あんまり寝付けなかったから」「そっか。あんなんじゃな」「当麻君は? よく眠れたの?」「いや、寝返り打てないと寝にくいもんだな」「だね」そして会話の途切れ目に、キスをする。頭を撫でてやると、なんだか上条のほうも少しまぶたが重たくなってきた。「今日はこんな感じでいいか? その、もっと激しいのとか」「……あの。この前のプールみたいなのも嫌じゃないけど。でも。今日は優しいのがいいな」「ん。じゃあそうするか」「いいの?」「え?」「当麻君は。嫌じゃないかなって」「姫神の可愛い寝顔で満足する」「もう……」「胸、触っていいか?」「うん……」啄ばむようなキスをしながら、服の上から胸に手を当てる。包み込むようにして手を動かすと、やわやわと胸が形を変える。ブラの感触がもどかしくはあったが、姫神を驚かさないように無理に脱がせることはしないつもりだった。「ふあぁ……」静かで深い、姫神の喘ぎ声。そんな響きは、この間は聞かせてもらえなかった。新鮮な感動に、上条は手を夢中で動かした。そして、姫神がだんだんと力を失って、快感の海に溺れていくのが分かった。きっと姫神は気づいていないのだろう。姫神の足が、上条の足に絡んでいた。「秋沙」「……え?」「気持ち良いか?」「うん。すごく。……ん。ちゅ」その警戒のなさに、つい出来心が湧く。姫神のお腹から、セーラーの内側へ手を滑り込ませる。そっとキャミソールをスカートから引き抜いて、姫神の地肌に手を触れさせた。「あっ……」驚いた顔の姫神に、大丈夫だからとキスをすると、それだけで抵抗らしいものはなくなった。そんな風に受け入れられていることに、上条はやけに満足感を覚えた。「んっ……」ブラの上から、胸に触れた。きっと刺繍が可愛らしいデザインなのだろうと思う。手に触れた感触でそれが予想できた。だけど姫神の肌の感触を堪能出来なくなるので、今この瞬間に限っては余計だった。我慢できなくなって、上条は背中のホックに手を伸ばした。意外と簡単に、それは片手でぷつりと外れた。「あ。当麻君」目だけで、良いかと尋ねてやる。良いよと言う様に、姫神が優しく首を縦に振った。強い刺激で姫神をまどろみから覚醒させないように、何も布を介さない姫神の地肌にそっと手を触れた。「あっ。ん……」声にならないため息みたいな声で、姫神が悶える。指で胸の先端をクリクリとしてやると、あっという間に尖りを見せ始めた。そしてキスをする姫神の息が途端に荒くなる。「当麻君……」「秋沙、可愛いよ」「嬉しい。んっ」どうしてかは良く分からないが、姫神の胸を弄んでいるとなんだか上条も眠たくなってきた。女の子の胸というのは、やっぱり触っているとなんだか安心するのだ。もっと深く体を絡めようと思って、上条は太ももをぐいと姫神の足と足の間に滑り込ませた。「あっ……!」「あ、ごめん」姫神が驚いた顔をした。しれっと謝っておいて、上条はもうその理由に気づいていた。太ももが、姫神の足の付け根に触れている。上条の制服のズボンが、きっと姫神の下着に接しているのだろう。すごく、そこは暖かかった。「恥ずかしいよ……」「無理に動かしたりは、しないから」「絶対だからね?」「ああ」メインはキス。そして胸や背中を撫ぜる手がそれに続く。上条はそれを繰り返しながら、だんだんと二人で眠りの中に落ちていく。時々体をゆするときに、太ももを押し当てる強さを変えると、姫神の反応が可愛かった。そしておやすみの挨拶をするでもなく、いつしか二人は絡まったまま意識を手放していた。一時間くらいだろうか、ふと上条が目を覚ますと、室内は日が落ちたせいですっかり暗くなっていた。そして姫神のベッドの上で寝ていたことを思い出す。ベッドの持ち主はまだ目覚めていないらしく、静かな寝息を立てていた。起こさないよう、触れたりはせずにそっとその寝顔を眺める。所有しているという感覚は女性に対してきっと失礼なのだろうが、しかし上条が隣で眠る姫神の顔を見て覚えるのは、姫神が自分のものなのだと思う、その満足感なのだった。自分がもう一眠りしてしまうと本格的に遅くなりそうだ。寝顔に満足したら、起こしたほうがいいだろう。枕もとの時計を見る。あまり遅くなっては、インデックスが気を揉むだろうから。思えば、この数日は怒涛の展開だった。まあこの夏からこちら、上条の人生はジェットコースターのように猛スピードであれこれ展開はしているのだが、色恋沙汰の面で、上条の隣にいてくれる女の子について考えれば、人生でも初なくらいこの数日は劇的だった。ひょんなきっかけから姫神と放課後を過ごすことになって、どんどんと距離を近づけて。逆に美琴との距離が開いてしまった。インデックスとも、関係の意味合いを変えてしまった。吹寄とももう、ただの友達としては遊べないかもしれないし、彼女の姫神がいれば五和だって居心地が悪いかもしれない。そんな風に、少なくない人と疎遠になった。代わりに、こんなに近くに、姫神を抱きしめられるようになった。「ん……」上条の身じろぎに反応したのだろう、浅い眠りから姫神が浮かび上がってきた。薄く目を開けて上条を認識して、姫神が眠たげに可愛い笑顔を浮かべた。「おはよう。当麻君……」「おう。まあ時間的におはようは変だけどな」「うん。夜だもんね」「寝顔、可愛かった」「もう……いいもん。昨日の当麻君の寝顔も可愛かったから」そんな仕返しを喰らって、上条は姫神の唇を唇でふさいだ。「ん。ふ。あ」眠気を引きずったままの、緩慢なキス。今このタイミングには、そういうのが合っていた。「秋沙、好きだ」「うん。嬉しいよ」「結婚してくれ」「えっ? ……うん。いいよ」本気で言うにはまだ上条も姫神も若い。だから冗談みたいなものではあったけれど、だけどなんだか照れくさくて、嬉しい。上条の心音を聞くように、姫神が胸に頭を預けてきた。「当麻君があったかいから。このまま寝てもいいかなって思っちゃう」「んー。でも腹減ってこないか?」「もっと雰囲気を大事にしたこと言ってくれないの?」「ごめん」顔を見合わせて、クスクスと笑う。「今日も一緒に晩飯食べないか?」「うん。あの子もお腹を空かせてるだろうし。早く行ってあげないと」「だな」自然な風に姫神がインデックスの名を出してくれたのをありがたく思いつつ、上条は名残惜しいベッドから身を起こした。そして姫神を抱きかかえて起こしてやる。「髪。ちょっと梳くね」「ああ。……って、手伝っても大丈夫か?」「え? お願いしてもいいの?」「おう。でも慣れてるわけじゃないから下手かもしれないけど」「大したことじゃないよ。根元からさっと櫛を通して整えるだけだから」姫神から櫛を渡される。姫神の後ろに回って、そっと髪を梳いた。寝乱れた髪はところどころほつれを作り、そこに引っかかるたびに櫛が止まる。それを指で一つ一つ解いてやって、長い髪を整えた。「人に髪を触ってもらうのって気持ちいいよね」「……俺以外の男でも?」「もう。美容師さんだったら。そうだけど」「ああ、それはそうか」「でも当麻君は別だよ。……このまま頭撫でてもらって。二度寝したいな」「それでもいいけどな。インデックスをこっちに呼んで、俺はメシを作っとくから」「あは。駄目な彼女さんだね」「たまにはいいだろ」「うん。でも。今日は当麻君の家で私がご飯を作ってあげたいの」眠気を振りほどくように、姫神は伸びをした。「それじゃあ、行こっか」女子寮を抜けるのに少しスリリングな思いをしてから、二人で男子寮のエレベータを上がる。二人っきりの時間はまたこれで終わりで、すこし、物足りない気持ちもある。「何を食べたい?」「んー……難しいよな。だいたいいつも、冷蔵庫の中身と相談して決めるし」「私もそうかも。それじゃ家に入ってから決めよっか」「だな。まあ、さっさと作らないとインデックスがどんどん不機嫌になるんだけど」姫神はそれに応えず、上条の腕をちょっと強めに抱きなおした。胸の当たる感触が気になる。「今日。ご飯を作ってあげたい理由はね」「ん?」「当麻君に食べて欲しいからが半分で。もう半分は当麻君のご飯をあの子に食べさせたくないから」つまり、上条とインデックスは恋人ではないのだと三人とも分かってはいるが、まだ割り切れない思いがあるということだった。「不安にさせて、ごめんな」「私こそ。勝手に不安になってばかりでごめんね」「いいって。自覚はなかったけど、俺が秋沙を不安にさせるような生き方してるから、まずいんだよな」上条は姫神の髪をそっと撫でた。さっき整えた髪は光沢を放っていて、綺麗だと素直に思った。「そんなこと考えたこともなかったけど、意外と上条さんはもてた、ってことなのかね」「自覚がないのが良くないよ」「って言われてもなあ」自嘲というか冗談のつもりで言ったはずの言葉に、真顔で返されて上条は困るのだった。「俺が惚れてるのは秋沙だけだから。ずっと、一緒にいてくれ」「死が二人を分かつまで?」「……ああ」「ふふ。よろしくお願いします」「ん、こちらこそ」夕暮れ時の上条の部屋の前で、二人はそっと、軽いキスを交わした。これからも、ずっと二人が幸せでいられますようにと。
――――終
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