遅刻決定の黄泉川を送り出した後、二日分溜まっていた洗濯と掃除を手際よく済ませ、一段落ついた一方通行はソファに深く腰掛け、天井を仰ぎ見て短く息を漏らす。朝の四時から起きているせいか酷く瞼が重い。打ち止めも一方通行の手伝いが終わった後、この春休みで出来た同年代の友達と遊ぶためにはりきって公園に行ったため、家の中は普段からは考えられないぐらい静かで、それが余計に睡魔を強くする。 いつもの一方通行ならこのまま夢の世界へと旅立つのだろうが今日はそうもいかない。一緒に映画を観に行く人間を探さなければいけないのだ。一方通行としては打ち止めからチケットを買い取って、それで終わりにしたかったのだが、打ち止めと掃除をしている時に約束してしまったのだ。映画をちゃんと観に行って感想を伝えると。「どォすっかなァ」 打ち止めから買い取った試写会のチケットをテーブルから取り、なんとなしに見つめる。映画を観に行くだけなのだから最悪一人でいけない事もないが、内容が内容なだけにそれは少し恥ずかしい。出来れば他人の目からは『友人の誘いで仕方なく付いてきました』スタンスでいたいのだ。今になってなんであんな約束をしたのかと少し後悔するが、した所で何か変わるわけでもない。一方通行はチケットを再びテーブルに置き、今度はチケットの代わりに自身の携帯電話を掴んだ。 少し身体を起こし、ソファの肘かけに背中を預けて足を放り投げる。伸ばした膝からパキンと骨が鳴り、運動不足を感じさせられるが、だからどうしたと言った具合で一方通行は折りたたみ式の携帯電話を開いた。文字盤の空きスペースにはあの日のプリクラが貼られたままだ。この一週間で何度か剥がそうか剥がすまいか迷って結局そのままにしていたのだが、まさかそれが原因で黄泉川に茶化されるなんて…… プリクラの端に爪を掛けて剥がそうとして、そして止める。今剥がしても黄泉川に見られた事実は消えないし、逆に今剥がすと今度は「意識してんじゃ~ん」とまた茶化されそうだ。爪を掛けた端の部分が数ミリ捲れたのを人差し指で擦って綺麗に貼り付ける。そしてメニュー画面から電話帳一覧を開いた。少し遠回りしたが、今の問題は誰と映画に行くかなのだ。「……映画とか……誰誘えばいいンだよ」 電話帳を下へ下へとスクロールさせ、最後の黄泉川まで来たところで再び一番上まで画面を戻す。誰を誘うかは決めれなかったが、取り敢えずショタコンとストーカーとシスコンは誘うリストから消去した。別に仲が悪い訳ではないが、そんな間柄じゃない。映画と言う事は最低でも二時間程は二人で一緒に居ても大丈夫な人間を選ばなければいけないのだ。「……。コイツでいいか、気ィ使わなくていいしな。文面はァ……土曜日……に…映画を観に…行き……ませンか? ってな。まァ、こンなもンだろ」 メール作成のキーを押し、適当に文字を打ち送信。まだ朝の十時だしすぐには返ってこないだろうと一方通行は携帯電話をテーブルの上に置いた。その瞬間、バイブレーションがテーブルをガタガタ鳴らす。一方通行が今置いたばかりの携帯電話を取り上げてメールを開いた。
from 三下 i-am-happy.i-am-happy.i-am-happy@(ry件名 RE:本文 大至急スタバの近くのスーパーに来てください
「は? 俺無視ですかァ?」 三十秒も置かずに返ってきたメールは行く行かないではなく、なぜかお誘いのメールだった。一方通行もすぐにメールを返す。『いや、俺映画の事聞いてンだけど』『分かってるけど今はダッシュでスーパーに来てくれ』『意味わかンねェ』『いいから!』「なンで切れンだよ」 ごちりながらも自室に上着を取りに向かう。メールで済ませればいい話だがなぜか全然話が進まないし、なんか呼ばれてるから直接あった方が早く話が済むと踏んだのだ。「あーもー! うっせェな!!」 上着を着ている間にも当麻からのメールが絶えずに届く。最初の一、二通は読んだものの内容は早く来るようにとの催促ばかり。一方通行は途中でメールを見るのをやめ携帯電話をポケットに押し込むと、窓から空へとダイブした。当麻の指定しているスーパーにはこちらから行った方が早いし、なによりポケットで震え続けている携帯電話を黙らせたくて能力を使って最短ルートで行く事にしたのだ。
「いやー、助かったよ一方通行。これでしばらく小麦粉生活が送れる!」「……そりゃァどォも」 現在当麻と一方通行はスーパーの二軒隣にあるアレイスターバックス(略してスタバ)のテーブル席で向かい合うようにして座り、コーヒーを啜っている。当麻の横の席には十キロ分はあろうかと言うほど大量の小麦粉がレジ袋に入って置かれている。そのレジ袋をうつろな目で見ている一方通行は、真白に燃え尽きていた。 一方通行が呼び出された先のスーパーでみたもの。それは小麦粉一キロ五十円のタイムサービスを勝ち取ろうと団子状態になっている学生たちとその中に埋もれながらもしっかりと三袋をキープして離さない当麻の姿だった。団子状態の生徒たちは今から戦争に行くかのように士気が高かったし、ソレを煽るようにスーパーの店員は拡声機で「今から十分間だけ!! これを逃せば春休みが明けるまでチャンスはないよ!! 五十円! なんと小麦粉一キロが五十円!」と店外まで漏れる様な大声を出していた。それに気圧された一方通行は静かに店から出ようとしたが、当麻に集団の中に引きずり込まれ、一気に戦場最前線まで駆り出されたのだ。「で、なんだっけ?」「映画行こうぜって話」「あー! そうそう。映画だったな」 一方通行が財布から映画のチケットを取り出して当麻に渡す。当麻はチケットを受け取るとマジマジとそれを見て、首を傾げた。「わんにゃん物語……」「おゥ。わンにゃン物語」「お前こういうホンワカしたの好きなんだ? ちょっと意外だな」「ちげェよ。打ち止めから買い取ったンだよ」「買い取ってまで?」「違うっつってンだろうが!」 一方通行がテーブルをバンッと叩く。当麻はそれに怯むことなくテーブルの上にチケットを置き、一方通行の方へ滑らせた。
「丁重にお断りさせて頂きます」「丁寧に断ってンじゃねェよ」 当麻が頭を下げると一方通行はチケットで当麻の頭をペシンと叩いた。「だってお前、こんなの男二人で観に行くとか寂しすぎるだろ」「グッ」 確かに、わんことにゃんこのハートフル映画を男二人で観に行くのはちょっと寂しい。バレンタインに自分で自分にチョコレートを買うぐらい寂しい。しかし一人で行くよりはマシなはずだと一方通行は食い下がる。「でも、俺お前が行かないなら一人で行く事になンだぞ? それはさらに寂しいだろうが!!」「いや、佐天さんとか誘えよ」 なんでココでその名前が出てくるか分からない。一方通行としては気を使わなくていいから当麻に連絡したのに、美琴ならまだしも佐天と一緒に行くなんて絶対気を使う。一週間前みたいに絶対疲れる。それに今度は二人きりなのだ。つまり佐天を誘うのならそれはもう今度こそ正真正銘の……「そンなもンデートになっちまうだろうがァ!!」「ただ映画観に行くだけだろ。デートではねぇよ」「いや、あの……はィ」「じゃあメールしようぜ」「今?」「お前今しなかったら絶対しないだろ」「グッ」 いつの間にか当麻のペースに飲まれている事にも気付かず、一方通行は携帯電話の電話帳を開いた。ここまではいいのだが、さて、どちらにメールをしようかと一方通行は悩む。美琴は言わずもがなだし、佐天はあの日メールすると言ってから一週間音沙汰なし。あの日のデートはただ佐天が男と一緒に遊ぶのに慣れるための実験みたいなものだった訳だから、つまりはそう言う事なのだろう。しかし他の人間にするにしても芳川は嫌だしショタコンなんてもっと嫌だ。結局は佐天と美琴のどちらかには最低でも連絡をしなければいけない。一方通行は覚悟を決めてメールを打ち始めた。文面は当麻に送ったものをそのままコピーして貼り付ける。
from 御坂 gekota-geki-love.misaka@(ry件名 RE:本文 死ね
「すげェ機嫌悪ィ」「なんて?」 一方通行が当麻に美琴からの文面を見せる。そこにはたった二文字『死ね』とだけ書かれていた。当麻が苦笑いする。 「うわー、佐天さんって御坂並みにキツイんだな……」「は? 俺がメール送ったのは御坂だぞ?」「え? なんで御坂?」「は?」「え?」 二人の間に大きなクエスチョンマークが浮かぶ。当麻としてはあの日アレだけ佐天と仲良くしてた訳だし、まずは佐天にメールするだろうと踏んでいたのだ。「俺はただメールしやすい方にしただけなンだが」「お前佐天さんとめちゃくちゃ仲良くやってたじゃん。二人でずっと手も繋いでたしさ」「それはお前らもだろうが」「俺と御坂は最初にゲーセン行く時以外は繋いでないぞ?」「は?」「え?」 そんなアホな……と一方通行は心の中で突っ込みを入れてみる。自分は当麻の真似をして佐天と手を繋いでいた訳だから当然、当麻と美琴も手を繋いでいたと思っていたのだが。必死であの日の事を思い出そうとするが記憶が大分薄れているのか、そういった細かい所まではよく思い出せない。
「ま、いいや。とにかく御坂はダメだったんだろ? なら早く佐天さんにメールしようぜ」「てめェ一人でサクサク進めてンじゃねェよ! 今は手ェ繋いでたかどうかだろうがァ!」「なんだよー、小学生じゃあるまいし手とか繋いでも繋がなくてもどうでもいいだろ。それともアレですか? そう言うのにイチイチ反応するピュアピュアハートの持ち主ですか!」「ンなわけあるかァ! 手とかどォでもいいに決まってンだろうが!!」「ならいいじゃないか。ほら、佐天さんにメールっ」「……チッ…」 本当なら「どうでもよくねェ!」と言いたいピュアピュアハートな一方通行だが、性格上そんな事を言う訳にもいかず、しぶしぶ携帯電話を開く。それでもまだ踏ん切りのつかないのか、一方通行は醜く悪あがきする。「……なァ、迷惑じゃねェよな?」「迷惑なら断るか返信来ないだろうから大丈夫だ」「いや、それ大丈夫じゃねェンじゃ……」「気にしすぎだっての」「あっ、アレだわ。佐天からもう一週間連絡ないしもうこりゃアド変わってンな」「アド変更のメール来てないから」「それはアレだ。アレだよアレ」「なに? お前佐天さんのこと嫌いなの?」「ンなわけあるかァ!」「なら早くメールしろって」「それとこれとは話がちげェ」「ダァーー! お前何ウジウジしてんだよ!? ちょっとケータイ貸せ!」 煮え切らない一方通行に痺れを切らした当麻が携帯電話を奪い取る。返せ返せと暴れる一方通行を右手で押さえながら左手でメールを打って即送信。一方通行の「あァ゛ーー!?」の掛け声と共に携帯電話の画面には『送信しました』の通知が表示された。
from 一方通行 ilovecoffeeshop@(ry件名 久しぶりー。+(・ω・)ノ+。°本文 今度の土曜日ヒマ(´・ω・`)? ヒマなら一緒に映画観にいこーぜェ(>∀<)
「だァれだよこれはよォォォオォォォ!!」 当麻が佐天に送った文面をみて一方通行が土下座をするように跪いて絶叫する。普通に送るならまだしも、一度も使った事のない可愛らしい顔文字まで貼り付けられているている。その文面はいつも文字だけのメールをする一方通行の目にはかなり新鮮に映るがこれは明らかにアウトだ。「後は佐天さんの返信待つだけだな」「やだもゥコイツ! 三下ホント三下!」「大丈夫だって。佐天さんなら返信くれるって」 当麻が笑顔でポンポン、と一方通行の肩を叩く。爽やかな笑顔がこんなに腹立たしいものだとは。本人の悪気がゼロなのも、また余計に腹立たしい。吐き場所のない怒りをテーブルの足にぶつける。ぶつけると言っても最近無機質相手に痛い思いをしたので軽く揺らすだけだが。「そォじゃなくてよォ! 文面!!」「もっと賑やかな方が良かったか?」「すでにお祭り騒ぎなンですけどォ!!」 握るものをテーブルの足から当麻の足に変えて再び揺らす。当麻は「はっはっ、やめろって」と余裕だが、一方通行にはそんな余裕は無い。佐天に(自分でではなくても)メールを出したと言う事がすでに限界寸前なのに、その中身は自分とは正反対を向いているのだ。せめてもの仕返しにと、一方通行は密かに当麻の左右の靴の紐を固結びで連結させた。「つーか何で佐天さんだとそんななんだ? 御坂には普通にメール出してたのに」「佐天と御坂はなンか違うだろうが」「顔?」「そう言うンじゃなくてよ」「声?」「俺は声フェチじゃねェし、そンな特徴的な声でもねェだろ」「じゃあ恋だな」「は? ちげェし。何言ってンですかお前は? 俺が佐天に恋してる訳ねェだろうが。つーか別に誰も好きじゃねェし。そもそも今は何が違うかの話してたろ? なンだお前? 手足千切って達磨にすンぞ?」
矢継ぎ早に言いながら両眼を見開き赤目をギラつかせ、当麻に迫る。二人の顔の距離が五センチまで近づいた所で当麻が顔を後ろに引きながら「ごめんなさい、冗談です」と謝った。一方通行は、まだ足りないのか中々顔を離そうとしない。「なんだよ、顔近いっての」「なァ、お前ってツインテ般若顔テレポーターの知り合いとかいるか?」「どうしたいきなり」 一方通行にさっきまでの自分への威圧感がない。近すぎてよくわからないが、なんとなく一方通行が自分の奥を見ている気がする。「なンか飛び飛びで近づいてくる」 一方通行が指差した方に当麻は目をやるが、ツインテも般若も見当たらない。「なにもな……」 言いかけて身体が硬直する。突如として視界の真ん中部分が茶色い何かで覆われる。視界の残りに短めのスカートから伸びた細い太ももと、何か面積が異常に少ない黒い布のようなものが見えた気もするが……「死にさらせぇぇぇえぇぇぇえぇえぇ!!」 耳を劈く怒号と顔面への鉄球をぶち込まれたかのような衝撃で、全てを忘れ去った。「目標の駆逐完了ですわ。今からケンカの方止めてきますの」 なにが起きたか分からない一方通行はただ立ちつくす。急に少女が現れたかと思ったら当麻にドロップキックをかまして一言だけ呟くと、また消え去ってしまった。分かったのはドロップキックの少女は恐らくテレポーターで鬼も怯むような般若顔でそれに似合わないツインテで、当麻が十メートルほど金属製のテーブルや椅子をまき散らしながら吹き飛んだと言う事だけだ。「だ、大丈夫か?」 取り敢えず吹き飛んだ当麻に声をかける。十メートル先からは「…ふ……不幸だ」と弱々しい声が聞こえるだけだ。 店の奥からは店員数名と恐らく店長だろう。男にも女にも、子供にも老人にも、聖人にも囚人にも見える謎の人物が飛び出してきて他の客に頭を下げながら当麻を救出に向かっている。一方通行もそれに混じってとび散らかったテーブルと椅子を直し始めた。 一方通行の携帯電話が初期設定のままの着信音を発しながらガタガタとテーブルの上で震えている事には、今はまだ誰も気付かない。
* * * 佐天に(当麻が)メールを出してから二日後。一方通行は己の脛と拳を破壊したあの自動販売機のある公園のベンチで一人座っていた。天気は快晴、気温もそこそこ高いらしく、長袖一枚でも十分なぐらいだ。一方通行は携帯電話を開いて時間を確認する。待ち合わせ時間の正午まで後五分弱。公園の入り口の方に顔を向けるがまだ待ち人は付いていないようだ。一方通行は緊張をほぐす様に両手を上にあげ、大きく伸びをした。 今日やる事、それはなんてことは無い。ただ映画を観る、それだけの事なのだが一緒に行く相手が問題だ。 あの日、吹き飛んだ当麻の救出とテーブルや椅子の片付けが終わった後、自分の席に戻るといつの間にか佐天からの返信メールが届いていて、恐る恐るメールを開くと可愛い絵文字やデコメでいっぱいの、いかにも女の子が書きましたと言うような雰囲気で『行きます』と言う主旨の内容が書かれてあった。自分はもう佐天にとって用無しだと思っていた一方通行にとってはすこぶる意外だったが、とにかくメールの返信をするために、聖人のにも、囚人にも見える店長に傷の手当てをして貰っている当麻にまた代理で返信させた。自分で返信しても良かったのだがそれだとあまりにもテンションが違いすぎるし、暫定的に顔文字いっぱいオチャメ通行で乗り越えることにしたのだ。 かくして今日は佐天と『ワンニャン物語』を観る事になったのだが、今回は美琴も当麻もおらず、正真正銘二人きりなのだ。当麻にはただ一緒に遊ぶだけだろと、軽くあしらわれたが一方通行としてはそんなに綺麗には割り切れない。女の子と二人で遊ぶと言う事はそれはやっぱりどう考えたってデートなのだ。 ベンチの上に放り出していた小さ目のボストンバッグを引き寄せる。柄は今日の洋服と合わせて白を基調に、竜の爪の様な黒いデザインがバッグの下から上へ施してある。そんなシマウマカラーのバッグを開いて、中から封筒に入れた今日の試写会のチケットを取り出す。一昨日から何度も確認しているが、最後にもう一度再確認。日付けは今日で、開場時間は一二時、開演は一三時からだ。口の中で小さく「よしっ」と呟いてチケットをしまう。準備は万端、あとは佐天が来るのを待つだけだ。 佐天とは一昨日のメール以来連絡をとっていない。それだって実は当麻が代わりにやっていたから本当の意味で佐天と絡むのは実に一週間ぶりだ。そう考えると何故だか心拍数が上がってくる。 自分でもよく分からない感情を押さえるように一方通行は大きく息を吸った。「わぁ!!」「だァァアアアァ!!?」 吸った瞬間、後ろから両手で肩を思いっきり叩かれる。突然の出来事に、一方通行はベンチからずり落ちた。「あははっ」 こっちは大変な事になってるのに何を笑っているのか。一方通行が睨むように顔をあげると、そこには一週間ぶりのヒマワリの様な笑顔があった。「お久しぶりです、一方通行さん」「お、おゥ……」 怒りは急速に下がり、代わりに恥ずかしさが込み上げてくる。セカンドコンタクトでまさかこんな情けない姿をさらす事になるなんて思っていなかった。尻に着いた土を払いながら一方通行は立ち上がる。「随分な挨拶じゃねェか」 恥ずかしさを隠すように、努めて冷静に、いつも通りに。「一週間ぶりだったんでテンション上がっちゃいました」 へへっと笑う佐天の顔を見ると、なんとも言えない感情がわき上がる。一方通行が自分自身で理解できずに持て余している感情は、世間一般で言うところの『愛らしい』とか『可愛い』と言ったものだが、一方通行が一方通行なだけにその感情の答えが出る事は無く、処理しきれない感覚が血流に乗って胸の奥からじわじわと体中にめぐる。「でも驚きでしたよ」 日もちょうど真上まで昇り暖かくなってきたのだろう。佐天が大きめのチェック柄をあしらった長袖のシャツの袖を捲り、ついでにボタンも一つ開けた。「なにがだよ?」「一方通行さんのメール、すごいカワイイんですもん」 ブハッと一方通行は吹き出した。全部アイツのせいだと、脳内にツンツン頭の少年の顔を浮かべる。そう、今佐天と一緒にいるのも今日一緒に映画を観るのも当麻のせい(おかげ)なのだ。一方通行としてはあの日以降、もう佐天と関わる事など無いと思っていたのに、当麻が半ば無理やりにメールを送ったもんだから自分は今、無駄に緊張したり恥かいたり自分の経験からは計り知れない謎の感覚に苛まれたりするのだ。
「いや、アレはよォ……」「アレは?」 佐天が一方通行の顔を下から覗き込む。この前の時も何度かやられたが、中々慣れない。佐天は人との顔の距離が近い様な気がする。「……なンでもねェ。会場行こうぜ」 一方通行はベンチの上のボストンバックを手に取り、照れを隠すようにそっぽを向いて歩きだした。「待って下さいよぉ」と佐天が小走りで一方通行の左側に付く。雲ひとつない、世界中の何処まででも空の青が広がっていると錯覚するような快晴の下、二人は並んで公園から試写会の会場までゆっくり歩き出した。 * * *「うわー、人多いですねー」「コレ、こンなに人気あったのかよ」「席大丈夫ですかね?」「試写会だし、席も指定されてっしその心配はねェだろ」 試写会のあるビルに入ると、まだ開演三十分前だと言うのにかなりの人だかりが出来ていた。受付にはチケットを持った学生達が長蛇の列を成しており、少し離れた所にはダフ屋までいる始末だ。二人は非常階段の近くまで来ている列の最後尾にまわる。周りを見回すとそのほとんどは小学生で、あとは稀に大人。中高生は今のところ自分たち以外見られない。場違いな所に来てしまったと心の中でブツクサ言いながら、一方通行はボストンバックの中の封筒から二枚のチケットを取り出して、左側で一緒に並んでいる一枚を佐天に渡す。「ほら、なくすンじゃねェ……ぞ」「子供扱いしないでくださいよー。ってなんかすごいクシャクシャですね。もしかして封筒開けた時、当選したのが嬉しくて握りつぶしちゃった感じですか?」
佐天が冗談っぽく一方通行の顔を見上げて笑うが、一方通行はそれに返す事は出来なかった。本当なら打ち止めとのくだりを言うべきなのだろうが今はそんな場合ではない。一方通行にとって、とんでもなく緊急事態なのだ。 佐天の緩く開いた胸元から、谷間がガッツリ見えている。 いつも露出いている腕や顔とはまた異質、一方通行にとって初体験の透き通るようにきめ細かく雪のように白い、触ればどこまでも沈んでいきそうな柔らかな膨らみが視覚を支配する。佐天が斜に構えているもんだから左乳など先っぽまで見えそうだ。実際はブラジャーぐらいしているだろうし現に胸元から肩にのびる可愛らしいレース付きの淡い水色の紐も見えているのだが、それがまた一方通行の幻想を加速させる。「一方通行さん?」 佐天のその声でハッと一方通行は我に帰る。凝視していた視線を外そうと、錆びた歯車を動かすようにギギギと無理やり首を回した。 「どうしたんですか?」「なンでもねェ! なンでもねェですよォ!?」「そうですか?」「そォですゥ!! まったくもってなンにもねェですゥ!!」 全力で誤魔化す。耳がとてつもなく熱い。もしかしたら当麻に反応する美琴並みに顔が赤いかもしれない。佐天に顔を見られない様に、一方通行は左手で目を押さえる様に顔を隠した。(なァに考えてンだ俺はァ!? 友達! 佐天はただの友達だろォが!) 自らを呪うかの様に繰り返す。もしここが試写会の会場ではなく自宅の玄関前ならいつかのように鉄製の手すりに額をガンガンぶつけていただろう。 「あっ前に動くみたいですよ」 佐天のソレが合図だったかのように列がズルズルとゆっくり前に動きだす。無表情のまま頭の中では悶々としていた一方通行もそれにならって歩みを進めた。 一度動きだすと、列はほとんど止まる事もなく前に進み、気付けば二人がチケットを見せる番となった。
係員にチケットを見せて会場に入ると、中は映画館の様に後ろに向かってだんだんと席の位置が高くなる作りになっていた。そもそもは学会などが開かれる場所だが試写会には打って付けの場所だろう。「13のDとE……」「あ、ラッキーですね。ベストポジションですよ」 打ち止めのクジ運が良かったのか、二人の席はちょうど会場のど真ん中、一番映画を見やすい場所だ。「お菓子とか売ってないですかね?」「自販機ぐらいしかなかったンじゃねェか?」「むー……映画にはポップコーンと相場は決まってるんですけどね」「試写会だしなァ」 他愛もない話をしながら二人は並んで席に腰を掛けた。適度な柔らかさが臀部に伝う。おそらくこんな椅子一つとっても最先端の技術が使われているのだろう、これなら長時間座っていても疲れそうにない。「ちょっと早いですけど……」 佐天が一つ前置きを入れる。一方通行はなんとなく佐天の方に身体を捩った。「今日は誘ってもらってありがとうございます」「いや、こっちも急に誘ったりして悪かったな」「そんな事ないですよ。私ずっと暇してましたし」「友達と遊び行ったりしなかったのかよ?」「女友達はみんな実家の方に帰ってますから。初春も今週は忙しかったみたいだし……」
『女友達』と言うフレーズに一方通行は少し引っかかる。普通に『友達』でいいのに一々別けると言う事は、やはりそう言う事なのか……少し迷って、一方通行は口を開いた。「男は?いねェのか?」「学校でちょっと話す様な友達はいるんですけど何と言うか、やっぱり休みの日にお誘いするのは抵抗があるというか一方通行さんじゃないとダメというか……」 周りの喧騒の間を縫って、佐天の声だけが一方通行の鼓膜を揺らす。今の言葉の真意は何なのか。『一方通行じゃないとダメ』 予期していなかった言葉に一方通行の胸が、本人の意思とは別に少し高鳴る。「お前何を……」 一方通行が思わず聞き返す。「あっ、その……まだ他の人は慣れないってことです」「あァ……そォですか」 そして玉砕。だからと言って何がどうなる訳でもないし、自分は佐天を何とも思っていないはずだし、そもそも一方通行の中で佐天とはあの日で全てが終わっていたはずで、今日が当麻によるただのイレギュラーなだけのはずなのに、何故だかショックだ。「で、でもっ」 グイッと佐天の顔が一方通行に近づく。思わず一方通行が仰け反るが、それでもまだ息がかかりそうなほど、顔は近い。「一方通行さんの事は好きですよ?」「なっ!?」「とっ、友達としてっ!」「」 ステージを覆っていたカーテンが開かれ、照明が落ちる。真っ暗闇の中で、映写機からの光を受け、スクリーンが白く光る。会場内に物語の開演を告げる、低音と高音を混ぜたブザーが鳴り響いた。
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