「それでー、これが皆で撮ったプリクラ」「うわー……近すぎじゃないですか?」 風紀委員一七七支部、そこで佐天は椅子の背もたれを抱えながら初春に携帯の画像を見せる。画像とは、美琴、当麻、一方通行、佐天でダブルデートをした日に撮ったあのプリクラだ。その時は三種類をデータとしてQRコードで携帯に送ったのだが、今初春に見せているのは一方通行渾身の出来のあの一枚だ。「そっかなー? 御坂さんと上条さんも同じ感じじゃん?」「でも御坂さんたちはお付き合いしてるんですよね?」「え? まだしてないよ? 多分」 否定はしきれない。四人で遊んだ時はそんな風では無かったけど、あの後二人でどこかに行った様だからもしかすると付き合い始めたのかもしれないし、相変わらずあの微妙な距離感なのかも知れない。「それでもあの二人はもとから仲良かったじゃないですか。佐天さんはこの日に初めてこの男の人に会ったんですよね? そう考えるとやっぱり近すぎますよー」「いやぁー、この時はもう結構仲良くなれてたしさ。上条夫妻の雰囲気にも飲まれちゃったと言うか」「んーー」 初春が可愛らしく人差し指を唇にあて、ディスプレイを凝視している。頭の花は今日も元気に咲いていた。悪戯で毟ってやろうかと佐天は手を伸ばしたが、途中で初春に気付かれて手を払い落された。スカートは捲り放題な女の子のくせに頭の方はガードが堅い。女の子としてそこはせめて逆なんじゃないかと言いたいが、言った後に初春のスカートガードが堅くなったら佐天としては面白くないので黙っておく事にした。 「なに唸ってんの?」 椅子を立って、今度は背もたれでなく初春を抱きかかえるようにして後ろに立つ。頬をプニプニと突いても初春は怒らないし、指でつまんで横に伸ばしても「ひゃめてくらはいよ」と言うだけで抵抗はしない。頬をいじった流れのまま手を頭、というか花に持って行く。 やっぱり払い落とされた。「これ、一方通行さん? に佐天さんの胸当たってませんか?」「ふぇ?」「かるーくですけど、ほらこの肘のとこが」 初春から携帯を奪い取る。今まで気付かなかったが確かに当たってるような当たってないような微妙なラインだ。だが、見れば見る程怪しい。「いやっ、でもこの時一方通行さんは何も言わなかったしっ」「密かに佐天さんのおっぱいを楽しんでたかもですよ?」「一方通行さんを変な風にゆーなっ!」 パチンと軽く初春の花……ではなく鼻にデコピンする。正確に鼻の頭を撃ち抜かれた初春は両手で鼻を押さえて涙目で「うぅ~~、冗談じゃないですか~」と唸っていた。 佐天はディスプレイを待ち受け画面まで戻すと、携帯を閉じた。胸が当たっているか当たってないか。そんな事は一刻も早く忘れたいのだが、そう思えば思うほど思考はあの時当たっていたのか当たってなかったのかで埋め尽くされる。 画像を見る限りはグレーゾーンだがあの時は当たってたなんて全く思わなかった訳だから実際当たってないとは思うが、でも今考えるとかすかに一方通行の肘が当たっていたような気もする。しかしもし当たっていたんなら一方通行の性格だったら「おィ、胸当たってンぞ」ぐらいは言ってきそうなものだし、でももしかしたら一方通行はむっつりスケベで当たってるのも承知で黙ったたのかも知れないし、でももしあの時当てったいたとしたら当てに行ったのは一方通行の肘を掴みに行った自分な自分な訳だからそう考えると一方通行は全然悪くない気がするしでもでもそれならそれなら…… 佐天が思考の沼にはまって行く中、初春はデコピンの痛みから抜け出したのか支部に備え付けてある電気ポットの前で二人分のお茶っ葉を急須に入れていた。「佐天さん緑茶でいいですよね?」「あぇ!?」 初春によって思考の泥沼から引っ張りだされた佐天が素っ頓狂な声をあげる。初春は「は?」と急須から目を離し、意味がわからないと言いたげな顔で振り返った。その時、甲高い電子音と共に風紀委員支部の入り口が開かれる。二人がそろって入口を見ると、そこにはどうしようもなく暗い顔をした白井黒子が立っていた。「今、白井さんの分のお茶も入れますね」「白井さんおはよーございます」 二人を無視して黒子は自分の席まで行くと、力なくドカッと椅子に身を沈めた。目はうつろで、口から魂が抜けてしまっている。 「ど、どうしたんですか?」「お姉様の……お姉様の様子がおかしいんですの」 ギリっと歯を食いしばりながら苦虫を噛んだような表情で黒子は答えた。「進化したんですか? ライチュウですか?」「初春黙って」 ボケを軽くスルーされた初春はふてくされたように頬を膨らました。それでも手は止めずに三人前のお茶を手際良く用意している。沸騰したお湯を急須の中に入れて軽く回す。緑茶の匂いが鼻腔をくすぐる。出来あがった緑茶をコポコポと湯呑みに入れて佐天と黒子の前に置くと次は自分の分の湯呑みに緑茶を注いだ。 そのお茶を黒子はズズッと啜り一息つく。そしてゆっくりと口を開いた。「最初にお姉様が少し変だと気付いたのは一週間ぐらい前の事でしたわ」 一週間前と言えばちょうどダブルデートをした日だ。そんな事を考えながら佐天は初春の入れたお茶を啜るが、佐天にはまだ少し熱かったようだ。舌を軽く火傷したのか少しヒリヒリとした感覚が残る。
「珍しくお姉様が門限通りに帰ってきましたの。それで私と一緒に寮の夕飯を食べていたんですけど、ずっと携帯の画面を見てはにやけ……画面を見てはにやけ、私の甘いピロー……いえ、ディナートークは完全にスルーされ続けましたわ」「それいつも通りじゃ」「初春黙って」「そうですの。これぐらいだったらいつも通りですの。でも、一度お姉様の着信音が鳴ったと思ったら、お姉様は『ヒョウッ!!』と言って動かなくなってしまったんですの」「白井さんが御坂さんの新ギャグに笑ってあげなかったからですよ」「初春黙って」「随分と長い間固まってたのでどうしたのかなー、何か変だなーと思って失礼と知りながら私、お姉様のケータイのディスプレイを覗いたんですの」「なんでいきなり淳二さんなんですか?」「初春黙って」「えっ、今のもダメですか?」「するとそこには……」 黒子の身体がガタガタと震えだす。どんな恐ろしいものが映っていたのだろうかと佐天は息をのんだ。初春は、お茶のお代わりを注ぎに行った。「あろうことかお姉様とあのクソ忌まわしき類人猿のツーショットが映っていたんですの!!それも肩がくっ付きそうなほど寄り添って仲睦まじく歩く姿でですわ!! 怖いなー、バックの夕焼けが美しいなー、綺麗な画だなーってマジふざけんじゃないですわ!!!!」 口から火を噴きそうな勢いで黒子は椅子から立ち上がって吠えた。ガルルルルと野生の獣のそうな殺気を纏っている。湯呑みに残っていた緑茶を飲み干し、初春にお代わりを要求する。すぐに出来あがったアツアツの緑茶も一気飲みして、そして熱すぎて佐天に吹いた。
「あっついですわ!! もぅイロイロあっついですわ!!!!」「熱いの私ですよっ!」 佐天が黒子の吹いたアツアツの緑茶が掛かった顔を押さえながらのた打ち回る。初春が急いで持ってきたフキンも、なぜかアツアツだった。「アッツ!! ちょっと初春!? なんでフキン熱いの!?」「そっちの方が面白いかなって思いまして」「面白くなーいっ!!」 学園都市の治安を守るはずの風紀委員の支部でドタバタ劇が繰り広げられる。佐天は初春に馬乗りになり、片手で往復ビンタをしながらもう片方の手ではスカートをバッサバッサとめくる。パンツどころか臍辺りまで露わにされている初春は「佐天さんやめて――!」と悲鳴を上げるだけだ。「それからと言うものお姉様は事あるごとにクソ類人猿を探しに学園都市中を徘徊するようになってしまわれたんですの! 上手くクソ人猿に会えた日は夜中まで私相手にノロケ話披露するんですの! 私散々お姉様が好きって言ってるのに生き地獄ですわ! 上手くクソ猿と会えなかった日は私が慰めるんですのよ!? シュンとしてるお姉様可愛いなーとも思いますけれどやっぱり納得いかないんですの!! あのクソ! お姉様を悲しませるんじゃないですの!!」 ギャーギャーと思うままに騒いでいると、支部の入口の電子ロックが解除されゆっくりとドアが開き始める。今この瞬間まで騒いでいた三人が一気に静かになりドアの先を見つめる。固法先輩にでもこの状況を見られたら確実に怒られる。部外者の佐天も含めて。そもそも部外者を普通に入れている黒子と初春はさらに怒られるだろう。 ドアが開き切ると、そこにはこの騒ぎの間接的な主役が立っていた。「みんな、おはよー。ごめんね初春。また勝手にロック解除しちゃった」 いつものノリで美琴が挨拶する。しかし誰も返事は返さなかった。代わりに三人の目線が美琴に突き刺さる。「なに、どうしたの? すごい静かだけど……」「広い意味で全部御坂さんのせいです」「へ? なんで?」 美琴が支部内を見渡す。何か液体で濡れた床、スカートを顔の位置までめくられさらに頭の上で絞るように紐で縛られまるで逆テルテル坊主の様になり、パンツと臍が丸見えのまま悶えている恐らく初春。その上で横腹を親の敵のようにくすぐる佐天。黒子はゼェゼェ息を切らしていた。「お姉様! 昔のお姉様に戻ってくださいまし!」 突然の黒子の大声に美琴は体をビクつかせた。黒子の足元では初春っぽいものが黒子から離れる様にゴロンと一回転する。そのせいで初春にマウントポジションをとっていた佐天は転がり落ちた。 「朝の挨拶かと思えば当麻! 昼の挨拶かと思えば当麻! 夜の挨拶かと思えば当麻! 私もう耐えられませんの!!」「ちょっ、黒子やめ……」 黒子が美琴の両肩をがっしり掴んで揺さぶる。おかげで美琴の頭は振り子のようにグワングワンと揺れていた。「最近では胸のサイズを気にするようになったのか怪しげなバスト増量通販グッズを買い漁ったり、バストの増量マッサージがのったファッション雑誌のみを買い漁ってお風呂で実践してみたり! そんな必死なお姉様も萌え萌えですがそれが毎日とあっては流石にキツ……」 アイアンクローの要領で美琴が黒子の頭を掴む。口元はヒクヒクと微妙に動き、いびつな笑みを浮かべている。「なぁ~んでアンタは風呂の中の事まで知ってるのかしらねぇ~~」「そ、それはもちろんお姉様にいつ何時危険が襲うか分からないのでドアの隙間から覗いてるからですの」「そぉ~、それはアリガトねぇ~。でも危険は迫って来ないから大丈夫よ、だから一生私のお風呂覗くんじゃないわよ?」
ギリギリと渾身の力を込めた美琴の指が黒子の側頭にめり込んでいく。黒子が両手で美琴の腕を引き離そうとするが指に瞬間接着剤でも付けていたのか全くビクともしない。かすれる様な声で美琴に手を離すように言ってみるが……「やめ……お姉……指……食いこ………」 言葉にならない。「そういえば、佐天さん」「はい!?」 目の前の圧倒的光景に茫然としていた佐天の声が思いがけず裏返る。美琴は佐天の方に目を向けるが決して黒子の頭からは手を離さない。美琴の腕を掴んでいた黒子の手が、重力に従うように力なく垂れる。「この前はアリガトね?」「い、いえ私の方こそ無茶言ってすみませんでした」 一応受け答えはするが、黒子が気になってしょうがない。気のせいでなければ黒子は泡を吹いている。「後、写真……送ってきてくれて……」 可愛らしく頬を薄ピンク色に染めながら手を握って口元に持っていき、恥ずかしそうに佐天から目線を反らす。もう片方の手は相変わらず黒子を締め上げているのがなんともシュールだ。「いえ、アレは私が勝手にやった事ですし……凄く綺麗だったんで思わず撮っちゃいました」「やだっ! 綺麗とか! って夕焼けがよね!! 今思いっ切り感違いしちゃったわ!」「御坂さんと上条さんも含めてですよ」「~~~~~~っ」 言っといて何だが、照れ隠しに黒子を振り回すのはどうかと思う。黒子の身体はまるで旗の様に右へ左へはためいていた。「佐天さん、あれから一方通行と連絡取ったりしてる?」 美琴が落ち着いた所でようやくアイアンクローから解放された黒子は、土下座をするような形で両側頭を押さえていた。よく見ると美琴が掴んでいた部分にはくっきりと指の跡が見てとれる。
「いやー、全然ですねぇ」 ダブルデートの日から一週間、一方通行とは会ってもないし連絡も取っていない。別れ際にメールをするとは言ったものの誘う口実も見当たらずダラダラと時間は過ぎて行ったのだ。一方通行から連絡が来るかもと淡い期待も多少持っていたが、それもない。「あんのバカは……よくもまぁ佐天さんを放っておけるわね。まーでも一方通行に佐天さんは勿体無いけど」「そ、そんな事ないですよっ。一方通行さん優しいし気が利くし……ちょっとカッコ良かったし……むしろ私には勿体無い感じですよ」 優しくて気が利いてカッコいい? 普段無駄話ぐらいしかしない美琴にはよく理解できない単語が並ぶ。優しくて気が利いてカッコいいのは当麻だろうと言いそうになったがギリギリ踏みとどまる。そんな事言ってしまった日には黒子が全力でウザくなるだろう。今でさえ若干ウザいのに。それに佐天に自分が当麻を好きな事がばれるかも知れない。たとえばれても佐天なら応援してくれるだろうが、やっぱりどこか恥ずかしさが残る。声に出してソレを言ってしまったら当麻の顔も見れなくなってしまいそうだ。「でもその一方通行さん。私はプリクラでしか見てないですけど寂しがり屋っぽい顔してませんか? 目も赤いし、多分ウサギさんですよ。今頃佐天さんに会えなくて泣いてますよ」 初春が緑茶を湯呑みに入れながら言った。今度は美琴が増えたので四人分だ。「初春マジバカ春」「あははっ、でも確かにそうかもねー。知り合った最初の方は良く暇だからってメールしてきてたし。まぁ打ち止めとか同居人が出来てからはそれも無くなったけど」 初春が四人分の湯呑みをトレイに載せて危なっかしい足取りで運ぶ。その途中、いまだ土下座でこめかみを押さえている黒子の頭の上に「熱いので気を付けてくださいね」と湯呑みを置いた。「え? 初春? これじゃ私動けませんのよ?」「佐天さん、御坂さんどうぞー」 黒子は無視して二人にも緑茶を渡し、空いている席に腰を掛ける。ちょうど佐天と美琴の間に座るような位置関係だ。
「御坂さんって前から一方通行さんと仲良しだったんですか?」 美琴と一方通行が昔頻繁にメールをしていたと聞き、佐天は少し興味がわいた。あの日の二人を見る限りでは美琴が当麻に付きっ切りだったというのもあるが、二人の関係がよく分からなかったからだ。普通に話してたし仲が悪いという訳ではないだろう。そもそも仲が悪いのであればあの日のデート要員にすらならないはずだ。「んー。別に仲良しって訳でもないわよ。ただの……まぁ会ったら話す程度の友達ね」 歯切れ悪く美琴が答える。もう少し突っ込んで聞きたい気もするがこれ以上のことは望めないだろう。 「そうなんですか」と佐天が返した後、天使が……いや、佐天が通った様に会話がなんとなく止まった。妙な沈黙に耐えられなくなったのか、初春が「ル・ミュヒョロペーゼ・アウアウ!」と摩訶不思議な呪文を唱えるが誰も反応しない。ビックリするほど滑った初春は熟れたトマトの様に真っ赤になった顔を両手で覆い隠し俯いた。「そう言えば上条さんとのデートはどうだったんですか?」 佐天が話題を変えてみる。こういう時は何か話すきっかけを作ればいいだけなのだ。「デェェェエェェトォオォォォォォォオ!?」 黒子が過剰に反応するが頭の上に熱いお茶が乗っているので顔をあげる事は出来ない。テレポートでどければいいだけの話なのだが、自分の把握し切れていなかった美琴の行動に混乱してそこまで頭が回らないようだ。「で、デートじゃないわよっ! ただ二人で遊んだだけよ」「世間じゃそう言うのはデートって言うんですよ」 初春の突っ込みにジトッと睨みつける。「私、何かおかしな事言いましたかね?」「御坂さん、何でもかんでも噛みついちゃダメですよー」 ネコか何かをなだめる様に佐天が美琴の頭をポンポンと叩く。まったくそんな事をされては年上の面子が丸つぶれだと美琴は大人しくなった。「あの服着て行きました?」「どこ行ったんですか?」 大人しくなった事を見計らうように二人は美琴を質問攻めする。お年頃なだけあってやっぱり気になるのだ。佐天もデートはしてみたがアレはダブルデートだったし、二人でのデートとは少し違うものがあると思う。それに本人から直接は聞いてないが、美琴が当麻を好きなのは見てとれる。というか分かりやす過ぎる。好きな人と一日二人っきりになるのはどんな気分なのか、ぜひとも聞いてみたい。「あの服は着て行ったわよ。アイツが見たいってゆーから……」 フムフムと何が分かったのかはよくわからないが佐天と初春がうなずく。少しずつ美琴の声が小さくなるもんだから聞き逃さないように二人の顔が美琴の顔に近づいて行く。ソレを避けるように美琴は俯いてしまったため、二人の顔がニヤけている事に気付かない。「それで待ち合わせした後はふつーに……、えっと……ボーリング行ってお昼ご飯食べて……で、その後どーしよっかってなって……」 さらに大きく佐天と初春はうなずく。顔はもうとろける様程にニヤケ切っている。初春が小声で「ホテル? ホテルなんですか?」と囁くのを佐天が頭を後ろから叩く。幸い美琴は照れを隠すので精いっぱいで聞こえていないようだ。照れは隠せていないのだが。「カラオケ……行きました……。それでおしまい」 ムハーーと二人が息を吐く。その瞬間後ろから叫び声が聞こえた。「カラオケェェエェェェェエエェ!!」 言うまでもなく黒子だ。床と強制キス状態のため声は籠っているがそれでもハッキリと聞こえる。「ダメですわお姉様! 若い殿方と密閉された個室に二人きりなんて!! そんなもんもうラブホとイコールですのよ!! ああっ!! これでもうあのクソバカ類人猿の汚い棒によってお姉様の神聖なる処女ま……」 コンクリート片を地上十メートルから叩き落としたかのような轟音が支部内に響く。黒子の頭に乗っていた湯呑みは復元など到底不可能なほどに粉々に粉砕され、床のタイルも黒子の頭を中心に波紋のようにひび割れて、ところどころコンクリートが見え隠れしている。 美琴が黒子の頭を撃ち抜いた足を上げ、「帰るっ!」とだけ言い残し顔を真っ赤にしたまま振り返る事なくドアから出て行った。 「大丈夫ですよー! 初春と私はそんな事考えてませんよー!」「そうですよ! どうせやるなら家かホテルが良いですもんね!」 二人が必死でフォローするが聞こえているのかもわからない。足元では「お姉様が……私のお姉様が……神聖なるお姉様が……」とぶっ飛んだ妄想癖の持ち主が自らの妄想によって泣いていた。
「白井さん、危ないんで動かないでくださいね」 泣いている黒子の頭に乗っている湯呑みの破片を佐天が丁寧に取り除いていく。初春もロッカーから箒とチリトリを取り出して黒子を中心に散乱した破片を掃き始めた。「痛いとことかありませんか? かなり強く踏みつけられてましたけど」「……心」「大丈夫そうですね」「あっ、足もとはまだ破片あるんで気を付けてください」 佐天は黒子の頭から湯のみの破片を全て取り除くと、黒子を後ろからはがい締めにするようにして立ち上がらせ、スカートに着いた埃や手では取りにくい細かい破片を払った。黒子の顔があった部分にはくっきりと黒子の顔が転写されている。風紀委員一七七支部の床に浮かび上がった黒子の顔。それは鬼の形相で間違って踏んでしまおうものなら容赦なく呪われそうな雰囲気を醸し出している。 今度から支部に来る時は踏まない様に注意しよう、と佐天は一人心に誓った。「白井さん、これどうしたらいいんでしょう? このままだと絶対に個法先輩に怒られますよね?」 初春が箒の柄でひび割れた床をコンコンと叩く。割れた湯呑みは黒子の私物なため、割ろうが無くそうが爆発させようが買い直せばいいだけの話なので無かった事には出来る。しかし、この床だけはどうしようもない。自分たちではどうする事も出来ないし、業者に頼むにしても基本的に支部は部外者立ち入り禁止のため色々な書類を書かないといけない。その書類は個法先輩の許可がないと作成できない。「……模様替えですの」「模様替え?」 初春が首をかしげる。模様替えをした所で何になると言うのか、ヒビが直る訳でもないだろう。「机を移動させてこれを隠すんですの。それ以外に怒られない道はありませんわ」「あっ、なるほどー」 納得したように初春はパンッと柏手を打った。確かにそれなら気付かれる事は無いかもしれない。早速キャスター付きの椅子をどかして机を運ぶ準備にかかる。「よくそんな悪知恵が働きますね」 少し呆れながらも佐天は初春の持っている机に手を掛けて手伝い始めた。机の上の荷物を下ろさずに運ぼうとするものだから結構重い。ガリガリと引きずってなんとか机を運ぶとひび割れの半分が隠れる。「次はこっちですの」という黒子の指示で二つ目の机も同じようにして運ぶと、綺麗にひび割れを隠す事が出来た。 それにしてもなんで黒子の顔には傷一つないんだろう。残りの机も不自然にならない様に並べながら佐天は思った。床にくっきり顔の跡が出来るほどの強さで頭を踏みつけられたにも関わらず黒子の顔は美しい。きめ細やかな肌には擦り傷一つ付いてないし、赤くすらなっていない。動機はアレだが、俯いて元気のない憂い顔の黒子はなかなかクルものがあった。 「佐天さんどうしたんですか? なんかボーっとしてますけど」「ん? いや、なんでもない」 黒子にときめいてました。なんて言えるわけがない。佐天は適当にごまかすも、それが初春の何かに触れたようだった。いきなり初春のテンションが上がる。「もしかして一方通行さんのこと考えてたりですか!?」「へ!?」「考えてたりだったんですね!!」 佐天は何も言ってないのに疑問は確信になったようだ。さっき恥ずかしめを受けたお返しとばかりに一気に攻め立てる。「御坂さんの話聞いて燃え上がっちゃったんですね!」「いやいや、私そんな事一言も言ってないよ?」「連絡しましょう! さっそく一方通行さんに連絡取っちゃいましょう!」「今日の初春うざい!!」 最初に運んだ机では黒子が机を運ぶのを手伝いもせずに藁と紐を取り出して何かを作っていた。傍らには釘とトンカチが置いてある。 一方通行さんは! だーかーら! セロリ!! 初春マジうぜェ!! ギャーギャー騒ぎながらも佐天と初春は手は休ませずに机を運ぶ。そして最後の机を運びきった所で突如として支部に警報音が鳴り響いた。佐天と初春は言い合いをやめ、黒子も壁に向かって藁人形に釘を打ちつけるのをやめる。 支部に鳴り響く警報音。これは学園都市内で事件が発生した事を意味する。「初春、ナビよろしくですの!! 私は現場に向かいますわ!」「わかりました!」 イヤホンとマイクを付けながら黒子が指示を出す。その顔はさっきまでのものとは違い完全に仕事の顔だ。それは初春も同じで、すでに移動させたばかりの机に座りパソコンと向き合っていた。手は高速でキーボードをタイプし、ディスプレイには次々と文字や写真が一面に詰まったウィンドウが開かれる。 「えっ? へ?」 二人のあまりの切り換えの速さに佐天は付いて行けず交互に二人を見ることしかできないでいた。「佐天さんごきげんようですの」 それだけ言い残し黒子はテレポートで一気に建物の入り口まで飛んだ。初春の見るディスプレイには街の地図が表示され、その上には赤い丸と黄色い三角形が映っている。赤い丸が事件現場で、黄色い三角形が黒子の現在位置だ。黒子が付けて出たイヤホンとマイクには小型のGPSが付いており、それで黒子の現在位置を把握できるようになっているらしい。 地図を確認しながら初春は黒子に道順を示す。パソコンのスピーカーからは黒子の声で「了解ですの」と返って来た。黄色い三角形が赤い丸へと動き出す。その動く速度から見てテレポートは使わずに走っているのだろう。テレポートを使った方が早く現場に付けるのは百も承知だが、ソレをすると電波が飛び飛びになり初春が発する正確な情報が得られないためだ。正確な情報は現場で最大の武器と成り得る。その事を知っている黒子は初春からの情報が届くまではテレポートは使わずに移動するようにしているのだ。「今回は能力者同士のケンカみたいですね。データバンクによるとLEVEL3の発火能力者と念動力者みたいです」『まったく……人騒がせな連中ですわね』「ちょっとレベルが高いですけど白井さんなら大丈夫だと思うんでさっさと捕縛しちゃってください。今のところ怪我人の報告はありませんが人通りの多い道ですので周りには十分気を付けてくださいね」『わかりまし……あ゛あ゛っ!!』 スピーカーから大音量で黒子の声が響き、思わず佐天と初春は耳を塞ぐ。「初春! 十秒……いえ、五秒だけ時間を頂きますわ!!」「へ? なにかあったんですか?」 初春の問いかけに黒子は答えない。代わりに佐天が口を開いた。「ねー初春。コレ白井さん道ずれてない?」 佐天がパソコンのディスプレイを指差す。初春が見ると、確かに黒子の現在位置を表す黄色い三角形は目標地点である赤い丸の二本前の角を曲がって移動していた。三角形が飛び飛びで表示される事から今はテレポートを使って移動しているのだろう。「白井さん!?」『死にさらせぇぇぇえぇぇぇえぇえぇ!!』 スピーカーからはドスの利いた低い怒号と人が吹き飛んで何か金属をまき散らしたかのような乱雑音が聞こえてくる。音声だけのため佐天と初春には何が起きたか解らない。解るのは黒子が何かしたという事だけだ。『目標の駆逐完了ですわ。今からケンカの方止めてきますの』「何したんですか!? 白井さん今風紀委員の腕称してるんですよ!? あんまり目立つような事は!!」
ディスプレイの三角形が一瞬消えたかと思うと、今度は丸に重なるようにして表示された。スピーカーから『ジャッジメントですの!』と黒子の声が聞こえるのでどうやら現場には到着したらしい。「あーもー、白井さん大丈夫でしょうか」「大丈夫じゃない? ほらっ男の人の悲鳴聞こえるし」 支部にガチャガチャと騒がしい戦闘音が広がる。かなり激しそうだが黒子が劣勢ではないのはよくわかる。男の悲鳴は聞こえど、黒子の悲鳴は全く聞こえず、むしろ怒りを撒き散らすかのような罵声しか聞こえない。「そっちじゃないですよー。その前のやつです……一般人に危害加えてたりしてなきゃいいんですけど」 初春がはぁ、と机に肘を立て悩ましげに溜め息をついた。能力者同士の喧嘩の鎮圧に行ったのにココまで心配されないのは黒子の実力を信用しているからか、どうでもいいのか。是非前者であって欲しいと佐天は思った。 黒子が現場に到着してから一分。すでに事件を鎮静化出来たのだろう。さっきまでの戦闘音は聞こえなくなり、代わりに黒子と誰かの話声が聞こえる。おそらく警備員への引き継ぎを行っているのだろう。「はっや……」「白井さんが行くといつもこんなもんですよ。圧倒的力で対象をねじ伏せますから」 これにて一件落着、というように初春が伸びをする。パソコンのディスプレイからは赤い丸がいつの間にか消えていた。「そう言えば、佐天さんそろそろ帰った方がいいですよ。事件がありましたしそろそろ個法先輩がココにくるかもなんで」「そうだね。怒られんのは嫌だしそろそろお暇させて……」 電子音が鳴り、支部のドアのロックが外される。噂をすればなんとやら。開いたドアの向こうには巨乳でメガネなお姉さんが立っていた。
* * *
「うん! 炊飯器使ってない割には中々美味いじゃん!」「あのなァ黄泉川、普通パン焼くのに炊飯器なンて使わねェンだよ」「このサラダに掛かってるドレッシング結構好きかもってミサカはミサカはドバッとドレッシングを追加してみる!」「バカかてめェは。そンな事したら味きつすぎて食えたもンじゃねェぞ」 午前七時。打ち止めと黄泉川がテーブルを囲み朝食を取って、一方通行は台所で昨日の夕飯で使った食器と今朝の調理で使った器具を洗っている。朝食はトーストに半熟の目玉焼き、それとキャベツを適当にちぎって盛り付け、そこにキュウリとトマトを乗せた簡単なサラダだ。黄泉川家では主婦業は一日交代のローテーションが敷かれており一昨日は黄泉川、昨日は芳川だったため今日は一方通行の日なのだ。打ち止めはこのローテーションに入っていないが毎日皆の手伝いをしてなんとなく絡んでいる。「やベェ、眠ィ……」「まだ起きたばっかりなのにだらしないよってミサカはミサカは注意してみたり」「うっせェな……こちらと芳川に合わせて朝の四時から起きてンだよ。つーか朝四時ってなンなンだよ、ほぼ夜じゃねェか」「一回寝ればよかったじゃん?」「ンな事して起きれなかったらお前仕事に遅れンだろうが。今日起こすの俺の担当なンだからよォ」 今ココにいない芳川は実験の都合とか何とかで朝五時には家を出なければならず、今日の主婦当番の一方通行はそれに合わせて朝食を作らなければいけなかったため、朝四時から起きっぱなしなのだ。
「つーか腹減ってきたな。もっかい朝飯食ってやろうか」 朝食は芳川と一緒に取ったため、朝七時の時点ですでに三時間ほど経過している。育ち盛りの男子としては小腹が空き始める頃だ。「眠かったりお腹減ってたり忙しいねってミサカはミサカは家庭的一方通行の身体を心配してみたり」「打ち止め、次家庭的と言ったら昼メシ抜いちまうぞ?」「ごちそうさまじゃん!」 黄泉川は食器をまとめて流し台に置き、ドタバタと洗面所に向かった。適当に櫛で髪を梳かしてからいつものように後ろで一つにまとめる。年頃の女性とは思えないほどの工程の少なさで身支度を整えていく。 今、黄泉川が置いた分の食器も洗い終え、流し台の周りに飛び散った水をフキンで綺麗に拭き取った後、一方通行はパッパッと手の水気を弾きタオルで拭きながら、この後は洗濯機を回して掃除をして……と頭の中で予定を組み立てる。芳川と黄泉川が食事以外のこの二つを意地でもしないため、一方通行のローテーションの時にやらなければ永遠に終わらないのだ。 ちなみに先ほど一方通行が洗っていた昨日の分の食器も、本来なら芳川がしなければならないのだが、昨晩は夕食後に芳川が死んだように眠りに着いたため仕方なく一方通行が行っていた。二人は働いているのだから仕方ないと割り切ってはいるが、それでも結構不公平なのではないかと一方通行は思う。「ごちそうさまでしたー!ってミサカはミサカは食器をガチャガチャ言わせながらあなたに渡してみる」「……洗いもン終わった瞬間に持ってきやがって……」 打ち止めから食器を受け取り再度洗い物を始める。昼食まで残していてもいいのだが、洗い物はすぐ洗うと言うルールが一方通行の中に出来ているためそうもいかない。「打ち止めー打ち止めー」 黄泉川が歯ブラシを咥え、口の周りに白い泡を付けたまま打ち止めを呼ぶ。郵便受けを覗いてきたのか左手には封筒が握られていた。「なにー? ってミサカはミサカは駆け寄ってみたり」「問題じゃん。これって何でしょーか?」 左手の封筒を親指と人差し指で挟んでヒラヒラと宙を泳がす。その顔には軽く笑みを浮かべていた。「封筒?」「そのまんまじゃん」「お前なァにゆったりしてやがるンですかァ? 人に朝から起こさせといて遅刻しましたとかになるンじゃねェぞ?」 打ち止めがピョンピョンと飛び跳ね封筒を渡すように催促する。「そこまでバカじゃ無いじゃん」と黄泉川は歯ブラシをシャコシャコと上下に動かしながら封筒を打ち止めに渡した。 打ち止めが受け取った封筒の宛名は『打ち止め様』となっている。送り主はどうやらどこかの企業名が書かれているようだ。「ミサカ宛て!? って事はまさかまさかのまさかかも! ってミサカはミサカは幸せ指数をほんのちょっとだけ上げてみたり!」 ビリビリと手で打ち止めが封を切る。ソレを見てもっと綺麗に封切れよと腹の中では突っ込みを入れるが、謎のハイテンションでウキウキしている打ち止めの水を差すのも悪い。一方通行は取りかけた鋏をそっと元の場所に戻した。 手で切ると言うか乱暴に破ったため案の定封筒は真ん中あたりまで破れてボロボロになったが、そんな事はお構いなしに打ち止めは中身を取りだした。中身は一枚のコピー用紙と二枚の長方形型のチケットの様なものだ。打ち止めがコピー用紙はそっちのけでチケットの文字が印刷されている側を凝視する。そして数秒間だけ固まり、両手を勢いよく真上に上げた。「キターーーー!! ってミサカはミサカは喜びを爆発させてみる!」「朝から一体なンなンだよ」「今日が最後の発表だったから尚更嬉しいってミサカはミサカは封筒にちゅーしてみたり!」「よかったじゃん! 何回も諦めずに手紙出してみるもんじゃん!」 黄泉川の発言で一方通行は「あァ……」と全てを理解した。打ち止めが今クルクル回りながら両手で端を持って掲げているのは、一ヶ月ほど前に打ち止めが懸賞で応募した犬と猫が主役のハートフル映画の試写会のチケットだ。あまりに熱心に応募していたし、何度も何度もへたっぴな説明をされたからよく覚えている。
「一緒に行こうねってミサカはミサカはお誘いしてみる!」「もちろんじゃん! して、その試写会の日程っていつじゃん?」 チケットにはなにも書いていなかったため恐らく打ち止めが放り投げて床に落ちてたままになっているコピー用紙に時間と場所が書かれているのだろう。一方通行が紙を拾い上げて確認すると予想通り上映場所までの簡易な地図と日程が書かれてあった。「今度の土曜だな」「ハッピーサタデー! ってミサカはミサカはガッツポーズしてみたり!」「……一方通行、もっかいお願いするじゃん」「だから今週の土曜、明後日だっての」 確認してから、黄泉川の表情が曇る。テーブルの上に置きっぱなしにしていた携帯電話を手に取ると一つ一つの動作を確認するようにゆっくりと操作をし始めた。「なにしてンだよ?」 一方通行が問いかけるも歯ブラシを咥えたまま片手を突き出し無言で『待って』のポーズ。いつも打ち止めと一緒に騒がしくしている黄泉川にはあまり見られない貴重なシーンだが、あまりいい事ではないのかもしれない。携帯電話を食い入るように覗きこんでいるため前髪が垂れ、横顔はほとんど見れないが、なんとなく困っているようなそんな表情をしている気がする。打ち止めも先程とは違う不穏な空気を察したのか、チケットが当たった喜びもどこかに消え去ったかのように黙って眉をハの字にしている。 携帯電話を閉じ、「今スケジュールを確認したんだけど……」と前置きをしてから黄泉川は打ち止めに深々と頭を下げた。後ろで一つにまとめている黒い長髪が肩を滑ってスルリと落ちる。「その日、警備員の会議があるからいけないじゃん」「えぇ――――!! ってミサカはミサカは途中から空気でなんとなくそんな気はしてたけど一縷の望みを託してた分やっぱり全力で叫んでみる!」「ホントごめんじゃん! この会議はどうしても休めないじゃん」 パンッと両手を合わせて本当に申し訳なさそうな顔をしながら再度頭を下げる。「ミ、ミサカはどうしたらいいの!? ってミサカはミサカはアタフタしてみる!!」「そうじゃん! 一方通行が一緒に行けばいいじゃん!?」「ソレ! ナイスアイデア! あなたが私を連れてって! ってミサカはミサカは腕にしがみ付きながらお願いしてみる!!」「いや、っつーかよォ。誰が連れてくとかの前に、お前この日、カエル医者ンところの定期健診の日だからそもそも行けねェンだわ。時間もモロ被りだしな」「えぇ――――!?」
まさかの衝撃的事実。昼の情報番組で組まれていた特集を見てからずっと観たいと、少しでも早く観たいと思っていた。だからさまざまな番組の映画の宣伝を兼ねたプレゼントコーナーにも応募したし、お小遣いをはたいて買った中身には全く興味のない雑誌の懸賞にも応募した。それでようやく手に入れた念願の試写会。懸賞に外れるならまだしも、手元にチケットがあるのに、懸賞に当選したのにこんな形で棒に振るなんて考えられない。打ち止めは体全体を使って一方通行の腕をブンブンと振り回し抗議する。「その日はお休みして! その後は休まず行くから! 絶対行くから!」「それはダメじゃん。落ち着いてはいるけど身体の調子もまだ少し不安定だし何かあってからじゃ遅いじゃん」「じゃあ次の日! 日曜日に行く事にすればいいよ! ってミサカはミサカは必死で提案してみる!!」「そンなもン、カエルに迷惑掛かンだろうが。今まで散々迷惑かけてンだから止めとけ」「~~~~~っ!」 我慢しきれず地団駄を踏む。あれだけ待ち望んだのに神様はなんて酷い仕打ちをするのだろうか。本当なら定期健診なんてほっぽり出して映画を観に行きたい。しかし一方通行と黄泉川の言うことだって分かる。分かるから、余計に映画に行けない事が悔しい。打ち止めの目に熱い涙がじんわり浮かんだ。それでも涙を零さないようにとギュッと唇を噛んで小さな手を握りしめる。手の中のチケットがグシャリと潰れた。 そんな打ち止めを見て二人が何も思わないはずがない。ある日大量の手紙を買ってきたと思ったら、それに黙々と下手な字で何かを書き始めた。どれだけ書くんだと聞くと全部と返ってくる。手伝おうかと言っても自分でやりたいと二人の手を取る事は無かった。少しでも手紙が目立つようにと手紙の枠を蛍光ペンで塗ったり、シールを貼ったりして工夫もした。それでも抽選に落ち続け今日が最後の発表の日。そこでようやく試写会を当てたのだ。だから出来れば行かしてやりたい。だが打ち止めの身体と映画の試写会、どっちが大切かなんて分かりきっている。未だ不安定な打ち止めの身体がどうにか安定して欲しい。黄泉川も今この場に居ない芳川も、一方通行だって顔には出さないが気持ちは同じだ。 どうか打ち止めが無事に成長していきますように……
「まァ、今回は運がなかったって諦めるンだな」「一般上映まで待てばいいじゃん?」 なんの慰めにもならないが言うしかない。とにかく定期健診には行かせなくてはいけない。身体が不安定な分、いつ何が起きても不思議ではないのだが、月に一回でもカエル顔の医者の言葉をもらえればそれで得れる安心もある。「でも……お手紙とかでお小遣い使っちゃったから映画を観るお金なんて残ってないよ……ってミサカはミサカは肩を落としてみる」 言葉にして噛みしめるのが辛い。とうとう打ち止めの目から堪えていた涙の粒が落ちる。「……」 何も言えない黄泉川の横で、一方通行は一歩前に出た。「金なら稼ぎゃァいいだろうが」 今回の事は、もうなにも出来ないが次に繋がる何かは出来る。一方通行は打ち止めの手の中でグチャグチャになっているチケットを取りあげた。「この試写会のチケットいくらなンだよ」「え?」 状況を上手く飲み込めないのか、打ち止めは零れた涙も拭かずにキョトンとした顔をした。そのやり取りを見て黄泉川は一方通行には見つからない様に軽く微笑んで打ち止めの両肩に後ろから手を置いた。「一方通行がそのチケット買ってくれるって言ってるじゃん」「えっ? えっ?」 涙を拭いてから打ち止めは上から自分を覗き込んでいる黄泉川の顔を見る。黄泉川は打ち止めに優しい笑みを向け「ほら、一億円とか言っちゃうじゃん」と背中を押した。
「現金は……今ねェから後で銀行でおろして渡す。オラ、いくらで売ってくれンだよ。ダフ屋さンよォ」「ホントに? ホントにいいのってミサカはミサカはあなたを見上げてみる」「俺が自分の意思で買うっつってンだからいいんだよ」「でもミサカがあなたに映画の事話した時はあんまり興味なさげだったってミサカはミサカは一ヶ月ぐらい前ののことを思い出してみたり……」「お前があまりにも熱心に説明するから観たくなっちまったンだよ。俺のキャラには合わねェ映画だとは思うがな」「そうなんだってミサカはミサカはちょっと嬉しくなってみる」 さっきの涙が嘘だったかのように、打ち止めに小さいタンポポの花のような笑顔が咲く。「で、売ってくれンのか? くれねェのか?」「売る! 売ります! ってミサカはミサカは宣言してみる!」 これが正しいか正しくないかと言えば、おそらく正しくは無いだろう。それでも一方通行にはこんな方法しか思いつかなかったが、これで打ち止めが笑顔になるならそれでいいと、そう思う。「あっ、でも……」 打ち止めが一方通行に振り返る。「あなた一緒に映画に行く友達いるの? ってミサカはミサカは素朴な疑問をぶつけてみる」「なンの心配してンだよ。それぐらいいるに決まってンだろ」「そうじゃん。あの携帯のプリクラの女の子でも誘えばいいじゃん」「女の子? ってミサカはミサカは彼から遠く離れた存在の名称を反復してみる」「綺麗な黒髪でー……」「ババァァあァァ!! なァあァァンでそれ知ってンですかァァァああァ!!?」 一方通行が黄泉川を黙らせようと飛びかかる。黄泉川はソレを軽く往なして一方通行のポケットから携帯電話を取り出して打ち止めに放り投げた。とあるマンションの一室で二人の笑顔の花が咲き、一人の恥ずかしい物がぶちまけられる。黄泉川の出勤時刻はとうの昔に過ぎ去っているが、黄泉川も一方通行も、今はそれを気にする事は無い。皆で楽しく笑えていれば、それだけでいいのだ。
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