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~とある高校・保健室~
結標「あらっ…秋沙、こっちのと交換してもらえないかしら?豚の脂身苦手なのよ」ヒョイ
姫神「ダメ。私ももう。豚カツを食べてしまったから交換出来ない。代わりに。サラダを」ポイッポイッ
結標「ミニトマトばっかり押し付けるのやめてもらえないかしら?ってなんなのよこのサラダの量」ムシャムシャ
姫神「わからない。キャベツの量が。ご飯より多い」モシャモシャ
18:37分。二人は午後から入り浸っている保健室にて夕食を取っていた。
二人揃って窓辺に腰掛け、夜空に揺蕩う満月を見上げながら素足を投げ出して。
その手には豚カツ・サフランピラフ・ナポリタン・夏野菜サラダの乗った長崎風トルコライスである。
姫神「煮物ばかりだって。放送室のアナウンサーが愚痴ったら。献立を仕切ってる人が怒って。今夜はこれになった。私は大阪風の方が。好きなのに」
結標「ああ…貴女確か関西出身だったかしら…その割に話し方にイントネーションとかクセがないのね(ボソボソしゃべるから関係ないのかしら)」
姫神「そう。私は京女。そして貴女は今。とても失礼な事を考えた」
結標「(ギクッ)京女って何よその新しいキャラ付け…今朝だって小倉トースト食べてたじゃない。あれ名古屋じゃないの?」
姫神「食べ物に。国境はない(キリッ」
結標「国境じゃなくて県境でしょうそれを言うなら!」
柔らかく爽やかに吹き込む夜風が二人の前髪を揺らして行く。
グラウンドでは座り込んでだべる者、未だに光の落ちないテント、ドラム缶にゴミを放り込んだ焚き火をする発火系能力者もいる。
二人は放り出した素足をプラプラ揺らしながら他愛もない話題に華を咲かせていた。
それこそ本当に、気の合う十代の女友達のように。
結標「大阪風トルコライスって…これとは全然違うの?たこ焼きとかお好み焼きが乗っているだとか?」
姫神「全然違う。まず。ライスがサフランじゃなくてチキンライス。そこに卵焼きを敷いて。豚カツを乗せて。デミグラスをかけて。出来上がり」
結標「ふーん…美味しそうね。今度作ってくれるかしら?」
姫神「………………」コクッ
その問いに、姫神は無言で首肯した。同時に思う。もっと色んなものを食べさせてあげたかった。
好き嫌いはあまりなさそうだが貧しい食生活を送る結標が、自分が消えてしまった後果たして大丈夫なのかと。
姫神「(料理を教えたり。してあげられたら良かったのに)」
年上なのにそういう事にてんで無関心で無頓着。
野菜炒めの一つも作れなくてご飯をよく抜く。
結標の華奢さは他ならぬ姫神自身が一番良く知っている。もしかすれば本人以上に。
姫神「(私がいなくなったら。きっとこの娘は泣く。けれど。淡希はもう大丈夫)」
避難所での水先案内人をする内に、色んな人達と知り合ったり話し始めたりしているのは姫神にもわかった。
我が事ながら無責任だと思わなくもない。しかし月詠小萌もいる。
吹寄制理にも結標を紹介したかった。『彼女』とは言えないから『友達』として。
姫神「(まるで。私が。お母さんみたい)」
生活力の低い年上の恋人、そう内心で姫神は苦笑する。
戦う時の凛々しい横顔が、どうすれば目も当てられないほど溶けてしまうかを姫神はもう知っているから。
しかし、そんな姫神の内心を知ってか知らずか――
結標「秋沙。ミートソースついてるわよ」ペロッ
姫神「…大胆。人に見られたらどうするの」
結標「あら?貴女の困った顔だなんてレアな物が見れるなら安いものだわ。人に見られるくらい」
姫神「…お仕置き」サワッ
結標「!?ちょっ…止めて…そこっ…秋沙ダメッ」
クスクスと意地の悪い笑みを浮かべて戯れて来る結標。当人同士にしかわからない制裁を加える姫神。
一見すると年上で動の結標、年下で静の姫神に見えるが、実際の力関係は姫神が主導権を握っている。
結標「秋沙の馬鹿ぁ…誰かに見られたらどうするのよ」クター
姫神「そんな露出の多い格好をしてるから。前から思っていた。貴女は肌を出し過ぎ」
結標「へえ…心配してくれてるの?人をこんなにしといてどの口が言うのかしら。保健室で良かったわ。絆創膏がいっぱいあって」チラッ
姫神「淡希が。つけてつけてって言うから」
結標「…欲しかったから…秋沙の…」ゴニョゴニョ
姫神「M。」
結標「五月蝿い!!」
呼び方が下の名前になって、並んで座る距離が近くなって、意地こそ張れど最後には素直に寄りかかってくる。
それが愛らしく思える。手放したくないと思えるほどに。
恐らく『私と一緒に来て』の一言で結標は姫神についてくるだろう。だが
姫神「(だから。ダメ)」
愛しいからこそ側に置きたがる結標、愛しいからこそ側から離す姫神。
愛情には様々な形がある。それは誕生日のように一人一人違い、同時に全て正しくて全て間違っているとも言えた。そこに――
御坂妹『全学連復興支援委員会よりお知らせです。本日19:00より避難所・体育館に於いて上映会を執り行います、とミサカは…あっ』
絹旗『提供は超C映画愛好家、絹旗最愛が超オススメする、超C級ラブストーリー“とある星座の偽善使い(フォックスワード)”!この春上映されたばっかりなのにもう製品化された超ガッカリ具合の――』
御坂妹『放送ジャックしないで下さい、とミサカは奪われたアナウンスマイクを取り返すべく実力行使に出ます…あっ』
フレンダ『結局、娯楽が必要な訳よ!って訳でポップコーンもコーラもないけど暇な人は見に来て欲しい訳よ!』
黒妻『ハッハッハ!オレのブースが占領されちまった!もうどうにでもなれー!』
舞夏『これ兄貴と観に行ったぞー!』
結標「…上映会?」
姫神「そうみたい」
その時、校内放送による入るアナウンス。どうやら体育館で映画の上映会をするらしい。
確かにプロジェクターは生きているし、キャパシティにも今ならゆとりがある。
結標は知らなかったが、週に二度ほどそういう事をやっているらしい。
娯楽の少ない避難所生活の一イベントと言って良いだろう。
結標「…行きましょう秋沙!」グイッ
姫神「えっ。今から?」
結標「今からに決まってるじゃない。それとも食べ過ぎで動けない?」
姫神「(イラッ)」
結標が食べ終えたトルコライスの紙皿をゴミ箱に捨て立ち上がる。姫神の手を引いて。
そこではたと姫神は思う。今夜は最後の夜になる。
なら最後くらい…二人で映画を見た思い出があっても良いではないかと。
姫神「…行こう。淡希。良い場所を。知ってる」
結標「ええ!」
デートもしたかった。ショッピングもしたかった。旅行にも行きたかった。
クリスマスや、バレンタインや、二人だけの記念日を祝ったりしたかった。
けれどもう出来ないから。もう二度と叶わないから。ならせめて――
姫神「(優しい時間を…少しだけ)」
二人の記憶が、思い出に変わる前に。
姫神「(最後は。私が終わらせる)」
その為に打った策は、もう手の中にあるから。
~避難所兼体育館・上映会~
『私と!テメエの!住んでる世界が!立ってる場所が!どれだけ違うか能天気にぬくぬく生きてるテメエが考えた事が一度でもあるのか上××麻ァァッ!』
『住んでる世界?お前は世界を見て回った事あるのかよ?立ってる場所?――周りを見ろよ!今ここに立ってるだろうが!お前も!!オレも!!!』
結標「(何でかしら…この口と性格の悪いヒロインどっかで見た気がするわ)」
姫神「(どうしてだろう。この俳優。あの人に。良く似てる)」
20:00分。姫神と結標は学生達に混じって体育館での上映会に見入っていた。
なんとか立ち見に回らず、二階部分の渡り通路の手摺り近くに座りながら。
暗がりの中、プロジェクターで踊る閃光や爆音に互いの相貌が照らされる。
結標「………………」キュッ
姫神「(甘えん坊)」
暗がりの中、結標が姫神に自分の手を重ねて握る。
皆、スクリーンに視線を向けている中とは言え大胆だなと思わなくもない。
ただの友達なら気にしなかったが、今なら少しは気になるから。
結標「(あっ…キスした。血の味がするファーストキスかあ…思えば私達の初めてって、私の…ああああああ)」
姫神「(救いの物語。私にはありえないもの)」
映画の内容そのものは、非常にありふれたストーリーだった。
裏社会で生きる年上の女性が、表の世界で生きる男子高校生と出会い恋に落ちるというシナリオ。
最後は、神がスティールメイトした悲劇のチェス盤を、そのまま力技で引っくり返すようなラストだった。
姫神は思う。自分達にこんなラスト(結末)はありえないと。
結標「…ねえ、秋沙?」
姫神「上映中は。お静かに」
結標「静かにさせてみたら?」
姫神「馬鹿」
暗闇の中、結標の手を引き暗幕の中へ引き込む。
皆、終盤に差し掛かった物語に目を奪われ誰もこちらを向いていない。
最後だから、大胆にもなれる。もう、これが最後だから。
結標「っ…キス…だけって…!」
姫神「淡希が。声を出さなければいい」
首筋の絆創膏を乱暴に剥がす。もう一度口をつける。してはいけない事を、してはならない場所で、見られてはいけない人目を盗んでする。
ひどく爛れたやり取りだと姫神は思う。もし、別れを人知れず決意しなければ、乱れた共同生活を続けていたかも知れないと。
結標「赤く…なっちゃ…うっ」
姫神「…脚を開いて。淡希」
暗闇の中で抱き合い、暗幕の内で口づける。まるで奈落の底だと姫神は韜晦する。
光の射さない、陽の当たらない、隠花植物のような自分達。
でもそれで良い。全ての花が、太陽の祝福を受けられるハズがないのだから。
結標「…っ…秋…沙…痛い…」
姫神「こういう時。貴女の服装は便利。脱がさなくて済むから」
花は咲いても実は結ばない関係。蕾のまま枯れるくらいなら、咲き乱れて散りたい。
神に摘まれるまでに、運命に踏みにじられる前に。
狂い咲きのような、一つの季節すら越える力も持たない自分達。
結標「―――ッ…!」
姫神「…暗くて。良かったね」
ハッピーエンドは、バッドエンドに向き合う事の出来ない人間の逃げ道だと姫神は思った。
ハッピーエンドを目指す力が自分達にはない。バッドエンドから逃げ回るだけ。
スタッフロールの余韻すら残らない、幕そのものが落ちる…そんな悲劇。
姫神「綺麗にして。淡希」
結標「……んっ……」
指先に這う舌が熱い。指の指紋まで舐めとるような舌使い。
指の股まで零れ落ちてくる唾液。一度落ちてしまって、付け直したクロエの香り。
忘れないでおこう。そう新たに姫神は思い直す。
姫神「いい子」
映画が終わったようで、遠くからエンディングテーマが聞こえて来る。
まばらにパイプ椅子から立つ音が耳につく。時刻は消灯時間を過ぎた21:30分。
映画の内容はあまり頭に入って来なかった。それだけが少し、残念に姫神には思えた。
~とある高校・保健室~
21:45分。二人はこの一日で根城のようにしてしまった保健室へ戻っていた。
僅かに火照りの余韻を残した結標と、表面上は平然としている姫神の二人きり。
辺りも次第に消灯時間を迎えて話し声や物音のボリュームが下がって行く。
姫神「映画。どうだった?」
結標「う~ん…キャストやロケ地にばっかりお金かけて中身はスカスカだったような気がするわ。典型的な邦画の失敗作って感じかしら」
姫神「そして。恋愛もののはずなのにアクションシーンがやたらと多かった。あと挿入歌が四本は多すぎる」
この第七学区はほとんど壊滅状態にあるため夜は明かりに乏しく、先程も見上げた蒼白い月が目映いほどであった。
窓辺から見える、第七学区を除く他の学区は戦争前と変わらぬネオンと光に包まれまるでホタルの群れのようで。
結標「けれど、ラストはまあまあで良かったんじゃないかしら?映画って最後はやっぱりハッピーエンドじゃなくっちゃ」
姫神「そう?」
結標「だって後味悪いと思わない?作り物の中でくらい、無責任なくらいのハッピーエンドがあったって良いと思わないかしら?現実なんてバッドエンドより質が悪いわ。だって終わらないんですもの」
爽やかな夜風が残り少なくなってしまった木々を揺らし青葉を散らして行く。
今日は星が見えないが、月だけが淡く妖しく輝き天上に座している。
姫神の切りそろえられた前髪を揺らし、結標も翻る二つ結びを押さえながら微笑んだ。
姫神「(綺麗)」
一種、幻想的な趣さえあった。窓際で満月を背負って、月明かりを後光のように浴びる結標淡希の立ち姿が。
普段はサバサバして見えて、ふとした瞬間目を見張るほど魅入られてしまう一瞬が結標にはあった。
これが惚れた弱みか、と姫神は内心でそうごちた。だが――
結標「私達も――そうでしょう?秋沙」
ビュウッ…という一際強い風が、二人の間を通り過ぎて行く。
姫神「…うん。そう」
ザワザワザワと木々の葉が鳴る音が響き渡る。姫神の制服のスカートを揺らして行く。
結標「ええ――そうよね」
そして結標は風に揺れる二つ結びを押さえる手を離して――
結標「こ の 嘘 つ き」
その手で、姫神の頬を張った。
~保健室・結標淡希~
思ったより、大きく渇いた音が出て自分でも内心驚く。
手加減しようとしても、湧き上がる自分の中の怒りがそれを許さなかった。
姫神「―――…!?」
結標「――謝らないわよ?」
打たれた頬を押さえる秋沙を見つめる。なるほど、そう言う顔も出来るのかと新しい発見をした気分だ。場違いにも。
結標「言ったでしょう?餌付けしようが首輪をしようが…調子に乗ったら引っ掻くって」
美味しいご飯を与えてくれても、身も心もさらわれてしまいそうな愛を与えてくれても――譲れない想いが、私にもある。
結標「言ったわよね?私を飼い慣らしたければ、ただ一緒に眠ってくれるだけで構わない…そう言ったはずよ、秋沙」
貴女が望むならどんな辱めだって甘んじて受けてあげる。
貴女が命じるなら跪いて足だって舐めてあげる。
けれどそれでも聞けない頼みが、私にもある。
結標「騙すなら、上手に嘘をついてとも言ったわよね?秋沙」
姫神「なん…。どう。して…」
信じられないって目をしてる。初めて貴女に勝てた気さえするわ。
けれど達成感も優越感も爽快感も何もない。今この胸にあるのは、どうしても許せない怒りだけ。
結標「何をコソコソ企んでいるんだか、何を自分一人で悲劇のヒロインに酔ってるんだか知らないけれど…酔い醒ましには持って来いの一発だったでしょう?秋沙」
目を見ればわかる。暗部でも何度か目にして来た目だ。
生死を問わずに腹を括った人間の目くらい見抜ける。
暗部での経験がこういう形で生きるとは思っていなかったけれど。
結標「――行くんでしょう。私を置いて。捨て猫が可哀想だと思わない?置き去りにされた野良猫が可哀相だと思わない?」
姫神「!!!!!!」
結標「私を手込めにするのは一学年差だからまだ許してあげる…けれど手玉に取ろうだなんて十年早いのよ!!」
私の叫びに、秋沙の肩と背中がビクンと震える。けれどそれを見ても愉悦も喜悦も湧いて来ない。
秋沙の言う通り私はマゾヒストなのかも知れない。
貴女を責め立てるように問い詰めても、ただ泣きたくなるばかりだ。サディストの素養は薄そうだ。
結標「口で何度言ってもわからないなら、身体にわからせてあげるわ。貴女が忌み嫌う血を流させてでも」
軍用懐中電灯を取り出す。それを突き付ける。図書室の時と違って今度は止めない。
そして今度こそ止めてみせる。全て一人で抱え込んで私から去り行く貴女を。
結標「――私の座標移動(ムーブポイント)から逃げられると思わないで!!!」
力ずくでも――止めてみせる。
~保健室・姫神秋沙~
最初に感じたのは、痛みではなく熱さ。そして痺れが後からやって来た。
そして、信じられない思いだった…淡希が私に手を上げるだなんて。
結標「どうしてバレたか教えて欲しい?わかるものなのよ。今にも消えてしまいそうな貴女の身体にすがりついていた私だからこそ」
座標移動で物をぶつけられたり、放り出された事は何度かあった。
それを掛け値なしの真っ向から、平手打ちを食らうだなんて想像だにしなかった。
結標「残念ね…悪いけれど家出は認められないわ。鎖で縛り付けてでも行かせない。貴女を監禁して家で飼ってあげるわ」
淡希を甘く見ていたと思わざるを得ない。同じ女の勘を舐めていた。
結標「しばらくはハードに愛してあげる…私の腹の虫がおさまるまで。“ごめんなさい”だなんて言わさない。“許して下さい”なんて言わせない」
淡希は怒っている。正真正銘の怒髪天。女の本当の怒りとは、マグマではなくドライアイスのような冷たい激怒であると今更ながら思い知らされる。
結標「“側にいさせて下さい”って、声が枯れるまで私の名前を呼ばせるわ。何もわからなくなって、逃げ出す気さえ起きなくなるくらい可愛がってあげる」
淡く柔らかな輝きを放つ月は既に無慈悲な夜の女王。
姫神秋沙は知らない。今の結標淡希がかつて白井黒子と初めて対峙した時と同じ目をしていると。
結標「断っておくけれど、私は正気をなくしてる訳でもなんでもないわ。当然、本気だって事もわかるわね?」
淡希が一歩前に出る。キュッと唇を結んで私は耐える。
後退る事はしない。淡希に背を向ける事はしても、逃げたくはなかったから。だって
姫神「…狂ってる」
結標「そう?人を好きになって、愛して、マトモでいられる人間なんているのかしら。それを教えてくれたのは貴女よ。秋沙」
姫神「――そう。私が。貴女を壊したから」
さっきまで雑談し、映画を見て笑っていた淡希は、私の腕の中で、手の上で、指の先で喘いでいた淡希はもういない。
淡希の目はもう戦う時と同じ目をしていた。だから私は逃げない。
結標「そうよ。今ここで、座標移動で貴女の服だけテレポートさせて欲しい?逃げられないように」
姫神「――――――」
淡希が私の手首を掴んで頬から引き剥がす。これが最後になる。
だから――私を好きにさせてあげたかった。淡希が望むように。してあげたかったけれど――
姫神「……――のクセに」
結標「…なんですって?」
姫神「聞こえなかった?なら。わかるように。言ってあげる」
――イジメられて喜ぶ。マゾのクセに――
結標「―――!!!」
姫神「してみたら。出来るのなら」
強引に抱き寄せられた。形ばかり抵抗する。
強引に口づけられた。形ばかり顔を背ける。
強引に舌を入れられた。形ばかり歯を閉じる。
強引に手を入れてきた。形ばかり身体をよじる。
強引に指を這わせて来た。形ばかり手を押さえる。
強引に首筋に噛みついて来た。形ばかり押し返す。
強引にベッドに突き飛ばされた。形ばかり小さな悲鳴を上げる。
姫神「…貴女に。出来るの?」
結標「簡単な事よ…貴女が私にしたようにしてやるの」
姫神「…貴女に。出来るの?“結標さん”」
結標「―――ッ!!!」
鼻で笑った頬を張られた。黒髪が流れてかぶさる。同じ所を二度打たれるとより痛い。
声を出さずに、呻く。静かに、仰け反る。構わない。これでいい。
貴女を傷つけたのは私だから。貴女にも私を傷つける権利がある。
貴女が私を憎むまで、そうさせてあげたかった。けれど
姫神「――ごめんなさい。淡希――」
もう時間がなかった。でもこれで良いと思った。
後ろ髪引かれて名残りを惜しむより、傷つけあって別れたい。
猫の兄弟や親子が巣立ちの時を迎えるように。
姫神「――本当に。ごめんなさい――」
カチッ、と壁掛け時計の針が22:30分を指し示す。約束の時間。
『運び屋』オリアナ=トムソンとのタイムリミット。
姫神「――ここで。お別れ――」
結標「!?貴女何を―――」
最後くらい、負けてあげたかった。貴女を、勝たせてあげたかった。ふふ、私って最後まで上から目線。
保健室全体に、見た事のない光が満ち充ちて行く。魔術の光。終わりの光。
姫神「――私。魔法使い――」
魔法使いに憧れて、それでも魔法なんて使えない私に出来る、最後の魔法。
淡希の頬に触れる、光の中で驚いた顔の淡希。涙で濡れた瞳。
姫神「――さようなら。淡希――」
最後まで。優しかった。貴女へ――
~保健室~
姫神「…もういい。入って来て」
オリアナ「………………」
22:38分。姫神秋沙は寝乱れた髪を直しながら、乱れた制服を整えながら、至極冷静な声音で入って来たオリアナを見やった。
オリアナ「んー…っと、悪いんだけど、お姉さん全部聞こえてきちゃって…ちょーっと気まずくってなかなか入ってこれなくって」
姫神「ごめんなさい。聞かせてしまって」
姫神の傍ら…そこにはオリアナの『速記原典』の中から選ばれた、意識と身体の自由を奪う魔術により眠らされた結標の姿があった。
22:30分になったら保健室に来て、その時居る自分以外の人間を傷をつけずに昏倒させて欲しいと螺旋階段の時から打ち合わせていた。
結標が感づいたのは想定外だったが、最後まで側にいるのは想定内だったから。
いつ襲撃があっても対応出来るよう…片時も側を離れようとしなかった結標の思いを逆手にとったのだ。
それを思うと、一生憎まれても仕方無いと姫神は胸を痛めた。
オリアナ「お姉さんも色々経験豊富だからそう言う偏見はないわ。ただし、この術式は一時間しか持たないから急いでね」
姫神「…女同士で。気持ち悪いと。思わないの?」
オリアナ「男でも女でも――同じ人間でしょう?お姉さんはそう思うわ」
そう微笑みながらオリアナは再び退室した。これがステイルならば狼狽えるか、無駄に煙草の本数が増えるかだろう。
そして再び取り残された姫神は――横たわる結標へと手を伸ばした。
姫神「結標さん。貴女は一生。私を恨んで。憎んで。呪ってくれて。構わないから」
シュルッ…と結標の二つ結びを縛る髪紐を抜き取る。
最後の最後まで、自分は最低の卑怯者だと心の中の自分を殴りつけながら。
姫神「だから――私を忘れて欲しい」
その髪紐を形見分けのように手にして…もう一度だけ、唇を寄せる。
姫神「さようなら――淡希――」
止め処なく零れ落ちる涙流れるままに交わした最後の口づけ。
唇が震える。頬が熱い。喉が痛い。手が戦慄く。これが本当に――最後なのだから。
姫神「――愛してる――」
その言葉を最後に――姫神秋沙は保健室から去っていった。
振り返って、駆け戻りたくなる自分を、髪紐を握り締める事で耐えながら。