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ホワイトタイルの静謐な廊下に靴音が響いている。
1人の男が廊下を進む。決して急がず、されどゆっくりでもなく。
銀の長髪が揺れる。実年齢より20は若く見られる端正な顔立ちに表情は無い。
彼の名はヴェルパール・エルドギーア。このライングラント王国の貴族…公爵である。
その彼の歩いている廊下は、彼のオフィスのあるクリスタルタワーの地下だ。
地下三階、タワーの最下層。
ここは公式の記録には存在しない事になっている階層。
ここを訪れる者は、公爵とその配下のほんの数名のみである。
そして公爵はある部屋の扉の前でその足を止めた。
「…私だ、入るぞ」
扉の内側へ向け、そう声を掛けると返答を待たずに公爵が扉を開いて部屋の中に入る。
明かりの無い闇に包まれた部屋に、廊下の明かりが射した。
「この様な場所に、主自らがおいで下さらずとも人をお寄越し下されば私から参上致しましたものを…」
暗い部屋の中央から男の声が聞こえる。
近代的な造りの廊下とは打って変わって、部屋の中はごつごつとした黒灰色の石煉瓦に覆われた中世的で無骨な造りをしていた。
家具の類は一切無く、部屋の中央にはただ1人の男が胡坐をかいて瞑想していた。
「久しいな、マニよ」
公爵が男に声を掛ける。
マニと呼ばれた男が胡坐を解く。
長身が闇の中にゆらりと立ち上がり、灰色の長髪が外光を弾いた。
褐色の肌の痩せこけた男だった。
「して、いかなる御用事でありましょうや」
落ち着いた静かな声でマニが公爵に問う。
「上へ…戻りながら話す。お前の手を借りたいのだ」
親指で上階を指し示しながらそう公爵が答えた。
そして彼らは廊下を戻る。
足音は相変わらず1人分。素足のマニはまったく足音を立てない。
「…成る程、まさかその様な事になっていようとは」
ここ暫くの公爵の配下の者たちと、その敵対者との戦闘の様子を聞かされたマニが目を閉じる。
「もっと早くにお声掛け頂いておりましたら、主のご心痛如何程か和らげてさしあげられましたものを…」
静かにそう言う部下に、公爵がフフ、と苦笑する。
「そう言うな、マニよ。まさかお前に出てもらう程の事態になるとは読めなかったのだ。私にとっては『勝負』とは、如何にお前を出さずして障害を排除できるかという事だ。その意味では連中との勝負に私は敗れたと言えるな。何せ…」
色眼鏡の奥の瞳が細められる。そこにマニの姿を映して。
「…お前が出ればそれで全ては終わってしまうのだからな」
「自分はその様に大した者ではありません」
ゆっくりと俯き気味に首を横に振るマニ。
「ですが…」
マニが目を開く。その瞳に鉄の意志が揺れる。
「主の害となる者は、身命を賭してこの拳で打ち砕いて参りましょう」
マニのその言葉に、公爵は満足そうに口元に笑みを浮かべた。
「お前に限っては万一という事もあるまいが、それでも相手はバロック兄弟を葬り去るほどの腕前。くれぐれもぬかるなよ」
「ユーディス・バロックに私が施した武術はほんのさわり、基礎の部分にございます。しかしそれでも、あれを破る事は生半な戦士ではできますまい。…あれを『夜間に破ったとなれば』…日中の私では必勝をお約束できませぬ」
自らの技…その真似事の様な物を伝えたユーディスを思い出してマニが言う。
「『眷属』としての力を最大限に発揮できる夜間にて…確実に葬り去って参りましょう」
ゆらりと全身から殺意のオーラを立ち昇らせて、公爵配下最強の刺客が宣言した。
良く晴れた昼下がり。
サーラ達の暮す屋敷では勇吹が電話の最中だった。
『…まったくさぁ、世界の果てから死ぬ思いして戻ってみれば待っててくれてる筈の相方は店閉めてどっか行っちゃってるんだもんねぇ』
受話器の向こうから恨みがましく響くハスキーボイスに、勇吹はあはは、と苦笑した。
「だからゴメンってば…ちょっとこっちも色々タイヘンでね」
『タイヘン~…?』
受話器から聞こえてくる声のトーンが下がった。
『へぇ~…あの勇吹店長サマが、お店より大事な御用事ってのは果たしてどんなもんなのかすっごい興味があるねぇ…』
声だけでジロリと自分を睨み付けているキリエッタの半眼が想像できるようである。勇吹は思わず、う、と言葉に詰まった。
「あ、あの…それは…」
『旦那だろ』
しどろもどろになる勇吹の言葉をピシャリとキリエッタが遮った。
『…そこにリューの旦那がいるんだろ! わかってるんだからね!』
「な、何言ってんのよ!! リューなんかいないってば!! あんなツルッパゲ!!!」
必死に受話器に向かってまくし立てている勇吹の背後では、居間のソファに腰掛けてコーヒーカップを手にしているリューが
「ハゲた覚えはないがな」
と、静かに呟いていた。
「…で、お店は? 開けてくれてるの?」
自らを落ち着かせるようにコホン、と1つ咳払いをして勇吹が言葉を続ける。
『まあね。チャーハンと野菜炒めとギョウザだけでどうにかやってるよ』
「何でよ。あなたにだって一通りラーメン作り教え込んであるんだから、ラーメンも出せばいいじゃない」
不思議そうに勇吹がそう言うと、受話器の向こうからははぁ、と深いため息が聞こえてきた。
『馬鹿をお言いでないよ。アンタの味を知ってる客相手にアタシの作ったラーメンなんか出せるわけないだろ?』
「考えすぎよそんなの。味が違うのが作り手の個性じゃない」
口を尖らせて言う勇吹。
今度は受話器の向こうのキリエッタが苦笑している。
『ま、アタシも湯切りで窓ガラス割れるようになったら考えるよ。…アンタも旦那を連れに行ったんなら、とっとと連れて戻っておいで』
笑いを含んだ声で言うキリエッタ。
「だ、だから違うって言ってるでしょ!!!!」
『心配しなくたって、アタシは2人の邪魔をする気サラサラないから安心おし。何なら旦那が来たらアタシは外に部屋を借りたって…』
「…ふがーッッッ!!!!!!」
バガン!!!!!!!!
「…あ」
バラバラに砕け散った電話機の前でハッと我に返る勇吹。
「ご、ごめん…後で新しいの買ってくるから…」
申し訳無さそうに小声で勇吹がリューに言う。
「キリエッタ・ナウシズか」
それには答えずにリューが勇吹に言った。電話の相手の事だろう。
勇吹がうん、と肯く。
そして勇吹はぷりぷりと怒りながら
「まったくもう、アイツがつまんない事言って私をからかうから電話機の人がお亡くなりになるのよ…」
とブツブツ呟いた。
「何と言われた?」
普段なら「そうか」と一言言われて終わりになる会話の流れだったのだが、珍しくリューは勇吹の会話の内容を聞いてきた。
ツルッパゲとか言われたので気になったのかもしれない。
「………………」
だから、普段なら「何でもない」と誤魔化してしまう所なのだが、勇吹はリューを見つめて一瞬黙り込んだ。
「その…」
真っ赤になって、そしてどこか困ったように、勇吹はリューを上目遣いで見た。
「あなたを連れて店に戻れって…」
言われたリューはいつもの無表情のまま、目を閉じて少し考え込む。
「俺がお前の店にか」
勇吹が身を硬くした。「下らん」と言下に拒否されるだろうとそう思って。
しかし続いたリューの台詞は彼女の予想を裏切った。
「それも悪くないかもしれんな」
「…え?」
ポカンと勇吹がリューの顔を見る。
「元々全て終われば、もう一度どこかの町に小さい店を出すのもいいと思っていた。お前の店で働くのでも構わん。勿論お前がそれでいいのならな」
「いいに…」
勇吹が瞳を輝かせる。
そして、突然ガバッと彼女はリューの両手を取る。
「いいに決まってるでしょ!!!! 本気よね!!!?? もう後から気が変わったとか聞かないから!!!!!」
「言った事を覆しはしない」
静かにリューが言う。
彼は口には出さなかったが、元々自分が『ユニオン』と戦おうと決めたのは勇吹の店の安全を確保したかったからだ。
それが彼女が自らリューの元へ駆けつけて来た事で彼の目的は9割方崩壊してしまっている。
勇吹を店から離しておくのはリューの本位ではない。どこへ行って戦っていても彼女が掛け付けて来てしまうのなら、それならいっそ自分が店にいて彼女を護っていた方が良いのではないか、と。
リューの発言の裏にはその様な思惑があった。
「…だが、それも公爵を倒してからの話だ」
「勿論よ。私だって戦場を途中で放棄する気はないわ」
笑顔でそう言うと、勇吹はリューの右手を取って、その小指を自分の小指に絡める。
「約束よ。これは『指きり』…私の国じゃ、約束事を交わす時にこうするの。破ったら針千本飲む事になるんだから」
「それは困る。舌や喉に障害が残れば料理に差し障る」
無表情でリューが言う。
そのいかにも彼らしい返答に勇吹がぷっと吹き出す。
そして2人は繋ぎ合わせた小指同士を優しく切った。
スタンリー女学院の放課後。
サーラが屋上のフェンスにぼーっと寄り掛かって夕暮れの空を見上げている。
屋上のそんな級友の姿を、地上からメイ達3人が見上げていた。
「まだ元気ないんだね~、サーラ」
キャロルが言うと、メイとモニカは表情を曇らせた。
サーラの消沈の理由を、3人は知っている。
それは彼女達の歳の離れた友人、カタリナ・エーベルスの死からであった。
首都に初雪の降ったあの日、カタリナ・エーベルスは命を落とした。
公式の発表ではただ「事故」というだけでその詳細が世間に明かされる事は無かった。
その「事故」に巻き込まれた数多の死者達の名の中にカタリナの名もあった。
メイ達もその件で悲しみ、落ち込みはしたものの、4人の中では一番カタリナと交流が浅かった筈のサーラの落ち込みようは他の3人より一層酷いものだった。
それでも普段は気丈にサーラは普段通りに振舞っているのだが、ともすればああやって1人の時間に佇んでいる所をメイ達は何度か目撃している。
そして、そのメイ達とは別の場所から同じ様にサーラを見上げている人影があった。
白衣姿の女性。学院の養護教諭、織原キョウコ。
彼女の赤い瞳が屋上のサーラを捉えている。
「…この程度で潰れて貰っては困るのだけどね」
誰に言うでもなく、呟きは風に乗って消えていく。
「そんな柔な少女には見えないな。協会の天河悠陽の秘蔵っ子。ここから這い上がってくるだろう」
声はキョウコの斜め後ろ、校庭の立ち木の陰から聞こえた。
キョウコがゆっくりと振り返る。
木の幹に背を預けて、キョウコに背面を向ける形で男が佇んでいる。
身に纏ったロングコートは洋装だが、その下には濃紺の着物に黒袴。
東洋人らしき黒髪の男は、ただ「静」の雰囲気を纏ってその場に佇む。
「ご苦労様、日下部君。…公爵側に何か動きがあった?」
微笑んだキョウコが、黒髪の男…日下部宗一郎に尋ねた。
「マニに声が掛かったようだ」
「………」
口元の笑みはそのままに、しかしキョウコの瞳が僅かに細められた。
「そう…彼らにとっては正念場ね」
「勝敗はわかりきっている」
表情無くそう言うと、宗一郎は腕を組んだ。
「日中で五分。夜間であれば確実にマニはリューを殺(と)る。クリストファー・リューはハイドラにいた頃に比べて格段に腕を上げた。しかしその力量、いまだマニに及ぶものではない」
「あらあら…それは困ったわ」
肩を竦めて苦笑するキョウコ。
そのキョウコを肩越しに宗一郎は振り返る。
夜の色をした瞳が、キョウコの姿を映す。
「…何?」
小首を傾げてキョウコが問う。
「嘘はよくないと思ってな。…キリコがこの程度の事で『困る』とは到底思えん」
そう言うと初めて宗一郎は口元に薄く笑みを浮かべた。
「その為のあの娘だろう。敷島勇吹…リューが死んだ時の為にキリコは彼女にその役割を引き継がせるつもりでいるのだろう? 事実、彼女は既にリューの持つ『感視域』を継承している」
再度苦笑したキョウコが、ふう、と大きく息を吐いた。
「察しが良すぎるの、可愛げがないわよ。日下部君」
「これは失礼した。長く付き人をしているのでな。大体キリコの考えている事はわかる」
まったく悪びれずにさらっと宗一郎はそう言い放った。
「兎に角、鷲塚君にも良く言っておいて。マニとは戦わない事。彼の強さは下手な円卓を凌ぐわ」
「その言い方ではガモンが傷付くな。…まあ上手い言い回しを考えておく事にしよう」
フッと笑うと、まるで風景に溶けていくかの様に宗一郎の姿が消えた。
実際に消失しているわけではない。まるで消えたかと錯覚するほどの完全な陰形のなせる業である。
「さてと…」
キョウコが夕焼け空を見上げる。
「事態がそこまで進んでいるのなら、そろそろ一度会っておいた方がいいでしょうね。…一目で好きなラーメンを当てられたあの時以来かしら」
キョウコが微笑む。
その髪を冷たい初冬の風が撫でていった。
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