第6話 砂塵の中の少年-8

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戦闘は終わった。 これほどまでに皇宮が血と死に塗れた事は千年を超える皇国の歴史でも他に例を見ない事であった。 皇宮内部の医務室はとうの昔に許容量を超え、広間や食堂に敷布が敷かれて臨時の医療施設となる。 今だ叫び声と、苦悶の呻きの絶えない皇宮。 駆ける担架。走る治療術師や医師。 その怒号と喧騒の最中を、テラスより柵に上体を預けてメリルが見下ろしていた。 灰色に濁って冷たい光を放つ瞳で。 「…下らん。死に趣が無い」 無感情な呟きがその口から漏れる。 「下衆は死に様まで下衆だという事か。皇国もこの数百年で何も善き方向へは進んでおらんな。…いずれ、我が完全に自由を取り戻した暁には大幅に間引かねばなるまい…」 メリルは嗤った。口元を邪悪に歪ませて。 「今暫し待て…有象無象の塵芥ども。無にして無限の名を持つ我の目覚めを」 誰の耳にも届く事のないその呟きが風に乗って消えるのと同時に、メリルの瞳に光が戻った。 ハッとして周囲を見回す。 青ざめた表情…その奥歯はこの蒸し暑い夜気の中にカチカチと鳴っていた。 「ああ…」 ぼろぼろとその瞳から大粒の涙が零れる。 しゃがみ込んで自らの両肩を抱くメリル。 「…助けて…お兄様…助けて…カイリ…」 絶望の呻きがメリルの口から漏れた。 だが、それは無理なのだとメリルは知っている。 言葉でも、筆記でも、身振りでも…それを告げようとした時だけメリルはその事実を忘却してしまうのだから。 一夜が明けて、アレイオンの屋敷でエリス達は昼食の席に着いていた。 主は今だ、絶対安静の状態である。 しかし一先ず命に別状はないとの事で、一同は胸を撫で下ろしていた。 それもあってまだとても全員食事を楽しむような心地ではなく、給仕たちもそのあたりを弁えているのか、献立は質素で軽いものばかりだった。 「…じゃあ、そのクバード将軍は、神皇様の為にあんな事をしたって言うんですか…?」 食後のハーブティーを一口啜って、エリスが尋ねた。 その視線の先にいるのはスレイダーだ。 「今となっちゃ、もうそれ確認できなくなっちゃったけどね」 スレイダーが哀しげに微笑んだ。 「オジさんはそうじゃないかと思ったね。…彼は、それが一番効果的だと知っていながら決行の日を婚礼の儀の当日にしなかった。そして下層に溢れた人々を利用する事もしなかった。みすみす婚礼の前で警備が厳重になってる皇宮へ突っ込んできたんだ。それで思ったのさ…『ああ、彼は失敗して死ぬつもりだ』とね」 椅子の背もたれに身を預けて、足を組むスレイダー。 「悪鬼となる覚悟を決めつつも、徹しきれなかったんだろうねぇ」 「でも…いくら王様のためだからって…」 視線を伏せてエリスが表情を曇らせる。 そんなエリスにスレイダーは優しい視線を送った。 「勿論、どんな立派で高潔な理由があったってね、彼のした事は許される事じゃないよ。お嬢ちゃんを4年間も閉じ込めて、多くの破壊と殺戮に加担した…勿論彼自身その罪の深さはよくわかっていただろう。初めにそうしようと決めたときから、彼はもうずっと死人だったんだと思うね」 教団と手を組むと決めた時点で、もうクバードは死を予定に入れていたのだろうとスレイダーは予測する。 「ほんと、バカの中のバカよね」 あっさりと言って、メロンソーダのストローに口を付けるベル。 「…死なれたら、もう仕返しにブン殴ってやる事もできないわ」 そして、そう言って寂しげに笑った。 「そこまでやったのに…無駄…だったのかしら」 エリスが哀しげに呟いた。 その後、神皇が気力を取り戻したという話は無い。 「それはまだわかんないよ」 そう言ってスレイダーは視線を遠く空へと送る。 「数学みたいにね、公式をはめ込んだからすぐに解が出るってわけにはいかないさ。王様の中には何かが残ったのかもしれないし、残らなかったのかもしれない。もっと時間が経ってみないとね」 「結婚式はどうなっちゃうんでしょうねぇ…?」 カルタスが不安そうに言う。 「幸い延期にしなくて済みそうっていう話よ。もう数ヶ月伸びちゃってたんだし、今度こそキッチリやって欲しいところね」 空になったグラスの氷を、カチャカチャとベルがストローで突いた。 同時刻、メリルはバルカンの屋敷にいた。 書庫を借り、古文書を広げて熱心に眺めている。 「もうすぐ婚礼だというのに、姫様は勉強熱心ですな」 机で真剣に書物に見入っているメリルにバルカンが微笑んだ。 「ごめんなさい…私も復旧を手伝いたいのだけど、どこへ行っても何もやらせてもらえなくて」 皇族の手を借りるなど畏れ多い、と皆にやんわりと協力を断られてきたメリルだった。 「そのお気持ちだけで十分でございましょう。…そのあたりの打ち合わせでワシは皇宮へ行かねばなりませんが、姫様はご自由にされてくだされ。後ほど何か口にするものをお届けするように屋敷の者に申し付けておきましょう」 「ありがとう…バルカン、ちょっと聞きたいのだけど…」 メリルが顔を上げて、広げていたページをバルカンに示す。 「この…『魂の炉』についてなのだけど」 ほう、とバルカンがそのページを見て少し意外そうな表情を浮かべた。 「これはまた随分と物騒なものにご興味がおありなのですな。『魂の炉』とは古代の処刑の為の施設ですぞ」 「ここに記載のある、魂の炉に燃える『根源の炎』…この炎は肉体のみならず魂まで焼き尽くすとあるのだけど、これは本当なの?」 メリルに問われ、バルカンが重々しく肯いた。 「如何にもその通り。『根源の炎』は元々は我ら人間ではなく、より高位の存在を確実に焼殺する為のもの。肉体のみならず霊魂も完全に焼却してしまう半物質界半精神界に属する炎でございますぞ」 そしてバルカンはメリルの手から書物を受け取ると、何枚か前のページをめくった。 「それだけの炎である為、皇家はその存在を厳重に封印して管理して参りました。…それがこの図であります」 開いたページをバルカンが見せる。 そこには、底に炎が燃えている縦に長い穴の画が描かれていた。 竪穴は途中を11の蓋の様なもので閉ざされている。 「『根源の炎』へ通じる穴は11枚のハッチ状の岩扉で封印されておりまする。封印は神竜パーラムの御力を借りて皇家の方々のご先祖様が施したもの。その開封の方法は神皇様しか知りませぬ」 「お父様しか…」 メリルが呟く。 そして、本を閉じるとメリルは微笑んだ。 「有難う。勉強になるわ」 「はっはっは、その様な物騒なものを学ばずとも、皇国にはもっと善き遺産が沢山御座いますぞ。今度時間のある時にそのあたりの書物をご案内しましょう」 笑って一礼すると、バルカンは書庫を出て行った。 皇宮の玉座の間。 今日も神皇ユーミルはその座にある。 虚ろな瞳で、前方の空間を見つめている。 言葉も無く、動作もなく…一日の大半をそうして過ごすのがここ数年の神皇の日課であった。 しかし、今日は違った。 「…カーラ…」 掠れる声がその名を呼ぶ。 無人の玉座の間にその声が消えていく。 「側に控えている」 ふいに、神皇以外無人と思われた玉座の間に凛とした女性の声が響き渡った。 玉座の斜め後ろより、静かに顔の半分を仮面で覆った黒髪の女性が出てくる。 皇国の誇る神護天将…その最強を謳われる『黒の将』カーラ・キリウス。 「御声が掛かるのは数年ぶりか。どうした、ユーミ…皇よ」 「カーラ…仮面を…」 僅かに震える声で、神皇がカーラに言う。 「……………」 その視線を受けて、暫し無言でカーラが神皇を見つめた。 「仮面を、外せばよいのか…?」 やがて、そう言葉を発するとカーラは両手を仮面に掛ける。 「…いや…待て…」 そのカーラを神皇が制止した。 「よい…下がれ…カーラ」 「……………」 無言で一礼すると、フッとカーラの姿は消えた。 1人残された神皇が、玉座で両手でその顔を覆う。 「…余は…余は…」 苦悶の呟きが、その両手の隙間から漏れて消えていった。 食後の一時を寛いでいた一同の元へ、皇宮からの使いがやって来た。 敬礼して畏まった伝令が表情を輝かせて言う。 「ご、ご報告申し上げます…!! フェルテナージュ将軍閣下と治癒術師様方のご尽力により、宰相様一命を取り留められた模様で御座います!!!」 「……………」 言われて、一同は「は?」という顔をしている。 カルタスに至っては読んでいるラクロスのルールブックから顔を上げようともしない。 「あのヘンタイ親父、死にかけてたの?」 「…え、ええ…瀕死の状態で…」 ベルが問うと、伝令が顔を引き攣らせて答えた。 「…ベルの花瓶で?」 エリスがベルの顔を見て眉を顰める。 「あれ、おかしいわね…いつもならあれ位ならあっさり復活してくるんだけどね」 どうでもよさそうにベルが言った。 するとそこで、ああ、とスレイダーが椅子から立ち上がった。 「皇宮の方が落ち着いたらいいんで、ドクター関係ちょっと1人こっち来てもらえませんかね? うちのカイリが何か大変で…」 困った顔で言って頬を指先で掻くスレイダーに、エリスが訝しげな顔を向けた。 「まだ…目を覚まさないんですか?」 「いや、それがさ…何度か目を覚ましてはいるんだけど、何かよっぽどショックな事があったらしくて、目を覚ましては失禁して失神してを断続的に何度も繰り返してるんだよね」 お手上げという風に肩を竦めるスレイダー。 「…それは…確かにお医者様に見せた方がいいですね…」 何とも言えない表情でエリスがそう呟いたのだった。 [[第6話 7>第6話 砂塵の中の少年-7]]← →[[第7話 1>第7話 冬の残響(前編)-1]] ----

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