『三國地誌』巻之六十八 伊賀国 山田郡 郷名


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三國地誌巻之五十七
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○伊陽 藤堂元甫 編集
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○東京 川井景一 増訂

○伊賀國
○○建置沿革
旧事本紀曰,以天日鷺命為伊勢國造,即伊賀、伊勢國造祖。
○伊賀國造,志賀高穴穂朝御世皇子意知別命三世孫武伊賀別命定賜國造,難波朝御世隷伊勢國,飛鳥朝代割置如故。
○按○成務御宇武伊賀別命ヲ以伊賀國造ト定メタマフモノハ全國ノ任ニアラス大和葛城ノ國造駿河蘆原ノ國造ニ同シ一郡ニツイテ定ムルモノナリ

『三国地誌』巻之五十七
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○伊陽(伊賀の雅称) 藤堂元甫 編集
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○東京 川井景一 増訂

○伊賀國
○○建置沿革
『旧事本紀』に言うところ、天日鷺命を伊勢國造とし、すなわち伊賀、伊勢の國造の祖先である。
○伊賀國造は、志賀高穴穂朝(成務天皇)の時代の皇子意知別命の三世の孫の武伊賀別命が國造を定賜され、難波朝(孝徳天皇)の時代は伊勢國に隷属し、飛鳥朝(天武天皇)の時代は割置してもとのように伊賀國造を置いた。
○考えるに○成務天皇の時代、武伊賀別命を伊賀国造に定賜したものは一國全体を委任したのでは無い。大和葛城の国造、駿河蘆原の国造と同じで一郡について定めたものである。

阿直敬
続日本紀曰,元明天皇和銅五年九月,伊賀國國司阿直敬.
○按和銅ヨリ天平勝宝三年ニ至ル凡四拾年任限闕如シテ詳ナルヲシラス姑ク史録ニアラハルヽモノヲ概挙ス下皆傚之
陽候璽
続日本紀曰,廃帝天平宝字三年秋七月丁卯,外従五位下陽候史璽為伊賀守。
○按ニ宝字三年ヨリ八年ニ至ル其間六年
久米子虫
続日本紀曰,廃帝天平宝字八年冬十月己丑,以従五位下久米朝臣子虫為伊賀守.
○按宝字ヨリ景雲三年ニ至ル其間十二年

阿直敬
『続日本紀』に言うところ、元明天皇の和銅五年(712)九月、伊賀國の國司は阿直敬。
○考えるに和銅から天平勝宝三年(751)に至るまでおよそ四十年、国司の任官期限は欠如して詳しくは分からない。とりあえず史録に出てくるものを概挙する。
陽候璽
『続日本紀』に言うところ、廃帝(淳任天皇)の天平宝字三年(759)秋七月丁卯(二十六日?)、外従五位下陽候史璽が伊賀守になった。
○考えるに、宝字三年(759)から八年(764年)に至るまでの間は六年。
久米子虫
『続日本紀』に言うところ、廃帝(淳任天皇)の天平宝字八年(764)冬十月己丑、従五位下久米朝臣子虫を伊賀守にした。
○考えるに宝字から景雲三年(769)に至るまでの間は十二年。

葛井河守
続日本紀曰,称徳天皇神護景雲元年八月戊子,外従五位下葛井連河守為伊賀守。○按景雲元年ヨリ三年ニ至ル其間三年。
伊勢子老
続日本紀曰,称徳天皇神護景雲三年六月乙巳,外従五位下伊勢朝臣子老為伊賀守。
○按景雲三年ヨリ宝亀五年ニ至ル其間六年。
長尾金村
続日本紀曰,光仁天皇宝亀五年三月乙巳,以外従五位下長尾忌寸金村為伊賀守。
○按五年ヨリ九年ニ至ル其間五年。

葛井河守
『続日本紀』に言うところ、称徳天皇の神護景雲元年八月戊子、外従五位下葛井連河守が伊賀守になった。
○考えるに景雲元年から三年に至るまでの間は三年。
伊勢子老
『続日本紀』に言うところ、称徳天皇の神護景雲三年六月乙巳、外従五位下伊勢朝臣子老が伊賀守になった。
○考えるに景雲三年から宝亀五年に至るまでの間は六年。
長尾金村
『続日本紀』に言うところ、光仁天皇の宝亀五年三月乙巳,外従五位下長尾忌寸金村を伊賀守にした。
○考えるに五年から九年に至るまでの間は五年。



三國地誌巻之六十八
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○伊陽 藤堂元甫 編集
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○東京 川井景一 増訂
○伊賀國 山田郡
○○郷名
中村
○按千戸、真泥、畑、甲野、鳳凰寺、平田、出後、炊、富岡、中村,是ヲ呼テ今中村郷ト云,古千戸、真泥、畑,是ヲ河原郷ト云。
阿波一作淡准后伊賀記作粟郷
惣國風土記曰,山田郡阿波郷公穀六百七十二束,三毛田,仮粟四百七十二丸,貢松、桧、橘、柚、樟、柏、熊、猪、茗、猿、狸、狼、狐、兎、鸛、鶴、雉、鳩、茯苓、松油、栗、榧、蕨、葛等。
○按上阿波、猿野、富永、下阿波、川北、広瀬,是ヲ呼テ阿波郷ト云。

『三國地誌』巻之六十八
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○伊陽(伊賀の雅称) 藤堂元甫 編集
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○東京 川井景一 増訂
○伊賀國 山田郡
○○郷名
中村
○考えるに千戸、真泥、畑、甲野、鳳凰寺、平田、出後、炊、富岡、中村、これらを呼んで今中村郷と言っている。古くは千戸、真泥、畑、これらを河原郷と言った。
阿波一説に阿波は淡と表記し、『准后伊賀記』は粟郷と表記する
『惣国風土記』に言うところ、山田郡阿波郷は公穀六百七十二束、三毛作をし、仮粟四百七十二丸、松、桧、橘、柚、樟、柏、熊、猪、茗、猿、狸、狼、狐、兎、鸛(こうのとり)、鶴、雉、鳩、茯苓、松油、栗、榧(かや)、蕨(わらび)、葛等を貢納している。
○考えるに阿波、猿野、富永、下阿波、川北、広瀬、これらを呼んで阿波郷と言っている。

馬野
惣國風土記曰山田郡馬野郷公穀六百八十二速仮粟五百七十二丸三毛田貢松脂橘柚又貢雉鳩有牧馬駿馬之牧也
○按奥馬野中馬野坂下是ヲ呼テ馬野郷ト云
喰代
○按喰代鷹山蓮池是ヲ呼テ喰代郷ト云
友生
○按上友生界下中友生下友生是ヲ呼テ友生郷ト云
已上五郷今存在スル所也

馬野
惣國風土記に曰く、「山田郡馬野郷は公穀六百八十二束。仮粟五百七十二丸。三毛作。松脂、橘、柚を貢納する。また雉、鳩を貢納する。牧馬の牧場が有って駿馬の牧である。」
○考えるに奥馬野、中馬野、坂下、これらを呼んで馬野郷と言っている。
喰代
○考えるに喰代、鷹山、蓮池、これらを呼んで喰代郷と言っている。
友生
○考えるに上友生、界下、中友生、下友生、これらを呼んで友生郷と言っている。
以上の五郷は今も存在している。

川原今廃
延長風土記曰山田郡川原郷土地痩亡有旱水之患也時々出橘柑民家所用也
惣國風土記曰山田郡川原郷公穀四百七十二束仮粟三百五十丸貢鮎鰻鴨鷺等
○按今畑村ニ川原出ノ字アリ此地山田川ノホトリニテ水難ノ地ナレバ此名アルニヤ
竹原今廃
延長風土記曰山田郡竹原郷土地富饒而脩竹多焉亦民家所用也在郡以下虫喰
惣國風土記曰山田郡竹原郷公穀三百七十二束无仮粟以横税為仮粟貢桑麻
○按今廃シテ鳳凰寺村ニ存ス
已上三郷和妙抄出ル所也

川原今廃
延長風土記に曰く、「山田郡川原郷は土地痩亡にして、旱水の患が有るのである。時々橘柑を出し民家の用いる所となるのである。」
惣國風土記に曰く、「山田郡川原郷は公穀四百七十二束。仮粟三百五十丸。鮎、鰻、鴨、鷺などを貢納する。」
○考えるに今畑村に川原出の地名がある。この地は山田川のほとりで水難の地であるからこの地名があるのだろうか。
竹原今廃
延長風土記に曰く、「山田郡竹原郷は土地富饒にして、脩竹が多い。焉亦民家所用也在郡以下虫喰
惣國風土記に曰く、「山田郡竹原郷は公穀三百七十二束。仮粟はない。横税をもって仮粟とする。桑、麻を貢納する。」
○考えるに今廃して鳳凰寺村に存在していた。
以上三郷は和妙抄に出ている。

阿野今廃
延長風土記曰山田郡阿野郷土地富饒而民用多在郡之西有神曰並日明神大足彦忍代別御宇奉崇也又曰西限阿野
○按阿野ハ今上野ノ東南字野畠ノ地ナリ古ハ郡ノ西界ニシテ今阿拝郡ニ属ス
鳥合今廃
延長風土記曰山田郡鳥合郷在郡之東北土地廃亡焉民用少也
玉井今廃
延長風土記曰山田郡玉井郷在郡之東北土地富饒而民用多也
○按今平田町ニ玉井ノ名アリ
今廃
延長風土記曰山田郡郡郷土地富饒而民用多也亦多出薬草在郡之西
川向今廃
延長風土記曰山田郡川向郷在郡之東北多出薬草亦民所用也
○按平田ヨリ出後ヲ呼テ川向ト云

阿野今廃
延長風土記に曰く、「山田郡阿野郷は土地富饒にして、民用資源は多く、郡の西に位置している。神がいて並日明神という。大足彦忍代別の御宇に崇めたのである。又西の境を阿野と言う
○考えるに阿野は今の上野の東南、地名野畠の地である。古は郡の西の界にして今は阿拝郡に属している。
鳥合今廃
延長風土記に曰く、「山田郡鳥合郷は郡の東北に在る。土地は廃亡している。民用資源は少ないのである。」
玉井今廃
延長風土記に曰く、「山田郡玉井郷は郡の東北に在る。土地富饒にして民用資源は多いのである。」
○按今平田町ニ玉井ノ名アリ
今廃
延長風土記に曰く、「山田郡郡郷は土地富饒にして民用資源は多いのである。また多く薬草を出す。郡の西に在る。」
川向今廃
延長風土記に曰く、「山田郡川向郷は郡の東に在る。北は多く薬草を出し、また民衆の用いる所である。」
○平田より出後を呼んで川向と言う。



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○:空白
イタリック文字:注釈
A山○B山>いずれも某村:A山からB山までは某村の山。
●:同じ山の異称か、異なる山のなまえ。野、谷、川、遺跡名も以下同。

三國地誌巻之八十
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○伊陽 藤堂元甫 編集
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○東京 川井景一 増訂

○伊賀國○名張郡
○○山川
鷹塚山 大野山並蔵持村
○按比奈知ヨリ小波田村ヘノ道路アリ
西山南出村
○按簗瀬平尾北出南出共ニ領ス大和ノ國界ナリ
東光山北出村
○按簗瀬四邑春日祭祀ノ日此山ニ入テ箸木ヲ伐ル

『三國地誌』巻之八十
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○伊陽(伊賀の雅称) 藤堂元甫 編集
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○東京 川井景一 増訂

○伊賀國○名張郡
○○山川
鷹塚山 大野山>いずれも蔵持村
○考えるに比奈知より小波田村への道路がある。
西山南出村
○考えるに簗瀬、平尾、北出、南出が共に所有する。大和の國との境界である。
東光山北出村
○考えるに簗瀬の四邑(簗瀬、平尾、北出、南出の四地域)は、春日(宇流冨志禰神社)祭祀の日にこの山に入って箸木を伐る。

鷹塚山葛尾村
○按和州葛原岩屋村ニ界フ山ニ神明ノ祠有又堡址アリ
殿出山下三谷村
○按堡址アリ故ニ名クト云
一尾山○本陣山●高塚山
○按筒井須慶営址アリ因テ号ク
鷹尾峯地蔵堂並短野村
○按山頂西ハ和州岩屋毛原笠間村共ニ領ス
向山○和田山並夏秋村○番取山○茶臼山○観音山並安部田村
○按観音廃堂ノ址アリ
茶宇須山黒田村
○按大和ノ國界ナリ

鷹塚山葛尾村
○考えるに和州葛原、岩屋村に境界する。山に神明の祠が有る。また堡(とりで)の遺跡がある。
殿出山下三谷村
○考えるに堡(とりで)の遺跡がある。故に名前が付いたと云われる。
一尾山○本陣山●高塚山
○考えるに筒井順慶の陣営の遺跡がある。よって号する。
鷹尾峯●地蔵堂>いずれも短野村
○考えるに山頂の西は和州岩屋、毛原、笠間村が共に所有する。
向山○和田山いずれも夏秋村○番取山○茶臼山○観音山いずれも安部田村
○考えるに観音廃堂の遺跡がある。
茶宇須山黒田村
○考えるに大和の國との境界である。

光堂山井手村
○按此山ニ荒墳アリ経塚ト云
山神山○天神山並上三谷長坂市井等三村共領○小嶽山並竜口村○下道山○升杜山○猪口山
○按長坂一井柏原三邑共ニ領ス
和良平山並滝長坂村
○按一井長坂共ニ領ス和州今井ニ至ル道アリ
香善山○横山並檀村○高天原山柏原村
○按青蓮寺山ニ属ス是ヨリ奥ヲ青蓮寺山ト云

光堂山井手村
○考えるにこの山に荒墳がある。経塚と云われる。
山神山○天神山>上三谷、長坂、市井などの三村が共に所有する○小嶽山竜口村下道山○升杜山○猪口山
○考えるに長坂、一井、柏原の三地域が共に所有する。
和良平山>いずれも滝長坂村
○考えるに一井、長坂が共に所有する。和州今井に至る道がある。
香善山○横山>いずれも檀村○高天原山柏原村
○考えるに青蓮寺山に属する。是より奥を青蓮寺山と云う。

青蓮寺山
○按長承三年東大寺古文書青蓮寺西杣口云々青蓮寺瀬古口中村里川柏原檀長屋一井長坂ノ九村共ニ領ス
八幡山
○按東大寺領古図ニ出上ノ九村共ニ領ス此山ヨリ大和国界へ十三町アリ西嶽中嶽東嶽笹原一橋泥谷等ノ名アリ又八幡長者ノ宅址トテ長七拾間横四拾間ノ廃地アリ又経塚アリ
根太山○河内山並青蓮寺村○上山星川村○夏見山今云男山●夏見村
延長風土記曰名張郡夏見山在郡之○○○○○杉松竹土地富饒而民用多
草神山○阿清水山並丈六村
○按和州長瀬村ヲ界フ

<青蓮寺山
○考えるに長承三年の東大寺古文書に青蓮寺西杣口が云々とある。青蓮寺、瀬古口、中村、星川、柏原、檀、長屋、一井、長坂の九村が共に所有する。
八幡山
○考えるに東大寺領古図に出る上の九村が共に所有する。この山より大和の国の境界までは十三町ある。西嶽、中嶽、東嶽、笹原、一橋、泥谷などの地名があり、また八幡長者の屋敷跡という縦の長さ七十間、横の長さ四十間の廃地がある。また経塚がある。
根太山○河内山>いずれも青蓮寺村○上山星川村○夏見山今男山と云う●夏見村
延長風土記に曰く、「名張郡夏見山は郡の・・・に在り。・・・杉、松、竹、土地は富饒にして民用資源が多い。」
草神山○阿清水山いずれも丈六村
○考えるに和州長瀬村を境界とする。

高座山
○按村ノ東ニアリ此山ニ方五尺バカリノ石アリ馬蹄ノアトアリ俗千方ノ飛石ト云又地蔵ノ古石仏アリ嬰児ヲココニ祝スレハ長命ナラシムトテ呼テ小売地蔵トモ云
馬留山
○按千方此ニ馬ヲ留ム故ニ此名アリト云
赤岩尾山○小岩尾○仏山
○按山頂ニ岩窟アリ夷石大黒石ノ名アリ又岩洞及ヒ屏風岩倶ニ奇岩ナリ
穴尾山○雷丸峯○燧山○鷹山○月山並滝原村○万度山長瀬村
○按古ヨリ邑下安全ノタメ万度祓ヲココニ立ツ因テ名ク
中山
○按和州伊賀見村ヘ道アリ國界ニシテ布生峠ト云
紅形山
○按南峯大和ノ國界
沼木山今云野木峯○並布生村
延長風土記曰名張郡沼木山在郡之東北多出松拍民用多也

<高座山
○考えるに村の東にある。この山は二つの方向に五尺ばかりの石、馬蹄のあとがある。俗に藤原千方の飛石と云って、また地蔵の古石仏があり嬰児をここに祝福すれば長命になると言って小売地蔵とも呼んでいると云う。
馬留山
○考えるに藤原千方がここに馬を留めた。故にこの名があると云う。
赤岩尾山○小岩尾○仏山
○考えるに山頂に岩窟がある。夷石、大黒石の名前がある。また岩洞および屏風岩はそれぞれ奇岩である。
穴尾山○雷丸峯○燧山○鷹山○月山>いずれも滝原村○万度山長瀬村
○考えるに古より地域一円の安全のために万度祓いをここに立てている。よって名付けられた。
<中山
○考えるに和州伊賀見村への道がある。國の境界にして布生峠と云われる。
紅形山
○考えるに南の峯は大和の國の境界。
沼木山今野木峯と云う○>いずれも布生村
延長風土記に曰く、「名張郡沼木山は郡の東北に在り。松、柏を多く出し民用資源が多いのである。」

中知山長瀬村
○按長瀬布生奈垣ノ三邑共ニ領ス
浅間山奈垣村
○古富士ノ祠アリ故ニ名ク
岩尾山
○按神屋奈垣共ニ領ス
為奈山
延長風土記曰名張郡為名山在郡之南多出松杉竹民用亦不少也

中知山長瀬村
○考えるに長瀬、布生、奈垣の三地域が共に所有する。
浅間山奈垣村
○古富士の祠がある。故に名前が付いた。
岩尾山
○考えるに神屋、奈垣が共に所有する。
為奈山
延長風土記に曰く、「名張郡為奈山は郡の南に在り。松、杉、竹を多く出し民用資源はまた少なくないのである。」

真菜筒谷
○按此ニ怪石アリ俗不動休石ト云長一丈九尺幅一丈三尺竪九尺諸鳥此ニ止マラズト云
新堂谷並安部田村
○按和州笠間村ヘ出ル道路アリ怪石アリ黒岩ト云
桑木谷柏原村
○按和州今井村ヘ出ル道路アリ又巨岩アリ鐘掛岩ト云又穂ノ出ザル薄アリ俗物ワラ薄ト云
湯屋谷長瀬村
○按古温泉アリ平時頼此ニ寓スト云
大岩谷奈垣村
○按巨巌アリ竪二丈三尺横六丈二尺古山婆此ニ出ト云

真菜筒谷
○考えるにここに怪石があった。俗に不動休石と云っている。長さ一丈九尺、幅一丈三尺、竪(たて)九尺どの鳥もここに止まらないと云う。
新堂谷いずれも安部田村
○考えるに和州笠間村へ出る道路がある。怪石があって黒岩と云っている。
桑木谷柏原村
○考えるに和州今井村へ出る道路がある。また巨岩があって鐘掛岩と云っている。また穂の出ない薄(すすき)があって俗な言葉でワラ薄(すすき)と云う。
湯屋谷長瀬村
○考えるに古は温泉があった。北条時頼がここに寄ったと云われている。
大岩谷奈垣村
○考えるに巨巌がある。竪(たて)二丈三尺、横六丈二尺。古は山婆がここに出たと云っている。

久保岩穴一井村
○按清水アリ毎年首夏節ヨリ出テ仲秋節ニ涸ルト云
鳥居小野今云大広野○上比奈知村
養和元年東大寺古文書曰鳥居小野寺領古絵図云比奈知鳥居小野寺領東界
○按民居ノ東ニアリ方五町許リ
簗瀬原
惣國風土記曰名張郡名張郷簗瀬原出川芎(きょう)柴胡香薷独活松露等
○按今ノ簗瀬ヲ云今尚民居ヲ除クノ外地面平昿(むなしい)ナリトイヘトモ悉ク田畝トナルヲ以原ヲ称セス

久保岩穴一井村
○考えるに清水があり毎年初夏の節より出て仲秋の節に涸れると云われる。
鳥居小野今大広野と云う○上比奈知村
養和元年の東大寺古文書に曰く、「鳥居小野。」寺領古絵図に云う。比奈知の鳥居小野は寺領の東の境。
○考えるに民居の東にあって面積五町ほど。
簗瀬原
惣國風土記に曰く、「名張郡名張郷の簗瀬原は川芎(きょう)柴胡香薷独活松露などを出す。
○考えるに今の簗瀬を云って今も尚民居を除く外れの土地は一面平らかで昿(むな)しいのであるのであるが、悉(ことごと)く田んぼや畝(うね)となったのをもって原という地名では呼ばない。

阿弥瀑布一名赤目


青蓮寺瀑青蓮寺村
○按キヤウトウノ瀑ト云源木挽山ヨリ出テ谷川滝尻ヲ歴河内川ヘ落ル其飛泉三段上四丈許中二十丈許下二丈許

青蓮寺瀑青蓮寺村
○考えるにきゃうとうの瀑と云い、源木挽山より流れ出て谷川、滝尻を経て、河内川へ落ちる。その飛泉は三段、上の滝は四丈ほど。中の滝は二十丈ほど。下の滝は二丈ほど。