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ベルリンの壁

 

ここでは、ベルリンの壁についての説明をします。

1、背景

第二次世界大戦が終わり・・・

敗戦国のドイツは

戦勝国の、

(アメリカ、イギリス、フランス)資本主義 と ロシア共産主義

の二つの主義別に分割統治されることになりました。

結果、西ドイツ(資本主義)と東ドイツ(共産主義)とに分かれました。

それに伴い、ドイツの首都ベルリンも分割されました。

結果、西ベルリン(資本主義)と東ベルリン(共産主義)とに分かれました。

しかし、困った事に

ベルリンは東ドイツに存在しています。

という事は、東ドイツ(共産主義)の中に西ベルリン(資本主義)が

内在する事になります。

そこで、

共産主義政権での政治に不満をもった多くの国民が

資本主義の西ベルリンへと流れ出したのです。

国民が少なくなると国力が低下してしまいます。

 

困ったロシア共産主義政権はある政策を実行します。

 

補足1

2、ベルリンの壁建設

国民の流出を防ぐ手立てとして

ロシアは、西ドイツと東ドイツの境に壁や柵を作りました。

また、

西ベルリンの周りを壁で囲み、武装兵士に監視させ入れなくしました。

共産主義からの離脱や、家族を求めて強引に入国を試みた者に

多くの犠牲が出ました。

切に、壁の撤去を願い続けた東ドイツ国民・・・

そこに、ひとつの兆しが見えてきました。

3、ベルリンの壁崩壊

ここに、東ドイツから出国が許されているハンガリーという国があります。

このドイツ近隣の国ハンガリーが共産主義から自由化へと傾き始めたのです。

その結果、

東ドイツ(共産主義)→ハンガリー(共産主義)→オーストリア(資本主義)への入国が可能になりました。

そして、オーストリアに入国できれば、

オーストリア(資本主義)→西ドイツ(資本主義)への入国が出来るのです。

東ドイツから(他国を経由しての)西ドイツへの流入

が可能になった今、壁は意味をなさなくなりました。

ロシア政府は壁の撤去を認め、

ここに、ベルリンの壁は崩壊しました。

それは、壁だけでなく、、ドイツにおける、「共産主義政権下での統治の崩壊」も意味していたのです。


補足1

>分割統治されることになりました。

理由として・・

指導者が居ないので、国を導く必要があったのと、

終戦したとはいえ、、帝国主義、軍国主義のドイツは各国に脅威を憶えさせた。

その教訓として、また独裁国家にならぬ様に、

健全なシビリアンコントロール(政府が軍を抑えるの意)の下で

国が機能するまで、見守る必要があった。

しかし、その見守り方には、大国のエゴが盛り込まれており、、

言うなれば自国の主義の押し付けにもなりうる。

この、資本主義VS共産主義の対立こそが冷戦です。

>国民が少なくなると国力が低下してしまいます。

実際は国民が流れ出る事による共産政権の瓦解を恐れた。

 

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