ここでは、ベルリンの壁についての説明をします。
第二次世界大戦が終わり・・・
敗戦国のドイツは
戦勝国の、
(アメリカ、イギリス、フランス)←資本主義 と ロシア←共産主義
の二つの主義別に分割統治されることになりました。
結果、西ドイツ(資本主義)と東ドイツ(共産主義)とに分かれました。
それに伴い、ドイツの首都ベルリンも分割されました。
結果、西ベルリン(資本主義)と東ベルリン(共産主義)とに分かれました。
しかし、困った事に
ベルリンは東ドイツに存在しています。
という事は、東ドイツ(共産主義)の中に西ベルリン(資本主義)が
内在する事になります。
そこで、
共産主義政権での政治に不満をもった多くの国民が
資本主義の西ベルリンへと流れ出したのです。
国民が少なくなると国力が低下してしまいます。
困ったロシア共産主義政権はある政策を実行します。
国民の流出を防ぐ手立てとして
ロシアは、西ドイツと東ドイツの境に壁や柵を作りました。
また、
西ベルリンの周りを壁で囲み、武装兵士に監視させ入れなくしました。
共産主義からの離脱や、家族を求めて強引に入国を試みた者に
多くの犠牲が出ました。
切に、壁の撤去を願い続けた東ドイツ国民・・・
そこに、ひとつの兆しが見えてきました。
ここに、東ドイツから出国が許されているハンガリーという国があります。
このドイツ近隣の国ハンガリーが共産主義から自由化へと傾き始めたのです。
その結果、
東ドイツ(共産主義)→ハンガリー(共産主義)→オーストリア(資本主義)への入国が可能になりました。
そして、オーストリアに入国できれば、
オーストリア(資本主義)→西ドイツ(資本主義)への入国が出来るのです。
東ドイツから(他国を経由しての)西ドイツへの流入
が可能になった今、壁は意味をなさなくなりました。
ロシア政府は壁の撤去を認め、
ここに、ベルリンの壁は崩壊しました。
それは、壁だけでなく、、ドイツにおける、「共産主義政権下での統治の崩壊」も意味していたのです。
>分割統治されることになりました。
理由として・・
指導者が居ないので、国を導く必要があったのと、
終戦したとはいえ、、帝国主義、軍国主義のドイツは各国に脅威を憶えさせた。
その教訓として、また独裁国家にならぬ様に、
健全なシビリアンコントロール(政府が軍を抑えるの意)の下で
国が機能するまで、見守る必要があった。
しかし、その見守り方には、大国のエゴが盛り込まれており、、
言うなれば自国の主義の押し付けにもなりうる。
この、資本主義VS共産主義の対立こそが冷戦です。
>国民が少なくなると国力が低下してしまいます。
実際は国民が流れ出る事による共産政権の瓦解を恐れた。