「ベルリンの壁」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
「ベルリンの壁」(2007/06/24 (日) 07:36:38) の最新版変更点
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
<h1><font style="background-color: #330033" color="#FFFF99">☆</font>ベルリンの壁</h1>
<p> </p>
<p>ここでは、ベルリンの壁についての説明をします。</p>
<h3>1、背景</h3>
<p>第二次世界大戦が終わり・・・</p>
<p>敗戦国のドイツは</p>
<p>戦勝国の、</p>
<p><font style="background-color: #00ffff">ロシア</font>←<font style=
"background-color: #00ffff" color="#000000">共産主義</font> と <font style=
"background-color: #ff99cc">(アメリカ、イギリス、フランス)</font>←<font style=
"background-color: #ff99cc">資本主義</font></p>
<p>の二つの主義別に分割統治されることになりました。</p>
<p>結果、西ドイツ(資本主義)と東ドイツ(共産主義)とに分かれました。</p>
<p>それに伴い、ドイツの首都ベルリンも分割されました。</p>
<p>結果、西ベルリン(資本主義)と東ベルリン(共産主義)とに分かれました。</p>
<p>しかし、困った事に</p>
<p>ベルリンは東ドイツに存在しています。</p>
<p>という事は、東ドイツ(共産主義)の中に西ベルリン(資本主義)が</p>
<p align="right"><img style="width: 214px; height: 199px" height="453" width=
"500" align="right" alt="" src=
"http://www35.atwiki.jp/risky99/?cmd=upload&act=open&page=%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A3%81&file=berurin01.BMP"></p>
<p>内在する事になります。</p>
<p>そこで、</p>
<p>共産主義政権での政治に不満をもった多くの国民が</p>
<p>資本主義の西ベルリンへと流れ出したのです。</p>
<p>国民が少なくなると国力が低下してしまいます。</p>
<p> </p>
<p>困ったドイツ共産主義政権はある政策を実行します。</p>
<p> </p>
<p><a class="FCK__AnchorC" id="hosoku1re" href="#hosoku01" name=
"hosoku1re">補足1</a></p>
<h3>2、ベルリンの壁建設</h3>
<p>国民の流出を防ぐ手立てとして</p>
<p>ロシアは西ベルリンの周りを壁で囲み、武装兵士に監視させ入れなくしました。</p>
<p>共産主義からの離脱や、家族を求めて強引に入国を試みた者に</p>
<p>多くの犠牲が出ました。</p>
<p>切に、壁の撤去を願い続けた東ドイツ国民・・・</p>
<p>そこに、ひとつの兆しが見えてきました。</p>
<h3>3、ベルリンの壁崩壊</h3>
<p>ここに、東ドイツから出国が許されているハンガリーという国があります。</p>
<p>このドイツ近隣の国ハンガリーが共産主義から自由化へと傾き始めたのです。</p>
<p>その結果、</p>
<p>東ドイツ(共産主義)→ハンガリー(共産主義)→オーストリア(資本主義)への入国が可能になりました。</p>
<p>そして、オーストリアに入国できれば、</p>
<p>オーストリア(資本主義)→西ドイツ(資本主義)への入国が出来るのです。</p>
<p>東ドイツから西ドイツへの、流入が可能になった今、壁は意味をなさなくなりました。</p>
<p>ここに、ベルリンの壁の崩壊がし、</p>
<p>それは、壁だけでなく、、ドイツにおける、「共産主義政権下での統治の崩壊」も意味していたのです。</p>
<hr>
<h3><a class="FCK__AnchorC" id="hosoku01" name="hosoku01">補足1</a></h3>
<p>>分割統治されることになりました。</p>
<p>理由として・・</p>
<p>指導者が居ないので、国を導く必要があったのと、</p>
<p>終戦したとはいえ、、帝国主義、軍国主義のドイツは各国に脅威を憶えさせた。</p>
<p>その教訓として、また独裁国家にならぬ様に、</p>
<p>健全なシビリアンコントロール(政府が軍を抑えるの意)の下で</p>
<p>国が機能するまで、見守る必要があった。</p>
<p>しかし、その見守り方には、大国のエゴが盛り込まれており、、</p>
<p>言うなれば自国の主義の押し付けにもなりうる。</p>
<p>この、資本主義VS共産主義の対立こそが冷戦です。</p>
<p>>国民が少なくなると国力が低下してしまいます。</p>
<p>実際は国民が流れ出る事による共産政権の瓦解を恐れた。</p>
<p> </p>
<p><a href="#hosoku1re">戻る</a></p>
<p> </p>
<h1><font style="background-color: #330033" color="#FFFF99">☆</font>ベルリンの壁</h1>
<p> </p>
<p>ここでは、ベルリンの壁についての説明をします。</p>
<h3>1、背景</h3>
<p>第二次世界大戦が終わり・・・</p>
<p>敗戦国のドイツは</p>
<p>戦勝国の、</p>
<p><font style="background-color: #ffffff"><font style=
"background-color: #ff99cc">(アメリカ、イギリス、フランス)</font><font style=
"background-color: #ffffff">←</font><font style=
"background-color: #ff99cc">資本主義</font> と<font style=
"background-color: #00ffff"> ロシア</font>←</font><font style=
"background-color: #00ffff" color="#000000">共産主義</font></p>
<p>の二つの主義別に分割統治されることになりました。</p>
<p>結果、西ドイツ(資本主義)と東ドイツ(共産主義)とに分かれました。</p>
<p>それに伴い、ドイツの首都ベルリンも分割されました。</p>
<p>結果、西ベルリン<font style=
"background-color: #ff99cc">(資本主義)</font>と東ベルリン<font style=
"background-color: #00ffff">(共産主義)</font>とに分かれました。</p>
<p>しかし、困った事に</p>
<p>ベルリンは東ドイツに存在しています。</p>
<p>という事は、東ドイツ(共産主義)の中に西ベルリン(資本主義)が</p>
<p>内在する事になります。</p>
<p><img style="width: 312px; height: 281px" height="199" width="214" align=
"left" alt="" src=
"http://www35.atwiki.jp/risky99/?cmd=upload&act=open&page=%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%A3%81&file=berurin01.BMP"></p>
<p>そこで、</p>
<p>共産主義政権での政治に不満をもった多くの国民が</p>
<p>資本主義の西ベルリンへと流れ出したのです。</p>
<p>国民が少なくなると国力が低下してしまいます。</p>
<p> </p>
<p>困ったロシア共産主義政権はある政策を実行します。</p>
<p> </p>
<p><a class="FCK__AnchorC" id="hosoku1re" href="#hosoku01" name=
"hosoku1re">補足1</a></p>
<h3>2、ベルリンの壁建設</h3>
<p>国民の流出を防ぐ手立てとして</p>
<p>ロシアは、西ドイツと東ドイツの境に壁や柵を作りました。</p>
<p>また、</p>
<p>西ベルリンの周りを壁で囲み、武装兵士に監視させ入れなくしました。</p>
<p>共産主義からの離脱や、家族を求めて強引に入国を試みた者に</p>
<p>多くの犠牲が出ました。</p>
<p>切に、壁の撤去を願い続けた東ドイツ国民・・・</p>
<p>そこに、ひとつの兆しが見えてきました。</p>
<h3>3、ベルリンの壁崩壊</h3>
<p>ここに、東ドイツから出国が許されているハンガリーという国があります。</p>
<p>このドイツ近隣の国ハンガリーが共産主義から自由化へと傾き始めたのです。</p>
<p>その結果、</p>
<p>東ドイツ<font style="background-color: #00ffff">(共産主義)</font>→ハンガリー<font style=
"background-color: #00ffff" color="#000000">(共産主義)</font>→オーストリア<font style=
"background-color: #ff99cc">(資本主義)</font>への入国が可能になりました。</p>
<p>そして、オーストリアに入国できれば、</p>
<p>オーストリア<font style="background-color: #ff99cc">(資本主義)</font>→西ドイツ<font style=
"background-color: #ff99cc">(資本主義)</font>への入国が出来るのです。</p>
<p>東ドイツから(他国を経由しての)西ドイツへの流入</p>
<p>が可能になった今、壁は意味をなさなくなりました。</p>
<p>ロシア政府は壁の撤去を認め、</p>
<p>ここに、ベルリンの壁は崩壊しました。</p>
<p>それは、壁だけでなく、、ドイツにおける、「共産主義政権下での統治の崩壊」も意味していたのです。</p>
<hr>
<h3><a class="FCK__AnchorC" id="hosoku01" name="hosoku01">補足1</a></h3>
<p>>分割統治されることになりました。</p>
<p>理由として・・</p>
<p>指導者が居ないので、国を導く必要があったのと、</p>
<p>終戦したとはいえ、、帝国主義、軍国主義のドイツは各国に脅威を憶えさせた。</p>
<p>その教訓として、また独裁国家にならぬ様に、</p>
<p>健全なシビリアンコントロール(政府が軍を抑えるの意)の下で</p>
<p>国が機能するまで、見守る必要があった。</p>
<p>しかし、その見守り方には、大国のエゴが盛り込まれており、、</p>
<p>言うなれば自国の主義の押し付けにもなりうる。</p>
<p>この、資本主義VS共産主義の対立こそが冷戦です。</p>
<p>>国民が少なくなると国力が低下してしまいます。</p>
<p>実際は国民が流れ出る事による共産政権の瓦解を恐れた。</p>
<p> </p>
<p><a href="#hosoku1re">戻る</a></p>
<p> </p>