中村 哲


中村 哲 TETSU NAKAMURA

ペシャワール会現地代表

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一行紹介

「探求者。普通真似できない。」(た)


略歴

ペシャワール会現地代表
PMS(ペシャワール会医療サービス)総院長
1946年福岡市生まれ。九州大学医学部卒。
専門=神経内科(現地では内科・外科もこなす)。
国内の診療所勤務を経て、1984年パキスタン北西辺境州の州都のペシャワールに赴任。ハンセン病を中心としたアフガン難民の診療に携り現在に至る。

紹介文

山登りが好きで、はじめは山登りにパキスタンに行き、アフガニスタンで淡々とハンセン病のコントロール、医療活動に従事、現在は「病気治す前に、生きてないとしょうがない」ということで、旱魃の被害がすごいアフガニスタンで水利事業まで展開している。

ここまでどっぷりと現地につかって活動している日本人は珍しいと思います。というかほぼ現地人(笑)

学園祭でもこられるみたいだし、中村先生の活動はみんな尊敬するところだと思うので、まずは紹介させてもらいました。ただ僕自身は家族とどう過ごすかとか、(やらしい話)収入とか考えると、こういう働き方はちょっとでけへんわー。みんなどう思うの?

(た)


私が初めて中村哲さんを知ったのは、2002年に出たSightという雑誌の中でした。
「VOL.10ロッキング・オン・ジャパン02年1月増刊号」
赤い表紙に、宮崎駿が笑って写っている。ジブリ好きの私はすぐ買ったのです。
http://www.rock-net.jp/sight/backnumber.html
そしたら、中に妙な文章があったのです。
●特集「テロが追い込んだ日本の政治」中村哲
なんじゃこりゃ?と思ったんだ。内容はちょっと忘れたんだけど、2002年当時、私はアメリカにおりました。テロの後遺症がまだまだ残っている時だった。それでも戦争に突入していくことに私は苦虫を噛み潰していた。そこに持ってきて、中村哲さんの文章を読んだ私は「やっとまともなことを言う人がでてきた」と、生意気ながらも思ったことを覚えています。
実家には雑誌があったかなあ、今度帰省したら見てきますね。
(まさ)

講演はすごく上手いけど、じつは人見知りだとペシャワール会の方が仰っていました。(講演会+医局展担当してます☆)
丸腰の援助だっけ?危険な地域に武装せずに入っていって援助をする。言葉ではなく、その生き方からは他人にごちゃごちゃ言わせない圧倒的な説得力がにじみ出ているらしい。護憲、平和にも熱い人です。
募金等は現地への援助資金に充て、自分の生活費は帰国時に診療で稼ぐ。かっこいい。誰にでもできることではないよね。
本を17冊出していて、これから図書館で「中村哲フェア」をする予定なので読んでみてね。(omotty)

コメント

  • コメントしやすいかと思って、
    コメントフォームつけてみました~。 -- (tani) 2007-07-08 22:47:03
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最終更新:2007年07月08日 22:46
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