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「作品」というとき、それは「或る形を持ち、或る程度完成されたもの」なのだろうか。

例えば、

      


これは作品か?

結論から言えば、書いた人間が「これは作品だ」と宣言したとき、作品になる。


 これが、基本的な私の考えだ。

例えば、白紙のページがあるとする。これは作品か? 当然にそのページに何も書かなかった人間が「このページは私の作品だ」と宣言したとき、作品になる。ただ読み手には永遠になぞのまま表出された、あるいは表出されなかった「それ」であるだけだ。


 詩作品は、「言葉の意味の伝達」がその意図するところではないし、主眼でもなく、主題でもなく、目的でもない。

 詩作品とは、言葉の不在も含めて「躓いてしまう」何かだ。

 ついでに付け加えれば、絵画はキャンパスがあるかぎり、そこに絵の具が落とされようがされまいが絵画だし、音楽は音が鳴ろうが鳴るまいが指揮棒を持ったまま時間が過ぎるなら音楽となるだろう。では小説はどうか?小説とは物語りのことを言うのなら、一行だけでもそこに時間の流れがあるなら小説となる。

 つまり、それを呈示する者が「そうだ」と宣言したときに、そうなる。

 誰も理解しないだけのことであるに過ぎない。

 他人の理解を必要とする「作品」あるいは誰かが理解を示した「作品」はこの世に知られたというだけのことであって、才能の表出としての「作品」とは無縁であるに過ぎない。芸術家はその才能自体の生の証を示すだけで良いのだ。理解とも評価とも無縁のまま、女神ムーサに委ねていればいいだけなのだ。









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