※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

二月の空澄み渡る郊外私鉄の駅ホーム。風冷たく襟を立て、鉄路の東にうっすらと赤みを帯びた空の哀しさ。遠くを見つめる淋しい目をした青年が始発整列乗車の列から離れて立っている。入線した12両編成青い車体4ドア車両の扉が開くと雪崩れるように吸い込まれる都市の奴隷たち。座れなかった者たちの悔しそうな目線が宙を舞う中、今朝つかの間の勝利者たちは目を閉じメガシティまでの小一時間眠りに付く。淋しい目をした青年は最後尾からゆっくりと乗り込むと、ドア際の隅に影のように嵌まり込む。耳に白いイヤホンから漏れる微かな音。目を閉じた影は銀色の冷たい手すりに溶けていく。
 やがて車両は高架上を加速し目覚め始めた街を抜けていく。西側の低い住宅街の向こうに雪を被った富士が輪郭鮮やかに聳えている。ドア際の影が静かに目を開き、100キロ先の富士に目配せすると目蓋を数度開閉した。手を合わせるがごとくの祈りに似て霊的なしぐさ。
 青年は黒い服しか着なかった。天然の茶色が反射する長い髪は流れるような波を描き、髪に隠れた頬の青白き様は棲み付いた死の温度のように辺りの空気と変わらぬ冷たさ。肩口に掛かる毛先は差し込む朝日に透けて命の細さ。途切れ途切れに奏でられるベースの指腹カンタービレ。星はその懐かしさを宿したまま帰宅の時間を待つと言ったきり太陽に時間を譲る。
 さよなら、ぼくの星たち。メキシコに行ってみたいと黒い服の青年は思った。苦しくなんかないよ。辛くなんかないよ。毎朝そう呪文のように反復しなければ生きていけない薄くなった胸に弱々しく打つ赤い血の流れ。鮮やかに浮かび上がるのは、あなたの黄色の柔らかなワンピース。愛しています。でも、生きているのが少し悲しい。生まれ変わりのあなたを愛するようにとその人は言い残すために生きることを止めたのでしょうか。その人の恋人はおけさ編み笠で永遠に顔を隠してしまい、その人の悲嘆10年、あとを追うがごとく乳児のよだれかけを包みにして郵送した安心からなのか、逝った。佐渡は四十九里波の上、その人はそう言いたげな死化粧の微笑み。雪降り注ぐ波の上、佐渡のおなごの気性の激しさは秘められて、夜横たう天の川の両岸に別れて佇む見詰め合う星と星。嵐の丘に吹き鳴るヒースの叫びに似て胸を熱くして。
 その人の激しき恋を思いながら、車窓に二人の星を探してみたが夜を待ちなさいと。メキシコの夜を。窓に映る自分の目を見て小さく声をあげた。遠い、と思った。あまりに遠い、と。影さえ映らぬ瞳の沈黙を怖れた。夢の続きの夢を長い間見続けているのですと歌う白いイヤホン。口笛透きとおり青春の影の切なさ溢れる孤独な時間、白いイヤホン。車窓は急行速度揺れながら東へと、白いイヤホン。