エキストラ (舞台中継放送観劇)
2007.04.28.Sat
この記事は後で書き直すが、とりあえず載せておこうと思う。

どこのチャンネルだったか忘れたが、新宿紀伊国屋での舞台公演『エキストラ』の録画放送を観た。

その中の科白にこんなのがあった。

 映画の良し悪しはエキストラの演技にかかっている。
 ハリウッドの映画を観ろよ、エキストラの演技にリアリティーがあるから映画に嘘が無くなる…みたいな科白(実際はこれ私の完全なる意訳かも…)
 これは以前から感じていたことだった。

 そのことに関連して話してみたいんだけど、今日は時間が無い。
 これから歯医者へ行く。



映画 「シムソンズ」 を観た
2007.03.30.Fri
深夜、カーリングの映画「シムソンズ」を観た
実際の話をコミカルに描いたお話で、例のオリンピックに出た北海道常呂町の女性四人のカーリングチームの物語り

加藤ローサ、藤井美菜、高橋真唯、星井菜七瀬、そして大泉洋などが出演

加藤ローサは可愛いのだろうか?
きっと可愛いんだろうなぁ…わたしは少し離れた目が少し気になるのだが、そこがとても可愛いのだろうね
藤井美菜は誰かに似ていると思って調べてみたが、誰でもなかった…(汗)
彼女、カリフォルニアで生まれたらしい
だからか?なんとなく洋風な顔立ちしてるのは…(ふふふ)
違うだろッ! との誰かのつっこみありがとう!

その代わりに面白い記事を見つけた→「さて次に企画は」さん

彼に言わせれば、彼女は理系受けするのだそうだ

理系受けするためのアイドルの条件というが面白い


1、知性的な雰囲気、頭の良さそうな雰囲気を漂わせていること
2、理解不能領域である女性性は薄く漂う感じであって、前面に出ていないこと
3、ナチュラル・アーティフィシャルを問わず、クリアな清潔感があること
4、グラマラスというよりも、線が細く背が高い体型をしていること
5、理解しやすい範囲での、寂しさや喪失感が漂っていること
6、相手の内面を察し、重視してくれるような視線を持っていること
7、状況によっては共闘してくれる様な芯の強さを感じさせること



なのだそうだ。

小生も理系なので、なるほどぉ~、と納得してみることにした(笑)

今日はそんなアイドルの話ではない、ましてこの映画の話でもない
何か?
それは、映画に出てくる風景の話なのであります

私は帰りたくなりました無性に…
やはりいい
映画の風景を観ながら不覚にも感極まってしまいました
つまり泣いてしまったのであります

あまりの美しさに
あまりの懐かしさに

はい、私はもはや帰ること叶わぬ身であります
ここ東京という大都会の塵と化します




佐々木昭一郎
2007.01.19.Fri
近頃、佐々木昭一郎ほど静かなブームになっている映像作家はいないだろう。
日本映画専門チャンネルで、1月~3月の毎週水曜日24時から作品を一挙放送することになっている。
すでに二回放送があったわけだが、失念していて初回は見逃した。

初回は1月10日深夜で、作品は「マザー」と「さすらい」であった。これを見逃したのは痛い!なぜなら、「マザー」はモンテカルロ国際テレビ祭ゴールデン・ニンフ賞受賞作品であり、衝撃的初作品と言われているものだし、「さすらい」の方には、遠藤賢司が出ているというし…残念。
二回目の放送は一昨日17日の深夜にあった。
「夢の島少女」と「赤い花」
前者はちょっと太めの中尾幸世が不思議な雰囲気を醸し出している。
後者「赤い花」はつげ義春の作品をモチーフにした幻想的な世界が繰り広げられる、らしい(まだ観てないし…)
見始めたが眠くてたまらなかったので、HDDに録画を設定しながら見ていたのだけど、案の定眠ってしまった。
昨夜、観ようと思って再生したのだが、再び眠り込んでしまった・・・
まいいか、いつでも観れる。
次回は24日の深夜に二本放送される「四季ユートピア」「川の流れはバイオリンの色」(これは前回放送時に観たはず…)
31日にも二本
2月、3月も楽しみだ。放送されるものすべて録画を予定しているが、私のことだから不安…きっとうっかり忘れてしまうに違いない。





The Butterfly Effect
2006.09.14.Thu
 The Butterfly Effect(バタフライ・エフェクト)、これはカオス理論で使われている用語だそうだ。一匹の蝶が羽ばたくと、地球の裏側で竜巻が起こる。初期条件の僅かな差が将来の結果に大きな差を引き起こすというようなことらしい。
 ということでこの映画を見たわけで、何がなんだか分からないまま物語りは進行したんだよね(眠いのを堪え堪え観ていたからか、観た本人の頭が弱いのか知らんが…)頭すっきりしている時にもう一度観なけりゃぁねぇ、どもならん。

映画紹介
The Butterfly Effect(バタフライ・エフェクト)

オフィシャルサイト

シネマ・ワンダーランド


 




相変わらずあらすじなど書くのは面倒なので上記サイトに譲るけど、そのカオス理論を調べてみたくなった。先ずは関連サイトを列記。

■人間の世界観を変えるカオス
その研究と応用の現在
合原 一幸(東京大学大学院 工学系研究科助教授)

流れの乱れ、リズムを刻む化学反応や神経応答の時間波形である。これらは、非常に複雑に見えるが、背後に決定理論的な法則を持つことがわかってきていた。



カオスとは

数学用語として「カオス」が初めて公表されたのは、1975年、当時メリーランド大学のヨーク教授と大学院生であった李天岩による、リー・ヨークの定理に関する論文だといわれています。



決定論カオス

ここで扱う方程式は,
Y=aX (1-X )

というまったく変哲のない二次方程式である.0<X<1の間からあるXの値を選んで(例えば,0.4)を代入する.a=2としておけば,
Y=2×0.4×(1-0.4)=0.48となるから,今度は
そのYの値(0.48)を再びXの値として,最初の式に代入してやる.

Y=2X (1-X )初期値 X=0.4

Y=2×0.4×(1-0.4)=0.48
Y=2×0.48×(1-0.48)=0.4992
Y=2×0.4992×(1-0.492)=……



永井俊哉ドットコムより

ある晩のこと、一人の酔っぱらいが電灯の下で何かを探していた。

通行人:何か探しているのですか?

酔っぱらい:財布を落としたので探しているのだよ。

通行人:電灯の下で落としたのですか?

酔っぱらい:いや、そういうわけではないのだが、電灯の下は明るくて探しやすいから、電灯の下で探しているのだよ。


この永井俊哉さんてどんな人なんだろ?いろいろ多岐に渡って評論してるし…。(monosepiaぶつぶつ言う…)

松岡正剛の千夜千冊より

カオスが興味深いのは、そもそもカオスには編集機能があるということである。
 カオスは情報を保持したり、加工したり、除去したり、変形させる機能をもっている。のみならず情報を新たに生成する能力ももっている。もし、このようなカオスが脳にもあるとしたら、脳の情報編集能力の重要な部分にカオスがかかわっていることになる。



以上各サイトより引用。

うーん、カオス理論を検索するといくらでも出てくるが、バタフライエフェクトで検索かけると映画のことしか見つけられなかった…。
で、仕方ないからWikipediaから

バタフライ効果

これだけ。
この項からリンクを辿っていくと様々な関連項目が現れてきて、読んでいると止まらない。
いやぁ~、世間は物知りだなぁ。
おいらなんもしらねぇでやんの!とぶつぶつ言うmonosepia






北園克衛を読む
2006.08.21.Mon
私は文学青年ではなかったが、それでも何人かの詩集を蔵書している。
その中で時々開く本がある。

沖積舎の『北園克衛全詩集』である。
この本は昭和58年に限定350部だけ発行されたもので、
折に触れ開くふたつの詩集のうちの一冊だ。
もうひとつの手にする詩集と言えば、
思潮社『寺山修司全詩歌集』(初版第一刷)である。

他にも数十冊の詩集や歌集が本棚にはあるが、ほとんど開くことはない。
私の詩への興味は北園と寺山が入り口であり出口なのだ。
探せば、他に気にいる詩人に出会えるのかも知れないが、このふたりの詩を読みこなすだけで人生は終わるしかないほど、残された時間は少ない。

今日は、北園克衛の詩集から引用してみようと思う。
それは、私が書くものの中に模倣が多く含まれていて、オリジナリティからは程遠い詩作をしている己を叱るためであり、そこから出発するにはあまりに北園の詩の完成度が高く、蹴破る気力が萎えているにも拘わらず、なんとかしたいと願っているからでもある。

では、早速。


北園克衛全詩集 1979年「BLUE」より

 六つの optical poem からのひとつ

青い風

円錐

なかの

ステンレスの髪
の毛
の女

ガラスの尻

四角

ぼくの鉛




青い円錐



あたる




意味を探ろうなどは誰も思うまい。
ただ感じるだけ。
どこまで感じようとするかは読み手の想像力に任されているかのようだ。
光学詩と訳していいのだろうか?
光の詩ではなく、あくまで光学の詩なのだ。
つまりこの詩は観察であり実験であり認識である。
とは言え、どう読んでもこれが「光学詩」などではなく、単なる「光の詩」で留まっていることは明らかなように思える。

それとも、optical poem とは「光の詩」と翻訳するのが正しいのか。
英語に不慣れな私にはこの辺りの経緯には疎い。
日本人が持つ語に対する寛容さは時に事態を捻じ曲げて認識させる、と感じているのは私だけか。

もっとも optical art と言えばステンドグラスを言い表すのが一般的なようだ。
これはあくまで、光のアートだ。
ステンドグラスが叙情的な光のアートとしてだけでなく、真の光学のアートとして意図されたことなど果たしてあるのだろうか?
つまり、美術の世界で optical art が光学の美術として存在しているのだろうか。

今はコンピューターの時代だ。
まさしく数式を用いた語の真の意味としての光学アートが可能な筈だと思う。
誰か挑戦している人がいるのかも知れない。
東京タワーの経時的に変化するライトアップやwindows media playerの音に応じて変化する三次元エフェクトなどはそれに当たるのかも知れない。

北園氏が追求した「光学詩」が真の意味で存在する姿を確認してみたい気がする。

写真の加工がコンピューターによって誰にでも様々な色彩と形を得ることが可能になり、それらがネット上で公開されているのはもう一般的な姿だ。

では、詩がコンピューターによって新しい命を吹き込まれる時代は来ているのだろうか?
誤変換する語の羅列や打鍵するにまかせる誤字だらけ文字列などは、コンピューター時代に相応しい新しさなのだろうか?
どうもそうとは言えないらしい。
それは、あくまで他者とのコミュニケーションが大きな位置を占める言語には、意味の理解がどうしても前提となってしまう。
意味を混乱させる詩行を読む者は少ない。
いや、ネット時代になって益々意味そのものの理解が可能な詩行だけが幅を利かせていると思える。
なぜなら、詩に対しての取り組み方の姿勢が人によって様々なことが影響しているのかも知れない。
そして、今や誰でもがネット上で「詩行」を大量にアップし、かつ日々読み潰す消費財として消費されている状況は、
詩を深く芸術として追求する者にとってはどう映っているのだろうか。

消耗戦かも知れない。

もはや、詩人とは、詩篇をひとつ書いただけで、あるいは一篇の詩さえ書かなくても
    「私は詩人だ」
と言うそばから発生するボウフラだ。

詩人の格差とは何か。
そして格差は必要か。

一般詩人 
職業詩人

純粋詩人
生業詩人

ちょっと詩人
粘着詩人

詩人の質的差異はどこで線引きされるのか
もっともその線引きは必要なものか

私は糞だ!
私は糞詩人だ!
私は絶対的な詩人だ!

北園克衛の一篇の詩から詩人とは何かを考えようとしたけれど、
思った通り失敗した。

「詩人は死んだ」などと簡単に片付けたくはないが、詩人が生きている、という状況でもない。
需要がないのだ。
供給だけが氾濫している。

詩人と暮らし
あるいは、
詩人と生


宣言しよう!
私も一匹のボウフラとなる決意をした。

       『私は詩篇を持たないが「詩人」だ!』 と。

いいのか、こんなことで…(笑)

(* なんだこのエントリー…訳分からんし…汗;)


 
テーマ:詩 - ジャンル:小説・文学

| 創作の憂い | 19:09 | トラックバック:0コメント:5
今日はここで書く
2006.08.04.Fri
あちらのブログ何だか億劫になっている…
というより、ブログランキング参加がわたしを拘束している気がするんだ。
あそこには詩しか書けないような気分。
ま、いずれどうってことないようになるのだろうが、今夜はいいや、ここで。

今夜はダラダラ打鍵する予定。

映画をまたいくつか観たのでどこかに書きたいんだけど、
どうも映画観るのは好きでも、その映画を理路整然と説明し感想を述べることが苦手な私としては、
もう少し時間があるときで、なおかつキチンと考えられ時でないと書けないのだ。
ダラ文しか書けないようでは、ちと情けないが、それが ワタシ だ。

映画ひとつだけ。
『トスカーナの休日』
あちこち映画評サイトを覗いてみたけど、男性からは辛口の批評がほとんどだ。
つまり、「女子供が観る映画」という訳だわなぁ。
ここには男の映画の見方の偏りが透けて見えるんだなぁ、うちには。

男子は、日常の微細な微笑みを理解する気概がない。
そう、それは気概だ!
芸術が爆発であるように、日常の微細をほほえましく、そして感慨を持って観るのは、気概だ!
・・・って、いいかげん強引なこと...。

うち(いつから、うち、なんて言葉で自分を呼ぶようになったん?)は、どうも女子供の映画の観かたしか出来ていないらしい。
それでいい!
それがいい!
それこそだ!

で、『トスカーナの休日』
この映画のすべてがラストシーンで語られている、とウチは思うたんよ。

二階の窓から外を眺める主人公の女性(作家)。
通りかかる老人。
通りの壁に穿たれた小さな穴(ニッシェ)の器に小花を挿す老人。
映画の中で、その場面は何度か出てくるのだが、老人は二階にいる主人公の女性作家と目があっても無視するように後ろを向いて去っていくのだ。
主人公の女性作家は舌打ちするように少し腹を立てるのだ。
「なんでよぉ、なんで挨拶のひとつしてくれないのよ、糞ジジィ!」ってわけ。

この映画、もともと同名の小説(エッセイ仕立てらしい)の映画化。
でもかなり原作とは違っていて、まったくそれは素材として拝借しているに過ぎないらしい。
読んでいないので、なにがなんだか・・・。
原作を読む機会は来るだろうか?
たぶん、ない。

主人公の女性作家は離婚し、自分が悪いわけでないのに、自分が家を出るはめになってしまい、傷心の旅?の途上、イタリア・トスカーナにインスピレーションを感じて放置数十年の大きな家を買う。
リホームがこれまた大変で、映画の前半はリホームが喜劇タッチで描かれる。
大学教授が電気工として修理をしているのだが、照明をショートさせたり、壁を直していると崩れてきて慌てて全員が外に飛び出したり、
いろいろあって楽しめた。

女性と見れば誰でも口説くイタリア男の気概?と
今の寂しさを埋めてくれるなら誰でもいいベッドでご一緒したい?アメリカ女。
(これ映画の中の解釈間違ってるかも…ゴメン)

で、物語りはいろいろ事件など起こりまして、主人公は最後には幸せになれそうな予感です。

そんな最後のシーンで先の老人が出てくる。

窓から外を見ている主人公
いつものように通りかかる老人(男)
花を壁のニッシェに飾る老人
主人公と老人の目が合う
またムッツリと後ろを向いて去っていく、はずもなく
なんと、手を挙げて小さく敬礼し笑顔満杯になる老人
そして去っていく
「よっしゃぁ!やったぁ!」という感じで両拳を握る二階の女性

まあ、思ったとおりの結末ですが
それがいい
それでいい
そうでなくちゃ!

彼女が異国であるイタリア・トスカーナに完全に受け入れられた瞬間だ

いい映画です

男の中の女性性を呼び起こして観るべき映画

人生は日常でしか成り立っていないことの真実がココにはある

哲学的だったり、戦いを描いていたり、SFだったり、心理劇だったりする必要なんか無いのだとう映画は貴重だ。

食事はひとりより大勢で食べるほうが美味しい
皆のために料理を作るときの歓びはひとしお
近所のひとたちと仲良く暮らせるのが一番
足らぬところを互いに補いあう友は必要
家族は必ずしも自分の配偶者や子供である必要もなく
近所の青年や少女だって仲良くなれれば家族
ゆうぐれの景色の美しさは日常を飾る美術品

他さまざまにウチは感じた。
嬉しい映画だった。
こんな風に取るに足らない幸せこそが本当は望みなのかも知れないと思わせてくれたんよ。

ほんと、ウチには一服の清涼剤以上の精神浄化剤でした。

で、結局…
ウチは元の木阿弥
『詩とはなに?死とは何?ああ、憂鬱気分が霧のよう』になったにしても、
それはそれ
もう以前のように深刻になんかならない
ケセラセラ
どうにかなるさ
レット・イット・ビー
ザワワザワワ
ふわふわ
ダラダラ

なのに
   胸が痛っかりする





「トニー滝谷」 をまた観たけれど・・・(汗)
2006.06.29.Thu
相変わらずのテレビサーフィンで「トニー滝谷」を観た。
今度は開始20分あたりから見始めることが出来た(笑)

小沼英子との結婚直前の場面から見始めたので、
トニー滝谷の子供時代の場面を観ていない。
(いったい、いつになったら最初から観るんだ!)

日本映画チャンネルで何度も放送するのが分かっているんだから、
番組表をチェックすれば良いのだが、それが出来ないんだ。
すべては、必然として出会えると分かっているからさ(強気)


 靴
  コート
     鞄

私の好きな赤があまり出てこなかったのが少し残念。
(ちょっとは期待していたが、たぶんそれは有り得ないだろうなと前回と前々回を観たとき思っていたから、いいんだけどね)

色彩もあったように思うが、なぜか白黒映画のようにしか思い出せない。
(さっき観たばかりなのに…)

それにしても…
 
 なんてピンヒールの似合う脚

  流れるような軌跡を描いて靴が弾む
              脚が撥ねる
   衣がなびく


 風が吹き抜ける映画(と監督は笑いながら言った)

最後のシーンのなんて淋しい
いえそうでは無いかも知れない
もしかしたら
一度だけ、ってことはないのかも知れない
期待していい?
ひさこは電話口に出たのだ
 トニーは慌てて電話を置いた

だから二度目はある、と信じた。
(このラストシーンは小説とは違うらしいが、余韻の妙がある)

映画映画した映画より、この手の映像詩とも言える作品の方が好きだ。
誰かがブログでこう言っていた。
小説を補完する挿絵のような映画だ、と。
それは小説を読んだ人だから感じたのだろうな。
原作を読んでいない私には、十全に映像詩として成立していたけれど…。
今日時点では、村上春樹の原作を読もうとは完全に思わなくなった。

この映像こそを大切にしたい。





トニー滝谷を観た!
2006.06.28.Wed
トニー滝谷

観たいと思っていたら
観た…?

なんだこりゃ?!
たまらん
趣味人の世界だな
これは絶対の肯定に至る映像だ
(どういう意味だ?汗)

フリージャズではないが
充分に刺激的だった

なのに、なのに・・・
メイキング映像はたっぷり観たのに、
実は本編そのものは後半半分しか観ていない。
たまたまチャンネルを合わせたらやっていたもので・・・。

こりゃぁ、やはりDVDを借りて観なくちゃ。
サンダルで背伸びのシーンも観ていないし(泣)

で、観た限りでの感想。

平台を高台に組んで(駄洒落か!?)風の通るセットを組み上げたこの形式は、
私の趣味に合っている。

舞台演劇もそうしたシンプルで抽象的なセットが好きなので、
映画を観ているのに、なんだか客席に座って舞台を観ているような感じだった。
話は飛ぶけど、商業演劇の徹底的に具象化された室内セットを観るとゲップが出てしまう。
なんでここまでするかなぁ…と思う。
観る者の想像力を徹底的に狭めて、作る側の想像力を押し売りするような舞台美術は、押し付け幕の内弁当を食べているような気分になってしまう。
で、ゲップ・ゲップ!

音楽もそう。
起承転結があるメロディライン
惚れた腫れたに終始する歌詞
世の中にはまるで、男と女しかいないみたいじゃないか!
(んッ?男と女だけか…いやいやジェンダーは無数じゃぁ!)

 なんか話が飛んでる気がする…





仕事と創作は・・・
2006.06.19.Mon
そうだね
お仕事してる人は大変なんだよね
毎日の時間の半分近くを仕事のために費やしているんだ
通勤時間やそのための準備時間を入れると12時間以上を使っている人がほとんどだもの…
とてもじゃないが、
やりたいと思っているアレコレが上手く運ばないことは確かだものね

何かを作ることが仕事のひと
創作でご飯が食べていけるひと

  そう・・・たとえば

絵とか
詩とか
陶器とか
木工とか
森を巡ることとか
海を守ることとか
地図を観ることとか
ピンヒールを作るとか
服を作るとか
音楽するとか
映画を観ることとか
花を育てることとか
野菜を作ることとか

そんなことが仕事だったら
食べていける仕事だったら
うれしい

 のに・・・現実は

さして興味もないことが仕事だったりするんだ

社会では大事な仕事と思われていることが
それを仕事にしている当人には
違和感だけ
   しかないことがある

 食べていく
  生きていく
   
 それだけじゃない暮らしを・・・

と思っても

  探しようもないほどに
    日々は疲れと共に週末の休養だけを待つ暮らしだ

 
毎朝五時前に起床 洗顔・トイレ・朝の野菜ジュース作り
今までの経験で覚えた職人仕事をひたすらこなす
私が恵まれているのは
 正職員じゃないということ(収入は少ない…)
  午前中で帰れることも結構あるし(昼寝がすき…)
  大概は夕方4時には買い物を終えて家にいる(主夫だもの…)
  どんなに遅くても夕方7時には帰宅できる(さすがに何もしない…)

誰かと 
 アフターファイブに飲まない
 アフターファイブにお茶しない
 アフターファイブに遊ばない
 アフターファイブに映画館へ行かない
 
 その時間には
 家
 にしか
 いない…

基本的に
    ひとり
       が好きだ

仕事…

 仕事…
 
  仕事…

気を遣い過ぎると 壊れる 

ひとは一日の通勤時間も入れて三分の一だけ仕事に使うのがいい
(出来るわけないか…)
三分の一は眠る
残りの三分の一を何かを作るために使う

作るもの…
 
それは

 詩
  写真
    木工
      陶器
        野菜
          花
           赤いピンヒール
          服
        観るという創作
      聴くという創作
    触るという創作
  感じるということ
 物語り
人生

を創る

詩と死の憂鬱に浸る

 手首をなでてごらんよ
 その傷がクスグッタイのは
 なぜなのか

一度は死んだなんてナンセンスもハナハダシイじゃないか

生きている日々は続く
死の日まで続く

リアルプレーヤーで音楽を聴きながら(月945円で入会した)
ボクは
  駄文してる

柔らかなヘッドフォーンを耳に当てながら
 ボクは
  世界を改変する
     改造する
      妄想する
       詐取する

        そのアナザー世界に溺れる
         リアル世界から逃れる

いったい
 いくつになったんだい

ピーターパンはいないんだよ

 観てはいけない夢

  糞ぅ…

 止まらないじゃないか

世界
  は
   妄想した分だけ存在する

妄想した世界に生きることだって出来る

ただ…
   飯を食えてさえいれば…

それがすべての妄想の大前提さ

だから
 飯を食うために賃労働をする

妄想世界を生きるために
            働く
| 創作の憂い | 23:02 | トラックバック:0コメント:0
今日は何の日?
2006.06.18.Sun
今日は何の日
 試合の日
  瀬戸際人生に影響のない
 試合の日
     おお、クロアチア!
     おお、旧ユーゴ!
     おお、命がけ!
負けても気にならない私

観るべき試合ではないけれど
第一、詳細知り尽くしているファンと違って
にわかナショナリストの
 時間潰しなのだ
それにしても
 人はなぜ旗の元に集まるのか
  旗は行き場を失ってしまった者同志を熱くし
仲間幻想妄想現実

離れて俯瞰

離れて背を向け俯いて

時はそこになく
己はここになく

生きていくことだけが憂鬱で楽しいではないか

この妄想思索のないダレ文の書き手は
ようするに
どうでもいい・のだ・きっと・・・

| 雑 | 18:34 | トラックバック:0コメント:1
音のサーフ(本日2)
2006.06.17.Sat
先のエントリー音のサーフの後、また探した。

このボーカル( Mackee )の声はいいし、
音が安定してる。
声が楽器と同等の作用をしないボーカルは聴けない性質(たち)なので…。

Feel So Happy

どうよ・どうよ?

なんだって、ふん!

たいしたことないってか?
そ・そりゃ「Mackee」に失礼ってもんじゃあらぁせんかい?
え?
そんなこと言ってない…
そか。

これは、渋滞の都心で街行くピンヒールを舐めながら聴くのがいい。
そして発見するんだ

  赤い  ピンヒール  を…(汗)


| 音の愉しみ | 23:07 | トラックバック:0コメント:1
音のサーフ
2006.06.17.Sat
今日は音を探していた

ちょっと気に入った音があったので紹介しようと思う
ストリーミング聴いてみてください
どっちも私の趣味に合う曲の出だしだなぁ。
歌?・・・・・・いいよ(*^_^*)

Stay With Me

URBAN COWBOY / tkyng Feat. Beck

これは「神近ベック」という東京で活動しているヴォーカリストの曲

神近ベック氏のオフィシャルサイト←こちら

勿論、いつもの「NEXT MUSIC」から探したんだけど…。
そこから14曲が聴けてDL出来る。
全部DLした。
ドライブで聴きまくってみることにする。
信号待ちのない高速道路を80キロで流しながら聴こうと思うけど、
140キロ出てしまうかも知れないし
ときにリミッターギリギリまで飛ばすかも知れない…
でもそんなことは絶対にしない!
と約束できればいいんだけど………約束する、一応…(^^;)
甲府を過ぎて諏訪あたりまで往復するかも知れないし、
八王子あたりでとって返すかも知れない…
判らない…
でも名古屋までは行かないような気もするが、
妙高高原あたりまでなら行ってみてもいいかも知れない
まだ残る白い雪渓を目にしながら景色を流すのも悪くないよ、きっと。
誰と行くかって?
そりゃぁ、こんなときは「ふたり」じゃなくて「ひとり」に決まってるじゃないか、たぶん、…いや、ほんと、だと 思う…。
だって、ひとり…だもん(嘘?)
ふふんッ!?

キルミッー!



| 音の愉しみ | 22:47 | トラックバック:0コメント:3
一割に満たない変わりもん?
2006.06.14.Wed




詩を書くなどは
まったく変わりもんのすることで
一割どころか五分ほどもいないに違いない

詩のブログも書いている私としては

それでいい

と思う

どうしてひとりになりたいなどと考えるの?
それって、ひとりになったことがないからでしょ!
ひとりって寂しいんだよ…

ひとりが寂しい淋しいサビシイ
のは
良く良く判っているさ

誰と居たって
ひとりだなぁ、って感じてしまうね

ネットと本があれば、仕事以外のときはひとりで充分だし、
仕事関係の付き合いを就業時間外までずるずる引きずりたくはないし、
実際それだけはしない。

「ネットと本があれば、仕事以外のときはひとりで充分だし」と書いたけど、それどころか
やりたいことは
たいがいひとりでやる必要があるものばかりだ

やりたいことはたくさんある

星の勉強
解剖の理解
言葉との遊び
妄想の養育
肉体の構築
映画の探検


どれをとっても
大事なのは
ひとりであることだから…

変わりもんのままでいい

「お前は、ほんと付き合いが悪いなぁ…」

そうかなぁ…
そうかも

夜な夜なあなた方と飲み歩いている暇も金も私には無いのです。
暇があったら考えたいし書きたいし
金があったらカメラレンズが欲しいし本が欲しい

そういうわけで
付き合いの悪い奴という評価は
かえって嬉しいくらいです

*何を書いてるんだか…
 これってセツナさんとの問答?・・・らしいよ(^^;)





トニー滝谷
2006.06.06.Tue


トニー滝谷はとても観たかった映画で、
日曜日(4日)にどこかのチャンネルで放送していたはず。
でも、出張だったので観ることが出来なかった…。

この映画は、村上春樹の原作で、
「ノルウェーの森」を読んで以降、ある理由によって彼の作品を読むのを止めた私は、
この作品は読んでいないし、あることさえ知らなかった。

だが、テレビの予告編を観て、是非観たいと思い、普段はこんなことはしないのだけど、放送日時をカレンダーに朱入れしたのだった。
またいつか放送される日があるだろうが、それまで待てそうもないので、DVDを借りてこようかと思っている昨日今日明日です。(誰かのモジリか?…)

私は女優、宮沢りえにはいつも注目している。
(決してファンではないが…)

「父と暮らせば」「たそがれ清兵衛」「阿修羅城の瞳」そして今年は「花よりもなほ」と着実に映画俳優として活躍している。

「父と暮らせば」での原田芳雄との共演・競演は映画史に残る良質の演技だったと思っている。

「トニー滝谷」では、彼女の女優としての着こなしも見事なのではないかと思っているのだ。
モンペ姿ではない、スレンダーで華やかな洋装にも期待している。
映画にとって、ファッションも女優の一部のはずだ。

宮沢りえが醸しだすどこか哀しげな雰囲気は、あの相撲取りとの事件によって、彼女に本来備わっていた姿として、アイドル芸能人という枠から解き放たれたオーラである。

痛々しく痩せた彼女は、もはや精神性にのみに生きようとしているかのように見える。
あの華やかで健康的な写真集からは想像することの出来ない変貌は、
変わったのではなく、解き放たれたのだ。
本来へ戻ったと言ってもいいのではないか、と勝手に妄想する。
乾いた肉体から発せられるオーラは、精神の崇高だ。

と、持ち上げても致し方ない。
私の娘と同い年の彼女を見ていると、心が痛む…。

不義と後悔と哀切に残り少ない生涯をくれてやるさ。






プロフィール欄に
2006.06.03.Sat
右のプロフィール欄にお気に入りの楽曲をリンク。

NEXT MUSIC というインディーズ系の楽曲配信サイトからのもの。
INCUNCというアーティストの楽曲です。
このサイト、ほとんどの曲が無料でダウンロードできるのですが、中には聴くことしか出来ない設定のもののある。
紹介の曲はそんな楽曲の内の一曲。
手に入れるには、本人にメールでもしてみる他ないらしい…
まぁ、こうやってストリーミング出来ているからいいとする。
URLがある日突然に変わったら聴けなくなるけどね。

というわけで、NEXT MUSIC でお気に入りが見つかったらまたリンクするつもり。

注:これって直リンクになるのかなぁ~
  もしかしてサイトには迷惑?
  そうなら言ってください 消しますよ(~_~メ)






忘れることの出来ない蒼だったあの日


仕事前、早朝のファストフード店で、わたしはノートをひろげる。
だらだらとメモをとるために。


仕事のこと
短い詩文
日曜大工のための設計図
ブログの題名と背景写真のイメージ作り
隣の人間達の会話の書き取り
似顔絵
などなど…







政治ブログを読み漁っていて・・・
2006.04.28.Fri
ここのところ政治ブログをあちらこちらと読み漁っている。
特に政治に感心があるわけではないが、
最近なんだか巷、五里霧中を制限速度超で疾走している気がしてならない。

  
加速度を急激に増して上昇する世界


そんなイメージが浮かんでいて、
失速時の恐怖に慄く毎日だ。

 いわゆる世界の崩壊という絵を見てしまうのだ

右であれ左であれ、それぞれが信念を持って発言しているのだろうが、

 それで?

僕らの言葉遊びは終わらない

(文バラバラ…)

思考の分裂状態はずっと続いていて、
ひとつだけ確かなのは
料理するときの味見の感覚だけだ
味覚が壊れていないだけ
ボクはまだ崩壊していないと思って良いのだろうか…

ああ、とにかく世界はまんだらけ万華鏡・桃源郷竜宮城・・・
(ああ、また分裂していくぅ~~~)

ボクには官能と退廃に塗れた文化文政オンリー社会が嬉しい
だからあのバブルの扇子が懐かしい
お立ち台で呆けて踊り続けた娘達はどこへ行ったの?
戻っておいで

鎖国賛成!

もうどこへも行かない
もうどこからも入れない

ボクは俺は私は…ひとりの少女となる

(ああ、文バラ!文バラ♪)

自動筆記が止まらない

涙も止まらないし
くしゃみも止まらなければ
 放屁も止まらない…



放屁の加速度

 について考え出したら気が遠くなりそうだ

    (ああ、文バラ!文バラ♪)
    (ああ、文バラ!文バラ♪)







背景画を設定したくてブログ連射!
2006.04.25.Tue
各ブログに書くべきことなど多くはない

ないのに
 連射・多発とは…

ただただ
 背景写真をアップしたいばかりに…

アホか…(~_~メ)

同じ名前のブログやホムペ増殖中!

(ひとりごと)




背景遊び
2006.04.23.Sun
背景が本文を見え難くしていたので、
同じ物を左右反転して使用することにし、作業した。

これで、本文が陽の光の中に埋もれなくなったと思う。

ああ、まだまだ多忙・・・
いろいろと遊びたい作業はたくさんあるのになぁ。

風邪も治り体調は良好。




うれしいこと
2006.04.22.Sat
このブログは誰にも教えていないのに、
あるお方からコメントを頂いた。
びっくり!
なぜって…
ネット上でよく知っている人からだったから。
まさかあの人がココを見つけるなんて思ってもいなかったもの。
あの人の“色彩と構図”の扱い方にはいつも感心させられている。

ブログ世間は狭いんだなぁ…などと思う今日この頃、皆様お加減はいかが?
(誰かさんのブログ風に…)

ところでこの写真




映画「sonny」

男娼sonnyの物語りだ。
いい映画だった。
救いの無いような、少しはあるような…
人は定めから抜け出すことは難しいのだね。
格差激しいアメリカ社会にあって、下層階級から這い上がる可能性はゼロに近いのではないか。
日本もボチボチその気配…。
一発逆転をアメリカン・ドリームというなら、
ジャパン・ドリームという言葉もこれからは真実味が増すというもの。

おいらは下層・泥底で這い回るだけで良しとするよ。
上部構造で蠢く連中とは一線を画したいからね。
どうぞ好きなように権力を弄んでいてくださいよ。
おいらは、ココで金は無いなりに愉しんでいたいからね。

| 雑 | 21:52 | トラックバック:0コメント:0
色を失って・・・
2006.04.19.Wed
色を失って…

始めてみることにした

横浜
 高架
  夕暮れ

風の
 冷たい
   湾岸道路





過去に置いたエントリ-
1970.01.01.Thu
右下にある「MASK」に「monosepia」たちを列記してみた。

laputa のはココと同じ背景。
二行目の cocolog のものがもっとも早い時期に立ち上げたもの。
もうひとつの cocolog のものは無料で作れるもの。
Tok2 のふたつはホームページスペースを確保したときに一緒に作ったもの。

cocolog はデザインの自由度がほとんどない、と言っていい。
有料になるといろいろ出来るのだが、それは馬鹿馬鹿しい限りだ。

Laputa は三ヶ月書き込みが無いと消される。

Tok2 のデザイン変更がどの程度だった忘れたが、
背景に写真を使っていないところをみると、
たぶん自由度は少ないのだと思う。
 違ってたら失礼(^_^;)
あとで調べてみるつもり

結局思うに、Fc2 が一番いいかも、と一応オベンチャラを言っておく。

  それにしても・・・汗アセ大汗・・・いくつ作ったんだ!
  表紙だけのサイトばかりだぁ~♪
  表紙をいじると飽きてしまうんだよなぁ~♪

あ、このエントリー日付けは、実際のエントリー日時とは異なっている。
実際は、2006.04.26.20:11です。