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男は黙って女を私に預けた。
 ただ泣いてばかりいる白い蛇のように身体中から涙が滲んでいて、まるで皮膚が××のように潤んだあの女を、男はどうにも手に負えなくなり壊れた自動人形を粗大ゴミに出すように、一枚の紙切れと共にわたしに手渡したのだ。
 ノートの一ページを破ったらしい紙切れにはこう書いてあった。
(初めまして。あなたにご挨拶するのは、この文の中で充分だと思います。便箋を使うほどの人とは到底思えませんし、ましてや直接お会いして挨拶するほどの人物とはどうしても思えないのです。どうか、気を悪くなさってください。ええ、構いません。あなたとはこれが最初で最後なのですから、何の問題もないでしょう。こいつは私が行けと言えば行く女ですから、そう言ったまでのことです。どうか、末永く可愛がってやってください。帰り道を知らぬ女ですから、悪しからず。)
 私は最初の頃、布団の上にビニールシートを敷き、その上に分厚いタオルケットを二つ折りにし、女を置いた。全身から滲む涙でタオルケットは毎日交換する必要があった。朝起きて新しいのと交換し、夜帰宅後に再度交換するのだった。食事は固形物を一切受け付けないので、食塩水を枕元に用意した。一日に4リットルは飲んだ。これで痩せもせずに死にもせずにいるのだから、いったいどういう女だ。
 月に何枚ものタオルケットを買い足し、シートも月に一度は買い替えをしなければならなかった。涙とはいえ、やはり大量になれば汗と同じような臭気が漂ってくるのだった。皮膚から滲んでくるのだから汗とも言えるのだが、四六時中グスグス啜り泣くということは、やはりこれは汗ではなく涙なのだと承知している。
 なぜ、などという疑問など浮かんだことはなかった。なぜ、あいつがこの涙の海を私に預けたのか。なぜ、私は毎日この涙の海の中で溺れなければならないのか。なぜ、わたしは怒りもせず、嫌にもならず、話もせず、労わりもせず殴りとばしもせずにいるのか。
 ただ淡々と業務をこなすのを旨とする、低級で低脳な世話係に過ぎなかった。試しに一度、スポーツドリンクを用意してみたら結構飲んだので、私にはサプラズだった。今度野菜ジュースでも作ってみようか、などと考えた。実際与えてみた。サプライズだった。飲んだ。
 ある夏、熱中症で何人もが倒れ消防隊が走り回るような、太陽のせいで人が殺されそうな真昼、何を狂ったか女を散歩に連れ出すことにした。リュックにスポドリを6リットルも背負うのかと躊躇ってみたが、こんなことは今までに思いも付かなかったことで、この莫迦な思いつきに私は興奮した。飲み物はいずれ無くなり私の背中の荷物は軽くなるのだから、良しとした。手には着替えのタオル地のムームーを一枚抱え、女のヌルヌルした手を取って部屋を出た。女はグスグス肌を濡らしてはいたが、抵抗するでもなく目を見ることもなく大人しくついて来た。
 アパートを出て一本目の路地を抜けると森があり、その森はとても深い森で、中がどうなっているのか知らなかった。ただ森だけが鬱蒼と存在しているだけだと思っていた。一度地図で確かめたことがあるが、番地さえ記入されていない白い空白があるだけだった。もっともその空白の向こう側には高速道路が横切り、オフィス街の様々なビルが記載されているのだから、都会の中に残された数少ない緑地帯には違いなかった。
 今だから、こんな書き方も出来るわけだが、あの日のことをどうして忘れることなど出来るものか。森の中で起きたことを。そして女と私の運命のことを。(つづく・・・と思う)

 森と言えば樹木が背も高く生い茂り、太い根が露出したあたりには緑の苔がびっしりと這っていて、どこかジトォとした気味の悪さを思わせているものだ。もちろん、これは私だけの森観なのは間違いないッ。下草の間から白い、あるいは赤い茸が生えていたりもする。虫の数などは知れず、ともすれば服の襟からなにやらが入り込み、あわててしまうなどは良くあることだ。
 自然はいい、などと都会の人間は言うが、あの気色の悪さをも引き受けてからにしてもらいたい。毛虫も手で掴めないような輩に目に映る自然だけを讃えてもらってもなぁ、そんな感じだな。だから私は森なんか嫌いなのだ、本当は。何度か富士の裾野、原生樹海に入ったことがあるが、人間などいるはずもないと思って奥へと進むと、いきなり土方風の集団が昼飯を終え休息しているところに出会ったときの恐怖はただ事ではなかった。全身の産毛が逆立ち、人数掛ける2の眼に睨まれて私は完全に射すくめられた。
 ああ、これで私も終わりだ。そう思ったものだ。
 そのとき、ひとりの男がゆっくりと手を膝に当てながら立ち上がった。咥えていたタバコを足元に放り投げると、一歩そして一歩とわたしの方へと近づいて来たのだ。この男に首をへし折られるのだな、そして樹に吊るされて、樹海で消えるのだな。幾千もの不幸な人間たちと同じように無名の最期を遂げるのだな。そう思ったとして、私が弱虫だとか情けないだとかは言えないさ。実際はそうだとしてもだ。高所恐怖症が想像力過多による被害妄想に根ざしているという理論が信ずるに足るなら、臨床心理学的にも当然至極納得の心理だと思うがどうかな。つまり、闘えない男は惨めだとう真理さ。
 私は女の手を引いて森の奥へと入って行った。いかにも都心の公園にありがちな自転車進入止めの手摺をジグザグに抜けた。よろよろ歩いているくせに、女は不思議とどこにもぶつかることがないのだった。妙なことだな、と一瞬思ったが、そんな意外なことなど世間にはいくらでも転がっているから、直ぐに忘れた。思ったとおり、森の中はヒンヤリとしていて、暑い真夏日にコンクリートが焼かれている街中とは比べようもないほどに心地良いのだった。ヒンヤリと汗が引き始めたとき、女の手がスルリと私から抜けた。女は早足になり先へ行った。ヨロヨロしている割には正確に道を捉えていたのだ。その奇妙な足取りを見送りながら、私は樹木の間から覗く青い空と高層ビルを視界にとどめ、ここが都会の中の緑地帯にしか過ぎないのだということを認識していた。
 だが、それは間違いなのだが・・・。あの原生樹海で出会った男たちの眼に気圧されて小便ちびりそうになった自分だったが、都会の中の森でのことはそれ以上の出来事だったのだ。
 咥えていたタバコを投げ捨て、近づいてきた男は目線を外さない。少し笑っているようにも見えたのだ。私の恐怖は、そのとき髪の毛が逆立っていたから、たぶん本物だったのだ。実際少しちびった。
 おい、きみ。と男は声を掛けてきた。もちろん、少し笑った顔のままで・・・。